▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
▲竹の間へようこそ▲
掲示板
Title
島流しリンク
自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
性と死のホームページ
★
「竹の間自薦投稿集」
★
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[3570]
■
●「お勧めの茶碗」と「虚無の微笑」の目次
by:
崩残
2006/08/09(Wed)18:34:44
お勧めの「碗」の購入先
>●右がお奨めの『朱赤茶流し4.0夏目丼』■
312gで、条件的には、こちらの方が感覚が頭頂部にきます。
頭部が普通の状態の人は、こちらいいでしょう。
●以下に、商品のページへの直接のリンクを張っておきました。
画像の一覧から、名前で探せばすぐに見つかります。
↓
>>『朱赤茶流し4.0夏目丼』■特別価格780円(定価は、1313円)
http://www.tojian.com/shop/shop/showunit/s_30/c_1/f_4/p_.html
◆あとは、皆さん各自で、この↑「サイト」で、ご注文ください。
ホームのメインに戻りますと、
他にも、実に、いろいろな陶器があって、
家庭用、または業務用に、食器を買おうと思っている人にとっては、
見ているだけでも、とっても楽しいですよ。
____________________________
さて、目次です。
発売は、9月上旬。256頁。本体価格2700円。
物凄く専門的で、マニアック過ぎる本につき、現時点では
「書泉グランデ」「ブッククラブ・KAI」
の3店のみに、納品する予定です。(模索舎への納品は未定です)
「虚無の微笑」
(悟った人たちへの伝言)
EO著(他、あとがき=崩残 体験の手記=行法実習者)
・・・目次・・・
最後の一歩・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
木陰の瞑想者と木・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13
問題は、受け止められるかどうかだけだ・・・・・・・・・・・・・・19
悟りと共に死ぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31
無気力感から悟りまでのプロセス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34
大勢の中途半端な者たち・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・44
狂い上がる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47
導師の上昇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50
小悟と大悟・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53
小悟のあとは導師が必要になる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・59
水中のピンポン球(悟りの原理)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・62
小悟と大悟の中間にある「中悟」の次元 ・・・・・・・・・・・・71
「中悟」の状態・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・75
置き物のように「物体」として在る・・・・・・・・・・・・・・・・・81
バーナデットロバーツについて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・86
悟った後の行法について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・103
対象が結像する前に意識から外す・・・・・・・・・・・・・・・・・・106
虚無の微笑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・111
悟りは人間のためにあるのではない・・・・・・・・・・・・・・・・115
大悟への「障壁」となっているもの・・・・・・・・・・・・・・・・122
____________________________
死人禅行法による「悟りの記録」・・・・・・・・・・・・・・・・・・126
「終わり」を求めて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・210
編集者・あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・217
小悟の持つ「危険性」について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・223
「なまけ者の悟り方」などない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・228
図説「死人禅行法」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・234
____________________________
■EO師の手記が約120ページ(すべて未発表の手記です。)
■行法実習者の「小悟」の体験手記が、約90ページ
■行法の図解が、約22ページ
(今までよりも図が分かりやすいです。座具の紹介も少しあります)
■私の{あとがき}などが、15ページ。
この「あとがき」の中で、
小悟した者が、よく陥りやすい「魔境」について詳しく語っています。
◆その他、内容の抜粋のごくごく一部を、以下に掲載しておきます。
一言に言いますと、「悟り」という事に、何かの知識や関心や
または経験のある人々にとっては、
おそらくは、衝撃的なほど「未知な内容」の話が登場する項目があります。
いままでに、どこかしらの導師から聞いたような話も「少し」はありますが、
その大半は、皆さんが、今までに、どのような導師たちからも、
全く聞いたこともないような、悟りに関する詳細な説明が登場します。
今までに発行されたEO師の著作からは、決して、うかがい知れないほど、
「悟り」の諸相というものが「複雑」なものであることが分かることでしょう。
なお、以下の抜粋は、あくまでも、ただの紹介にすぎませんので、
本当に「おいしいところ」や、「これまで門外秘であった重要部分」は、
一切掲載してありません。
それは、実際に、本書を読まれる方だけが、知ればいいことですから。
●EOシリーズの最後を飾る本書なしには、
EOイズムを、知識としてすらも、理解することは出来ません。
しかし、原則として、悟りという世界を「必要としていない人」や、
悟りを探求する、という「運命の定め」の中にいない人の手には、
この書が、渡らないようにと、個人的には、願っています。
●
****************************
>>
【まえがきより】
本書の最大の読みどころは、
前半に出てくる、(今日まで)門外不出だった、この書が、
EO師の手によって「悟った人たちだけに向けて」書かれたという事です。
・中略・
悟った人に向けてのみ書かれたこのようなものは、
公式的には、この世には存在しません。過去の一部の「秘教グループ」や
師弟関係の中では存在したかもしれない物ですが、
現代ではそのようなものは前代未聞です。
強いて言うならば、バーナデットロバーツの著書もまた、本来はそうした
「悟りの諸相の特定段階にある人たちだけの為」に書かれた事は明白です。
「もし同じプロセスを旅する人がいたら、その人の為になればと思い・・・」
という事が、彼女の執筆の「動機」として、はっきりと記述されています。
・中略・
本書が語りかけている「悟った人たち」というのは、
分類上は「小悟」に属する人たちです。
ですから本書の軸となるテーマは、「小悟」と「大悟」の間に存在する
「最後の橋わたし」、「最後の一歩」に関するものです。
探求者に、その「最後の一歩」を踏ませるための方便であり、従って、
「それ以前の状態」にある人たちには、必要のない言葉を含んでいます。
・中略・
本書の元となった手記を、当時EO師が公開を禁じた最大の理由は、
1993年当時は、「グル信仰」というものに汚染された人々が蔓延しており、
もしもこうした話を聞けば、
EO師が言う意味での「導師の位置づけ」を正しく理解せず、
読者は必ず「自分のエゴに都合のよい、身勝手な解釈ばかりをする」と、
師が判断したからであろう。
******************************************************************
>
【本文中の、EO師の言葉より】
私が探求途上にいる不特定多数の探求者に向けた言葉ならば、
その言葉は、彼らの陥っている思考への自覚のための刺激を与え、
彼らの内面にある意識の核に、多少の働きかけをする力もあるだろう。
しかし、小悟した弟子に何かを言うのは、それとは全く事情が異なる。
そこで、相手にするのは弟子の思考じゃない。そこで相手にするのは、
弟子の「悟った意識」に対してなのだから。
小悟した者に「最後の一歩」を踏み出すように働きかけられるのは、
唯一、大悟した者だけだ。
そして、実は、最後の一歩、それは、最後に「前進する一歩」じゃない。
断じて違う。それはどこかへ向かう一歩ではなく、最後の「退歩」なのだ。
・中略・
小悟もしていない者に「ただ見守る」などという状態は「不可能」なのだ。
過去から伝わる技法の中には、もともとからして「小悟から中悟」への
「橋としてのみ」機能するものがあるにも関わらず、いくつかのものは、
その段階にいない者の為の他の技法群と正しく区別をされていないのだ。
それは、悟ってもいなかったような指導者たちが犯した、大きな愚行だ。
・中略・
弟子が「導師の横で、共に座ること」に「本当の意味」が出てくるのは、
「この(小悟の)次元」に至った弟子に限られるのであって、
「決して、それ以前ではない」。
・中略・
小悟した弟子に対して、導師が取る手段というのは、「チューニング」だ。
それは時に表向きは言葉で弟子に何か論理的な事を説明しているように見えても、
実は、知的な理解や、説明がそこで効力を持っているのではない。
言うタイミング、声のトーン、視線といった、全体の動きそのものを、
導師が「全体なるもの」に全託した状態で示し、
そのチューニングの中に弟子をひっぱり込む、という方法が取られる。
それは、傍から見ていたら、一体何の意味がある言動であるかわからない。
それは、弟子の意識のチューニングに関わる事であって、断じて、弟子の
「理解」のためではないのだ。
導師は、何かを指さすだけかもしれないし、
ただ、ずっと黙って座っているだけであるかもしれないし、
おおよそ、悟っていない人から見たら、
何が起きているのか、理解できるものではない。
また「自分は瞑想をしてきたんだ。自分は導師と感応できる筈だ」だの、
そういった思い込みの中にいるにすぎない者には、そこで、導師から、
何をどう感じたところで「誤解する事」以外には、何も出来ないのだ。
・中略・
もしも、それ(悟り)が、そんな簡単に感染するものであったら、
導師は何の苦労もあるまい。
自動的に簡単に導師に感染して、小悟の者が、ひょいひょいと大悟など出来たら、
ブッダたちは、人々に何かを言い残す必要すらもない。
しかし、そこには、ある意味では、小悟するよりも大きな困難があるからこそ、
私は、時に弟子に言葉を書き記す。ただし、その、そのときには、
その言葉に意味があるのではない。その「言葉」が弟子を打つのではない。
「言葉」が弟子を打てるのは、弟子が、まだ小悟していない場合のみだ。
「最後の一歩」は、言われた言葉の意味ではなく、意味のない一言でも、
導師が、どういうタイミングで、どういう言い方をするか、つまりは、
行為全体の質が、弟子のその最後の一歩を動かせるかどうかを決定する。
・中略・
小悟から大悟に至るには、導師は「必要不可欠」なのだ。
私は、幾人かの探求者たちに、「導師など、必要ない」と、何回も言い続けた。
それは確かだ。それは「原則」としては「事実」だ。
だが、それには、たったひとつの「例外」があるのだ。
小悟から大悟へのギャップを埋めるためには、導師が、どうしても、必要不可欠となるのだ。
・中略・
大悟した者が、そのそばに小悟した者を引き連れている、
などということは、ほとんど、まずない事だ。
そして、もしも、大悟した者のそばに小悟した者が存在したとしたら、
その大悟した導師は、そう長くは生きられない。
というのも、もしも大悟した者が、その小悟した者1人に対して、
大悟への道筋を示すために深く関わったとしたら、
大悟した者は、それまでレベルを、小悟にまで落としていたものを、
その日から、大悟のレベルへと、戻さなくてはならないからだ。
そうなったら、人は、大悟の状態に、そう長く留まれるものではない。
・中略・
シュリ・ラーマクリシュナの言葉によれば、
このニルヴィカルパ・サマーディの状態に、人は21日間以上は留まれない
とされている。留まれない場合には、レベルを「小悟」に戻すのである。
多くの者はそうやって、余生を生きたのだ。
ラマナマハリシの言う、ジーヴァンムクタとは、この状態のことだ。
・中略・
もしも、これを何とか努力して、言葉を使って喩えようとするならば、
それは全く何も「対象のない空間に浮いている光の球」のようなものだ。
それは、ただ光を「放っているだけ」だ。その光を反射して形と色を生む
いかなる対象物も認識も存在しない空間で、存在の原点として「そのもの
で在るだけ」という次元のことだ。
ただし、そこには「至福」はあっても、断じて「光の体験ではない」。
もしも、光として体験したら「間違い」だ。
そうした究極的な純度を持った「何か」が、人間という、
このとても狭い存在に限定された「個体」の中で生ずる。それが悟りの本質だ。
・中略・
小悟であれ、中悟であれ、またどんな、小さな脱落体験であれ、
「虚無」の片鱗に接したという事の結果であるのは事実だ。
しかし、接したその「虚無の深さの差」によって、
そこから戻って来て着地する地点に差が生ずる。
その差によって、それは小悟にすらなっていない体験から、
大悟に近いものまで分かれるのである。
たとえば、「ただ在る」といっても、それが「どの範囲」における「在る」
なのかによって、その「中悟」は、限定を受ける。
たとえ、「個人の自我」を超えようが、
人間という「種族の持つ自我」のようなものが残り、
それを超えても、地球の全体に共通する「惑星の自我」が残り、
地球の自我を落としても、「太陽系の持つ自我」が残り、
太陽系の自我を落としても、小宇宙の自我や「銀河系の自我」が残る。
・中略・
・
・
・
_________________________________________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(3570 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
竹の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -