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[568]
■
★分割自我復元★その568●いくつかの報告●
by:
鈴木崩残
2016/01/12(Tue)11:18:24
報告より
今回は、お二人からです。
*********
崩残 様
いつもお世話になっております。基幹房です。
やりました。
ついにやりました。
ぶちかましてやりました。
今年の元旦早々から始まった、毒親との最後の闘い。
決着がつきました。
第3回戦でした。
(第1回戦:1月1日、第2回戦:1月3日)
これで、毒親との物理的な縁については、切れましたので、
今後は、よっぽどの事(どちらかが死ぬとか、災害等)がない限りは、
物理的な接触は、絶たれました。
これで、ようやく、心の中の問題。
私の心の中にまだ巣くっている毒親の消滅、および、AC人格の解除に向けて
本当の意味で、ようやく、スタート地点に立てたと感じています。
心機一転。
「よし、やるぞ」
以下に、毒親との最後のやり取りについて、報告させて頂きます。
中略
私:さようなら
(これで、電話が切れました。母親が切りました)
毒親とのやり取りは、以上になります。
昨日(1月10日)、私の方から、電話をかけましたが、
それまでは、大変でした。
私の心の中が、親の幻想に支配されまくっていました。
親の事ばかり考え、何をするにも手に付かず、上の空でした。
何をしていても、寝ても覚めても、親の事ばかり、
「ああーだ。こうだ」と妄想し、
もう苦しくて苦しくて、今まで、これ程まで、
親の事で苦しめられる事はありませんでした。
もう本当に色々と考えました。
私の方から、電話しました。
闘いの開始は、2016年1月10日 13時31分頃でした。
最後は、苦しさが限界にきて、観念して、
ビクビクしながら、電話したというのが、正直な所です。
中略
兄弟と会いました。
最初の内は、仕事や家族、または、子供の頃の話等ばかりで、
両親との事についての話をしようとするのですが、
何か避けられているような感じがして、
私の話をなかなか聞いてくれようとしていないように感じましたが、
向こうから、「それで、どうなん。親とは?」
と話を切り出してくれたので、親と縁を切りたい事について、
その理由等、私の気持ちについて、十分に話をしました。
予想通り、私の言う事は、納得してくれませんでした。
(子供の頃、私が抱いていた感情等、一部は理解を示してくれました。)
結局、彼が言いたかった事は、こうでした。
「気持ちも分かるけど、家族なんだから、そこまでしなくても」
毒親に汚染された同じ兄弟ですので、当然の言い分でした。
その話の中でも、一番驚いたのは、この一言でした。
「あれは、虐待じゃないと思うよ。僕らが、悪いことをしたんだから」
これを聞いた時、正直、びっくりしましたが、
よく考えれば、彼がそう思うのも当たり前だと思いました。
また、彼の雰囲気ですが、
もう毒両親、または、あの毒実家の雰囲気そのものでした。
何とも重苦しい、どんよりとした、感情の起伏のない、
何を考えているのか分からない、
生き生きとしたものが、まったく感じられませんでした。
中略
もう死に物狂いで、親に電話をしましたが、
今は、本当に良かったと思っています。
昨日(1月10日)、電話が終わってからも、色々な感情が出てきて、
心の中は、もうぐちゃぐちゃでした。
■なんか気持ち悪い
(結局、私の言う事は、納得してくれず、親が逃げるような形で終わったので。
でも、だからこそ、毒親なのだと思いました)
■なんか寂しい
(これからは、何があっても親に頼ることができない。親に甘えることもできない)
■なんか恐い
(これからは、独りで生きていくという事)
■なんか悲しい、悔しい
(結局、お母さんやお父さんは、何も分かってくれない)
■イライラする
(本当に、嫌な奴らだ。気分が悪い)
■ちょっと同情心
(兄弟が言うように、「家族なんだから、そこまでやらなくても」
と少し思った。やり過ぎかもと思った)
このように、色々な感情が出てきましたが、そのままに任せました。
時間とともに、消えていくだろうと思ったからです。
それにしても、あの毒親達は、最後の最後まで、
子供である私の気持ちをまったく分かろうともしませんでした。
一かけらもです。
少しでも、ほんのちょっとでも、
私の気持ちを分かってくれるのではないかと、正直、少し期待しましたが、
ものの見事に裏切られました。
良く考えれば、当たり前の事でしたが。
少しでも、子供の気持ちを分かろうとする心があれば、
あんな毒親にはなっていないだろうから。
だからこそ、毒親と言えるのですから。
あの毒母親は、最後の最後まで、鬼でした。
いや、最後に本性が出たと思いました。
中略
ここまで、報告文を書いてきましたが、
こうして、崩残さんに報告させて頂くことによっても、
随分と気持ちが整理でき、落ち着いてきました。
これで、親との物理的な縁は切れたので、
これからは、私の心の中の問題。
心の中の毒親の幻影を消し去る事。
AC人格を消し去る事に専念していきます。
まずは、まだ、私の中に、解放されていない感情があると感じるので、
その感情の掘り起しをやっていきます。
最後になりましたが、年賀状ありがとうございました。
1月8日(金)に届きました。
義理のものが多い中で、このような心が感じられる。
「崩残さんが、私に関心を向けて下さっている」と感じられ、
とても、とても嬉しかったです。
いつの桜の間の記事か忘れましたが、
次のような内容だったと思うのですが、崩残さんの言葉がありました。
「自分の中の全ての感情を観続けること。
それによって、軸というものが出来上がってくる」
このような意味の内容だったと思います。
「原軸」
とても素敵な言葉です。大切にしていきたいです。
以上で、今回の報告を終わりたいと思います。
基幹房
*********
●毒親との、電話のやりとりの内容は、割愛しました。
それは、それぞれの個人に固有のやり方というものがあり、
模倣すればいいというものではないからです。
「あー、基幹房さんは、あれで毒親と縁切りが出来たんだ」
などということは、他の人には、参考には出来ないからです。
だから、具体的なやりとりの部分はここの公開の編集から外しました。
本当の意味で、毒親の資産や、毒親の不動産などから自由になり、
かつ、連絡も絶つというところまで出来る人は、
そういうことすら、他人から言われないと気づけない人に比べると、
自我も正常になってゆくものです。
*********
●次は、本当に辛かっただろうと私が痛感せざるを得ない方の一人です。
崩残様
**です。
今回は主に父のことについて掘ってみました。
ご報告させていただきます。
父のことを掘ろうと始めたわけではなく、
「親にされたこと」をテーマに始めたのですが、
結果、父の所に今回の掘削点がありました。
これは毎度のことですが、取りかかってみないとわかりません。
父は、私がもの心付くころには単身赴任で東京にいたので、
あまり付き合いがありませんでした。
小さいころは週末に帰ってきて、お土産を持ってきてくれたり、
自分の背中に乗せて「お馬さん」をやってくれたりしました。
私が小4頃に父は自分の家を建てました。
父は長男でしたが、家長の祖父との間に諍いが絶えなかったようです。
父が建てた家も、「長男の家」ということで、祖父が土地を提供し、
自分の山から建材を調達したそうです。
父はそんな祖父の「家長」の存在に反発していましたが、
祖父の実力には敵わず、東京でウロウロしていたようです。
この辺は周囲からの話をまとめた推測です。
父の家ができて、私たちは引っ越しました。
父は相変わらず東京なので、
広い新築の家に私たち3人姉妹と、母の女ばかりの4人でした。
周りには桑畑が広がって、家も少なく、裏は墓地で、
風の強い夜は怖くて寂しくて、胸が塞ぐ思いでした。
母に寂しいと訴えても、はかばかしい反応はなく、
早く寝てしまおうと我慢していました。
そう、母に自分の気持ちを伝えても、応えてもらったためしがありません。
いつも、あいまいな表情と返事ともつかない応答があるだけでした。
その頃から父母の間には何か不穏な感じがありました。
朝食の食卓で何か言い争いになり、父が母に小鉢を投げました。
私は「やめてよ!」と怒りました。
母は、ここでも黙ってました。
母が出て行って、父は完全にただの暴れん坊になりました。
母がいなくなって、私たちは再び祖父母の家に暮らしました。
父は東京で仕事をし、週末には待つ人のない自宅に戻って、
酒を飲んでは暴れていました。
その矛先はたいてい祖父や叔父へのやっかみや逆恨みでした。
ある日、私たちが親戚の家のお祭りに呼ばれて出かけ、
夜になって戻ったら、家の中がめちゃくちゃに荒らされていました。
父の仕業でした。
叔父は怒って「警察を呼ぶ!」と怒鳴り、
祖母はそれを止めていました。
私は呆然と硬直していました。
悲しかった。
私の居場所を破壊したのは父で、
自分はそんなことをする人の子供で、
自分の居場所がなくなってしまうことの悲しみと怖さ
自分はここにいてはいけないという宣告
泣くこともできず、その場を離れて外に出ました。
両親は二人して私の居場所を、生存の基盤を壊しまくってくれました。
部屋に戻って自分の机の引き出しを開けたら、
私の絵具箱がぐちゃぐちゃになっていて、
黒の絵具がつぶれてました。
父がそれで壁に「怨」の字を落書きしていたのです。
自分の大事な道具がそんなことに使われたのを知って大ショックでした。
悲しかった。突き落とされたような気がしました。
でも、誰にも言わなかった。
祖母にも、妹にも。まして父には。
普段、父のことが話題になることは全くありませんでした。
まるでそんな人はいないかのようでした。
誰も父とのことを解決しようとしませんでした。
私にとって父は、
完全に生活基盤を破壊するゴジラになっていました。
父が東京から戻ると、私たちは「父の家」に行きました。
行きたくなかった。怖かったから。
でも、行かないとまたこっちで暴れると思ったから、
仕方なしに行った。
父がいつ暴れるかと、内心ビクビクだった。
小学校を卒業して東京で父と暮らすことになった。
なぜそういうことになったのか、経緯は知らされなかった。
行きたくなかった。
祖父母たちと住み慣れた場所に暮らしたかった。
でも、ここに自分がいると、父は暴れるのだろうと思った。
自分の場所が破壊されるのを目の当たりにするよりは、
父と暮らせばそれを観ずに済むと思った。
祖父母への遠慮とか、犠牲ではなく、
自分の居場所を父親に破壊されることに耐えられなかった。
12歳の夏。私の心はへとへとになっていた。
母への怒りと絶望。
父への恐怖、
夏草の中に寝転んで、ひとりぼっちだった。
東京での生活は辛かった。
自分がどこにいるのか、
どこに何があるのか、
わかることはあまりに少なく、不安ばかりで、
毎日毎日、しんどかった。
中学の入学式で、行きは父が一緒だったが、帰りは一人で、
帰り道がわからず迷子になった。
東京に来て数日の子供を一人で帰らせるなんて、
今思えばひどい話だ。
父からは1日1000円の食費をもらうだけで、
何も教えられなかった。
学校の道、買い物の場所、生活のあらゆる場面。
私は一人で解決するしかなかった。
誰にも相談しなかった。
誰かに相談する、ということが思いつかなかった。
家では「相談する」という場面をみたことがなかったから。
不安しかなかった。
でも、それを感じないように、そんな暇もなく、
日々の暮らしの用事をこなすのが精いっぱいだった。
なんだか、すっかり苦労人のおばさんみたいになってた。
ここまで書いてきて、
私の両親は、私の生存の基盤を破壊することしかしてなかった、
そう結論が出てしまいました。
母は、精神的なネグレクト、
父は酒乱で。
そんな二人を親として過ごさなくてはならなかったこと、
私には「安心」「安全」は皆無だったのです。
「他者への信頼」なんて無理です。育つはずなし。
不安だろうが、困ろうが、誰かに相談するなんて無理。
いっそぐれて、せめて父に反発してたらまだましでした。
それもできずに、せっせと「しっかり者の長女」をやってました。
自分たちは好き勝手に暴れて、子供の生存基盤をぶっ壊しつつ、
その後始末をつけるように子供(私)を「長女」に仕込んでいった。
自分は守られたことがない、という事実は悲しくて、辛くて、
心の中に荒野が広がっていたのを観ないようにしていました。
私はずっと荒野で独りぼっちでした。
それに慣れようとすることしかできなかった。
自分は「長女」と言い聞かせて、不安も悲しみも恐怖も
ドアの外に押しやってしまった。
荒野に棄ててしまった。
それを感じる「私」も一緒に荒野に棄ててしまった。
今日はここまでにします。
読んでいただいて、ありがとうございました。
まだまだ終わりそうもないですね。
まだ、名前は思いつきません。
浮かび上がるのを待ちます。
*********
*********
*********
崩残様
中略
時間の移動をしようとすると、
脳の中心に圧力がかかり、中心の技法と
同じ現象が起こることも、今回、わかりました。
今も、じんじんしていますが、
中心って、つまり、大人の私が死ぬ場ですね。
調子に乗る、流れに乗る、というのは、
予想外に、それは、「逆流」でした。
過去へ過去へと流れていきます。
だからかな、と思います。
つんのめった意識が、眼球の後ろへと下がり、
肩の力が、少し、楽になったのは。
ふと、油断しちゃいけない、とか思うのですが、
この「油断しちゃいけない」というの自体が、
「もっとつんのめんなきゃ」という今までの考え方に
癖で手を伸ばしてしまうことになります。
今は、この逆流に乗って、ここで今日のように
行動を起こし、ACのソフトを使わない一日を
過ごす習慣を身につけていこうと思います。
習慣を書き換えていくという
壮大なチャレンジが、始まろうとしています。
こう今感じると、
40年を無駄にしてしまったかもしれませんが、
生まれてきてよかったなあ、と本当に思います。
たとえ、わずかでも、そういう生を生きられたら、
そしてそれが、鮮烈な情熱を持って生き尽くすのなら、
私は、生まれてきてよかった。
それと、死ねないから生きているのとは、
雲泥の差、どころか、もうそれは、
同じ人間の生とは思えないものです。
私は、死んだら、絶対に言いたいと思います。
生まれてきて、本当によかった、って。
昨日今日のことは、
メールで報告にしようかどうしようかと思ったのですが、
あれだけブログを続けて書いていたので、
なんか、書きたくなっちゃいました。
メールのほうが、今は、楽に書けそうだったのですが、
ならばいっそうのこと、ブログ、書こうって思ったんです。
あび
*********
●その、あびさんのメールから、特に重要と感じた箇所を
以下に抜粋しました。
この言葉が、今響く人は、
十記丸さん、と、基幹房さん、と、朱いはがねさん、だと私は思っています。
その他の方は、たとえ自我率がどうであっても、
この言葉は、
「ただの、お題目」に留まると思います。
あるいは、「他者との比較」をしたがる
AC人格の目にさらされるだけに終わる可能性が高いです。
「自分だって、それを実感できるように、なりたい!」
というAC人格です。
これでは、ぜんぜん自我復元になっていないのです。
また「自分には自分のやり方があるんだ」と言い聞かせながらも、
横目で他者の飛躍を羨む、
これも違います。
まったく自我復元とは、違います。
ただのAC人格です。
こうなる理由は、
まだAC人格の原因を、掘りきれていないからです。
また、危機感の実感が「まだ」ないからです。
そして、何よりも、
「自然発生する強烈さ」に至れない、段階だからです。
******** ********* **********
AC人格の企てとは狡猾なもので、
ありとあらゆる「価値観」に便乗しようとしてくる。
*********
なんとか踏ん張ろう、踏ん張ろうの毎日で、
先ほどの重要記事「自我復元における真の八正道」がアップされ、
私は、「今ここ」にいる姿勢をやめることにした。
厳密にいえば、今ここには、いつもいるけれど、
私はそのポイント自体を、
そのまま「過去」へスライドさせていくようにした。
意志し、意識で「戻す」ようにしていった。
*********
昨年末もそうだし、一気に掘って掘りまくったのは、
「感情へのトンネル」を貫通させるためなのだ。
あくまで、まだ「トンネルで道を作る」段階だが、
じゃあ、次は、当然、その道を行け、ということになる。
そこが私は、見えなかった。
なぜなら、「未来」を向いていたからだ。
なぜ未来を向いていたか、といえば、
妄想のありかが「未来」だったからだ。
当然だ。
「こうすると、どうなるんだろう」が「妄想」だからだ。
*********
私という思考パターンは、どうしても「理解しよう」としてしまう。
納得したい、というやつだ。
大人の私はもう意味がない、だって・・・
このだって「・・・」
を確かめたいというわかりにくい反射があり、
そこに、私は、この自我復元で初めて「生きた」経験(すら)も、
武器にしようとしてしまう。
*********
でも、これは、簡単ではなかったと思う。
本当に長い道のりだった、と。
この接続を真に切る、という決意は、
この大人の私は「もう、どれもが使い物にならない」というほど、
めった打ちにされ、最後の一息もさせない殺し方が必要だったからだ。
大人の私に、さようなら、と書いたりしたが、
そんな綺麗に聞こえるような要素は何一つない。
冷酷なまでに「断たれる」だけだ。
*********
私は、いい服を買いにきているんじゃないのだ、と。
似合う服を買いにきているのでもない、と。
服が服を選んでいることを理解したのは、その時だった。
私が、おしゃれを感じて、ジャッジして、
「これがいい」と判断していたのでなく、
これがいい、と思ったのを手にし、身に着けてみると、
「あ、おしゃれ!」と、私が思った、
というのが、
「それ以外の買い物」で起きていたことだったのだ。
*********
(自我復元をしてゆけば)、
私は、もっと何かできるようになったりするんだろう、と思っていた。
また、そうでないければダメだと思っていた。
でも、今、こう理解している。
まず、その大人子供というACから
「抜け出す」ことが最初なのだ、と。
抜けたら、はい、こんなすごいことできます、
なんて何もなかったのだ。
あったのは、「大人の私でない私」だけ。
でも、それが、ずっと置いてきてしまった
「私」だったのだ。
「感情の塊」
その私。
その私に「今の私」が重なるように「戻る」、
これを、今年に入って、
振り返るとそれはきわどく結構しんどい時はあったが、
それでも、やはり、「もう、使えない」と痛感し続け、
今年もそれをし続け、
行きつくのは、「もう、やっぱり、使えない」なのだ。
*********
感情の原石。
私は、これを手にした、とか思わない。
というか、ぜんぜん、思っていないし、
手にしていない。
私が今、取り戻しつつあるのは、
その「手」のほうなのだ。
原石、宝石を受け取れる手。
*********
●この最後の言葉・・・・
絶賛に値する表現です。
あびさん以外には、
この世界で、他の誰も、真似の出来ない「生きている言葉」です。
生きている言葉とは、こうでなくてはならない。
これは、もう、ほとんどTAOであり、禅の本質にすら近い、
この言葉をあびさんが、発しているのは、
別に、悟りがどうこういう問題ではまったくない。
そうではなくて、まるで「修行僧」だ。
私が、常日頃から、正しく定義するところの、「本物の探求者」。
エセ修行者でもなく、エセ精神世界マニアでもなく、
これでこそ、自我を生き切ることが出てくる、そういう全自我。
全自我とは、
強烈な、探求者そのもの、のことなのである。
●そして、一人の、生きる気力や、行くべき道を見失ったまま、
何十年も、ただ生を、ひきずっていただけの人間が、
本当の意味で、変わる、または、あるべき所へと戻る、
というのは、どういう事なのか。
それは、その「本質」においては、
自我復元における、原主体の在り方も、同じことなのです。
どういう意味において「同じ」かといえば、それは、
その道が、「死」であるというです。
結果として、
過去にしがみついていたものが、失われ続けることです。
「自我復元」における「死」は、AC人格の「死」です。
無明庵の扉の鍵は、常に「死」であるということを、
忘れていた人が多すぎるのです。
だから、
十記丸さん、
基幹房さん、
朱いはがねさん、
少なくとも、あなたたち3人は、
あの言葉を「噛み締め」、
あの言葉を「飲み込み」、
あの言葉を「身体の中へと消化して」
その向こう側へと、飛んでください。
●こう書くと、多くの人たちは、
私が何かの「ひいき」をしていると思いたがるものです。
しかし、実際に、私はひいきをしています。
なぜならば、この3者と、他の人たちには、違いがあるからです。
その違いとは、
その他のたくさんの人たちの持つ「潜在的なポテンシャル」、
については、考慮しないとした場合、
この3人は、「引き戻れない地点」にだけは踏み込んだからです。
「引き戻れる地点」とは、自分の手を緩めることが出来たり、
自我復元というものを、諦めることが出来たり、
まー、前よりマシだからいいや、と出来たり、
そうした、後ずさり、妥協が出来る状態を言います。
その点では、未知数の部分が多々ありますが、
この3人は、戻ることは無理です。
断崖絶壁に手をかけていて、自分でも、もう後退が出来ません。
自分で様子見しながら、まだ後退の余地がある、
それが他の人たちです。
それが良いか悪いかではなく、
現状でそういうことになっている、というだけのことです。
前にも書いたように、
誰一人として、トラウマ掘りや、AC人格との格闘は、
無駄になるものは、一つもありません。
しかし、そこで「止まってしまう」ことは、あります。
3人は、止まることが不可能な斜面にいるということです。
必死に食らいついていなければ、
落下するような、垂直の岩場にいるということです。
だから、まず、強烈にやってきた、この3人は、
「原石はどこなんだ?、
原主体は、まだ出ないのか?、
子供の自分は、この自分か?
どこまで出来れば、いいんだ。
どこまで、あんな経験を自分も感じらるようになったら、
自分は、全自我になれているのか?」
ではなくて、
こんな、
あいかわらず、AC人格丸出しで生きている状態ではなくて、
あびさんが発した、
もう一つの格言を思い出してください。
*********
今、実感する。
自我復元は、毒親を知ることから始まり、
毒親を知ることの連続の末、毒親を知ることで終わる。
これ以外、あってはならない。
なぜなら、私がここで何をしてきたのか、
そして何を完了させようと治療を続けてきたのかというと、
「解毒」
これ以上でも、これ以下でも、これ以外でもない。
*********
そして、この今回の
あまりにも崇高な 真実それ自体から、あふれ落ちた 真実の言葉・・・。
『 私が 今 取り戻しつつあるのは
その「手」のほうなのだ 』
_________
★
.
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