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★分割自我復元★その564●【 報 告 より 】●
by:
鈴木崩残
2016/01/05(Tue)09:46:22
報告より
●これは、年末に猛ダッシュと、離陸を果たした、あびさんの
メールでの報告内容でした。
昨年の12/31のブログの方では、かなり異なる編集内容のコンテンツに
なっていますが、こちらが原文でした。
こちらの方が、場合によっては、わかりやすい面があると思い、
私的内容の部分を除いて、そのまま掲載します。
*********
崩残 様
あびです。
私は、ずっと、
みんなのように、楽しんだりできない、
そう思ってきました。
本当は。
純粋に何かに興味を持ち、
「わおー」とか驚いたり、面白がったりできない。
「みんなみたいに」できない、って
ずっと思ってきました。
本当は。
思い出したのです。
小学生の頃から、私は、ずっとそうでした。
もっといえば、怒ったりとか泣いたりとかもそう。
みんなのようには、
「生き生きと」「人間らしく」「普通に」感情的であれない、
というか、感情というのが何なのか、
私には、わからなかった。
みんなみたいに、私はできない、と。
それが恥ずかしかった。
恥ずかしいから、昨日のブログで書いたように、
私は、対人関係の場では、いつも、
「逃げ出したかった」。
だけれど、逃げられないので、
そこにいるしかない。
でも、恥ずかしい気持ちとは向き合いたくないから、
「悲しい」とか「嬉しい」とか「楽しい」とか「怒り」とか、
こういうのが、わかっているフリをしてきました。
これが、
「楽しい、・・・と思う」というやつです。
「楽しい」
じゃなかったのです。
こうなるのは当然でした。
なぜなら、感情そのものを出すこと自体を、
抑圧され続けてきたからです。
「楽しい、と」思ってなんていなくて、
そう言うように、強制されてきたのが、私の子ども時代でした。
小学生の作文を読んだ時、
なんてリアリティーのまったく感じられない
不気味な作文だろう、と思ったことがあります。
ここにあったのは、
「こういう時は、こう言う、こう書くんだよね
(これでいいんだよね)」しか、ありませんでした。
「楽しかったです、と言えばいいだろ
(しゃーねーなあ)」というやつです。
物心ついた頃には、すでにこうでした。
少し前にブログにも書いたように、
毒親が恐怖植え付けの犯人であることに気づかせないために、
恫喝やわかりやすい暴力でなく、
「こうするのが、立派な人間なんだよ」と、飴とセットに調教した。
本当は、毒親に逆らわない(毒親を不快にさせない)
従順な子どもにさせたいがためだけに。
母は、これが「自立した人間だ」とし、私に接しました。
父は、「あびは、すごい!」と、
他の子どもとは違う特別な人間という意識づけを、繰り返し、し続けました。
結果作られたのが、感情が完全に殺された、
エセ利他人格だったのです。
上から目線になり、しかたなくやってあげている、という態度。
上から目線であることを相手に悟られないために、
「いい人」を演じてきました。
よく、「あびさんは、いい人だよね」と言われました。
当然です。
私がそう無自覚にも演じていたのですから。
私は、こうやって、理想的な子ども、優れた子ども、
他の子どもたちとは違う、すごい特別な子として洗脳され、
そういう子に育てた家庭や親を、理想的な家庭、理想的な親と洗脳し、
無明庵に出会った時は、それこそ、最重度の重症の患者として
ここにたどりつきました。
「家族に問題も、私にも問題ありません」と。
これを暴いていくのが自我復元でしたが、
今月の連日投稿は、決定的なところを掘り起こしました。
「劣等感」
の発見でした。
私は、あの、みんなとどうもうまくいかない感じ、
という程度に「軽く見ていた、あの感覚」こそ、
あれは「感情」であり、
その名が劣等感というものであることを、
昨日のブログ「面白いことをやろう」と同時にアップされた、
