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[557]
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★分割自我復元★その557●【感情を否定するという最悪の間違い】●
by:
鈴木崩残
2015/12/31(Thu)06:14:36
「嫉妬と孤独感」
●前回の投稿で、私は、トラウマとAC人格の間に境界線を引きました。
「恐怖」は、特に、その人の許容範囲を超えた「恐怖」は、
時にはトラウマとなります。
が、時にはトラウマになっても、その後に治ることがあります。
そこに、明確な加害者はいても、いなくとも、
そこで問題なのは、
「その恐怖体験それ自体の性質」がどうだったか?、となります。
●一方で、加害者が親である場合、家族内に加害者がいた場合、
つまり、子供であったあなたが最初に、対人関係、
つまり他者というものと接した、
その、人生の中で、最も重大な初期体験で、
そこで生じたトラウマが原因となって、
「作られてしまう」のが「AC人格」となります。
それはその後の、その人のあらゆる「対人関係」に影響し、影を落とす
ということまでは理解できたと思います。
●では、AC人格を作り出すのは、
親があなたにした、暴力や、恫喝への「恐怖」であったり、
家を追い出されるという恐怖であったりするのでしょうか?
それを回避する為に出来上がる人格、という意味でのAC人格は、
多々あります。
そういう意味では、
「恐怖」こそが、AC人格を作り出す、
と、このように、単純に考えてしまう人も多いと思います。
結局は、死にたくない恐怖が、AC人格を作るんだ。わかったぞ本質が・・・。
と、あなたは思ってしまうかもしれませんが、それが分かったところで、
今日も、翌日も、未来も、あなたは何も変わりません。
「死にたくない恐怖が、AC人格を作る」と言葉にしてしまうと、
それはいかにも、分かりやすい構図であるかのように見えてしまいます。
●しかし私は前回の投稿で書きました。
「恐怖」はトラウマにはなるが、
直接にAC人格を生み出すものではない、と。
その昔、「AC人格列伝」というものを、皆さんに書いていただいたことがあります。
それは、「いらない親」の書籍にも出てきます。
さまざまな、いわば、AC人格に対するレッテルを貼り、
「***AC人格」と、そこに名前を作ることで、
気づかなかったAC人格を、客体化することが出来る、という効果があるために、
そうしました。
しかし、まかり間違うと、それは、何でもAC人格呼ばわりする、
という、ねじれた方向へ行ってしまう人も出るであろうことを覚悟で
みなさんにやってもらいました。
●沢山の報告がありました。
まるで試験の解答のように、緻密なAC人格列伝を書いてきた人もいました。
確かに「単なる提出レポート」としては、よく出来ている。
ところが、血が全く通っていないものも多かった。
始末が悪いのは、血がかよった「ふり」までする報告です。
しかし、その報告者の中の、僅かな人だけが、感情を掘り出しましたし、
今も、掘り出しつつあります。
むろん、その人以外の人たちも、
日々違和感を感じ、自己嫌悪を感じ、問題を感じ、
だからこそ自我復元とトラウマを掘ってきた、
にも関らず、
どこかで、いろいろな理屈や理由をつけて、それを放置して、
自分を見捨てる方の道を「選ぶ」のです。
否、選ぶというと、さも、そこに自主性があるように聞こえますが、
実際には、選んですらおらず、元のAC人格の激流に「流されるだけ」。
●そういう状況の中にあって、私の立ち位置、
つまり私がどこにいて、それを見ているか、ということについて、
実践者の皆さんが、決して勘違いをしてはならない点があるので、
簡単にですが、説明しておきます。
AC人格の「激流と渦」があり、それから抜け出そうとして、
あなたが自我復元、トラウマ掘り、AC人格抹殺をしようと決意したとします。
AC人格の渦潮の力に、あなたが流されてゆくときに、
あなたが、必死でもがいて、「手を伸ばした」とします。
しかし、私がそこで、あなたの手を引いたり、助け出すのではありません。
私があなたを助け出すのではありません。
また私の評価によって、あなたが助け出されるのでもありません。
●激流に流されそうになっているときに、
あなたが手を伸ばして、その先に、本当にいるべきなのは、
あなた自身です。
私は、そこで、渦潮に揉まれているそれぞれの皆さんに対して、
「違う、その手じゃない。その手を掴んではだめだ。
全く反対側に、あなたを助け出す あなた、がいるから、
そこで、後ろを振り返ってください」
と、そういうことをしているわけです。
私が助け出すのではなくて、
どの手が、あなた自身に向けられた、本当のあなたの手なのか、
渦潮の中で溺れそうになっている、あなたに、
どの手が、原主体のふりをして、
あなたを溺れさせようとしている、AC人格の手なのか?
その誤認について指摘するというのが、
基本的に、今の私の立ち位置です。
「その手にしがみついたら、引きずりこまれますよ」
「その手なら、それはあなた自身を助け出す、あなたの手です」
そのことを言っているのが、私からの個別のメールです。
*********
話を主題に戻します。
何年か前も、確か年末の時期でしたが、
基幹房さんが、面白いことを、やらかしてくれました。
ここで誤解のないように言っておきますが、
これは、きわめて、きわどい話題なのですが、
AC人格やトラウマの問題を理解する上では、避けて通れないことです。
私が基幹房さんの、ある種の挙動を、評価というか、「注視」する理由は、
あからさまに、AC人格であるものを、あからさまに報告してくる点です。
こうした率直さというのが基幹房さんの長所でもあります。
他の人たちは、どこか常に遠慮ぎみで、他人の顔色を伺っています。
しかし、基幹房さんには、そういう余裕がない。基幹房さんは必死です。
だからこそ、必死すぎて、見えなくなるものがあるので、そういうときには、
「その手は、あなたを助ける、あなた自身の手とは違いますよ」
ということを、私が折をみて、時々、言うことがあります。
●何年前か忘れましたが、基幹房さんが巻き起こした「嫉妬事件」
というのがありました。
別の復元ブログ人に対して、「復元に失敗しちゃえばいいのに」
と思っている、という本音を書いてきたわけです。
当然それは、ごく個人的な感情であり、それが生じる原因も、
個人的な背景(トラウマ)によるものですから、
それを公開するかどうかは、私も思慮を重ねました。
また言われた側も、「失敗して、死んでしまえばいいのに」
と言われれば、当然に不快になります。
●しかし、そのリスクを考慮しても、それをひとつの標識として
出さねばならないと私が確信した理由は、
この、見当違いな、「嫉妬」と「憎悪」の「誤爆」、
これはほとんど誰しもが、自分の中で、
最も「自己嫌悪」する感情の一つであることが明白だからです。
では、誰かへの「嫉妬」や、「他人の失敗をあざ笑う」、
さらには「他人が堕ちたり、死ぬことを望むこと」、
これが全く無い人というのがいるでしょうか?
また、これに自己嫌悪感を持たない人がいるでしょうか?
表面で、それを自覚しているかしないかは別問題です。
問題は、その人の「本音」や行動原理に、それがちらついていないかです。
●話を戻しますと、この基幹房さんの「嫉妬事件」から、
別の事件が発生しました。
それは「気づき競争」に「負けた劣等感事件」とも名づけられるもので、
今では自我復元からは、転落してしまったままになった、
「新子」さんという人が、すかさずに、こう報告したことです。
意訳するとですが、こうなります。
「しまった。自分は気づかなかった!」
私は、「あー、やってしまった、この人」と思いました。
これ、まるっきり、毒親が彼に仕込んだ、
後天的な「競争教育」による、AC人格そのものなのです。
完全な、他者承認です。
誰かが、自分が気づいていなかった本心や、AC人格を説明したり、
自白をすれば、そこで本来、人間が持つべき感情は、
「自分が気づかなかったことを、気づかせてくれた、ありがたい」、
という思いです。
ところが、新子さんの本心の中に、最も多い成分として見受けられたのは、
表面的には、「あの言葉のおかげで気づいた」と言いながら、
「ちっくしょう、悔しい」「先にやられた」「自分は気づけなかった」
というものです。
気づいた方が勝ちで、気づけなかったら減点、という、
まるでゲームか、試験をしているような誤解です。
完全に、これは「ゆがんだ競争心」であり、
それを作り出したのは、言うまでもなく毒親です。
さらには、その毒親(特に毒父親)に屈したままになり、
それが、あのブログが、かっこ悪い自分や本当の本心を隠したまま、
「中途半端に終わった」理由です。
他の自我復元者との「気づき比べ」「体験比べ」「勝ち負け」が、
自我復元だとでも思っているのでしょうか?
自我復元とは、
自分のAC人格(大きく言えば、人類共通の敵)との、
生きるか死ぬかの殺し合いであって、
他者との比較に、一喜一憂している暇など、一分すらもないのです。
*********
●さて、今回も、基幹房さんが、一発ぶっ放してくれたのですが、
本人の希望もあり、ほとんどの部分伏せます。
が、その後の展開が、やはり数年前とは大きく異なるので、
私の返信を含めて、一部掲載します。
簡単に背景をいいますと、基幹房さんが、
あびさんに、以前の時と同じような、感情を向けたということです。
(ただし今回の感情には、前回になかった、
他の復元者への「敬意の感情」も含まれました)
また「その後の掘り方」が、前回とは異なりました。
*********
事の発端は、
基幹房さんが、身体の疲労に対処するために、さまざまな工夫と努力を
自分自身に対してしている、その意気込みは良いのですが、
AC人格の攻撃=疲労や眠気、だからそれと戦うのがAC人格との戦い、
といった単純化をしすぎていると感じて、
逆に、もっと心理的な問題の掘り出しをしなおすように言いました。
●これは、本当に無自覚AC人格が、一番、よくやらかす手口で、
本当は心理的な問題であるものを、「身体反応に見せかける」のです。
それは、どこが自分は、いつも具合が悪いとか、どこに違和感があるとか、
身体のどこがどうで、それが自分の問題です、とか、
もう、吐き気と悪臭のする、うんざりするような話を、
大昔に、私は沢山聞かされたことがあります。
●身体の症状のせいにするというのは、それにかまけて、
その原因を直視しない言い訳になりますし、
また、ちょっと自分の過去をぐらい見ただけでは解除できないAC人格が、
そこにあるという明確なサインです。
たとえば、吃音、どもりも、原因の大半は心因性です。
また、各種の身体反応、
特に「震え」に属するもののほとんどが心因性です。
そもそも体のどこかが震えるというのは、何をどう説明しようが、
恐怖心以外に、原因はありません。
(無干さんの報告にはそれが多くあります)
しかし、身体反応の出る出ないだけに、いつまでも固執して、
それを問題視するというごまかしを続けていられるのは、
身体反応は、自覚しやすいからです。
だから、容易に、身体に問題があるのだと、簡単に誤認します。
●今回は、身体疲労や、睡魔との関係にかまけすぎて、
AC人格が、まんまと、こそこそと逃げ回っていたのを嗅ぎ付けて、
私のほうから、
「その手をつかんだら、渦に引き戻されますよ」という趣旨のことを
基幹房さんに伝えました。
そして、以下、そのやりとりの「一部」です。
*********
中略
その後からも、私は立ち直れず、
今日の9時頃まで、ショックで寝込んでいました。
ショックで寝込んでいたと言っては、聞こえはいいですが、
もうほとんど、心が腐っていたと思います。
完全にAC人格の思うがままにやられ放題でした。
一言で言えば、「どうせ、俺は駄目なんだ」と思っていました。
また、崩残さんに対して、不平不満も出てきて、
「どうして俺のことを認めてくれないんだ」とも思っていました。
しまいには、あびさんに対してさえ、妬み等が出てくる始末でした。
これらの醜い感情が出てきて、翻弄され、
もうどうしようもありませんでした。
自分が明らかに、おかしいことを思っているとも思っていたのですが、
これらの醜い感情が出て、もうどうしようもありませんでした。
まだ、こんな感情を持っていたという自分の、
とても醜い姿を知りながらも、どうしてもそれらの感情が出てくることを、
止めることができない自分に嫌気がさしたりと、
また、崩残さんやあびさんに刃を向けたりと、葛藤し続けていました。
胸は掻き毟られる想いで、また、胸が苦しく、
もう寝込んでいるしか、私にできませんでした。
今日の朝の9時頃まで、そのような状態が続いていましたが、
余りにも寝床に寝ていたせいで、ついに腰が痛くなってきて
もうこれ以上、寝ていられなくなってしまいました。
私は、観念して、とりあえず、起き上がって、
「中心で休む技法」を30分程行いました。
そうしている内に、
「自分の心の中を、あらいざらい書き出さなきゃ」と思い立ち、
ノートに書き始めました。
とにかく、何でもいいから、
自分の心の中にある事をどんどんと書いていきました。
「とにかく書き出そう。心の中にある事を出そう」と言う思いで書いていきました。
その思いで書いていくと、もう止まりませんでした。
A4サイズのノートに、3,4ページはびっしりと書きました。
でもその内容は、見るも無残な、とても醜いものでした。
・崩残さんに対する不平不満、つまり、自分のことを評価し、
認めてくれない事に対する愚痴等
・あびさんに対する嫉みや妬み
そこに書き出されていく自分の文章を見て、
「自分自身の心の中は、これほど醜かったのか」と思いつつ、
それでも、どんどんと出てくる、自分の醜い感情を見て、
認めざるを得ませんでした。
今の自分は、このような醜い状態であるし、
これが今の現実なんだと、認めざるを得ませんでした。
どうしようもない自分の醜い姿でしたが、
それを認め、また、ここから再出発すしかないと思いました。
私は、いつもいつも、崩残さんの評価ばかり気にしている。
いつもそれに一喜一憂していました。
だから、崩残さんに、ちょっと厳しく言われたくらいで、ショックを受けたり、
しまいには、逆恨みごとのような事を思ったりしていました。
いや、崩残さんだけではなく、家庭では、妻の眼、
会社では、お客さんや会社の人達の眼を、
今だに気にしている自分の姿がある事を、改めて思い知らされました。
つまり、他人と言うフィルターを通して、自分と言うものを見ていました。
自分だけを見ていると思っていたのですが、とんだ思い違いでした。
これらの事を、少し認められたので、一時的には、少し立ち直りましたが、
また、次の感情がだんだんと出てきました。
最初は、
「私は、やっぱり、崩残さんの事が怖いのだ。恐くて仕方ないのだ」
と思う所から始まりましたが、
だんだんと、それが恐怖になっていきました。
しまいには、もうどんどんと、崩残さんのことが怖くなってきて、
ついには、身体にまで反応が表れ、
「もう怖くて怖くて」ブルブルとビクビクと震えるようにまでなってきました。
自分自身でも、これ程まで、崩残さんの事が怖かったのかと、
びっくりするほどでした。
でも、身体が震え、動くことさえできず、ビクビクとしながら、
うずくまっていました。
そのような状態が、何時間続いたか分かりません。
その間は、もう恐怖の余り、
「ああ、もう怖くて、崩残さんに報告できないなあ」
「また、ダメ出しされたら、どうしよう」
「このまま、AC人格のままの自分で、
全自我にもなれなかったら、どうしよう」
とこのように、恐怖に震えていました。
「いや、でも、諦めたくない。今まで頑張ってきたんだ」
と思い直そうとするのですが、起き上がることもできず、
報告を書く事もできませんでした。
このような状態が、夜の8時頃まで続いていて、
もうこの状態を抜けられないのではないかと思っていました。
でも、なぜか不思議と、
「やっぱり、諦めたくない。自分を見捨てたくない」と思い、
何とか、動き出すことが出来ました。
今でも、なぜ、それができたのか分かりません。
今でも、恐いです。
心の中は、恐怖だらけです。
「失敗したら、どうしよう」
「また、崩残さに、ダメ出しされたらどうしよう」
「このまま、全自我になれなかったら、どうしよう」
と心の中は、渦巻いています。
そして、今、こうして、メールを書いていますが、
その最中も、恐怖の中にいます。
もう怖くて怖くてしょうがないです。
これ程までに、自分は、崩残さんのことが怖かったのかと思います。
いや、正確には昔から、ずっと怖かったのです。
ただ、そういう思いを私が見ようとしていなかっただけです。
もっと言えば、
今は、両親とは、完全に絶縁状態で、まったく連絡も取っていません
が、
「未だに、母親のことが怖くてしょうがない」、
ということが分かりました。
そうです。もうお母さんが怖くて怖くてしょうがないのです。
先ほどまで、崩残さんが怖くて怖くて、身体が震え、
身動きができませんでしたが、
私が、子供の頃も
このように、ビクビクと震えていたのだということを、
再度思い出しました。
そして、今だ、その恐怖から抜け切れていないということも。
実際の日常生活においても、女性が恐いです。
日常では、妻以外との女性と話す機会は、ほとんどありませんが、
妻の事も正直、恐いです。
これが、今の私の現実であるし、崩残さんが恐いと言う事を通して、
身体を通して、思い知りました。
また、ここ最近は、体調不良と睡魔と闘って、
それがAC人格だと思い込み、それらを解決し、
それから抜け出すことがAC人格解除だと思い込んでいましたが、
そうではなく、AC人格は、
感情と言うものを通して攻撃してくるのだ、ということが分かりました。
特に恐怖の感情です。
よく考えれば、体調不良の時も、
「もうこのまま体調が良くならず、どんどんと悪くなり、
死んでしまうのではないか」という恐怖がありました。
睡魔の時も、
「このまま仕事中、睡魔に襲われたままで、周りの人達からも、
仕事ができない奴と思われるのではないか」という恐怖がありました。
この恐怖によって、やる気や気力が失せていき、
まんまとAC人格にやられてしまっていました。
子供の頃を振り返っても、親が怖かった。
いつ怒られるしれないかとビクビクしていました。
AC人格は、「恐怖」という感情を使ってくるのだということが分かり、
また、その恐怖の感情が出てくることを恐れている自分がいる限り、
いつまでたっても、AC人格にやられたままであるのです。
今でも、恐怖だらけです。恐いです。
でも、それも私の感情の一つです。
恐怖に打ち勝つ必要はないけれど、
この感情を受け入れる必要があると思っています。
今までは、この感情から逃げ続けてきました。
時に、ないものとして扱っていたこともありました。
でも、今回の経験をきっかけに、この感情と向き合う事をしていきます。
ここまで、崩残さんからメールを頂いてから、
私に起こった出来事を書いてきましたが、
仕事の方は、明日の一日で仕事納めとなり、6日間の休みがあります。
来年からは、また、仕事が、さらに忙しくなってしまうので、
この正月休みには、十分に時間があるので、
自我復元の「基礎」から、じっくりとやり直し、
自分を立て直したいと思います。
基幹房
*********
以下、詳しいやりとりは省略していますので、一部のみです。
基幹房 様
>>楽しいの中にも、別の悲しい感情が紛れ込んでいたり、
>>嬉しい中にも、嫉妬の感情が紛れ込んでいたり。
>>というように、単純なものではないということだと思った。
ここを、とことん掘ってください。
非常に大切なところですから。
たとえば「嫉妬」と「感動」の二つに分けるだけではなく、
基幹房さんも、少し気づいているように、
嫉妬の中にも、いくつかの感情があるはずです。
そもそも、嫉妬とは何でしょう?
辞書で調べても、言葉の意味しか書いてありません。
また、嫉妬は、それぞれのケースによって違います。
●一番、誰にでもわかるのは、
自分の恋人や伴侶が、別の異性とこっそりと、あるいは公然と、
「仲良くしている」場合です。
この場合の嫉妬とは、見かけ上では
「仲間はずれにされた」ことが原因となり
「寂しさ」と「自分の無力さへの自己嫌悪」その他の感情も含みます。
●次に、別のケースを考えてみましょう。
まったく好きでもなんでもない伴侶が、
別の異性と付き合っていたとします。
しかも、こそこそと、隠れてやっていたとします。
それが、まったく好きでもなんでもない奥さんや旦那ならば、
嫉妬心よりも、むしろ、
「とっとと別れて、目の前から消えてくれればいいだけだ」
と思うはずです。
この場合には、嫉妬や孤独感よりも、むしろ、
「自分を馬鹿にしてることへの怒りと、
その浮気相手に負けたという、自分の劣等感」
というものが大きくなるはずです。
●次に、
「自分の付き合っている異性」が、
別の異性を好きだから別れたい、と告白したわけでもないのに、
別の異性に楽しそうにしている、
別の異性に、好意を寄せている、というだけで、
イライラするというタイプの嫉妬と呼ばれるものがあります。
しまいには、何の罪も落ち度も悪気もない、その全く別の人に
不幸になるようにと、憎悪すら向けることがあると思います。
いわゆる、誤爆です。
ではこの「中身」は何でしょうか?
