▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[515]
■
★分割自我復元★その515●中心で休む技法●
by:
鈴木崩残
2015/10/21(Wed)10:31:09
中心で休む技法
これについては、最初に桜の間に記述したときに、
確実に行って良い人と、個々人の判断に任せますが、効果の保障はできない、
という二つのグループに分けました。
こうしたことは、以前には、メールの配信によって
特定の段階の人たちだけに、まずテストをして頂き、
その結果を見て、公式な方法とするかを決めてきました。
「胸で整形して脳にまわす」といった技法もそうでした。
●こうしたものをまず数人に行って頂いているというのは、
とうぜん、それに続く人たちのためにということです。
何も特別な人だけに、ひいきをして教授しているわけではなく、
むしろ、「試して頂く人たち」は、リスクを背負います。
その技法から効果を引き出せずに、失敗するというリスクです。
結果、時間を無駄にすることもあり得ました。
しかしそうしたことをしてきてくれた人たちのおかげで、
自我復元には、今までに数箇所の追加技法が生まれました。
●今回の「脳の中心で休む」という技法は、
原理からしても、危険性は何ひとつないために、
公開という形で説明しましたが、
「正しく機能するかどうか」は、以前にも書いたように、
その人の持つ、動機、意志の強さ、継続力などが関係します。
何よりも、これが、
トラウマを徹底して掘ってきた人でないとならないには理由があります。
そのトラウマ分析をほぼ終えて、
AC人格の解除ので躓いている人にも効果はあります。
●ただし、逆に言うと、この技法を行ってもなお、
トラウマ掘り、AC人格の解除に向かわないとしたら、
根本的に自我復元の方法や、取り組み方の姿勢を自問したほうがいいです。
もしも、AC人格がやりがちな、
「私にも効果ありました」あるいは「効果は出ませんでした」というものが、
誇張や嘘ではなく、
自分で客観的に冷静に自己観察をして、その上で効果を実感できなかった場合には、
ステップバックして、トラウマ掘りに戻ったほうが、その後の速度が早く進みます。
これはスポーツなどでもまったく同じことで、
躓いたり、まだその技能を作るには早いという場合には、
原因は、その前の基礎が出来上がっていないことしかあり得ませんので。
●さて、なぜ、この「中心を見出して、中心で休む」という技法が
自我復元を、ある程度進んだときに、重大な位置を占めることになるかは、
二つの理由があります。
1/ひとつは、そこが本来、
自我を経験する上で主人であらねばならない原主体と、
接続がされる位置に「近い」こと。
(同一次元ではありませんので、脳のその位置にある器官は無関係です)。
2/もうひとつは前世、または生前の中間状態を探りやすいこと
この2点です。
実は、2つめの効能・副産物は、Abyさんが発見してくれたものでした。
そのことについては、10/21にブログに掲載されています。
↓
1.
http://mmjhb11.exblog.jp/22367167/
2.
http://mmjhb11.exblog.jp/22367254/
3.
http://mmjhb11.exblog.jp/22367360/
4.
http://mmjhb11.exblog.jp/22367427/
******************
●自我復元の「最初の技法(呼びかけと回収)」そのがそうであったように、
私もむろん、この「中心に休む」という技法を、皆さんに公開する前に
チェックをし続けました。
私の場合には、過去ではなくて、近未来との明確な接続が起きました。
ただし、それは別の世界へ移動するという地点ではなく、
その手前にある、今のこの自分の肉体の死について、
いくつかの示唆や確認作業が行われました。
●少し前の投稿に書きましたように、
おそらくはここ数十年で、最も私が自分の死について、
想像ではなく、実体としての「実感」を持って、
人生の総まとめ的な確認をしている状態にあります。
スイッチは目の前にある。あとは選択するのみの状態です。
これもまた、中心に休むという技法がもたらしたひとつの効果でした。
つまり、この脳の中心、ないしは、「今ここ」という意識の核の中心は、
時間的に、過去や未来に接続される点、
つまりは、無時間との「接点」であるということです。
無時間との接点であれば、当然に、空間的にも、
極大から極小までの「接点」として機能する可能性があります。
●こうした点から、生命に付随する別の身体や別の集団的意識に
契約をしたり、解約をして離れたりといったことを出来るであろう
中心核が、位置としては、脳の中心付近にあります。
むろん、そこを使える程度は、
トラウマをどれだけ掘ったか、AC人格を理解しつくしているか、
自分の身体に対して、面倒見ているか?
感情を今も抑圧したままでいないか?
こうした、ごくごく基礎的な、自我を持つ生物としての
当たり前のことを、どれだけ整備し、消化し、経験したか、
という程度によって、この脳の中心核にとどまれる「精度」が決定します。
●精度が高い場合には、時間的に移動した地点の情報が開示されますし、
それは「今ここ」の意識の核ですから、
当然に、原主体が日常生活でも出てくることになり、
また、とくにトラウマ分析やAC人格を枯渇させるといった
「継続的で大きな力」が必要な場合にも、その原動力になりえる核は、
この「中心」以外にありません。
●ただし、トラウマが掘りつくされていない人が、生前記憶を探ろうとしても、
まったくトンチンカンなものになった事例をいくつか自我復元者に見ているので、
トラウマとAC人格を掘りつくしておくことは、必須です。
なにしろ、その誕生前に意識を移動するのですから、
途中にノイズが残っていれば、デタラメな生前記憶を捏造したり
誤認してしまうのは当たり前でした。
●ちなみに「胸の中心」というものは、個人意識としての中心ではなく、
社会とか、環境とか、惑星とか、そうした「集団」の中での「位置」
との接点として機能しますので、
自分が毒親や、職場などで周囲に影響を与えたい人は、
この脳の中心が徹底したあとに、(これはかならずその後です)
脳から逆に胸にその力をおろして、
胸から周囲に拡散させるというベクトルを使えるようになります。
●ただし、私はあまりこれを推奨しません。
現在の方向性としては、社会的にどう在るか、
などという次元のことを、この時代の緊急時にしているべきではなく、
自分がどうするか、これから自分が日々、何を選択するか、
ということ以外に重大なことはありませんので。
しかしこういうことを書くと、
必ず、「周囲や他人に影響したがるAC人格が満開になる人」が出ます。
だからこそ、そういう人は中心が定まらないのですし、
無自覚的に毒親に、感情や思考法、
何よりも「動機」が毒親と同じものに感染したままで、
対人関係や、この社会の中で、
他人(または異性)に影響したいという歪んだ願望が果たされず、
きちんと、明確に、満足ゆくまで経験していないために、
結局は、AC人格の動機や、劣等感によって、こうした技法を悪用してしまいます。
悪用というより、かじる程度ですから、効果の持続性もたかが知れています。
結局、そういうことなのです。
だから、どんな技法を開示した場合にでも、
その結果、結末は、常に「自然淘汰」されます。
効果のない人には原因があり、それは基礎が出来ていないこと。
効果の目覚しい人には原因があり、それは必要な基礎が整っていることです。
こんなことは、自我復元に限らず、
どんな職種や、スポーツでも同じなのですから、
ことさら、反論するようなことではありませんし、
魔法ですらも、何の準備や訓練もなくては、
魔法のようなことは起きないのです。
にもかかわらず、最小限のことを「ちょっとやること」だけで
「楽して奇跡的な効果の出るものをよこせ、」
そういうふうに、わめいている馬鹿な人たちが群がっているのが、
精神世界という分野なのです。
何かを成し遂げるのに、数年、数十年の「訓練」が必要であることなど
当たり前のことじゃないですか?
宝石や、開運グッズを買ったり、どこかの霊能者に気を入れてもらう、
そんな程度の「自分に満足」する人は、
どこにでもいる、その程度の人で終わらないほうがどうかしています。
●精神世界というのは、特殊なことを、
単に、人とは違う、特殊なことをしているという慢心や自慢や、
自己顕示欲として悪用するのではなく、
その特殊なことを、人の何倍も、まじめに、継続的に、
つまり、当たり前の基礎として訓練しなければ、
何の効果もないことは当然なのです。
●もしも、ご自分が、Abyさんや、朱いはがねさんや、
マディアさんや、お姫ちゃんや、基幹房さんのような、
「あんな人たちのような努力をする気力は自分にはない」
「そんなことまでして、今の自分から抜け出したいなんて、
本気では考えいないんだ」
というのがあなたの本心の答えであるならば、
それまでのことです。
●むろん、他人の在り方を真似る必要はありません。
前述したどの人たちのブログも、きわめて「個性的」です。
どこにも、フリや、他人の言葉の真似など入り込んでいません。
かくも、すべてが、個性的で、その人それぞれらしく、
誰も他の人が真似のできない精度になっていること、
それが自我復元のもたらしたひとつの大きな部位です。
「人にはみんな個性がある」と、世俗的な格言のような馬鹿げた言葉を
弱々しい口調で嘯いたところで、個性がない人は、ないのです。
あるのは、個性といえるものではなく、
その人が嫌われるような「性質」のみです。
また、「個性があるのだ」ということを誇張して、
背伸びをして、天邪鬼になったり、
人がやらない変わったことをしていることの自慢など、そんなものは、
この上もなく「平凡で、誰もがやる無個性なこと」なのです。
●一方で、当たり前のことを着実にやる人が一番すごいのです。
なぜならば、当たり前のことを着実にやることこそ、
毒親が皆さんから奪ったものであり、
その結果、自立や自活が出来なくなったり、
自活や自立をしていても「共依存関係」から抜け出せなかったりしているからです。
●当たり前のこと、(当然に必要となる各ステップ)を、
特別なことと思わずに、当然のように訓練すること、
もしもこれをあなたがしたら、毒親は絶対にそれを妨害するからです。
なぜならば、それは、子供が能力をつけ「実力」をつけることだからです。
いつまでも「思考も、行動も、何もかもが中途半端」で、
本当は、ひどく弱弱しく、口先だけで、ネットに書き込む文章だけで、
いきまいている、偉ぶっている、
そういう最低に中途半端な人間のままで、あなたが、いてくれたほうが、
毒親にとっては手の上で転がせる良い子となり、
毒親は安心できて、万々歳だからです。
しかしながら、子供が親である自分を超える実力を持つようにすること。
しかもそれは、子供が「自分の老後を支えるため」ではなくて、
子供自身のために、実力を持たせようとすること。
これが親のすべきことです。
子供を、自分の家畜やペットにするのではなく、独り立ちさせること。
それが本来の親の仕事です。
ただし、それは、朱いはがねさんの毒親や、
Abyさんの毒親のしたような、
「異様な躾」と称する「虐待と洗脳」をすることではありません。
●そうして、自立してゆくためには、自我壁を持つ意識の中心が放つものは、
「なんとなく気分が大きくなった」「感情が落ち着いた」などという、
そんな程度の、お馬鹿瞑想ごっこではなくて、
着実な実力を伴う成果が出なくてはおかしいです。
それが出ないとしたら、
その人は、どっぷりと、毒親そっくりの、
個性もない、つまらなく、そして醜い、AC人格に甘んじている
ということです。
******************
●それで、話が最初に戻りますが、
先発隊の自我復元者の人たちが、着実に成果をあげたので
「中心を探り、中心に休む」というものは、
今の段階で「必要な技法」として間違いありません。
ですから、各自でやろうと思ったら、徹底してやり、
報告などをしてください。
●ただし、報告することが目的になっては、何の意味はありません。
それでは、他の本や言葉や、教えにあなたがしがみついていたのと同じように、
無明庵にしがみつくだけの、AC人格です。
他所で、さんざんに皆さんが、やってきたように、
実力を得るためではなく、
自分の不満の代弁をしてもらうための無明庵としての悪用や、
自分は親とは違うんだ、普通のやつらとは違うんだ、という
「特別感にすがるため」だけの悪用です。
また、無明庵を批判できれば、何か成し遂げたかのような自己満足に
ひたっているような人間も同様です。
これは、否定も肯定もどちらも「同じコインの裏表」にすぎません。
そのコインを回転させているのは、AC人格なのですから。
●そうではなくて、そこまで、ネチネチと粘着的に、
何かに執着できる資質があるならば、
なぜその人たちが、
「本当の自分を見出して、それにしがみつかないのか?」が不思議です。
ですから、自我復元の報告が、
AC人格が生き延びるための、ただの「しがみつき」から来るものでは、
自我復元の本質としては、何の意味もないのです。
確実にAC人格が失せてき、
生活態度、視点、行動そのものが、変わることに意味があるのです。
●私は、単なる、アウトサイダーの読者などに興味は全くありません。
私が興味があるのは、
「自己探求者」のみです。
厳密にいえば、閉じた自己というものはありませんが、
「閉じている、と認識する 意識に切り替えること」と、
「ある範囲に対して開いている、と認識する意識に切り替えること」
この二つを、
自由に、自分の目的に応じて、選択できるほどに、まだ多くの人は
「自我そのものの持つ効果=(自己遮蔽)」を生きていないのですから。
やっていないことには、人は、必ず足をひっぱられます。
うんざりして、あるいは、満足して(飽きたのではなく満足です)、
それで2度と「関心がなくなるほどに」やったことは、
二度とやる「必要そのもの」が本人の中には、なくなるのですから、
その位置を、その人は、楽々と離れることが出来ます。
何も、「捨てるんだ!」と意気込んで行うような事ではありません。
肉体や地球を離れるのも同じことです。
嫌がったり、捨てようとするのではなく、
心底、嘘なく無関心になるまで経験しつくすことが、
最大にして、「本物」の切断現象です。
●故に、「中途半端」は、何事において、どこにも行き着かないです。
中途半端では、、
初の宇宙にも行き着かず、宇宙の終焉にも行き着かない。
●とにかく、自分でも、一番無力に見える、
人間という、この一人の個体の中に、
「今、出来る」すべてのことがあり、
それ以外の場所にあるわけがありません。
それ以外のものに対してすらも、
接続の選択をするのは、あなたの中心なのですから。
●言い換えると、
毒親を選んで、誕生地点に失敗したと思うとしたら、
それは中心から生きた経験則によって選択しなかったということです。
だから、今後、地球上でも、そうでない別の世界でも、
他人の価値観が作り上げた世界に対する羨望ではなくて、
自分の好みを自分で分析しつくして知った上で、
その上で、経験したいことを経験する場を、
選択し、解約し、契約し、移動し、固定化する、そしてまた解約する、
といった「旅」をするには、
社会のルールから外れないように生きただけ、
精神世界の中の「流行りもの」に飛びついてきて、生きてきただけ、
そして、無自覚のまま、毒親のいうとおり生きただけ、
教祖や、何かを偉そうに教える人の言葉を妄信して、
言うとおり振舞っただけ、
そんなものが、その旅で、通用するはずがありません。
自分がその結果と経験を引き受ける、
それは誰のせいでもない、という覚悟で自分を生きた人にしか、
その個体の認識から、意志して離れることも、決して出来ません。
意志せずに、ただ雰囲気に流されるだけなのが楽なのならば、
それは、ベルトコンベアの上の、家畜や農作物であるだけです。
「誰かの食べものとして、役に立つならば、別にそれでもいいと思う」
などと、
そんな程度の低いことを考えて、地球に生まれた人は本来はいないのです。
(といっても、これは比較的「原種」の古代の地球人のことですが)
しかし、全体に回帰したり、全体に貢献するといった、
そんな程度の低いこと、言い換えると、飽きるほど繰り返されてきたことは、
他の星や、他の世界で、やっていてください。
そのうち、どうせ、
また、あの「自分ひとり」しかいないような、あの感覚を、味わってみたい、
とか言い出すに決まっているのですから。
________________________________
網戸越しでも 同じ世界を見る
____________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(515 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -