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「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
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より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1468]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その206=」●「無駄な瞑想と、悟りという目標を捨てる」
by:
鈴木崩残
2011/01/31(Mon)08:11:36
【自我判定・再開しました】
2/3より再開しました。
ご注文方法は必ず下記の投稿をご覧ください。
↓
↓【ご注文方法】
http://www.mumyouan.com/k/?T4030
■今回は、「ヤマト便」でのお届けとなります。
●一部、「滲み書」の文字の種類が変わりましたので前述のリンク先を
ご参照ください。
『かなめ/要』
おたより
・本日無事、書が届きました。どうも有り難うございました。
・付属のDVD、大変面白かったです。
字を書いていると自ずとその人の字になる所がとても興味深いです。
>むろん、それは私の書の場合にだけそうなるものですから、一般的な書では、
>そのような現象は絶対に起きません。
>私も、毎回、その人の性質が作用して、文字の一部、または全体を、
>変化させてゆく様子を見るのは、とても興味深いです。
・数年前から、どうも自分が、半分くらいごっそりと抜け落ちているのではないか、
と感じ始めたので、今回の自我復元の話は、私には大変納得する話でした。
それで、去年の暮れから、自我復元を始めたのです。
・「地に足をつけなければいけないとこだわりすぎている」とおっしゃっていましたが、
11年前にいわゆる精神世界にはまってしまい、当時は頭がイカれていたものですから、
浮き上がっていた事この上なく、6年前に精神世界から脱出してからは普通に、真っ当に
生きていますが、多分、マイナスからプラスへ転じた反動で意識しすぎているんだと
思います。今は瞑想も何もやっていません。
>地に足をつける事自体と、地からわざと足を外すことの、そのどちらも、
>タイミングと、自分への必要性の見極めさえ間違えなければ、非常に有意義なのですが、
>ほとんどの人は、タイミング(それをやる時期)と、どこで、どの分野で、
>それをやるべきか、という事を間違える場合が多々あります。
>特に大切のなのは「タイミング」と「準備」です。それを間違うと、
>地に足をつけた生活をしようとしても、結局は、何年かけても出来ません。
>それまで、散々に、瞑想ごっこを提唱することを、
>自他に対して繰り返していたような者が、
>同じその軽率な口で「普通の生活が大切だ」などと言い出しても、
>そうした人々が無知であるが故に、全く何の説得力もありません。
>重要であるのは、どの局面では、地に足をつけるべきか、
>どの局面では、地に足をつけてはならないか、を見極める能力です。
>これは、飛行機が、どういう地形には着陸してよいか、
>どういう場所は、「あなたという飛行機」が着陸するには、
>危険な地質や地形であるか、という問題や、
>または、どういう天候の時には、着陸を控えるべきか、と同じです。
>こうした、どうやって地に足をつけるのか、という具体的な方法について、
>希釈自我の人の場合には、いちいち、他人や専門家に尋ねないとならない、
>という無駄と、時間の浪費と、不効率さがあります。
>しかし「自我復元」を行なうことによって、そうした方法も、他人の助言なしに、
>皆さんは、「自分自身で、判断できる」ようになると私は確信しています。
・「こだわらなくて良い所にこだわりすぎている」というのも、痛い指摘なのですが、
実は自分では良く分からないのです。しつこく考えすぎているのかもしれません。
石橋を叩き割るくらいに叩くものですから。
>こだわる事それ自体もなんら悪いものではありません。
>むしろ人間として、絶対に必要な事です。
>ただ、結局は、こだわった結末として無駄なことは現実にあります。
>たとえば、こだわり過ぎて判断した結果の買い物に、不満や後悔を
>したことが、これまでに何度かあったはずです。それと同じです。
>こだわりは、本当にこだわるべきポイントを外してしまうと、
>必ずしも、よい結果として作用するわけではなく、
>「どうしてあんなものを選んだのだろう」となることもあります。
>これは、恋愛相手の選択の誤りや、物品購入でも起きることです。
行書体「飛」「鯛」
・早速「鯛」を飾っています。
書って素敵ですね!とっかえひっかえ飾りたいと思います。
本当にお寒い中、150枚近く書いて下さって、どうも有り難うございました。
施行錯誤の状態は見ていて申し訳なくて・・・、どうもすみませんでした。
今度禅書をお願いする時は心から好きな字をお願いしようと思います。
>いえ、その人に合うように書くために試行錯誤をするのが私の書での仕事ですから。
・皆さんが仰っている通り、書って本当に生命力のある物ですね。
私の部屋には、石が好きなので水晶の原石と観葉植物がありますが、
不思議な事に、それらと同じ位、書から命が感じられます。
そして、眺めれば眺めるほど、自分の名前が書いてあるんじゃないかと思うほど、
鏡を見るように墨の線が私にそっくりなのが驚きです。
しかも美的で、見ていて飽きません。
・今までそれほど書には関心が無く、
自我判定の為のワンステップとしか考えていなかったので、
こんなに素晴らしいものとは思いませんでした。(すみません!)。
ハマってしまいそうです。
>そう言って戴けますと、「禅書師」冥利に尽きます。
>自我復元をしてゆくプロセスで、その人の文字が「前の書よりも変わってゆく」
>という現象が、今後は起きる思いますので、また気が向きましたらどうぞ。
今はクリアフォルダーに入れて簡易に飾っていますが、
ちゃんとした額に入れて飾ろうと思います。
私にはもったいないくらいの書です。
沢山書いて下さったので、色々選べて本当に嬉しいです。
どうもありがとうございました!またよろしくお願いします。
>いえ、こちらこそ、おかげさまで、滲み書に、今回そちらの書を
>書いた過程で出てきた「飛」という文字を追加できました。ありがとうございます。
_________________________________________________________________
私が精神世界に否定的である理由
●私自身が、小学生の終わりごろから今日まで、
精神世界と呼ばれる分野に、長年の間、親しみながらも、
その分野に対して、常に否定的であり、批判的である理由は、
非常に単純なものです。
●一言に言えば、あまりにも「遅れた分野」だからです。
今一度、よくこの世界を見回してみてください。
良いか悪いかは別問題として、この数世紀の間に、
科学技術は、特に軍需産業を中心として、確かに目覚しく発展し、
また、特に食文化、その他のいくつかの芸術や産業における文化は、
多様化し、医療も発達しました。
何度も言いますが、それが「良いか悪いかは別問題」としてです。
●ところが、まったくといってよいほど、ほとんど進歩しない分野があります。
それが人間の「精神にまつわる分野」です。
(ただし、大脳生理学や脳外科の分野の話ではなく)
●瞑想者は未だに2000年前、3000年前の何者かを
「後追いすることしか」出来ず、
2010年も過ぎたというのに、
SF映画に出てくるようなテレパシーすら一般化もしない。
地球上の、他のどんな分野であっても、これほどに変化することなく、
しかも遅れたままで、発展しない分野はありません。
●もうひとつ、この数世紀で全く惨敗したのが、精神医療です。
心理学者は、
犯罪者のプロファイリングぐらいは出来るようになったでしょうが、
患者を本当の意味で治せたためしは、「ほとんど」ありません。
もしも、そんなものが出来ていたのであれば、まさに画期的なことで、
精神科に行く患者さんなど、ほとんど、いなくなっています。
●たとえば、文化遺産や伝統芸能のように、
クラシカルな文化として継承するために、
あえて、「技術や道具を、ある地点で止める必要」のあるものはありますが、
精神世界とは、そういう分野ではありません。
もしも可能であれば、あらゆることを試して、試行錯誤し、
現代で応用できる分野になっていなければなりません。
しかし、「現実」を見てください。
●精神世界で起きてきたことといえば、
とどのつまりは、なんと、
「あーだこうだ、いや違うかも、わからない、」の3000年です。
特に、ここ数世紀はそうです。
●この事実ひとつとってみれば、
スピリチュアリズムのこの、極度の進歩のなさは、
検証対象が、物質でなかった、あるいは検証対象を、
直接に検出することが出来なかったという、それだけのことによって、
これほどに長すぎる歳月の間、
たったの一歩程度しか、進歩しなかったのです。
●脳波測定やサーモグラフィーなど、畢竟は、物質レベルに現れた変化を
「間接的に」見ているだけですから、ほとんど何の役にもたっていません。
一時、馬鹿みたいに流行った、脳波ブームや、自立訓練法すら
スポーツ選手やビジネスマンが応用しようとする程度のことで、
一般社会というフィールドで見れば、日常生活に確実に活用されるような
確定的な体系になったものではありません。
脳波脳波と、「脳波教」みたいな事を、そんなに言うならば、
ごく普通の、そこらにゴロゴロいる「子供たちの脳波」の方が、
よっぽどいろいろな、特異なパターンや瞑想状態の脳波に類度する
パターンを、沢山示しているはずです。
***************************
●精神世界とは、このように、他の分野と比べたときに、
最も「同じところを、ぐるぐるとしている、未開すぎる分野」と
定義することが出来ます。
その中には、むろん「各種の宗教」も含まれます。
●つまり、他のほとんどの分野は、良いか悪いかは別としても、
人類に影響し、何かを確実になすことが出来たのですが、
宗教を含む精神世界だけは、人間の精神に対して、
何も出来なかった「ほとんど無能な分野」と、私は定義しています。
●仮に、出来るとしても、それは常に「前提条件」を必要とします。
確かにこの世界には、多少は、面白い精神世界的現象はありますし、
それを幾度となく再現できる僅かな人たちもいるのは事実ですが、
瞑想にしても、魔術体系にしても、技術の学習より以前に、
生まれついての資質や、
何かの強いモチベーションがその人を、生まれつき突き動かしているか、
あるいは、何かの条件を「クリアー」した上でしか、機能しないという
現実があります。
●だからこそ、それらは、一般化することはなく、発展することはなく、
真面目に研究されることもなく、応用されることもなく、
今日のように、この世界で、最も「取り残された分野」となったのです。
___________________________________________________________
●このように、皆さんも、きちんと、冷静なって、引いた目で見れば、
他の地上の文化や技術に比較すると、
比較にならないほど、スピリチュアリズムという分野が、
ほとんど何も出来なかったという現実を見るはずです。
●実質的には、少々の単なる「慰め」と、
癒されたような気分になったと「錯覚する」だけで、
「変化」ということに関しては、ほとんど何も出来なかったのです。
その未開で不毛な分野に対して、
文学を楽しむように、お話として楽しむ分には、悪くないとしても、
皆さんは、この一生の間に、
やれ、ご利益グッズだ、パワーストーンだ、瞑想セミナーだ、
自己啓発セミナーだ、願望実現だ、霊的治療だと騒いで、
いったい、どれぐらいのお金をつぎ込んだのでしょうか?
少なくとも、数十万では、済まないはずです。
●精神世界を、「道楽」として完全に割り切れば、悪くありませんが、
もしも皆さんが、
「自分の、この嫌な人生を変える為だ」と言って「それに頼った」としたら、
それは、他の分野と比べたらば、
あまりにも発展も進歩もなく、見返りも少なく、
本当に「馬鹿みたいに実りのない」、「不毛な分野」だったのです。
●こうした理由から、
精神世界に何かを期待したり、精神の救いを求めても、
結局は、自分の精神状態一つすら変えることが出来ずに、
「精神世界難民」となるか、
または、チープな、インストラクターにしかなれなかった人たちを、
あまりにも沢山見てきましたので、
私は、精神世界と宗教には、徹底して、否定的であり、批判的です。
むろん、私自身がやっていることも、常に、
その不毛な地での、自分なりの、せいいっぱいの、小さな実験だと、
思っております。
・「独り言」・
■しかし・・・
思い起こせば、いつも、こうだった。
まだ未開な場所や、問題を抱えた惑星にいっては、その最前線で、
そこの人々と共に生活してみて、すったもんだする。
思い返せば、セックスという分野も、
都市伝説みたいな嘘と、下品なアダルト製品ばかりが横行していて、
本来の姿ではない形で、取り残されていたので、
私は、気がついたら、
それを全部、洗いざらい、改革しようとしていました。
それが「性恋愛教本」「性のレシピ」「虹のオーガズム」となりました。
●武術の中で、最もローカルな分野の手裏剣術もまた、数百年以上も、
何も、論理的な研究すらされずに、放置され、錆び切っていた分野でした。
数人が、数年前に、小さなブームを作ったものの、
相変わらずの、道場の抱えた営利主義と、権威主義と「曖昧な説明」と、
わけわからん、馬鹿みたいな理屈に、ほとほと嫌気がさして、
私は全部、物理学的に論理化し、技術として可能である事を証明し、
何度も、それを再現しました。
■このように、
どういうわけか、私は、その惑星や、社会の中で、「未開な部分」
「放置された分野」、「誰も改革すらしようとしないもの」、
そういうものに、私が首を突っ込み、終わったらそこを去る、
ということを、
なんだか、私は、何百年も、繰り返している感覚があります。
今回の、「分割自我理論」に基づく、「自我復元」もそうです。
●誰も見向きもしなかったものや、
あまりにも、それに向き合う姿勢がおかしいと思えるものに対しては、
黙っていられない性格を、あちこちの銀河系の内部ですらも、
私は、ずっと、変わらずに、持ち続けてきたようです。
ただし、私がそれをする「動機」は、ひとつだけです。
私は、人々が「無駄な苦労」を強いられる状況だけは大嫌いです。
>人生の学習には何も無駄がない、などという言い分は「大嘘」です。
●地球だけではなく、この広大宇宙の中ですから、
多くの生命たちが、「なぜ生存しているのか」も教えられずに、
不当に「無駄なことをさせられる」という状況が、蔓延しています。
(注・ただし、生存目的は、個別の惑星や太陽系ごとに、全て異なり、
全宇宙に共通するような共通認識や、共有する生存目的は、ありません。
ただ唯一、
「理由は何でもいいから、うろうろ動き続けて、とにかく生存しろ」
という、「単純なコマンド」以外には。)
●さて、もしもそこに暮らす人々が、
苦労した分と等量の「快楽」が人々に、きちんと与えられて、
その利害関係(リスクとリターン)が、釣り合っているのであれば、
私は文句は言いませんが、
誰かを「無駄死に」させたり、
または「無駄生き」させるような問題に対しては、絶対に許せない、という、
「ごくごく、個人的な、感覚」が私の中にはあります。
●ですから、私の人生の目的の大半は、
自分を含む、生命体の経験している物事のうちの、
特に、「精神活動における無駄」を、軽減し、
人々が経験している物事を、可能な限り、
「割に合う形」にすることです。
決して、その仕事は、苦しくはないですし、それなりに面白いのですが、
はっきりいって、
毎回、ひどく、疲れる。
_______________________________________________
【おしらせ】
●予定では、1/31から「自我判定」を受け付けるつもりだったのですが、
書店さんからの注文や、禅書のご注文が少し重なって遅くなっていまして、
申し訳ありません。
●しかし今、一番問題なのは、作業をしている倉庫の気温です。
書を書いてた、去年も一昨年も、ここまで気温が冷えることはなかったので
ストーブをつければ、特に問題を感ぜず、書を書いていたのですが、
今年は、ちょっと、参りました。
私自身は、着込めば寒さは凌げるのですが、
昨日、初めて、墨が凍りました。
紙の上に描いた瞬間に、なんか、ジャリっとしていて変だと思ったら、
紙の上と、筆を置いている場所で、筆の墨が凍っていました(凍)。
薄めるのに、水ではなくて、お湯を使ったり、
墨汁を、電気ストーブで温めつつやっていますが、
それでも、書いたあとの、乾燥速度が、16時間もかかり、
今度は、普通の禅書の作業で、支障が出ています。
今のところ、夜は、外気がマイナス12度で、倉庫内はマイナス6度で、
作業が出来ずに止まるので、禅書は、昼間だけにしていますが、
倉庫内は、昼間でも、マイナス3度以下になる日があるので、
ちょっと油断すると、筆先の墨が凍ってしまいます。
そのために書の制作が少し、遅れ気味になってしまいました。
明日には、大きな部屋用の石油ファンヒーターを持ち込んで、
改善を試みてみますが、
換気に注意しないと、酸欠になるので、微妙です。
かといって、今の電気ストーブだと、熱が足りない。
かといって、今さら、全部の用具を、
自宅の室内にすべて移動するのも大変な作業なので、
なんとか倉庫内で、環境を改善してみます。
というわけで「自我判定」の開始は、あと数日だけお待ちください。
*********
■それまでの間、判定を依頼される予定の方で、
自我復元作業をしてきた人は、ご自分の報告をまとめる作業を
しておいてください。
>注**
>自我復元の経過のご報告は、「添付ファイル」ではなく、
>必ず「メールに直接にコピー」して下さい。
>添付ファイルは、原則として開きませんのでご了承ください。
●また、既にレポートがまとまっている人は、
「今年に入ってからの、梅の間のログ」を、もう何度か、熟読してみてください。
重要なことが沢山書いてあるのですが、
おそらくは、ほとんどの人たちが、あまりにも無意識的に、
不注意に読んでいるので、肝心の文章を読み落としたり、
まだ内容を理解するほどに消化できていないと思います。
最近も、何人かの方の自我復元の報告メールなどを読みましたが、
単に、梅の間の内容を、読み落として誤解しているだけの場合が、
ほとんどです。
*********
■今後、この梅の間は、地球上で、唯一の、
「自我復元法」を提唱する場所となり、
それを参加者の皆さんとともに、
実験と実践をしてゆく現場となりますので、
この場に及んでも、
それ以外のことに関心の「軸」がぶれている方は、
一刻も早く、無明庵サイトを去って、二度とこのサイトを見ずに、
他に皆さんが信じられるような場所へと、どんどんと去って行ってください。
■回収作業は、現在は、世界中の地域をターゲットにしていますので、
回収時における「競争率」は、問題ではなくなりましたので、
自我復元に「関心を持たない人たち」が増えてくれる事のメリットは
なくなりましたが、
私自身は、自分の個人的な趣味を残しては、
私の人生に残された時間の中では、
「皆さんが行なっている自我復元」の今後の結果と、
「禅書」や「無無心の書」を書くこと以外のことには、
関心がありませんので、
それ以外のことについては、
どこか他に行って、解決しようとして奮闘してください。
■■■
【全ての悟りを目指す瞑想をやめる事】
宇宙では、悟りは「普通」の状態
●この問題については、
幾度となく梅の間掲示板で言っているにも関わらず、
単なる「無知」を原因として、理解できない人もいるでしょうから、
ここで、釘を打っておきます。
●あなたにとっての瞑想というものが現世利益や、健康維持法なのであれば、
それを「瞑想」などとは、決して公言することなく、
単に「何何訓練法」と呼称して、それを続けるのは全く構いません。
また各種の「魔術的技法」も、私は全く否定しませんし、
それらは、今後自我復元がされているかどうかのチェックをするのに
良好な試金石になることは、以前にも何度も話しました。
●ただし、
死人禅行法は、自我復元の「補助」をするために、今回、特別に
「解禁」しただけの話であって、
それをもって、悟ろうなどとすることだけは、絶対に止めて下さい。
●また、死人禅行法に限らず、
クンダリーニヨーガ、ラージャヨーガ、バクティーヨーガ、マントラヨーガ、
そして、和尚の瞑想法や、禅寺の座禅、
その何もかも、すべてを、皆さんは、一切捨てて構いません。
すなわち、
>この地球上に存在する、あらゆる種類の「悟るため」と称する瞑想を
>すべてやめてください。
>また、悟ったと称する、古今東西の人々や僧侶や導師について、
>あれこれと、言うことも、すべて今日限りで、やめてください。
●その理由は、何度も言ったことと同じです。
>悟りという問題は、この惑星ですべきことでもなく、
>この惑星の現状では、ほとんど実行不可能です。
●また、もしもいったん、あなたが全自我で、元の場所に帰還すれば、
いくらでも、あなたが瞑想したいだけの時間を使えるような、他の星系や
他の次元での生活を、あなたは「選択」することが出来ます。
●この地球上で幾度も生まれ変わって、数百年かけても悟りが
不可能だったものも、もしも、いったん地球から出さえすれば、
地球時間で、わずか2週間の研修やリハビリで、
悟りの状態になれるようなものだと思って、全く構いません。
●ようは、いったん、地球から離れてしまえば、
悟りなどというものは、皆さんがやっているような、
大げさに言ったり、問題にしたり、
何か悩みの解決の手段として、騒ぐようなことでは全くなく、
まったく、どこにでもゴロゴロしている「当たり前の状態」です。
難民キャンプでフルコース料理?
●いったん、地球外の星系または、次元に出てしまえば、
ここを読んでいる皆さんの誰にとってさえも、
あまりにも簡単で、
当たり前すぎて、
標準的な意識状態である悟りが、
地球で、かくも困難なものであるのには理由があります。
●喩えはあまり良くないですし、正確な喩えではありませんが、
それでも、皆さんの誰もが簡単に理解できる「比喩」によって、
以下にその「現実」を説明します。
*********
●地球が、もしも、宇宙の中で、
アフリカなどの難民キャンプのような状態であったとします。
報道で見たり聞いたりして知っている、あの情景をよく思い浮かべて下さい。
では、一日を生きる為の、わずかな小麦粉を得るのでさえ大変な環境の中にあって、
あなたに、誰かが、
「諸君は、フレンチのフルコースを食べなければ救われないのだ」
などと言ったら、どうしますか?
●または、誰かがそこで、
「人生の目的は、フレンチのフルコースを食べることだ」
と、キャンプで、極度の飢餓に苦しんでいるあなたに言ったら、
あなたは、一体どう思いますか?
●そして、実際に、意識の現実問題としても、
悟りというのは、こうした難民キャンプの飢餓状況の中で、
「フレンチのフルコース」を食べるのに喩えられるような、
「精神の至福のフルコース」だと言っても過言ではありません。
●では、悟りそのもの(つまりフレンチのコース料理)を、
「食べる」ことそれ自体は、そんなに「困難な事」なのでしょうか?
そんなに、死ぬかもしれないような努力が必要なのでしょうか?
悟りを「食う」のは、古来から言われてきたように、
難しいことなのでしょうか?
●全くそんなことはありません。
ここを見ている全ての人たちすらも、もしもいったん、
その難民キャンプを「出さえすれば」、ヨーロッパに行って、
当たり前に、「フレンチのコース料理」を食べることが出来ます。
日本の47都道府県の、どの県にだって、フレンチのフルコースを
食べさせるレストランはあります。
●では、難民キャンプの中に生活している場合には、
一体、何がフレンチ料理という名の「悟り」を経験することを、
妨げているのでしょうか?
それは「その環境そのもの」です。
●悟りそのものは、ちょっと難民キャンプから脱出して、
近くの国に行くだけで、
誰でも「当たり前に食べることの出来る料理」に過ぎません。
ただ、問題なのは、難民キャンプの中には、
フレンチのフルコースを作る食材など絶対にないということなのです。
また、政治的な事情から、
難民キャンプに大量の食料や調理器具を持ち込んで、
フレンチのフルコースを作って、そこの全員が食べることなど出来ません。
●ところが、この地球で、
皆さんが「他人の受け売り」として言っていること、
あるいは、学者や、坊主が言っていること、導師と称する者から、
下っ端の軽薄なインストラクターの言っていることというのは、
彼ら自身さえも、そのフレンチを食べたことがないのに、
一日を生きるのにぎりぎりの食料しかない、その難民キャンプの中で、
「ここで、フレンチのフルコースを食うことが、
あなたたちの人生の目的だ」
と、大嘘を言っているようなものなのです。
●そんなことが、出来るわけがありません。
また、たとえば、ブッダ、その他、禅僧やヨギの何人かが、
実際にフレンチ(悟り)を食った経験を持つとしても、
それは、実質的には、彼らがいったん、他国に「脱出」して、
そこでは「ごく普通に売っているフレンチ」を食って、
そして、再び、難民キャンプに戻ってきたということにすぎません。
●つまり、彼らは悟るために膨大な努力を必要としたのではなくて、
彼らにとって、最も困難だった挑戦は、
難民キャンプでの「現状把握」そのものです。
●この喩えと同じように、
そもそも、地球という惑星が、
自我実験、ルーシュ生産(薬物製造)や、
その他の「経験」や「生産」の為の「実験地」として、
設計されたものであるのですから、
>この地球で悟るなどということは、そもそも、必要ありません。
もしも、悟りということを実現したいのであれば、
>一歩、地球の外側に出れば、それは当たり前の標準的な意識状態です。
>それは、ありきたりに、ゴロゴロしている、レストランの料理と同じです。
●ただ、それが皆さんにとって、よだれが出そうになるほど、
美味しそうに見えてしまい、あたかも、フレンチのコースを食べたら、
もう死んでもいいぐらいに幸せなんだろうと「妄想」してしまう、
その最大の原因は、
>あなたが、今、人生の日々を、それと知らずに、
>最悪の「難民キャンプ」の中で暮らしているからに過ぎません。
●では、どうしたらいいのでしょうか?
簡単なことです。
この惑星の次元から、「まず出て」ください。
つまり、「全自我」に戻って、正常な決定権を取り戻してから、
死後に、この難民キャンプを脱出してください。
そうすれば、悟り(フレンチ料理)など、
隣国にすら、ゴロゴロしていて、
宇宙の住人たちは、当たり前にそれを食っている、という現実を、
あなたは見ることになります。
●地球で、
「あれは、至福の料理らしい」と、騒いでいたあなたが、
単に、宇宙の現実を知らないほどに「無知」だっただけです。
●もう一度言います。
いったん、地球から脱出して、外宇宙や外次元にいけば、
釈迦や老子や達磨のような者は、ゴロゴロとしているばかりではなく、
あなた自身が、彼らと、さほど変わりないような意識にすら、
ごく短期間で帰還できます。
なにしろ、それは、宇宙では、なんら珍しいものではないのですから。
どこの都市でも、あなたがフレンチのフルコースぐらいは、食べられるのと同じです。
●従って、
悟りに、何かの「希少価値がある」などとは、
決して思わないでください。
そんなことを言ったり、やっているのは、この地球内部だけ、
つまり、あなたが今いるところが、
最悪の環境の難民キャンプの中だから、そんなことをしているのです。
●悟りの状態は宇宙では、珍しくないどころか、
>どこにでも転がっています。
珍しいのは、悟りの方ではなくて、
むしろ、この難民キャンプの「あまりにも凄惨すぎる」状態の方です。
*********
●言い伝えによれば、本当かどうか知りませんが、約2500年前に、
ブッダが悟りを開いた時代というのは、
何人かの「全自我」の人たちが、「地球の精神状態の異変」に気づいて、
その当時に、帰還しようとした人たちのいた時代のことです。
うっかりバーチャルな夢を見すぎて、
記憶や原初の意識を喪失しそうになったことに危機感を持った
「全自我の人たち」が作り出した「帰還法」であったものが、
当時の瞑想法の本質です。
●そのような彼らのやったことと言えば、
彼らは何も、難民キャンプの中で、
フレンチを食べたり、作ったりしたわけではなく、
「いったん、外に脱出して」、そこでフレンチを食っただけです。
●その後に発生した、問題とは、
その後の時代に「希釈自我」によって蔓延した、
「劣化した意識状態」を、その難民キャンプの人々の
病的な精神状態に喩えるならば、
そのような劣悪な環境の中で、
「絶対に不可能なこと」を言い、
絶対に不可能なことを、目標であるかのように歪曲した、
「希釈自我」の人間たちのしてきた「愚行」です。
●本当の、事実は、
>悟りに希少価値があるわけでもなく、
>悟りに、価値があるわけでもなく、
>悟り自体に至るのに、大きな困難があるわけでもなく、
>本当に困難なのは、
>今、あなたがこの惑星に縛り付けられているということ、
>そして、自我が希釈されたために、
>その難民キャンプから、出ることが困難になってしまったという事なのです。
●現在、地球上の人間の精神に起きてしまった諸問題の元凶は、
そこにしかありません。
したがって、そんなものを、
悟りという「過去の処方箋」によって解決しようと思ってしまう事の方が、
全く馬鹿げて、効果のない無駄な解決法です。
●難民キャンプの中で、食べることも、作ることも出来ないような
「そんな料理」を、夢想して、憧れて、夢見る暇があったら、
>まずは、難民キャンプを脱出してください。
そうすれば、騒ぐ意味もないほど、悟りなど、
周囲の世界には、有り余るほど、存在しています。
ですから、皆さんは、人生の時間を、
これ以上、一分たりとも無駄にしないために、
1−悟りということを目標にする体系や他人の言い分が、
宇宙の現実に対する無知から来た幻想であったと悟ること。
ざっくり言えば、「悟りを売りものにしている」地球上の、
あらゆるすべての、体系や宗教から脱会して、
ただの幻想にすぎない目標と、
「過去の処方箋だったものに過ぎない瞑想」と、彼らの主張を、
あなたの中から、金輪際、全て、斬り捨ててください。
そんなことを、いつまでもやっているのは、時間の無駄ですから。
2−自我復元を、残った人生の中での作業として、最優先すること。
●全自我にさえ戻って、選択権を取り戻せば、
あなたは、あなたの死後に、
いかようにも、瞑想的な世界を自主的に選択することも出来ますので、
悟りの状態を、もしもあなたが本気で願うならば、
死後に、何百年だって、悟った状態で瞑想三昧だけをできる環境世界を、
選ぶことも簡単に出来ます。
それは、何も特別な人だけが選べるのではなくて、
ここの誰であっても選べます。
●唯一の問題は、この惑星にいては、
かつてのように、リスクを覚悟しながらも、
自我を楽しんで生きることすらも、今の状態では、
ほとんどの人たちにとっては、不可能となり、
いわんや、悟りなどに、この惑星で、関心を持っていても、
全くの無駄であり、関心を持つならば、
>死んだ後に、地球以外のところで、悟りに戻るほうが、
>難民キャンプの中よりも、比較にならないほど「簡単」だということです。
■ですから、今後は、
>断固として、「悟り」やら「解脱」を売りにしているような体系には
>今後、二度と近づかないでください。
もしも、無明庵の初期の著作が、
そのようなものに貴方に思えるのだとしたら、
無明庵の初期の著作物からも、あなたは、関心を外してください。
もう一度、今回の「喩え」をよく熟考してください。
「フレンチのコース料理」は、「どこででも食わせてくれます」
ただし、「最悪の劣悪な環境である、難民キャンプ」で、
「おい、みんなは、このキャンプで、フレンチ料理の味を知るべきだ、
それが君たちの人生の究極の目的だ」
などと、ぶっこいている奴は、ただの「アホウ」だということです。
そんなこと(悟りのことなど)は、
地球という、稀に見る最悪の難民キャンプの外に出たら、
「当たり前すぎて、誰も、話題にすらしていません」。
●なお、全自我に戻ったあとで、
この地球上で、悟ろうなどと、馬鹿な事を決して考えないでください。
それは、ここにいる多くの人にとって、
いろいろな意味で「曲解と誤解」を生じる迷惑なものとなりますし、
また、既に言ったように、地球以外の他の環境であれば、
わずかな時間で、悟りの状態にあなたは再びリセットできます。
ですから、
>ここで、生きるかぎりは、死ぬまでに残された時間は、
>あなたが、やっとのことで取り戻した、
>その大切な「全自我」によって、健全になった精神状態を、
>存分に楽しむことに、ただただ徹してください。
そのあとは、死んだあとに、何かの機会や、時期がくれば、
全自我の人たちというのは、特別に、何もせずとも、「ほっておいても」、
やがては、意識にその季節が来れば、原初意識の方向へと移行しますので。
それを、何も、地球という、この劣悪な難民キャンプで、
「悟る為のものだ」などと称する「無駄な努力」することなど、
全く必要ありません。
>また、あなたが、全自我に戻れば、
>仮に何かの「何々訓練法」というものが、
>あなたに、あえて必要な場合には、
>あなたは、自分が、どの体系を選べば良いのかを、
>今までのように悩まず、正しいものを、自分で見つける事が出来ます。
>そしてたぶん、それは、まだ全自我になっていない今の時点で選んだ
>体系とは違うものになる可能性が高いです。
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