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★分割自我復元★その95 【母親失格の者とは?】
by:
鈴木崩残
2012/05/25(Fri)14:49:06
子供を安心させられない母親は、
人間失格である。
●ここのところ、男性数人のいくつかの「トラウマ」の事例を見たり、
相談を受けて、つくづく、確信をした事があります。
それは、「駄目な母親」とは、どういう母親かです。
父親の責任はどうなのか?となりますが、
乳幼児から、自分の足で歩き慣れ始めたころ、つまり、2歳か3歳までは
結局のところ、ずっと子供のそばにいるのは母親であるのですから、
この重要な時期での母親の責任は重大です。
もしも母親がその時にいなくて、ずっと父親がいるのであれば、
そのときには、その父親が重要な責任を負いますが、
一般的には、3歳までは子供は母親と一緒にいます。
共働きということになると、両親ともいないこともありますが、
少なくとも生後1年は、母親がいることになります。
●そして、この2歳か3歳までの時期に、
母親が、絶対にやってはいけないことがあります。
それは、次のことです。
子供の前で泣く。
子供の前で愚痴る。
子供の前で怒鳴る。
子供を叩く(くすぐるのであっても子供に不快感を与えたら殴ったのと同じです)
●泣く、怒鳴る、愚痴る、 ということが、多くの場合には、
旦那への恨みであるものですが、
場合によっては、旦那さんでなく、姑に対するものである場合もあります。
しかし、いずれにしても、子供というのは、
何か自分に起きたとき、何かしんどい事や、痛いことがあったときに、
その時に、そばに母親がいることで安心できるようにする、
という「最低限のこと」を、母親はしなければなりません。
●子供に対して、愛情を持たねばならないとか、
そんな、偉そうなことを、口先で言っている人に、
そんな資質も資格も、そもそもない、
ということを私はよく知っています。
母親の役目とは、そんな、歪んだ愛情で子供を汚すことではありません。
極論すれば、愛情など全く必要ありませんから、
最低限度、子供が母親といるときにだけは安心できるというその
管理だけで充分です。
そのためには、少なくとも子供が3歳になるまでは、母親が絶対に
やってはならないことは、
子供の前で、「泣く」「愚痴る」「怒鳴る」そして「叩く」その他、
子供が不快になることを子供にすることです。
もしもそれをしてしまったら、その子供は、もっとも安心できるはずの
母親のそばで安心できなくなってしまい、
そのことは、その後のその人間の、社会との関係と、異性関係に、
この上もなく深い影響を及ぼします。
●子供が生まれて最初に接する「異性」というのは、自分の両親です。
したがって、親としてみていると同時に、異性のサンプルとして
親を見ていますので、
男の子の場合には、母親というのが最初に見る女性像となり、
女の子の場合には、父親というのが最初に見る男性像となります。
その像に対して、のちに反発するか、模範にするかは個々の人生で
行き先の道は、別れますが、いずれにしても、異性関係の原初体験である
ということには変わりありません。
●しかし、今回の論点は、父親のことは、さておいて、
子供と接している時間が圧倒的に多い、「母親の責任」についてです。
とにかく、何があっても、子供が「母親のとこにいけば安心できる」
と思えるようになることだけに、すべての注意を払ってください。
そのほかのことなどは、基本的にはどうでもいいことです。
そして、その為には、母親は、子供の前では、イライラしていてはならず、
泣くのを我慢していてもならず、愚痴ってもいけません。
愚痴りたいならば、子供の前ではなく他で愚痴り、
泣きたいのであれば、他で泣いて、子供の前では泣いてはいけません。
母親が泣いている姿ほど、子供を不安にさせるものはありません。
母親が怒鳴ることほど、子供を不安にさせるものはありません。
母親が愚痴ることほど、子供が不信感を持つものはありません。
母親が殴ったり、叩いたり、悪意からくすぐるほどに、
子供が、不安になることはありません。
これは、出来るならば、理想を言えば、
子供が少なくとも「14歳」になるぐらいまでに、
子供に接する母親として必要な姿勢ですが、
どうしても無理な場合には、せめて3歳か4歳までは、
徹底して、子供を安心させられる親であって下さい。
■「子供がまだ言葉が分からない時期に、
泣いている幼児や子供を、絶対に、叩いてはならない」
という下記の「梅の間」のログも、参照してください。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?U1706
_____________________________________________________
おたより・報告など
ここで、トラウマが関係したケースの方のおたよりのほんの一部ですが、
掲載しておきます。
>おひとりめ
鈴木崩残様
お忙しい中、判定いただきありがとうございました。
自分の中では変化を実感できておりましたので、
それが数字として何%に相当するのかとても楽しみでした。
●%。
この●%は私には手ごたえのあるといいますか、ずしりと重い、嬉しい結果です。
意識の変化を実感したのは、本当につい何日か前からです。
意識がぼんやりしていたのが、以前に比べて俄然はっきりしています。
この変化の実感に対しては数字的には●%であるということがわかりましたので、
これから復元作業を進めるに当たっての今後の目安になりますし、
なんといっても今後の作業の励みになります。
●%の回復でこれだけ意識のくっきり感に変化があるのですか、
1/●自我から1/●自我になっただけでこれだけ意識の明瞭さに、
変化が見られるということは、
1/2自我を超えたら一体どれだけ変わるのだろうと楽しみです。
今は「確実に一歩踏み出していると実感できる」、
そのことに対して素直に喜んでいます。
暗中模索でうまく行っているのか検討もつかず、
それでも、考える暇があったら悩んでる暇があったら、
とにかくやるべし、やるべし、とジタバタした 甲斐はありました。
今の私は、さながら、手塚治虫の「どろろ」の第1話の、
手足をもぎ取られた赤子の百鬼丸です。
ウジ虫のように蠢きながらあがいている状態です。
身動きできない硬直した状態だったのが少し動いた、
チョビッとだけ動いた。
あ、動いた。確かに動いた。
それが、それがすごく嬉しい。
もしかしたら、これはもしかしたら、進めるかもしれない。
引き続き、復元作業に励みます。
それと子供の頃の病的症状についての崩残様のご指摘は合点がいきました。
まさかあの症状と母との因果関係が直結しているとは思いもよりませんでした。
私は、結構あの体験にしがみ付いてきたものですから、
宝物のように後生大事に抱え込んでおりましたから、
崩残様から「あれは神秘体験でもなんでもない、ただの病的症状であって意味はない」
と一蹴されてしまって、ショックといえばショックなはずなのですが、
でも、思ってた程全然ショックではないのが意外です。
もっとショックを受けてもいいはずなのですが、
「あれ、あっそっか」とあっけらかんと受け止めています。
そして、子供の頃のあの病状だけではなく、
さらには、つい最近までの記憶の喪失(断絶)までもが、
母と直接の因果関係があるとは。
そこまで考えが及びませんでした。
とても明確な指針を戴きありがとうございます。
そこまでの深い洞察はありませんでしたが、
私といたしましても青年期から、母の幻影が私の人生に立ちはだかり
深く根を張り災いしていることは否定のしようのない事実として
認識はしておりました(後述いたします)。
この問題はいつかは向き合い、白黒はっきりと決着をつけなければならない事です。
いずれにいたしましても、この意識を回復させないことにはどうにもならない、
つまるところ、復元作業の延長線上にしか解決は見えてこないことを承知しております。
・中略・
さて、本題に入ります。母のことについてです。
