▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[556]
■
★分割自我復元★その556●【不快年表からのはじまり】●
by:
鈴木崩残
2015/12/30(Wed)16:28:21
初めてのトラウマ掘り
●自我復元の儀式と平行して行うトラウマ掘りやAC人格の直視、
ここへまずジャンプするために、多くの人は「不快年表」から始めます。
今回は、初めての不快年表を送ってきた方です。
自我判定は最近一度したばかりです。
本人はまだ感情が出てきていないという自覚が十分にあるのですが、
私から見ていますと、最初にしてはずいぶんと核心部分に近いところを
掘っているように見えました。
●常にそうなのですが、不快年表にしても、幼少期の記憶にしても、
もう口を酸っぱくして言ってきたことのひとつに、
「あなた自身が、その時代、その年齢に戻る時間の移動をしなければならない」
ということです。
現在の、時間をかけて大人になってしまった、あなたの頭と、
すっかりAC人格になっている状態での分析など、無意味なのです。
またそれでは感情に行き当たりません。
自分を救出に行くんだという覚悟と意気込みがなければ、
その幼少期に行き着けないのです。
まさに、時間を逆行するようにしかそこへは行けないのです。
●そして、これは、報告で嘘を言ったり、または本人が自分に嘘を言ったり、
そういうことをしてしまう人を、自己演出してしまうどうしようもない人たち、
もう私は、その人たちをここでバッサリと切り捨てるつもりで言います。
本当に、トラウマが掘れる時、または掘っているその最中でさえ、
あなたは、必ず「号泣」することになります。
これは年齢も性別も、トラウマの深さも全く関係ありません。
「必ず」です。
必ず号泣します。
これが起きていない人は、トラウマが全く掘れてすらいないと
自分にレッテルを貼ってかまいません。
弱かったり惨めだから泣く、だから自分にはそんなところはないから
泣くはずはない、のではなくて、感情そのものが泣かないはずがないのです。
もしもトラウマを掘っていて、あなたが、うっすら涙目になった程度で、
しかし泣かない、のであれば、
それは相当に子供の時から既に泣けないように調教されたことを意味します。
子供のときに、ギャーギャー、ワンワンと泣いていた時期が少しでもあるならば、
あるいはそれが長い時期あった人ほど、あなたが何歳のどんな高齢であろうが、
必ず、トラウマ掘りの過程では、号泣します。
●私は、自我復元の報告の中で、この現象を、あまりにも多く見てきたので、
確信を持って言えます。
号泣が起きないかぎり、トラウマを背負ったIC(傷ついた子供)は、救出されません。
これをあえて私がここで書き、公言するのは、それでもなお、
「トラウマを掘っていて、泣きました」と、力なく嘘を書いてくるような、
そういう人を、ここで、自我復元というラボ、この意識実験の聖域から、叩き出す為です。
もう私は、そこまで腐ったゾンビは、うんざりです。
実は、こういう人たちをかなり昔に、私はたくさん見てきました。
また、これとは逆の、ちっとも平気ではないのに、
平気であることを親に示さないとならないために、感情を抑圧したままの
無表情で死んだようなゾンビ顔の人たち。
どっちも重度の病人ですが、私はもう関りたくりません。
その時間や労力は、本気で自分のことを掘っている人のためにこそ、
私は使いたいからです。
●さて、長くなりましたが、ひとつだけ重要なことを書いておきます。
これはたぶん、書籍の「いらない親」でも明記をしてなかったことです。
*********
トラウマとAC人格の違い
トラウマとAC人格が、何が違うのかを端的に理解できるのが、
戦争経験者が、戦争という現象によって背負うのは、トラウマであり、
毒親によって背負ったものによって発生するのがAC人格です。
たとえば、全く家庭に問題の無かった人でも、戦争による殺人の繰り返しで
トラウマになることがあります。映画のランボーのようなものです。
しかしそれが即時、AC人格になるのではありません。
そのトラウマは、恐怖になり、また罪悪感となり、
それが各種の症状を引き起こすことになります。
しかしそれはAC人格ではありません。
●分かりやすい次の事例として、
オリンピックに出た体操選手が、鉄棒から落下して大怪我をしたとします。
その選手は、そのために、以後、立ち直るまでその技をすることに
恐怖感を持ちます。
そこには加害者はいません。そこには毒親はいません。
自分のミスで、トラウマを背負ったわけです。
●次に、戦闘地域で、産まれた子供はどうでしょうか?
私とて、それは想像する範囲でしかありませんが、
その子供たちは、生まれたときから、爆撃音を聞き、
人々の悲鳴や死にかこまれて育ちますから、当然のこととして、
死の恐怖、または死に恐怖している人たちと、産まれたときから隣り合わせです。
ここでも子供はトラウマを背負います。
しかも、戦争とは人為的なもので加害者がいます。
しかし、それでも、その加害者が、無人の戦闘機であれば、
「AC人格」は生まれないのです。
●子供の時に、あなたが、たとえば、川や海で、死ぬかと思うほど、
溺れそうなった経験をしたとします。
すると、それはトラウマとなり、あなたは水が怖くなることもあるでしょう。
しかし、水が怖いというその心理は、トラウマの症状ではあっても、
AC人格ではないのです。
*********
●では、AC人格とは何か??
それは、ずばり、その加害者が「親」である場合のみです。
AC人格というのは、人格です。
その人格というのは、主に、「対人」によって生ずるものです。
●大きな危険、命を脅かされるような自然現象や、自分の失敗行為、
または、戦争その他の「苛酷環境」、
この経験がAC人格を生むのではないのです。
それらはむろんトラウマになります。
しかし、AC人格とは「毒親に対処するために生まれた人格」です。
しかも、それは、
トラウマによって発生する症状よりも、はるかに有害です。
この桜の間、そして「いらない親」の中にかかれている、
トラウマとは、すべてその「親」が最初に与えたものであり、
その親が、子供のあなたに、もたらしたり、やった、
恐怖、不快、命令、追い出し、脅迫、恫喝、軽蔑、見下し、
こうしたものに「迎合する」か、
または「抵抗する」か、
または「無感覚になる」か、
「嘘をつくことで攻撃をさけるか」
「媚びることでしのぐか」
「おちゃらけることで取り入るか」
「息を殺す」ことで、その場をしのぐか、
こうした「その不快をどうにかしようとして出来上がった人格」、
これをAC人格と言います。
そのAC人格の最大の特徴は、
今現在、その人が、感情的であってもそうでなくても、
どちらにしても、
「当時子供だったときに、本当の感情を押し殺した」ということです。
その繰り返しをずっとやっていたのが、大半の人たちのAC人格です。
その繰り返し、なんと「やらされていた」のが、あびさんの事例です。
●そういう意味で、私は、あびさん、かつてのAbyさんのことを、
自我復元で、最も困難な難病の一人として、注視していました。
ほとんど回復は不可能に見えるほどの重態だったのです。
無自覚ACだった事において、あびさんの上を行く人は、まずいません。
皆さんのどんな毒親、馬鹿親でも、
あそこまで子供を、用意周到に洗脳する事など、出来ていません。
お姫ちゃん、マディアさん、基幹房さん、その他誰の毒親でも、
簡単に「尻尾を出しています」から、
そういう人たちは「加害者」を、はっきりと知っていました。
ほかにも、ほんとうに、ほんとうに、たくさんの報告がありましたが、
そのほとんどすべては、最初から、父親や母親に不快感を持っていましたら、
最初から犯人はバレていたわけです。
●ところが、Abyさんのは違っていました。
全くおかしいとも思っていなかったところから、
少しずつ、違和感の原因を、まるて、完全犯罪をした犯人を、
刑事や探偵が追い詰めるように、
本当に長い時間をかけて、謎解きをしました。
それは私から見ると、最大級の重病人だったのです。
無自覚ACほど、ひどい人生になる人たちはいません。
誤解を恐れずに言えば、前述した、戦闘地域で育つ子供や、
あるいは、ベトナム戦争以後世界で生まれた、大人の戦争体験者、
その人たちよりも、ずっと不幸になるのです。
なぜならば、そのまま行けば、一生、いや、死んでからですら、
「犯人が分からないまま」なのですから。
●毒親が、子供に対して、
自分が犯人であることを分からせないためにする、
典型的な癖があります。
それは「社会批判」や「説教癖」です。
あるいは、自分の家族以外の人たちを「馬鹿にする」「見下す」
そして、よくあるのが、新聞やテレビを見ては、
あなたに「説教」したり、
「あいつは馬鹿だ、ああいうのは愚か者だ」
「無知は罪だ」
とか、そういうことを、やっている毒父親です。
こいつらのやっていることは、
自分こそが子供にトラウマを背負わせた犯人であることを誤魔化すために、
「いいか、ああいう馬鹿になるんじゃないぞ」と、
さも知ったようなことを、テレビを見ている子供に言うのです。
それによって、まだ幼い子供だったあなたは、何も考えることも出来ずに
「きっと、そうなんだ」と思い込みます。
そして、その子供だったあなたは、親が真犯人であると思わずに、
その代わりに、おっぱじめることがあります。
それは、他者批判、社会批判、そして、他者や、親類への見下しです。
砂手が昔、書いたと思いますが、
「自分が軽蔑を出来るような、獲物探しを年中している」、
そういうゾンビになるのです。
このゾンビたちの最大の癖は、常に、何でもいいから、
批判しないと、生きてゆけないぐらいに、批判に中毒して病んでいるのです。
