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★分割自我復元★その335■ 『(子供と家庭を)不幸にする親』
by:
鈴木崩残
2014/03/21(Fri)08:14:08
お勧めの一冊(名著です)
■私がめったなことでは、皆さんに本を薦めない人間であることは
これまで掲示板を見てきた人たちには分かると思います。
私が他人に、めったに本を薦めない理由はあとで書きます。
以前に掲示板で皆さんに薦めたのは、
「往生したけりゃ医療とかかわるな」だったと思います。
■私が本を他人に薦めない最大の理由は、
少なくとも「私が対人的に専門としている分野」に関しては、
読むべき本だと私が思うものは、非常に限られるということです。
本を人にやたらに薦める人の多くがAC人格です。
名づければ、
「私はこんな本を知っていますよ。評価していますよ。
どうだ、あの本の価値が分かる、こんな私の事を凄いとお前は認めろ」
という醜いAC人格者が多すぎるからです。
無明庵の読者にもこの手のAC人格は、多くいました(今もいます)。
●次に、他人にどういう本や情報が必要かということは、
現実では、非常に判断が難しいものです。
たとえば、その人にとって余計な情報がそこに含まれる場合には
本質部分よりもその余計な部分に、
それを読む相手の関心がいってしまう可能性が高くなります。
結果として、その人の人生を間違った方向や、
無駄な遠回りをさせてしまいかねません。
だから、私は他人にめったには本を薦めません。
●次に、私自身が、ネットの情報も含めて、
めったに本を読まないという特徴があります。
私の本棚には、ここ十数年は新書がほとんどありません。
そこには明確な理由がありますが、これは後述します。
それは、おいておいて、
今回私が皆さんに薦める名著は、これです。
↓
「帯」
●半分まで読んだ段階で、薦めることにかなり慎重である私も、
これをこの桜の間で薦めようと決意しました。
その理由は、
これまでに、自我復元をしてきた人、
さらに、トラウマ掘り、AC人格を掘ってきた人、AC人格解除に
多大な時間と労力を向けてきた人たちにとっては、
皆さんがやってきたことが、どこも間違っていなかった、
ということを、この本は、100%保障してくれます。
たまには、この当地の無明庵からではない角度から、
皆さんが、自我復元でやってきたことが、全く正しかったということを
証明してもらうのも悪いことではありません。
それもどこかの権威が評価するのではなく、
「真実が真実それ自身を証明する」のですから。
●この「不幸にする親」は原題は、意訳すれば、
「もしあなたが親のコントロールを受けてきたなら」になります。
この本に書かれていることは、まさに桜の間や、自我復元ブログで
皆さんが書いてきたことを、ほぼ90%網羅しています。
●お姫ちゃん、マディアさん、天音さんのケースのような、
明確なトラウマを負わせた、最低の毒親については、
その原因と結果についての解説は、もとより、
Abyさんのような複雑な洗脳のケースについても、
明確にその親のやり口の構造を説明しています。
また、自覚しやすいAC人格と、自覚しにくいAC人格の、
中間の濃度のトラウマの汚染を受けていた、
朱いはがねさん、新子さん、どんがめさん、黒丸さんの親のケースも
すべて網羅されています。
とくに、おめめさんは、すばり、典型的なダメ母親に育てられたことが
よく判るでしょうから、読んで、よく考えたほうがいいです。
●現在、ブログはない、あるいはそれぞれの原因でブログが停止した、
根路理さんも、戦車さんも、星石宮さんも、シキさんも、湖月さんも、
渚さんも、
この本は、「自我復元をしてきた全ての人たち」が、
一読しておくことを薦めます。
●もしも一読された場合、
「復元ブログを書いている方」に限っては、
もしも感想があれば、ご自身のブログに書いてください。
*********
●一方で、先日も言いましたように、
本を読んだだけで、知ったかぶりになる馬鹿者、
本や、ネットの情報を、ただ読んだだけなのに、
ぺらぺら他人にまで分かったような偉ぶりを始めるAC人格者、
あるいは読んだだけで、何かが解決したかのような錯覚をする者、
