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[565]
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★分割自我復元★その565●【 重要 自我復元における「八正道」 】●
by:
鈴木崩残
2016/01/06(Wed)05:32:57
「総合的な まとめ」
機能不全家族とは、
「感情機能が不全だった家族」のことである
●少し前の投稿に、大阪の女性のことを書きましたが、
実は、その女性とお付き合いしていた時、その時が、
無明庵で最初に、AC問題に着目した時でした。
時は1995年ごろです。
アルコール依存症家庭でどういう問題が発生するかという
今ではもう、ごく初歩的な精神医療の分野です。
つまり、この問題は、無明庵では相当に昔からやっていたもので、
2010年以後の自我復元から問題にしたものでもなければ、
昨今の毒親問題ブームに便乗してのものでもありません。
これは、私は「性の異端書/3部作」の中でも書きました。
「トラウマやAC人格を抱えた相手とのセックス」には注意するようにと。
●さて、この期に及んでまで、
「なぜ、感情が大事なのですか?」などと、間抜け面している人も
今ここを見ている人の中には、さすがに、もういないと思います。
ただし「感情は、よくない」と思い込んだまま、麻痺している人は
ごく少数ですが、いるかもしれません。
さらには「自分は、あまり感情的なほうではないから、関係ないや」、
と思い込んでいる、麻痺の中にいる人もいるはずです。
●「機能不全家族」という言葉の定義が、
医療分野ではどう定義されているのか、
いまさら、そういうサイトを見にゆく気もありませんので、
無明庵として定義しておきます。
機能不全家族というが、
では一体、「何が」機能不全だったのか?
家族関係とは言うものの、
親子の会話がなかったことなのか?
暴力がそこにあったことなのか?
恫喝や、子供に対しての脅迫や、
おしおきや、「出て行け」という脅しや、
親が、子供を小馬鹿にすることの毎日が、原因だったのか?
何が、まともに機能していると判断できるか?
逆に、何が異常な病理として区分されるのか?
この決定的な線引きを、これ以上ないぐらいに明確に出来たのが、
自我復元開始後に生じた、
沢山の人からの、いろいろな報告による成果でした。
●「いらない親 (毒親無用)」の書籍の中でも、
>やりたいことをする
>やりたくないことをしない
これが、健全な意識の基礎としてあり、
毒親は、子供が
>やりたいことさせず
>やりたくないことをさせる
その毒親の子供だった、あなたは、
>やりたくないことを「我慢」して、やってしまい、
>やりたいことを「我慢」して、やらなかった。
この二つに共通する、「我慢」を、
これまでに積み重ねました。
では、そうしたのは「なぜか?」です。
>そうしないと、その家では生きられないのではないかという恐怖があった。
>そうしないと、家では怖い事、または不快になるという恐怖があった。
ということ。
ここまでは、誰でも簡単に理解できたり、
または、理解できた気にだけはなります。
まさに、言葉だけの理解です。理解とすらいえません。
なんとなく、正しい定義に思える、というだけの理由で、
この言葉を「記憶しようとした」、ただそれだけのことです。
「中身」は全く伴っていません。
●また、子供がやりたくないことであっても、
それをあたかも、子供が自主的にそうしたいと思っている、
かのように洗脳したのが、「あびさん」の毒親であり、
その手の毒親が子供によく言う口癖の一つが、
>「うちは、他の家より****」この手の口癖です。
>「他の家より、豊か」「他の家より、幸せ」「他の家より云々」
>これを言うのが典型的な毒親です。
単純な毒親は、子供を、とにかく萎縮させるだけですが、
この手の「うちは、ほかと違って・・・・」を連発する毒親は、
洗脳型の毒親で、子供の意志そのものを最初から叩き潰します。
このほうが、より悪質です。
この場合には、子供はその後何を考えても、
「ボクは、クラスの他のやつらと違うんだ。しかも自主的だ」
とか思い込む始末で、これが、「あびさん」の事例です。
むろん、他にも多くいました。
●かつて毒親大賞に、鈍く輝いた「お姫ちゃん」のところの毒親父のタイプ、
あれは、けっこう多いです。
かなりの部分が、あの手の毒父親です。
形は違えど、基本はあれです。「ただの馬鹿」です。
だから、逆に、子供は気づきやいのです。
ただ、そのときには、母親の毒について気づきにくくなります。
しかしそれも、毒父親がそういう奴だったのに対して、
母親は、自分守ったのか?、
これを見れば歴然と毒母親の正体もバレます。
最初から、母親が見るからに毒親だった場合は、
気づくのは、もっと簡単です。
●ただし、この母親の毒性というのは、何も「基幹房さん」のケースのような
「鬼のような母親」「兄弟間差別をする親」として現れるだけではなく、
子供に対する「無視」「育児放棄」「無関心」など、暴力的ではない、
子供には、わかりにくく、しかし深い傷を残す行為もたくさんあります。
●「あびさん」のところほどではないですが、
「朱いはがねさん」が、母親を守ろうと考え付いた過程なども、
それを自分で決めたことだと誤認させた理由も、一種の洗脳です。
●前に、報告のあった「飛魚さん」のケースもよくあるもので、
毒親が、自分が犯人でないように偽装するために、もっともよくやるのが、
「物やお金を与える」ということです。
これは、のちのちに、
「お前には、出資してやっただろ」
「お前には、いろいろ旅行や遊びに連れて行ってやっただろう」
「お前が、やりたいと言ったことに金を出してやっただろう」と、
>もっとも重要な「親としての役目」をしてこなかったことを
>子供から責められないための「布石」として、
>お金や物や、贅沢だけ、餌にあたえてやる、というペット化です。
この場合には、子供があるときに、反旗をかかげて親に敵対したときには、
>「お前に金をかけたのに」と、
>「恩着せ攻撃」をいつでも出来る状態にしてあるわけです。
>そして毒親は、自分が真犯人であることを隠蔽します。
>物を与えてやったから、毒親ではないという言い訳に悪用します。
これに毒された子供も、自分が被害者であることに気づきません。
******************
●こうした、複雑な、いろいろな駆け引きが生じているのが
機能不全家族ですが、
タイトルにもあるように、
結局のところ、もっと、もっと、単純化すれば、
最も問題であったものは、「何か?」
ここを抽出に、抽出を重ねた結果、出てきた結論が、
「感情とは何か?」でした。
『喜 怒 哀 楽 好 恐』
もう一度、これを明記しておきます。
これらが起きる動機は、個別に違います。
『喜』は、冷笑ではなく、ゆがみのない率直な笑い、楽しさです。
『怒』は、怒りです。
『哀』は、悲しむこと。「寂しさ」「孤独感」も含みます。悲しくて涙することです。
『楽』は、楽しさは「喜」で代弁していますので、ここでは「安心感」とします。
『好』は、私が足したもので、恋愛とかだけにかぎらず、
また、単なる趣味ではなくて、めいっぱい「夢中になること」です。
『怖』は、恐怖、怖れです。
●一方で、少し前の投稿でも解説をしたように、
「軽蔑」や「見下し」は、感情ではなく、それは「行為」です。
しかしなぜその行為が出るかの原因は、やはり感情にあります。
AC人格であってもなくても、軽蔑や見下しの原因は、
『怒り』です。
ただし、怒りが、そのまま発揮されれば、「ただの怒り」です。
が、ここでゆがむのが、AC人格です。
なぜならば、自分の親に怒りをぶつけることも、わずかにしただけで、
結局は、「不発」に終わったのですから、
「怒り」は、そこで「恨み」になります。
「恨み」と「怒り」の決定的な違いは、
怒りは正常に爆発した場合であり、
不発に終わった怒りが、ストレスとなって累積したままになるものが
「恨み」です。
きちんとした行き場があるものは怒りですが、
きちんと相手(親に)向けられなかった不発弾は、
すべて「恨み」になります。
●したがって、少し前の投稿で説明した、
見下しや、軽蔑にも、二種類あります。
AC人格の軽蔑ではない場合には、その動機は「怒りそのもの」です。
AC人格による軽蔑は、その動機は、怒りが溜まった「恨み」晴らしです。
*********
生理反応を生ずるものは「感情」に起因する
●「感情」と「思考」の違いについて、
最も簡単に理解できる説明としては、
>「感情」に起因するものは、「生理反応を伴う」ということです。
あなたが、部屋に座って、何をどう考えようが、
多少怖くなったり、多少、性欲が出たりするだけで、
強烈な感情までを、思考を使って想起することは困難なはずです。
ところが、一発でも、馬鹿にされたり、不安になることを言われたり、
または、ここぞ、他人の揚げ足を取れるぞ、とAC人格が思ったときに、
あなたの感情が動きます。
しかし、軽蔑は感情ではなくて、行為であると説明したように、
そこで本当に起きているのは、
「劣等感」または「恐怖」からの回避行動であることがほとんどです。
ただ、その反応に、長く鈍感になりすぎている人が多いために
そこで感情が動いていることに気づきません。
これを長くやっていると、無干さんのような状態になります。
しかし、無干さんだけではなく、いろいろな人たちもそうです。
●私は、感情が「悪い」とは一言も言いません。
逆です。
子供だったあなたが、いろいろな理由から、
その感情を、押し殺さねばならない状況を生み出した、毒親が悪いのです。
●そういう意味で、「喜怒哀楽好怖」
これの「変化形」として、
「劣等感」
「羞恥心」
「自己嫌悪」などもありますが、
成分として、極端にそれらを抽象化すれば、
その多くは「恐怖」を元にしているはずです。
*********
しかし、だからといって、
「結局は、恐怖に支配されているんだ」とか、
これまた口先だけで、わかったように自分に言い聞かせたり、
他人の前で、偉ぶっても、
それで本人が解決できるものは何もありません。
思考と違って、
感情の問題は「生理反応」を伴うかにあると私は言いました。
>この生理反応で、わかりやすいものは、
>「心拍数の変化」「動揺」「赤面」「呼吸変化」
>「どもる」「声が上ずる」「目が泳ぐ」
>「身体全体、または、手や足など一部が震える」
こういったものが典型的なもので、
決して押さえ込むことが出来ずに、生理反応として漏れ出します。
●むろん、誰だって、恥ずかしいときには、赤面ぐらいしますが、
どもる、
震える、
おびえる、
萎縮する、
息が苦しくなる、
目が泳ぐ、
これらは、ある意味では「異常反応」です。
正確に言うと、それが発生した、初期段階ならば、異常ではなく、
動物だって、怖がれば、震えたり、心拍数が上がったりします。
しかし、人間のそれにおける問題は、
その引き金を引くものが、
明確な生命の脅威が現実にそこにあるのではないのに、
>「条件反射」として起きるということです。
この典型的な事例が、パニック障害です。
他者から見ていれば、どうしてその人がそうなるのか理解できません。
しかしその本人の中では、生命の危機を感じる、
それほどの「引き金」が引かれているのです。
●実は、これの症状の「小さなもの」を、
私は沢山、社会の中で、特に職場で、多く見てきました。
それは、あるトリガーを引くと、激変して、豹変して、その表情が
変わる人たちです。
その表情には、「3つ」あります。
ひとつは、怒りや、不満や、恨みなどの「嫌悪の表情」、
もうひとつは、へらへらした、「ニヤつきの表情」です。
最後は、硬直したような「無表情」です。
●何がその引き金を引くのかは明らかでした。
だから、私は、いろいろな局面で、
相手や、その場を凍らせるような言動を、やり続けました。
その多くは、悪意からということではなく、実験としてです。
何を言うと、その場の空気が凍るのか、
あるいは、何を言うと、無表情、あるいは笑っている相手の、
その形相が変わるのか、です。
とうぜんに、その中に自分も巻き込まれて、自分も無事ではなくなり、
争いになるのを覚悟で、やりました。
理解できたことは多くあります。
が、AC人格者に、けっして悪用されたくないのでここでは説明しません。
*********
「痛み」→「不快」→「泣く」は正常である
話は戻ります。
6つの「感情」のうち、人間に与える最大の影響を持つものは
言うまでもなく、『怖』です。
これゆえに、宗教が発生し、精神世界が発生し、社会が発生し、
依存も発生し、また革命や独立も発生したからです。
よくも悪く、「恐怖」です。
しかし、それは「悪いもの」ではなく、生物の正常な反応です。
「恐怖を滅却した、境地になることがいい」などと思い込むのは、
最も最低レベルの、思考停止状態のカルト信者のみです。
しかし、この傾向は、東洋ばかりではなく、世界中に蔓延しました。
何事にも、動じない雰囲気を持つのが、覚者や聖者だと思い込み、
そうなれば、自分のいろいろな心身の苦労もなくなるのだろうと、
全く勝手に妄想したわけです。
●しかし、
>実際に起きる、恐怖を「制圧した」ことのほうが、
>「恐怖それ自体の経験」よりも、1000倍も有害です。
ここで登場するのが、「毒親」です。
まず、正常な子供がすることがあります。
誕生の瞬間から、それをして、
その後も、しばらく、それをするのが「当たり前」のこと。
>それは『泣く』ことです。
>泣く理由は、単純に、不快だからです。
自然界であれば、「おむつ」というものはありませんので、
おむつの中の、排便、排尿の不快さにともなって、泣く、
ということはありません。
あるとしたら、
>「空腹」と「痛さ」です。
>痛さには、「打撲の痛み以外にも、暑さ、寒さ」も含みます。
だから、
身体が「痛い」のが「痛み」
空腹も、極端に分類すれば、「痛み」です。
>痛み 不快 を感じたら、幼児であれば「泣く」のです。
●余談ですが、アルコール中毒患者は、
「痛み」に麻痺することが、飲酒の目的です。
特に、心の痛み、感情の痛みを、感じないで済む状態を
本人の何の努力もなしに作れるのが、アルコールです。
ここで、かつて、私がその大阪生まれの女性から学んだことが
一直線に並びます。
>アルコールがもたらす、最大の効能(つまり害悪)は、
>自分の問題や、自分の感情から、逃げるための「麻痺」を手軽にできること。
という、「アルコール依存症の本質」です。
「痛み」、身体的な激痛ならば、麻酔もいたしかたないとしても、
>特に、精神的な「痛み」、ないしは「不愉快さ」というものは、
>「痛み、不快として、そのまま感じて」、
>そこから出発しなければならないのに、
>その「感情の痛み」「不快」を「麻痺させるため」に、
>アルコールを飲む人が大半です。
>(不快な事があると酒を飲む、というのが典型的なそれです)
だから、私は、酒飲みは信用しませんし、
ほとんどの場合に、相手にしません。
酒飲みの中にも、まともなのは、いるのか?
ということを、好奇心から、私は、しばらく観察していましたが、
酒飲みは、やはり、トラウマ持ちのAC人格であるので
縁を切るように持って行った昨年の事例からも、わかるとおりです。
わかりきっていたことを再確認しただけ、となりましたので、
私は、二度と、酒飲みを相手にしないです。
むろん、自我復元者とて、同じです。
自我復元をしているのに、酒を日常的に飲むなど、
そんな者は、私は相手にもしたくありません。
******************
●さて、「泣く」というのは、感情の正常な反応です。
だから、「あまり泣かなかった」「育てやすかった」、
と言われる子供には問題があるのです。
わずか1歳か2歳程度なのに、
泣く事を我慢した「理由」がそこにあるはずであり、
その我慢の理由は、ほぼ間違いなく親の挙動を子供が察しての事です。
●「痛みと空腹」を、訴える、または表現する、
その、もっとも原始的な感情が「泣く」という行為です。
これは「喜怒哀楽好怖」のうち、「怖」と「哀」に属します。
*********
●ここで、突然に、ある事を思い出しました。
私が小学生の高学年か、あるいは中学生のころか忘れましたが、
叔父さんの家に、私が遊びに行っていたときに、
私の従妹が、叔父さんに何か、口で怒られて、
泣き出したことがありました。
そこにいて、私は叔父さんに、
「人間って、なぜ泣くんだろう」と質問したのでした。
たとえば、従妹が、転んで泣いたならばそれは痛いからとわかる。
しかし、親に叱られて、子供が泣き出すのを見て、私は、
この世界では、何でもないはずの、
その日常の情景を、不思議に思ったのです。
「なぜ、しかられて、子供が泣くのか?」
叔父さんとの話では、「寂しくなっちゃうからじゃないかな」
という程度で終わりました。
実は、私はその叔父さんと、子供の時に、いろんな話をした覚えがあります。
私は父親とは、全く疎遠だったので、
母の妹の旦那さんの、その叔父さんと、人生とか科学とかについて
わりと話をすることがあったのです。
そのおじさんは、今で言うと、たぶん左派かもしれない。
しかし、全く人の手の入っていない自然の中に、
道路を一本作ると、それによって、どういう環境異変が起きるかとか、
そういう話もしてくれました。
中学ぐらいの私が、少し難しい話を出来たのが、その叔父さんだったのです。
●それで、「その叔父さんに、しかられた従妹が泣く」、
それを見て、「どうして、しかられると哀しくなるのか」
それを私は、しばらく考えていたのですが、その後、
そのことを自分の中で追求するのは、忘れました。
まー、もっと言えば、子供が転んで泣くのも不思議です。
痛くて、「痛てぇなー、くっそー」と、涙目になるのはわかりますが、
そこで、「泣く」のは、なぜか?
おそらくは、これに対する正当な回答は、
それが、哺乳類、特に「近くに自分の親がまだいる、幼い動物」にとっては、
>自分に起きた痛みや、空腹や、危機について、
>「親に知らせるために泣く」
という答えが、ひとつにはあると私は思います。
ただ痛いのであれば、悶絶して、そこで、絶句していればいいからです。
また、自然界では、痛いときに泣いて声を出せば、
逆に、外敵に見つかる可能性が増えてしまい、危険になります。
その危険がありながらも、なおも泣くとしたら、それは、
「外敵から自分を守ってくれる親がそこにいて」、
その親に、痛みを訴えるということが、最もあり得ます。
●そうであれば、特に、0歳から、5歳ぐらいまでは、
>子供が「泣く」というのは、
>親に訴えている「苦痛/不快がある」ということです。
本人にとっては、直接または間接的に、
生命の危機につながる不快さがある、ということです。
夫婦喧嘩をしていて、赤ん坊が泣き出したとしたら、
それは言葉で理解しているのでもなく、怒鳴り声が大きいからでもなく、
その夫婦関係の悪化が、そのまま行くと、
自分の生命に危機になると感じている、のかもしれません。
ひそひそと、小声で夫婦喧嘩をするという事例はないので、
たいていは、毒父親が、大声で怒鳴り、毒母親が泣く
という展開になるものです。
その父親の大声と、母親の泣き声、その音響が赤ん坊や子供には
恐怖なのだろうとは思います。
しかし「自分を守るはずの両親」が、その闘争状態でいたら、
子供が不安にならないわけがありません。
***************************
●幸いにして、私の母が、毒母親でなかったのを確認できたのに、
次のようなエピソードがありました。
むろん、子供の時だから、私は泣きました。
母は、私が泣いたときに、常に考えていたのは、
「どうして、泣くのだろう。どうして欲しいのだろう」
これだけだったそうです。
むろん、夜鳴きもあったでしょうから、睡眠不足や、
育児に疲労感を感じたこともあったと聞きました。
しかし、泣いたときに、「泣くな」と言ったこともなく、
「泣かせたままにする」こともなく、
「どうしたのだろう?、どうすればいいのだろう?
何が不快なのだろう?」
そうやって、あれこれと、悩んで、試しながら、
子供は、何が不快なときに泣くのかを学んでいった、と言っていました。
だから、「子供から、沢山のことを学んだ」と。
つまり、子供に対しては、関心の塊だったのです。
子供にどう在って欲しいとか、
とにかく、何でもいいから、泣き止んでくれないか、
ではなく、
なぜ、泣くのか、
どうすればいいのか、
それが、初期の子育てだった、というのが母の言葉です。
そして、私は、その母親からの関心を受けて育ちました。
過干渉でもなければ、育児への心配症もありません。
(私は次男でしたので、出産も子育ても兄のより気楽だったらしい)、
そして、「この、子供が何を感じているか?」これに対する、関心。
「可愛がること」が愛情なのではなく、
全身で、子供が今どうなのかに、関心を向けること。
●一例として、砂手から聞いた話ですが、砂手の親類の子供で、
その母親は、その子供を抱き寄せて、思いっきり猫っ可愛がりして、
それこそ、スキンシップはしまくっていて、
まるでペットのように可愛がっていたらしいです。
しかし、その子供は、母親にそうされながら、
「ウザそうな顔をしていた」というのです。
のちに、この女の子は、思春期になり万引きをし、不良になり、
ヤンキーになったと、砂手は言っていました。
その「理由/原因」について、砂手が「知識で得た範囲」なので、
確実な事かは、統計的にも、断定は出来ませんが、
子供の中には、母親が抱えているストレスに、
「そのまま、感染した母親と同じAC人格」になるケースと、
母親が抱えたストレスの「反動」を、
子供が「無意識に代行」して発散するケースがあるようです。
そういうわけで、
子供にべたべたして、一見すると愛情を与えているように見えて、
実際には、子供に対する関心ではなくて、
母親の不満や、寂しさ、依存心、抑圧された感情を与えており
子供が、それを察して、
反逆的、反社会的になることで、母親のストレスを、かなえてしまう、
といった、少し複雑な軌道に、玉が転がることもあるようです。
●それに比べると、私の母が私に向けたのは、
大きな愛ではなく、大きな「関心」です。
べたべたと、頻繁に、スキンシップをされなくとも、
この、子供だった私への「関心」こそが、
私の中に、安心感を育てたからでする
それは「自分の周囲の世界は敵ではない」、という最も基本的な安心感です。
話が逸れました。
******************
「子供が持つ基本的な感情」を阻害しないこと
重要なのは、「元来の正常な子供の感情」です。
ただし、それは、いい大人になった「現在のあなた」が、
いろいろな、「後天的な、AC人格」によって感じる、
「喜 怒 哀 楽 好 怖」ではありません。
また、
>「怖れ」が変化した「羞恥心」や「劣等感」、または、
>「怒り」が抑圧された「恨み」、これらは「後天的」なものです。
羞恥心も、ある程度は子供の時でもあるものですが、
劣等感などは、完全に、社会的な比較によるもので、
幼児には、劣等感などありません。
とにかく、AC人格にならない家庭で育った、
「良い意味」での「子供」が、すべての正常さの手本になります。
というのは、
「劣等感」や「羞恥心」「恨み」といった明らかな後天的なものではなくて、
>幼児期の最も「初期にあった」次のものが重要だからです。
>「痛み」 から生ずる
1/怖れ、
2/怒り、
3/悲しみ、
4/寂しさ、
>痛みのない状態、または、痛みから開放された躍動から感じる
5/喜び、
6/安らぎ、
7/好むこと、
これらの「感情と感覚」これを、
少なくとも、5歳までに決して制圧するような親ではなかったこと、
それが理想なのです。
一方で、毒親は、その毒性が濃いか薄いかの違いはあれど、
あるいは、その子供だったあなたの感情への制圧の仕方が、
「泣くな」と怒鳴る攻撃的なものであったか、
それとも、
「泣くと、子供を無視する」
「泣いても無駄だと、子供にわからせる」
そのための洗脳的なものであったか、どちらの方法だったにしても、
子供だったあなたが、
「痛み」を訴え、
「怖さ」を訴え、
「哀しさ」を訴え、
「寂しさ」を訴え、
「怒り」を訴え、
かつまた、
「喜び」、
何かを「好き」になり、
「安心」する、
子供の表現するこれらの感情を(特に5歳から7歳ぐらいまでに)、
親が、少しでも妨害すれば、
>子供は、自分が不快にならないため、恐怖を感じないために、
>これらの感情のうち、どれか、または「いくつか」を、
>「我慢すること」つまり「自己否定すること」ことを覚えてしまいます。
>この「感情」の我慢と否定こそが、AC人格の原因です。
意志の我慢とか、思考の我慢とか、行動の我慢などよりずっと前に、
まず、最初に生じる病理は「感情の我慢」です。
●だから、こそ、自我復元では、徹底的に「感情を」掘るのです。
ただの、過去の自己分析ではありません。
ただの、毒親のあら捜しや、心理分析ではありません。
ただの、犯人探しではありません。
探るのは「自分の中の感情」です。
ただし、これが発生した親や家庭環境については、
記憶を辿り、大人の頭で分析もしないとなりません。
●自分の中で、我慢した感情があれば、
> 何の感情を我慢したのか?
> どのような形で我慢したのか?
>どうして、我慢するような事態になったのか?
これこそが、トラウマ分析の基礎です。
●そして、今のあなたが、たとえ、何歳であっても、
幼児期、そして子供時代に、地中に埋めたままにしてしまった、
その感情の種子に、再び、水と太陽の光を与えることです。
真の「八正道」
あの仏陀のやろうが、糞みたいな、道を説いたので、
ここで私は、それを一から、解毒しておきます。
過去の時代ではなく「現代」における、本当の八正道とは、
1/『正しく 痛がる』 正痛 しょうつう
2/『正しく 泣く』 正泣 しょうきゅう
3/『正しく 恐れる』 正恐 しょうきょう
4/『正しく 怒る』 正怒 しょうど
5/『正しく 悲しむ』 正悲 しょうひ
6/『正しく 寂しがる』 正寂 しょうじゃく
7/『正しく 喜ぶ』 正喜 しょうき
8/『正しく 好む』 正好 しょうこう
これらが、否定されることなく、全て揃ってこそ、
曼荼羅の、9番目、すなわち中心に、
『正しく 安心する』(正安 しょうあん) が起きるのである。
8つの感情を否定しないことによって、苦からの開放があるのであって、
苦から逃げたり、苦を麻痺させたり、
苦を我慢したり、苦に対して平然とした顔をすることじゃないのです。
経験しつくすことだけが、それを超えられる唯一の道である。
だから、私の戒律で、してはならないことは、
前述の「8つの感情の制圧」だけだ。
前文の、それぞれの戒律についている、「正しく」とは、
それを感じるための「何かの方法」「あるがまま教」があるのではなく、
「そのまま」という意味です。
だから、これを紙に書いて、自分の部屋に張っておくといい。
ただし、
いまさら、AC人格まみれの大人になったあなたが、
いくら、この8つを開放しようとしても、
そんなものはポーズだけのカタルシスであり、泣いても自己暗示、
いまさら、感情をそのままに開放するのが正しいとか言われて、
それでやっても、絶対に無理に決まっている。
そうではなく、これらが本当にまだ無傷だった、
自分の子供の頃に、意識で戻って、
そこから、この八つの宝石を助け出さないとならない。
合成宝石や、その加工品じゃない。
感情の「模倣」じゃない。
その、まだ無傷だった、
原石を掘り出すこと。
空間の移動ではない。
時間の移動である。
____________________________
★
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