あびさんへ嫉妬しているという場合に、
それは、スポーツや勉強で、誰かに負けそうだというタイプの
「悔しさ」に基づくものなのか、
それとも、そこに、私という存在が、
「異性や、あるいは、親のようなもの」としての代用品になっていて、
そこでの「仲間はずれ感」なのでしょうか?
●あるいは、よくあるのは、あなたの付き合っている人が、
別の異性に熱をあげていたり、別の異性を評価したら、
あなたが感じるのは、間違いなく、屈辱感よりも「敗北感」です。
「自分の方が、あの人よりも、劣っている」、
「自分は、好かれていない」、
「自分は、評価されていない」
「自分は、関心を持たれていない」という、
「寂しさ」「惨めさ」「悔しさ」「劣等感」「裏切られ感」
「置いてゆかれた」という感覚です。
これが転じて、
「かまって欲しい」「見て欲しい」「見てくれるようにしてやる」
「絶対に、理屈で負かせてやる」などとなり、
これらが極端になると、
「そうしないと殺してやる」「そうしない奴は死んでしまえ」になります。
●だから、失恋というもの、時には、大きな傷を人間の中に残します。
特に、浮気をされた、とか、相手が自分を見下げた、
別の異性と比較して、自分を馬鹿にした、
そうした失恋経験をした人のほとんどが、
その後に、別の恋愛をしても、立ち直れない場合が多くあります。
が、しかし、この原型は、どこにあるのか?です。
それは、必ずまず最初に、「親との関係」で最初に作られたものです。
*********
基幹房さんの感情ですから、私にはわかりません。
ですから、自分で、その嫉妬とレッテルを貼った感情は、
実際には、寂しさ、恨み、嫉み、自己嫌悪、悔しさ、その他、
「どういう感情や思いが、何種類組み合わさっているか」、
感情の強い順番に、番号もふってください。
それが分かったら、メールしてみてください。
嫉妬が悪いとは考えないでください。
崩残
*********
崩残様
返信メールを頂き、ありがとうございました。
あびさんに対する嫉妬心がある。
この嫉妬心とは、どのようなものなのか。
その中身の感情は、どのようなものなのか。
これについて、掘り下げていきました。
まだまだ、もっと掘り進めて行きますが、
今の時点での報告をさせて頂きます。
ノートに、どんどんと私の中にある感情を書き出していきました。
ほとんど独り言のようなもので、
途中、涙が溢れ出てきて、書くことすらできず、
文章になっていない所もありますが、
原文に近い形(多少、編集しています)で、掲載します。
あびさんに対する嫉妬心。
崩残さんとあびさんが、仲良く楽しそうにしていると感じた。
とても、さびしかった。
仲間外れにされる恐怖。
私の人生で、周りの人達や友人と仲良くできず、
仲間外れにされたことが多かった。
そして、子供の頃、母親は、私ではなく、弟の事ばかり褒めて、
私の事は、どんなに私が頑張っても、
勉強ができても、字が上手くても、絵が上手くても、
絶対に褒めなかった。
そのくせ、弟はちょっとした事で、褒められた。
しかも、弟の方が気立てが良く、優しい、とまで言われ、
一方、私は、身勝手で、自分の事しか思っていない。と言われた。
さびしい、疎外感、恐怖、うらやましい、不安。
このような感情を感じた。
自分は頑張っても頑張っても、評価されない。
今まで、崩残さんにも、
あびさん、朱いはがねさんと同様に、評価されていたことが多かったが、
いつ何時、そこから外されるかもしれないと思い、
いつもビクビクしていた。
だから、今回、ダメ出しされた事により、それを歪んで受け止め、
「ああ、これで、このまま、私も外されてしまうのか」
と思ってしまった。
あびさんが、うらやましかった。
自分も、同じように、崩残さんと楽しみたいと思った。
*********
仲間外れにされ、さびしいと感じるのがいやだ。
私も、あびさんのように、崩残さん(母親的存在)に甘えたり、
一緒に楽しんだりしたい。
弟は、いつも、母親にかわいがられ、気立てが良く、優しいと言われていた。
一方、私は、強情で、自分勝手で、弟に対する思いやりがないと言われていた。
そんな事ばかり言われたり、仲間外れにされたりしていた。
だから、それと同じように、崩残さんから、外されるのが、恐かった。
崩残さんを、母親の代理のように見ていた。
あびさんを、その母親にかわいがられる弟のようにみていた。
そういう嫉妬心。本当は、自分がさびしいだけなのに、
そういう醜い心を持っている為に、
どんどんと、あびさんが、純粋な子供のようになっていくのが、分かっていたが、
今の自分と照らし合わせて、
まったく醜い姿の自分というものを見たくなくて、嫉妬していた。
*********
だけれども、いつも、崩残さんに、ビクビクして、萎縮している私では、
当然、信頼もされないし、ざっくばらんに楽しく振る舞えるはずもない。
指をくわえて、羨ましがっているだけだ。
一人が、さびしい。
全自我というのは、一人で楽しめるような人なのだろうか。
この地球で、誰からも相手にされず、
さびしいという感情を味わうのが、とても怖い。
誰にも、
女性にも、相手にされなくなって、独りになって、
さびしくなるのが、恐い。
1にも2にも3にも、さびしいのが、嫌だ。恐い。
さびしいという感情を味わいたくなかった。
自分がさびしいと思っていると、認めたくなかった。
布団の中で、さびしい、さびしい、と言って、
ずっと震えている子供の姿が、浮かんだ。
自分は、ずっと、さびしかったんだ。
と思った。
このような文章をノートに書きながら、
自分の中にある感情を吐き出していきました。
途中、「さびしい」という感情が出てきた時、
「さびしいという感情を味わうのが、とても怖い」、
ということに気づいてからは、
まともに、ノートに書き続けることができず、
自分の中から、感情が、どめどもなく湧き出てきて、
涙が溢れ止まらず、嗚咽している状態になってしまいました。
以前にも、感情を掘り起こした時と同じような状態になってしまいました。
正直、自分でもびっくりして驚きました。
まさか、自分自身が、
ここまで、「さびしい」とは思ってもみなかったからです。
「さびしい」という感情が出てきてからは、涙と嗚咽と共に、
ずっと、さびしい、さびしい、
僕は、とてもさびしかったと
言い続けていました。
私は、子供の頃から、
ずっと、この「さびしい」という感情を抑え込んでいました。
自分でも、これ程まで、母親に対して、
さびしかったと思っていたとは、思いませんでした。
自分の事を、褒めてもくれず、構ってもくれず、
弟ばかりで、とてもさびしい思いをしていたのだ。
と思いました。
振り返れば、子供の頃から、
あの家は、とてもさびしい家だった。
でも、それを、私は、一度もさびしいと思ったことはなかった。
子供の頃は、感じていたのだが、いつの間にか、
「さびしい」という感情さえも忘れてしまっていたのです。
自分は、本当は、「さびしい」と言う事を認めてしまうと、
本当にさびしくなってしまい、
自分そのものが、壊れてしまうのではないかと思い、
その感情を心の中に、抑え込んでしまっていたのだと思う。
思えば、私の子供の頃からの写真を見ても、
ある時から、とてもさびしそうな顔をしている自分の姿がありました。
今までは、その写真を見ても、そんな事すら、分かりませんでした。
単に目つきの悪い、引きつった顔になっている自分だとしか思えませんでした。
でも、改めて、見ると、
私は、とても寂しそうな顔をしていました。
写真を見ても、そんな事すら分からないほど、
「さびしい」という感情を抑え込んでいたのだと思いました。
また、私は、崩残に褒められ、評価されることに、物凄く拘っていますが、
その一つに要因として、
崩残さんから、ダメ出しをされ、評価されなくなったら、
自我復元のグループから、仲間外れにされてしまい、
その結果、とてもさびしい思いを、私がしてしまう。
その「さびしい」という思いを味わいたくない
と思って、それが、とても怖かったのだということも分かりました。
崩残さんに見捨てられ、さびしい思いをするのが、
嫌で嫌でしょうがなかったのです。
それだけではないと思うのですが、
崩残さんの事が、とても怖いと書きましたが、
それらが、一つの要因となっているのではないかと思いました。
また、ノートのなかで、
布団の中で、さびしい、さびしい、と言って、
ずっと震えている子供の姿が、浮かんだ。
と書きましたが、もしかしたら、
この子が、崩残さんが示唆してくれていたものかもしれないと、
少し思っています。
これについては、決めつけず、
もっともっと掘り進めて行きたいと思います。
最後になりましたが、自分に、このような感情が、
心の中に、押し込まれていたとは、思いもしませんでした。
しかも、今回、掘り進めた所、つまり、
母親と弟の関係の所は、何度か掘ったことがある所です。
崩残さんが言われるように、
たとえ同じ所であっても、何度も何度も掘り進めることの大切さを
身に染みて、教えられました。
これを教訓にして、もっと掘り進めていきます。
以上で、今回の報告を終わりたいと思います。
では、またメールさせて頂きたいと思います。
基幹房
*********
ここで話を、原点に戻します。
戦場や過酷経験がもたらすものは、トラウマであり、
それが「恐怖」になります。
ただしこの時点では恐怖は、まだAC人格にはなっていません。
実は、恐怖だけではなく、
仲間はずれ感、寂しさ、孤独感、惨めさ、嫉妬、
殺意、他者の不幸を願う言動や思考、
と同時に、笑い、泣き、悲しみ、悔しさ、
そのどれひとつとっても、ゆがんでいるとかいう問題ではなくて、
そのどれひとつとっても、
「よくないもの」として扱ってはならなかったのです。
それを、とことん、親の都合で、
「よくない」と、あなたを制圧したのは誰なのか?
大人同士なら、多少の我慢は、しょうがないだろう。
だが、まだ5歳にもならない子供のあなたを、
親の世間体、親の価値観、親に恥になるかどうか、親の希望や期待によって、
その上、しかも、親の代理復讐の手段として、
子供を痛い目にあわせる、怖がらせる、
子供を小馬鹿にする、子供を怒鳴る、子供を外へ追い出す、
子供のあなたを、見下げる、
ほかでは、萎縮している馬鹿父親が、子供のあなたの前では、
えらそうに、格言やら、説教やら、世間批判をのたまう。
そんなものを、あなたという子供に向けて平気な顔して、
「どうせ子供だから」とやった犯人は誰なのか?
それをことごとく、全部やったのが、毒親です。
●これで、喜 怒 哀 楽 好 恐
これらの感情を出せといわれるほうが無理です。
私がいくら、出せといっても、一部の人たちを除いては、出るわけがありません。
そうした感情を、親や教師や、他人の前で出したら、
「いけない」「悪いこと」「はしたない」と親に言われ、
感情を出したら「駄目な奴」と世間からレッテルを貼られることへの恐怖、
つまり、仲間はずれにされて、寂しくなることへの恐怖です。
それによって感情を自分で出さなくなった、
または、出せないように洗脳された、
それがAC人格のなんたるかです。
●だから、自我復元の中では、世間の評価とは、全く真逆に、
自分の中の「感情を拾えたこと」「救い出せたこと」が、評価されます。
その評価とは、私は率直に評価し、それこそを大切にしており、
それこそが、かくも、各種の人格障害を生み出した元凶であることが
明確であるので、そうするのですが、
ここに皆さんのAC人格が、しつこく、割り込むと、
「感情の出し合い合戦に、負けないようにして、
仲間はずれにならないようにしたい。負けたくない。
少なくとも、馬鹿にされたくない。」
という、いまだに、
毒親、毒家族の中で恐怖し、寂しさをかみ締めていたそのAC人格が、
主導権を持ってしまいます。(新子さん、他のように)
だから、難しいのです。
自我復元というものが、公開ブログを厳選し、
それを書く側の人にも、リスクと葛藤があり、
それを読む側にも葛藤と、リスクがあり、
この、無明庵での自我復元の中には、
社会で経験することの一部の縮図があります。
■ここで、アンケート回答のごく一部だけを記載します。
*********
意識がPCに向き、「桜の間」を開いた。
アンケートの記事を読んだ、正直、苦しみが増した。
的外れなことを書く自分の姿が浮かび、自信が沸いてこない。
劣等感だ、最も、自己嫌悪する感覚にやられている。
このとき、これを書き始めようと思った。今が入り口だ。
どうなってもいい、とにかくやってみる。
書き始めると、戸惑う。
崩残さんに目線を送っている。
あびさんや、朱いはがねさんや、マディアさんや、
お姫ちゃんさんの視点を使おうとする。
その視点を消し去り自分の視点を探る。
つかむ。逃す。その繰り返し。
気持ちは自分という一点に焦点を合わせたい、
自分の感情を取り戻したい。
自分とは、一体何なんだ。
自己分析とは何なんだ。
何もかもが、ふり出しに戻ってしまう焦り、不安と恐れがある。
何度、停滞しても、何度、つまずいても、自分に嘘はつけない。
自分を助け出すのは自分以外にない。この現実。この認識。
5*年生きてきて、壁にぶち当たるたびに行き着いた結論です。
だが、何度も、何度も、痛感してきた結論なのに、
逃げ道を探そうとする。
そして、また、この壁が見えている。
この現実から逃げることは出来ない。
心から思う。
原主体と繋がった屈折のない感情を思いっきり味い放つ体験をしたい。
たとえ体験が、この生を終えるまでの数分間でもいいから、
思いっきり味わいたい。
これが本心なんだ。
誰のためでもなく、自分の為に、これしかない。
何を犠牲にしても、この生の体験を、嘘なく生きたい。
*********
●私は、皆さんに、
「掘ったところまでは、決して無駄にならない」と断言できます。
後戻りというものがある分野と、それがない分野があります。
筋肉トレーニングやダイエットのように、
やらねば振り出しに戻るものも沢山あります。
しかし、トラウマ掘りとAC人格の抹殺については、
たったの1センチでも掘ったものは、その後、無駄にはなりません。
しかし、ここで人間の中のAC人格が、皆さんに言います。
「ほら、崩残さんも、やったことだけは評価しているんだから、
だから、ほら、もう俺様(AC)のことを掘るのは、やめておけや。
いいじゃないか。だって、やったとこまでは無駄じゃないんだってよ。
そこで手を打っちまいな。そうすりゃ、楽だろ。
そうすりゃ、いちいち桜の間を、流し読みして、
嫌な気分にならなくて済むじゃないか。オラオラ、やめちまいな。
あ、でも、あびさんのブログは参考にして、
どこかで、偉ぶるために、悪用しちゃいな。
だってよ、そういうの、お前、ずっとやってきたじゃないか。
な、おい相棒よ。長年共にやってきたんだから、
俺に、つれになくするなよな。
いいか、もう一度言うぞ。
お前は、崩残の野郎から、駄目出しをされたんだ。
お前のことを駄目なんていう奴のところに、いる必要はない。
俺様とは長い付き合いなんだから、俺と手を組んだままで、
もっと別のところで人生をエンジョイしろや。
俺を掘るなんてことさえしなけりゃ、
他人からも馬鹿に見えずに済むから、ずっと楽だぞ。
ただしな、俺様を、掘るな。
もしも掘ったら、承知しないからな。
俺を掘るということは、俺を殺すことだ。
そうしたら、そのお前の精神も死ぬんだぞ。
俺を掘ったら、
お前は、いままでみたいには、やっていけなくなるんだぞ。
どうだ、怖いだろう。な、怖いだろう。
だったら、俺(AC人格)のことを掘るな。
俺様の、生みの親である、お前の親のことも掘るな。
トラウマ掘りなんか、
掘っているふりだけしてりゃいいのさ。
というか、自我復元なんか、やめちまいな。
俺を掘るな。
トラウマを掘るな。
俺を抹殺しようなんて、出来ないようにしてやる」
これが多くの人に起きたことです。
今も起きていますし、自我復元者の中にすらいます。
でも、このAC人格の声は、
ちゃんと掘ってきた人たちには、聞き覚えがあるはずです。
それが「誰の声か」、はっきりと「知っている」はずです。
毒親の声 そのものです。
●それを誰が、吹き飛ばしてくれたのか。
そんな、あなたの中の、毒親の悪魔の声を、
木っ端微塵にしたのは、誰なのか?
それが、あびさんであり、マディアさんであり、お姫ちゃんであり、
たった今も、木っ端微塵にしようとしているのが、
基幹房さんであり、十記丸さんであり、朱いはがねさんであり、
そして、無干さんもそうです。
私が、そんなことをしても何の意味もありません。
「崩残さんだから、そんなこと出来るんだよ」で、おしまいです。
しかし、毒親の悪魔のような、ささやき声を、破壊したのは、私ではありません。
自我復元という「システムそのもの」です。
だから私は何度も言います。
私は確かに、自我復元法の発案者であり、
例えれば、技師であり、あるいは、治療法を開発した医師かもしれない。
しかし、私の言うことは、その細部までは、別に信じなくていい。
信じるならば、システムを信じなさいと。
なぜならば、それを証明したのは、私が力説したからではなく、
私が、街角で、実演販売をしたからでもなく、
実践した人が、その人生そのもの(もっと言えば命)を賭けて、
証明してきたのですから。
●しかも、その本家の私は、「誇大広告」を決して許しません。
よくある「体験者の喜びの声」とか、あんなものが微塵でもあったら、
私は、そのブログや評価を許しません。
なぜならば、自我復元というのは、私の代で消えるものではなく、
後世に、残されることになるものだからです。
だから、私がいなくなった数年後にでも、それを必要とする人が現れたときに、
自我復元の「確かな標識となるものだけ」を残しておきたいのです。
そういう意味では、大切だった筈ものを、やりっぱなして捨てた自我復元ブログなど、
その人たちは、ここを見ていたら、とっとと、消してください。
*********
今回の最後に、
基幹房さんへあてたメールのごく一部だけですが、記載します。
>>私は、まだまだ全自我には、程遠いと言う事。
>>ほど遠いのではなく、逸れているいうことです。
この「オール オア ナッシング思考の癖」を、まず止めてください。
たとえば、今、誰かが自我復元の、頂上近くの、断崖絶壁にいるとして、
その「距離」が頂上まで「近い」というのは、確かだとします。
つまり「程遠い」とは、私は一言も言っていません。
これは、風琴さんにも、天音さんにも言えることです。
ほど遠いなどとは言っておらず、頂上は近いと断言しています。
確かに「距離」は、近いからです。
しかしです。
たとえばその断崖、もうすぐ山頂だという、その断崖で、
手足をかける「岩」の選択を間違えれば、
転落して、あるところから、また登りなおしになります。
基幹房さんが、そういう状態だったので、メールをしたまでです。
全く駄目だからではなく、近いのに、
そこで、手でつかむ「岩場」を間違えれば、
手足をすべらせる可能性があったということです。
転落しても、それは、山の麓まで、堕ち転がるということはありません。
しかし、転落すれば、怪我もしますし、
また、途中から、大変な思いをして、岩場を登ることになります。
私は、自我復元の、最後は「垂直の断崖になる」と言ったはずです。
ただし諦めることではありません。
最後の、ロッククライミングで堕ちたら、堕ちたところから
またやればいいのです。
何度でも堕ちては、這い上がれば、
どういう岩を登ればよいか、それに熟知してきます。
あびさんが、
「最後は、技法もへったくれもない。力でねじふせる!」
そう彼が言ったのは、
その断崖で、間違いのない岩に、手をかけていたのですから、
だからこそ「あとは、力技だけだ」という認識となるわけです。
●しかし、手をかければ、崩れることが明白な岩に手をかけている人に対して、
「あびさんが言ったように、力でねじ伏せるんだ」
などと言えるわけがありません。
私が言うのは、「全力を出して握るのは、その岩ではありません」
ということのみです。
その岩場には、足を踏ん張ってはなりません、
ということだけです。
あるいは、手足をかけている、その岩は強固で崩れないのだから、
ここで、最後の力を振り絞らずに、どうするのですか?
ということだけです。
*********
■それと、今年の後半になって、自我判定を依頼されたり、
近年になって、無明庵を知った何人かの人たち、
そして、昔から、懲りずに、
ろくに自我復元に取り組みもせずに、まだここを読んでいる人たちも、
きっちりと目を通して欲しいものがあります。
以下のブログ記事です。
「無明庵を悪用するAC人格」
↓
http://blog.goo.ne.jp/hakodate2012/e/a7d0827b286b7012cb9aa68171b6bb8b
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- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -