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[502]
■
★分割自我復元★その502■ トラウマ・AC人格分析の報告 ■
by:
鈴木崩残
2015/10/01(Thu)15:50:35
報告より
●私は、皆さんからの報告を、桜の間に出すこともあれば、
出さないこともあります。
出す場合というのは、その報告内容が、必ずほかの別の人たちに
役立つことがあると思えた場合です。
書籍の「不幸になる親」も、それを基準に選出しました。
つまり、AC人格や、トラウマには、必ず共通性がありますので、
似たような地域社会や、戦後の時代や、家族形態の中では
似たようなトラウマが発生するからです。
●今回の報告も、同じような親や、祖父母を持った人には
思い当たる部分があるはずです。
桜の間の、こうした報告が非常に有用であり、
時には、私の胸の中だけにとどめずに、掲載する最大の理由は、
これは、私一人では決してなし得ない作業だからです。
私の経験したことの中から出てくるものだけでは、
誰の役にも立たない分野もあります。
しかし、沢山の、しかも多様な生活をしてきた、
しかし、同じように、
見えない敵としての毒親からの影響を食らってしまった何人もの人たちが、
その実態の「認識を共有」することで、トラウマ堀りは進みます。
この作業に参加している人たちには、
本当に私は、いくら感謝しても、し足りません。
ですから、本気で、自分のAC人格をなんとかしようとするのであれば、
他人のゴシップ記事を読むように、娯楽みたいに読み流したり、
「自分には関係ないね」などと、斜に構えて読まず、
どこかに自分(自分と親との関係)との共通点がないか、
それを見つけてください。
そうした「報告」は、この桜の間の過去ログに、
本当に沢山あるのですから。
私の投稿を読むよりも、トラウマ堀り関しては、
「桜の間」の、皆さんからの報告文、
そして公認ブログに中に、その手がかりを見つけることが
何よりも役立ちます。
>皆さんの報告文は、必ず、白以外の「文字色」で載っていますので、
> 過去ログに簡単に見つけることができます。
(たまに、私のツイートのまとめが、色つきで載っていますので
それは無視してください)
それでは、今回の報告からの抜粋です。
編集してありますので、あちこち割愛させて戴いております。
●この方は、私個人の感覚ですが、
お互いに出会えて、本当に良かったと思う人の一人です。
悟りという問題でこのサイトがやっていたときには、
出会えなかった人たちが沢山います。
お姫ちゃんも、マディアさんも、そしてたぶん、朱いはがねさんも、
そして、基幹房さんもそうだと思います。
他にも、2010年ごろまでは、私とご縁のなかった人たちが多くいると思います。
悟りという分野、セックスという分野を通じて、
当サイトを読むようになった人たちというのは、
結局のところ、本当に、
どうにもならないほど、鈍感な人たちだったことがほとんどですが、
こと、このAC人格問題に立ち向かった人たちというのは、
本当に、すばらしい人たちです。
AC人格だったり、無自覚AC人格だったり、
AC人格直視から逃避し続けている人には、
その重要さが、決して、わからないと思います。
自分を支配しているものは、
自分が思っているような自分ではないかった、
という現実を見ることができたら、
それを見ることのできた人こそ、賞賛に値するのです。
●ですから、
このトラウマAC人格の問題をきっかけにして、ここで出会ったり、
また、以前から無明庵を知っていたものの、
トラウマ、AC問題以後から、やるべきことが加速した人たちと、
私は、本当に出会えて良かったと思いますし、
非力ながらでも、私が力になれたのであれば、
物書きとして、あるいはそれ以前に、一人の探求者として、
何かに役立てたという、この「状況」それ自体と、
自我復元、とりわけ、このAC問題の共同分析に参加してくれた人たちに、
深く感謝しています。
***************************
崩残様
中間報告になります。
8月に久しぶりに両親に会うことになった。
全く知らなかった親の育った家庭環境を少し知ることになった。
私の思い違いで今までの報告の中に訂正箇所がありました。
・一緒に暮らしていた祖父(父方)が**屋で身を立て、商売を行っていたと思っていましたが
最初に商売を始めたのは曽祖父でした。
祖父がそれを継ぎ、商売を続けましたが空襲で焼けてしまい、
祖父は**屋を廃業したということです。
その後、祖父は今で言うなら便利屋のようなものを始め、
引越し業、最終的に植木職人をしていたそうです。
やはり、人の下で働くより自分で稼ぐタイプの人だったようです。
・この祖父に私は幼稚園時代によくウナギを食べに連れて行かれたのですが、
せいぜい月に一回くらい
のペースだろうとずっと思っていました。
母親にその話を振った所、なんと月一回どころか、
一日置きに連れて行かれていたと言う。
それを聞いて唖然としてしまった。
幼稚園児に一日置きにうな重を食べさせるなんてやり過ぎだろうと。
ちょっと、やり過ぎではないか?