今回の私の人生において、母の幻影が想いの根っこに巣食っていて、
私の無意識レベルで悪さをしている。それはわかっているのですが、
でも、今の意識レベルではまだ漠としてとらえどころがなくて、
正体がつかめないので、対処のしようがありません。
まことに恐縮ですが、崩残様のご厚意に甘えてさせて戴き、
間違っていることをおそれずに、●●%自我の現時点における、
母に対する想い、分析を、思いつくままに吐き出してみたいと思います。
・中略・
>以下、 この方の記憶の断片が書かれていますが、
>あえて詳細は省きますので、雰囲気だけ、参考になるかもしれません。
>すでにかなりの深部まで、トラウマの原因を正確に掘りつつあります。
↓
母は、ちょっと気を赦すと、すぐに調子に乗って他人の人生に口を出し、
指図し、服従させようとする。
その癖、結果が思わしくないと途中で放り出して逃げ出して、責任転嫁する人です。
子供に迷惑かけた、悪かった悪かったと泣きながら詫びるのですが、
内心全く自分が悪いとは思っちゃいません。だから同じことの繰り返しです。
母は、私の妻に対して、罵倒しました。それに対して、私は、
「母親のあんたは俺の妻をカスだという。それはそうかもしれない。
でも、あんたは、いびりに絶えかねてわが子を棄てて逃げ出したけど、
少なくともこの人は財産もなく、学歴もなく、身寄りもなく、
それでも女手ひとつで子供を育ててきた。
あんたがこの人の人生を偉そうに上から見下して批判するのは、
ちゃんちゃら可笑しい」と、妻と一緒になった当時は思っておりました。
とは言え、じつは蓋を開けてみれば、
この二人は「支配欲と被害者意識の塊で、しかも自覚症状がない」
という点においては共通のキャラだったことが後になってから判明したのですけれど。
小学生から高校生にかけて、
次兄は私をストレスのはけ口として利用し、それこそ便所の中までも乗り込んできて、
屋根の上に隠れても何時間もかけて探し出して、
どこまでも執拗に追いかけてきて、見つけ出すとサンドバックのように
殴る蹴るの扱いをしましたから、
私としては暴力から解放されるひとときの避難所がほしかったのです。
父方の家では、次兄が私をサンドバックにしていても誰も助けてはくれませんでした。
どんなに泣き叫んでも見て見ぬフリでした。
父方の祖母も、やれやれまたやってると呆れてみて見ぬフリ。
気弱な長兄は私が助けを求めても次兄の暴力に恐れをなしてみて見ぬフリ。
当時はインターネットもありませんし、
いま自分がされていることが虐待などという認識もありません、
この世界はそういうものなのだと自分に言い聞かせるしかありませんでした。
ただ、ポンコツ頭ながらに必死で考え、
この監獄のような生活から抜け出すには、
1---相手を殺す、
2---自分を殺す=自殺する、
3---心を麻痺させてひたすら 耐え忍ぶ=時間が解決するのを待つ、
4---脱走する、を思いつくのですが、
その内の4はあの執念深い次兄のことだから、
地の果てまでも追いかけてくることだろうから4は無理、
とどのつまりは三択だと思っておりました。
日常が監獄のように感じていたものですから、たまには解放されたかった。
他に逃げ場所を思いつかないし、逃げても捕まる、
それで母に助けを求めました。
いいえ、別に母のところに行ったからといって、
なにも変わるわけじゃないことはわかっておりました。
母はいつも「兄弟仲良くせんと」
「お兄ちゃんの言う事に逆らうもんやない」と言っておりましたし、
次兄のことを訴えてもどうせ無駄だと諦めておりました。
次兄が父同様に暴力的であったことを母は重々承知していたはずなのに、
見てみぬフリをしておりました。
(これは小学生のときの話ですが、)私が母の目の前で次兄から
無抵抗のままフルボッコされていても、
母は身を挺して制することはありませんでした
(兄はそれを見透かしていましたからやりたい放題です)、
母は怯えながら次兄をたしなめるだけ。
「コワイ」と言いながら逃げ腰で盾にはなってくれ ません。
母には、次兄と父とが二重写しに見えていたのかもしれません。
それからもう一つ、私が父方の家の暴力からほんのひとときでもいいから
解放されてほっとしたくて母のところに逃げたと申しましたが、
実際は母のところに行ってもさほどくつろげませんでした。
母は私が独りで会いにいくたびに、待ってましたといわんばかりに
小学生の私に自分(母)が父と姑と小姑にどれほど苦しめられたかを
延々と繰り返しました。
ヒステリックにわんわん泣きながら私を抱きしめて、
とうとうと自分が受けた屈辱を語り続けます。
「生活能力もないくせに子供を4人も、びりびり犬の仔のように産んで、
と小姑に言われた」とか、
「夫(父)に俺の言う事きかないのなら階段から突き落 としてやると言われたとか」
そんなグチばっかり。
しかたがないのでこっちの方が気を使って一緒に泣いてあげて背中をさすってあげる、
慰めてあげないと収拾がつかない、どっちが親なのか判りません。
やれやれ、この世界のどこにも、自分を護ってくれる存在はいない、
居場所はないと思っておりました。
父は父で、毎日飲んだくれては、「お前たちはみなしごハッチだ
(当時、そういうアニメが放映されておりましたから、それになぞらえて)、
お前の母 親は男作って逃げたのだ、お前たちは母親に棄てられたのだ」
と繰り返し、私たち兄弟が母の被害者であることを刷り込もうとしておりました。
ですから、両方の言い分を聞いてどっちもどっち。
母も父も、お互いが競い合うように被害者であることを私の脳に刷り込もうとしました。
自分が被害者であることを主張して離婚したことを自己正当化する、
なにかにつけて巧みに刷り込もうとしますが、
彼らのそれぞの主張はワンパターンで、バレバレです。
お互いの言い分を天秤にかけれて比較検討すれば、
いくら小学生低学年だって矛盾していることくらいは気づきます。
彼らの手口がわかってきます。
またお得意の洗脳工作か、いい加減にしてくれよと。
この人達は自分の事しか考えていない、
自己正当化するために、自分の立場を優位に展開したいがために、
子供を利用しているだけ、俺を味方として取り込もうとしている、
広告塔として仕立てあげようとしている、それが見え見えでした。
母が私に対して行なった洗脳工作の中でも、
とりわけ酷いなと、つくづく思うのは、 私の脳に植えつけた、
性に対する忌まわしい観念でした。
まだ小学生低学年の私に対して、母は、
「あんたの父親のあの人は、夜な夜な私の体を求めてきて、
それが嫌で嫌でたまらんかった」
「あの人はけがらわしくて、そのときは気持ち悪うて、
おぞましくて鳥肌が立った、思い出しただけでも身震いがする」
と嫌悪感で顔を引き つらせながら、吐き棄てるように何度も呪いの言葉を繰り返しました。
性欲のある夫、相手を悦ばせようと愛情表現しているはずの夫のことを
母は「汚い、汚らわしい」と繰り返し罵り、
私の脳に男の性欲はきたならしいと刷り込みました。
勃起することは、けがらわしい、女性の裸に興味持つのはけがらわしい。
この呪縛は時限爆弾となって埋め込まれ、私が青年期になったときそれが炸裂しました。
ご指摘のとおり、私は、相手がとりわけ綺麗で魅力的な女性だなと思えば思うほど、
「どうせ内心は俺のこと汚らわしいと思っているのだろう、
バカにして見下しているのだろう。」と反射的に、
心の底で恐怖心がちらちらざわめき、不安になります。
24歳から25歳にかけて、これではいけないと、
女性に対する恐怖心を克服したくて手当たり次第にナンパしまくった時期があります。
下手な鉄砲数撃ちゃ当たるで何人かの女性とお付き合いしましたが、
どの女性とも長続きしません。何度かセックスしてオシマイ。
それも不思議なことに、仲良くなってからこちらが訊きもしないのに相手の方から、
「あたしなんて生きている意味ない、死にたい、自殺未遂繰り返してる」、
と自殺願望をほのめかす女性とか、
「今まで誰にも打ち明けたことないけど、実はあたしレイプされて
処女を奪われたんだ」とか、そんなんばっかり引き当てる。
なんでまた次から次にこんなタイプばかり磁石のように引き寄せるのか?
いいえ、ちがいます。そうじゃない女性もいました。
快活で、真正面から裸でぶつかって来るような女性も中にはいましたが、
その場合は向き合うのが 怖くて、こちらの方から逃げ出してしまっていました。
物怖じせずにまっすぐに見つめれるとこちらの本心が見透かされているようで、
自分の中で彼女 に対してアドバンテージになるものがまるっきりなくて
不安でたまらなくなるのです。
結局、類は友を呼ぶ、後ろめたさのある者同士が、
お互いに自分と同じ匂いを嗅ぎ取って、
馴染みの不安感に安住して共依存していたのだろうと思います。
今まで付き合った女性を振り返り、ああ今にして思えば、
あのときあの人は私の事を真剣に愛してくれたのだろうな、
と一連の彼女の行動から察することはできるのですが、
でもダメなのです。
付き合っているうちに怖くて怖くてたまらなくなるのです。
「こんなはずはない。俺なんかに魅力があるわけがない。
どうせいつかかならず、あいそつかされて俺から離れていくに決まっている」と。
そして、どうせそうなるのだからと、
先手を打ってこちらから別れ話を切り出すのでした。
■思い出される、子供のころの情景-1
私が4歳の頃、食事時に父と母がいがみ合っています。
二人は4,5メートル距離を保っていて、
茶碗や皿が飛び交っていた情景が目に浮かびます。
皿の割れる音。父と母の罵りあい、母のヒステリックに泣き叫ぶ声。
私はピエロになって、おちゃらけながら仲裁に入り、
なんとか場を和ませようと必死です。
また、記憶にありますのは、父が母の実家に来るたびに、
母は私たち子供に「鬼が来た、鬼がきた」と吹き込み、
ことさらに恐怖を煽っていたことです。
■崩残様がご指摘のとおり、自分でも、母に対して、
思い出したくない記憶、封じ込めておきたい記憶があるのだろうと、
以前から、二十代の頃から察しはついておりまして、
その封印した記憶を思い出せば、現状を打破できるのではないかと
思っておりましたが、まだ具体的に思い出せません。
ただ、はっきりと記憶がある恐怖体験がありまして、
その出来事は鮮明に覚えているにもかかわらず、
突如ぷつりと途中で記憶が消失しています。
封じ込めて蓋をしているという感じはするのです。
そこが、なにかしらのトラウマの糸口のような気がして、
そこから芋づる式に何かが手繰れるような気がするのですが、
思い出したくないなにか衝撃的な出来事があったような気がするだけで
具体的な内容が思い出せません。
そのことが、ずっと引っかかっております。
・中略・
このレポートも昼前からぶっ通しで取り組んでいますが、
いつものように眠気も催さなかったし、
晩御飯食べてからすぐに再開して気がつけば只今は夜中の2時なのですが、
まったく途中で投げ出したくならない、集中が持続しています。
この度は、母との問題を初め、懇切ご丁寧なアドバイスを戴きありがとうございました。
ご厚意に対して、なんとお礼を申し上げてよいか分かりません。
感謝しつつ、とにもかくにも、復元作業に励みます。
________________________________________________________
>おふたりめ(黄色部分が私のコメントです。)
ちょうど、無明庵HPでも、
自我復元とトラウマで書き込みがありました。
同じ問題ですが、
私は、仕事と恋愛という2つをテーマで自問自答していると、
どちらも自分の今と、幼少期のころのとのつながりを考えさせられたのです。
私の母親とは、もう3年ぐらい会っていません。
母は精神異常というほどヒステリックで、私が4歳ぐらいの記憶では、
何かに躓いてこけて泣く私に、
「泣くな!!、いつまで泣くんかい」といって、私を蹴ってくるような異常さでした。
また、ことなかれ主義の父は、そうしてた母に何もできなく、
見て見ぬ振りをしていました。
だから、父も母も私の気持ちや考えを理解しようとすることは、
まったくありませんでした。
私が大きくなって
「なんで、痛くて泣いているのに蹴ったり叩いたんだ」と聞くと、
母は「だって、イライラするから」と答えて、
あまりの幼稚さと身勝手さに怒るというか、呆れました。
こんな母でしたから、私が4歳以下のもっと小さかった頃も、
間違いなく私に暴力をふるっていたと思います。
幼少だったので私がハッキリと記憶してないだけで・・・
結果として、精神異常者の母と、ことなかれ主義だった父のために、
私は家庭で、私の存在することを認めてもらえた、
「私は家庭にいていいんだ」、という安心感がまったくなく、
私は一人なんだ、理解してくれる人がいないんだと、
まわりの環境に対する不安感を持って、育ちました。
私が全自我なら、こうした状況に冷静に対応できたり、
影響されない精神的なタフさがあったのでしょうが、
自我率一桁の私には対応しきれなかった思います。
そして小学校3年生くらいから、つまり自我
(この自我は自我復元の自我ではなく、
発達心理学でいう根本的な性格という意味の自我です)が
作られてくるころから、不安を打ち消すために、
人に認められたい、
認められて不安から解消されたい、
認めてもらえた時に私は存在していい、
という歪んだ考えができ、今になりました。
もっとも、私は、勉強もスポーツもダメで、自分の無能さを味わって、
より不安感が高まるだけだったので、
人と少し違うことを言ったり、やったり、人を笑わせしたりして、
まわりの注目を集めることで、人に認めてもらえたという満足感を、
得て、不安から逃げ、安心感を得ていました。
そして、今、私は、恋愛や仕事の自問自答をしていくなかで、
どちらも、幼少期のころとのつながりを考えさせられました。
恋愛では、私の分の理想のタイプは、やさしくて、面倒見のいい人で、
SEXやスキンシップが好きな人です。
逆に私が女性に提供できることも、やさしさや、SEX、スキンシップ等で
求める女性と同じようなものです。
それは、やさしくて、コミュニケーションでもSEXやスキンシップでも
好きで、私を認めてくれる人で、
私を不安にさせない人を求めているのではかと思えました。
仕事は(崩残様ともメールでやりとりをしましたが)
エキスパートになりたいというのも、
人に認められたいという所からきていると思います。
また、理想だけですが、どこからか沸いたお金で、
お金に心配がいらない生活が欲しいのも、
「不安になるくらいなら人と関わらないで生きていくほうがいい」、
という所からきていると思えます。
恋愛にしても、仕事にしても、自問自答していて、こうした所から、
自問自答がストップしてして堂々巡りになってしまいます。
「不安」事態は、以前の報告でも書いたように、
自我復元をしていくなかで、かなり減ってはきています。
しかし、これまでの人生で、恋愛でも仕事探しでも、
どこかに実際の行動にブレーキがかかってしまったり、チグハグな部分があるのは、
こうした幼少期からの問題と性格形成と関係があるのではないかと思えるのです。
女性の理想像や、仕事への幼少期のからの経験の影響よりも、
こちらの、これまでの人生での行動への影響のほうが、
より大きな問題だと思います。
それで、崩残様にお聞きしたいのは、
私の分析はあたっているか?
あっているなら、解決のために何をするべきか?
の2点です。
_________________
以下、私のコメントを織り交ぜます。
>> 私は家庭にいていいんだ、
>>という安心感がまったくなく、
問題は「これ」なのです。
このことは、今回、桜の間に書いたように、
両親のうち、特に「母親」が子供に安心感を与えられないということは、
仮に生まれつき全自我の人だったとしても、相当にこたえますし、
その後の、特に異性関係と、社会との付き合い方の全体に影響します。
ですので、人間が引き起こす問題の、
全部が全部、自我率のせいには出来ないと、私は思っています。
●地球の精神世界では、よく「どんな境遇も、学びなのだ」とか、
知ったような事を、軽率に言う者がおりますが、
もともと、
「地獄のような環境で学ぶ」など、クソ食らえの事も多く、
自己責任とは言えない、あきらかな「親の責任」の部分があります。
●では、そういうところへ生まれた私達はどうだったかというと、
覚悟の上の場合もあれば、契約に不注意だったために生まれた場合もあります。
ただし、契約書というのは、たとえば、食品管理の為についている
「記号」のようなもので、
たとえば、人間が乗り込む自我システムとの契約時には、
「自我率12.5%」などの「表示」はされているのですが、
契約者が、自分から質問をしなければ、
誰もそれについて、何を意味するのか、説明すらしてくれない、
というのが、ここ数百年の、地球の転生システムであると私はにらんでいます。
すべて人間の側の
「読み落とし」「質問しないから」「無理解のせい」にされているのです。
しかし、説明をきちんとされなければ、生まれる契約をする乗り物についている、
「JM-16-x-45221-y-66839-L25-w-1976-S39286」とか、
こんな記号の意味が分かるわけがありません。
(この数字の中の25が、自我率25%であることの表示だったりするのです)
●さて、この地球生まれることが、
「過酷なチャレンジである」という事はそれが真実でも、
「理不尽なことや、偶発的な事件が多すぎる」のもまた事実で、
それらは、私に言わせれば、
「魂の学び」などと美化できる代物では断じてありません。
そういう事を言ってしまう人というのは、傲慢であり、
あまりにも人間の立場を、買いかぶりすぎています。
残念ながら、人間は造物者たちから、
そんな関心や興味を向けられるぼとに、特別に愛されてなど、全くいません。
●地球へ生まれるということが、
大昔には、冒険的でチャレンジのしがいのある体験ツアーだったにしても、
時代が変わり、何よりも、地球の「管理会社」の事情が変わった今では、
むしろ、ここへ生まれる事は、かぎりなく、
「詐欺」による「強制労働」に近いものです。
それは、労働施設つきの監獄、
または我々人間を家畜とする牧場や、
我々を原料とする農地に酷似しています。
だからこその、自我復元による「脱出計画」なのですが。
>>恋愛では、私の分の理想のタイプは、やさしくて、面倒見のいい人で、
>>SEXやスキンシップが好きな人です。逆に私が女性に提供できることも、
>>やさしさや、SEX、スキンシップ等で求める女性と同じようなものです。
これが望んだとおり、自分の母親と正反対の人に当たれば幸運なのですが、
おうおうにして、そうだと思った相手が実は自分の母親と本質は同じだった
という事例をいくつか見ましたので、注意が必要です。
つまり、反発するにしても、しないにしても、
異性像というものが、作られてしまうのです。
何しろ、子供が最初に接する異性とは、自分の親だからです。
>>私の分析はあたっているか?
はい、全部その通りです。極めて正確です。
>>あっているなら、解決のために何をするべきか?
>>その他で解決策があるのか?
>>全自我になれば徐々に修正されていくので、とりあえず自覚しながらも放置しておくのがいいのか?
>>こうした点で、アドバイスがあれば欲しいです。
●本能的な部分での安心は、確かに本来であれば、
親、特に「母親」が子供に経験させることで、その後、
その子供は、不必要な怯えや、不安を持たないで生きてゆけます。
しかしそうでない家庭だった場合には、
親に、いまさらそんなことは期待も出来ませんので、
安心を「自分で生産し、管理する」しかありません。
ありていに言えば、
「ほっとする環境、心地」を自分一人で作れれば、
安心は、親からなど、いらないということになりますし、
幼児期に親から貰わなかったとしても問題ありません。
安心というには、別に、代々遺伝したり、受け継がれるものではなくて、
それを持ち得た人が、自分の子供や伴侶に与えられるようになるものですから。
つまり、「後天的な安心感を自分で得ればいい」のです。
ただ、もしも過去に、子供としての当たり前の権利として得られなかった
安心感はそのまま引きずりますので、
それが異性に求めるものになったり、
または社会での自分のふるまいの動機になる危険性はあります。
しかし、世の中の他人は、誰ひとりも、
「あなたに安心感を与えるために生きているわけではない」のですから、
そのようなことを他人に期待するのは、
全くあてが外れるのは当然の結果となります。
もしも御自分で、これは、居場所と安心感がないことによる焦りの
「今までの癖」で考えたり、やろうしたり、やってしまったことだというものがあれば、
それに気付いて、「注意しておく」だけで充分です。
監視すればするほど、そういう動機は、尻つぼみになってゆきます。
野放しにすれば、どんどん、自分の内部に、のさばります。
●ですから、出来ることがあるとすれば、
特に「安心感のなさ」に対抗しようとする意志がある場合には、
「他人や環境から、それが得られる、という方向に向いていそうな場合」には、
それを動機にしたものは避けるのが良い、ということです。
「自分で自分の安心感ぐらいは作ってやる」、
という動機で、意志が自分に向かうのはかまいません。
しかし他者に期待するとおかしなことになります。
そもそも、他人は、自分の安心感を得るだけで、精一杯で、
他人を安心させる義務などないのですから。
(子供が幼児期の母親以外には)
●そして、その安心感は、おそらくは、自我率の上昇とともに、
誰もいなくても、いや、むしろ、自分以外に、誰もいないからこそ、
ほっとできる事の幸せに変わってゆくと思います。
自我率の低い人がこれを、わかったような口ぶりで言うときには、
「一人がいい」などというのは、ただのハッタリであり、
それは、漠然とした孤独に憧れているだけで、
実は、寂しくて、他人に相手にしてほしいのが、見え見えなのですが、
今の貴方の自我率ですと、確実に、それは、
「本物の個人主義」になってきているはずです。
____________
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