このような哀れな状態になる原因の大半は、父親が、そうだった場合です。
●これは、その毒父親がそうであった、そっくりそのままのゾンビ人格なのです。
また、そういう者たちは、親に反発しているつもりで、
実際には、「迎合または、感染」しているわけです。
この手の親に対して、「反抗、反発」をしたこともあるんだ」、
という人たちは、はいて捨てるほどいます。
女性でもいましたし、男性でも多くいました。
しかし、その人たちは、たった一回か二回、数回程度、
親に逆らったことがある、という、わずか数回のことを
大げさな武勇伝のように、他人に言う癖があります。
何しろ、逆らった回数が少ないので「毎回、同じ話ばかり」です。
本当に、反抗したならば、
あれもこれもと、無数の親に対抗した武勇伝があるはずです。
が、その人たちには、それはありません。
「逆らった事ぐらい、あるたんだ」という中途半端な状態のまま、
結局は、親にねじ伏せられた、その敗北感を背負っています。
その敗北感への嫌悪感が、他者への軽蔑や批判に転じるだけです。
●この手の、説教、批判という挙動をするのは、主に毒父親で、
母親が社会批判をする、ということはあまりありません。
ただし、母親の場合には、「陰で他者や親類の悪口を言う」、
>そして毒母親の最大の害悪は、
>いざという肝心なときに、
>子供だったあなたを、毒父親、または毒家族から、守らないということです。
>父親その他に、何か不快な思いをさせられているときに、
>母親が自分を守ってくれなかった、
>これほど子供に傷を負わせるトラウマはありません。
●このようにAC人格というのは、
トラウマそれ自体ではありません。
生命の危機それ自体ではありません。
その生命の危機をもたらした「加害者」があなたの親であり、
その親と、なんとか暮らしてゆくために「作り出した偽人格」、
それをAC人格と呼びます。
■毒親以外に、加害者がいる場合もあります。
以前の報告にあった女性の場合には、同居としている「叔父」が異常者でした。
無干さんの、最近の投稿にあるように、
「祖母が、猛毒の主」である場合もあります。
この毒祖母による弊害の事例は、女性でも見たことが何度かあります。
「毒祖母」が孫に与えるトラウマと、生み出すAC人格の怖さ、
については「いらない親」に書いたとおりです。
毒祖母は、恐喝だけではなく、お金などの飴も与えて子供を麻痺させます。
●しかしそんな、毒祖母、毒祖父、
あるいは、お姫ちゃんのように、さらに、そこに、
「別の他人の犯罪者」が加害者だった場合、
そんなときにでも、せめて母親だけでも、
子供が泣いてすがれる存在でさえあれば、
子供は、そこでトラウマは背負っても、AC人格にはならなかったのです。
どんな場合にも「母親が、そこで鍵になる」
その原因は簡単なことです。
「母親からの影響なんか、私にはないさ」
と、そう思っているのは特に男性のAC持ちですが、
その人たちに聞きたいことがあります。
あなたに「母乳」を与えたのは誰なのか?
生命のもっとも初期に、自分に母乳を提供するその生物を、
あなたが、頼りにしないわけはないのです。
生物学的に考えて、母乳を与える存在を頼らない幼児はいません。
意識するとしないに関らず、
母乳、授乳というものを通して、子供は母親に、どれだけ心理的に
依存しているかを知らねばなりません。
これは本能的な動物レベルでの刻印ですから、
頭でどう母親を軽視しても無力なのです。
その幼児期の重大なキー・パーソン、キー・クリーチャーであった
母親が、あなたを、
助けない、
無視する、
子供のあなたより夫(あなたの父親)に迎合する、
他の兄弟をひいきする、
さらには虐待する、
親からこんな仕打ちをされてきた人たちの、
どれだけの報告が、この桜の間にあったのか、
「いらない親」に記載されたのか、よく読み返してください。
●むろん、相手は年期の入った、毒親ですから、
母親も父親も、あなたは存分に、恨んでかまいません。
しかし、思春期になったころに、
父親から自分を守らなかった、その母親を、
恨み、嫌い、逆らい、反抗し、あるいは無視したり、軽蔑しても、
それは無力な抵抗なのです。
「授乳」という行為を通じて、母親とは自分を守るものという
決定的に「本能レベルになされた、刻印」というものがあるのです。
●だから、いい大人になって、どれだけ母親を軽視したり、
あるいは軽蔑したり、あるいは母親を、足で蹴りとばしたとしても、
あるいは、さらには、毒母親を殺したとしても、
それでも、その人は、毒母親の呪縛から逃げられたことにはなりません。
その人が、どうやったら、この本能の中に刻印された、
「本当にあるべき母親への憧憬」から開放されるか、
どうやったら、母親としてあるべきではなかった毒母親によって出来てしまった、
自分のAC人格に気づくことが出来るか、
その鍵のすべてが、
>「子供だった当事に、母親に向けていた、本当の感情」
>これを掘り出すことにあります。
●たとえば、マディアさんが、最後まで思い出すことを拒んでいたのが、
憎んだ一方で、父親が好きだった、という感情でした。
母親には、母親らしくあって欲しかった、という期待が、