両親はそれに対して何も言えなかったということだ。
この頃のこのような偏食が小学生期の野菜嫌いを発生させたのかもしれない。
両親がその親とは、どういう関係だったかを推測してみました。
父親:
父親は戦争に行き、終戦間際に対ロシア戦線に出兵していたと聞かされていた。
だから私が小学生の頃は父のロシア人に対する悪口をよく耳にした。
戦後、祖父は曽祖父から継いだ商売を止め、
しばらく引越しや家具の運搬をしたらしい。
家の焼け跡から金庫が見つかり、それを売ったところ
かなりの高額で売れたということだった。
それほど当時は鉄が貴重だったのだろう。
そのお金で当時私が生まれた家が建ったということだった。
祖父は家具などをリヤカーに乗せ、引越しや運搬をし、
父がその手伝いをしたことがあったという。
戦後の状況下で、
祖父は生きる術を自分で見つけ家族を養うほど行動力があった。
その祖父から見た私の父親はどこか頼りなく見えたことだろう。
恐らく、父は祖父からダメだしをされ、自信を奪われていったのではないか。
子供の私から見ても祖父と父は性格も行動も真逆だった。
父は祖父祖母からその大人しい性格や行動力のなさを
なじられていたのではと思う。
私が小学生の時、私と母親が揉めている時に父が家族の前で言った。
「もう、やめてくれよ! みんなで俺をバカにしてさ〜!」と。
当時は何故、そんな事を言い出すのか理解できなかったが、
祖父祖母から自信を奪われていた証拠ではないだろうか。
母もまた、私と同じく父の嘆く態度に神経質だった。
私の怒鳴り声に対して自分の不快さではなく、
「お父さんが嫌がるからやめな!」と言ってくる。
母親に対しては私もしつこく出ていたが、
父親が嫌がるというセリフを聞くと私も矛を収めてしまうのだ。
父も私に対して直接文句を言うこともなく、
母を通して不機嫌さを伝えていた。
母はそういう父を情けないと思っていた節がある。
両親は私が小学生の頃にはすでに別々の部屋で寝起きをしていた。
私と父の間では母は伝達係りの役割をしていた。
私も父もお互いに伝えたい事があると母を通して行っていたことが多い。
父は時々母に対して
「お前はばかだな〜」「しっかりしろよ〜」と言うことがあった。
自分は子供とあまり関わらないのに、
母が上手くやらないとそういう風に言うのだ。
**という職業も祖父祖母が敷いたレールの上を歩かされ、
生きる自信を奪われて選んだ職業だろう。
そして自信を奪われた父は趣味の世界へ引きこもっていった。
私は母親から多くの自信を奪われたが、
その自信喪失の連鎖は父方の世代間にも発生し、
私へと引き継がれてしまった。
母は恐らく祖父が私を頻繁にウナギ屋へ連れて行くことを
よく思わなかったのではないか?
父にそれを訴えても父は祖父に刃向かうことなど出来ず、
母は不満を貯め、自分の感情は父止まりになり、
言っても聞いてもらえない存在となっていった。
父と母の関係では、いつも母が
「お父さんに聞いてみるから」とか私のことを何やら訴える様子が見られたが、
その都度父は面倒臭がり母親任せにしていたような気がする。
母は父に何を言っても面倒臭がれ相手にされなかったのではないだろうか。
それと同じことが母の子供時代の親子間に発生していたのではないか。
「言っても聞いてもらえない状態」は、
母は子供の頃から引きずっていると私は感じている。
幼稚園時代の私は、やはり祖父にベッタリで、
当時風呂を沸かすための薪作りもいつも一緒にしていたらしい。
だから、母にとって私の喘息は好都合だったのかもしれない。
私の喘息が酷ければ常に病院へ連れて行き、
祖父から私を引き離す口実となるから。
実際、私は喘息で母親に病院を連れまわされた。
風邪をひいて学校を休むことには
「弱いね〜、しっかりしろっ!」と怒鳴るくせに、
喘息を理由に水泳の授業を全てボイコットしたことには
全く文句を言わなかったことが納得できる。
喘息が理由の場合、ほとんどの物事は拒否できた。
私が子供の頃、祖父祖母と父が、語り合っているような場面は、
あまりなかったと記憶している。
だから私は、祖父祖母と父の関係を親子として見ていなかったような気がする。
祖父祖母は直接的に
「僕のおじいちゃん、おばあちゃん」で、父の父母ではなかった。
祖父祖母と父の間の血の繋がりのようなものを実感していなかった。
