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[318]
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★分割自我復元★その318■ 挙動不審すぎるAC人格
by:
鈴木崩残
2014/01/30(Thu)06:57:35
AC人格の最大の悪癖は
「自分を褒めたがる事」
●前回の投稿の、
ほのぼのとした、「想いやりファーム」のエピソードとビデオを見て、
「あんな牛みたいに育てられたかった」とか、
うっかり思ってしまった人も多いようですが、
人間にとっては、
「乳を出さなければ、牛に用はない」ということは忘れないでください。
想いやりファームは、
たまたま、元から動物好きな人、しかもあれだけの感性と、
純粋な考え方を持った人が、牧畜をしていたからいいのです。
●また、せっかく、そうやって大切に育てられた生乳は、
客を選べるわけではありませんので、
東電の会長や、どこかのマフィアの「大馬鹿者」の人たちにも飲まれてしまう、
ということも忘れないでください。
本当であれば、あのように大切にされた牛から出る牛乳は、
それ相応の人、それを本当に必要としている人、
そして「その違いが分る人」に飲んでもらいたいと私個人は思います。
物事は、「供給する側 と 受け取る側」のすべてにおいて、
整ったときにのみ、美しい結果を生み出しますから。
つまり、本当は、
生産者も良し、作り手も手良し、お店も良し、客も良し、という時にだけ、
本物の良いドラマの背景が「整う」のです。
このうちの、どれか一つでも悪しでは、駄目なのです。
つまり、皆さんも、良き作り手の人のものを受け取れるだけの、
精神的な準備や、物質的な準備をすることも必要なのです。
*********
●ところで、今回の話は、少し複雑です。
AC人格の最大の悪癖は、「自分を褒めたがる」ということです。
言うまでもなく、「AC人格が、AC人格を褒めたがる」という意味で、
分りやすくいいますと、
悪党が悪党を褒めているようなものです。
よく俗に言われる「褒めることはいい」とか「褒める教育」
というものは、私にはよく分りませんし、関心もありませんが、
物事というのは、別に、褒めるとか、褒めないの問題ではなく、
単に、事実を言えばいいだけです。
●AC人格が、いかに挙動不審なことをやらかすか、という背景や事例は、
これまでも桜の間に、沢山書いてきたつもりです。
たとえば、皆さんの中の「無明庵人格」と、私が、
わざわざ自虐的な名前をつけて、分りやすく解説したものも、
結局のところは、誰しもが、
別に私に褒められたかったり、認められたり、
太鼓判を押して欲しいのではなく、
「自分で自分を褒めたり、納得する」ことをしたいだけであり、
その為に、私という検査器や、私の言葉を利用するということに過ぎません。
よって、私の言葉が、あなた本人の、
「AC人格が、自分を褒めたい願望」に、そぐわないものであれば、
このサイトを見なければいいだけです。
実際、皆さんは、そうやって、
あちこちの本や、他人の言葉や、他人や宗教を放浪して、
そのつど、「自分が褒められたような気になったもの」や、
または、「たまたま自分が考えていたことの一部」に近かったりすると、
それだけで、あたかも「自分が認められた」とか「正しい」と思えたり、
自分で自分にOKを出せような、そういうものばかり、
寄せ集めて頭の中がゴミ屋敷のようになったはずです。
●AC人格の挙動の最大の原因となる感情は、
「親から認められなかった」「ないがしろにされた」「無視された」
というものが基本にありますし、
自分で自分の生きる判断の指針をもてなかったために、
「この相手、この分野、この対象ならば、その代用品が得られるに違いない」
と思い込んだ分野で、AC人格は、「猛威」をふるいます。
●その結果が、今までに、桜の間で書いたような、
弱者へのいじめであったり、
他人を馬鹿にばかりして、見下げることへの優越感、
つまりは、自身の劣等感の原因を見ないための現実逃避であったり、
多くの場合には、毒親と全く同じ
「代理復讐」をしている事であったりするわけです。
*********
●さて、ここ最近の、桜の間では、AC人格の挙動について、
さらに分りやすい事例が、いくつかありました。
最初の発端は、仮に「YNさん」としておきますが、
ブロガーの天音さんに対する、
とても軽蔑的で、歪んだ、醜い感情が自分の中にあったことを
告白したYNさんの投稿から、それは始まりました。
告白した本人も、むろん辛かったと思いますし、
言われた天音さんも、ムカついたと思います。
しかし重要な動きは、「その後」です。
●そこで、皆さんのうちの何人かの人のAC人格が思ったことは、
「あんなに、ちゃんと、自分の、あそこまで醜い感情を、
ちゃんと直視して、正直に、さらけ出せている人がいる。
それなのに、自分は、全く自分の本心に気づけなかった。
自分は完全に負けているじゃないか」
そう思い込んだのが、新子さんのAC人格で、
次に、その思考のプロセスを新子さんが、
直視して、自己分析したままを(メールで私に伝え)ブログに書くと、
今度は、別の人が、
「あんなに、ちゃんと、自分の中に起きた思考を、
きちんと観察することが出来ているのに、
自分は完全に負けている」
と思い込む人たちが出てきます。
●その上さらに、
Abyさんの「自分ルール」の記事にいたっては、
私の目から見ていても、
もはや、完璧すぎて、
誰も、追従することも、Abyさんの真似をすることも出来ません。
●このように、ブログ、あるいは私との個人的なメールのやりとりの
一部を公開するということには、
公開された側の人のAC人格にとって、ものすごく痛い、
ということが起きると同時に、
閲覧して見ている人のAC人格にとって、
劣等感を煽られたり、嫉妬の対象となったり、羨望の対象となったり、
あるいは、
そこに「つけ入ろう」とするもの、になることもあります。
●たとえば、私は、
当事者の、YNさんや、新子さん、朱いはがねさんに対しては、
「私に向かって、率直に、怒りを向けてくれて、むしろ嬉しいです」
と書きましたが、それを読んだ、読者の何人かのAC人格は、
「そうか、崩残さんに、怒りを向けた事を報告すれば、点数が上がるんだ」
「はいっ、ほら、見てください。私もちゃんと、怒りの感情を出せましたよ。
(だから、自分もOKだと、その人は自分で納得したい)」
とか、またまた、「AC人格満開」の事を、目論んでしまうわけです。
●既に言ったように、もとより、
誰ひとりとして、私から点数をもらいたいわけではなく、
本人が、「自分にOKを出せて、自分で自分を褒めることの根拠」、
それを、たまたま、
私や、他人や、本やら、この掲示板の言葉に投影して求め、
あるいは、控えめに言えば、判断する参考として「悪用」しているだけです。
AC人格とは、もともとが、どんな他人の言葉であっても、
「心の真ん中で、あるいは心の隅で、自分を褒めるため」に、
悪用しか出来ないのですから。
●AC人格が、AC人格にとって、明らかに不利なことに突き進み、
自分で自分の首を絞めるような領域に入るために、
この掲示板の言葉を手がかりにする、
などということは本当に稀なことであり、
なんと、その稀有なことをしているのが、現在、活動している7つのブログです。
●このような点から言うと、
一時期、私は天音さんが「自分で自分を褒めてあげたい」と書いたときに、
「あー、痛いな。無理しているな」と思いました。
どういう理由をつけても、それはAC人格に過ぎないからです。
楽しい、というのは問題ありません。むしろ、喜ばしいものです。
「楽しい」は、正常だといっても過言ではありません。
(もっとも、そう書くとすぐに、心にもなく、「楽しんでます」とやる
AC人格が出てくる人たちがいて、
一方では、楽しいのに、
楽しんでいません、冷静に見ています、とやるAC人格が出てくる人がいて、
もう本当に、AC人格という奴は「最低の、食えないクズな奴」です。)
●しかし、「親が褒めてくれなかったから、自分で褒める」とか、
「誰かの太鼓判で安心する」、これは、完全に狂っています。
また、自分で自分の価値を決めていると思い込んでいる人も、
蓋をあけると、そのほとんどは、
「本や他人の話などを基にした妄想」の産物でした。
●褒める気持ちは、「率直な感情」なのではありません。
安心したり、ほっとしたり、楽しかったり、これは率直な一次感情ですが、
「自分を褒める」ときとは、
一体、自分の中の誰が、「何の根拠で」褒めているのでしょうか?
それは、「比較」です。
「過去の自分の出来の悪さ」と比較して、褒めているだけです。
あるいは、「他人の出来の悪さ」と比較して褒めているだけです。
ここから、少し、さらに厳しい話になります。
AC人格が成功体験だと思いこんでいる体験に
いつまでも、しがみつくAC人格は、
AC人格の出番をくれる不愉快さを求め続ける
■つい先日、S020さんに「自慢話をメールしてください」と言いました。
人間は、卑下や、謙遜や、自虐的姿勢すらも、
結局は、それを自慢しているという形に悪用することが度々あります。
自慢できると思い込んでいるものを、小出しにしたり、
(「おい、頼むから、分ってくれよ」)という声を、
非常に屈折した方法や文体で書くなどもそれに含まれます。
それぐらいであれば、堂々と、自慢できる自分の話をしてくださいと
言いました。
そこで確認をしてみると、「やはり」と思う点がありました。
何を「やはり」と思ったかといいますと、
この自我復元というシステムにおいて、
特にトラウマ掘り、AC人格の消去、そこでつまづいたことのある人、
あるいは、つまづいたままの人、今後、つまづくと予測される人、
そこにある、共通点が、再度、確認できたことです。
*********
●今までに、トラウマ掘りや、
AC人格直視で失敗したり、停滞したりした人たちがいました。
また、「これから自我復元します」とか言っている人の中にも、
どう見ても、AC人格の解除など、無理だろう、
したがって、トラウマも掘る能力もなく、
原主体など取り戻せないかもしれない、と私が思う人たちがいます。
●何によって、私がそう判断しているかというと、
それは、AC人格が、勝手に「自分は自分をなんとか保持できた」
と思い込んでいる「成功体験」への「しがみつきかた」の強度です。
しかも、その成功体験なるものは、
他者から具体的に見れば、全く、何も成功していなく、全く一般にも通用しない、
本人を、ちっとも変えていないのに、
本人だけが、成功体験だと「思い込んでいるだけのもの」であったり、
あるいは他者から、少しばかり評価されたことがあるという、
ただそれだけの理由で、成功体験だと思い込んでいるものであっても、
(つまりは、主観であろうが、なんであろうが)、
本人ただ一人が、「上手くいった」と「思い込んでいるもの」、
これをここでは「AC人格が主張している自称・成功体験」、
と定義しておきます。
■そして、以下に私がハンドル名を挙げる方たちは、
自我復元が出来ない、とは言っていませんし、
その人たちの人格批判をしているのではありません。
どうか、よくよくAC人格の挙動に注意して、
ぜひ、今後も、自我復元を続けてください、
という助言と思ってください。
●過去の事例では、最も、分りやすい事例は戦車さんでした。
本人のAC人格が「成功した体験だ、と思い込んでいるもの」、
これをひとつずつ、具体的によく精査してゆくと、
客観的にみると、何ひとつも成功していませんでした。
しかしAC人格は、絶対にそのことを認めたがりません。
わずかな心地よさや、しめたと思った経験であっても、
それを出来た過去の自分のやり方に、とことん、しがみつきます。
●次に、ややわかりにくかった事例は、根路理さんです。
一見すると、自己主張をあまりしない方のように見えましたが、
随所に、AC人格が成功体験だと思い込んでいるもの、
つまり自分はこの点ではイケていると思い込んでいるものがありました。
たとえば「詩」、たとえば、復元ブログそれ自体でした。
また、そこには、随所に、無自覚的な「模倣」が入っていました。
●今では危機は脱しましたが、天音さんには、
かつて長い停滞期間がありました。
そこでのさばっていたAC人格は、
「苦境にあっても私は負けなかった」というAC人格でした。
●そして、最近では、トラウマの掘り方が変だと私が思い、
ブログの更新を中断していただいている、S020さんでした。
そこで、逆にAC人格が、
「過去の自分は、あのときには成功した」
と思っているものを列挙してメールをしてもらいました。
*********
その結果、分ったことは、
さて、では、これらのAC人格の挙動は、
その人たち本人に、「何をもたらした」か? という点です。
●それがもたらした結果は、
決して、止まることのない、AC人格への中毒と、
現実逃避と、鈍感さに麻痺する事、
それを続ける為に「必要不可欠」となる、不運や、不快や、敵視できるもの、
あるいは、
気に食わない相手、自分が見下げられる他人、自分が偉ぶれる舞台、
あるいは、自分の必要性を主張できるような駄目な相手(典型的な「共依存」)
と関係を持ち続けます。
●つまりは、AC人格や、毒親家庭そのままのような職場や他人、
そういうものをリアルの世界では、ずっと引き寄せます。
あるいは、そういうものばかりを本人のAC人格が常に「探している」ので、
そうしたものに目が行く、関心がひっぱられる、といっても良いです。
●戦車さんの場合には、貧困や差別に負けない「というAC人格」を、
ずっと維持して世話するためには、
いつも貧困や差別があると「思い込む」ための環境が必要となり、
根路理さんにとっては、いつも駄目男で、身勝手な彼氏がいて、
その前で、我慢を美徳として、献身的に世話するのが正しい、
「とするAC人格」がのさばるための、環境が常に必要となり、
かつて天音さんが停滞し続けたときにも、私から見れば、
どう考えても、不幸になり、より苦しい環境になるようなことを
自分から選んでいました。
言うまでもなく、それはAC人格が、
「こんな酷いことになっても、耐えられる私は、自分で褒めてやりたい」
「この相手には、私のような我慢強い人間か必要だ。そんな私は価値がある」
と主張し続けていたからです。
その他にも、たとえば、リアルの私生活では挙動不審だったり、
対人関係は、まるでボロボロであるのに、
そういう人たちが、ネット上では、偉ぶれる獲物を探しては、
あちこちで、劣等感のうさ晴らしや、正論と自称する屁理屈を、
ハンドルを変えながら、延々と続けている事例もあります。
■ここで問題になるのは、
もしも医師の立場、または他者から見れば、
明らかな、歪み、明らかな病気であるのに、
そのAC人格が、そこまで、しつこく、
本人、ただ一人だけが、
「このままでも、別に大丈夫だ」と思い込んでいる「根拠」とは何か?です。
それは、ひとえに、その人が過去に経験したと思い込んでいる、
「大丈夫だった体験」
「上手くいったと思っている体験」
「自分が勝ったと思い込んだ体験」
「上手く誤魔化して逃げられたと思った体験」
「麻痺して嫌なことを感じなくて済んだ体験」
などと思っている「主観的な成功体験」です。
この成功したと思い込んでいる体験は、
ある程度、その中身を検証して、証拠があるかないかを客観的に見れば、
どれほど取るにたらないものであっても、
「本人が重大視」しているのですから、
それは本人の中では、価値が重いものとなります。
●たとえば10の失恋をした人が、たった1度だけ、
相手が優しくしてくれた経験があったらば、
その1回を成功体験だと思い込んで、
そのときに自分がした方法に、一生でも、しがみつき続けます。
●このしがみつく過去の「成功(と本人だけが思い込んでいるもの)」
の量が多い人ほど、トラウマ掘りや、AC人格分析は困難になります。
以前にも、桜の間でも、
AC人格の、のさばりぐあいと自我復元の成功率は「反比例する」と書きました。
●その点で見ますと、
今までは、一例として、マディアさん、お姫ちゃん、天音さん
これらの人たちは、毒親の仕打ちがあまりにも酷すぎたために、
自分の親が毒親であることに、無自覚にならずに済んだ、
だから、トラウマが掘れていった、
というふうに、仮説として解釈をした時期もあったのですが、
しかし、現実には、
この人たちのケースでは、AC人格ののさばり具合が、
「比較的」少なかった、ということが、
自我復元が順調に進んでいる(または進んでいった)原因だと思えます。
故に、「何事もなかったような、平気な顔を他人にしてしまう」
というAC人格が、かなり育ってしまっていた、天音さんは、
一時、もう駄目かもしれないというほどの、窮地に陥ったのです。
父親を、激しく憎みながらも、心の片隅で慕ってもいたマディアさんのAC人格も、
全自我になる一歩手前の最後の最後まで、顔を出し続けました。
ただ、マディアさんの場合には、親との関係のものよりも、
かつて「あれは充実した感覚だった」と思い込んだ経験のときに、
「自分自身に対して使った方法」が、AC人格を形成していました。
お姫ちゃん、、、、えーっと、この方は、
あれほどの酷い虐待を受けていたのに、
なぜか、AC人格が、肥大していません。私が見た奇跡のひとつです。
むろん、親のせいで感染した、本人も嫌いな「癖」はありますし、
トラウマ(傷跡)は沢山あります。
しかし本人が、これまでにどうして、変な男性や他人に関わったかは、
もう充分に分析は出来ています。
●この他にも、ブログを書いていない人たちからも、
ひっきりなしに、毎日、いろいろな報告が寄せられるのですが、
私が、常に、もっとも心配をし、また関心を注ぎ、
どうにか、解明をしたり、方法を考え出さないとならない思っているのは、
自我復元が、「順調に進まない人」の事です。
せっかくの前代未聞の、比類なき可能性を持つ修復方法がありながら、
なぜ、全自我になる手前で、止まってしまうのか。
●その最大の原因は、
もともとから、全自我になるという事は、
その自我率を唯一使いこなせる資質を持つ「原主体」を救出する事であり、
故に、それをなすことは、
AC人格にとっては死を意味するわけですから、
AC人格が「このAC人格で成功してきたんだ」と思い込んでいる
その執着と、しがみつきが強い人ほど、難航するわけです。
●しがみつく成功体験がまだ少ない、まだ20歳前後の若い人たち、
あるいは、成功体験だと「思い込んでいるもの」が少ない人、
そういう人は、それが幸いして、
比較的、幼少期の家庭で受けたトラウマはすぐに掘れるものなのです。
●また、これは今後、様子を見てみないと分りませんが、
既に、子供を持っている人、子供を育て終えた人、
この人たちの場合には、次の世代に対して、
すでに自分のAC人格を感染させてしまっていますし、
自分が、とんでもない間違った子育てをした、あるいはしている、
ということを直視したくないAC人格が、
原主体の出現によって消されまいと、
あらゆる自己正当化のいい訳や主張によって、
自我復元と、トラウマ掘りに抵抗することが懸念されます。
●しかし、どれほどAC人格がのさばろうと、
AC人格が、勝手に価値があると思っている自分にしがみついても、
本当に、もう逃げられないという、危機感を感じる自分自身に直面し、
本気で、ご自分の幼児期を思い出せば、
そんな精神状態になってしまった原因となった、いろいろな「感情」が、
必ず見つかります。
ただし、目を背けなければ、です。
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