こういう人たちには、豚に真珠ですから、この本は勧めません。
上述したような、救いようのない人たちがいることも、
私がめったに本を他人に薦めない理由のひとつです。
●ここで、私がどれほどに本や、ネットでも文章を読まないかの理由を
説明しておきます。
私の生の目的は、「物知り」になることではありません。
これは私だけではなく、
全ての人にとってもそうなのですが、AC人格者はここを勘違いします。
ただの知識など、いくら知っても、あなたは楽しくなどなりません。
また、「いつか必要になるかもしれないから、本を読んでおく」
というのは、いつか役に立つかもしれないからと、とっておくうちに、
ゴミ屋敷のような部屋になるのと同じです。
知識というのは、
「経験をする為」に必要となるもの、それのみが価値を持ちます。
映画やドラマなど、いくら見ても、人生は豊かになどなりません。
(その人の人生の過ごし方によって、それらの映画の見方は違いますが)
●現実に、使われない知識、さらには、単に使われるだけではなく、
自分の血肉になる経験にまで活用されない知識、
そんなものは、死んだら、脳みその死とともに、消え去るだけです。
つまり、経験とは、
五感もそれ以上の感覚も、その全部を総動員して経験されるものだけを、
経験と私は呼びます。
もっと言えば、全身全霊を注いで経験されたものから、
最後に残るエッセンス、それが次の生へと継続します。
●また、「感情」や思考や感覚の全部を動員して経験されたものだけを
私は経験と呼びます。
なおかつ、単なる主観的な経験ではなく、
「外界との関係性において経験されるもの」だけを、
私は経験の中でも、「とりわけ重要な経験」と呼びます。
●となれば、
部屋に閉じこもって、ネットを見ては、情報を「いじっている程度」
知った気になっているだけ、ネットでただ不満を吐き出して、
AC人格の、みっともない偉ぶりを満開にしているような、
そんな生活をしている者がいたとしたら、
会社やバイト先で、上司から、「コケにされて首にされる」
このほうが、ずっと「経験」であり、
また、親から「お前には、もう金は出さない」と言われること、
このほうが、ずっと、あなたの人生にとっては、
(死活問題であるから重要というだけではなく)、
形而上学的な意味でも、重要なことなのです。
●親からのお金で暮らしていたり、適当な対人関係でその場をしのいでいたり、
何か対立や困ったことがあっても、いつまでも、
言い訳や、言い逃れ、正当化が出来ている、そういう人にとっては、
本など百害あって一利なしです。
そういう者にとって、
本やネット情報は、すべてが、現実逃避になります。
この場合の「現実」とは、
その人の心身に、実際に起きていることです。
特に、それは、
トラウマ由来の、AC人格の挙動やそれが引き回している現象です。
●私個人のことに話を戻しますと、
今回の生で、私はほとんどの主要部分は、目的が、そのつど、常に明確でした。
目的が明確で、迷いはありませんので、
その「目的」に必要な、最低限の情報しか読んだりしません。
ただし、これは勉学の手抜きではありません。
「俺様は、本よりも直感に頼っているから、読まなくていいんだ」
という、よくスピ系の馬鹿者がいう言い訳とも全く違います。
●目的が常に、狭く絞り込まれており明確であるので、
必要な情報は非常に限られてきます。
また、結果としては沢山の知識が必要となるものでも、
私は、いきなりその全部を見ようとはしません。
自分が理解できた時に、そのつど必要なものだけに集中します。
ここで多くの人が理解していないことがあります。
それは、では、私の「目的」とは何か?ということです。
●目的は、その時の状況によって、いくつかありますので、
個別に見れば、すべてがひとつの目的で統一されているわけではありませんが、
ただし一環しているのは、私は「経験」主義であって、
それ以外を一切、自分に対して評価しないということと、
「その経験そのものは、何のためにあるか」です。
●多くの人は、何かを(単に読んで知るのではなく、実際に)経験しようとするときに、
上手くいかせようとか、成功することが目的です。
しかしそれは成功それ自体が目的ではないことが多すぎます。
