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掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1234]
■
大きな猫との会話
by:
砂手
2008/01/15(Tue)06:26:34
振りかえれば、
観察点により自意識というものが、
明らかに意識された7歳のある日から、
私は自分の人生で
「自分の許容範囲内の安全圏」などという概念自体が
存在しようがありませんでした。
もしも「自分の許容範囲内の安全圏で生きること」などを、強要されたら、
それは、自意識のない生物になれと、
ロボットとして生きろということと、同義語であったでしょう。
『コレは何だ!?』という問い自体、
許容範囲を冒す問いであるわけですから。
それは、自殺的問いであるのですから、
そこに、自我の安全な許容範囲など、存在しないのです。
もしも「自分の許容範囲内の安全圏」の保証付きの問いなのであれば、
それは、「自我の道楽」です。
精神世界というところに興味のある人のほとんどが、
道楽者であるようです。
その6年間は、
『選択』を終わりにするために、肉体の自殺を実行しようとするにも、
それでは、根本的な『選択』終わりにはならないと、
拒絶の壁が立ちはだかりました。
自意識が朦朧とする隙を狙って、勢いをつけて肉体の自殺を
実行しようにも、朦朧さゆえに勢いはつかず、
勢いをつけようとすることで、自意識がはっきりしてしまい、
実行は不可能でした。
自我が離れるに至る6年間の、逃げることが不可能な、その『選択』。
肉体における、死ぬか生きるかではなく、
『意識されている自分が、自殺するか、しないか。』
その二者択一自体が、意識のある限り、目前から離れない毎日でした。
情報のすべては、私に『選択』を迫って来ており、
ゆえに、すべては、『選択』で埋め尽くされていました。
『選択』には、いい加減、曖昧は存在しません。
情報のすべては、私に『選択』を迫って来ており、
そして、すべての『選択』はいつも、
『意識されている自分が、自殺するか、しないか。』の
二者択一となるのです。
大きな猫が言うには、
とにかく大きな猫がしたことは、
私の自我をダメにする手はずを整えていっただけで、
極端に言うと「お前なんか生きていても、しょうがない」、ということを
私の「自我」に対して、休む間も無く、つきつけることだったのです。
と、説明した。
大きな猫はこう続けた。
_____________________
「例えば、砂手は、手先が器用な所があったり、料理が上手いところ、
セックスがきちんとできることがあったり、
あるいは記憶力が優れていたり、
おそらく、普通の一般女性と比較したら、才能そのものにおいては、
優れたところは沢山あった。
普通のカウンセラーごっこをしている医師ならば、
『あなたは良いところがいっぱいあるのだから、それを活かさないと』
と必ず言ったであろう。
しかし、私に言わせれば、
そもそもの「司令官」がぶっこわれているのだから、
下っ端の才能を持ち上げても、何の意味もないし、
実際、私がそのような部分を少し誉めても、
砂手は常に『そんなの、ちっとも役に立たない。』と
本人自体が、その価値を認めなかった。
そして、事実、司令官が、あそこまで苦しんでいたらば、
その部下である、才能が何の意味も持たないのは、明白だった。
だから、私は砂手の才能という従業員に対して、駄目出しを
していたのではなく、
そこの「社長」に対して、
「お前は役立たずだから、早く、首をくくれ」と、
社長殺しにのみ、集中していたということだよ。
それで、実際、その社長が死んでみると、
従業員達は、のびのびとその才能を発揮しはじめたのだった。」
_____________________________
当の本人である、私も、
当時、社長がおかしいのがよくわかっていたが、
その「解任の仕方」がわからなかったのです。
そして、その解任は、最終的には、
「自分のやり方で、自分の手で下されるもの」でした。
つまり、大きな猫が当時言っていた、
「お前は全く、生きている価値が無い」と言うのは、
私の「自我に対してのみ」言っていたのでした。
これは、毎日言われていたことですが、これはとりもなおさず、
「私自身が私にしていた評価の正確無比な代弁」そのものでした、
大きな猫はこのように、
相手の中にあるもの以外のものを拡大したことはただの一度もなかった。
だから、本人の中の声が、はっきりとしていない人に対しては、
『一般的概略の説明』以上のことはしません。
しかし、本人の中のその声がはっきりと聞き取れる場合には、
言われた人間が、耳をふさぎたくなるほど、明確にそれを代弁する。
まるで、その人間の『影』を拡大するという大きな猫の機能を、
私は、今まで数多く見てきました。
____________
今の、私に言えることは、
「こんなにもいい人生が送れるとは、思わなかった。」
ということに尽きます。
が、同時に、そこに向かうように
どこかに計っていた部署があった気もするのです。
もちろん、悟るなどという現象を想像すらしなかったですし、
それは全く望んでもいなかったことですが。
すると、大きな猫が、
「あなたの言う、いい人生の定義とは、どう言い表しますか?」
と聞いてきました。
私はこう答えました。
「自分ができる経験をすべてし尽くすこと、
私にとって、これがいい人生の定義です。
経験とは『状態』の経験です。
経験とは、何を経験するかではなく、対象の種類ではなく、
経験主体の意識の状態のことです。
この意識が経験できうる可能性を、状態の良し悪しを問わず、
どん底の経験も含めて、経験が本当に尽きるまで、し尽くすことです。
その経験をまっとうするには、
幾つか、備えているべき性質の条件がありました。
それは、経験を、しっかりと、見つめ、見届けるために、
第一に、
【完全に見開かれた目】が必要です。そして、、、」
と大きな猫と必要な性質の条件について、話しを交わしました。
・【違和感】・・・意識があることの違和感。
これは、経験できない人がいるので、説明する必要がない。
これについては、、目が見開かれて無いと、
それに比例して違和感も拡大せず、
結局、違和感があっても不発に終わる。
そういう人間を見たことがある。
・【貪欲であること】・・・これについては、自分でその定義を考えるべきだから、
読者にはいちいち説明はしない。勝手に理解なり、曲解をすればいい。
・【理想主義者】であること。・・・ただし、社会に対してではなく、
自分自身に対して、絶対に譲れない理想がある。
・【完璧主義】であること。・・・これも、無論自分に対する完璧主義である。
・「まぁ、いいか」などという言葉は、その人の辞書にはないこと。
・絶対に譲らないという大事している【自分の性質】がある。・・・
それは、癖ではない。自分が、意識して大事に思っている
こだわりであって、いらないと思っているのに捨てられない性質のことを
言うのではない。
・「わかる人」から見れば、この人は【絶対に将来挫折する】、と認められる人。
しかし、挫折の末に歪んでしまう人、言い訳に走る人もいるので、
単なる挫折とは、違う。
・【サービス精神】がやたらにある。
他にも重要なものが「いくつか」ありましたが、
これらの性質の『全部』が、必要で、ただ一つかけてもいけない。
なぜ、この話を大きな猫とすることになったかというと、
行法を継続的に長年、やっていたり、大きな猫に何度も
直接に会う機会のあったにもかかわらず、
全く、そのチャンスを活かせなかった人達を大きな猫が、
思い出して語っていたからです。
それぞれの人達は、前述した条件の一部は持っていたこともある。
しかしどうして、肝心な時に、自覚できなかったり、行法が全く効果を
その人にもたらさなかったか、ということを大きな猫と私は回想していたのである。
「前述したような条件なんて、必要無い。」と、言いたがる人達は、
その人達が、認めている悟った人達には、
その性質がすべて、存在していた事実が理解できていない、
と大きな猫は語った。
しかし、これらの性質は、
ごく当たり前に真面目に自分というものを生きていたら、
当然のこととして備わる性質であって、何ら、特別な能力ではないのだ、
とも、大きな猫は付け加えた。
そういう意味では最近になって、ばたばたと、質問をよこす購読者の
人達は、人間としての「自我すら、まだ育てていない」、と言える。
と大きな猫は言った。
「更に言うなれば、竹の間を読んで、
『人間を何回やってきたか知らないが』
今まで、
『ああ、自我をちゃんと育てなければ、悟りを求める以前の状態なんだ
なぁ。』
とか言い出して、
『私は今、自我をきちんと育てようとしています』
などと、言う人を見かけるが、
それすらも、私に言わせれば、
「大嘘つき」だと言える。
なぜならば、その人達は、
自我を育てる、という挑戦よりも、
親に飼い殺されている、ぬるま湯の状態を、
本心から気に入っている人達がほとんどだったからである。
これでは、そもそも自我を育てる作業すらも、
「始まっていない状態」なのだ。」
と大きな猫は言った。
「どうしてこんなにも人生を生きることに不真面目な人達が、
人生を終わらせる手法について書かれている無明庵の本やサイトを読むのか、
全く理解に苦しむ、と言いたい所だが、
たぶん、彼らのエゴにとっては、
「優越感を感じる慰め道具」にしか、とらえられないのだろう。
無論、極少数の、購読者の人は、
今、本当に自我を育てようとしているのも事実であるが。」
と大きな猫は付け加えた。
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