相当につらく、最後の難関になっていたのが、お姫ちゃんでした。
一方で、たとえ、床にはいつくばる母親を蹴り飛ばしても、
今も、なおも、母親の乳を求めているのが杏樹さん、
母親に対する失望の大きさを、ちっとも理解していない黒丸さん、
母親が猛毒であることが全く1センチすらもわかっていない、おめめさん、
母親にどれだけ寂しい思いをさせられて、
それがAC人格を練りあげたことを直視しようとしなかった戦車さん、
母親に鍵があるとは気づいていても、決定的なトラウマ、
無視された傷を、まだ本当には掘れていない、ぽぽさん
●この人たちが、本当に、
「そこに置き去りにされた、子供の自分の感情」を掘ったらば、
涙がこぼれた程度ではなく、幾度となく、号泣しないわけがないのです。
なぜなら、そこで救出されるのは「大人」じゃありません。
「子供」なのですから。
感情が正常な、子供が「泣かないわけがない」のです。
だから、号泣なしに、トラウマは掘れませんし、
号泣という側面の報告がないものは、それだけのことです。
●ここまで、私が、書いてはならないことまでを、書く理由は、
それでもなお「号泣する自分まで、演技できるとしたら」
その人は、もう生きた人間ではないからです。
そもそも、生きてもいない人を、
私はこれ以上相手にしたくありません。
>毒父親は、直接の加害者になりやすい。
>毒母親は、「その時に、子供を守らない」
これだけのことが、
戦争経験では、それでも「ただのトラウマ」で済んだものが、
家庭の中では、「AC人格」にまで、発展してしまうのです。
その中で私が見た、
「最低、最悪の事例」が、あびさんだったのです。
だから、この人だけは、救出してやる、と、そう私に決意させました。
ここでは言う必要のない、別の複雑な理由もありますが、
肝心なことは、
彼が飛ぶということは、多くの人が飛ぶのと同じことだからです。
より最低の状態にある存在が飛躍すれば、それは底上げになります。
いえ、最低という言い方は変です。
本当に、絶対に、目を覚ませないほどに、最低のロボット状態、
まさに、彼がよく口にした、毒親の「完全犯罪」の中にいたけど、
血の通った神経が一本だけ残っていた、
それが彼を自分から助け出したということです。
そして、その洗脳状態は、最低のどん底ではあったけど、
トラウマ掘りが、危機感を想起するきっかけ、となりました。
●だから、今の、あびさんに対して、
嫉妬したり、羨望を向けたり、あいるは恨みを向けている、
そんな無意味なことをしている場合ではないのです。
しかし、それをしている人たちがいます。
どうして、それをしてしまうのか、
そんな自己嫌悪になるに決まっている「嫉妬」をしてしまうのか、
その理由も、この投稿の最後に書いておきます。
が、まずは報告を一件からです。
*********
●さて、今回は、冒頭に書いた、初めての不快年表の報告を掲載します。
一部のみとなります。
____________________________
・お前はダメだって言われていた子供時代
おじいさんから言われた。
それはお前が一番小さくて幼いんだから失敗をするとしたらお前しかいない。
(うちは田舎でトイレはまだ家の中になく別棟にトイレがあった。
汲み取り式通称ぼっとん便所でした。)
トイレを汚したのはお前だろって怒られた。
自分じゃない。悔しかった。
私が一番年下だからそんなことをいうんだ。
兄も私が子供なんだから帰りが遅いのはダメだ。
遊びに行って帰りが遅かったとき家から追い出された。
おばあさんが一緒に謝ってごめんなさいしてくれた。
私はなんて言っていいかわからなくなって泣いていた。
特に兄は、私がすることなすことみんなダメだって言っていた。
そうだ思い出した。
不快年表で抽出した兄からされた嫌なこと。
友人と遊びに夢中で帰宅が遅かった。
近所の火事(ぼや程度だった。)を見に行って同じように
帰りが遅くなってまた追い出された。
兄の漫画や小説、PCやおもちゃなんかを隠れていじっていた。
これもお前に触らせると汚す、傷める、壊すからダメだ。
お前はまだ小さいんだからダメだ。
って、ダメ扱いされて、
でもどうしてもそれを触りたくって兄がいない時に触って、
それが見つかって、隠されて。
でも興味持たせるように見せつけられて、いつも貸してくれなかった。
お前はダメだ。お前じゃダメだって言われていた。
小学生2年生?TVでアニメの放送がされていた。
兄はその音声をテープレコーダーで録音していた。
学校から帰ってくると放送には間に合わないので
(兄は8歳年上で当時中学生だった)
私に録音を頼むことがあった。
私は私で遊びたかったし、
アニメ自体は意味はよくわからなくてもロボットがかっこよくて
好きだったので見ていたんだけれども、見ると録音忘れてしまったり、
録音自体操作方法がよくわからなくなってしまって、
うまくできなかった。
できなかったからしょうがないと思っていたけれど、
「やっぱりお前はこんなことも出来ない駄目なやつだ」と兄から怒られていた。
休みのTV番組もいろいろ見たいものがあったけれど見ようとすると、
兄に見せてもらえなかった。
なんで見たいんだ?