純粋な成功を求めてではなく、
他者からの賞賛欲しさということもよくあります。
しかし、逆に、私の言葉を曲解したがって、
成功しなくてもいいんだと、最初から投げやりで
目的が不明確なままにすることに甘んじて、
ただの暇つぶしをしている者もいます。
●「経験」というものは、二種類あり、
ひとつは、
「どこまでを自分が達成したいか」をまず設定することは必要です。
それがなく、ただ経験したい、やってみたい、というのはダメです。
それやっていたら、その途中での自己評価、自己管理が出来ないからです。
●これを言うと、またまた、腐っても食えないAC人格の人にとっては、
「そんなことをしていたら、プレッシャーになるから、気楽にやりたい」、
と言いかねませんが、
それこそ、それはAC人格の言い逃れです。
●皆さんの、本来の原主体というのは、そもそも、
「絶対に、やりたい」「絶対に、やらない」ということは
常に明確ですから、
そこには、「なんとなく」は存在しません。
なんとなくが、そこに存在しないのですから、
意志したと同時に、
その意志の終着点、その意志が満足する地点も明確になっています。
また、ある事が出来ないと判明した場合には、
自分はこのやり方では、望んだ満足な結果は得られないと結論し、
そこで、何かを決断したり、きっぱり断念する、という潔さがあります。
いつまでも、ダラダラしている事はしません。
●一方で、AC人格には、そうした明確で鋭角的な動きがなく、すべてが鈍っています。
またAC人格やトラウマの解除がなっていない全自我の人においても、
この、鈍さは、同じです。
それは、原因としては、
「希釈自我」が長すぎたことの弊害をひきずっているわけですが、
それ(自らのACやトラウマ)に、それを精神世界じみたことで誤魔化さず、
もう一度、問題の根と向き合えるかどうかは、
その人に資質がなかったり、大きな覚悟がなければそれまでです。
●経験とは、経験しつくす事にこそ意味があります。
だからといって、それを、
自分が設定した目的は、別に、達成されなくてもそればそれでいい、
などと勘違いをしてはなりません。
経験それ自体を経験しつくすためには、
感情も感覚も全部を投入して、目標達成を目指し、
やりたかったことが満足できるまでは、徹底的にやり、
そこでどういう苦痛や対立が起きても
取りこぼすことなく、どんな部分も無視することなく、
喜怒哀楽の感情も、苦痛も快楽も、
残らず、経験しなければなりません。
それが出来る基礎が、ようやく整ったのが「後天性全自我」であり、
先天性全自我は、それを、生まれたその日から、ずっと行ってきたのです。
●一方で、AC人格は、
「経験をしつくすこと」を目的とは決してしていません。
経験をし尽くすことを、そもそも目的ともしていない生き物が、
真に楽しい人生など過ごせたはずがありません。
AC人格の挙動、そして目的とは、
他人や、特に親に言えなかった恨み言や、苦痛や、本心を、
いつまでも親に言わずに、親を恨み、他人を恨み、
それと同時に、親を馬鹿にして、他人をも見下して、
その間、ずっと死ぬまで、親や他人から、
生きていていいと、認めてほしい、
自分の考えは間違っていないと誰かに言ってほしい、と叫んでいる、
これがAC人格の言いたいことですから、
そうしたAC人格のままでは、
恋愛でも、結婚や同居生活や、あるいはほんの数分の散歩ですら、
あるいは、ネットという、自分を誤魔化して隠せる環境ですらも、
「経験それ自体を、まるごと食べて経験しつくすこと」など、
何一つも出来るわけがなく、
AC人格にとっての、経験とは、
いつまでたっても「自己存在の証明」を他者に求める事に成り下がり、
それが、さらに、
本など読みふけって、カルト思想のようなものに感化されて、
屈折を繰りかえすと、
「私は、他者になんか、自己存在の意味を求めていません」
という嘘までをつき続けています。
そうした人たちは、子供時代のある地点で、
その人の精神は、ずっとそこで「停止したまま」になります。
これがAC人格ですから、心底から、楽しいわけがありません。
*********
●では・・・、
そもそも、
何のために、自分で目標を明確にして、
経験それ自体を、経験しつくす事が必要であるのか、
その本当の理由については、
経験を経験しつくして死んだ人にしか、わかりません。
●また、本来は、
ある人が、血の滲むような経験を通じて、その果てに発した、
それまでの「経験を凝縮した」短い言葉、
そうしたものを本来は、「格言」と言うのですが、
そうした格言を、
実際に自分で経験も経ていないで、軽率にあなたに言ったあなたの「親」も、
死んでいいほど馬鹿ですが、
今、それを、他人に偉ぶって言っているようなあなたも、
死んでいいほど馬鹿です。
*********
●この宇宙にあって、知的生命に分類される生というものは、
物事を感じ、考え、自分の意志を決め、目的を決め、成功させようと必死になり、
失敗したら、その原因を考えて、そしてまたやってみる、
その中で、どんな経験をも取りこぼさない、
その全体を、すべて経験し、それを楽しみとする、
まったく何もかも、当たり前のことで、
特段の、精神性やら、宗教性やら、瞑想など、何ひとつも必要ではありません。
これが私が知っていた、
かつての地球(あるいはそれに類する自我枠を持つ惑星)での、
「当たり前」の生であり、
この地球に入植した、すべての移民たちが、まだ全自我であった頃の
正常な精神状態でした。
●しかるに、希釈自我の弊害による、
トラウマと、その後に家庭で生じたAC人格のせいで、
目標を立てる前から挫折したり、
目標を立てることには意味がないなどと、
カルト思考のような現実逃避をしたり、
あるいは、この目標は正しいのかどうかについて、
他人とは違って、俺様は、よく考えているんだ、
とか称して、魚が腐ったような目で、
ただ考えを、いじっているだけ、
自らの醜い精神状態を誤魔化して、麻痺して、平気な顔を装っているだけの者、
こんな人たちを私はリアルでも、メールでも沢山みてきましたが、
それは、
どこの大学にいくか決められない者、
何の仕事をするか決められない者、
「ボクは考えているんだ、悩んでいるんだ、だから時間が必要だ」と、
ぐずって、結局は、何もしないで、
親の金にたかって暮らしては、
することがないと、アイドルのエロ画像みたり、ネットを見て、
時間をつぶしているニートと同じですから、
そんな、人間(自分自身)を捨てて、
めったにない、「個という感覚」を、
積極的に経験するチャンスを諦めた人間に、
どこの世界に、次に生まれたいか、
そのために、今から何を準備すればいいか、
そのために、どんな契約事項に、注意すべきか、
そんな事を決められるわけがありません。
それを決められる人を、少数であっても育成する、
それが現在の私の目的の半分であり、
残り半分は、その過程での調査目的を含む、公務でもあります。
*********
私は、毒親(父親はいないも同然の親)に育てられもしませんでしたし、
自らも毒親もやっていませんので、
自分が、血の滲むような経験をしたのだから、お前も経験しろ、
などと言うつもりは毛頭ありません。
私の性質は、逆に出来るだけ無駄な経験はさせたくない、
というものです。
希釈自我だった人は、私のような人生経験は決してしない方がいいと
私は思っています。
とりわけ、私自身において、しんどかった部分については、
それが結果として利する方向へ展開できる人はいませんので、
そうしたものは、経験してほしくはありません。
●ただ、私のしてきた経験のうち、
それが最終的には、楽しさに結びつくもの、確かな成果に結びつくもの、
これに関しては、若干の押し売りをしています。
私と同じ苦痛などは、誰にも共有して欲しくはありません。
しかし、私と同じ「楽しさ」は、共有することは悪くありません。
●そこで、結果として、
私は、いくつかの書籍や、
マニュアル本(性のマニュアル)や、
無明庵の掲示板に、言葉を残すことになりましたが、
とりわけ、桜の間の、自我復元に関するものは、重要です。
●といいますのも、今回、紹介し推奨した「不幸にする親」には、
ひとつの、どうしても超えられない「限界線」があります。
それは、「解決法」として羅列されている項目は、
どれも私の行き着いた結論と、かなり共通しているのですが、
トラウマや、AC人格を掘り出すその「過程」で、
どうしても、「自我率の不足」というものが、それを阻むので、
