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[518]
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★分割自我復元★その518【頂いた報告より】
by:
鈴木崩残
2015/10/30(Fri)07:48:05
頂いた報告より
◯ 「中心で休む技法」
昔に瞑想のようなもので、私のやってきたことは、
崩残さんが言われる通り、息を止めるような思考の制御に陥り、
思考観察というものにはなっていなかったと感じています。
中心の位置も胸、眉間、背骨、頭頂などを試みましたが、
胸以外は大きな変化を感じないばかりで疲労感と迷いが残りました。
特に障害だったのは「確認作業」でした。
どこに中心を求めても、
常に今の状態を確認せずにはいられないというものでした。
確認する自分と確認される状態がいつまでも付きまとい続けました。
崩残さんによるこの技法を始めた三日間ほどは、
この「確認作業」が少し現れましたが、しばらく続けていると、
「確認作業」をしていない、やらずに済んでいることに気づきました。
あくまで私の感覚ですが…。
しかし、これは私にとって大きな変化でした。
>ここは、この方ではなく読む人への注意点を補足します。
>「確認作業をしていない」、この部分だけを都合よく解釈して、
>そうだ、(あるいは別に、)自分も確認作業をしていない。
>と思いたがるのがAC人格です。つまり他人に言われてすぐに便乗するものです。
>しかし私の目から見れば、この方は、その「思考が確認しようとする」
>そのことの苦しさ、間違っている違和感、これは違うという感覚、
>それを長く自覚して、問題視できていたからこそ、
>確認しないことの本当の本質をつかみつつあるわけです。
>こうした事は本当によく起きることで、
>他人の状態に自分を重ねて、不安解消をしようとしたり、
>「出来ている、わかっている人格」が自己主張をはじめるACの典型です。
>無心が重要であることを、Aという人が言うのとBという人が言うのでは
>全く次元そのものが違ってしまうのと同じように、
>同じようにトラウマ掘りや、AC人格列伝も、他人の回答を見て真似ているようでは、
>AC人格に餌をやっているだけに終始してしまいます。
>むろんこの報告の方は、そうではありません。
*********
現時点で自分が把握できるAC人格は40人格にも上りますが、先日報告しました通り
そのほとんどが「説教不安人格」「自信喪失人格」から派生したものだと捉えています。
これらの中で中心から引きずり出そうと強い力を持つのは「攻撃人格」と性欲に絡む
「妄想人格」です。
「攻撃人格」は強力な自己同化があるので特に注意が必要で、職場の対人関係ではこの
人格に支配権をすぐに取られそうになります。
難しいのは攻撃なのか必要な注意を相手にしているのかという点です。
中略
現在の職場の人間の態度や発言をよく観察してみると
AC人格というものが手に取るように判りました。
まだまだAC人格解除は始まったばかりで格闘中ですが、
以前の自分がいかにACまみれだったかを毎日見せつけられているようです。
そして今の自分が置かれている状況ですが、
私自身が数少ない職場の人間から攻撃とはいかないまでも
少し言葉で突かれるようなことが起きています。
中略
最近私が感じることは、職場の人たちは、
お互いに自分自身を優位に立たせたがっている態度、発言で忙しいということです。
そんなことはACまみれの私がずっとやってきたことですから、
今更他人の評価はできませんが、
中略
私の場合、自分を優位に立たせたい、自分に注目させたい人格は
「自信喪失」が産み出したもの。
自信がないと、どんなことをしてでも注目させ、
無いもの、欲しいものを掴もうとします。
最近分かった私のAC人格の手口は、
まだ起こってもないこと、こうなったらどれだけ腹が立つかという状況、
こうなったら攻撃できるぞという状況を妄想し、
架空の相手や設定した知人に対し、脳内で攻撃のリハーサルをしてきたということ。
餌まき行為でした。
「中心で休む技法」はまだ不安定ですが、
間違った瞑想をしていた時代の迷いが振り払わらたようです。
******************
■職場環境での、周囲のAC人格による、本人自身のAC人格への圧迫、
ないしは、AC人格を刺激するものというのは、
そこらじゅうに溢れかえっていると思います。
しかし、そういう状況に対して、事なかれ主義で、
自分の見え方や、立場から保身に走り、言いたいことも言えないで我慢する、
これを繰り返していては、トラウマは解消されません。
しかし、逆に「ろくにトラウマ掘りを出来てもいない人」が、
じゃー、嫌なことは嫌だと言って、自分のしたいことをやるんだとかやっても、
その人たちは、自分のAC人格が、やりやすそうな攻撃対象しか選べず、
(弱い人や、自分よりも劣ると思った相手に対して、
あるいは、ふだんは、適わないが、あることなら自分が上だと思い込んだ問題)
に対してのみ、ネチネチと、あるいは気が大きくなって反論をしたりします。
■これでは毒親と全く同じ「出番待ちのAC人格」ということです。
本当に重要な局面、本当に実力のある相手には、通用しないことを
痛感するか、さもなければ、言い訳をして逃げて、
その逃げた悔しさから「俺は言いたい事は言ったんだ」となります。
これがよくある、
親にされた恨みを、関係のない他人をターゲットにする代理復讐です。
このAC人格の「自己分析事例」は、この桜の間の報告の中にも、
ブログにも、たくさん出てきているものです。
*********
このことについては、誰でも理解しやすいひとつり事例を解説しておきます。
皆さんの親でもそうですし、学校にいた、嫌な奴とか、
社会に出れば職場で、近年ではネット上にも、うじゃうじゃいる、
>「説教したい人格」
>「偉ぶりたい人格」
>「俺は正しい事を説明している人格」
>「なんとかして、相手のアラを見つけ出して攻撃してやる人格」
>「事実関係について、言った言わない、書いてある書いていない」
>などには、異様に執着する者
>「俺は、心配して親切で言っているんだ人格」
これらについてです。
これらについて、ほとんどの、きちんとした自我復元者は、
自己分析済みであり、AC人格を絞め殺している段階にいます。
■たとえ話が、わかりやすいと思います。
すべての人間関係の基本中の基本に、大変によく似ているのが、
「売り場の定員の対応」または、
「企業の対応」によって、消費者が店を選ぶ行為です。
ある、家電売り場の定員が
「俺様の説明はA店の説明より、ずっと情報内容が正確で、
家電についても詳しいんだから、俺のアドバイスどおり買え」
と言われても、買わない人がほとんどです。
たとえその「説明内容がA店の定員のそれと全く同じでも」です。
もっとわかり易い例は、
コンテンツや要点が全く同じことが書いてある3冊の「本」があったとします。
(こういうものは「流行本」に多い。あちこちに同じことが書いてあるもの)
そこで読者は、何を基準に選ぶか?となれば、
文体、読みやすさ、わかり易さや、著者の人柄や姿勢である。
特に重要なのが、「個性的」かどうかです。
それを理解しないような人が、
「いや、俺様は、間違った事は言っていないし、書いていない」
ばかりを主張するわけです。
説明のよしあし、態度ではなく、そこが、ポイントになってしまうわけです。
既存する知識を組み合わせて、引用し、
もっともらしい理論性を匂わせる事など造作もないことです。
それは将来的には編集用の人工頭脳にも出来る事です。
単にそれが出来たり、自らの情報が正確である事を根拠に、
他者の間違いを執拗に揶揄する者というのは、
結局のところ、そういう応戦しか親子間でしてこなかったのです。
■ある特定分野で、
特に本人が自分で得意または、関心があると思っている分野、
「そこに踏み込んだ途端に AC人格が満開になる人たち」を、
皆さんは、家族内や、伴侶や、職場で、たくさん見てきたはずです。
それは特定のスポーツだったり、特定の話題だったり、特定の特技だったりと、
何でもありです。
その自分の中から無自覚に起動してしまうAC人格に逆らえない人は、
そのとたんに、
あちこちで、「他人の間違い探しと、弱い者いじめ」をはじめ、
男性の場合には女性への心理的攻撃、
女性の場合には「マウント女」に走る傾向があります。
多くの場合代案も持たず、また代案は口先で言うだけで、
自らそれを実現しようとすると、もたついてしまい、
最後は、現実化が出来ない、言い訳を、おっぱじめます。
もう皆さんが、さんざんに不愉快になり、見飽きたタイプだと思います。
この人たちが、どう言い訳をしても、
その本音には「勝つか負ける」かしかないわけです。
というのも、その人たちの「毒親が他人に対してそうだった」からです。
この人たちは子供時代に、
そのわずかな自己主張すらも、親にとことん馬鹿にされたのでしょう。
だから、そういうやり方でしか、つまり親の態度とそっくりの態度でしか、
親や他者に必死に反論する術しか知らないわけです。
さらに、これが下手にいい大人の年齢になってしまうと、
>「俺様は、別に勝ち負けにこだわって言っているのではない、」
>というまたまた、「見せ掛けたい人格」がしゃしゃり出ます。
どこをどう切っても、AC人格の「金太郎飴」なのです。
■たとえ話に戻りますと、
そんな、ゆがんだ競争心や、「オレ見て主義」の家電会社の、
そういう店員や、著企業が作り出す説明書や説明に、
不快感を示さない客がいるわけがないのです。
でも学校にも社会にもよくいます。
そもそも自分のものでもない「資料や、記録の正しさ」や、
もっといえば、
「自分の正しさを必死に証明すること」だけに、気が狂ったように執着する人たちです。
この人たちの特徴は2種類あり、気が狂ったように感情的になるタイプで、
実は、こちらのほうがマシなのです。
もう一方は、その感情すら押し込めて、何十にも屈折した形で、
>「ボクは、間違っていない。
> ボクは、間違いも認める姿勢もあり間違っていない。
> ボクは感情的じゃない。
と、どこかでやっていたのが、
私が「喜怒哀楽のない人は人ではありません」と書いたのを読むと、
> いや、喜怒哀楽や好き嫌いや、反論ぐらいボクだって出せるんだ」
と、これらは見てのとおり、
全部、すべてが、まるごと、「他者承認」の「金太郎飴 状態」です。
本人の内部から溢れ出るものではありません。
●その他者承認の最初にして最大の調教師は、むろん「毒親」です。
次に、その親から被害を受けないための「我慢人格」、
その次に、それ故に「学校、進学、就職」で躓きます。
●原因のすべては、結局のところ、完璧なコミュニケーション障害です。
コミュニケーション障害というものは、
社会に適応できるか出来ないかという問題ではなく、
「人間に」適合できるか出来ないかという意味で私は使います。
精神世界、特に瞑想や、関係妄想や、目新しい話に走るのは、
ほとんどすべてがコミュニケーション障害です。
というのも、彼らはそれを「他者を攻撃する武器」にしようとするからです。
かつて、この掲示板でも言いましたように、
無明庵の論調、理論を、知ったかぶりをして、他者攻撃にした人もいると思います。
他者と論議をするのであれば、正常ですが、
盾にして、家庭内で親や伴侶に、そして社会や瞑想組織で、
自分だけは特別だ、あいつらとは違うと思い込もうとする、
そういうAC人格に、無明庵が悪用されてきたケースもあります。
そういう点では、AC人格には、何を与えても駄目で、
先ほど羅列したような、本音の自分を見たくもないので、
ますます、どこをどう切っても、食えないような人格になってしまうわけです。
●では、どうしてそうなるのか?
その人格屈折の公式は単純です。
これほどに単純だからこそ、頭の悪い毒親にも出来たのです。
↓
>あろうことか、親兄弟から馬鹿にされた不幸な子供は
↓
>悲しい悔しいと、心では泣いた
↓
>何とかして「馬鹿にされないようにする人格」を発症する
↓
>これ故に、よけいに親兄弟や友達から相手にされない結果を招く
↓
>この分野なら馬鹿に出来る相手だ、
>知識なら自分が上だと思って、他人を馬鹿にするよくある人格へ形が変わる
↓
>大人の場合には、これに、+慇懃無礼や、大きなお世話の人格偽装が加わる
(こうして「無自覚偽善者」の出来上がりである)
こうして出来上がってしまった、無自覚偽善者AC人格は、
冒頭にたとえた、店員または企業のように、
親にされたことの悔しさと恨みの、憂さ晴らしをする相手や場所を
「獲物を見つけたがっている状態」、これが慢性化します。
その、
>「親切などではない、ただのAC人格の攻撃対象となり得る 獲物探し」
これを多くの正常な人たちは、嗅ぎわけます。
そして、相手にしなくなるか、嫌うのです。
それは嫌われて当然ですし、
なにしろ、AC人格なのですから、人格批判しても全くかまわないのです。
その人の本当の個性とか、身体の障害や、容姿などは批判対象になりませんが、
AC人格というものが言いたいことは、
本来は、今生きている本人でも、
その人の親であっても、その親の親であっても、
>そもそも「親」を相手にして、反論し、戦うべきだったものであり、
>それが出来なかったことを、他者という獲物をさがしてする、
これが、皆さんがさんざんに報告や「いらない親」の本で見てきた、
典型的な、AC人格の挙動です。
自分の存在が、特に母親から、愛されたり、大切に見守られなかったばかりか、
相手にされなかったり、親がコンプレックスをもっていれば、
必ず、それは子供に害を及ぼし、AC人格もまるごと感染します。
多くの場合には、時代や社会や、流行や、空気に合わせて、
親よりも、さらに、もっと屈折します。
しかし、すべての元凶は親にあり、その親の親にあるという
世代間連鎖をしています。
この非個人的とも言える巨大な敵を相手にする覚悟をして人たち、
それが本当の自我復元者の人たちです。
そもそも、
>その子供の親以外には、
>どのような他人も、その子を擁護したり守れないのに、
>その親が子供を小ばかにして、からかい、
>子供の自信を無くさせるような事をすれば、その傷は一生残ります。
また子供に期待する親の下心からの褒める教育も間違いです。
言葉ではなく、気にかけてあげ、かつ出来るだけ邪魔をしない、
それが子育てです。
いわゆる問題行動を起こす「良い子」には、
自主性を削がれ、親の言いつけを守らないと 怒鳴られるから我慢した、
という背景のケースがひとつあり、
もうひとつは、親の苦労する姿を見て、
親に心配をかけまいとする自主的な良い子で、
周囲からも良い子と言われる。
しかし、どちらも子供の発育としては不自然なのです。
■何度も私が言ったように、
特に5歳か6歳まで(つまり幼稚園に入る前か入ったころ)は、
「子供が絶対にやってはならない事」、
また「子供に絶対にやらせてはならない事」、
>それは「大人との取引」である。
何何をしたら、どうこうしてあげる、あれを買ってあげる。
しかし、何何をしたら罰せられる、
あれを買ってもらえない、やらせてもらえない。
何何を言うと「家に入れないぞ」と脅される。
>大人との「この取引」だけは、絶対に駄目だ。
なぜならば、
>子供の 自然な 喜怒哀楽の感情は 決して「取引をしない」。
頭は取引はしても「感情」は、決して「取引」をしません。
今回の、たとえ話の店員のようなAC人格の言わんとすることは、
ただ一言です。
>「ボクを、仲間はずれにしないでよ!、お願いだから!」
これに尽きます。
ただし、これは、感情そのものとして、決して間違いではありませんし、
>子供としては、なんら、ひとつも恥ずべき感情でもありません。
>寂しいのですから、仲間はずれにされたくないに決まっています。
>仲間外れにされたくないのは、AC人格ではなくて、
>これは子供としての、そして大人としても、全く正しい感情なのです。
故に、どうしたら良かったのかの答えはこうなります。
家でも友達との間でも、
>「仲間外れにしないで!悲しくなるから」と叫べば良かったのです。
●これだからこそ、問題なのは、
子供のときの感情には良いも悪いもなく、
それは、良い悪いにかかわらず、「出さねばならなかったもの」です。
>それは「排便や、排尿」と全く同じぐらいに、
>出さなければ、ならないもの、
>出さなくて我慢すれば、心が病むのが、当たりまえのものです。
子供のときの、本当の本心の感情を
もう一度、自分の手で助け出すことが、どれだけ重要であり、
それをしなかったら、人間にすらなれない、
ただの、
「生涯便秘」したままの、オナラ(=オーラ)の臭い人間」になるのです。
自我復元者は、トラウマを掘ることで、ここから抜け出そうとします。
そして、時間をかけて、抜け出してゆきます(ゆきました)。
******************
★
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