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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1565]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その302=」■「これだ」というものを探し、「これではない」というものを捨てる、またはそれと戦う。■
by:
鈴木崩残
2011/07/02(Sat)07:50:14
●うちからは少し距離の離れた、地元の観光地に行きましたら、
「絵手紙」の展覧会場がありましたので、スライドショーにしてみました。
ちなみに、この農村は、いわゆる文化遺産のような本物ではなくて、
昔、ここにあった農村を再現した「レプリカ」です。
ちょうど、職人さんが、茅葺き屋根の手入れをしているところでした。
●2:06の写真に注目↑。
こういう、なんちゃって古民家テーマパークに、
「ソフトクリーム」の看板を置く神経が、私には理解できない。
こういうセンスのないこと、やめんか、こらっ。
7/3記
_______________________________
自分が嫌う環境から抜け出られない人
●カウンセリング書(禅書)を書いたり、メールで相談を受けたり、
自我復元の報告のメールなどを見ているせいで、
いろいろなメールを今日まで目にしてきました。
とりわけその中でも、たとえば、現状のその人の生活や環境が苦しくて、
そこから「抜け出したい」という声も多いわけですが、
「抜け出したい」だけでは不十分であることは、常に言ってきたとおりです。
問題はどこのどのような位置に抜け出したいか、否、「行きたいか」の
ヴィジョンがないのに、ただ現状が嫌だと愚痴ったり、苦しんでいても、
結局は、抜け出して放浪した先で、今までと同じことを繰り返します。
最初になければならないのは、次のヴィジョンや自分の目的であって、
それなしに抜け出た場合には、必ず結果として同じような環境に
取り囲まれます。
もしもこういう環境にいたいという次のヴィジョンがあれば、
>抜け出ることは、結果として起きるものであるので、
重要なのは、次のヴィジョンを決めることであって、
とにかく抜け出たい、という思考では、駄目です。
●この皆さんが抜け出たいというものは、現在の家庭であったり、
現在の夫婦生活であったり、現在の職場であったり、するわけですが、
覚悟や、ヴィジョンもなく抜け出た人たちは、たいてい、抜け出られない
という結末や、または、抜け出ても、同じ環境に舞い戻る、
このことは、私が、「性恋愛教本」で明記した、恋愛術を知らない人達と
全く同じです。
その人の足を引っ張る結果になる環境には、職場や居住区など、
いろいろありますが、とりわけ、失敗するとエライことになるのが、
伴侶や、パートナーや、同居人、恋人などです。
それで、一生、または四半世紀を棒に振る人も多くいますから。
●そこで、私が性恋愛教本で、何を書いたか、本を持っている人は、
よく読み返してください。
ひとつの恋愛(または結婚生活)が終わったときに、その恋愛が不満だった、
または、現在の恋愛(または結婚生活)が、どこか間違っている、これは違う、
そう、あなたが思ったときに、
絶対にやらなければならないことを、私は、明記してあります。
本の終盤に【あなたの気持ちのチェックシート】というのが数ページあります。
自分でアンケートに答えるという自己分析の形式です。
あのチェックシートのコンテンツはあくまでも恋愛、または結婚や同居
という環境に絞ったものですが、ああした、現状分析の姿勢とやり方は、
何も恋愛に限ったものではなく、
あなたが、職場や職種を変えたいと思ったとき、
どこかへ引っ越したいと思ったとき、
何かのしがらみから、抜け出たいと思ったとき、
>それらのすべてに、「転用」が出来るものです。
●つまり、何かに対して、抜け出たいと貴方が思ったときには、
現状の自分の本心を洗いざらい自分で見て、自覚することと、
もうひとつは、では、これだけは嫌だ、これは望むというものを
いかに、明確にするか、そして、そこにどれだけの本気度があるか、
そうしたものが、明確になれば、本気でそう思っているものであれば、
必ず、そうしたものが次の貴方の環境やパートナーとなって現れると、
私は断言しています。
●恋愛と性の問題というのは、特定の異性と生活全般に渡る影響や、
ある程度は、運命までも共有するわけですから、
半端な気持ちや、曖昧なヴィジョンや、なりゆきで選んではなりません。
それは仕事を選ぶのと全く同じほどの明確な目的が必要ですし、
逆に言えば、仕事を選ぶときにも、恋愛や結婚と同じぐらいの慎重さを必要とします。
つまり、性と恋愛の問題と基本的な同じもの、
つまり「=関係性の形成」を、希釈したもの、または濃縮したものが、
「仕事選び」であったり、「住む家や部屋を選ぶ」ということなのです。
●私が、これまでの数人の恋愛相手の選択において、
ただの一度も、選択の間違いをしなかった、ということが、結局は、
私がこれまで、かつて職場を変えたときにも、その選択に間違いをしなかった、
ということに通じています。
以前にどこかで書きましたが、私にとっては、仕事や職場を選ぶということは、
パートナーを選ぶのと同じ意味があったからです。
なにしろ、自宅を出たら、約8時間以上、自分の身を置く環境です。
睡眠中を計算に入れなければ、自宅で伴侶と共に過ごす時間とほとんど同じなのですから、
仕事や、仕事場選びに、慎重になって当然のことです。
ただ「お金がいいから」とか、逆に単に、「交通の便がいいから」とか、
「そこにいる人達が、いい人そうだから」とか、
そういう一面的なことで、選ぶべきものではありません。
それでは、単に、
「セックスできるからいいや」
「彼には、欲しいものを買ってもらえるからいいや」
「私に優しいからいいや、」
「私のことを理解してくれるからいいや」
という理由で相手を選ぶのと同じぐらいに「軽率」です。
動機が軽薄な付き合いや結婚は、
その結末も、惨めになるに決まっています。
これだけは、自分は相手に譲れないという、必要な条件だけは、
すべて満たしていなければ、必ず貴方は、不満を抱えます。
しかも、後になってから、その不満を、
自分が覚悟したリスクではなく、「不当なものだ」といい始めるのです。
あるいは、逆に、「自分で選んだんだから、しかたない」と、
他人に対しては、体裁上、諦めたフリをして、
内心では、慢性的な欲求不満に陥ってしまうわけです。
●ですから、自分が何かを選ぶというときには、
特にそれが、大切なものであるときには、
>自分で自分の本心を、嫌というほどチェックする必要があり、
>また、望む環境と、望まない環境のヴィジョンが、
>自分に描ける限界まで、明確である必要があります。
そのことが分からない人は、相手が人であれ、人ではない環境であれ、
「選ぶ」ということの背景には、
徹底的な「現状認識の自覚」と、「次に望むもの、望まないもの」が明確であることが
どれほど大切なことであるかを、「性恋愛教本」のその部分の数ページを
もう一度読んでください。
【あなたの気持ちのチェックシート】は、初版本では183Pのところからです。
まだ読んだ事のいない人は、書籍情報のこちらを。
↓
http://www.mumyouan.com/i3.html
面白い事をしたいという人の陥る罠
●さて、息苦しい現在の環境から抜け出たいというのではなく、
現在よりも「もっと面白いことを見つけたい、したい」、というタイプの人がいます。
ところが、この人達に一様に欠落しているのは、
「面白さとは何か」を自分で定義すらも出来ていないという点です。
それでいて、「私は面白いことが好きなんだ」と言うのである。
これは喩えるならば「私は美味しいものが好きなんだ、それを探している」
と言っている人と同じです。
しかし、その人が美味しいと思うことには、
その人のそれまでの味覚経験の背景があり、
その人間が何を美味しいと思うかは既に、おおよそ決まっています。
同じように、その人間が何を面白いと思うかということは、
背景となる経験から制限を受けていますので、
結果として、その人間が面白いと思えることなどは、
それまでの面白さ、あるいは、美味しさの「少し先の延長線上のもの」
でしかありません。
●それでも、その「延長にあるものにすぎない」ものでも、
前よりも美味しかったから、面白かったから、ということで満足してしまう
その程度で終わってしまう人が多くいます。
こうした人が、いくら無気力に「何か面白いものはないか」など口にしても、
面白いことなど、見つかるわけもありません。
●ですから、「おもしろい事が自分は好きなんだ」とか自負したりしている人は、
一度、自分の頭に、自分で「冷や水」をぶっかけて、
>「自分にとって、面白いとはどういう事なのか?」を
それを考えるのが、
「全く面白くなくなるぐらいまで、徹底的に考え抜くべき」です。
>そうした「面白いとは、そもそも何か?」という事に哲学も持たない人がいう
>「おもしろいこと」ほど、つまらないことは、この世にありませんから。
●余談ですが、この「何が、この世界で面白いことであるか」という事に関して、
何十年か前に、印象的な言葉を聞いた覚えがあります。
確か、それは占星術師の松村氏が、どこかに書いていた言葉かもしれないのですが、
それは次のような言葉でした。
「この世界で、最も面白い事とは、危ない橋を渡ること」
ただし、これは、彼自身にとって、明々白々な事実であっても、
他の人には、適応できないという、「いつもの現象=ズレ」があるので、
これを真に受けてはならない人達が、実際に多くいます。
ちょうど、「あるがままでいい」を曲解したり、「想うことをしなさい」を
全く曲解してしまった人達が、ごまんといるように、
「危ない橋」が何であるかも分からずに、それを単なる冒険ごっこや、
危険なことをやればいいと誤解する人達が、山ほどいるからです。
こうした現象を見るにつけ、いつも私が思うことは、
「希釈自我の人達に、
全自我の視点から見た場合の、”本当の事”を言っても、
いつも、無駄になってしまい、さらにはトラブルすら起きる」、
ということの、不毛な「繰り返し」です。
●たとえば、「危ない橋」にも、そもそも二種類あります。
厳密にいうと、「未知な橋」と「危ない橋」というものがあります。
危ない橋を渡る場合には、その先に明確に目的とするものがあり、
それに到達するためには、どういう危険な場所があるのかを熟知していて、
それが困難であると分かっていて、その上で、
どうしても、自分がそこに行くための「リスク」として、
自覚している「危ない橋」です。
つまり、目的が明確である上で、そのためには避けがたいリスクとして
そこに危ない橋がある場合です。
松村氏の言っている「渡ることが面白い危ない橋」とはこれです。
もう一方で、「未知の橋」というものがありますが、これは、
危険なのか、そうでないのかすらも、予測がつかない橋のことです。
●つまり、前者は、その先に何があるかを知っていて、
その障壁を、「超えられるかどうか」という「賭け」に出る勝負であり、
後者は、「超えた先に何があるかすら分からない場所」へ行く賭けです。
この二つの危なさの質には、根本的な違いがありますし、
どちらにも、メリットとデメリットがありますので、一長一短です。
面白さの種類の分類
●「面白い」という感覚それ自体が、一種の錯覚であったり、バグである
というのが私の持論ですが、
一般的に、人々に何が面白いと感じるのかを質問すると、
おおむね、次の二種類の回答が得られます。
>1−自分の思ったことが、どんどん実現する。
これは、人間をやって、さほど時間と経験を積んでいない、
ごく、未熟な魂が、よく言う言葉です。
ですから、こういうタイプの人達というのが、日常生活で、
幼少期から、不満ばかりを持ち、どうして、思うようにならないのだと
憤慨しては、そのまま死んでゆく人達です。
それで、困った問題は、そのまま死んでゆけば、まだ無害なのですが、
この人達が、自分の思ったことを、半ば強引に誰かを犠牲にしてまで
形の上だけで、実現していった場合は、もっと迷惑です。
(言いたくは無いですが、原発利権の関係者ども)
こういう人達は、自分の望みが、かなったり、かなわないことに、
一喜一憂している始末ですが、
その成れの果てのゾンビが、世界を支配したいとか言っている連中です。
(言いたくはないですが、ロックフェラーのジジイなど)
●あるいは、どこぞかの瞑想教室などの看板に、
「願望実験」とか書いてある餌につられてしまい、そうしたところで、
お金をぼったくられたり、人生の時間を無駄にしたり、
あげくには、願望が実験しただの、しないだのと言っている連中です。
(言いたくはないですが、ネットで見かける、くだらない瞑想グループ)
私個人から見れば、その人達というのは、
「どんだけ、意識や魂の程度が低いんだろう」と、呆れるばかりです。
●その人達というのは、いろいろな意味での、思いが実現しなさすぎて、
よっぽど不満だったらしく、願望が実現すれば、喜び、そうでなければ
落ち込むといった事の繰り返しです。
ようは、価値基準が、全く「稚拙」なのです。
ですから、下手に、願望が実現するようになったと思い込んだ馬鹿な人が、
インストラクターになったり、あげくには、カルト教祖になったりする始末です。
●一方で、私の目から見て、
世の中で、本当の意味で、何かを実現した人達というのは、
実現したことに、彼らは「ちっとも喜んでいません。」
なぜかというと、それを実現するまでの労力と、時間と努力とで、
精一杯で、喜んでいる暇すらなく、
彼らは次々とやってくる課題をこなすからです。
つまり、何かを本当に「実現する」ということには、
それを実現した人本人の、喜びというのは、何もそこに必要ないのです。
たとえて言うならば、
別に、何かを実現した人本人が、喜ぶために
「科学」や「発見」や「発明」があるのではなく、
ようは、それが使えるかどうかだけが問題です。
仮に、苦しみぬいた結果として、描かれた絵であっても、
それを見る人が得るものがあればいいのと同じです。
何かの作品の中に、作者の喜びが含まれているべきだなどという論理は、
芸術や科学にあっては、「論外」です。
●たとえば、岡本太郎氏は、本人が作品を作りつづけたことに、
悦にひたっている感覚もなく、また、思ったものが実現したことに、
喜んでいる気配すら微塵もありません。
単に、あふれ出るものを、排出しなければ気が済まないという
「衝動」が、彼を突き動かしたのであり、
そうした岡本太郎氏の結果的な言動の爆発が、
彼個人にとっては、「神聖」で「崇高」なものと定義されたわけです。
本人が、自分の思ったことを、実現したときには、
喜んでいる暇などなく、そんな邪心もなく、
それは「実現されるのが、当たり前、実現されねば、許せん」というのが、
物事を「本当に実現してきた人達」に共通する精神現象です。
●つまり、願望実現に面白さなど感じている人達は、
あまりにも意識としてのレベルが低く、
そもそも、何かを実現した人達は、実現した後ですらも、こういいます。
「私本人としては、面白いという感覚はない。」
「面白さを感じるために、やってきたのではない。」
「私は、論理や技術を実現するために、やってきただけである」
つまり、主体が感情や情報として、何かを得たり、所有する必要はない、
単に、目的とされた対象についての科学や技術が、実現すればいい。
これが本当の実現の形です。
もしもそうではなくて、自分の、みじめな感覚をどうにかしたい
ということのために、何かを作ったり、政治的なものに関わったり、
それが何の分野であれ、
「自分に対して、評価がほしい」
つまりは、「勲章欲しさ」の動機で、何かをするぐらいであれば、
そういう人は、愛人でも作って、慰めてもらっていればいいのです。
●ものを作り出すこと、あるいは何かを実現するということは、
その実現のために、自分のことは、犠牲にするという覚悟が必要ですし、
そもそも、そういう人は、
その「犠牲のひけらかし」すらも目的ではありませんので、
その人達は、「自分がしなければと思ったことをしてきただけだ」と言い、
>自分を犠牲にしたとも思わず、逆に自分が報われたとも思いません。
さらには、単に、実現すべきものが、実現したという「安堵」すらも、
許されないほどに、次から次へと課題を持つ事も多くあります。
彼らは、仕事を終えた後の、一杯のビールを飲むのを楽しみにして、
それを目的に、仕事をしているのでもないのです。
●本当に何かを実現する人達というのは、
>何かの「分野」に自分を捧げるのであって、
>自分の私利の為に「何かの分野を利用する」人達ではありません。
面白い必要はない。崇高であれば良い
●ところで、思った事が実現することを望む人達の程度の低さについて、
前述しましたが、私個人がそう思う根拠は、
>思ったことが実現しても、「何ひとつも面白くはない」からです。
私にとって、この世界で、何か本気で思ったことがそのとおりになる、
ということが必要であるケースは、
それは、ようは、「何かのトラブル」が解決されることであり、
トラブルは解決されて当然のこと、という認識ですから、
解決して当然のことに、いちいち、喜んでいる暇はありません。
そして、解決が遅れる場合には、それに取り組む手間と労力がかかります。
そういう点では、私が実現したいと思うことのほとんどは、
「この世界で、人間の心理状態の中で生じている、
深刻で重篤なトラブル」に関するものばかりです。
ですから、そうしたものは、解決されるのが当たり前だ思っていますので、
解決されたときに、ほっとすらしません。
「さて、さっさと、次の問題にいくか」というだけです。
●また、私個人の視点から見れば、
そもそもが、この地球という惑星それ自体の設計方針が、
「望んだことが、簡単には物質的に反映されない」というものだったのですから、
「せっかく、そうではなく作った、この地球にいて、
願望を実現したい、などと言うとは、なんたる、罰あたりか?」
という感覚を持っています。
この問題は、次の桜の間の投稿に明記したはずです。
↓
【宇宙では無神論者が多数派】
↓
http://www.mumyouan.com/k/?S14
>想ったことが最初から実現することを
>日常とする世界に住んでいる生命にとっては、
>想ったことが実現しない、という事の方が、
>むしろ魅力的に思えたとしても、なんら不思議ではない。
ちなみに、私個人は、衣食住まつわる不便だけは、解消しなければならないので、
それは行いますが、何も、そこに喜びを伴っているわけではありません。
●最後に、皆さんは、決して「面白いこと」など求めてはなりません。
そもそも、面白いと自分で分かっていること、予測していることなど、
何も面白いものではありませんから。
それは、予測どおりのことが起きたというだけのことです。
しかし、本当の面白さが何であるかを、
私は何度か、竹の間や、梅の間で、記述したはずです。
「ギャグ」「ユーモア」「お笑い」といったものが、
人間に「痙攣反応」を起こす最大の理由は、
「全く予測しなかったことが起きること」です。
中には、古典落語のように、分かりきっているオチを、
繰り返し楽しむというものもありますが、
本質的な、爆発的な笑いとは、常に、予測を裏切られたときの、
思考回路の停止または、混線によって起きます。
●そういう点では、私がいつも、皆さんから注文された書を書いている時に言うように、
「私ではなく、依頼者の人の性格が、予測外の文字となって、
浮かび上がったとき」、このときが、私にとって、唯一、
これでいいと思える瞬間です。
自分の書きたい形の字が100%書けても、何の満足感も私にはありません。
自分からは出てくるはずのない線が書を形成したとき、
それが、私にとって、「これだ」と思える唯一の瞬間です。
ただし、これは、私は他人様に強要したり、その価値を押し付けるつもりはありません。
私個人にとって、それが基準であるというだけのことです。
つまり、予測外のものが、崇高な形で、実現されることのほうが、
望んだものが、実現するよりも、何千倍も私にとっては意味がある
ということなのです。
●そして、皆さんにアドバイスできることがあるとしたら、
私は、皆さんに、
「面白いこと」を求めるなといいます。
また、「安心できること」を求めるな、といいます。
逆に、「やみくもに危ない橋を渡るな」と言い、
そしてまた「充実感や、刺激性を求めるな」といいますし、
「感動を求めるな」ともいいます。
「喜びや楽しさをも、求めるな」といいます。
「他者の為の自己犠牲という欺瞞(イカサマ)」も求めるなと、言いますし、
言うまでもなく、
他人からの愛情やら、賞賛やら、「同意など、求めるな」と言います。
●あなたが、この地球上での、短い期間の生の中で、
自分のゆくべき方向の「指針」としたい羅針盤があるのならば、
それは、あなた個人が、それによって、苦しむか、悲しむかなどには
全く関係なく、
あなたの中に生ずる、
「これだ!」という感覚だけを頼りにしてください。
それが、あなたに苦痛になるか、快楽になるかは、全く関係ありませんし、
それを指針にすると、逆に道を、完全に間違います。
そして、「これではない!」「これは違う!」という感覚も頼りにしてください。
そして、「これではない!」と直感したものに対しては、
断固として、拒否したり、自分の命をかけても、戦ってください。
「これだ」「これは違う」
この感覚は、あなたが、現在、どれほどの希釈自我であったとしても、
ある意味では、あなたの知性と意識が下せる、ぎりぎり限界の、最高の判断だからです。
もしも、あなた個人の、対象や、他人に対する好き嫌いや、
自分が、面白いか面白くないか、とか、
自分が、心地よいか、心地悪いか、
さらには、それが貴方にとって、「損か得か」とか、
そのようなことを持ち込んだら、
あなたは、貴方の生に残されている「最後の羅針盤」を失います。
●今回の原発の事故の問題は、社会問題を含みますが、
いくらなんでも、どれだけ物事を考えなかった人でえも、
「これは違う!」という明確な感覚があるはずです。
「これだ」というものは、今は見つからなくとも、
「原発利権の非道な社会は、あれだけは絶対に違う」という感覚があるはずです。
もしも、それすらも、なかったら、
貴方は、もう「人間をやめて、動植物よりも以下になった」と思っていいです。
こう言ってしまうと、動植物以下の世界の生命に申し訳ないので、
別の言い方が必要ですが。
●そして、
「これだ」「これではない」という単純な直感を指針とすればいいと聞くと、
すぐに飛びついて、「簡単そうだからやってみよう」とする人達は多くいそうですが、
それも、何度も大失敗を繰り返しながら、出来るようになるものです。
甘く見てはいけません。
実際に、今までに、皆さんは、「これだと思ったもの」に、
そのあとから、大きく裏切られる経験をしているはずですし、
逆に「これではない」と思ったものが、あとから見て、それだったと、
「気づくのが遅すぎたこと」が、いくつもあるはずです。
ですから、あなたの好き嫌いや、快・不快に干渉されない、
純粋な意識からくる知的判断で、「これだ」というものを
見つけるにも、何度も試行錯誤と、失敗を繰り返すことが必要です。
簡単な文で書いてあると、やるのも簡単だと思いたがる・・・・。
これが、人間の持つ、とても悪い癖のひとつです。
■■■
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