今回の「アンケート募集記事」を拝読したことによって、
一気に解明されたことだったのです。
私が、今まで、使ってこなかった言葉の2つです。
リアリティーがどうしてもなかった言葉。それが、
「自己嫌悪」と
「劣等感」でした。
最後の最後まで、麻痺し続けていたものでした。
昨日です。
この感情の前に立ちふさがる番人を
強行突破したのは。
そこに見えたのは、
まさか、と思ったけれど、
見えたら、ずっと思っていたもの、
それが、劣等感でした。
なぜ、今まで気づかなかったのかわからないほど、
その感情は、つねに、私にあるものでした。
なのに、私は、この劣等感だけは持っていない、と
昨日まで思い込んでいたのです。
そして、自己嫌悪していた感情も、同時に、これでした。
自己嫌悪していたという事実も、同時に、理解したのです。
これには、その直前にもっとも大きい気づきがありました。
今思うと、それは「自己嫌悪」とは言わないことに気づきましたが、
実は、昨日、最初に気づき、
愕然としたのは(本当に愕然としました)、
私は、
喜んだり、
楽しいと思ったり、
面白いと感じる自分に
「嫌悪」を抱いていることを発見しました。
これは、驚愕に値しました。
こんなことを嫌悪させる親がどこにいるだろうか、と。
自己嫌悪とは、恐怖とか、イライラとか、
そういうものに違いない、と思っていたからです。
なのに、「喜、楽、好」、
といった感情を嫌悪させるようにした毒親を私のなかに見たとき、
私は、「狂気の洗脳だった」と理解したこと、
ここが、大穴を開ける結果となりました。
土砂崩れです。
毒親完全犯罪は、ここで完全に全貌が明らかになった瞬間でした。
仕事に行く途中でしたが、私は茫然としました。
なんて、闇の中の狂気だったのだろうか、と。
私にかけられた洗脳が、どういうものだったのかに、
私はその狂気の真相をみて、言葉を失いました。
後ほど、これには若干の修正は必要でした。
その修正作業の末、自己嫌悪していた感情は、
「劣等感」というものだ、と理解したのです。
でも、これは、
私にとっては、一本の線ですべてがつながっていました。
この劣等感ゆえに、
楽しんだり、喜んだり、嬉しそうにしたり、
そうやって笑って、面白そうに毎日を過ごす友だちを、
私は、軽蔑してきたのですから。
そうやって、上から目線になることで保身し、
もう正体がわからなくなるほどに取り繕った末に作られたACが、
嘘の利他にまみれた、しかし、その実体は、
顔色をうかがいながら、ビクビク生きる大ゾンビだったのです。
そのゾンビが、私自身が笑うこと、面白そうにすること、
喜んだりする姿を、快く歓迎などするでしょうか。
しません。
今までずっとそうでした。
写真やビデオの子どもの頃の私を今、思い出しても、
あのなんともいえない顔、
あれは、たとえ遊園地や海に遊びにいって笑った顔をしても、
どこか、ぐあい悪そーーーうにしているんですよ。
体裁悪そうにしている、といったほうがいいかもしれません。
なんとも言葉で表現しにくい。
それで、ああ、これ、「嫌悪」っていうんだ、これ、
と理解した時が、土砂崩れでした。
正確には、「喜・楽・好」、といった感情を出して
普通に生きている人間を蔑むゆえに、
自分にもそれを禁じていた、というのが正しいと思います。
逆にいえば、これを「自己嫌悪」とみなすほどに、
保身、他者への軽蔑が凄まじいものだったということです。
理想の家庭で、感情が抑圧されているとなど思っておらず、
なのに、私は、感情が出せないことを知っているけど、
そんな誰にも言えない。
言えないとすら思ったことすらなく、
この感じなんだろう、と、
それをおかしいと思う感覚すら奪われていたんです。
それを、しかし、私は、
なんとか40年、違和感として、記憶していました。
まさに1本だけの神経です。
そして、感情が出せずオロオロしている私、
それが、教室のシーンでの、実際の私であり、
それが「恥ずかしく」、本当は逃げ出したくても逃げなかった、
逃げられなかったこと、
これが、本当は
「悔しい」というやつだったのです。
その悔しいも体験したのが、この前が初めてだったのです。
恥ずかしいが初めてだったように。
崩残さんにそのことをメールした時です。
そこから、私は、一気に土砂崩れまできて、
昨日仕事中、自己嫌悪の理解に修正を試みた時、
ここに、劣等感を見たのでした。
みんなと同じようにできない、と私はずっと思っていた。
それを、なんと、ずっとわかっていたのに、
ずっとその扉は閉まったままだったのです。
これは、たとえると、
「透明な扉」のようです。
見えていたのに、絶対に開かなかった感情の扉。
劣等感でした。
それが、恥ずかしい感情を生み、
本当はそこで悔しがり、暴れられたらよかったけれど、
それもできず、毒親の都合のいい、言いなりになり、
このたった一本の違和感も誤魔化すために、
私は、「誰かのためになる」私に価値を見出そうとした。
毒親の都合のいい人間にさせるためだったわけだけれど、
成人してからも当然その亡霊は去ることなどなく、
しかも間髪いれずPが表れて、
無明庵と出会う頃、あそこが最悪でした。
あれ以上は最悪にならないだろうな、と今思うほどの最悪でした。
しかし、あの時の私は、あの時が、
人生最高の時、幸せだと「完全に思いこんでいた」のです。
Pとの関係が崩れることに直面した時、
崩残さんにもかつて報告しましたが、
人生で初めて、食べられない、という経験をしました。
生まれてはじめての恐怖です。
この時点では、Pも、親も、みんな毒だとは微塵も思っていない時でしたから、
完全に崩残さんが怖い、ここからのスタートでした。
そして、これが毒親の投影であること。
それを徹底的に暴くことが私の毒親分析とAC分析、自己分析、
という分析時期のメインの作業でした。
そして、続くACとの格闘は、毒を「抜く」というきつい作業です。
昨日、思ったことです。時間も記録しました。
12月30日の21:09です。
崩残さんに対する毒親投影による恐怖心の残渣が「すべて」消滅した時です。
これは、リハビリで、ああ、今、最高速度で離陸した、と知ってから、
57分後のことでした。
機体にこびりついた「かさぶた」の残りカスが、後方にぶっ飛んでいきました。
他者承認の完全なおしまいを、それは意味していました。
つまり、私一人、という決意です。
少しこのあたりのことを書かせていただくと、
離陸した、と感じた時、それは、20:22分でしたが、
こんなことが起きました。
ぐわっと生命感があふれてきて、
私はなぜか、こう口にしたのです。
「(私の)龍よ、出てこい」と。
その時、私の内側で起こっていたことは、
かつてAの方法がありましたが、
まるで、胸の自我から脳の中心までデリケートながらも、
軸のようなものが通り、
胸から脳へ、脳というより、
中心へと、そしてその通路を通るように、
龍が昇っていくような感覚。
「中心の技法」と「Aの方法」がミックスされたような感じです。
久々にAの方法が思い起こされ、強く、Aの方法が作動しました。
そしてかつて、部屋の片隅で、必死に、
そう、それは、まさに、今と同じ必死さでずっとやっていた格闘を、
Aの方法とともにやっていた頃のことを、
私は、仕事中でしたが、思い出していました。
これが、リハビリで、今、最高速度で飛び立った、と
実感した瞬間でした。
今日のブログには、このあたりは書きませんでした。
それより、私は、2つのお話を楽しく書きたかったからです。
そして、これは、
こうやって報告として自分自身もまとめてみたいと思ったので、
今、今年最後の、これからも仕事ですが、全力を尽くしています。
やり遂げたことも嬉しいですが、
最後の最後まで、こうやってアンケートなどに出会い、
自問に自問を絶え間なくやれたこと、
この濃密な経験こそ、楽しいものでした。
こうやって生きられたことが、誇りですし、
あらためて、これは総力戦であり、
私一人では到底できなかった、
それを経験できたことは、感無量です。
あびを、私は、心から誇りに思います。
そう、あとはブログに書いた通りです。
帰り道、
「あびはすごい、てんさーい」と毒父に言われ、特別な何かなんだ、
と洗脳されたものが解け、
自分のなかにずっとあった、
本当に可哀想な劣等感で、しぼんでいた私は、
そう、これも、直近の記事を読ませていただき、
歯車がピタ、とあったのですが、
今、もう、私は、
劣等感をダメなものとして思う必要はなくなったんだ、って。
それを痛感したから、昨日、
夜中の帰り道、不思議とまたあの交差点を過ぎた後に、
涙がでてきて、自転車に乗りながら、泣いていたのですから。
劣等感をそのまま、その姿も自分なのだ、と今、ようやく出会えた時、
ああ、みんなと同じ、普通の人間になれたんだ、
いや、本当は、
私は、みんなと同じ、普通の人間だったんだ、って。
そう思い、
これからの何でもない日常生活をしている自分を思い浮かべた時、
泣いてしまったんですね。
最高速度で突き抜けた先に待っていたのは、
「普通な私」でした。
それは、私、自分です。
ただの私です。
もう、特別な何かの私であらねばならないことは終わりました。
そう思った時、私が、かつて居たそこは、
二度と、戻ってはならない、ぞっとするほどの暗闇、
狂気の洗脳の闇・・・真っ暗だったんです。
真っ暗なところから、私は、「普通の人間」に戻ることができました。
2015年12月31日、夜中の2時数分前です。
これからは、ある意味、本当のリハビリ兼本番です。
今回のリハビリは感情を出せるか、
というテストのようなものでしたが、
今まで感情をつかってこなかった私は、
つまり、自転車でいえば、
ここから「ペダル」にやっと足をかけられるのです。
今回の「リハビリの巻」は、ハンドル操作テストのための
最後の急斜面、急なくだり坂、
ここでハンドルを恐怖心から手放さないかを試されたわけです。
最後まで手放さないためには、隠した感情は許されなかったし、
どこかで私はそれがわかっていたのだと思います。
私は、どうしても、まだ隠れているだろう感情を暴きたかった。
違和感がまだあったからだと思います。
感情をすべて救出しようとするのは当然だな、と思いました。
それが、「私」なのですから。
これいらない、とはできないのです。
それが、崩残さんが言われていた、
「よくないものとしないこと」という意味なのだと思いました。
すなわち、すべてを直視すること。
それにしても、です。
劣等感を抱えていた子どもの私、今もそうだってことで、
そうだとすると、なーんにもできなくて、
不器用で、並み以下で、なんてかわいいんだろう、
って自分のことが、愛らしいのです。
父はいつも「うちの子は、並み以上だ」という口癖がありました。
一番だ、とも言っていましたが、
今、思うと、これには、深い悪意がありますね。
「並み以下」というのが、ある意味、劣等感ですから。
その刷り込みプラス
そんなお前はダメだ、が、毒になるのですね。
なら、私は、並み以下で十分です。
むしろ、がんばる楽しみも増えるじゃないですか?って、
ほんとに思うんです。
そこを、いろいろやって生活する姿、
とても人間らしい。
劣等感、万歳です。
以上、ここまでが、きっと年内最後のご報告となります。
よろしくお願いいたします。
あび
*********
あびさんが作って送ってくださった、手製のどら焼きを頂ました。
*********
ラインお嬢様を、
アイドルのモデルさんを撮影するような気分で、撮ってみました。
左のが色っぽいですね。 右のは、しっかりカメラ目線
●今年は、年賀状の配送が遅れているらしく、
皆さんからのは、昨日4日は、まだ郵便局に届いていませんでした。
返信は、以下のような2タイプのうち、どちらかになります。
あとは、
私から勝手に、何人かの方に、この年賀状を送りましたが、
裏面に「返信不要ですので お気遣いなく どうぞ」
とあるように、年賀はがきの、
義理返信は、無理にしないでくださいね。
_________
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