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★分割自我復元★その338■ 『外から見た地球史−その3』
by:
鈴木崩残
2014/03/24(Mon)19:58:25
外から見た地球史−その3
【御伽噺 の続き です】
■この話は、あまりしつこくしたくないもので、
多くの人が、ご都合主義で勝手に理解、または誤解を好みやすい話題なので、
必要最小限にとどめておきます。
なお、書く気がしないので、簡単な「概要」のみのまま、しばらく放置します。
現存する宇宙に生息する種族を、
おおざっぱ過ぎるほど単純に
3種類に分類すると・・・・
■宇宙意識に向かって
全生命が進化すると主張する狂信派
宇宙にはあるべき正しい終わりがあると狂信的に信じきっており、
膨大な階層のヒエラルキー構造を持ち出しては、
進化は終わりなき学習と実験だ、と言い張り続け、
自他に対して、努力せよ、学べ、光に向かえと叱咤し、
全く自分の下に位置する生物の知覚状態を理解しようとせず、
到達不可能な進化という幻想にしがみつく、
いわば、宇宙的な次元のAC人格集団の種族。
彼らはある意味で「宇宙意識」という名の一神教である。
自分たちよりも下に位置すると彼らが勝手に位置づけている生物に対し、
到達不可能な精神的な目標を掲げては、
「終わることのない進化」という幻想に自他ともに陥っている。
私は彼らの妄想を積極的には否定はしないが、
相手も見ずに散弾銃を打ちまくるように、関係のない人にまで、
手を出す事があるかぎりに置いては、ある程度は駆除しておきたい。
彼らの一部、または多くは、ちっと楽しそうではなく、
そもそも、楽しんではいけない、または楽しみには価値がない、
と思い込んでいるふしすらある。
■自分たちで秩序を再構成しようとする
変化論派
この種族が、現在の私とは親近感がある。
この種族は、宇宙の創世記の管理者が、とっくの昔に消失している事に気づいており、
前述の種族のような還るべき一体性のある世界があるとは認識していない。
現在の宇宙に対する、長い観察の結果、
現状の宇宙が、まるで核分裂反応のような管理不能状態に陥っており、
あらゆるところで、大小の混沌をきたしている状態にあり、
よって、全体を統合する宇宙意識のようなものなどはなく、
誰も自分たちを助けてはくれないとの認識から、
自分たち自身が、自分達の苦痛や不安を自ら解決する方法を編み出し、
未知の領域の外部生物との調整も行おうとしている。
前述の狂信的種族が、ある意味では、
突然に、親に捨てられた(あるいは切り離された)恐怖から、
いつまでも、自分たちが帰還すべは親の光があるはずだ、
という幻想にしがみこうとしている病的な精神状態にあるのに比べて、
この二番目の、名づければ「変化論」主義者らは、
宇宙は進化するものではなく、変化させることで、しのげるという、
暫定的な自分の位置づけで、個人の楽しみを確保しつつ暮らしている。
この人たちは、その感情表現は地球人に分かりやすいようにするわけではないが、
そこそこ、自らの生命経験を楽しんでもいる。
私に言わせれば、「なんとか健全さを維持する事に」関心を持っており、
狂信派よりはバランスがいい。
■無関心派
これについては、おそらくは、この世界の99%の人たちが、
誤解をする可能性が高いために、今回は控えておきます。
狂信派に比べると、はるかに人畜無害ですが、
直接的には、今起きている諸問題の解決には、何の役にも立ちません。
*********
今、現在、この地球にいる皆さんのこれからに、
もしも、助力をしてくれたり、交流する意味があるとしたら、
「変化論」で宇宙を定義する事を選択した種族であると
私個人は判断していますが、
どうしても、誰かの命令なくしては生きられないとか、
自分では決めたくないとか、
自分や自我など、不確定で、もとからないと言い張る人は、
狂信派にでも身を捧げてください。
もっとも狂信派というのは、
私の視点と価値観(価値観というよりは美観)から見れば、という話にすぎず、
逆に彼らから見れば、
私のような意識は、堕落をした者、失敗した者、反逆した者とみなされます。
「自らの上に、いかなる神も想定するな」と私のような事を言えば、
特にキリスト教的な人たちが、私をどういうかは目に見えてます。
また、過去からもこれからも、宇宙には魂の進化という目的がある
などと信じて疑わず、疑うことにすら罪悪感を持つような、
チャネリングだなんだと言っている人たちは、
自我の成熟の必要性をいくら、説明しても、
自我はいずれ全体の光に戻り、バランスをとるのだから、
云々、なんたらかんたらと、斜にかまえた、鈍感な目つきで、
ちっとも楽しそうでもない態度で皆さんに言うであろう事は、目に見えています。
●しかし「前回の投稿」の最後に、少し「加筆」をしたように、
自我が、正常に発達すらしないまま、
いまだに機能不全のまま、それを上位の層の枠と接触させることは、
この上もなく不完全な結果しか生じません。
今のような「機能不全」の人類の自我では、
それよりも大きな枠が自我を回収した場合の成果も極めて貧相であり、
バランスはとれません。
■補足 「バランス」について ■
バランスというのは、言うまでもなく二つの側面を持ちます。
ひとつは物理現象のように、エネルギーが均衡をとろうとすることが
それ自体の中にプログラムされている場合。
この均衡を操作することが一般に科学または技術と呼ばれます。
もうひとつはバランス「感覚」と呼ばれるもので、
これも、もともとは生物が本来の機能を発揮できるように
ある程度は先天的にプログラムされたものです。
たとえば代表例は、平衡感覚です。
これが乱れれば、まともに歩けません。
●主観であれ客観であれ、バランスとは力の均衡のことであるのですが、
ことに自分にとってのバランスという主観的な領域は、
他者が感じるバランスとは違う場合が多々あります。
その人にとっては、いつも常に、体のどこかしらが違和感があり
そのバランスを取ることに一生を費やす人もいれば、
意識や思考のバランスに重点を置く人もいます。
バランスとは、そもそもそれがバランスが取れていると判断する、
「基準点」があります。
この基準点それ自体が、
どこまで普遍性を持つかどうかは疑問の余地はありますが、
少なくとも生物には、「標準仕様」を維持するだけの
基本設定、基本機能があります。
その基本機能を元にして、各自が独自のバランス基準を設けるのは
一向にかまいませんが、
もしも標準機能すらも逸脱した故障をしていたらば、
トラブル、誤算など、問題はより複雑になります。
異常をきたした機械を、
標準的な初期設定にまで回復するのは、当たり前のことであり、
その異常も個性だ、変化のひとつだ、価値ある資産だと、
あれこれの屁理屈を並べて言い張るのは、いかがなものであろうか?
利用価値のあるジャンクでも、
それはジャンクのままで利用価値があるわけではなく、
組み合わせて利用可能な機械になったときに、はじめて価値を持ちます。
そういう点で、今回記した2番目の種族は、
皆さんにとって、どうしても問題になる(つまりは苦痛になる)故障ぐらいは、
補修する知恵または手立てのアドバイスを持っていると思います。
標準装備されていた筈ののバランス感覚を取り戻すには、
バランスが崩れたもの、
たとえば水平方向へのバランスであれ、自分を中点とした上下のバランスであれ、
あれこれ、いちいち、上下と水平のバランスを取るよりも、
まず先に、バランスの基準を持っていた「原主体」を引き出すことが、
結果として、全方向へのバランス感覚を取り戻す鍵となります。
平衡感覚が狂っているままで、物事のバランスを取ろうとすることは、
よけいに、いつまでも、終わることなく「転げ続ける」結果にしかなりません。
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