どんな内容なんだ?
いろいろ質問されて、私はうまく答えられなかった。
ここもそうだ。
怒られたときに、
なんでだって聞かれて、なにも答えられなくなってしまうことがよく
あった。
そういう時は決まって頭の中は、なんて言ったらいいんだろう????
と真っ白で、なにも答えられずただ泣きじゃくっていた。
TVはそんなん答えられないなら見るだけ無駄だ。
だめだめ、そんなもん見る必要ない。
そしてそれを言われたのは母がいない夜が多かった。
(夜祖父母は夕食が終わりお風呂に入ると自室でTVを見ていたので
リビングには出てこなかったし、
祖父は一番風呂が好きでいつも早めに入っていたので、
多分7時8時には母がいないと子供だけになっていた。)
じゃあ、かわりに兄は見たい番組があってかというとそうでもなく
兄も自分の部屋にこもっていた。
自分もTV見ないんだったら、好きな番組見たっていいじゃんかって思っていた。
とにかく、兄からはお前はダメだと言われることが多かった。
TV見たい。けれどなんでこんな番組って説明できんかったんだろうか?
どんな話だったか、感想を言えって言われて、
今みた番組のこと説明できないんだろ?
見たかっただけだし、
ただ面白かったじゃダメなのか?
あらすじなんて説明できないし、
大抵は問題が起こって主人公が解決するそのプロセスのドラマが
いろんなパターンで繰り返しているだけの子供向けの番組だったのだけど、
うまく説明できなかった。
説明しろと言われてTVを見るためにはそれができないとダメだって言われて。
そもそも何故、兄は私をそんなに、駄目駄目いう必要があったのか?
私はダメと言われる存在だったのか?
祖父母からもそんなことを言われ私は駄目なのか?
家族の中で一番年下なので実際比較すればできないことは多かったはずだし、
当たり前じゃないか。
・気を遣う。人の顔色を伺う。遠慮がひどい。
気を遣う、気を遣ってている割に他人にはそう映らない。
あの人は気遣いがある人だねーということにはならない。
だけど、ものすごく気を使っている。どうしてかというと、
どのようにかというと、他人に迷惑をかけちゃいけない。
あの人の機嫌を損ねちゃいけない。
だからあの人が不快にならないように、
あの一言は大丈夫か?
こんなことしちゃいけないんじゃないか?
とビクビクしながら顔色を伺っている。
その割に逆鱗に触れることを平気で言ったりする。
大抵はイラついている。
イラついているけれどイラついていないフリをして話をしている時に、
そんな一言を言ってしまいやすい。
相手を怒らしてしまったと気づくと、
すぐに怒りをしずめてもらおうと相手に媚びる。
相手を想って、相手に喜んでもらいたいとか、
敬っているからこその思いやりでなくて、
自分本意な気遣い相手を怒らせないように、
不快にさせないようにとする。
同じく遠慮がひどい。
何故そんなに遠慮するのか?
でもこれもあの人は遠慮深い人だなんて言われたことはない。
遠慮してしまう。
誰かが手をあげると喜んで譲ってしまう。
誰も手を上げなければ私みたいなもん真っ先に辞退します。
どうか誰かやってください。と道を譲ってしまう。
私の中ではそんなところでしゃしゃり出てどうせ失敗するし、
失敗しなかったとしてももっとうまくできる人がいるからどうぞお願いします。
と思っている。
母を思い出す。
母はものすごく気を使っている。
大抵そんなことしたら
「迷惑かけてしまう」、だったり「失礼になってしまう」という理由で、
近所、親戚、皆に丁寧な態度をとっていた。
場合によってはお礼と称してお金を支払っていた。
なんでかというと、人は一人では生きていけないから、
人様の迷惑になったらあかんと言って、心配させたらいかんとか、
世話になった人に、大したことでなくても、
借りを作っちゃいけないから無理やりにでもお返しをして、
プラマイゼロの状態にしないと落ち着かない。
それをしないと相手は自分のことを、
こんなにしてやったのにお返しもしてこないやつだと思われたくない。
しないとそういう人間だと思われてしまう。と考えていた。
特にその部分、相手にどう思われるかを気にして、
必要以上に気を使った態度をとっていた。
そのくせ、いないところでは悪口を言っていた。悪口だ。
相手に対して正当な怒りを感じているならば、
そう主張すれば良いのにもかかわらず、それはしない。
本人目の前にするといつもありがとねー、感謝してるよ。
助かってます。いつもお世話になってます。と言っている。
この相手の気遣い。
そう私がしていることと同じだ。相手にこびている。
同じ事をしている。
人間関係の、人との付き合い方を、
こういう形で私は学んでしまったんだ。
お前は一番小さいんだから一番ダメなんだ。
家族から言われてきた。そういうもんだと思った。
体力はあまり強くなかったので友達と遊んでもあまり勝てなかった。
鬼ごっこでも足が遅いし、とにかく運動は苦手だった。
体育はきらいじゃなかったけれど遊びの中で競い合っていると勝てない。
こいつには絶対負けるはずがないと思っていた子にも、
マラソンで負けた。心が折れた。
あの時ゴール前で苦しくって足が動かなくってもうだめだって諦めた。
悔しかったけれどそれ以上にあそこで諦めた自分が嫌だった。
その諦めた自分を言い訳に、
負け犬根性が染み付いていることの言い訳にしてしまっている自分がいる。
これも嫌だ。
けれどあの時完全にダメだと言われてきた自分を、
ダメなやつだと受け入れてしまった。
駄目な私は、母がするように他人様に迷惑をかけないように気を使って
生きなければいけないと思った。
そしてそれは気遣いじゃないことも経験していくうちに気づいている。
本当の気遣いが出来る人は、気遣いされた人に伝わるし、
そもそも相手を不快にさせないようにすることじゃなくて、
相手を喜ばせたいと思うことだし、
もっといえば、自分が好きな人に自分がしてあげたいと思うことをするだけだから、
相手が不快感を示せばやめるだけで、
喜んでくれたら嬉しいだけでそれだけだと思う。
お返しも求めないし、ただ自分がしたいからする。
ということがベースだと思う。
私がしていることは媚ているだけだ。
何故そうしてしまうかというと、迷惑をかけちゃいけないから。
何故迷惑をかけちゃいけないか?
怒らせちゃいけないから。
何故?
怖いから。
人に迷惑をかけちゃいけないという思いは今もあって、
自分の子供が外で粗相をして他人に迷惑をかけないかといつも気にしている。
子供に教え込んでいる。
当たり前のことだと思っていた。
けれどよく考えると当たり前なのか?
今まで誰にも迷惑をかけたことがないか?
誰かに迷惑をかけられてどう思った?
中略
もっと言うと、相手の弱みを見つけて、
駄目な自分に迷惑かけるほど駄目なやつだ。
俺より下だと内心ニヤついていたほどだ。
迷惑というものは意図的にかけるのならば悪意があるのだから、
迷惑がられるのが目的だし、
意図せずかけてしまっても、
相手もお互い様程度にしか思わないだろう。
もちろん迷惑の程度にもよるけれど。
気遣いをしていたんじゃなくて、
こんなにあなたに気を使っていますからどうか私を怒らないでください。
と思っているだけじゃないか。
だから丁寧な態度をしているふりをしても、
相手の態度にイラついたりすると、
それこそ無意識に相手を怒らせる言葉をだす。
相手の反応を見てすぐにしまったやってしまった。
ごめんなさい怒らせてしまいました。許してくださいと、
へつらった態度をとってしまう。
自分の口癖の一つに、「怒ってないいよ」というのがあります。
でも、私はいつも怒っている。そして怒りを出せない。
怒りを出してしまうと相手と喧嘩になってしまう。
相手を怒らせてしまう。
そうか私は相手を怒らせることにものすごい恐怖を感じていて、
相手を怒らせないように媚びへつらい、
本当はイラついたりして怒っていても「自分自身に怒ってないよ」
と言い聞かせて、怒りを抑え抑え、喧嘩にならないようしていたんだ。
ということは、母も何かに怒っていたのだろうか?
