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[3511]
■
締め切りました・・・・・そして・・・・・
by:
崩 残
2006/04/16(Sun)05:26:53
● 回答は、締め切りました ●
とっくに、早朝に締め切っていますから、メールは受け付けませんし、
この先、メールで回答したところで、
他人の回答を「みっともなく、猿真似しただけ」と判断されますよ。
(7:50現在までの、すべての回答には、目を通し終わって言います)
________________________________
●とりあえず、午後ごろには、ここに、
私が、いちおう、合格点数をつけた解答のみ「新規で投稿」します。
(私の回答例は、今回の大会の「最終章」で書きます。)
6:33現在、応募総数、約70回答のうち、
結果は、正解者は、2名と「半分」です。つまり、2.5人。
正しく言うと、2.5というのは、「人数」ではなく「正解数」です。
2個と半分ということ。
そのやっと正解してきた人も、
その正解以外に、複数書いてきたものは、不正解でしたから。
これ以外の、あとの人は、すべて「アウト」ということです。
本日の、午後12時ごろまでに、本当に自分が出した答えや説明が、
それが本当に、「あなたを 心底満たして、幸せにしているか」
でなければ、「その答えこそが、あなたを、苦しめているのか」
自分の答えと、自分自身をよく、観ることです。
_______________________________
●そして、正解者を発表する前に、不正解者に出した返信を2つだけ
掲載しておきます。
あとほんの数名だけですが、
「不正解だった人」にも、少しコメントを返信したものもありますが、
それは、他の読者の方には全く関係してこない、
プライベートなものなので、ここでは出しません。
正解回答2つに対して私が出したコメントは、
正午あたりに「この次の投稿」に出てきます。
それでは、その前に、
以下は「不正解者」への返信の一部です。
______________________________
>少林窟道場 浅田幽雪さんの、なまくらな、回答とその説明
こんにちは。
今回はまだ間に合いそうなので、私も参加させて下さい。
**************************
老師は、
庭に生えている、一本の竹を指差すと、
刀を持った武士に、こう問いかけた。
お前さん、
あの竹を、
刀を、鞘から抜かずに、
斬ってみなさい。
武士は、おもむろに立ち上がり、ゆっくりと庭を歩いた。
竹に近づくと、刀をキラリと閃かせた。
武士が静かに刀を鞘に納めると、
竹はバッサリと地面に落ちた。
*****************************
バカの一つ覚えみたいですが、
公案としては、こういう形しかないのではないかと思います。
ただ、以前は、どうしてこうなのか、ということについて曖昧だったようです。
先般、ヤフーの掲示板で少林窟の老師に対する批判を展開しようとするスレッドが
立ち上がっていたことがあります。
私がクレームを入れたら、掲示板自体を撤回してしまいました。
その人は、臨済宗の居士のようでしたが、
少林窟の老師が、
「公案は、言葉に引っ掛かるかどうかを見るためにある」
と言ったということを、激しく批判していました。
実際のところ、私は、その人の批判の通りに
公案というものを「言葉に引っ掛からない」というレベルでしか
受け取っていませんでした。
方丈の教えは、確かにそこに力点があるからです。
「刀を、鞘から抜かないで、竹を斬る」
という、この言葉通り受け取ったのでは、実行不可能な事態を突きつけられた時、
どうしたら良いのか、という「考え」が頭を巡ってしまう。
その「考えが頭を巡る」という事態そのものが、
私の迷い(あるいは、私という迷い)そのものなのだ、という
気づきを与え、その迷いを破壊するのが公案なのだ、と理解していた訳です。
その迷いが破壊されてしまえば、それで良い訳ですが、
どうしたら、破壊できるのか、というのが焦点になります。
「俗僧」君のような真似事をしても、スカッと行かない訳です。
だから、言葉に囚われないで、バッサリやれば良いんだ、
という程度の理解しか、私にはありませんでした。
「言葉について回り、考えを巡らせる」という事態を打破することが必要なのであり、
それは、坐禅と同じことです。
ところが、本当のところは、そんなものではない、ということに気付いたのです。
本当に、真実のところ、
「刀を、鞘から抜かないで、竹を斬っている」
のです。
既に。実に。本当に。誰でも。
「刀を、鞘から抜いて、竹を斬る」のは、「私」なのです。
その注釈の前に、
百丈野孤のように「第2幕」を続けてみます。
**************************************
1;武士が、初めて参禅したばかりの人だった場合;
老師「何だ、刀を鞘から抜いたではないか!?」
武士「只、斬りました。」
老師「そうだ。何でも只やりなさい。」
2;武士が、古参の参禅者だった場合;
老師「切れ味はどうだ?」
武士は、再び刀を閃かせ、見事な居合で空を斬り、静かに刀を鞘に納めた。
老師「竹を片付けておけよ。」
3;武士が、印可底の弟子だった場合;
老師「お茶でも飲もうか?」
武士、にっこり微笑む。
4;武士が、印可底の弟子だった場合・ひねりバージョン;
武士「老師、この竹燃やしますから、鎌を持って来て下さい。」
老師「お前の刀で刻んだらどうか?」
武士「こんな刀では、役に立ちません。鎌が一番です。」
老師「バカとハサミは使いようだな。」
*******************************
さて、
「私」というものは、どこにあるのだろうか?
何を「私」と呼んでいるのだろうか?
刀を抜いた私は、どこにいるのだろうか。
竹を斬った私は、どこにいるのだろうか。
刀を抜く。
竹を斬る。
それは、同時ではない。
ところが、刀を抜いて、竹を斬る一連の動きが、
残像現象のように、一つのものに見えてしまう、思えてしまう。
その残像現象が、「私」を作っている。
その残像現象が、「私」自身だ。
それは、「幻」なのだ。
本当に、真実に存在しているのは、
刀を抜きつつある、そのことであり、
竹を斬りつつある、そのことであり、
終わってみたら、そこにたたずんでいる私が在るだけだ。
そんな言い方は、ただの屁理屈なのではないか、と疑った。
しかし、よくよく見てみれば、確かに、明らかに、無いのだ、
「私」と呼んでいたものは。
「私」というものは、ただの思い込みだった。
「私」というものは、ただの先入観だった。
「私」というものは、ただの固定観念だった。
驚きである。
無我など、瞬間に達成される。
既に無我だからだ。
瞬間解脱だ。
さて、さて、
尻尾が出たかな?
幽雪 九拝
______________________________
______________________________
■崩 残 より ↓
●あなたの回答は、どれも「すべて、不正解」ですよ。
竹の間の皆さんの「お目汚し」になってしまうような、
目も当てられないほど、「あんぽんたん」のひどいものばかりですね。
不思議なものですね。
その者に、何かが起きたか、起きないか、
それは、たったの一行でも、わかるものなのですよ。
ダイジ氏の、暗黒に輝くような言葉を見てみなさい。
ただ者ではないのが、仏教を知らない人の目にすら、一瞬でわかる。
だが、君の言葉には、ひとかけらの輝きもない。
なぜだろう。
それは、「何も、肝心なことが、起きていない」からである。
●私の着眼点というものは、回答の言葉が、
禅坊主どもの屁理屈に、かなっているかどうかなどではなく、
本当に、行き詰った本人の個性から出てきたものなら、
私は、不正解でも、「良し」としてきました。
あるいは、正解か不正解かではなく、点数という形で、
そこに「コントラスト」を過去の問答でも設けてきました。
そのような点から言うと、あなたの回答は、
せいぜい、20点ですよ。
禅寺で20年?修業しても、たったの20点とは、
なんとも、情けないものです。
さて、以下は、
あなたが自分の回答につけた言い分の一部、と私の言葉です。
↓
>>「私」というものは、ただの思い込みだった。
>>「私」というものは、ただの先入観だった。
>>「私」というものは、ただの固定観念だった。
>>驚きである。
●いまだに、こんな程度のことを振り回している、
あんたの進歩のなさが、驚きですよ。
>>無我など、瞬間に達成される。
>>既に無我だからだ。
>>瞬間解脱だ。
●なんとも、醜い「私」が、居座って、
クソ座禅している上に、その自分の汚臭にも気づかないようだ。
「瞬間解脱だ」←別に、この言葉は、あんたの中の仏(「今」)が、
今そこで言っているのではなく、
「人の考え」と「記憶」が言っているだけですよ。
>>さて、さて、
>>尻尾が出たかな?
●↑これこそが、あなたの、ウンコ臭い「尾っぽ」です。
君は、(おそらくは)死ぬまで悟れないよ。
そして、君たちがよく言う、
悟れないでもいい、
悟りなどは、それ自体が、囚われだ(あるいは、ルアーだ)
悟りなど、そもそもない、
今ここが、既に、只だ、解脱だ、只これのみだと、
何万回、君が言っても、
君の姿は、どこまでも、こっけいで、哀れだ。
本当に、「自分」で「自分を見捨てれば」、
なんとかなる日も来る「かも」しれないが。
●
君に言っておく。
真の禅とは、「自己確認でもなければ」、
「無我確認でもない」
「無 確 認」だ
●たったの人ひとりも、斬れもしない、生かせもしない、
君の「無力な言葉」を振り回しては、
座禅にもなっていない(座れもしない)ケツを、
プルプル振り回して(クレヨンしんちゃんみたいに)、
竹など切ろうとして、刀を振り回す暇があったら、
その、薄汚れた寺と、
禅という色眼鏡との 縁を斬っておけ。
君のような禅を、日本語で、何というか、知っているかね?
「ひとり よがり」だ。
君のは、禅ではなく、
ひとりでヨガっている、「野狐ヨガ」なのだよ(笑)。
・追伸・
もしも、本当に、
もう一度、一から仏道を求める気力があるならば、
「私から問い」と、「君の答え」、そしてこの「私の君への言葉」
このすべてを、雪渓老師のところへ持って行って、
「私の落ち度は、一体、どこにあるのですか?」と問えばいい。
雪渓老師が、何と言うか、私も、密かに楽しみにしていよう。
_______________________________
はい、お次。
生臭坊主の悪臭のあとなので、
これは、ちょっと「かわいい 不正解」ですので、
読者の皆さんのお口直しにしましょう。
↓
●宮川さんへ
>武士「刀、抜きでは、私が、キレ(斬れ)ますよ。」(怒るぞという意味で(^^;))
●これ、グリコのおまけで、50点。
(怒るぞという意味で、、、)・・これがなければ、80点だったのです。
まぐれ当たりで、竹の真ん中あたりまで、刃が入っています。
いいんだか、悪いんだか、分かりませんが、よかったですね。
「刀抜きでは、【私が】 切れてしまいます」
これなら、かなり良い部類の答えなのでした。
正解者「2.5人」のうちの、おまけの「0.5人」とは、これです。
「偶然の、まぐれ当たり」が生み出す、面白さですね。
あなたが、男性か女性か知りませんが、
もしも女性で、かわいい人だったら、
「本当は、正解ではない」ので、
ほっぺたへのキスすらも出来ませんが、
投げキッスぐらいはしていたでしょうね。
あなたの中の「それ」に向かって。
「いつの日か、
あなたの中の「これ」に、
出会えるといいですね」と。
●
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