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「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
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より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1449]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その183=」●近況と「分割自我判定」について●
by:
鈴木崩残
2010/12/26(Sun)07:17:48
>12/27 文頭に「連絡」を追加しました。
一度「自我判定」の御注文の
受付を中止します。
来年に再開する予定です。
■私が今、一番申し訳なく思う人たちは、
私の体力を気遣ってくれて、注文はしたいけど、それを見送って、
黙って、見守ってくれている人たちです。
私を疲労させては良くないとの心遣いから、
ご注文を差し控えている人たちがかなり、いらっしゃることが分かります。
黙って、そうした心遣いをして戴いている人たちに対して、
今後の予定を明確にする必要があると思い、
今回、連絡事項を書くことにしました。
■まず、27日現在(17:40)この時間をもって、
「自我判定」の受付は、一度、中止することにしました。
「初回判定の方、二度目の判定の方」共に、いったん、ここで中止します。
今、注文を戴いている方については、年内に仕上げるつもりでおります。
郵便局がもしも閉じたら、発送は、ヤマト便になると思います。
そして、受付は、
私が疲労しない為の対策のめどが出来てから、来年に再会する予定です。
>■ただし、普通の「禅書」の受付は、中止しません。
■もう一度、簡単に要点を言いますと、
普通の禅書であれば、乗っていれば、一日に三名の方の書を仕上げても、
私は疲労しません。
それどころか、その人に合う書を注文された方の場合には、
逆に、私が元気になるぐらいに楽しい作業です。
■しかし、「自我判定」では、先日までは、二人行うと、次に
まる一日ダウンし、本日に至っては、一人やっただけで、
その日は、まる一日中、ダウンしていました。
それは、今も、まだ回復していません。
■なぜそうなるのかということを、自分で解明し、理解することが
今、何よりも優先されると思っています。
このまま私が無理をして、判定をし続けて、
私が倒れてそれを出来なくなったら、
皆さんと共同作業をしている、せっかくのこのプロジェクトが、
元も子もありませんから。
■現在戴いている御注文については、それを仕上げるべく、
年末、ぎりぎりまで書を書くと思いますが、
年始からは、少し心身を休めて、
この問題解決に、きちんと取り組みたいと思います。
■それと、この下の投稿内容にある「判定中の印象」についての
感想をいくつか戴きました方、ありがとうございました。
部分的に、参考にさせて戴きます。
********* ********* *********
■さて、「事の起こり」をもう一度言いますと、
自我判定というものは、そもそも、そんなものをご自分から、わざわざ
知りたがる人というのも、常識的には、いないであろうと予測していました。
案の定、今年の7月ごろ以降に、
「自我の希釈率の判定をお願いします」という依頼が、
ごくたまにだけ、ありました。
私は、あまり乗り気ではありませんでしたが、
そのように言ってきた少数の人の判定をしていました。
しかしその時には、それがこのような体力的なダメージを与えるとは
予測していませんでした。
■事が一変したのは、コンスタントに、
一日に二人ほどの「分割自我の判定」をし始めてからです。
もしも、一日に二人の「普通のカウンセリング書」でしたら、
何の問題もありません。
それは、私には、ちょうどいいペースです。
睡眠さえ取れば、疲労することも全くありません。
■だものですから、「自我判定つき」のご注文の場合には、
書の注文が、いつもの四種類から二種類に減るのですから、
作業としては、少しですが、それまでよりも軽減されるかもしれない、
とすら、私は最初のうちは思っていました。
■ところが、自我判定を一日にお二人のペースで始めてから、
すぐに、異変に気づきました。
それは少し前に書きました、今までに全く覚えのない疲労感です。
私も、50年以上も、人間やっていますので、
とりあえずは、自分に起きる病理的な原因による疲労から、
運動や過酷な労働に伴う、いろいろな種類の疲労を、
経験して知っているつもりです。
たとえ、他人の中に霊的身体で乗移ろうとしても、
このような疲労はあり得ません。
また、たとえば、気功などの治療師が、他人を多数治療したとしても、
このような疲労を生ずることはありません。
なにしろ、それは、「人間が生きている世界の側」の事ですから、
気やオーラは、いくらでも、星や太陽や地面から補充も出来ますので、
どうということはありません。
しかし、この疲労だけは、私にも、全く経験がありません。
■そこで、この原因が分からないままに、解決法のないままで、
これを続けて、私がダウンすることは、自我復元に関わっている
皆さんにも、迷惑がかかることになるので、
いったん、状況を分析して、体勢を立て直そうと思い、
「自我判定の受付け中止」を決めました。
現在考えているテスト
■解決法を探るために、現在、二つの回避方法をテストする予定です。
このテスト、試行錯誤すら、今の疲労した状態では出来ないものですから、
それもあって、「自我判定」の受付をいったん停止しました。
■まず、仮説として、次のような「喩え」が挙げられます。
あくまでも「喩え」です。
喩えですので、真に受けないでください。
私が皆さんの自我判定をするときには、
それは、私が皆さんの自我という「家」の扉か、または窓を、
ある意味では、皆さんに無断で、強引に力で開けるようなもの
「かもしれない」という仮説。
もしも、この仮説が正しければ、
自我という家の中にいる住人の人、つまり皆さん自身が、
表玄関の扉を「内側から開けてくだされば」、私は楽に中に入れます。
■では、その「自我の扉を皆さんが開ける」とはどういう瞬間なのか
といえば、それは「自我復元」を行っているその瞬間です。
それが、回収のときか、拾いにゆくイメージをしているときか、
あるいは睡眠中かは、まだ分かりません。
しかしそうであれば、
私がたとえば、「今夜何時何分に、復元法を数分やってください」と、
依頼者の人とメールで打ち合わせをしておいて、
その時間に合わせて、私が判定をすれば、
私は、皆さんが開けてくれた玄関や窓から、楽に入ることができる
「かもしれない」というのが一案です。
■しかし、この方法には、問題があります。
それは、判定時間を、膨大な注文者の人と、いちいち、打ち合わせを
しなくてはならないということです。
ほとんどの人は、夜か朝になりますので、判定を出来る時間が限られます。
ただし、これはやってみないと分からないので、
現在、少ないですが、数人の読者の人に協力をお願いしてみて、
年末年始に、一度は、テストしてみるつもりです。
■そして、第二の方法。出来れば、この方法が通用して欲しい。
それは、まず、
「自我復元法」を最低でも、延べ日数=回数として、
「10回以上」行った人だけ、自我判定を受け付けるという方法です。
つまり、自我判定の受付は、
「DVDにそった復元法の実習者に限る」ということです。
■そして、その人たちが、実習していたであろう、時間帯の
時間を私が逆に辿って、その人たちの扉が開いている過去の時間軸を
私が探って、そこから入って、判定するという、極めて高度な方法です。
■つまり、皆さんが復元法をしている時に、
リアルタイムで私が、皆さんの自我という部屋に入るのではなくて
皆さんが、自我の扉や窓を開けた時の「過去の時間」に私が入って、
そこから、中の容積を見るという方法です。
つまり、皆さんが出かけるために自我の部屋の、
「玄関の扉」を開いた、その瞬間を狙って、
私の意識が、その部屋の中の体積(広さ)を見るようなものです。
そのためには、依頼者は、
復元法をしていない人では駄目で、
必ず、「自我復元法の実習者」である必要があります。
■一番目も二番も、かなり困難な方法ですが、
もしもそれをやってみて、私の疲労が軽減されるのであれば、
この仮説は正しいことになります。
つまり、自我の中にいる本人が、「自我復元法をする瞬間だけ」は、
外から、あるいは少し中に入って、
私が、その人の自我を観察することが出来るということ。
■いずれにしても、私が表玄関や窓を、体力を消耗してまで、
こじ開けたりせずとも、家の主人である、皆さん自身が、
私の為に、扉や窓を「内側から」開けてくれるのですから、
もしかすると、私は今のような疲労をせずとも、
電気工事の職員みたいに、皆さんに「どうぞ」と許されて、
検査の為に、中に入ることが出来るかもしれません。
今の自我判定法の状態では、
悪く言うと、まるで泥棒の不法侵入みたいなのです。
(むろん皆さんは、心の中では、私のその作業を許してくれていますが、
住人自身が、内側から鍵を開けるという、当たり前のことを、
私も今日まで、思いもつかなかったわけです)
■これらは、あくまでもすべては仮説ですが、
ひとつずつ可能性のあることをやってみて、
駄目ならば、一個ずつ潰してゆく、という検証をしないと、
今のままでは、どうにもなりませんので。
■というわけですので、「禅書」「無無心の書」は、
これまでどおり、受注しますが、
「自我希釈率の判定」だけは、少なくとも年内は中止して、
早ければ来年の1月中には、なんとか再開できればと思っております。
*********
・・・近況・・・
●今、12/26明け方の6時ごろです。
外は、たぶん氷点下だし、書机のある場所も気温3度ぐらいなので、
部屋でこれを書いています。
もう少ししたら、書を書きます。
●それにしても、書机を18時間も空けたのは初めてです。
前に書いた書が乾かないなどの理由で、しばらく書を書かない、
ということはよくありましたが、
スペースが空いているのに、書机に18時間も向かわなかったのは、
今回が初めてです。
皆さんからの注文も、あと5つぐらい、まだ書き始めていないものが
たまっています。
私は仕事を溜めるのが大嫌いで、普通ならばこういう事にはならないのです。
どんなに忙しくても、書を中断するということはありませんでした。
●しかし、今回だけは、駄目です。
書机に向かって何度座っても、どうにもならないので、
心身を休めるために、約18時間、完全に休憩しました。
むろん、原因は、自我の判定による疲労です。
こんな事は書きたくないのですが・・・
●こういうことを書くと、
ただでさえ、疲労が限界をうろうろしているのに、
皆さんからの書の注文が、増えてしまうかもしれず、結果、
自分で自分の首を絞めるようなことになるので、
本音を言うと、書きたくはないのですが、
やはり、書こうと思いました。
●分割自我の希釈率判定を依頼された方たちは、
現在50名以上おりますが、
その人たち(判定を依頼された方々だけ)に、
ひとつ、頼みたいことがあります。
私が判定をしているDVDの場面だけ、目を閉じて聴いてみてください。
つまり、ほとんどの場合には、前半に禅書を書いている場面があり、
後半から「はい、では自我の判定をしましょうか」と私が言い始める
シーンがあります。
その直前あたりから、約数分間、だいたい3分ぐらいでしょうが、
私が自我という字や、意識という字を書く数分間だけ、
画面を見ないで、目を閉じて、それを聴いて下さい。
そして、もしも何かを「明確に」感じた場合に限りますが、
何を感じたか、メールでお知らせください。
>この場合のメールは、必ず、kansou−soushinの
>アドレスにお願いします。
注文用のアドレスとは分けてたいものですから。
●人によってやや個人差はありますが、
私が判定について「あれこれと分析」している場面ではなくて、
最初に、皆さんのお名前を私が言っているところ、
そして、住所などを確認しながら、
自我、意識という文字を書き始めるあたりの前後と、
その少しあとまでの数分です。
この部分のシーンをもう一度確認してみて、
何かを感じたことがある人は、簡単にメールでご説明ください。
あえて、ここでは、既に寄せられた報告は書きません。
●私がなぜ、その部分について、皆さんからの報告が欲しいかと言いますと、
私が、絶対的な信頼をおいている、一人の読者(かつ、親しい人で、
この人については後で少し書きますが)、からのちょっとしたメールで、
私は、その人には、何も質問もしていなかったのに、
私が一番知りたかったことが、書いてあったからです。
●それが、つまりは、「判定される側」の皆さんに起きる「何か」の変化です。
自我判定を始めてから、私が体感感覚で、いつもの書を書くときの、
3倍も疲労するということは、既に書きましたが、
私に何かが起きているということは、必然的に、
判定を依頼した皆さんにも、何かが起きている可能性があると、
薄っすらとは、今まで、感じていました。
●しかし、それが確証に変わりつつあるには、理由があります。
今まで、皆さんから依頼されて、禅書(カウンセリング書)を書いても、
あるいは、注文された無無心の書を書いても、
皆さんには、特別な変化は、何も見られませんでした。
また、中には、以前の有料購読のずっと前から、
ずっとこのサイトを愛読されている方も沢山いますが、
そうした方たちからの、書の感想メールを読んでも、
私はその人たちが何かにおいて、特別に変化したとは感じませんでした。
●つまり、「禅書」、「無無心の書」ともに、
依頼者に特別に影響するものではないと思っています。
受け取られた方の感性が、普通の人よりも鋭ければ、
むろん、書を見ることによって、
ある程度の生活や心境の変化はあると思いますし、
実際、禅書を受け取ってから、
ずいぶんと雰囲気や生活環境が変わった人も数人おりました。
しかし、それでも微々たる変化で、私から見ると、
2年しても、3年しても、古い時代からの読者の方でも、
何も特別には、変わっていません。
●ところが、自我判定を行った人たちのうちの、一部の人なのですが、
その人たちのメールの文面だけが、がらりと変化しているのが
どうしても気になっていたのです。
しかも、その人たちの中には、「まだ自我復元を始めていない人」も
何人か含まれます。
つまり、何人かの人たちは、
自我の復元作業によって変わったのではないのは確かです。
●となると、なぜ、今までに禅書も何度か注文されたり、
以前には、メールでやりとりをした方たちが、ほとんど変化がなかったのに、
今回だけは、
「内面の何かが変化したとか、しない」とかいう、
読者の方からの自己申告に関しては、
かなり判定が厳しい私ですらも、
気になるほどの変化をしているだろうかと、思っていたのです。
そう思ったとき、理由とおぼしきものは、一つしか見当たりません。
それは、その人たちは、
「私が自我判定をした人たちに限られている」ということでした。
●しかも、その希釈率には関係ありません。
希釈率がひどかろうが、マシだろうが、あまり希釈されていないに関係なく、
その人たちからの、判定後のメールには、
なによりも、その「文体」が変化しており、そして、
何かに取り組む姿勢や、内省の姿勢に、大きな変化が見られました。
もともと、私は他人や、特に読者の人たちが自己申告する、
「変化しました、変わりました」という文言には、
常に、懐疑的で、否定的です。
人は、そんな簡単には、変わらないからです。
ところが、その点においては、鬼のように厳しい私が、
「どうも変だ」と思える変化が、その人たちの一部に生じていたのです。
●そこから推測できることは、たった一つしかありません。
私が自我判定をしている瞬間、それが、どの瞬間かは分かりませんが、
その時に、私は、判定をした皆さんの、何かの「あかずの間」を開いて、
その中に入って、判定をしているらしいということです。
●そもそも、普通の透視やリーディングといったものは、
その人の過去や現在の「情報」や「記憶」を見るものです。
しかし、私が見ようとしているのは、
個別の人にある「情報」ではなくて、自我の核です。
自我という器そのものは、(自我復元法を別にすれば、)
普通は「死んだ後」でしか、いじることは出来ません。
また、自我が希釈される現象なども、生きている間ではなくて、
常に、死後にのみ起きています。
つまり、自我という構造物は、普通は硬く閉じた状態に保存されていて、
私達の生きている間は、この世界と干渉を起こしたりして、
その核の部分の体積が、変化してはならないように出来ています。
●言うまでもなく、現在、復元をやっている人たちは、
その部分を、復元法によって、部分的に開くことを覚え始めているわけですが。
それで、問題は、
>まだ復元作業をしていない人にすらも起きている、
>しかも、私が無視できないような「変化」です。
おそらくは、私が判定の時に、一生開かないはずの、
自我の「あかずの扉」を、一瞬だけこじ開けて、中を覗いている、
といった状況が、説明や解釈としては正しいと思います。
●私は判定の時に、決して皆さんに自我を供給しているわけでもなく、
また、何かのエネルギーを送り込んでいるわけでは全くありません。
そもそも、そんなこと、したくもありませんし、
この疲労が今よりもひどくなったら、たまりません。
ですから、私が何かを判定をした皆さんに「差し上げている」
ということはあり得ませんが、
ただし、判定をするときに、
自我のシステムを防護している外側の「壁の材質」を、
一瞬ですが、開いているようなのです。
●そのせいか、復元を始めてもおらず、単に私が判定をしただけである人たちの中から、
その時点で、変化を起こしている人がいるのが確認できたのです。
それは、自我復元による「好転」の特徴とはまた違います。
しかし、悪化現象は、一切見られません。
むしろ、ある種の好転反応であり、判定をした人からのメールには、
ごく一部の人を除いては、私は、嫌悪感を感じません。
●実は、どんなメールが来ても、
書についての感想や、その他のことでも、半分ぐらいは、
とても興味深く読むのですが、
別の約半分ぐらいは、私は、関心をほとんど持てないか、
「やれやれ、またこんな調子のメールか」という嫌悪感すら持つことが
よくあります。
しかし、自我判定をした人の(むろん全員ではありませんが)、
その中の人たちのメールに、
明らかに文体そのものが変わっている部分があるのです。
●厳密には、判定の時に、何が起きているのかは分かりませんし、
判定の時に、私が皆さんに直接に影響しているはずはないのですが、
「間接的」か「副産物的」に、
ふだんは、皆さん自身ですらも、絶対に触れない「基盤」に、
私が、触れているか、もしくは、それを見るために、
自我という機械の蓋をあけているのかもしれません。
その影響が具体的には、どのような仕組みによるものかは分かりませんが、
とにもかくにも、判定前の何年も変わらなかったような、
その人の文体と、書いている内容が、かなり違っています。
●希釈率に関係なく、判定された側の人の中に変化が起きていると仮定すると、
私が、判定する人の希釈率に関係なく疲労するのは、私は納得できます。
ようは、どの人の自我を守っている防護壁も、
それを開ける時には、相手の人が誰であっても、どの分割の自我の人でも、
私の側には、ほとんど同じだけの労力が必要らしい、ということです。
●ですから、DVDをもう一度、数分だけ再生するときに、
私が、最初に、名前と住所を確認しながら、
判定用の文字を書くあたりのシーンで、何が起きているのかについて、
注文した皆さん自身の「感覚」を、解明の手がかりにしたいのです。
今年、一番、嬉しかったこと。
●そんなふうに、判定の書を書くことで、疲労している中でも、
年末に、私にとって、すごく嬉しいことがありました。
約2年以上、メールアドレスも分からず、連絡が取れなかった人で、
私が4回も、梅の間に「●●さん、見ておられたらメール下さい」と、
書こうとしてやめた人がいました。
人の判断には、極端にストイックなこの私が、なんと、
ほぼ絶対的な信頼をおいているという「稀有」な人で、
かなり昔から、お互いに、知っている人でした。
私にとっては、どうしてもまた再会した大切な人だったのですが、
その人から、突然に、2年か3年ぶりに、メールが来ました。
しかも、ちょうど、うちの砂手とその人の話題で盛り上がっていた
その二日後でした。
まー、こんなことは、世間に、よくあることとは言え、
あまりのタイムリーさと喜びで、
砂手にそれを教えるために、あわてて、転びそうになりながら、
階段を駆け下りましたよ。
私にとって、その人は、
地球という惑星で出会った、「ちょっとイカした生物」なんです。
「おお、この地球に来ているにしちゃ、イカしてんじゃん!」
と、まー、なんとか言葉にしようとすると、
「人という形をしている人間同士」としての付き合いとしてではなく、
もう少し広い空間での、「生物友達」の感覚なのです。
もっとも、私の方が一方的に、好感や、
ある種の、ほのかな憧れを持っているだけで、
その人は、私に対しては、そうでもないのかもしれませんけどね。
それで、判定される側の変化について、それを知りたがっていた私に、
私から尋ねてもいないのに、始めて、それを報告をしてくれたのが、
久々に再会できた、その人だったのです。
とにかく、
その、「一番会いたかった人」と、メールで再会できたことは、
今年の一番嬉しい出来事でした。
●で、その再会のお祝いも兼ねて・・・、
クリスマスなんか大嫌いだし、「そんなの知ったことか」の我が家は、
「翌日の安売りのケーキ以外」の事は、ガン無視するというのが、
我が家の家風ですが、
我が家のシェフの砂手が、
その人との再会のお祝いと、私の疲労回復にと、
手作りで、ローストチキンと、パンと、ケーキを作ってくれました。
全て、ホームメイドなり。
↓
まー、砂手がいるおかげで、私は仕事だけに打ちこめるんで、
ホンマに、ありがたいことです。
といっても、私は、女性のことを、家で家事するべきだなんて、
これっぽっちも、思っていません。
家事や料理は、たまたま、砂手には苦にならないということです。
博士が薬を飲まない!
●デレデレに、可愛がりながら、ですが、
思わず、「このやろー」、って博士君に言いたくなりました。
猫やペットと暮らしている皆さんは、知っていると思いますが、
薬を飲ませるのが、かなり大変。
しかも、普通は、獣医さんは、
人間用みたいな、普通のカタい「錠剤」を処方します。
それで、それを飲もうとしない博士君に、我が家で今までにやって手口は、
1−粉末にして餌に混ぜる→が、見向きもしない。
2−粉末にして、粉ミルクを液体に溶いたものに混ぜて、
博士の手に塗る。こうすると、気持ち悪くて手を舐めるので、
それで薬が吸収される→が、前は舐めたが、今回は舐めもしない。
3−二人がかりで、博士の口を開いて、錠剤を喉にほうり込もうとする。
→無理だった。
なんとしてでも錠剤を吐き出そうと抵抗する博士の口を、
二人して押さえ込んで、奇跡的に、なんとか2度入っただけ。
(要するに、唾液に解けるとその薬が凄くマズイのだと思います)
●獣医さんから、猫の口の開け方を教わって、この錠剤を口の奥に落とす、
というのを試みるも、博士は、まるでエーリアンの奥歯みたいな前歯を
がっちりと、ロックして、2ミリと開いてくれない。
長年溜まった、歯石が原因で、
口の中に炎症を起こしているので、抗生物質がどうしても今回は、
必要なのですが、
どう言葉とテレパで説得しても、嫌がって、口をあけてくれません。
これが、犬とかみたいに、口がある程度大きければ、
たとえば、チーズの中に練りこんで、食わせて薬を飲ますことも出来るのですが、
博士の場合、好物は、ポテトチップのみだから、
このマジシャンで手の器用な私ですら、
ポテチに、薬なんか仕込むことは出来ない。
おまけに、今回の薬は、どうも、めっぽう匂いが臭いので、
何に混ぜても、博士には、バレてしまう。
●どうにもならなくなって、獣医さんに相談したら、
獣医さんが、「甘い味のする液体」になっている薬をくれた。
(そんものがあったのなら「最初から、出してよ」と言いたいです。)
で、今日は、博士君を、はがいじめにして、
口の横から、針のついていない注射器で、それを注入する予定です。
これなら簡単そうですが、どうなることやらです。
●博士は、珍しい猫なのか、
トウモロコシとか、キュウリとか、みかんとか、食べるくせに、
普通の肉も食べないし、モンプチみたいな柔らかい餌も食べず、
乾燥した、カリカリの餌だけしか食べないので、
歯石とかは出来にくいだろう、と思って、まるっきり油断していましたが、
ちゃっかり、でっかい歯石が、両方の奥歯に出来ていたので、
獣医さんに、ひどいところだけ、除去してもらいました。
(まだ全部は取れていません。全部やるとなると麻酔にかけるらしい。)
●それで、はっきりとはしないのですが、
どうやら、その歯石のせいで、歯茎が炎症を起こしていたらしく、
数日間、だんだんと、餌を食べなくなり、
元気がなくなっていたので、今回、獣医さんに見てもらいました。
で、いくら猫が、1週間ぐらいは何も食べなくても平気だとはいえ、
炎症を抑えないと、食べる量が元に戻らないので、
薬を飲ませようとしているわけです。
まー、今は、上の写真のとおり、かなり回復はしています。
ただ、人間で言うならば、もう80歳近いはずなので、
加齢とともに、前よりは、眠る時間が増えて、
私と追いかけっこをして遊ぶ時間が減って、
かなり、おとなしくなっていますけどね。
●今は、通常営業の博士君に戻っていますが、
最初は、とうとう「ボケ」たのか思いましたよ。
ペットと暮らしている人は、重々知っていることですが、
いつも、必ず毎日やっていたことを、
突然に(又はだんだんに)、やらないようになったり、
いつもは、やらないようなことを、
突然に(又はだんだんと)、やるようになったとき、
そういうとき、ペットに起きているのは次の二つですから。
1−何らかの病気になっている。
2−高齢で、脳が老化し始めて、記憶障害が始まったとき。
●で、最初の話に戻りますが、
動物病院の診察台では、博士のやつは、猫をかぶっていたのか、
あるいは、動物病院の「圧倒的な雰囲気」、つまりは、
(すべての動物が、獣医の前では「屈服する」、
という「儀式」が繰り返されてきた、その「場」の雰囲気)に、
圧倒されてなのか、妙に、博士はおとなしかったのです。
だもので、獣医さんも
「この猫ちゃんは、薬を飲むの嫌がらないし、薬を飲むのが上手いですね」
と、お褒めの言葉まで戴いて、家族としては、安心していたというのに、
しかし、家に帰ってきたら、博士は、態度が豹変。
とたんに「断固とした抵抗」を始めるのです。
博士君ったら、とうとう、涙まで流しながら、
「歯を食いしばって」、錠剤を口から入れることを断固拒否。
「博士君、君って、ずいぶんと、獣医さんの前とは、
態度が違うじゃないか?」と、
思わず、途方に暮れた、私と砂手だったのである。
今日こそは、液体の薬を、歯の横から入れてやるぞ。
●
気に入った最近の書
●本当は、ベスト20をちゃんとやりたかったのですが、
忙しくて編集できないので、ちょっとだけです。
これらは、普通の「禅書」の中に含まれていた傑作の一部です。
短い、コメントをつけておきます。
「雅色」は、私が「色」の字を、追加したものです。
ご注文は「雅」でしたが、この「みやび」っていう文字は、
いつ注文が来ても不思議ではない、とても良い「和のモチーフ」だったのに、
不思議と、この方以外には、誰も注文しなかった文字です。
「日輪」「酵」「雅色」
■左のは、お子様用のもの。今年の傑作の一つに入るものですが、
幼い子供の為の書を書くと、まだ何も汚れていないせいか、
文字を捻る必要もなく、創作的にはならない反面、
本当にまっすぐで、純粋無垢な字になるのかもしれません。
右の「雅色」は、まるで、品のいい旅館の表札か、和菓子の袋の文字。
あとは、京都の呉服屋さんとかにも、似合いそうです。
これらは、どれも、だいたいは、普通の行書体か、草書体です。
●次も、普通に4種を注文する「禅書」。
やはり、「自我判定」ではない、普通の禅書の中に、圧倒的に、
傑作が出ることが多いです。
これらも、ほとんど、普通の行書体。
「化学」「来世」「直」
●次は、自我判定とセットだった書。
これらは、ぐっと、「創作書道」に近い作風です。
「無」「佇む」「暖」
■これは、真ん中と右が要解説です。
真ん中は、私がほとんど、めったには書かない、
ひらがなを(私の勝手な判断で)入れた、とても珍しい書。
右は、ご注文は「緩」だったのに、
完全に私が間違えて「暖」と書いてしまったもの。
珍しい間違いなのと、何よりも、形が気にいったので掲載しました。
といっても、困った事に私が誤字を書くことは、年に2度ぐらいあります。
●最後は、「自我」。
左の人は、復元は、やってませんが、元々から、あまり希釈がされていない人。
真ん中は、ある程度の希釈はされているのですが、ちゃんとした作品
として成立する字になるタイプの人。
右は、現在、どんどん復元中の人です。
●ちなみに、「恋」とか「愛」の文字っていうのは、
私は、ちょっと書くのが好きでなかったのですが、
やってみると、ホントに、その人が
その恋や愛に対してどういう姿勢や経験を持っているのかが
露骨に、出やすい文字のひとつでした。
下記の書は、どちらも、まだ、ちょっとばかり「未熟な恋愛」です。
「恋」「愛」
余談ですが「性」という字の場合には、
オーガズムを沢山経験して、その喜び知っている成熟した女性や、
また、逆に、性的な意味での抱擁能力のある男性の字だと、
線の持つ気配が、ぐっと違ってくるのです。
今のところ、男性が注文した「性」の文字は、そのほとんど全部が、
どこか、いびつだったり、独りよがりな妄想が、文字の形になっていました。
むろん、私は作品としてのレベルを持たせて書いていますが、
厳密にいうと、男性からの注文で、
見て、惚れ惚れするような「性」の字というのは、
まだ書いたことは一度もありません。
女性では、お二人だけ、性の文字が、サマになっていました。
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- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -