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[558]
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★分割自我復元★その558●【猿から猿以前へ】●
by:
鈴木崩残
2016/01/01(Fri)19:04:19
『猿から猿以前へ』
猿から、人間に改造されるよりも、
その猿になるより以前の方が、
ずっと良かったのかもしれない。
そんなことを思います。
***************************
無明庵は、元日から、通常運転です。
自我判定の際の滲み書です。
「原軸」「観」
「然」「子+喜」
この右の字は、私が作った字です。
「女偏に喜ぶ=嬉しい」ですが、
「子供偏」に「喜び」で「子供が喜ぶ」という字。
そういう字がなかったから、作りました。
*********
元日の夜中に、神社へ散歩に。
実は、ここの宮司さんが、
おそらくは、昨年に、初めて「猫好きの世界」に目覚めたのだと思いますが、
私と猫のことを話すときには、もう、仕事など完全に忘れて、
ニッタニッタの笑顔になるのですが、私はその顔が、とても好きです。
実は、博士君を、獣医さんのところに連れて行ったときに、
全く偶然に、その動物病院で、
この宮司さんに、ばったりお会いしたことが、猫つながりの、きっかけでした。
*********
●さて、早速ですが、報告からです。
鈴木 崩残 様
明けまして、おめでとうございます。
中略
先の話ではありますが、判定をする準備が整ったときには、
初任給から判定料を支払いたいとおもっています。
よく、初任給は親孝行のために使う、という話を聞きますが、
毒親で ある両親は論外として、崩残さんに対してという気持ちもありますが、
もうひとつ、この2年とあまり、自分を育てた「私」という
自分の中の親となったものに対して、そのお金を使いたいという気持ちもあります。
アンケートについては、これとは別にメールをお送りしたいと思います。
以下、日記から書き出した本文です。かなりの長文となります。
********* *********
特別な自分など、初めからどこにもいない。
生まれた時の自分はそんなことを一度も、一瞬でも考えることはなかった。
親に負けるまでは、ただの一度も、存在すらしていなかったし、
それが当たり前すぎるほど当たり前のこ とだった。
他人から見られる自分はなく、ただ目の前におきること、
見えたもの。体験したことがすべてだった。
一日中、そんなことにあふれていた。
やりたいからやる以外に理由がなかった。
いや、その理由が思い浮かぶ間もなく、すでにやっていた。
飛び跳ねたければ、その瞬間にやった。
走り回りたいなら、もう走り回っていた。
ACはそれしかない理由を、見栄えのために後から付け足した。
こうすれば評価される、こうすれば怒られない、機嫌を損ねられない。
改めて両親に怒りが湧いた。
何一つ、親らしいことなどしなかったのに、どうしてこうも親面をするのか。
何一つ自覚していない。たった一つも、だ。
明日から働き始める。弁当の用意はしておいた。
何を見るのか、直視できるのか。
やることは大きく変わらなくても、意味はまったく違う。
緊張するのなら、その限り、それを感じていたい。
今は雨が降っている。明日は晴れるだろうか。
父親から精神的な虐待を受けた後に、母親からこういわれた。
「お父さんもTのためを思って言ってくれている、
愛情がなければ叱りもしないのよ。」と。
全くのデタラメだった。
無視されたら終わりだとでも言うのか。
そうやって親に愛情があると思い込んできたのは、あんた自身だろ。
私には何の関係もないのに巻き込むな。
結局言いたいのは、だから自分たちは何も変わらなくていい、ってこと なんだよ。
自分への言い訳に、愛情とかフザケた言葉を使って、ごまかしているんだよ。
おい、AC、いつまでも勝負がしたいのなら、
勝った勝ったといつまでも周りにでも言いふらして、二度と帰ってくるな。
お前には何の用もない。
頭の中にしゃしゃり出てくるだけで時間の無駄なんだよ。
朝から母親が、服が半袖だからほかの服を着なさい、と言い出した。
この言葉にムカついた。ムカムカしてきた。
着る服一つにでも、人の考えを全く尊重しない。
寒いなら寒いで全く構わない。
そうして、お前の判断は認めないという本音を、
心配して言っている、と心にも無い恩着せのガワをかぶせている。
「さっきのことだけど 、口出ししないでくれる?頭に来る。」
と言うと、
「普通の人のように言ったのに、何でそんなことを言うの?」
と返していた。
閉めた戸が思ったより大きな音を立てた。予想以上に力が入っていた。
「本当に、ムカムカするわ。」と言って家を出た。
でもこの後の判断をするのは、母親ではない、自分だ。
そうやって隙さえあれば、自分の意見が正しいと押し付けてくる。
心配する振りをしながら、実際にやっているのは、
父親の説教と同じ自分の考えの押し付けと、相手の判断の否定だった。
中略
対処できない場面では、パニックになって泣き出すか、
その場面を避け続けることしか出来ないのだ。
本当にささいなこと、言葉一つでも、判断力を奪おうとしてくる。
職場に着くと、外で数人が掃除していた。予定通り30分ほど早く着いた。
中略
緊張しながらも、朝礼ではどもることもなくあいさつした。
失敗を恐れている時は大抵どもることが多かった。
仕事の間、話している時は笑いが多かった。
作業も実習の時と同様に、不慣れながらも、目の前のことを楽しんでいると感じる。
上手にできるからでもなく、苦しい時もあるが、
それでも逃げたいとは思わず、むしろ感じ続けていたかった。
母親は一日も経たずに、平然と話しかけて用事を言いつける。
頭がイカれているのか。
「全然人の気持ちが分からないんだね。」と言うと、
それには返さずにまた頼んでくる。
部屋に戻ると隣から、
「あれは全然いうことを聞かない。」と言っているのが聞こえる。
本当に他人がどう思おうが、なんとも思っていないみたいだ。
ただただ、不快になる。
母親は自分を便利屋か何かの道具としてしか見ていない。
それも、自分の生まれた時から、あれこれと言葉で偽装しても、
最初っから最後まで道具としてしか接していない。
自分の不安を解消するための道具。
自分の忙しさにかまけて、甘ったれるため。
不満を遠まわしにぶつけ、解消するため。
子供を子供として扱っていない。
甘やかしていた、と父親は母親とのケンカで言ったが、それは違う。
そもそも、人一人に対する態度ではなく、
都合が良い時だけ親だと言い張り、幼い私の鼻 水をすすって取ってやった、
それほど可愛かったと言い、物心がつかないうちからおもちゃを買い与えていたが、
それはあくまで、
自分の都合の良い道具として扱えていると思っていただけのことだった。
何一つ、子供が見えていない、見てすらいなかった。
母親が話している言葉を聞いた時、小さくだが、確かに焦りがあった。
言うことを聞けないのは問題だ、どうにかしないと、という焦りと恐怖。
これが母親が今までずっと、道具としてしか自分を見なかった証拠でもあった。
いつでも、見捨てられる。
母親は、あっさりと子供である自分を見捨てる。
幼いころから、そんな不安があって母親の足にしがみついていた。
店の中で離れて歩くことも出来なかった。
いつ見捨てられるかという不安に、ずっとしがみついて離れまいとした。
失敗した、だから自分が悪い、何か落ち度があって責められても仕方がない、
という自動的な考えも、またそんな失敗をした時、一々説明したがるのも、
道具としてしか見なかった母親の言動のおかしさに落とし所をつけるためでもあった。
自分は気付いていないが、何か気が付かない所でミスをしたんだろう、と。
そうならない様に何度も確認することも、あった。
何かをするだけで、その考えが自分をとにかく不安にさせた。
母親はずっと私自身の判断をすることを強く禁止していた。
あれをしたら?
これをしなさい。
一言一言が、ずっと、お前は判断するな、
というメッセージを発し続けていた。
幼稚園の集団行動でも、何をしたらいいか分からない状況がとにかく不安で、
周りを見渡しても、分からなくなり、パニックになった。
パニックになることも恐怖になった。
焦ることや、不安に思うことそのものが恐怖になった。
避けたい、不安になってしまえば、
どうにもならなくなるから、不安になりたくない。
一人で何かをすることが、出来なくなっていった。
と同時に、役に立つ自分でいれば、抜け出せると思い始めた。
勉強をして、言われたことをやってやってやり続けて、
完璧に出来れば、不安にならなくて済む。
いつか、そんな立派な自分になる、と、息苦しさを感じながら目指していた。
そうして真面目にし ていれば、大目に見てもらえる、という感覚があった。
誰に、と言われれば、その時の自分は何か、
お天道様の様なものを指していたが、親に、だ。
お天道様はいつでも見ている、と、祖母はそう言って聞かせた。
あれが出来なかった、あの通りに出来なかったと悔やんで責めると同時に、
他人を見下す矛盾が出来たのは、親が全く自分を気にかけず、
そもそも人としてすら見ていなかったことから始まった。
ヨソの人に対する親の態度がやけに優しそうに見えたのは、
その人が自分ほど無力な相手ではなかったからだった。
それを自分は、自分に足りないものをその人が持っているから優しくされる、
と勘違いした。
母親のあの口ぶりは、まるで当然だといわんばかりに感じられた。
子供が親の使いっぱしりになって当然、何がおかしいの?
と言っている様に。
そう、自分が、母親の言動を不快に思ったときに、
もうしないで、と言った時は、どこがおかしいの?と聞き返してきたことがあった。
どこがおかしいのか知りたくて聞き返しているんじゃなく、
どこもおかしくないのに何言っているの?という意味の言葉だった。
そのどこもおかしくないこと自体が異常だが、
もう母親が気づくことはないだろう。
祖母や祖父たちに代わる代わる道具として扱われてきた母親にとってだけは、
これが「ふつう」なのだろう。
祖母の母親代わりになっていた母親にとっては。
今日も起きて、荷作りをし、出かけた。
仕事も二日目だが、予想以上に慣れてきている。
機械をはじめて使う前に説明を受けて、見た時は、
こんなものが果たして自分に扱えるだろうかとおっかない気持ちだったが、
今では普通に使っている。
仕事からの帰り道、今日は楽しかった思った。
何でもない特別なイベントなど何も起きていないが、
その何でもない、どこにでもある作業や仕事をすることが楽しかった、
と終わってから感じた。
疲れを無視して続けると、ACの渦に、あの、
無意味な自責と甘えのループに足を踏み入れることになる。
失敗して自分を責める時はまず、
何度か失敗を繰り返していることを注意されて気が付く時から始まる。
自分では わかっているのに、結果は違うことにいらだち始める。
何で上手くいかないんだ。
機械のせいにしようとしているが、機械のせいではなく、
自分のやり方に問題があると気付いている。
気付いているから、機械のせいにしようとする。
自分が情けなく、怒りのやり場がなくなり、
やがて今度は注意する側に、責任をなすりつけて解決しようとする。
こんな状況にしたお前が悪い、と。
そもそも、命令しなければ、こんなことにならなかったのに、と。
自分の判断を手放して、従うことが前提になって、
指示をした人を、上手くいかなかった原因にしようとしている。
そして、自分は何もしない。
もしくは、自分の判断を放棄したまま、とりあえず目の前のことをやろうとする。
中略
そして、自己卑下をする。こんな自分だから仕方ない、って。
他に何をすればいいか分からないんだよ!と開き直る。
それならどうすればいいのか、教えてよ、と。
そうすると、母親が今度はこうしなさいと言う。
怒りですら、自分の判断がなかった。
本気で戦う怒りじゃない、怒ってはいても甘えていた。
いじめを受けて以来、自分が傷ついた気分になっていたとき、
楽しそうにしている周りの同級生を恨むようになった。
何でお前らは平気なんだよ?
明るく笑う同級生と自分が、同じ人間だとは思えなかった。
明るく振舞う人は嫌いだと思っていたが、いじめのトラウマを
思い出させるだらだということに無自覚なままでいた。
今でも、テレビや若い人の「ノリ」というのがどうしても好きになれない。
自分の様な「暗い人」がいないかのように扱われた、と感じているからだ。
せめて、同級生に無視しないでよ!と真っ先に言ったってよかった。
いじめに反抗できない自分を、
そうじゃない、いじめてくる相手がどうしようもないから、
自分はやり返さないだけ、と言い聞かせ思い込んだ。
やり返したら、親の意向に添えなくなる、ということが怖いことにも
気付かなかった。
全くの、間違いだった。
本当は、反抗するべきだった。
かえって、そう思う方が自分にとって救いになった。
今はいじめに怯える自分がいることを認めたほうが、
過去の自分に対して胸が張れると思い始めた。
もう平気だから、弱くはないんだ、と怯える自分を否定するよりも、
いじめを受けた自分から等身大のまま、まだ残っているその自分が、
少しずつ変わってACではない自分になっていくほうが、
自分らしいと感じる。
多分、中学生の自分は、その時描いた未来の自分の姿に比べて、
今の自分を弱く感じるだろうけれど、そのときの自分でさえ、
ああ、やっぱり「自分」なんだな、と感じるように思えて、
間違いなく「自分」が成長した姿なんだ、と。
父親がまた一人でテレビを見ているのを 横目に部屋に戻る。
今でもまだ、父親のその様子を、かわいそうだと思う感情がある。
だからといって、それに流される必要はない。
本当にかわいそうだと思うのなら、だからこそ、
自分の受けた傷、親のACを徹底的に叩き潰すのが、情けではないか。
たとえそれで親が死んでしまったとしても、
もう両親は自分の生まれる前から、人として、死んでいた。
できるものなら、とどめをさして、息の根を止めてやりたい。
憎くて殺してやりたい、というのとは違う。
さっきから動画を見ようとしているが全く反応がない。
ネットのつながり自体遅いようだ。イライラしながら続けていた。
それに関係してか、下の階で飲んでいる父親とその仲間にも、イライラしてきた。
朝が早いのだから、こちらの都合も考えて欲しい。
酒に酔って逃げるのなら、一人か外でやってほしい。
家の問題から逃げ続けて外面の良さを演じていることに腹が立つ。
家から離れて住んでいれば、心置きなく闘えただろうと思うと、残念だ。
文字通り金の縁でこの家族はくっついている。
それぞれが自活できるほどの金があれば、いつ離れてもおかしくない。
訳の分からない霊能者に頼るよりも、本当に危機感があるのなら、
カウンセリングを受けてくるべきだろう。
酒に酔って家の問題から逃げるのなら一人か外でやれよ、くそ忌々しい。
夕方に父方の祖母が自分を呼んでいた。
無視した。
それでも祖母は何度もうるさ く名前を呼んでいる。
何かと思えば、新聞の記事を見せてきた。
父親と対立する息子についての相談の記事だったが、
耳の腐るような内容だというのは察しがついたので、
余計なお世話だ、と言った。
母親もそうだが、ちょっと他人から世話を受けると、
自分のACまで世話をしてもらえると勘違いするのか、
はっきりとACそのものが出てくる。
自分そっくりだった。
少しほめられると、すぐに他人の言葉を借りた「自分の考え」を披露するか、
知識自慢をする。
ACは死んだって消えはしないし、人間と呼ぶのも恥ずかしいほど醜い。
そんな相手に自分の親についてどうこう言われる筋合いはない。
働く以前はいつになったら休めるとか、いつになったら、どうなって とか、
後、何日間行けばいいとか、そんな先のことを考えていたが、
今は、目の前の今日や明日のことを考えることが多くなった。
一日の重さが違っていた。
日記を書いていなかったころとは。働いていなかったころとは。
朝起きて、自分の中から父親への言葉が出るまで、待っていた。
意を決して声をかけた。
「あのさぁ、昨日の飲み会だけど、もうやめてくれない?」
「酒を飲んで逃げるなら、一人か外でやれよ!」
ここで、自分でも思った以上に怒気が強くなった。
「そんなこと言いなさんな、仕事の付き合いでやったんだ。」
「言いたいことがあるなら、これからも言いなさい。」
とにかく、自分の感情を発散させる。イヤなものは イヤだと言う。
結果としては、余裕ぶった父親の返しを聞いただけだが、
言わないよりはマシだった。唐突な爆発といっていい。
ただ父親の二言目の言葉は本心ではない。
一言目とまるっきり食い違っている。考えが一貫していない。
父親もだが、自分が怒っている、それも、語気を強めて突然キレたのにも関わらず、
何もなかったかのように振舞う母親と妹に違和感を感じた。
そのことを言ってみたが、また二人とも黙っている。
今度は、イライラするわ、と捨て台詞を吐いて家を出た。
予想よりも父親がムキになることはなかった。
その一方で、父親が何かに怒るときには必ず大義名分をつけた。
「親だからだ!」
「そんなものを見ていいのか!」
「犯罪だぞ!」
一々もっともらしい理由をつけていた。
今回も突然だったのにもっともらしい理由を返していた。
常にそんなことばかり考えているのか。
仕事中でも、今日は特に他人の顔色を伺うACと、
イライラしている相手に怯える自分がいた。
相手の顔色を伺い、質問をあまりしなくなるので余計に間違える。
どちらにせよ、やることは一つ、
自分のその、怯えから逃げて質問を控える癖を別のものへ変える。
恐怖と向き合いながら、それでも分からない所があれば質問する。
そもそもの基準が、怒られる、怒られないの2択になっていて、
すでにACの袋小路に入り込んでいた。
気にせず質問しなさいというのは、その相手の**さんの言葉だ。
この言葉を言われたとき、目頭が熱くなって泣きそうになった。
当たり前のことを当たり前に言われた、という思いからか。
しかし、例え仕事を教えてくれる上司であっても、
ACの依存する相手先ではない。安易に、自分を助けてくれる存在だと思いたがる。
こういう問題が出てきたのも、慣れて、上達が見られたから、ということでもある。
今後も必ずこういうACが出てきて足をくじこうとする場面が出てくる。
注視する他ない。
しかし、穏当な毎日より今はこちらの方が、やる気が出る。
確かに前に進んでいる。
つまずきながらではあるが、変わっている。
今日の仕事は一時間ほど速く終わったかのように感じた。
やはり家にこもるより密度が全く違う。
バスの中で何やら、盛り上がって話している男性に対して、イライラした時があった。
地元の言葉というのはどうも好きになれない。
この男性も大きな声で方言を使っていた。
第一に父親がそうだ。
大きな声を聞くだけで、幼い自分はそこにいるだけでも怖じ気づいた。
あれから一度父親から話しかけられた。
「話がある」
「話すことはない」と返した。
それでも父親が、
「また思っていることを話して欲しい」と言うと
「一度でも、お父さんと話をして解決したことがあったのか」、と聞いた。
言葉に詰まっていた。
その後で父親が、「それなら、家を出ていく」と言い出した。
初めは私に家から出てほしいと言っているのかと思って、
「そのつもりだけど?」と言ったら、どうも違うようだ。
父親のほうが家を出て行くと言いだしていた。
何を言っているのか分からなかったが、
「出て行きたいなら出て行けば」、と言った。
「もう話したくない」
「話をするかしないかは自分で決める」と言い残してその場を去った。
脅しのつもりか冗談か、何かあてがあるのかよく分からない。
性癖については、明らかに異常ではないかと悩んでいたが、
現実の、目に映る女性の顔は、そもそも視界に入れないようにしていた。
見たくない、という以外に、女性の顔を見るのは気まずかった。
発端は、幼い頃、女湯で足をすべらせて、周囲の人に転んだ姿を見られたことだった。
それ以来、銭湯に入るのが恥ずかしくて、どうしても入ろうとはしなかった。
家族は入りたがらない自分を、そんなことぐらいで、と笑っていたが
自分はどうしても入ろうとはしなかった。
ずっと以前から、恥ずかしいと感じた記憶は嫌でも思い出す。
他人の顔色を伺うACと相手の価値観と同化しようとするACは、
ほぼ同時に出てきている。
今は、相手がイライラしていると感じても、質問する、
と言う選択肢をし続けていく他にない。
また、世間話で政治の話が出ると、
決まって自分が知識自慢とも取れる話をするのが目に付く。
そう、自分の認められてしまったACは、この知識自慢だった。
今は仕事の丁寧さを評価されているが、
以前は、文学や美術ぐらいでしか評価されなかった。
この評価されなかったというのは、その一方で、
全く運動することが下手で、チームから除け者にされた記憶があったからだった。
何とか対抗しようとして、コートの中をただ意味もなく走り回って
一生懸命にやっているフリだけすればいいんだろと、ヤケクソになった。
何とか運動の苦手を克服しようと、水泳部に入ったが、
何度やっても水泳の飛び込みが出来ず、色々教えてもらった末に、
先輩の言った一言に傷ついてヤケクソになってやめたりと、
ろくな思い出がなかった。
親からは、認められていた、と言う印象がない。
母親のほめるのは大抵、自分の思い通りに動いたときか、
テストで満点を取ったり、上位の成績をとったとき、
古い記憶ではせいぜいケーキを作ったときぐらいで、
逆に言えば、自分の考えや、性格を評価することは一切なかった。
真面目だと言ったのは、親の命令通りに動いてそういわれただけで、
優しいと言われたのは、親や祖母の手伝いをした時だけ。
何もしなければ、何も与えない。
別に親の言うことを聞く訳でもなく、
遊んでいる時や自分のやりたいと思ったことをやったり、言ったりした時は、
その何もしない、に当てはまった。
仕事の丁寧さをほめられたときは、慣れない感じだった。
そんなことを言われたのは、あまりなかった。
と同時に、自分の 自己評価がかなり低かったのではないかと、
今になって思っていた。
自分の出来ることは大して何もないと思っていたことに気がついた。
その反動で、自分が有名になってインタビューを受ける妄想を
よくしていたことが見えてきた。
自分らしさというものは親や祖母に何一つ認められたことはなく、
親に反抗するすると、脅しでそんなものは、と切り捨てられた。
そもそも、他者の評価でしか、自分がどんな人間であるか決められなかった。
他人の、親の言葉を真に受けた。
もっと言えば、親の自分に対する態度が自己評価になった。
本気で抵抗することもやらなくなったことの一つだった。
壁につかまっても、床に踏 ん張っても、力ずくで払いのけられた。
抵抗はムダだとそれで思い知らされた。
その後はゴネてはいたが、頭の片隅で、どうせ全力で抵抗しても、
家から追い出されることは分かっていた。
それは他の子達にも同様に、全力で抵抗することが出来なくなっていた。
自分がキレた時の父親同様に、余裕ぶったふりをして怒り返すことができなくなった。
それを大人になった、成長したからだと勘違いした。
実際には2,3歳の子供のわがままにも負ける程だった。
それほどまでに相手と対立する力がないことを隠すために、
常識を持ち出して心の中で言い訳をした。
あの時のまま止まっているのだろう。
それがいじめの標的にされ続ける原因にもなった。
学校中が勝てない敵だらけになった。
もう一つあったACが、相手から親切を受けると、
途端に申し訳ないような、自分が責められている様な気分になることだった。
どんなお礼をすればいいのか、考える。
これって、自分がぞんざいな扱いをされることを求めているようなものじゃないか。
要は、大切にされると落ち着かない。
対価が必要なのではないか、相手が求めていることを無視すれば、
気まずくなってしまうと焦っている。
母親と祖母が丁寧に世話をするときは、何かやらせたいことがある時だ
ということを分かって身構えていたことがある。
何事もなく ただ親切にしてやっている訳ではないと、
その頃にはもう感じ取っていた。
そんなこと一つとっても、対価を求めていたのが悪質だった。それも気まぐれに。
そんな時はどこかへ連れて行かれるか、頼み事か、約束がある時だった。
こんなに丁寧に扱ったんだから、約束を破らないなんてことはないよな?
と言われている様なものだった。いつだって条件つきだ。
条件や理由なく優しくされる何てことはなかった。
機嫌が良いとか、自分がほめられる様なことをやった時ぐらいしか
そんな態度はとらなかった。
当時でもその大げさすぎる態度に違和感を感じて、
うれしいどころか困惑していた。
後はずっとイライラしていて、優しくなんてなかった。
あれほど 以前は優しいと思い込んでいた母親と祖母は、
いつも命令ばかりしていたのが実際の姿だった。
バスの帰り、運転手が無口だということだけで、かなり不安を感じていた。
巻き添えで死ぬんじゃないかとまで思い始めた。
死に近い恐怖だった。
となれば、原因は、父親の無言の圧力にありそうだった。
叱る前は、口数が少なかった。
それを察知して、父親が静かになるとその度に身構えていた。
学生の頃、周りがスポーツや恋愛、どこにでもある、
ありふれた事を口にして、いわゆる普通の生活、仕事、
そして彼女を見つけ、結婚し、子供を育てる、
皆似たようなことを口にして、
皆と同じように生きたいと思っているのが不思議だった。
似たようなありふれた人生を過ごして、ありふれた死に方を望む。
それに何の価値があるのかさっぱり分からなかった。
皆といっても、たかだかクラスの数人だったが、
それが、皆であり、他人であり、一般であり、世間であり、社会だった。
両親もまた、そうだと思った。
しかし、ありふれてはいたが、まともと言う意味でのふつうではなく。
異常な場所、異常な関係だった。だった、ではなく、今もだ。
普通へのぬるい憧れが、生きる意味、
なぜ、自分は死んでいないのか、
なぜ、今まで死を選ばずに生きてきたのか、焦点をずらすかのように、
ただ、ありふれた家を目指して、ふらふらとさまよい歩いていた。
そう、ゾンビのように。
そうした、皆と同じ、というのは安心するための幻想ではないか、
と疑っていた自分でさえ、生まれる前から続いたふつうの生活に縛られて、
引け目すら感じつつ、そこから背こうとして、
結局は安心するための幻を見ていた。
そもそも、自分の思う、大多数というのも、実体がない。
どこまでいっても、つかみどころがない。
自分をネタにして、笑った母親のことを思い出した。
自分を映画のキャラクターにたとえて馬鹿にしたり、
祖母からは、自分が上着をズボンに押し込んでいると、奉公人のようだと言ったり、
今の自分が言われたら、無礼で怒り出すようなことを嬉しそうに言ってのけた。
そのときの自分は、違うよ、と口にはしても、受け入れていた。
この積み重ねが他人の価値観をうのみにする原因になった。
少し前の、運転免許証の自分の顔を見ると、随分違って見える。
当事の写真の顔は膨れて、目も窮屈そうに狭くなっている。
今は、無駄な肉が顔についていないことが分かる。
父親は、祖父母から、親子とはいえない、働き手としか扱われていなかった。
そして、母親は、祖母からは夫の怒りを買わないための稼ぎ手、金づるだった。
どちらも親から、道具のような扱いを自覚しないまま受けていた。
自分はどうか。
両親が言っていた愛情と言うのは、一貫性がない、罰とほうびしかなかった。
自分が産声を上げたときから、両親は、
自分に愛情をもって接していたのではなく、愛玩として自分を扱った。
愛情では決してなかった。
自分がそう思っていたのは、最初っからペットのそれと同じ、愛玩だった。
同じ立場ではなく、常に一方的に、上の立場から指図してきた。
これは親子の関係ではなく、ペットと飼い主の関係だった。
クラスの中で嫌いな、憎い相手がいたことを思い出していた。
そのクラスメイトは自分より成績の順位が下で、
明るく人懐っこいのがとりえ、という印象だったが、
学年があがると成績も上がり、トップクラスに入った。
対して自分は、以前ほど勉強に熱が入らず、中の下あたりの成績にいって、
気分は塞ぎがちになっていた。
仲の良い というか、一緒によくいた同級生が居なくなって一人になったこともあったが、
その後から、その人気者を憎むようになっていった。
当時はなぜその人に対して憎しみが募るのか、分からず、
そのクラスメイトの人の良さは自分でも分かっていた分、
自分の情けなさが嫌になってくることもあった。
憎しみの拠り所としていたのは、
自分のよく一緒に居た同級生に足をかけられて転んで、
激痛で泣いて座り込んでいたとき、
何事もないかのように楽しそうに、
授業のスポーツをしているように見えたことが発端だった。
要は、自分を気遣わないことへの逆恨みだった。
何も知らずに楽しそうにしていると思った相手を、
そうして片端から見下して蔑んでいた。
こんな状況なのに、 のんきにしている、今に見てみろ、
そうはいかなくなると、自分のした嫌な思いを他人にも味わう様に夢想して、
引きずり下ろしたかったという訳だ。
うずくまる自分に声をかけた同級生にも、自分のことを心配してくれたのに、
「他のクラスメイトは・・」と逆恨みの燃料に使う事しかできなかった。
心の表面では、依存心にまみれた自分になることを避けていた。
他人の気遣いを受けまいとした。
だからこそ、そのひずみの矛先に関係のない他人を選んだ。
子供がゲームに熱中して食事もせず困っている、
という職場の人の話で思い出したが、
要は、一体どこに問題を感じているのかが問題だった。
ゲームをやり続けて食事を取らない、風呂に入らない、寝ない、
熱中する様子が不安だ、から止めさせたいのか?
ゲームをやり続けてしまう状況に目を向けて、
例えば、ゲーム以外に関心を向けるものがない、
本人の意思が薄弱で、ゲームに関心を流されてしまっていることが問題なのかでは、
対応も随分違ってくる。
一体何が問題なのか、その視点が両親には全くないから、
終始表面的な都合や問題にしか目を向けなかった。
何が問題なのか深く見ることもなければ、全く考えもしない。
自分の意見に従う。
これが欠けているために、どれほど問題のあることか、誤解があったか、
全く自覚すらしなかった。
充実した気分が、ゲームにはない。
というのは一つの結論だが、
その下には、自分の意思を放棄して、
ゲームに遊ばれて 、自分が選択しているかのように思い込んで、
実は全くしていない矛盾があった。
充実感のなさ、だるさ、それに続く中毒は、その結果起きたことで、
本当に問題なのは、ゲームに限らず、
自分の選択ではないものを見分けられず、
あたかも自分の選択だと思い込んで、自己矛盾を起こしていることだった。
そういう意味では、
自分の本当にやりたいことを何もかも見失わせて誤認させるツールが、
ゲームやネットだった。
その他諸々の本やテレビ、娯楽となる様なもの全てがそうだが、
特にこの二つは自分にとって中毒する割合が大きいものだった。
親にとっては、表面上はゲームを止めさせようとはしても、
子供が自分の言うことを聞かず、ゲームにのめり込むことを含めて、
実 は無自覚な親のACにとっては、子供を幸せにさせない思惑通りに、
思い通りに事が運んでいた。
ゲームも毒親の毒を仕込む最高のツールになりえた。
無自覚と自己矛盾は、
不満を蓄積させ、ACの素になる。盲目にさせる。
いわゆるACの種だ。
自己矛盾が始まる。
中略
自分の持つ障害について取り上げた番組をみた。
今思うのは、障害の特性の一つが、
うそをつく能力が低い、つまり正直さが生き辛さを生むのは皮肉だなと。
正常さを保っていることは、
もはやこの社会で暮らすには障壁となりうるのかもしれない。
そんなに不思議なことでもないが、
異常とはそんな今の状況を指し示している。
駅で帰りの電車を待っていると、
隣から「おい」と人を呼ぶ声が聞こえた。
誰か自分を呼んでいる、どうしようと思っていると、
後ろから返事が上がった。
自分はそれだけでオロオロしていた。
自分がこれほどひどくうろたえるのは、トラウマと関係があるサインだった。
でなければ、これほどまで恐怖を覚えることはないだろう。
ここで思考は次に移った。
こういう乱暴な言葉遣いをする人がどんなステップでそうなるのか。
言葉や態度で相手を威圧して、言うことを聞かせようとする仕組みは何なのか。
初めに、その人自身は自分のことを、大した価値のない人間だと思っている。
こういう人は大抵、虐待のあった家庭や、
親が不在で荒れた家庭環境に居たりすることが多い。
このことからこう推測した。
人が、無価値で中身のないという思い込みを隠すために、
相手を従わせて自分には相手を押さえつける力があると錯覚する。
足りない中身を、外面で補う。
自分が苦手とするタイプの人は、人を威圧して従わせることで
自分には価値があると思い込む、父親に似たタイプの人だった。
今もだ。
そうして、従わせることができたら、
今度はその「成功体験」を求めて、より、効果のある方法を探す。
言葉での威圧や、暴力に、精神的な虐待、金銭がらみの脅し、と
多岐に渡り、エスカレートする。
それでも、自分は無価値だ、と言う思い込みは消せない。
消えないから、エスカレートする。
相手も選ぶ。
より自分の脅迫が通用しやすい相手を探して脅すようにする。
これがいじめだ。
もし自分が逆に脅されれば、情けなく萎縮することが多いのも、
自分の不安を相手に肩代わりさせようとしているのだから、
当然といっていいだろう。
話がそれたが、これこそ、正に自分の父親だった。
印象でいえば、格好は違っても、常に不安を抱えて人を脅す、
それも非力な自分の子供に対して、「いじめ」をするのは、
自分をいじめてきた人と、構図は全く同じだった。
内面が崩れているのを、外面で強化する。
正に虚勢を張っている。
その父親の脅しに同じく惨敗した自分も、
その外面に反応するようになった。
それが全てと思い込んだ。
相手も自覚はどうであれ、知っていてやっている。
そもそもトラウマがない人は、威圧する必要が全くない。
内実共に本当に強さと言うものがあるのなら、
わざわざ自分を大きく見せる必要はない。
非力だからこそ、防衛の手段として、自分を大きく見せる必要がある。
そういう人間にこそ、相手を威圧しない人が弱そうに見えるのだろう。
結局母親も、母自身の父親(祖父)から言葉の暴力を受けておきながら、
結局は同じように自分の子供を虐待するような父親という相手を選んだ。
祖母や母親然り、外面が全てだからだ。
強そう、弱そう、という妄想に近い。
ふと考えた。
自我復元の途中で、道半ばで止まった、辞めた人達にも、
助けられた所があるのではないか。
トラウマ掘りが、どのように屈して、見失い、途中で止まるのか、
その身をもって、示してくれた。
上手くいっている人いない人も含めて、助けになっていたのではないかと。
辞めることなく、最後までいって欲しかった、
と残念に思う気持ちも確 かにあった。
そもそも、自我復元が生まれたときから、
見向きもしない人、
やってみて逃げていった人、
途中で挫けて止まった人、
その人達が反面教師になっていたのかもしれない。
マイナンバーについて父親と口論になった。
大声で「世帯主だから、確認する必要がある。
家のことを勝手にやるな。」と言ってきた。
「番号つきの住民票を取り寄せれば問題ない」と言ったが、
その一点張りで怒鳴っていた。
こちらも、調べもせずによくもそこまで怒れるもんだと思い、怒り返した。
「仕事が忙しい、というが、こっちだって働いている間に調べて、数ヶ月前から対策を見てきた。」
一度離れた後に、もう一度 そのことを切り出して怒ると、
父親は少し怒って、また世帯主が、家のことが、と怒り返していた。
確認したいという趣旨だけで、こんなに怒るのは異常だろう。
子供の頃も、こんな風にささいなことで異様に怒り出していた。
こういう大声で脅す、いわばキチガイが父親だった。
子供の時から1ミリも変わっていない。
今だったら、応戦して怒鳴り返せるが、
子供の自分にとっては恐怖でしかなかった。
自分が職場から貰った資料を見せることで話がついたが、
父親の職場は何も説明しなかったのか、訳が分からない。
理屈の通らないことを大声で押し通す父親のパターンが、これで確認できた。
そうやって大声で恫喝する立派な毒親だと、この目で確認した。
以前自分が突然キレていたのも、
この父親の毒を受け継いでいたいたからだった。
そうすれば相手が折れてくれるだろうと、父親同様に甘えている。
怒鳴って脅す様に見えて、甘えている。
自分の場合、馬鹿にされて相手にされなかったが。
父親は違ったようだ。
それが通用すると思って自分にも仕掛けてきた。
弱い自分を隠すために。
怒鳴った後でも不思議と落ち着いていたことに気づいた。
言いたいことは言ってスッキリしたが、この内容自体は不毛な戦いだった。
結果的に父親の主張が一部でも通ったのだから。
親との戦いとしても、
虐待について言い争ったわけでは ないので、微妙な所だった。
ああやって怒鳴っておけば、何とかしてくれると思っていたわけだ。
後は分析していく他にない。
父親のACは曽祖父からのものだろう。
中略
職場で気になる人が一人居た。
その人は特に自分に何を言うわけでもないが、
ただそばを通り過ぎるだけで、
不安になって挨拶をせずにはいられなかった。
その人から感じる、人を寄せつけない雰囲気が、
学校に居たときの自分 を思い起こさせた。
というのも、その人に対する自分の態度と、
自分に対する幾人かのクラスメイトの態度がよく似ていたからだ。
何で自分に対して、ひどく遠慮する態度をとるのか不思議に思っていたが、
きっと留年して一歳年上で話しかけづらいんだろう、ぐらいにしか思っていなかった。
でも今思えば、自分の発していた雰囲気は、
どこか人を避けるようなあの人と煮た雰囲気だったのだろう。
だからあんなに怯えたような態度だったのかと合点がいった。
後追いのようだが、本当に自分のACに対して怯えている。
一方で、自分と同様に、とても寂しそうな本心があるのではないかと感じた。
改めて、記事を読み返すと、
自分の放射能に対する危機感はまだまだ薄いことが分かる。
たぶん、大丈夫と思いたい。ACは精神を壊すが体も壊す。
これから、これからと対策を後回しにしている姿勢は、嫌いだ。
危険だと思うなら、思いっきり、危険だと感じて行動する以外に何がある?
母親の如く、大したことはない、普通、皆もそうだから、
と済ませる気はない。
そんな、何となくは、放射能には1ミリも通用しない。
0か、それ以上か、数値で決まる。
何だか自分の顔が違って見える。
自分の顔も、なんだか左右対称に近づいてきたように見える。
目が片方は開いて、片方は少し腫れぼったくなっていたが、
今はバランスよく両目が開いている。
「そのままでは、仕事を続けて貰う事ができないと言うかもしれない」
と言う相手の言葉に驚いて、
そんな言葉を持ち出すまで、自分に手を焼いているのだろうか、と考えていた。
相手の真意は一体何なのか分かりにくいことが、大きな不安だった。
その言葉も確かに不安ではあったが。
同時に、依存的な自分の姿が脳裏に浮かんだ。
上司だからといって、
心理的なサポートや強さまで求めていなかっただろうか?
この乱れた文字も、練習したくないという気持ちも、
「ぐずり」だった。
ぐずり。
自分にはどうやってもできない。
上手くいかないから、これ以上責めないでという、歪んだ、
「止めて、やめて」という言葉だった。
ちゃんと意識すれば、文字はこうして読みやすく書くこともできる。
不本意だと感じても、あの練習をしても、
自分は上達できないと思い込む必要はない。
その上達することを邪魔してきたのは、
出来ないから、もう止めて、という声に出していない本心だった。
あの時確かに、心の中だけでそう言ってしまい込んでいた。
気遣いと遠慮は似ているようで全く違う。
他人を思って自分を見つめるのが気遣いとしたら、
遠慮は、他人を見ているようで、自分しか見ていない。
自分の保身を覆い隠すように、
「気遣い」だと思わせるように仕向ける。
他人から自分を見ているのは同じでも、向く方向が違う。
何が怖いのか?
今日は一日中ネットで動画を見ていた。
天気が悪く、雨が降っていることを理由にずっとネットにつないでいる。
驚くことに、半日もの時間をそうして過ごしていた。
つまり半分以上、
一日のほぼ全てが不感症のまま麻痺していたような状態だった。
一日が消し飛んだも同然だった。
それを大してまずいとも思わない。
そう、こういう日があるときは、
誰にも言うわけでなく、言い訳をしていた。
ずっと、準備が整っていないからと言い訳をしていた。
準備期間を、さして重要ではない余り時間のように見ている。
「いつか・・・」が子供のときに聞かされた言葉だっ た。
いつか、外に遊びに連れて行ってあげる。
いつか、おもちゃを買ってあげる。
それまで我慢して言うことを聞いていなさい、
というのが常套句だった。
今のその準備期間を無駄にするACは、
楽しめない制限を自分に課している。
本気になれない原因でもある。
そのときが来るまでは、どうでもいいとしているのだから。
いつまで待てばいい?、もうこんなやり方はムダだ。
ムダという言葉は好きになれなかった。
けれど、ムダなのはACそのもののことだ。
急がせるのも、ACだが、
急いで空いた時間をムダにするのもACだ。
ムダをなくす、という言葉は、ACを否定する言葉でもあった。
我慢するなら、その間はどうでもいい、と投げやりになっていた。
中略
不快感を感じる相手に対して思っていることは、
立場を自分に置き換えてみると、
実は自分が気にしていることや恐れていることだったする、
というのはよくある。
奇妙に聞こえるが、ACのこの反応、返しこそ、
自分のACを解除するための道しるべになる。
複雑な気分だが、最初から自分に向けて分析するより、
不快な相手への不満や罵りの言葉を置き換えたほうが、
的確である時が多い。
要は、自分のACも、薄っぺらい表面上の体裁が崩れることを、
びくびくして死ぬほど恐れているということだ。
最後にひとつ、質問したいことがあります。
>以下略
水 鶴 (すいかく)
*********
現在、自我復元者に取り組んでいる方の中では、最年少の人です。
年齢に関係なく、そして性別に関係なく、
参考になる点が、多々あると思います。
高齢になり、思い出せないと思っていた子供のとき、学生時代の記憶の中に、
この方と同じように、沢山の不安を抱えていたことを思い出せるかもしれません。
●こうした取り組み、
とにかく、必死に、意識的に「観」ようとすること、
それが、「軸」を作ってゆきます。
軸ができれば、
自「然」な振る舞いになってゆきます。
やがて、それは、
子供のように、「喜」び、を取り戻すかもしれません。
そんな想いをこめての、冒頭の、滲み書でした。
*********
昨年からの続きです。
「料理を風景として撮る」
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