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[3540]
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ACの人が親の呪縛から離れる有効な方法のひとつ
by:
崩残
2006/06/07(Wed)10:09:41
●話題を、ここで、もう一度、皆さんの足元の問題に戻します。
たとえば、自分が機能不全家族であったり、
または、トラウマを抱えているといった場合に、
カウンセリングを受けるその、費用そのものに無頓着な人が
おおすぎます。
もともと、親から受けた傷なのであれば、その傷をどうにか
するには、親の手垢のついていないお金、つまりは
自分で稼いだお金でカウンセリングの費用を出す必要があります。
そうでなければ、何も役に立たないです。
これは、カウンセリング以外のもの、たとえば、占いの相談料、
何かのワークショップへの参加費、そうしたすべてのものに言えることです。
だから、もしも、そこを間違っている人がいたら、まずはそこからです。
たとえば、ここでは、AC系のケースに話を絞りますが、
ACの人が、自分でそれと知らずに気に入ってしまって、
拾いこむ「異性」というものも
結局は親からの毒に汚染された基準で相手を選んでしまうのですから、
カウンセリングの相談費用を、彼氏や彼女、家族に出してもらう
というのは完全にアウトです。
いかにその原因、犯人が親であったとしても、
そこだけは、親や伴侶に関わらせてはいけません。
それをやったら、その相手(伴侶や親)に、
あなたの個の意識を束縛されます。
これはこの手の話題の最初に釘を刺しましたが、
親が子供に気づかれずに、子供を自分の都合のよいように、
ずっと縛り付ける最大の効力があり、
かつ、無能な親が使える「安易」な武器は、お金です。
世の中ほとんどそうです。
精神的に縛るということは、実はかなり難しいので、
多くの親は馬鹿でも使える最も簡単な方法として、
金銭物質を援助するという形をとって子供をずっと
「自分の不満の掃き溜め」にします。
子供に対して、逆らうと食えなくなるぞ、とか、追い出すぞ、とか、
誰が食わしてやっていると思っているのだ、とか、
逆に、何かのご褒美に、物品を買い与える親、
こうしたものが、子供には「脅迫」や「飴玉」として作用しています。
だから、そうした手法で、たとえば中年になってすらも、
今も親に知らずのうちに、心を縛られて、
精神的病理を発症している人は
精神的な面で、決別を親に宣言するということと
物質的な切り離しは「同時」平行してやるべきです。
ただし、私見では、どちらかというと、「まずは物質」からです。
物質を切った方が、自己分析も明確に焦点があってくるからです。
それまでは、その人たちの自己分析は、使い物にならないぐらいに、
めちゃくちゃです。
一例として、私がかかわった、あるAC男性のケースの場合には、
まずその人の身の回りにある、親の手垢のついたお金や物品を全部、
捨てさせました。
すると、着るものすらほとんど残らないのですが、
それでも、そうさせました。
幸いに、その人のパソコンはもともと以前にバイトをしてためた
自分のお金で買ったものなので、汚染されていませんでしたので
私は、その男性とメールなどのやりとりは出来ました。
これがもしもPCまで親の金で買ったものなら、全く駄目なのです。
彼には、アルバイトをしたお金で、靴、上着、下着、
といった「本当に自分個人のもの」として、
最低限のものから買いそろえてゆかせました。
そのあとで、本人が本当にしたいことに必要なものをそろえるために
その大切なお金を使うようにさせました。
その結果、それをした、とたんに、自分の過去や親に対する
観察や、分析は、それまでの曇った目とは一変して、
すべてが的を得たものと変化し、
その結果、作成した親への絶縁状(兼、自分の親への分析の見解)は、
たった一通で、その人の親の頭を吹っ飛ばしてしまいました。
このときには、私は一切、その文の作成には手助けはしていません。
すべて自分でやらせました。
親に会いにゆかせ、どういった影響を親に及ぼしたかを
確認させましたが、たった一通の手紙で、
現実の「事実から、親が必死に目を避けようする、その逃避作用」で、
その親は、あっという間に、痴呆状態に陥ったのです。
(自己逃避の最後の手段は、自分で「麻痺すること」ですから)
その人にとっては「これが自分の親だったあの人間か」と、
目を疑うばかりの、一種のボケ状態となっていたようです。
これは極端に効力があった場合のケースですが、
本当に感情をぶつけ、
内省を詰めていった、嘘のない文には、そういう効果があります。
そういうことですから、基本に戻って、
親からの汚染を受けた部分(特に、お金と人脈ルート)は、
まずまっさきに「物質的に分離すること」です。
それに平行して、自分の頭と意識で自分のことを
見られる「目」がまず出来ます。
お金がらみで依存しているということは、
すなわち、日々の生活をする「自分の肉体を支配されている」のと
全く同じことですから、実は、原因不明の体調の不良なども、
結局は親との金銭面の縁を斬ると、
とたんに、治ってしまったり、急に良好に向かう人も多いのです。
なにしろ、自分の不満の捌け口のオモチャにして飼いならしておくには、
親にとっては、「子供が心身の何かが病気であることが必要」なのですから。
親からのお金や物や人脈は、常にその人を、
身体的にも、中途半端にしておいて、健康にしないような
「毒」を含んでいます。
それは「毒になる親」どころか、子供に毒を悪意から与えている親なのです。
生活費や雑費、その他の物品でも、その毒が盛り込まれています。
結婚したり、金銭的に独立しても、それでもなお、
親から精神的に離れられていない、
という人も世間にはむろん多いのですが、
よく観察すると、その独立や、出世の「最初の人脈や物品」に、
親からの援助、親の仕込みがあったりするのです。
だから、親が持ってきた見合い結婚は、
世間的にうまく行っているように見えても、
私から見れば(良縁もあるので全部でないにしても)
かなり失敗率が多いし、
親の資産や物を受け継いで「企業した人」は、
そのほとんどが、おかしくなるのです。
親からの物品と金が本当にゼロになったとき、
そこから、自分だけで稼いだお金で生きるとき、やっと、
実質的に、意識と身体というものも同時に、
ようやく、「自分で責任を持てるもの」になります。
自分で責任を持てば、感情なども正常に機能します。
感情を無意識のうちに制圧しては、
何があっても「平気な顔」をしたり
コンプレックスを他者にぶつけては、冷笑したり、
何がなんでも、自分から目を避けるために、
常に格好やポーズを付け続け、
その事に無自覚な人間になったりする、
こうした愚かなことも出来なくなります。
何かの原因を、別の人のせいにすり変えるということも
起きなくなります。
そうしたものが、いつもでも怠惰に、無意識的に、
壊れた機械のように、ずっと何年も何十年も繰り返されるのは、
経験したことを「自分で引き受ける」だけの「個」が
心身に、基本的にすら形成されていないためです。
簡単に言ってしまえば、個というのは、自活ということです。
むろん、世間にはそうでない、ACの影響のない人も沢山います。
彼らは、別に精神世界のことなどに関心もありませんが、
人を超えるなどということの遥か以前に、
その前に動物として、絶対的に必要な資質、つまり、
きちんとした、親からの影響を脱した、自我と、
自分の思考と、自分の感情と、自分の身体をもった
「1人の人間」としては、極めて「正常」です。
だから、ひきこもりの人とか、何か調子の悪い人とか、
または、結婚していても、独立して自活していても、
老若男女問わず、どうも自分がおかしいと思ったらば、
まずは、そうした、金銭や人脈や資産の流れで、
自分を縛っているらしき怪しいものに(結婚前に親から受け取ったもの)、
身に覚えがある人は、まずはそこから斬ることです。
_____________________________
●それと、私が何度も観察して思ったのは、
依存関係を断ち切れていない人間の最大の特徴は、
「もっとも肝心なとき」に、「最も必要なもの」には目がいかず、
集中力が続かず、
まったく「どうでもいいものに目と関心が向いてしまい」、
暴れ馬のように心が騒いだり、焦点を見失ったり、
おしゃべりや暇つぶしゲームに時間を費やすという事です。
自分が今、何をすべきか、ということが
いとも簡単に外れてしまうのです。
しかし、この原因も、実は、親からの影響です。
なぜならば「ACの親」の本心というのは、
>子供が自立へと変化しては困るので、
日頃は、口では子供の自立を支援するポーズをとりつつも、
確実に変化を及ぼすような作業をしたときからは、
それを真っ向から妨害するからです。
そういったときには、たいてい、
自分が変化するために
「一番優先してやらなくてはならないこと」からは目がそれてしまい、
そのかわりに、エゴが自己満足のダシに出来そうな
(つまりは親と全く本質において同じことを出来そうな)
いじめの対象を自分で見つけ出したり、
または外部から、気休めになるような餌(対象)を与えると、
いとも、簡単にそれに食いついてしまうということです。
酒や、情報や、他者との交流、宗教、その他あらゆる依存性を
持つものが、ここでは、焦点をはぐらかすのに有効です。
ちまたの掲示板でも、私は沢山そういう人を見てきました。
そうやって、親から受けた影響の呪縛から離れるために必要なことや、
あるいは自分自身の人生にとって、一番肝心なことに限って、
自動的にそれが出来ないように仕込まれているのです。
肝心なことに時間を使わず、また肝心なことほど
集中が続かず、無関心になるというのがこの人たちの特徴でした。
一方、自我が本当に独立している人は、
自分にとって大切な肝心なところで、物凄い集中力を発揮するが、
それは何も、その人が優れているわけではなく、
人として当たり前であるということ。
なぜならば、そこで集中させているのは、
本人の心身の死活問題であるのだから。
親など助けてくれない立場の自立した動物と同じです。
そうなると、ひとつひとつの人生経験や損失や利益は、
すべて、本人に帰ってゆき、本人の足だけで生きているのですから、
嫌でも、ひとつひとつの経験や物事に「真剣にならざるを得ません」。
自立していない人に、肝心なことへの集中力や関心が
長続きしないのは、結局のところ、それをしなかったら
直接に「それは自分の死にかかわる」という、
「本能的な現実感がないから」です。
親のものに依存した「安全圏」のビニールハウスにいるのですから、
何に対しても真剣になれないし、
本当の感情を出して、それを自覚するといった、
ごく簡単な作業も出来なくなってしまい、
深い眠りの中に陥ってしまうのも当然なのです。
だから、物質的な自立というのは重要なのです。
あなどれません。だから、
>最も足元の問題は、あなたの頭や精神をも奪うといったのです。
本当に孤立した動物としての本能的な部分が作動しなければ、
人には「自分だけのため」に使う「集中力」は、決して生まれません。
以上が、「金銭や物質や人脈の構造には気をつけろ」という教訓です。
親から受け継いだもののうち、遺伝的なものや、
才能面といったものは、それは金銭よりは遥かに影響力は
少なくなります。
ただし、親から受けた「教育」の影響も、
それが「純粋な教育だけ」ならいいのですが、
親が出来なかったことの願望投影や、
親の勝手な趣味に付き合わされたとか、
親が「世間体や、見栄から、子供に教育したこと」であるなら、
それもむろん子供を「病んだ心身」にする「毒」になります。
______________________________
◆ただし、ここで、注意すべきことがあるので、
しっかりと考えてください。
今回書いたことは、何も「自活教」を説いているのではないということ。
では、親から離れて自活したら、それですべてが解決したりするのか
という問題ではなく、自活すれば、
「やっと自我の発達が始まる」ということであり、
そこから、自分の醜い自我にようやく直面する旅が始まる
という事にすぎません。
自活したからといって、何も解決するものはありません。
ただし、「親から受けたくない影響を本当に明確に自覚している人」にとっては、
自活することで、少なくとも、自分のものではないゴミからは
離れられる、ということであり、
そのあとは、今度は「本当の自分のゴミと向き合う」ことになる
ということです。
◆そして、こうした親との絶縁や自活が必要であるのは、
「自分が相手を嫌悪しているなら、その対象の恩恵は受けるな」
ということですから、
その嫌悪感が現実感覚として、苦しいほどに本当に嫌になっていない
人というのは、親のすねをかじっていればいいのであり、
親との分離などしなくていいのです。
また、何も大きな問題のない家庭も世の中には、ちゃんとあります。
そうした人の場合には、むろん家業を継ごうが、
親のお金を元に何かやろうが、
「良縁な親子」なのですから、何も問題はありません。
ただし、この↑の言葉をいいことに、
実は思いっきり歪んだACであるのに、
自分の家庭には問題ありませんでしたと、
無自覚になることに居直って、親のすねをかじるのは、
それは、お好きに、ご勝手にどうぞです。
私が問題にしているのは、親を嫌悪し、親の悪く思うのであれば、
「こんなこと私にしたのだから、お金ぐらにふんだくって当然だ」
というような「ずる賢い姿勢」で、
自分の中で「勝手な帳尻」を合わせている者は、
それでは、「親と同じコピーになる」と言っているのです。
「こんなことを、親は私にやらせているのだから、こっちも、
お金でオトシマエつけさせてもらうからいいだろう」
そういう考え方では何も解決しないのです。
今回、私が指摘していることは、
何かおかしいという、自分への違和感や、必要性から、
自分の内面を本当に掘り下げたとき、そこに大きく親の
「悪影響が」見え隠れし、その結果、それが自分に大きな苦痛や
嫌悪感を自覚的に与えているという、そのケースにおいてのみです。
その人は、自分が嫌っているものの世話になっていながらに
その相手に、小言や文句を言うのは、筋が通らないのです。
それでは、「自分」に対して、ケジメがつかない、
だから、その人は、自力で離れなければならない、と言っているのです。
◆だから、もう一度、「この問題の原点」とは何かを考えることです。
この問題の原点は、悟りといった探求と、全く同じように、
>本人が、現実に、現実感を持った、苦しみがそこにあり、
>嫌悪感がそこにあり、自分には機能不全家族問題が関係していると
>本人が確信した場合にのみ、必要な作業であるということです。
私が、数日前まで、ほんの少しだけ、分析の手伝いをした
2人の人間も、それをまず勘違いしていました。今なおもしています。
問題は、「自活せねば」ということでもありません。
また、ACでありながら、
自活よりも依存を選ぶのもその人の自由です。
ACの人が「自活すれば」問題が解決するわけではありません。
ただ、自分の経験に責任を持てるようになるだけで、
今までよりも自己嫌悪や痛みは増すことも多いものです。
ただ、無自覚に誰かのロボットとして生きることをその人は拒否した
というだけの話です。
親や家庭に問題がない、と思えるのであれば、
それが、たとえ、事実としても正しくて、本当に問題がないのであろうが、
実際には、間違いで、問題だらけなのだろうが、
そうした実際の事実とは関係なく、
ようは、それに対しての、本人の自分の嫌悪、反撥、拒否が、
「本物かどうかだけ」です。
嫌う事すらも、どこかで無気力になって、「中途半端」で、
本気になれないなら、独立する必要などないのです。
望んでもいないことをすることは不可能で、不毛です。
だから、私も他人の分析など手伝う気もありませんから、
自分と親との関係に、問題があるか、ないか、
「まずは、そこから自分で考えること」です。
そもそもAC問題自体、他者が指摘するような問題ではありません。
その自分の結論が、家庭に問題ありだったとしても、
その問題を自分にとっての、重大な問題として実感出来ないのであれば、
結局は何も変化しませんから、そのまま生きればいいのです。
また、その結論が全く問題なしならば、
たとえ、嫌悪が続かず、中途半端だろうが、その人は今のままでいいのです。
嫌悪感が苦しくてしかたなくて、
それをきっかけに、本当に、自分のことを、隅々まで、よく見た結果、
親から影響されたことを絶対に自分の中には今後持ってはいたくない、
そう思う人だけが、精神面や物的な面で、自立すればいいのです。
この問題の根本にあるものは、
「自分は自分をどうしたいのか?」という「意志の明確さ」ですから、
自活ということまでをも、エゴが、自活トリップに使って、
自己満足するために利用する、
そんな「自活ごっこ、親離れごっこ」などは、やめてしまっていいです。
本当に問題意識があり、自分の自我を自分のものにしたいと
思い悩んでいる人であれば、
何日もかけて観察したりする時間など必要としません。
また、「わからない部分がまだあります」なんていう言い草は
決して、出てこないのです。
本当に問題を、実感として、現実問題として抱えている人であれば、
この一連の投稿を読んだ瞬間にでも、
「一瞬にして、問題点の全部が一直線につながる」はずです。
それが分析に時間などかかったり、まだよく分析できていない
などと無力に言うのは、
ひとえに、そもそも、
「親のいいなりになっている方がその人には心地よい」ということです。
たとえ、無力に「愚痴や文句」程度のことは、親に言えても、
決して、自分の「重大問題とは自覚していない」のですから、
それ相応の人生をその人は歩めばいいのです。
これだけ言ってもわからない人もいるようですので、
子供にでもわかるように言えば、
取るべき道、そこにある道は5つだけです。
1/ACなのだが、ACという「自覚の全くない人」は、そのままでいい。
2/もともと、ACではない人で、何の問題意識も自覚もない人は、
むろん、全く、そのままでいい。
3/ACの自覚はなんとなく少しはあるが、アクションを起こすほどの
切迫した嫌悪までは親に感じない鈍感な者も、そのままでいい。
4/ACではないのにACだろうかと疑うのは、
疑う行為そのものはいいですが、
自分を調べてみて、その痕跡がなければ、安心して今のままでいい。
5/自覚的なACの人が、絶対にこの自分は嫌だ、
絶対に親の影響など、この先、持ってゆきたくない、
そうした危機感と感情的な嫌悪感があるならば、
その人は、自分が嫌うその相手から、
恩恵や支援物資など受ける筋ではないので、
自立の道を歩んで、自分の自我を取り戻しましょうということ。
ただし、それは、それまでエゴすらも自分のものでなかった人間が、
これからは、いよいよ、
本当に自分1人で問題を解決しなければならないという、
自我を取り戻したという「スタート地点」にすぎないということは
忘れないことです。
ただし、自我が本当に自分のものになっている人だけが、
(仮にひとつの方便であるにしても)前世を再生する事に
意味があります。それは本当に本人に関係してくるものですから。
しかし、「それ以前」の人にはリーディングなど全く無益です。
以上の5つのうち、皆さんは、いつものように、
「自分のエゴに都合のいい結論」と道を選べばいいだけです。
ただし、私は「5」の人以外に、かかわるつもりはありませんし、
今回の投稿内容は「5」以外の人には、知恵となりません。
また、私には、本人が無自覚なままの病巣の、
その発掘に手を貸したり、
さらには、鈍感人間に、その「自覚までを促す」、
そんなことまでする義務もありません。
●私の見てきたケースはいずれも、完全に親の汚染を受けたACですが、
本当に自覚的に、痛みや嫌悪を感じて、それへの拒否を明確にしていた人は、
「非常に少ない」です。
また、せっかく問題意識とその影響が自覚的で明確であったのに、
相談した相手の医師が薬を処方したために、
駄目になってしまった人も大勢います。
◆とにかく、問題の「レベルの差」こそあれ、
AC問題の解決だろうが、悟りだろうが、
最初の「原点」にあって、
最後まで続く原動力になりえる唯一の力は、
「なんとなく気持ち悪い」などという、
そんな甘っちょろいものではなく、
はっきりとした、現実感と感情をもって本人に自覚されている
「苦」だということです。
◆ ◆ ◆
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