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★分割自我復元★その616【高齢者は無理に禁煙すべきでない】●
by:
鈴木崩残
2016/07/04(Mon)07:13:17
>7/10-追記 文中に、私の場合には、ニコチンパッチが使えない理由を追記しました。
高齢者は、むやみには、
禁煙すべきではないと思う(私見)
この最大の理由は、もしも60歳で禁煙をする人がいたとすると、
人生の残りの時間の約10年から20年を、
禁煙をした場合には、相当に弱った状態で過ごすことになり、
場合によっては、記憶障害(ボケ)などがひどくなる可能性があるからです。
高齢になると別の病気の検査の結果によって、
禁煙をするように医師から薦められる結果となったり、
または呼吸器系に異常を感じて自主的に禁煙する人も多いでしょう。
しかしちょっと待って欲しいと私は思います。
喫煙をしていた、それまでの人生のクオリティーを落とさないで、
そのまま死まで行くか、
それとも、少しばかり健康にはなったが、
その代償として、魂が抜けて、あらゆるものへの関心と意欲が枯渇したようになって、
疲弊して死んでゆくか、
この二つの道の分かれ目になることもあるからです。
喫煙年数によっては禁煙しないほうがいい理由。
多くの禁煙成功者は回復していないかもしれない。
高齢者でなくても、喫煙年数が20年を超える場合には難しい問題があります。
喫煙本数や、普段の「吸い込み方」にもよるので、一概に20年とは言えませんが。
ここで多くの人が勘違いをしている点をまず指摘しておきます。
禁煙に成功した人たちは、たくさんいます。
しかし、その人たちのいう禁煙に成功した、というのは、
1/初期の禁断症状を克服した
2/中期の禁煙鬱がなくなった
3/禁煙から数年後になっても、心理的な喫煙への憧憬が完全に消えた
これがだいたい「禁煙に成功した」とする目安です。
あとは、むろん、基礎体力が若いころのように回復したとか、
部屋や服が無臭で清潔になった、歯がきれいになった、などもあります。
ところがひとつだけ、
その人の喫煙時代と同じ質に、回復しないものがあります。
それが、創作性、あるいは、勢いや、切れ味です。
ただし、もともとから、鬱の傾向があったり、
もともと薬物中毒だったような人たちは、参考にならないので、
この考察からは完全に除外します。
そうではなく、もともと、鬱の傾向など微塵もなく、
心身ともにピンピンしていた、そういう人たちが、禁煙したとたんに、
数ヶ月してから発症する禁煙鬱を私は調べようとしてきました。
喫煙時に、どのような日常生活や、仕事や作業をしていたのかによって、
禁煙鬱を強く自覚できる人と、そうでない人の差があります。
ガテン系の仕事をしていた人は、禁煙後のほうが体力は増した気がすると思います。
しかし創作系の仕事(作曲、文筆、絵画その他)をしていた人は、
おそろしくクオリティーが下がったことに、愕然とするはずです。
禁煙鬱の自覚をできなかった人というのは、喫煙年数が10年未満か、
もしくは、頭や感性や明晰な意識を使う仕事をしていなかったのではないかと、
私は考えています。
(ここは確信はないので違うかもしれません)
常に研ぎ澄ましたような作業を喫煙時にしていた場合には、
禁煙後に、そのレベルの意識濃度を復帰させることはほぼ不可能です。
禁煙して1年した段階では、その禁煙者の人生のクオリティーが、
喫煙時と同じにまで回復するとは私には思えません。
よく言われているような方法で、年数をかけて、
ランニングや有酸素運動などをしつつ、ゆっくりと回復するとしたら、
喫煙時よりも低いクオリティーとして回復するか、もしくは、
喫煙時とは「違う、別の性質のクオリティー」を新たに手にいれることで、
回復をしたのだと思います。
私はずっと以前から、気になっていたことがあります。
それは、喫煙者だった音楽家やアーティストや物書きが煙草をやめると、
とたんにそのクオリティーが落ちてしまい、
その後も、それは戻らない、という感じなのです。
むろん、もともとから非喫煙者では、そういうことはおきません。
そして、同じ、その「棘のなさ」は、禁煙成功者の人たちの文章にもよく出ています。
むろん卓越した文を書くひとも稀にいるので、「全員ではない」のですが、
禁煙成功者のかなりの割合の人たちの、その文書が非常に生気に乏しいのです。
かくいう私も禁煙4ヶ月をすぎているので、
こうやって、極度に生気に乏しい駄文を書いていると思います。
禁煙に成功して数年が過ぎても
なぜ人生のクオリティーが落ちたままなのか?
私の考察によれば、それは、喫煙による中毒が、
並外れて「異常すぎるものであった」ことが原因です。
その並外れて異常すぎた中毒性のある薬物が、
(喫煙天国当時の)社会に、まったく害悪を及ぼさなかったどころか、
その時代の経済活動すらも支えていたことです。
ここでいう喫煙とは、「肺喫煙」のことに、かぎります。
たとえば煙草が切れたらば、肺喫煙者の喫煙者のほとんどがイライラしますが、
喫煙している最中に、暴れたり幻覚をみたり、へべれけ、になる人などいません。
むしろ、喫煙者は「喫煙しながら仕事や、創作活動をしてきた」わけですから、
昔は、会議室も、作業場も、どこもかしこも喫煙可能でした。
この点がまず、喫煙というものが、アルコールや他の薬物とは、
社会的にも生理的にも異なっている点です。
喫煙中には、喫煙者は、社会的な問題や事故を何も引き起こしません。
よって、1980年代までは、誰も禁止せず、
さらには、もしもタバコがなくなれば、いつでも、どこでも安価で簡単に買えたために、
禁断症状への警戒が非常に薄いものでした。
しかし、何よりもタバコの「異常性」が明確なのは、その喫煙頻度です。
喫煙者だった私ですら、今思うと「異常すぎます」。
約1時間に一本という、通常のレベルの喫煙量だったとしても、
「一時間に一度、かならず摂取したくなるもの」など他にありません。
コーヒーや紅茶を1時間以上我慢できないなどということはありませんし、
お酒ですら、そんなことはありません。
朝から、酒を飲んで、昼休みに酒を飲んで、夕方にも酒を飲まないと仕事が出来ない、
などという人がいるはずもなく、そんなことをしたら逆に仕事ができなくなります。
水ですら、一時間に一度飲まないとイライラすること、など決してありません。
また、タバコ以外の薬物であってさえも、1時間おきに補充しないと
禁断症状が出るものなどない、のではないかと私は思います。
しかし「肺喫煙」によって数秒(7〜8秒と言われる)で脳に到達し、
半減時間の30分後から1時間にかけて禁断症状が現れる、
いわゆる「ニコチンスパイク」と言われる禁断症状が出る、
その代謝時間の短さは「異常」です。
この半減時間や、代謝時間の異常な短さが何をもたらしたかといえば、それは、
毎日、毎日、休みなく、
毎日、何年も、何十年も、一日と休むこともなく、
毎日、毎日、約1時間おきに一本(実際には、もっと短い周期で)、
絶えずニコチンを、肺から摂取しつづける結果となったことです。
たとえば、私は最初にバイト先に就職したときには、すでに喫煙者でしたので、
前述したように、ニコチンを摂取しながら、仕事を覚え、
ニコチンを摂取しながら徹夜の激務などに耐え、
睡眠時以外(あとは映画館で映画を見るとき以外)は、
約一時間毎に、ニコチンを、肺喫煙により取り込み、
そのことによって、脳内物質の分泌のバランスを維持し、
その中で物事を経験し、恋愛をしたり、学習したり、創作をしたりしました。
つまり、よくいわれるように、喫煙者は、睡眠を除く、すべての人生経験を通じて、
そこには常に、肺喫煙によるニコチンの取り込みがあったわけです。
それは嗜好品とか、個人の好みで吸っているものであるとかではなく、
公認されていた麻薬という意味では、
戦後復興を支えたとも言われるヒロポンに類似するかもしれません。
(私はヒロポンは知らない世代ですが)
もしかしたら、戦後のヒロポンが禁止されたあとに、
困ったヒロポン中毒者のための「ソフト・ヒロポンのような役割」を、
フィルター付のタバコを肺喫煙するという行為が、
補っていたの「かも」しれません。
ここで、何度もいいますが、
喫煙者が非喫煙者よりも何かのスキルやクオリティーが高いということではありません。
非喫煙者が一日に40本喫煙したからといって、
いきなり傑作や、大作が書けたりするわけではないからです。
別にニコチンそれ自体には、創作力などありません。
ただし、人生の重要な学習時期、経験時期を、私のように、
不運にも、肺喫煙の社会習慣とともにすごした人たちは、
喫煙は、人生のクオリティーを維持するのにはなくてはならない
それこそ「空気のようなもの」になっているということです。
空気「のような」ものではなく、
創作性やモチベーション維持のための空気(=必需品)そのものとすら言えます。
また、以前に指摘したように、喫煙によると、ニコチンが、
アセチルコリン受容体に結合する速度が、並外れて高速であるために、
喫煙という手軽な外的行為によると、他から求められたときにも、
瞬時にやる気を出したり、逆にリラックスに切り替えたりを出来る利点、
つまり私が言うところの「高速で切り替えられる二コチンスイッチ」の効能は、
かなりあると推測しています。
むろん、そうやってニコチン依存症になった脳も、
禁煙から年数がたてば回復する機能もあるでしょうが、
いかんせん、昭和の喫煙世代は、その喫煙期間が長すぎて、喫煙頻度が多すぎるのです。
毎日必ずお酒を飲むという人ですら、
その人が飲むのは仕事が終わって夜になってからか、または休日です。
しかしタバコは、かつての昭和の時代では、
仕事中に吸い、吸いながら仕事をこなし、
仕事の合間の一服として吸い、
睡眠時以外は、一日のすべての時間帯で喫煙がされていた社会状況でした。
その常習性、摂取量は、摂取時間の間隔の短さは、
他のいかなる食物や薬物と比べても「桁違い」だったのです。
***************************
そのニコチンの脳への供給が、
あるときから、突然に、あるいは緩慢にであっても、絶たれた場合には、
いくら「非喫煙こそが、元の自然で正常な脳の状態である」といっても、
その禁煙が、喫煙で心身のバランスをとっていた元喫煙者に与える、
意識障害や、脳の異常は、町医者の持っているような軽い見解とは
大きく異なると私は感じています。
特に、脳内物質が枯渇した結果、自律神経系が狂えば、
喫煙中には出なかった症状が出る可能性が大です。
(ただし脳神経の専門医、研究家だと見解はかなり違うはずです)
たとえば、これなどは非常に興味深い研究内容です。
↓
http://www.srf.or.jp/histoly/frames/history-frame.html
*********
禁煙による元喫煙者の意識や作業能力のクオリティーの低下は、
数ヶ月や数年で終わるものではなく、それは回復は基本的に不可能なのではないか?・・・
だから、多くの禁煙者(元喫煙者)は、喫煙時とは別の形として
「再構成」が必要となり、それを行ったと思われます。
(「喫煙時のパワフルさや、バイタリティーは戻らなかった」という人もいます)
禁煙者は、脳の回復までに、そうした時間と手間がかかること、
またその期間は、下手をすると、仕事も出来ない期間になることなど、
こうしたリスクは、社会的にも、ほとんど無視されていると思います。
「吸わなくすんだ。
もう喫煙者の中にいても、すっかり、吸いたくなくなった。
禁煙鬱も、だいぶなくなって、
体力は喫煙時より見違えるように良くなった。」
だから「禁煙できて、おめでとう」「禁煙1周年おめでとう」
それで済む問題ではない、のではないかと私個人は考えています。
長期間にわたった喫煙者にとっての禁煙とは、すこし誇張して表現すると、
「もともと、淡水魚だった魚が、あるときから海水魚にされ、
その後、海水は体に悪いからと、淡水魚に戻されようとした」
とか、あるいは、
「ニコチンという肥料によってずっと育ってきて、それに適合した作物なのに
あるときから、いきなり、この肥料は毒だといわれて肥料を抜かれた」
とも例えることができます。
しかも、税収、経済や政治、医療などの利権までからんでいるので、
タバコの問題というのは、相当に面倒で、根が深い問題であるわけですが、
そうした問題をすべて脇においておいて、
昭和の時代の中を生きてきた「喫煙者のおかれた身体の状態だけ」を考えると、
まず、50歳以上の高齢者は禁煙は、よく考えてからがよいと思います。
また喫煙年数が20年を超える人も、
むやみに禁煙しないほうがいいと私個人は思います。
ただしそれは、喫煙中の20年間に、
密度のある人生経験や、何かの功績を自分で自覚している人の場合です。
喫煙をしていた期間が、もともとの鬱だったり、ひきこもりとかであったならば、
たいした意味もなく、たいした害もないのですが、
人生の重要な時期である、20代、30代、40代、この数十年間を、
喫煙とともに、刺激的に、強く生きてきた人たちは、
単なる健康問題や、
単なる社会環境変化の問題や、
単なる節約問題で、
禁煙にうかつ取り掛かるのは、少し待ったほうがいいと私個人は思います。
取り組むならば、仕事に影響しない期間を計画するなど。
また「紙巻煙草」の「依存性」はニコチンだけではなく「人工の添加物」にある、
という見解もよく知られていますので、
喫煙を継続したい人で、添加物の毒性が気になる人は、
「合成添加物が無添加の煙草」に変えるといいです。
現在、非喫煙者は無論、今後もそのままがいい
むろん現在、非喫煙者で、ニコチンに中毒していない人、
この人たちは、いくらタールや副流煙がないからといっても、
電子タバコにも手を出さず、そのまま非喫煙のままでいるのが理想的ですし、
また、肺喫煙によらず、中毒もほとんどない、パイプや葉巻の愛好家の人は、
むろんそのまま喫煙をつづけていいと思います。
問題は、長年、毎日、異常すぎる頻度と量のニコチンを、
肺喫煙から摂取してしまった、私のような人たちです。
ニコチンパッチによる調整が難しい理由
確かに、ニコチンパッチは、有害な煙は吸わないままで、
なおかつ「ニコチン依存を許諾して、そのまま中毒を継続」して、
人生のクオリティーを大きくは落とさないで済む手のひとつなのですが、
ニコチンパッチは、皮膚からはずしてからも、
24時間から48時間も、血中にニコチンが残留してしまうので、
この点が「睡眠時には摂取をしていない喫煙」とは異なります。
つまり、「肺喫煙」の経路によるよりも、より慢性的に「継続的に」、
ニコチンを血中に入れることによって、
>睡眠障害、その他の弊害が起きる可能性を否めません。
さらには、ニコチンによる「末梢血管の収縮作用」は、
「肺喫煙」の場合には、急激に血管が収縮するかわりに、
20分ほど喫煙しないことで、その血管は元の太さへと戻るはずです。
しかしながら、ニコチンパッチによる血管の収縮は、
ゆっくり起きるかわりに「血管が戻るのもゆっくり」していると「仮定」すると、
これは、確実に「血圧」が上昇します。
>高血圧の場合にはニコチンパッチは毎日は使えません。
この人の場合には、普通はかなりの低血圧なのに、
パッチによって、恐ろしいほど血圧が上昇したようです。
↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ns_ryoko/23377593.html
ニコチンパッチは、本来は
「禁煙初期の禁断症状」を緩和するために、期間限定で使うものですが、
私の場合には、入院ついでに、全く我慢を一切せずに、禁煙してしまい、
その後、意識の濃度が異常に薄くなってから「異変」に気づき、
それを元に戻すために、パッチはどのぐらい有効に使えるか、
それとも、気長に自然回復を待ったほうがいいのか、という問題に興味があります。
しかし、パッチを貼ると、長時間にわたって、
「高血圧」になる副作用と、「睡眠障害」の可能性は相当に高くて、
すでにこのどちらの症状も私には出ているので、
パッチでニコチンを補充し続ける道も閉ざされようとしています。
この人も、「禁煙後に高血圧になった」ようで、
上下の数値が私の平均値と似ています。典型的な早朝高血圧というらしいです。
↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=11836&id=12907282
私の現在の血圧(退院後)は、平時でさえも、
「上 160〜170 下 100〜120」と、明確に高血圧重症に近い部類に
属するのであるのが、
ニコチンパッチを貼ると、これがさらに、
「上が180〜190、下が120〜130」といった、超危険域の高血圧という、
とんでもない値に跳ね上がることがあるので、
私の場合には、パッチを下手な(血圧時の)タイミングで使うと、
自殺行為に近いかと思った。
ニコチン切れによる症状
これを私なりの表現で描写しますと、それは、
「動画の画像のコマ落ち」に類似しています。
たとえば、1秒に30フレームの動画が、
1秒に1コマになったら、動画がカクカクします。
実際には、ニコチン切れによる意識の「空白」、意識の途切れ方は、
もっと頻繁でした。
たとえば、1分をしっかり1分として感じるのがデフォルトだとすると
禁煙鬱による「脳機能低下」の状態では、
1分のうち、8割がぼーっとしていて、意識が飛んでいます。
こうなると「まるで、生きてもいないような感覚」になるのは当然ですので、
もしも、ある人の鬱病が、
心理的ショック、過労、燃え尽き症候群、あるいは禁煙によるもの、
このいずれであっても、
もしもそれが脳内物質の分泌の異常に起因している場合には、
この極度な「ぼーっとして、生きすらていない感」と、
それによる「コミュニケーション障害」「学習障害」「記憶障害」
「厭世志向」「無力感」「喪失感」は、計り知れないと思います。
私個人は、そうした脳内ホルモンのバランス異常に起因する、
鬱に似た、または鬱的状態の根本原因は、
まず最初に、
1/集中力がなくなるために、
2/知覚の質が極度に鈍り、
3/今、見聞きしている世界を、現実として検出できないレベルにまで
意識の密度(濃度/または圧力)落ちてしまうことだと推測しています。
これによく似た「知覚の欠落状態」は、酔っ払いの人に起きているのですが、
ただし、酔っ払っている人は、自分の知覚や記憶が酩酊しているという、
その駄目な状態を「自覚すべき観察者の視点までも」が、ボケてしまっています。
しかし酔っていない、鬱状態の人は、
その自分の、知覚のひどい欠落状態を、明確に「自覚」をしているので、
その自己は、非常な精神的苦痛として感じられることになります。
******************
昭和の時代を生きた私としては、
あの時代の、駅のホームから、長距離列車から、飛行機内から、病院まで、
どこも喫煙可能だった時代は、むろん異常だったと思う。
吸殻だらけの町は、不潔だった。
エーリアンから見たら、
まるでスーツを着た原住民のようだと言われたかもしれない。
しかし、その時代の社会に当たり前に生きて、
脳内がニコチン中毒になった人たちは、
気化した煙は吸わないが、ニコチン摂取は、今後も続けてゆき、
自分のクオリティーを落とさない道を、なんとか模索できまいかと思う。
むろんその代表的な方法のひとつが電子タバコなのだろうが。
どうも電子タバコ(アイコス)も、
有害な依存性成分を混入しているのではないかという疑いを、私はぬぐい切れない。
私にとっては、禁煙してよかったこと、といえば、
煙草を吸いたいのを我慢しなくて済むこと、
つまり自分が望まない禁断症状に煩わされることはなくなったものの、
それ以外には、大した利点はなく、味覚も臭覚も禁煙以前と変わらず、
むしろ意識の密度と、知覚の質は、禁煙以来、ずっと落ちたままである。
禁煙から満4ヶ月が過ぎて、5ヶ月目に入った「今のところ」はであるが・・・。
正攻法で禁煙をすると、
複数の体験者たちの感覚では、「禁煙欝からの出口」には、
「300日、450日、500日説」などがあるのがわかる。
↓
http://220.157.236.174/topic.php?topic_id=330
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