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[550]
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★分割自我復元★その550●【 「公転の第二周目」 】●
by:
鈴木崩残
2015/12/21(Mon)11:16:20
料理を空撮っぽく撮影してみた
●まず、食事の写真についてですが、
先日のロールケーキの撮影視線が気にいったので、
同じように極端に視線を低くして、料理写真を撮ってみました。
普通は、料理を紹介する写真といのは、斜め上から撮影するのが常識だと思います。
一例として、近撮しても、せいぜいこれぐらいの角度です。
↓
しかし私は、料理を、航空撮影や、
あるいは小人の視点で、森や、町や、庭園を歩くような、
そういう角度で撮影してみたくなりました。
●さて、年に4回程度しか食べないと自分で決めた肉食をしました。
外食での、その時の映像ですが、スライドの一部を見ると、
料理写真としては、完全に斬新かつ異端なアングルだと分かると思います。
これは料理を食べ物としてではなく「風景」として捉えようとした結果でした。
ついでに、スローモーションをかけた動画にしてみました。
前半は、ドローンで、料理という「庭園」を空中撮影しているような感じで、
後半のスライドショーは、真横からのアングルを数枚含みます。
●ちなみに、この肉のうち、一種は「鹿肉」なのですが、
鹿肉というのは、日本の陸上で最も汚染された四足動物の一つです。
その肉を食べるために、私が何を飲んだのかは、梅の間掲示板に
簡単に書いておきました。
鹿はセシウムを、10倍から15倍も、濃縮してしまう「キノコ類」や
汚染が染み付いたままになる「木の皮」を食べるので、
イノシシと並んで最も放射性物質に汚染された食材の一つです。
長野産の鹿肉だったので、ここ数年の長野県の鹿の測定値を調べて、
その平均値や最大値から、もしも何も防衛しないと、
自分が何グラムで何ベクレル食らうのかを概算を出して、対策を立てました。
「公転第二周目」
あびさんが言っていたこと、
そして以前にはマディアさんが少し触れたことがありますが、
無明庵のサイトの掲示板の過去ログとかホームページの内容というものは、
多くのものが、「全自我になってから、はじめて理解できた」というものが
含まれます。
そういう意味では、全自我になった人ほど、無明庵のサイトの
いろいろな部分を「当時は、全く理解できていなかった」と思うことが多いものです。
そういう点では、私が本当にダメだなと思う、こんな文言がありました。
これは本のレビューとして公開されているものです。
本の感想を書くのはむろん自由ですが、
真の精神世界というものを、全く理解できていない典型的な文です。
↓
http://www.amazon.co.jp/review/R3LOWNHSBL9ZPS
■いわゆる、本を読んでいる「だけ」、能書きだけです。
こういう評価は、くだらなすぎるので、いらないです。
でも、こういう人たちが、かつてはこのサイトを覗いては、
その後、自我復元で必須となるトラウマ掘りから逃げて、去っていってくれました。
この者が言うこの「周回遅れ」という言葉。
これ自体が、全くの「めくら」であることの自白なのです。
■そもそも無明庵の書籍そのものが、
自我が正常になっていない人が読むべきものではなかったのです。
それは、いろいろな言い訳、自己正当化、
「私だって」という、毎度おなじみのAC人格に餌を与えるものにすぎませんでした。
しかし、少数ですが、トラウマやAC人格から抜け出た人たちが
それらを読むと、全く違う視点、正確に言うと、
「全く正しい視点」から無明庵のサイトや本の、いくつかの内容を、
読むことが出来るはずです。
このことに、おそらく、あびさんは、全面的に同意すると思います。
■「体験」しない物事に対して、決して理解は存在しないからです。
しかし、あれほどの暗夜のような、
毒親が自分にもたらした、仮想世界を行脚してきて
そこを抜けたあびさんであれば、絶句するぐらいに、
まさに今のあびさんの状態について書かれている箇所があるのです。
あびさんだけではなく、朱いはがねさん、基幹房さん、
マディアさんや、お姫ちゃんが、
今いるところ、
今意識しているもの、
今体験していることについて、
何がその当たり前さに戻るのに必要だったかが、
あまりにも明確に書かれている箇所が、
無明庵のいろいろな本の文の中にあるのです。
■しかし、こういう事を書くと、AC人格者がいつも言うのは、
「私だって、」「ボクだって」「俺だって、」です。
「自分だって」、「何だ」と言いたいのでしょうか?
「自分だって、無明庵の過去の本の凄さを分かっているから買ったんだ」
そんな馬鹿馬鹿しい、無力な力比べを他人としたいのでしょうか?
こういうの本当に多いです。
代理復讐という言葉が、AC人格用語にありますが、
前にも書きましたが、
「代理自慢」というものが、
精神世界や科学や芸術、武術等の世界にはあります。
これは、毒親がよく言うことのひとつです。
「私は、***を尊敬している。(どうだ見る目があるだろ)
私は、***は凄いと思う(そう思える私は凄いだろ)
私だって、***について考えた事ぐらいある(俺は馬鹿じゃない)」
私がこの人たちが大嫌いな理由は、
その「私だって・・・・」(知っている、分かっている、出来る)
という、そのみみっちさ、意識の貧しさです。
よりによりって「私、だって・・・」とは何事でしょうか?
それでは、ただの「追従」に過ぎず「他者承認」への餓えにすぎません
■たとえば、これはよく、男女のカップルで、
男性が、別の女性を褒めると、それを聞かされた女性が、
「私だって・・・・できるもん!」と言うのと同じです。
逆に、女性が別の男性の話を持ち出したときに、
「俺だって、そんなことぐらい、知っている!」
と、言い出すの同じです。
ここにある、みっともなさを、皆さんは理解できるでしょうか?
■「私だって****」というのは、
その主張が撃沈されてしまうと、すぐに萎えてしまい、
「私なんか、どうせ****」に成り下がるものに過ぎません。
口に出しては言わなくとも、
心の中では、ふてくされているだけのAC人格なのです。
■なぜならば、他の人の事例を誰かが挙げたときに、
「俺だって、そのぐらい知っている」とか、
「私だって、トラウマは掘ってきた」とか、
「私だって、定期的に報告ぐらいしている」とか、
「私だって、それぐらいは出来ている」
これらの思考の元となるものは一体何なのでしょうか?
「自分は、他人に劣っていない、絶対にそんなの嫌だ」、
ただそれだけが言いたいだけです。
■しかし、本来であれば、言うべき言葉は、
「私だって****」ではありません。
この「そんなの私だって****」
これは、本当にいろんな人から実際の言葉として聞いたり、
あるいは心の中の本心として聞こえたりして、
私はその人たちに幻滅しました。
■なぜならば、まっとうな人は、
「私は ***** です」と言うだけだからです。
「私は、知っています」
「私は経験しました」
「私は出来ます」
「私は経験していません」
「私はそれは、できません」
これだけが本当に必要な主張であるのに、
「私 だって・・・」とは何事でしょうか?
それが意味するのは、「私 ”も”」です。
Me too. です。
つまり、これを言った瞬間に、
あなた比較基準は、他者や集団の中にあります。
または集団の中での多数決や、または集団でなくて特定の誰かでも、
その誰かと「同じでないと、負けた気がする」「屈辱的だ」
とあなたが思っているときに限って、
あなたは、誰かに反論するときに、
「私だって、私だって、」と、
口に出すか、または心の中で叫んでいます。
■でも、全自我の人は、特殊な文脈の中では、
「私も、そうだった」とか、
「私だって言いたくないですが」とは言いますが、
他人へ追いつこうなどとしていません。
その人たちは、常に、「独自にしている」のです。
その結果、きわめて個性的になってゆきます。
言うまでもなく、その個性は「多様」です。
他人が真似のできない「こと」をするのではなく、
他人が真似のできない「個性」を発するようになるのです。
お姫ちゃん、
マディアさん、
あびさん、
基幹房さん、
朱いはがねさん
今のところは、この人たちからAC人格ではない
原主体の個性が放たれています。
■しかし、一方で、まだそこに至らない場合には、
何かに追いつこうと、あせりながら、
「私だって、そんなこと、わかっている。
私だって、そんなこと知っている。
私だって、そんなこと出来る。」
そういうことを自我復元の中でする人は、今では少ないですが、
それでも、報告を見ると、
まだそんなものが行間に、まる見えの人も、少数ですが、います。
かつては、かなりいましたし、今でも残存はしています。
■そもそも、他人との比較そのものを、
「子供が自分でしてしまうように調教した」のが、
毒親なのですから、そこから抜けていない人は、
誰かの自我復元ブログを読むたびに、
「自分は劣っていないか」
「自分だってあのぐらいは経験した」
「自分だって、トラウマぐらい掘った」
「自分だってAC人格解除に奮闘している」
「自分だって、オリジナルぐらい作れるんだ」
と、こういうことを、頭で反射的に思ってしまうのは、
これ全部、AC人格ですから。
■現在の公式の自我復元ブログの中には、
いろいろな意味で、参考になることは沢山あるはずです。
しかし、率直に参考にしている人もいる一方で、
他人との「力比べ」に心理的に悪用している人もいますし、かつてもいました。
そもそも、「自分の大問題」についてやっているのに、
なぜ、他人の目が頭の中に出てくるのかです。
■そういう意味では、「他人に褒められたくて書いていたんです」
などと、「えげつない自白」をしている天音さんは、
そんな、醜いブログは、ぶち消して、やめてください。
それでは間違いだったと、「本心から気づいている」のではなく、
自分が、そういうAC人格だったこと、
「それぐらいは、私だって、分かっていました(気づきました)」
という、いつもでも、
「私だって***それぐらいは」 と 「どうせ私なんか***」の往復の中に
眠りこけていたいのでしたら、
あんな中途半端なブログは、ぜひ過去ログから全て消して下さい。
ブログは、その人「個人の記録」としては大切かもしれませんので、
PCに保存すればいいだけです。
■私は少し前にも言いましたが、
きちんとやっていること、出来ていること、
出来ていた、「その時」には率直に褒めますが、
ここぞという時にダメな場合には、ダメだと言います。
ずっと継続して、良いもの、ずっと継続して悪いということも、
この世界にはないのですから。
■なので、過去の「努力賞」がどうあれ、今の時点で、
あんな「気持ち悪い」、いいかげんな「中断」の仕方を、
平気で、そのままに出来るという、そのなげやりさ、
自我復元ブログを、ないがしろに出来る、
そういう、だらしない神経が、私には全く理解できません。
自我率だけが太っていようが、いくらこれまでにトラウマを掘ろうが、
最後のオチが「褒められたくてやっていました」とは何事でしょうか?
しかも、そこから抜け出す気はないようです。
あれでは、昔からずっと変わらぬ、トラウマ由来の、ふてくされと、
形を変えた、他者への代理復讐と、他者への軽蔑心、があるのみです。
それを自分で「気持ち悪い」と感じない点で、もうアウトです。
ですので、まだここを天音さんが見ているのでしたら、
ご自分が、だらしなく投げ捨て、中途半端にしたブログなど、
そんなものは削除してください。
桜の間のここを見ているのに、
「あんなの、もう見てねぇーよ」と言いたいがため、
見ないふりをするために、ブログを消さないという、
もしも、そこまで腐りきったのでしたら、それはもうどうにもなりません。
(この人の場合には生存確認は出来ていますので)
*********
■さて、話が脱線してしまいましたので、手短に切り上げます。
自我復元というのは、意識の問題の「基礎」となる、最も重要な部分を、
一から、やり直しているのであって、
過去の本や記事が「周回遅れ」にしか見えない、
そのあんたこそが、周回遅なんだよ、ということ。
今まさに、過去に無明庵の本に書かれたこと(そのものではないにしても)
そこで書かれていた「重大な問題」が、自我復元で、
リアルタイムで、解決されていっているのだから。
*********
ちなみに、この女性の人は、まだしも「自分の視点」から書評を書いています。
引用は多いですが、引用の仕方や、軽い一言コメントは悪くありません。
http://d.hatena.ne.jp/uchikoyoga/20100317
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●冒頭の「風景としての料理」に、あびさんが、感想を書いていました。
『 親無き子 に 我が家あり』
↓
http://mmjhb11.exblog.jp/22686653/
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