その感覚も世代間の連鎖になっているのだろう。
ずっと後の話だが私の友人が家を訪ねてきた時、
私と父の接し方を見て、「あの人、誰?」と言われ戸惑ってしまった。
「親父だよ!」と言うと怪訝な表情をされ、笑われた。
親子の雰囲気ではなく、近所のおじさんかと思ったと言われた。
それほど私と父の親子感覚は希薄なものだった。
このタイプのコミュニケーション障害は父方の世代間に伝わっていたものだ。
籠城型のコミュニケーション障害だ。
父と私の妹の関係は私とのものよりも
親子としてコミュニケーションがあったと思える。
私にいじめられ、対抗する妹は母から説教されることはなかった。
父と妹は良好な関係だったと記憶している。
父親の退職金をほとんど妹につぎ込んだにも拘わらず、
私は母親から「お前にはいっぱいお金を使った」といつまでも言われた。
私は今でもそれには納得がいかない。
母親:
母親は農家の生まれで前述したように、
私は母の家族形態を把握していなかった。
兄一人、四人姉妹と勘違いしていましたが、
母の実家に行くといつも世話をしてくれたおばさんがいたので
「あの人はだれだっけ?」と聞くと、
呆れた口調で「あたしの姉さんだろ!」と言われ、
五人姉妹か?と聞くと、結局11人兄妹だと言われ唖然としてしまった。
男四人と女七人という大家族でした。
私が最も嫌う家族形態ではないか!
農家で11人もの子供を作ること、それはもはや、
人としてではなく単に労働力として作ったということではないか!?
当時の環境は仕事のための水車があり、
話をするにもうるさ過ぎてみんなで怒鳴らないと聞こえなかったという。
子供11人と騒音の中で、母方の祖父祖母は、
子供一人一人にいちいち構っていられなかったのではないか?
母は子供として訴えたいことや聞いて欲しいことは
ほとんど叶わない状況で育ったと思われる。
要するに言いたい事、甘えたい事、
その他何事にも他の兄妹が多く、自分の出番がなかったのだ。
そのため、母は私の行動にやたらと口を出し、
自分の訴えを聞け、聞けと繰り返した。
ただひたすら自分の叫びを聞かせるために。
崩残さんのご指摘通り、
私はその代理復讐として母の欲求不満と訴えのゴミ箱にされていたのだ。
このゴミ箱はきれいに使われることもなく、
また自らきれいになってもいけなかった。
汚いままのゴミ容器としてあることを望まれていた。
思い出せばそれを納得させる出来事がいくつもあった。
私が静かにできなければ「静かにしろ!」と言い、
周りが騒いでいる中、じっと座ったままでいると
「なぜ、じっと座ってるの!?」と説教された。
ずっと後のことだが***で生活している頃、
さすがに疲れるので普通の仕事に戻ろうとすると、
「やめないで続けていればいいよ」と言い出す。
「そんなことばかりやってしょうがないね〜」
と言いながら母が安心できるだろう勉強や仕事に興味を示すと
喜ぶこともなく、「今のまま続ければいいよ〜」みたいなことを言う。
そんなことは止めろと言いながら、
実はそれを止めるな的な言動を発するのだ。
崩残さんの指摘でこれらの言動がやっと理解できた。
母は私に実際にしっかりした子供、
母の理想と思える人間になってもらっては困るのだ。
自分の存在感を確認できる出番を欲していたのだ。
私が子供の頃、よく会ったことがある叔母(母の姉と妹)は
気が強い方で、特に姉の方は引くということを知らない性格だった。
母も自分の姉に対しては強く出ることが出来ず、
私は愚痴ばかりを聞かされた。
私に対して強く出る母の態度は、母の兄妹の前では見られなかった。
母は自分の実家環境では、はけ口がなかったと思われる。
親に対しても兄妹に対しても。
母は自分の実家では自分が頼りになるほどの出番を欲していたはずだ。
それは私の人格の一つとなっていった。
私の職場などでのあり方にもそれが感染している。
私は同僚に仕事をそつなくこなされると、
やってくれるからいいか、という感覚になり
向上心のようなものがわかなくなる。
逆に自分よりずっと劣った者がいると
自分がやらなきゃいけないとなり、そつなくこなす者に変身する。
そして攻撃人格が猛威を振るう。
要するに「出番」を待っていたのだ。
母方の世代間には、
この「出番を待って攻撃する」人格が引き継がれたのではないか?
待ち伏せて攻撃する野戦型のコミュニケーション障害人格だ。
母は、結婚後もはけ口はなかった。
そこにははけ口となり得るのは私だけだった。
20代になって母親から離れて暮らしだした時から
私の喘息は徐々に和らいでいった。
◯ AC人格:
私の攻撃人格を追ってみた。
するともっと深いところにそれが育った土壌があるように思えた。
私の攻撃人格は専守防衛的だと思い込んでいた節がある。
しかし、私のは敵を油断させ罠を仕掛け、
叩き潰すという方法だと気付いた。
そして自分の出番をじっと待つ。
「攻撃人格:ハンター型」だ。
私は無意識に餌を撒き、虎視眈々と獲物を狙っていた。
獲物は偶然現れたのではなく、必然だ。
失敗をおそれる人格がいる。
失敗の先にあるものは他者からの説教を受けること。
それが些細なものであっても怯える私がいる。
失敗に対する不安が強い。
まだ起こってもいない失敗。
母親、教師の説教が怖かった。
仕事をそつなくこなすことは、
他者へ迷惑をかけることが嫌だったのではなく、
他者(母親)からの説教を回避するためだった。
他者の失敗を望み、私以下の人間を呼び寄せ、攻撃していた。
そしてこの攻撃人格の背景には基本ソフトが別にあるように思える。
△ 子供の頃から押し付けられた不安
母親や教師たちから奪われたもの→自信、信頼。
これらから生まれたのは自己主張できない臆病な「自信喪失人格」だ。
そして勉強や習い事を強要されたあとで、
子守唄のように染み込まされた不安があった。
「将来」「老後」という恐怖だ。
老後のために勉強して金を貯めて準備しろと囁き続けられ、
私の深い心理層には老後という呪いがかけられた。
その後、何をやるにもこの怯えがあった。
色々な仕事をこなして来たが、
いつもこれは安定した老後に繋がるのだろうかと気にしていたのは確かだ。
自由に生きたいと叫んでいたのは、
この「老後」という子供の頃からの大きな恐怖のせいだ。
この恐怖により私は何に対しても全力投球が出来なかった。
後年、この恐怖を麻痺させるために私はいろんな国を放浪した。
私の反発を計算に入れ、
貯金が老後の武器と思わせ、口やかましく貯金を叫んでいた母親。
私が大金を貯金でもしようものなら、親に頼らない構図になってしまい、
私を支配下に置けない。
私はアルバイトを続け、音楽で何かをやってる気になり、
放浪の旅で親への反発を表現した。
毒親の計画通り、私は金を貯める能力を削がれ、仕事場を流転し、
長い間毒親の支配下に身を置いた。
完全な誘導であり、罠だった。
踊らされていたわけだ。
ある時、旅先で出会った友人?が、軽い説教じみたことを私に言った。
ちょっとしたアドバイスだったが、
私の「攻撃人格」を完全に起動させてしまった。
その日から「偽主張人格」「攻撃人格」が猛威をふるい始めた。
ある日を境にこの臆病人格が仮面をつけ芝居を始める。
「俺が、俺が、」というように、
偽主張人格、攻撃人格、または優しい人格。
しかし、これらの人格は対人という舞台が必要だ。
こればかりに目を向けていてはソフトの解除は不可能ではないか?
これらは強力なAC人格だが、その背後に横たわるものがある。
基本ソフトは「お前はダメだ、将来のことを考えろ、他人に騙されるぞ」
と肥料を撒かれた土壌である、
「臆病」「できない」「老後不安」「自信喪失」「説教不安」だ。
そしてこれには反発発生機能があり、
「将来不安ないぞ!怖くないぞ!自信あるぞ!」
というように嘯き、母親の計画通り力をつけることなく生きてきた。
「自信喪失人格」「説教不安人格」というソフトから
「攻撃人格」「他者承認人格」が派生し、
「将来不安人格」というソフトからは、
「気ままな人格」「どうにかなるさ人格」「放浪人格」が派生した。
そして気持ちが乱れると、精神的に自分を守ろうとする思考群
→「言い訳人格」「守護人格」が現れる。
さらに自分のイメージを良く見せ、売り込む「営業人格」まで現れた。
桜の間で書かれたいたことを今、実感している。
コミュニケーションにおいて上手く会話ができない。
AC人格を退けてコミュニケーションを取ろうとすると戸惑ってしまう。
久しぶりに知り合いと会うと会話に興味がわかない。
相手は当然私のAC人格との会話を望んでいるわけだから間が持たない。
すると「しらけさせては悪いなぁ〜」的な人格が顔を出してしまう。
要らぬことを気遣う人格だ。
以上が、中間報告になります。
親の分析は、推測部分が多くなりますがご一読お願いします。
また、**関連の報告も近いうちに報告したいと思います。
_______________________________
報告をありがとうございました。
_______________________________
★
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