▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[494]
■
★分割自我復元★その493■ 雑記メモ ■
by:
鈴木崩残
2015/09/10(Thu)14:57:30
「雑記メモ」
ここ数日、メモをしていたものなので、まとまりはありませんが、
テーマは今までと、だいたい同じです。
↓
******************
>【死について】
臨死体験が持つ最大の意味とは
離脱してどんな世界を見たとかそういう瑣末な事ではなくて
「今日限りでその身体や生活は無くなりますがよろしいですね?」
「では、これからどうします?」
という他者からの問い、
または自問に追い込まれることによって
自分は何を重視していたのかを知る事である。
つまり自分の頭の中のゴミを整理して、重要なものだけを残す
という作用のために、臨死体験は誰もが一生の間に4回か5回したほうがいいだろう。
この場合の臨死体験とは 、単に死に掛けたということではなくて
「本当にこれでこの一生の全てが終わる」という
リアルな臨場感に立たされる実感を伴わないものは、
単なるOOBEで終わる
あるいはまた、気分の優れない病床にいたり
交通事故で瀕死のショック状態にあったり、
または危険なスタントや冒険など、こうした事によって
「死ぬかもしれない」「死にかけた」 という体験の場合は、
「死との対面」に刺激的なノイズが入ってしまう。
ゆえに、完全に痛みや問題のない、
しかも目覚めた意識に死が突きつけられた時が重要なのである。
家族の誰かが死のうが、ペットが死のうが、隣人が死のうが、
それらはすべて「他人の死」に過ぎないので、
どれほどの心身の打撃を受けたとしても、大きな問題ではない。
しかしそれらの「経験主体」である、自分自身が、
永久に失われるかのように思える現実感覚の中に放り込まれて、
決断をしなくてはならない、
というのが私が定義する死の体験というものなのである。
多くの人たちが、
「別に明日死んでもいいですけど」とか
「特に思い残すことはないですけど」とか
「あれとこれだけをやったらもう死んでいいです」とか
「早く死ねたらいいと思っている」とか
「死んでから考えます」とか言うものの、
「死の本番」というのは、
貧弱な想像力で歪曲したストーリーとは、かなり違うのである
事故死の場合には、わりと予告もなしに突然にやってきて、
パニックになって考える余裕がなくなることが多い。
また病床にいて死期を感じてもそれでも人は変わるものではない。
ところが、突然に予告もなく、
「死そのもの」が本人の意識の「玄関をノックする」
とも言える遭遇というものがある。
「失う準備はいいですか?」と。
******************
>【気分主義について】
気分、感情、雰囲気、この3つは異なっている。
雰囲気というのは、自分以外の「周囲」についての主観的感覚のこと。
感情というのは恐れ、怒り、殺意、愛着といったもの。
気分は「感情のテンションのレベルが低いもの」で、
時には「めまいで気分が悪い」など感情とは別の症状を表す時もある
人間の大半が、日々の生活の中で、
ほとんど無意識のうちに死守しようとしているものは、
自身の目的でもなく、自分のの理念でもなく、
単に、自分が馴染んでいる「気分」の保持にあるようだ。
それを上下に、かく乱する要素は、
外界からの言葉などの心身の不快(または刺激)であるが
この「自分の慣れた気分」の維持が主動機となっているように見える。
自分の感情が不快に作動しないようにしても、
恐怖、イライラ、怒りが制御でき無さすぎて、自己嫌悪になったり
他人を恨んだり、文句や愚痴を言うことに嫌気がさした人が
自分に対して何かの働きかけを始めることが多い。
「気分」に属するものは「吐き気で気分が悪い」 という以外にも、
「気分が優れない」「言い方で気分を悪くした」 など、
こうした無数の「自分の気分メーター」に翻弄されており、
一生の大半を、自分に生じた気分に対する関心で費やしているようだ
*********
>【最近、世間でも話題になっている「胎内記憶」】
子供胎内記憶があるのは当然である。
ただし多くのケースでは10歳前までに忘れる。
私が問題視しているのはその現象の真偽ではなく
誕生前の「契約形式」に多くの不備がある点。
一例として両親のざっくりしずきているプロフィール映像は
一体誰が製作管理しているか、
そこのルールはどこの誰が、何を目的として決めたのか等である。
しかしこの問題は、突き詰めてゆくと
半分は現在の転生システムそれ自体に不具合があるとみなせるが
残る半分は、
「あいまいな動機、目的意識のなさ、単なる悔恨や愛着」などによって
まるで家畜や昆虫が誘導されるように、
誕生する肉体との不動産契約に同意してしまっている、
その人間の側にもかなりの問題がある。
生前契約書には、
両親、地域、教育環境や自然環境 自分の健康状態、予測される寿命、
出会う人間、その人生で経験したいことや、目的など、
かなりの希望を書けるにもかかわらず、
たとえば、生前が戦闘地域で死亡した場合には
「戦争のない国がいい」「食べ物に困らない国がいい」、
これぐらいしか希望を書かないで
あとは「ノーマーク」「ノーチェック」。
これが予測外の多くの悲劇を生むのである。
なので、近々死にそうな状態にある人、 またはそういう隣人のいる人は
一つだけ覚えておけばいいです。
死後に何を見ようが、誰に何を説明されようが
「しばらく考えさせてください」といって引きこもること。
何かすぐに決めないと悪いような、その場の空気に呑まれてしまって
安直な誕生計画に合意して手を打ってしまわないことです。
誕生地点の契約をあなたと取り交わす連中は役人気質だと思うこと。
質問をしないかぎり、疑問を投げかけないかぎり
彼らは徹底して不親切である。
「その件は質問をされませんでしたので、提示いたしませんでした」が常套句。
気に入らなければ「他にないのですか?」と食い下がれるレベルの意識が必要です。
これは頭だけで、
自分はそうできるはずだ、と思っていても、とうてい無理です。
特にスキだらけ、弱点だらけで、
自分の気分だけを重視する癖のあるAC人格には無理。
ただし、この生の選択では、自分の側にも責任がある事に留意すること。
もしも今、毎日を生きていて、
明確な目的意識、問題意識、自分のしたいことがはっきりしていないのであれば、
その経験の記憶からでは、
死んだ後に自分自身に対して抱ける希望や自主性も、
今と同じ程度に終わるという事が確かなのは当然の結果です。
******************
>【戦後に噴出した毒親の毒】
戦争(安保)法案の騒ぎもあり、その関係で「毒親問題」にからんで
敗戦直後に家庭内や親子に起きた変化の 都市部と地方の違いを調べ始めている。
焼け野原になった都市部と、それほどの破壊を受けなかった農村部では
敗戦後の地域の地元での力関係の変化に違いもあり、
また、食べる事に忙しくて子供が無視されがちだったなど、
いろいろ見えてくるものがある。
時代と地域により機能不全家族の「形の違い」はあるものの
根幹部分を見ると一環して共通しているのは、
親がまだ何も知らない幼い子供に向かって
出て行け
家に入れないぞ
飯抜きにするぞ
誰が食わしてやっていると思っている
口答えするな
といった脅迫と恐怖を与えている事例ばかりなのである。
ところが毒親も(進化とは言いたくないので)時代とともに悪化する。
昔は殴っていたものが、近年では、
子供を巧妙に、親の都合よく言葉でおだてる。
手は出さないが威嚇したり、当の親が出来てもいないような、
本からの借り物の格言じみた文言を言って躾ける。
しかし子供に向かって言っている本音は
「私のようにお前も不幸になれ」なのである。
終戦直後に成人や子供だった親が言いやすいのは
「敗戦後は食べ物がなくて大変だった。
だからお前たちには苦労はさせたくない」
という一見すると親心に偽装した言葉。
むろんそれも本心にあるだろうが、
その言葉に乗せて別の事を子供に言っている。
「お前たちは苦労知らずで駄目な奴だ」と
そうやって自分の子供を 「戦後の苦労をしらない駄目な奴」と決め付けたあとは、
子供を常に下に見るという前提環境に毒親は胡坐をかいてしまい、
今度はその親自身が、その親からされた事への恨みと悲しみと寂しさを
吐き出すために 一気に自分の妻と子供を利用して代理復習を始めてしまう。
この連鎖は明治以前からある。
たくさんの人たちが40代、50代になってから
幼少期のトラウマが原因の心理的症状を発症し
80歳、90歳になってもACのまま死んでゆく。
人生のどこかで(出来るだけ20歳までには) 徹底的に自分の年表を書いて、
どういう親子関係だったのかを掘り尽くさないと人生を無駄にするだけだ。
子供というのは
親の自慢の子供になるために生まれてくるわけではなく
また親に恥をかかせないために生まれてくるのでもない。
種の保存原理から見れば本来は、子供は親より能力が高くなる必要がある。
しかし毒親は萎縮して何も出来ない子供にしてしまう。
それでは老後の面倒も子供に見てもらえないというのにだ。
それとは逆に、親が老後に子供に面倒を見てもらおう
という魂胆を丸出しにすると、
今度は 長男の子供に学歴を押し付け、
それ以外の子供には家業を手伝わせる(長男を別格に扱う傾向は地方に多い)
結局、毒親自身が「幸せ感覚」を体験・自得していないから
子供への接し方がわからないのだ。
恋愛でもお見合いでも何でもいいが
結婚する時には相手とよく話し合った方がいい事がある。
それは、お互いに
「どういう事を幸せと感じるか」という意見の照らし合わせである。
むろん口だけではお互いに「偉そうな事や理想論」を言うこともあるだろう。
それでもこれは重要な対話である。
そこから相手の真意、嘘または無自覚な側面が見えてくるのである。
かつてバブルがはじけた頃から、
父子が顔を合わせる事によって、機能不全家族問題も浮上してきた傾向はある。
もともとはアメリカ等でアルコール依存症問題から着目されたのが
AC問題だったはず。
だからこの先は雇用不安や失業や倒産が加速するだろうから、
家族内はさらにギスギスして毒の撒き散らしあいになることだろう。
その家庭や夫婦の状態を測るひとつの基準というものがあります。
これは恋人同士でも同じ。
つまりは共存する相手との関係を見極める試金石である。
それは「トラブルが発生した時」に、家族や集団の各自が「どう対処するか」。
これでその家族はわかる。
平穏な時には本質はごまかされているだけなのだから。
******************
>【普遍的な「恐喝」の内容】
幼児から、死を目前にした老人まで 全ての人が、
暴力を受けること以外に、
特に親や伴侶や子供から言われたくない言葉がある。 それは、
出て行け
家に入るな
納得しなくても命令に従え
死ね
又は 生きろ である。
これを直接または間接的に言われ続け、言い続けてきた社会全体が問題なのである。
結局のところ、有史以来、
子供に対して毒親や、その毒親が作った企業がしてきたことは
直接に暴力や武器で威嚇するか、
または間接的に「飢え死に」を連想させるような、
生活必需品や資源の「出し渋り」である。
これをただ巧妙にやってきただけ。
国家間も家族内も、この基本病巣に変わりはない。
こういう、威嚇とか強迫観念に支配された社会の水で育つと
社会的な立場はどうあれ、
生きている事が楽しい事ではなく、
日々が いつ自分が仮想上の 死への恐怖、
または病への恐怖を味わわされるか、
という緊張した生存競争になってしまう。
そうなれば当然、不健全な感情と、妄想への現実逃避が起きる。
*********
こうした、支配者と奴隷との関係を作り出す最大の原因は「脅迫」である。
これを解決する方法は、
個人が「いかなる環境の外圧」にも不病不死の身体を手に入れるか
または社会がそれを実現するかである。
極端に言えば核兵器でも死なない身体である。
しかし、それが不可能なのであれば、
もし最低限の衣食住、と医療の費用無料と、教育の選択の自由、
これがある場合には、次の事が回避される
1 子供が親に進路や就職を強要されない
2 子供を含む同居人や夫婦は気が合わなければ自由に離別することが出来る
3 従業員が雇用主に屈服する必要がない
つまり現在ある多くの「我慢は不要」となると予測できる。
明確な目的も定まらないままに
「生きてゆくのにしかたないだろう」と、
イライラしながら生きる事から発生する無意味な葛藤よりも
衣食住と医療と教育の自由が確保された上で
それでも人生に創作意欲や、意味を見出せずに自殺するのとでは
後者の方がいくぶんかマシであろう。
簡単に言うと、
家族内で、いらぬ我慢が生ずる理由は、
子供、妻、夫、老夫婦などが「経済的自立が出来ない」という、
その利害関係の弱みにのみある。
よって、もしも最低限の生活が保障される場合には
それらをつなぐものは「純粋にその共存に意義があるかないか」だけになる。
この健全さを根底にした視点で自分の人間関係を直視すると良い。
現在の人間関係(家族と職場)のうち主要なものは
経済的な自活または自由な職業選択が出来ない故の、
主従関係が大半を占めており
残りは利害関係の少ない純粋な動機による人間関係である。
■現在試行錯誤されているよりも、さらに高度な「ベーシックインカム」によって、
後者のみで人間関係を成立できれば、
大半の人間が、現在の家族や同居人と離別できる自由を手にいれる。
*********
●実はこうしたこと(人間の基本的な生活基盤の確保)について、
2011年に製作された映像があったことを、つい最近になって知りました。
確かに一理あるものでした。
また、「宗教に汚染された地球人」に私が書いた、
戦争後の未来の形に似たもののひとつがここにあります。
むろん洗練された形で世界中に普及するには、
2100年から2300年までの200年ほどかかるはずですが。
時間を作って、ごらんください。
________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(494 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -