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★分割自我復元★その491■自分を大切にするという事の真意■
by:
鈴木崩残
2015/08/31(Mon)06:31:59
朱いはがねさんへの私信
●以下は朱いはがねさんへの私信として書き始めたものですが、
自我復元を終わった人や、
現在している中に数名だけ必要かもしれないと感じ、
これを書き始めています。
ただし、全員ではありません。数人だけです。
その人たちは、ひとつのキーワードを試してみてください。
それは、
自分に最も近いものは何か?
という問いです。
この問いを自分に向けてください。
「自分に最も近いもの」とは、自分に似ているものを外部に探す
ということでは無論ありません。
自分がそこにいて、座っているとき、
または、外に一人でいるとき、
電車の中にいるとき、
とりあえずは、能動的に何かをする状況ではないときに、
「自分に最も近いものは何か?」
を「言葉」で、空念仏のように自問するのではなくて、
自分に最も「距離的に近いもの」を探すということです。
●すると、たとえば頭の中でどのような事を考えたとしても、
その思考と自分の間には距離があるはずです。
完全に沈黙しきった意識で、その去来する思考を、
俯瞰し、観察したままには出来ないにしても、
少なくとも、思考とそれを見ている自分の意識とはに「距離」があります。
●同じように、鳥や虫の声が聞こえたとします。
すると、聞いている自分の意識とそれらの「知覚」とにも距離があります。
●今度は、自分の体の位置や感覚を意識してみてください。
すると意識というのは、あたかもその体の内側にあると感じるはずです。
つまり身体もその意識からは距離が離れています。
すると、意識されているものは、ことごとく意識している主体ではない
という事実に向き合うことになります。
●ここで重要なのはそうした意識、観察者が自分なんだ、
と「思い込む」ことによる自己満足で終わらせるのではなくて、
冒頭に述べたように、このある種の集中状態は、
「自分に一番近いものは何か?」ということに意識を向け続けることによって
意味を持ってきます。
●自分は思考ではない、自分は何かの価値観そものではない、
自分は、感覚ではない、
と思考することによっては、それはどこにも到達することはなく、
それは、ただの思考です。
しかし、自分に「最も近いもの」を探すということを試してください。
すると、「近い」というわけですから、
その位置感覚は、より頭にあるように感じている観察意識の中心であったり
人によっては胸の内部であったりします。
必ずしも、頭の位置ではなく、人によってはお腹の位置でも全くかまいません。
上にある位置が正しいとは決して思わず、
あなた自身が自分に近いと感じられる場所が最も効果的な場所です。
だから、無理は絶対にせずに、自分にとっての自分に近い位置を探してください。
●「自分に最も近い」
「自分に、より近くて距離がない」ということは
「位置」としては、多くの人の場合には、
「身体の皮膚(境界線)から内部」の位置になるはずです。
●その位置が決まったらば、そこにとどまるようにしてみてください。
何か得ようとか、感じ取ろうとか、わかろうともせずに、
自分にとって一番近い「場所」を探って、そこにいるということです。
そこにいるだけでかまいません。
これは、トラウマ堀りやAC人格解除でもなく、
またある意味では、関心地図でもありません。
関心地図とは、何かをあとで分析したりするのではなく、
今まさに動いている意識のベクトルを、今現在の中において監視してみる
ということでした。
●しかしこの「最も自分に近い位置に落ち着いて、ただそこにいるだけ」
というのは、何かをなしとげるためのものではなく、
自我復元ですらなく、「休息」だと割り切ってください。
本当にただの休息、休むことです。
本当に休むためには、思考というものは不要ですし邪魔なのですが、
それを監視するだけではそれが止むことはありません。
監視することは、少なくともそれは自分ではないと理解するのに役立ちます。
しかし「**は自分ではない」 から→ 「ならば、より自分であるもの」は何か?
となると、そこへ戻るには、小さな鍵が必要になります。
それがごく単純な「問い」です。
ごく単純な問いとは、
「自分に最も近い場所」を見つけてそこにいなさい、ということです。
そこで休んでくださいということです。
●そこは休むところなのですから、
何かの行動指針や、アイディアが浮かばないかとか、
何かの分析力が増さないかとか、
対人関係で、そつなく対処したり、苦しくならないようにならないかとか、
あるいは何か見えたり感じたりしてくれないか、
このようなものは、すべて無用です。
そうした期待、下心があっては、「休息」になりません。
ここでの目的は絶対的に、ただの休息です。
しかし、放置していては、一分たりとも人は休息すら出来ないという事実があります。
●ですから、
「自分に最も近い位置」は自分のどこなのか、
それを探ってください。
思考も、身体感覚も、五感の感覚も、
先日、私が書いたような、イメージのスライドショーも、
そうした妄想や感覚や創作のすべては、
自分とは「距離」があるはずです。
●距離が「遠い」ものは、全く他人事やニュースであり、
昨日はどこへ行ったとかの、ただの記憶であり、
自分に影響したり関係してくる人に関する問題は、
それよりも距離が近くなり、
もっと近くなると、今ここで見たり聞いたりしているものや、
渇きや空腹ですが、それでもまだ、あなたとの間には距離があります。
ここに自分の身体があるという「身体感覚」がかなり距離が近いですが、
それすら、自分の内部から見ると、まだ距離感があるはずです。
そうしていると、より自分に近い場所が内部にあるはずです。
キーワードは、
「自分に最も近い自分の位置」で休む
ということです。
一日に、10分でもいいので、やってみてください。
これは、関心地図、自我復元作業、AC人格分析、トラウマ掘りとは
全く別のこととしてやってください。
報告する必要はありません。
報告するためにするのではないからです。
「休む」ためにするのみです。
これが自分の中心だ、とか、ここが自分の中心だ
とか分かって安心することが目的なのではなく、
(そんなことを分かったと自負した瞬間にそこにいないことになりますから)
とにかく、自分との距離が最も近いもの
これをオールにして、自分の内部に向かって漕いでみてください。
そして、そのことについては、
絶対に、文章にしてはいけません。
一切、何も文字に書いてはいけません。
絶対に他人に話してもいけませんし、
私に報告したり話してもいけません。
なぜならば、そうしたことは、すべて、
その「最も自分に近い場所」から外へ出てしまうこと、
あるいは、
自分から距離のある、説明や言葉、あげくには、
「私は理解できたんだ」といいたいだけのAC人格という
最も距離の遠いものに、集中してしまう結果となるからです。
つまり、この中心を言語化やイメージしようとしたり、
固定した自分の武器にしようするとことそのものが、
「朱いはがねさん」がブログで書いたところの、
A人格 と Z人格を、往復するだけで終わります。
言語化せず、
自分に変化が起きることを一切期待せず、
ただ、「自分に最も近いものは何か?どれか?どこか?」
それを探ってください。
それは「ここだ」「ここに違いない」、
そう考えたとたんに、それは自分とは距離のあるものになってしまいます。
だから、自分に近いものとは何か、
それを探ることをやめずに続けること、
それを続けることそのものが、休息となります。
休息とは、だらけることではありませんし、
眠ることではありませんし、
思考を放置することでもありません。
また、身体のどこかに集中をしているべきものではありません。
●しかし、それでも、
問い続けなければ、そこにはいられないのです。
これをするときにくれぐれも注意してほしいのは、
自分は、ただの意識なんだ、とかいうそういう概念化は絶対にしないことです。
概念ではなくて、重要なのは、「位置」です。
最も自分に近いもの、距離の近いものは、
「どこにあるか」という「その位置」を探ることです。
その位置で、ただ「休息」をするだけです。
この投稿のタイトルに書いた「自分を大切にする」とは、
自分の意志を大切にしたり、
自分の感情を大切にしたり、
自分の本心を大切にしたり、
自分の好みを大切にしたり、
自分の拒否を大切にしたり、
そういうことではありません。
自分の信念や理想を大切することでは全くありません。
また、どこかのチャクラに集中して何かを期待することでもありません。
マントラやヤントラのように、そこにしがみつくものではありません。
かつまた、「自分の意識がある」という感覚を大切にするのでもありません。
自分を大切にするとは、
自分に最も近い自分を感じる「位置」を問い、
それを大切にすることですが、
この際、大切にするということすらも、そこに余計な距離や価値観を作ります。
だから、問い続けてください。
そして、その「位置」を探し続けてください。
●「関心地図」とは、実は、
「時間的」に、それを行うことだったのです。
●つまり、より現在のこの瞬間という「原点」に近い瞬間を、
時間の中で探り、そこへと戻ろうとすることが、
関心地図の本質です。
関心が向くその瞬間を、見逃すことなく監視することで、
「今」という「点」に戻ろうとすることです。
●一方で、この「自分に近い位置」を探ることは、
時間の中ではなく、空間の中で、「ここ」を探ることです。
時間の中で、
「今ここ」にいられる場所はどこか?が関心地図であり、
空間の中で、
「今ここ」にいられる場所はどこか?が、今回の「位置探し」です。
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