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[3143]
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「地球幼年期の終り」
by:
ほ う ざん
2004/07/19(Mon)08:11:55
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といっても、アーサー君の映画のことではありません。
●最近、思うようになったのであるが、
そもそも神社仏閣、特に、それらの発端となった
「宗教的神話」のルーツや役目は何であったかという事です。
むろん、これは日本に限ったことではなく、
世界中の宗教神話に言えることです。
何が不思議かといえば、大の大人が何も疑わずに、
数千年前の「おとぎ話」を信じているということ。
肉体を持った偉人、賢者に対して、
なんらかの信仰が発生するのは理解できるとしても、
根も葉もないというか、どこの馬の骨とも解らないような「神話」を、
ただそれが歴史的に伝えられているから、
そして、それらにまつわる偶像や建造物があるから、
というだけの理由で、現代まで、信仰と称するものが、残っている。
そして、その大半は形式やただの妄想的教義の伝承でしかない。
だいたい、頭冷やして、神話や宗教物語に書いてあること読んでみろですよ。
誰が何をどうして、世界を作ったとか、
手品まがいのことをやっただの、神様は、こんな姿しているんだとか、
「おいおい、何、そんなもの信じる気だよ」と言えるような
実に馬鹿げた内容ばかりである。
(「象徴解読」しているならまだしも、
本気でそういう姿とかそういう極楽や天国の世界があると
多くの信者が信じているあたりが、正気の沙汰ではありません。)
●そうした、さまざまな「偶像」は、ごく原始的な時代において、
知的にまだ未成熟だった集落や種族の人々にとっては、
「象徴」「畏敬の念を想起させるもの」としての効力を持ったもの
であったにしても、現代では、役に立たないものが多い。
●物事の原点に立ち帰るならば、
もともと、ひとりの人間が生まれてから死ぬまでには、
宗教なるもの、神話なるものは、「生活必需品」ではない。
子供は神話や宗教など知らなくても育ち、成長し、
大人になってもなお、そうしたものを必要とせず、
死ぬことが出来るのである。
●宗教も、神話も、生活必需品ではない。
この前提に立つならば、
かつての時代では、さまざまな宗教儀式が農耕文明と不可分なもの
であったにしても、現代では、そんなものは無用の長物である。
現代で一般風習として形だけ残っているのは、せいぜい建築をするときに
土地の神様に挨拶をしたり、形式程度のお祓いの儀式のみである。
●結論から言ってしまえば、もともと、人類にとって、
宗教神話というものは、全く生活する上でも
文化を生み出す上でも、「必要がない」。
むろん、感性豊かな子供時代には、
いささか、奇妙な、
この世界の存在ではない「物や者」に出会うことは多々あり、
また、大人になっても一部の霊的な視力のある者には、
死者の世界や霊の世界といったものの構造が見えることはあるが、
さりとて、そのようなものは、生活する上では特別に必要な視力ではない。
●そもそも、大の大人が信じ込んでいるその神話の内容なんぞは、
日本の神話にしても、ヒンドゥー教の神話にしても、
北欧神話にしても、ユダヤ教だろうが、道教だろうが、
どこの神話だろうが、
それらに登場する「物語や描写をマジに信じている」その自分の神経を
疑わないというところに宗教の不思議さと愚かさがある。
同じ程度の「御伽噺」であるUFO神話となると、
こぞって、否定し、「馬鹿じゃなかろうか?」と言うわりには、
「それよりも遥かに根拠も証拠も全くない宗教神話」には、
妙な畏敬の念を持ったり、頭さげたり、
あげくには、神頼みするシマツである。
●中には、霊的なものが自分には見えるという根拠で
そうした世界との関わりを持つ者もいるが、
人類の大半は、実際には、見えてもいなく、聞えてもいないもの、
さらには、何も感じてすらいないものを、
ただ、経典にそう書いてあるから、なんとなくそういう力を
信じる気になるような出来事があった、
という、ただ「その程度の理由」で、鵜のみにしている始末である。
●死霊や生霊や自然霊の祟りを恐れるというのなら、
わからなくもないが、そもそも、「存在」しているかどうかも
検証されたことのない、神話に登場する神や仏を
絶対にいると信じきっている者の脳みそを疑わざるを得ない。
●さて、そうなると、1番、無謀で乱暴な推測は、
そもそも神話に登場した物語は、
当時、地球を往来していた、我々人類とは異なる形態で生きていた
何者かたちの干渉によって、生まれた「あることないこと物語」である
とする「説」である。
これなら大半の神話も宗教も、「異星人説」で片付いてしまうが、
これは、面倒な話だろうから、今回は、話題にしないでおく。
●とすると、残るのは、最初は、森や山の自然に対して感じていた
5感以外の感覚で捕らえられる何かに対して、
当時の人々は今よりも敏感であったために、
それらを拝み倒すことで、それらが集合する場を与えた、
つまりは、人が拝んだから、その石に自然の力が宿ってしまった、
というもの。原始宗教の発生である。
のちに、この原始宗教を政治的に滅ぼして、
多民族を侵略するために、それよりも大きな規模の「信者数」を
持つ、狂った集団が横行する時代には、
もはや、この原始的宗教の原型は失われ、
それらの原始的宗教を、支配下に置くか、または撲滅する
口実として、教義や神話は、権力者の都合よく改ざんされ続けた。
●さて、宗教や神話などという、こんなシロモノが、
どうして人類にはびこっているのか、となれば、
それは、一言に言えば、単なる抜けられない「習慣」でしかない。
高次の意識、たとえば「悟り」から見れば、
宗教や神話などは、何の必要性もないシロモノなのであるが、
ただ、それらが地球の幼年期において、
必要だったであろう時期は確かに存在した。
それは、人々の自我、個我、つまり主体性が今のように
存在しなかった集団(群れ)的意識であった時代である。
そのような時代には、宗教や神話といったものは、
まだ「幼児」であった人類にとっては、精神的な次元での
「母乳」のような役割を果たしていたものと考えられる。
自らの足で立って自らの意思で歩く基準のまだない子供に
必要だった{母乳}、それが宗教であり、神話である。
しかも、その母乳は、特定の母親から与えられる必要がある
という点から、生まれた地域的な影響で母乳の質が決まる傾向がある。
●さて、そんなことを人類は数千年も繰り返してきたわけであるが、
この母乳の次段階としての、「離乳食」というものも存在する。
名指しで言うならば、たとえば、占星術で知られている
松村潔氏が、独自に体系づけているような類のものは、
この人類にとっての「離乳食」に当るものである。
それは、世界中の「初歩的な母乳体系=宗教や神話」から
使い物になるエッセンスだけを数理的に抽出して、
その実利性のみを凝縮した「離乳食システム」にしようとしている点でも、
それらは、元々の個別の宗教神話への盲信などとは全く関係がなく、
まさに、「離乳食」なのである。
人類が、宗教妄想から「乳離れ」するための。
●宗教を「信じるのではなく」、
一度、分解して、「料理せんとする体系」は、数は少ないが
存在する。それらは宗教体系とは呼べず、単に「体系」と呼ばれる。
そして、それらは、かつての宗教が崇拝したいかなるものも崇拝しない。
ただ、その中に含まれる結晶構造のみを、
数理的、または感覚的に分解して、再構築するのみである。
そういう点で、松村氏が、同じようになんでもかんでも
水素論でカタをつけようとしたグルジェフの体系を引用したりするのも
そこには、同じ「エッセンス化した体系」としての「便利さ」が
存在するためであろう。
また、禅の十牛図も、あれは人間の意識の状態の描写体系であって、
いかなる意味でも、何かを信じるという宗教でもなければ、
神話を妄想する類のものでもない。
だからこそ、そこには数理的な統合性がある。
こういうものは、人類が現在も、時代錯誤して、横行しているような
「宗教神話妄想」を「乳離れ」させるための「離乳食」と私は呼ぶ。
●たとえば、これと似ていると大きな勘違いしやすいものに、
有名な各種の新興宗教や、オウムのようなカルト教団がある。
それらは、「いわゆる、ご都合主義の、ごちゃまぜ教」である。
都合のいいものだけをとり込んで、政治的に利用したり、
信者数を増やそうとする動機で、よく使われる
「宗教をごちゃ混ぜにする手口」である。
「ごちゃ混ぜ教」には、論理だったような「体系」は何もない。
それは、いくつかの宗教的「妄想」を「寄せ集めただけ」である。
この、「ごちゃまぜ母乳」と、「離乳食」を混同してはならない。
宗教に料理されてしまって、
「宗教的寄せ鍋」の「具」の一部と化した連中と、
「宗教素材の、料理の鉄人」とを間違えるなということである。
●まー「宗教料理の鉄人」の松村氏が日記の掲載を中止していたのも、
おそらくは、何を勘違いしてか、
カルトや伝統的宗教の単なる「具」と化している連中が、
やんやと、アホな事のたまうメールを出すので、
それが執筆活動への集中邪魔になってウザイと思ったのかもしれないね。
「松村さん、仏教というのは、
こういうふうに、調理して食べる{べき}ものなんですよ」とかね。
彼に言わせれば、「知ったことか、そんなこと。」
「伝統料理の手法に興味はあっても、料理はこの俺がするんだ」の世界であろう。
●さて、他人様のページのことは、さておいて、
最近、私がそんな事を感じたりして、書きたくなった原因は、
実は、日本や世界を支えていた母乳としての宗教神話が、
そろそろ、いいかげんにもう役目がなくなって、崩壊し始めていると
肌で、感じているからである。
地方にいるせいで、山奥などに古風な神社とかがあって
個人的に訪ねることもあるのだが、
どうも、15年前に比べると、どこも、がっくりと霊力を落としていて、
結界も、そこらじゅうが「ほつれて」いる始末。
要するに、宗教という母乳が、その役目を終えて、
死につつあると私は見ているのである。
あと、200年もすれば、
世界中から一切の「宗教信仰」そのものがなくなっているかもしれない。
それらは、歴史的な文化としての神話としては記録に残っても、
そんなものが、いかに馬鹿げたものであり、
そんなものを信じている意味が最早ない、と地球の全員が理解すれば
そうした事も実現不可能ではない。
ただし、むろん、言うまでもなく、それは別に世界が
共産化する(同じく馬鹿らしい宗教化する)ことを意味するのではない。
●「信仰」「盲信」「妄想」が撲滅され、
ただ、使い物になるシステムのみが生き残るということである。
そうなれば、仮にその時、人類が地球外の生物と接触する
機会があったとしても、人類はかつての幼年期のように、
それらを決して「崇拝」することもなく、鵜のみにする事もなく、
自分の目と頭で、彼らと対等な立場で彼らを認識して、
識別しようとすることも出来るだろう。
まー、そうは言っても、離乳食に切りかえることを拒み、
依然として、かーちゃんの乳首にぶらさがって、母乳をすすっていたい
と言っているのが、
なんと、一国の大統領(アメリカ)とか、
イスラムも、ヒンドゥー教や、神道も含めて、
各国の首相だったりするわけですが、そういう意味では、
まだまだ、どの国も、乳離れしない「幼児」なんですけどね。
こういう馬鹿げた宗教妄想、宗教文化、宗教神話を
そそくさと卒業するのは、いつの時代も、一部の「個人」からです。
●
ちなみに、最後に「位置づけて」おきますが、
無明庵の死人禅の体系は、
「母乳」でもなく、「離乳食」でもありません。
意図しない「結果」として、離乳食的効果はありますが、
もともと、それは人類の個体性を「自立」させるために作られた
体系ではないからです。
存在=苦 と「実感認識」をした者のみに対する解毒剤
というのが、その位置づけですから、
宇宙的な規模の世界で個人が生きるための方法論ではありません。
それらの方法論については、
「離乳食」の中にありますから。
離乳食と「解毒剤」が、
その「用途」が同じであろうはずがありません。
それは使用者が、自らの責任と判断において、
用途に応じて使い分けるべきものです。
■ ∞ ■ ∞ ■ ∞ ■
最後に、おそろしく「下世話な話」をしておきますが、
警察庁の関係者は、必読です。
もしも日本国内での、外国人犯罪を減らしたいのであれば、
日本中の、外国人犯罪が多発する主用な町に、
彼らの国の主な宗派の「宗教施設をぶっ立てること」です。
中国なら道教寺院、イスラムならモスク、なんでもいいんですよ。
とにかく、彼ら民族がその尻尾をつかまれて、
彼らがその「無意識領域」を牛耳られている、彼らの宗教の
拠点を作ってしまえばいいのですよ。
すると、動物的な意識状態にある犯罪者たちには、
それが放つ「母乳」によって、自然に犯罪に抑止がかかります。
日本が、日本人それ自体の犯罪が凶悪化しなかったのは、
日本の中には、神道、仏教、キリスト教その他が、近代では、
戦争を引き起こすことなく、混在していたからです。
かつては、どれかがどれかを排そうとして、
仏教とキリスト教、仏教と神道の間などで内乱はありましたが、
現代では、それらは共存という形体に落ちついている。
もしも、きちんと、犯罪を起こしている外国人のルーツとなっている
伝統宗派(ごぢゃまぜ新興宗教は駄目)の寺院をうまく配置すれば、
他民族国家のアメリカとは異なる形で、治安が維持されることとなります。
むろん、こうしたものは、離乳食を求める人達には無縁のものですが、
他人の国で、荒っぽい犯罪を犯すような馬鹿者は、
いわば、まだ母乳を飲ませないと、
その「類人猿の意識状態」から、そもそも「人間」に、ならないのですから。
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