自我の量的な修復が必要であるということです。
●これを除けば、現在、残っている問題は、
なぜ自我復元が、「自我率」だけを見れば到達直前であるのに、
あるいは全自我になってさえも、
AC人格がほとんど掘れない人がいたかです。
これについては、原主体の起動との関係がありますので、やや複雑です。
全自我になっても、原主体が全く起動していない例もあります。
●パソコンの基本的なハードディスクの容量やメモリーだけは正常になった。
しかし、AC人格時代のソフトも、削除されずに、そのまま野放。
削除されたと思い込んでいる自己演出のみ。
新しいソフトのインストールも出来ていない。
新しいソフトと誤認しているだけ。
つまりせっかく正常になったPCなのに、それを全く使えていない。
そんな人もいるのです。
この点が、私から見ていても、
自我復元の難しい点、いまだに、謎の残っている点です。
原主体は、インナーチャイルドと「対をなす半身」ですから、
インナーチャイルドが生まれる原因となった「トラウマ」を掘る事には、
特に非常に深く関係しています。
■マディアさんより未満の時期の段階で、
自我率を100と私が判定した時期の人は、
「自我復元の作業」は、もうやらなくていいですが、
トラウマ掘り、AC人格の分析とその解除は、これからも継続してください。
後天性の全自我の人の場合には、
「希釈自我に起因して、トラウマとAC人格が掘れないんだ」、
という言い訳だけは、もう絶対に出来ませんので。
その際に、今回の本「不幸にする親」は、
役立てられる人にとっては、かなり役に立つと思います。
●現在、自我率修復後の、事後処理を、本当に着実にやっているのは、
黒丸さんと、マディアさんだけです。
自我復元については、未解決な部分もありますが、
大まかには次のようになっています。
★自我・・・自我復元の作業によって、ほぼ元の体積まで修復が可能。
★意識・・・自分への危機感を想起するような、激しい圧迫を感じる機会がないと、
原主体は起動せず、せっかくの自我率を使えない。
この理由は、最初に、原主体とインナーチャイルドに
あなたが分裂してしまった発端が「生命の危機」だったために、
もう一度そこを追体験して修正する必要があるからです。
★器・・・・トラウマに由来するAC人格の仕組みが自覚されないと、
歪んだ容器のままなので、自我率は100%充填なのに
意識運動をした際に、いびつで、常にバランスが悪い。
この三つは、それぞれの人で、
三つの稼働率の比率が、かなり違っています。
*********
■2012年頃から、自我復元の中で、このトラウマ・AC問題を扱う際に、
私は、市販されているAC問題の書籍も、非売物のネット情報も、
一切、一行たりとも読んでいません。
余計な知識など、知りたくもありませんし、
現場の皆さんそのものと「直接に接すること」に勝るものはないと、
思ったからです。
既存する知識や心理学の枠の中に、皆さんを押し込めたり、
そうした色眼鏡では、見たくなかったからです。
●しかし、終わってみれば、
驚くべきことに、私が行き着いた結論の多くが(全部ではありませんが)、
この「不幸にする親」の著者の見出したものと酷似したものとなりました。
私は、冒頭に書きましたように、
経験主義なので、「自らが、経験をしていないトラウマとAC人格」
この部分については、
今回の本についてコメントをするのは困難ですが、
ただし、治療(自我の修理)をする側として、
皆さんに携わってきた視点と経験からは、
この著者の見解に同意する部分は、余りあるほどありました。
だから、今回、この本を紹介をしました。
患者の立場の経験は、私はしていません。
しかし、医師の(ような)立場、としての経験が、
まったくその認識が、この著者と重なった。
それが、この本を推奨した理由です。
●一方で、トラウマ、AC人格を掘ってこられて、
その過程で、大変な思いと、大変な努力をしてきた人たちは、
この本の内容で、ご自分と重なる部分については、
私よりも、何倍も、深いところまで理解できると思います。
_______________________________
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