父はお酒を飲むと暴れたらしい。
今でも父はいい人だった。呑まんかったらと言っています。
今だから言えるようになったのかもしれません。
昔は呑むと大変だったからなーっていう表現だったのが、
今は呑まんかったらいい人やったんやけどなーに変わっています。
確かに幼少の頃の思い出で、父が夕食の時、暴れ始めた。
私と兄は危ないから二階の子供部屋にいっときって避難させられたことを覚えています。
ひとまず落ち着いたあと、食卓に戻ると、
どれほど激しいことがあったのかは覚えていませんが、
嵐が過ぎ去ったような感じをしたことは覚えています。
またこれは私の記憶違いかもしれないんですが、
父が事故にあった日、朝、家を出るとき
母と大きな声で何か言い合っていた事を覚えています。
昔一度その話を母にしたのですが全く覚えていなかったので
そんなことなかった。
覚えとらんということで私の記憶違いかもしれませんが、
その日の朝は朝から変な空気を感じて怖かった?
びっくりした?
はっきりとした感情は思い出せませんが、そんな出来事があった記憶があります。
その日、学校に行くと、
先生からお父さんが大変だから迎えに来てるからと言われて、
知らないおじさんの車に乗せられ病院に連れて行かれました。
知らないおじさんに連れて行かれてしまうと不安になりながら行きました。
病院の消毒だとか薬の匂いが恐ろしく、
白いベットに管につながれた父が、
頭に真っ白な包帯を巻いて横たわっていました。
皆が家族、親戚皆が集まっていました。
そんな日の朝のことなので誰も覚えていないかもしれませんし、
私の記憶違いかもしれませんが、大声で何かやり取りしていた。
ここで言いたいのは、
そういった恫喝、暴力、そういったものが日常的にあった。
祖父母とはどうだったのかは私は知りません。
私の記憶では祖父母との記憶は、父が死んでからのモノがほとんどで
食卓にいたのは覚えているけれどていどしかありません。
父の死以降の、祖父母と母の関係は、表面だって悪いことはなかったと思います。
祖母は母の悪口を言っていた記憶はありません。
逆はあります。
僻みっぽいといつも言っていました。
祖父は家のことをなんにもしてくれないと祖母と一緒に悪口を言っていました。
中略
どこで、そうなったのかはわかりませんが、
母もここで生きていくためにはそういった媚びる必要があったんだと思います。
嫁いできてからなのか、
母の幼少時代からの中でのことなのかこれはわかりませんが。
自分を下にして、相手に媚びる形で、
あなたの迷惑にならないように、あなた様に借りなんてとてもできませんと、
本心では言っていていたんだと思います。
少なくとも私はそんな母を見て、
人様に迷惑をかけんように気を使っていましたし、
その本心は相手を怒らせてはいけないという恐怖心から、そうしていました。
同時に怒っても、怒りを出してはいけない。
心の中で「怒ってないよ」といつも言ってしまいます。
だからなのか、怒っても良い、怒れる相手には、
容赦なく文句を言ってしまいます。クレーマーに近いです。
怒れるというのは、大抵どこかの店の店員さんで、
ちょっとした粗相に、えらい剣幕で食って掛かります。
相手は反抗出来ない立場にいる人で、私が絶対的優位に立っている。
相手からの反撃は絶対こないと思われる場合で、
順番がだったり会計に戸惑っていたり、
商品の説明がしっかり出来ないとか理由は様々ですが、
きちんと謝罪もして頂いているにもかかわらず、ひどく怒ります。
もしその店員さんがクビ覚悟で反抗してきたら、
多分私はビビって謝るか逃げるかするだろうと思います。
噛み付く前に「怒ってないよ」って呪文みたいに言い聞かせ、
落ち着こうともしていますし、
それが超えてしまったときやらかしてしまいます。
その時は正当な主張をしているつもりでした。
本当にカッコ悪い、
いろんな自分の中で溜まっている怒りの感情を、
相手から反抗を受けない時だけ発散するために、
些細なことをきっかけにぶちまけている。
カッコ悪いという自覚があって
「怒ってない」とそういうことをしないように押さえ込んでいます。
妻にもそういうことをしてしまったこともあります。
妻の言葉に自分のプライドが傷つけられてもう絶対に許せないとなって
暴力で抑えつけ、鬱憤を晴らす。
思い出すとイメージの中の父や、記憶の中の祖父の怒り方と同じです。
うっすらと、こういうもんだと思っている。
そういう自覚はあります。
妻の実家(義父母)の関係も似たようなことがありそうです。
確信に近い推測ですが、私の祖父との違いは、
義父の方が社交的に振舞っているということくらいです。
もちろん義父とはお盆、正月に、顔を合わせ社交辞令的に会話をする程度で、
私個人的に何か影響を感じていませんけれど、
私の妻が、それでも一緒にいてくれるのは彼女の家族観が、
私のそれと似ているからかもしれません。
まったく違うなって感じる面もありますし、ここは彼女の問題であって
私の問題ではない領域に入ってしまうと思いますから。
ここで妻の話を出したのは、
なんとなくですが、私は彼女に母の雰囲気を感じている気がしてならないからです。
母とは全く違うんですが、なんとなく似ている気がするということです。
話が脱線してきたので戻すと、
私は気遣いをしている。必要以上に。
というのは全く嘘で、
他人が怖く自分に自信がないから、
自分を守るために媚びへつらい顔色を伺っている。
それは母譲りの行動だ。
恐れているくせに、
実際は恐怖と怒りの感情が潜んでいるということです。
家族にだめだめ言われてきたこと。
怒っていた。
怒っていたけれど怖かった。
ちょっとくらい遅くまで遊んだっていいじゃないかって怒っていた。
けれど家に入れんと怒られた。
怖くなってしまった。
ごめんなさいしてしまいなって祖母もフォローしてくれた。
けれど本心は怒っていた。
だから何を言っていいかわからなくなって固まってしまった。
怒っているのに自分の怒り以上に怒られた。
怒るより先にビビって怖くなってしまった。
まわりはごめんなさいしてしまえって言うから、
自分が悪いのかって思わされた。
漫画見せて欲しかったでも貸してくれなかった。
腹が立つ。
けれど力でかなわないから隠れてその欲求を満たした。
自分じゃないのに自分のせいにされた。腹がたった。
けれど全く聞き耳持ってくれなかった。
いつも怒っていた。
私は私の家族に対して怒っていた。
同時に怒れないほどビビっていた怖がっていた。
ビビっていることは絶対に認めたくなかった。
ビビって怒れないということを認めたくなかった。
残った感情は、ただ怖かったということ。
そして「怒ってないよ」という口癖。
ビビって怒れなかったんじゃなくて、
そもそも怒ってないし、圧倒的な力に恐怖していたと、
自分の本心に蓋をしていた。
そして、今でも素直に怒れない。
怒ったふりはする。
立場上、絶対優位にいるときだけ、
そこまで必要ないほど当り散らす。
そして「怒ってないよ」って言っている。
私は怒っている。
怒っている。
怒るというのはどういう事なんだろう。
濡れ衣を着せられた。
思い通りにならなかった。
こういう時には人は怒る?
理不尽に責められた。
理不尽な扱いを受けた。
これは怒るべき時?
この感覚。
麻痺している感覚。
この件は私は怒りを感じますという感情すら、
自分で感じられないのか?
そう考えると、私は今まで怒った事なかったのかもしれない。
単なる反応として、怒りのようなものを撒き散らし、
八つ当たりしていただけで、
怒るべき時に怒るべき対象に怒るという感情を見ないふりしてきた。
だから怒ることがよくわからなくなってしまっている。
あの時私は怒った。今もそうだ。
今、私は怒りを出すべき時でも、
その対象に、私はこんなダメ人間だから、
これ以上私を責めて怒らせないで。
というのが本音。
認めたくないけれど本音。
例えば、馬鹿にされて普通なら怒るところで、
私は馬鹿だからそのとおりだから、これ以上馬鹿にしないで。
と反応することが多い。
馬鹿にされてヘラヘラ笑って、
そして「怒ってないよ」って心の中で言っている。
母とのこと、母自身のこと、
正月に帰省した時に聞こうと思っています。
写真を見せてもらって、
そこから話をふくらませていこうと思っています。
正直、実家に帰ってもほとんど会話ができません。
コミュニケーションをとってこなかったせいです。
うまく話せるかどうか不安ですけれど、
一つでも過去の事実を引き出してこようと思っています。
年末ご多忙の折に申し訳ございませんが、
どうしても年内にご報告させていただきたいと思いまして
メールさせていただきました。
過去のことを思い出すこと辛いけれど、
変に他人事の感じもしています。
自分が経験してきたことなのに、他人事の感じ。
感情がついてきていないからだと思います。
不快感と出来事その時の感情は、もんやりしている感じです。
その中でようやく一つ見えたと思います。
見えたというだけで、ここからが重要だとも思っています。
厳しい言い方をすれば怒っていたのかもと、非常に曖昧でもあります。
きっと怒っていたのだろうと、思い込もうとしているのかもわかりません。
けれど、確かに怒っていた感情の記憶はあります。
この曖昧になっている麻痺してしまっている感覚が
怒りそのものでもあります。
なんで自分の気持ちなのに、
こんな薄い記憶になっているんだという怒りを感じています。
来年こそは、もっとという思い出続けていきます。
長文にて御目汚しとなりまして申し訳ございません。
最後まで御目通し頂きありがとうございます。
それでは来年もよろしくお願いいたします。
敬具
____________________________
長くなりましたので、嫉妬については、次の投稿でやります。
_____________________________
*********
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(556 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -