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★分割自我復元★その582●『非二元・アドヴァイタ・ノンデュアリティー』にうんざりした人々へ●
by:
鈴木崩残
2016/02/23(Tue)11:53:59
「不二・非二元」つまり、
「ネオ・アドヴァイタ」「ノン・デュアリティー」の領域に
煮え切らない不足感を感じた人達へ
あくまでも「ざっくり」とですが、解説しておきます。
ちゃんと最後の「6」まで聴かないと、全体像が理解できませんよ。
その1.
https://youtu.be/31614bihP2Q
その2.
https://youtu.be/eJuohLmBdMs
その3.
https://youtu.be/oQR4M1f2vMI
その4.
https://youtu.be/GL7gbWj8Xpw
その5.
https://youtu.be/6L5nufMO430
その6.
https://youtu.be/UGKHM1FAGQE
*************************************
さて、そのプンジャジの朗読版があったので、聴いてみました。
1.5倍速に設定しても、それでもまだ、まだるっこかったので
Youtubeの設定メニューで、2倍速で聞きました。
↓
16
https://www.youtube.com/watch?v=U1RDwKojjx0
25
https://www.youtube.com/watch?v=9ZilzsNr1I4
28
https://www.youtube.com/watch?v=wpag9TmHvnE
33
https://www.youtube.com/watch?v=IKb99XDfm7c
************************************
「何が問題なのか?」のCDで私が紹介した、男性の場合には、
私は聞き耳を立てて、3分か5分で「よっしゃ!OK」となりましたが、
リンクしたこの動画は、5分で「あかん・・・」となりました。
むろん、これは、私のごくごく個人的な見解です。
ざっとでですが、私、崩残のコメントを以下に記しておきます。
はっきり言って、
もしも、和尚(バグワン)が1991年に生きていたら、
きっと、こう言ったと思いますよ・・・・・それも、講話の中で。
「・・・それで、最近、聞いた話なんだが、、、
プンジャジという、ラマナの弟子がいるらしい。
で、私のサニヤシンの一人が、そのプンジャジの所へ瞑想に行って帰っきた。
そう。ラマナとは、あのハートの人、ラマナだ。
ラマナのところへ行ったら、あなたは首をチョン切られるだろう、
そう、私は、あなたたちに言ったはずだよ。
ところが、どうしたことか、その私のサニヤシンは、
頭(マインド)をつけたまま、このアシュラムに戻ってきた。
そこで私は彼に尋ねた。
”頭をつけたまま、ここへ帰って来たのは、
君自身のせいかね?、それとも、プンジャジのせいかね?”
すると彼(サニヤシン)は言った。
”あんたのせいさ!、 このクソじじいめ!”
Goodだ」
******************
さて、まじめに行きます。
前述のプンジャジが言っていたことへの突っ込みというか、
無明庵の「視点」との違いです。
*********
●最も最初に起きる想念は「私」ではない。
人間に生ずる最初の思念は、「私」ではなく、
私という意識が、そこに全くなくとも、
そこで起きるのは、「意識のベクトル(フォーカスの方向)」である、
これが「関心地図」で経験されることである。
この点で、無明庵では視点がまったく違う。
●次に、観るのは、「想念と想念の隙間」などではなく、
「意識の隙間」であるということ。
この点でも、無明庵では、まったく違う。
●「私」という、ただ、それだけの中には苦はないが、
「私は〜」「私が〜」で苦が生ずると、彼は語っているが、
「私」など存在し得ないほどの、
まさに我を忘じるほどの激痛だけがそこにある状態を、
我々はそれを「苦」と呼ぶのである。
「苦」は「私」の消滅によっても「私の」の消滅によっても滅しない。
「苦」は「私」の自覚とは全く関係なく「痛感信号」として在る。
ということで、この、どうしようもない講話を2倍速で、それでもなお、
「我慢」をして私は聞き通したが、私に言えるのは、次のこと。
私からのメッセージは、
本物の師は、
その意味があなたに、分かろうが、
分かるまいが、
あなたが、どんなにそれを否定しようが、
もしもその師に、あなたへの愛があるならば、
あなたに、決定的で、
かつ普遍的で、
かつ、最も最短で到達できる道を言う。
それは、
「 死 ね 」
のみ。
もう少し、優しい言葉に置き換えるならば、
「滅びるのに、身を委ねなさい」
_____________________________
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