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[3632]
■
「陰謀論好きな人」にお勧めの本
by:
崩残
2006/11/29(Wed)05:37:03
●松の間と梅の間は、テーマが「鮮明に明確」ですが
竹の間は、テーマの許容範囲が広いので、
次元を上下させながら、いろいろなタイミングを計っているわけですが、
来年あたりに、一気に上にジャンプする前に、
もう少し、下世話な話題をここでひとつしておきましょう。
そこで今回は、
>自分が、読んでもいない本を、他人に薦める、変な投稿。となります。
ひさびさの「陰謀論」についてですが、
世の中には、本当に陰謀論で頭がおかしくなっている連中がいますね。
たとえば、かなりだいぶ前に、お気に入りから削除したので、
最近は、どうだか知りませんが、
某地震予知サイト(むろん予知など、ほとんど当たっていないが)などは、
あちこちからの借り物の「つぎはぎだらけ」の出来の悪いパッチワークで
妄想が肥大している管理人や投稿者がいたり、
ネット上にも、何かと陰謀説に「凝っている」人達がいたようです。
以前にも書きましたが、この人間たちの最大の特徴は、
歪んだ「被害者意識」と、何よりも「劣等感」です。
だから、自分が「何か大きな事に参加しているようなつもり」になって
自尊心を肥やそうと、みっともない事を言ったりするわけです。
その人たちというのは、常に、社会や他者や、何かに責任を押し付けようとする
「自己責任感の浅い人達」です。
そして、何についても、「実体験」や自分の体を張った実証もなしに、
「知ったかぶり」だけしか出来ない「ただの暇人」です。
ただし、それは他人から見聞したことを、勝手に自分の頭の中で
ごちゃまぜにしているタイプの「読者」のことです。
一方で、その情報を、体を張って「自主的に発信している側」というと、
たとえ、その真偽が怪しくとも、「事」は「全く違ってきます」。
だから、そういう陰謀論に傾倒している人達には、
たとえば、私は次の本などを、お勧めします。
既に、多くの人が知っているものですがね。
↓
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/shuppan.htm
↓
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/propaganda.htm
メインのブログはここです。
↓
http://richardkoshimizu.at.webry.info/
こういう「他人の書いた本」を読んで、
思いっきり、ネットで、勝手に「知ったかぶり」をすればいいでしょう。
それで、そういう人達が自己満足して、自己顕示欲が満たされるのなら。
■ところで、私はこの本を、無論、読んでいませんし、
注文もしていません。
なのに、どうして無責任にも、陰謀妄想の人達にこの本を薦めるかと
言いますと、単刀直入に言って、「おもしろそうだから」です。
読んでもいない本とはいえ、以前に言いましたように、
私は、こと、他人の書く文に関しては、数行読めば、おおよその事は
断片的に分かります。
その人の性質、気質、信念、あるいは妄想。
そして、時には、その人の生まれてきた目的など。
いろいろなものが行間から読み取れます。
その視点から、この著者を見ると、
単刀直入に言って「お・も・し・ろ・い」です。
文体も、論調も、そして「皮肉の使いどころ」も、大変にイケていますし、
「もしかして、この部分だけは、本当の事なのかな??」、
などと存分に思わせてくれます。
つまり「娯楽性満載」ということです。
もっとも、著者ご本人は「娯楽性」を追及しているのではないと思いますが。
●で、私としては、読む人には、
次のスタンスで読んで欲しいと思っています。
(って、読んでいない本を薦めるという{無責任行為}であると
言いましたからね)
>1/全くのデタラメのトンデモ本である可能性。
この場合には、「フィクション」として楽しんでください。
楽しむことぐらいは、出来ると思います。
>2/「あること ない事」が書いてある本で、著者が本当に反ユダヤである可能性。
この場合には、「ないこと」がどれか自己判断して読みましょう。
>3/「あること、ない事」が書いてある本で著者が実は、当のユダヤ。
この場合には、「どうなっても知りません」。
■というのも、「2だと思っていたら、3だった」なんてことは、
「忍び」の世界では、大昔から、当たり前の手法だからです。
「何か」に敵対するスタンスを徹底して通すことによって、
その「何か」に同じく敵対する思考を持つ人々がそこに集まります。
しかし、もしもその収集行為が、その「何か」が自分の敵を一箇所に
集めて「処分するため」に、集めたのだとしたらどうでしょう。
つまり「あー、この人は信頼できる、正義の味方だ、反ユダヤだ」とか
思って、接触したら、実は、そのユダヤの「ブラックリスト」作り、
または「目障りな分子の駆除」が本当の目的だったというような場合です。
戦国時代にね、こういう手法が日本でも、たびたび使われたんですよ。
現役の忍びや、抜け忍や、あるいは敵の有能な人材を「刈る」ために。
たとえば「俗世間の価値観に対立している、それを超えている」と思って、
オウムに入ったような人達は、結果的には、
「とんだ、俗世間に汚れた政治家の、ただの金庫」だったり、
あちこちから、テロの「捨て駒」に利用されたりする、という、
ある意味では、俗世間以下の「俗っぽい集団」であったというのも、
こうした構造の「分かりやすい実例」です。
■話は、少し飛びますが、
幕末もそうでしたが、特に混乱が酷かったのは戦国時代からそのあとで、
私も前世で、一枚、その内乱には加わりました。
そのころには、徳川だの、柳生だの、さらには「裏柳生」だの、
それらに対立する武将や組織や、地主や、農民の人達が、ごちゃごちゃになっていて、
「一体、誰が敵なのか味方なのか、わからない」といった状況でした。
私は当時「反徳川」の側の、忍の組織の「教官(技を教える側)」のような立場にいましたが、
私の部下の1人が、ある村の組織を反徳川勢力側の組織だと誤認して、
助っ人を何十人か送り込んだら、
その村自体が「忍び狩りの罠」で、そこに投じられた私の部下全員が、
「村人を装っていた敵」に惨殺された、という苦い経験があります。
むろん、私も許しませんでしたし、タダでは済ませませんでした。
たった一人の「刺客」を送り込むことで、相手の陣営に内部分裂を作り出し
ボスを殺して、相手の組織の結束を壊滅させました。
その時に、私が送り込んだのは、たった一人の女性でした。
つまり、色仕掛けの罠、そして情報操作というやつです。
といっても、私が送り込んだ女性は、
一滴の血でその手を汚すこともなく、
私のところに無事に帰ってきました。
つまり、
敵のボスは「自分の部下たちに殺されるハメ」になったからです。
・・・しかし、あれから何百年も過ぎた、今では、
当時は私と完全な敵対関係にあった武術流派の末裔の人と私との間に
親密な交流があったりするわけで、
現在、私を取り囲んでいる人達には、対立的な因縁は全くありません。
なにしろ、現在の課題は、世界的なもので、もっと広いものですから。
■さて、話を戻しますが、こうしたことを踏まえて、
>「もしかすると、本当に真実を「あることないこと」暴露しているのかも
>しれない、
>いや、もしかすると、とんだ悪の手先で、買ったりしたら、
>自分も「抹殺リスト」に加わっちゃうんじゃないか?
>でも、匿名のネットで「知ったかぶりは、したいなー」、
とか、1人で「存分に考えた上で」、
こういう本を、注文するか、しないか、「しましょう」。
■もっとも、ちょいとネットで立ち読みをした感じでは、
「頭の悪い弁護士」や、
真の「脱・洗脳」ではなく「逆・洗脳」しか出来ない、
無責任「脱会カウンセラー」が
「かたぎの」つまり、オウムの「平信者」たちを説得するよりも、
よっぽど「自主脱会を促すのではないか」と、私などは思ってしまうのである。
何しろ、この本、決してオウムの連中に味方などしていませんから。
「君たちと君たちの教祖は、ただ金の為に、ボコボコに利用されたんだよ」というのが
主題のようですし。
■ということで、「読んでもいない本を薦める」という
竹の間では、珍しい「トンデモ企画」でした。(笑)
うーん、元祖「ぶっとび本 老舗」の「模索舎」あたりなら、
これ、絶対に、そこそこ、売れるな。
■そう、「自分の身の安全」を確保した上で読みたい人は、
「模索舎」に、この本が欲しいと、メールかfaxで注文して、
この本の発行元を教えて、「模索舎で仕入れてもらい」、
そして、通販ではなくて、「店頭で買えばいい」のです。
これで、あなたは、個人情報を知られずに、安全にこの本を
読むことが出来るでしょう。
模索舎から数百メートル離れたビルの陰に、「悪の手先」が
監視と尾行をしていないかぎりは。
さー、それでは、皆さん、ご自分の意志で、
「スリリングな船旅」をお楽しみください。
でも、もしも、旅の途中で
「酔って、吐いたら」、その船を降りましょう。
_________________________________________________________________
■さて、私個人は、いわゆるこの手の「陰謀説」には、
それが事実であってもなくても、全く関心がありません。
実は、ご存知のとおり、社会問題も、関心ありません。
そうではなくて、社会現象であれ、何であれ、日常的な料理という作業、
セックスという作業、散歩という作業、ニュースを見る作業、
どういう作業、つまり生活をしている中でも、
問題となるのは、
それを「どう見るか」または「見ないか」という
個人的な「経験に還元せよ」ということです。
思考したり、推測をするゲームが主題なのではなくて、
自分の頭で疑うこともせずに、
「一般論を口にしたりするな」ということです。
(「邪・ワイド」の軽薄な口先だけの、
粘着性+貧弱+三流ジャーナリストのように。)
これは社会に対してばかりではなく、精神的な探求姿勢にも必要です。
社会も常識もまた宗教書も、歴史も、未来も、
誰も「あなた」を守護も保護もしないのですから、
常に、自分が死ぬ最後の最後まで、
精神的には「全くの孤独」の中で、道を進みなさいということです。
●そうした中で、経験されることは、
何の痛みもなく、自分に実質的な利害関係も全くないような情報であれ、
実際的な痛みであれ、
どちらも、「経験されている現象」としてどうそれを扱うか、
ということがここ、竹の間の一環した「主眼」です。
私が政治問題や社会問題や事件に対して、たまにコメントを入れるのは、
理由のひとつは、閉塞的な感情に対するガス抜き作業であるが、
もうひとつの方が重要で、
それは、「ひとつの視点のサンプル」を皆さんに提示することにあります。
ようは、ここで売っているのは、事実でもなく、情報でもなく、
生活マニュアルでもなく、おもしろ話でもなくて、
また、勘違いしてはいけんないのは、物事の「思考法」を
ここで論じているのでもありません。
自分の意識の「在り方」をどうすると、物事の多角的な視点が得られるかということ。
これが竹の間の最大の主題です。
また、それは知的な娯楽なのではなくて、
常に、みなさんが自分の意識の状態の起伏、その上昇や下降を
「自分で検査する手段である」ということでもあります。
わかりにくいかもしれませんが、分からない人は、どんどん
ほっておきます。
来年は、そういう方針でやりますので。
●有料になるのに、逆に、どんどん不親切になる、
有料になるのに、全く読者に構わない、不親切、質問にも答えないし
質問もほとんど見もしない、
暗号的な言葉だけを、ばら撒いて、「頭ではなく」
「感覚」としてそれをキャッチできない人には、いちいち解説もしない。
それが来年から予定している方向性です。
その方法がなぜ、いちいち親切に対応するよりも、
結果として遥かに有用であるかは、既に竹の間の読者なら、おわかりのはずです。
●さて、陰謀説に、私は全く関心を持てない大きな理由のひとつは、
時間の有効性です。
どれだけの陰謀があったとしても、数億年先には地球という惑星そのものが
存在しませんし、
現存しているここの人類さえ、当然そこには、もう、いないでしょう。
また、仮に、生物の階層構造が、複層的に連鎖していたとしても、
陰謀者の上には、さらに陰謀者がいて、その上には、また別の生き物がいて、
その上にも、別の階層があり、結局のところ、この連鎖には
果てがないからです。
つまり時間的、空間的に、
「普遍性を持たない問題」には、私は関心がもてません。
●一方で、皆さん個人の意識となると、
「残念ながら」というべきか、
あるいは、「おめでたいことに」というべきか、
下手をすると、(過去に、いろいろな意識の合成や化合や分裂はあったものの)
この太陽系の歴史よりも、
「皆さんの意識の生存年数の方が長かったりする」わけですから、
その時間の尺度の中で通用する問題しか、本質的な問題ではないわけです。
つまり、さて、あと45億年の旅を皆さんがこれからも続ける。
そこで、何を目的にその時間を生存する理由とするのか、
それとも、それ自体を馬鹿げたものと認識するのか、
そうした視界を見ないようにして、自分を日々の日常生活の
価値観や、雑事の中に埋没させて、無意識になり、
「その尺度で見えるもうひとつの現実世界」を見ないように頑張るか、
あるいは、古臭い悟りの物語や伝説や経典に、いつまでも陶酔して、
盲信にしがみついて、これから何万年かの時間を、単に暇をつぶすか、
または、
とりあえず、別に何もわからなくてもいいので、
今回の寿命がきて死んだら、「あとのことは死んでから考えよう」と、
>いままでも、何度もやってきて、失敗をし続けた、
>その同じ「先延ばし」主義で、終わり、また同じことを再開するか・・・
どれでも、選ぶのは皆さん個人です。
別にどれを選ぼうが私には関係のないことですが、
こう言っておくことは出来ます。
「地に足をつけて歩く」という言葉の、真の意味は、
もともと、その地盤そのものが、流体であるのに、
それが固定していると勘違いをして、その上に踏ん張ることではない
ということ。
本当に、大地に足をつけて、生きる事の出来る人というのは、
一度、大地を本当に「完全に離れてみた人」だけです。
その大地を、
上空と、そして全く逆向きの地下深くから見てみなければ、
それは出来ないことであるということ。
つまり、世間や宗教でまかりとおっているような軽薄な意味での
「地に足をつけた生き方をしろ」などには、
全く何の根拠も説得力もないということ。
常識とか、良識とか、または「現実」と呼んでいるもの自体が、
そもそも、何ミクロンという皮膜のような大地に存在して、
それが硬くいつまでも安定した大地だと思い込んでいるのであるから、
我々がいだく、生活上の実感、社会という感覚、生きているという
感覚、それ自体が、かなり怪しくも、流動的な基盤の上に成立しているということ。
だから、真の意味で、大地に足をつけて生きるというのは、
現実性や「現実感を持つこと」でもなければ、
現実に「適応すること」でもない。
現実とか大地とか言われているものを、
それらとは本来、全く無縁である皆さんの意識が、
どう「取り扱うべきか」と問われるならば、
私はこう答える。
現実や、大地「に生きる」、のではなくて、
現実や、大地「を使って」、空中に生きろ。
ただし、
それは最後まで、「一切、何者にも迎合もしない」
「過去のどのような者も、物も信じない」
あなたの「絶対的な孤独性」だけが、なし得るということ。
つまり、「この世界に、自分は、全くの1人だ」という、
その実感を、「日々、忘れることなく持てる感性」のある人だけが、
現実を、自分が「住む場」ではなくて「燃料」として使い、
宇宙というフィールドを、航行することが出来るということです。
強いて言うならば、
私が育てたいのは、次元間に可動性を持てる「パイロット」
だけです。
地上で起きる苦痛を、どうしたらいいかとか、
悟りたいとか、悟りは何だとか、
そんなちっちゃな幻想に、しがみついているような人間には、
全く関心が持てない。
偉くなる必要もなく、「俗に言う」悟りなど目指す必要もない。
ただ、私は体外離脱という意味とは全く違う意味で、
「航行可能な意識」「航路工事が出来る人材」だけにしか
興味が持てないのであります。
確かに、昨年までは、1人の人間の背負った「苦」というものを
通じて、集合的な苦の原因や駆除方法について、
私も関心を「少し持ち」、まる6年間という歳月をかけて、
「それなりの実験」がなされたが、
それが既に、完全に終わった今では、
私は、人間の苦には、全くといっていいほど関心が持てない。
なぜなら、他にもっと重要で深刻な問題をかかえた生物が、
たくさんいるからである。
また、短絡的に「苦だ」とは分類することが不可能な、
もっと複雑で特殊な「動き」と「静止」の軸が、
この世界には、点在するからである。
「俗な意味で」、悟りたいとか言っている人、思っている人は、
「うちのは本物です」と、懸命になって、それを売り物にしているような商店が、
(確かに「それそのもの」を売っているのかどうか疑わしいですが)、
そういう「悟りを商品にしている店」が、いくらでも、
夜店のように、ゴロゴロありますから、
「無明庵のサイトには、来ないでください」。
うちの宗教や瞑想法なら、なんとかしてあげますからと、
(偽善的で、軽薄で、嘘つきの)、優しい人達が溢れていますから、
そっちで、自分の欲しい「慰め」とか、「癒し」とか
あるいは、「確信とか、自己検品」とか「どれが本物トリップ」をして、
「楽しめる終了時間」が来るまで、ずっと他で遊んでいてください。
原則として、今後、来年からは、竹の間に限っては、
死人禅の行法をやっている人達だけに、こちらの焦点の大半をあわせます。
むろん会員となる読者層の職業や人柄は、多岐に渡るでしょうが、
その部分に、人数の制限をすることは「今のところ」ありません。
営利目的ではないので、
読者人数を極端に制限することも別案として考えています。
ただ、とにかく、私が何かを書くときの「フォーカス」をあわせるのは、
行法を実際に「今もやっている人の意識だけにする」ということです。
なぜならば、あの行法は、1人の人間の苦や自我をどうにかする
という事だけには収まらない「別の側面」を持っているからです。
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