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[394]
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★分割自我復元★その394■ 「 ブログの更新 」
by:
鈴木崩残
2014/10/04(Sat)04:45:44
復元ブログについて
台風の様子に関心がなくなりましたので、平常に戻します。
復元ブログで更新されているものは次の通りです。
お姫ちゃんさん
http://haripoteko.exblog.jp/i0/
Abyさん
http://mmjhb11.exblog.jp/
朱いはがねさん
http://jibunnikaerutameni.blog.fc2.com/
マディアさん
http://jigafukugen1987.blog.fc2.com/
ごく最近更新されたものとしては以上です。
●また特筆すべきことがあるのでこの4つに絞り込みました。
_________________________
お姫ちゃんのブログが金魚ブログになるのは全く構いません。
なぜならば、その中に復元の状態も現れているからです。
具体的な自己改変への行動を起こさない人が、AC人格者には多いですから。
●自我復元というものに関わり、そして、トラウマの分析はしたものの、
しかし、結局は、そのまま同じことを繰り返して、AC人格は解決されていない、
というパターンは、全自我になった人にも見られますので、
このあたりは、本当に切実な日常生活での失敗を経験しないと
ならないのだろうと思います。
実は、既にそういうケースでは失敗しているのですが、
その失態そのものに気づいていないか、
またもAC人格の麻痺が「再発」しているケースもあります。
いろいろと難しいものです。
ですから私の方では、アフターケアも常にしておりますが、
停滞する人、生気がなくなってゆく人ほど、
メールとかが少なくなり、消えて行きます。
日常性生活では、コミュニケーション障害ぎみなのですから、
せめて、その方の自我復元を最初から最後まで見続けてきている私に対しては、
日常のごくごく細かい出来事や、AC人格か分からないという疑問も
ぶつけてきて良いのにも関わらず、やはりAC人格的に、
脳内妄想に終始するケースが多いです。
むろん私も自我復元を開発する前とは違い、
1年、2年といった、絶対にそれまでは待てなかったような、
相当に長いスパンで、その人それぞれの変化を見るようになりました。
しかし、それでもやはり、自我復元に着手していたのに、
大間違いの結婚をしてしまったり、
家族に復元にケチをつけられて邪魔されて、それに甘んじたり、
とにかく、決意と覚悟なしには、やり遂げることは出来ません。
しかしやり遂げたときには、本当の満足感というものが、どういうものか、
本当の安心感というものがどういうものか、
何であれ、ほんとうのそれは、本来どうであったのか、
そういうことが当たり前に分かるのが全自我の地点です。
それを十分に経験していない状態は、
出荷時のデフォルト状態ではない、奇形精神状態の人間であることは、
間違いありませんので、どう見てもマトモではありません。
*********
●その点で、マディアさん、お姫ちゃん、そしてAbyさんは、
生活の中でのAC人格の挙動の自覚試行錯誤を続けてきていますし、
朱いはがねさんも、意図してではないのですが、そうした行動の変化があります。
●以下、重要なことであるのに、自我復元をしている人自身も
気づくことのない盲点に、よく気づいていると感じたところを
お3人のブログから引用しておきます。
*********
すごく、当たり前のことなのだ。
それを、父は出来ないのだった。
もちろん、私も出来ないのだった。
そして、この人からは交渉に関して、
いろいろと参考になるものを得ることが出来てきたのだけれども、
トラウマに気が付かなければ
ずっと、「これは父の言ったとおり酷いやり方なんだ」と
何も得られないまま、文句だけで終わっていたと思う。
これは、全然現実を見る事が出来ていないということだ。
そうだ、
父から教え込まれたこの人への先入観や
父のように人を馬鹿にして、
自分の立場を維持しようとするトラウマが解けて、
この人から参考になる部分を発見する事ができたのだ。
それは、トラウマ堀りを始めてから初めて現実に変化が起きたと
感じれた出来事だった。
父は従業員を雇っていたころは指図できずに
「あいつらは勝手なやつらだ。雇う価値がない」
と愚痴を毎晩言っていたけど、
それは、要するに向こうに主導権を取られていると言う事だ。
それは、母も認めている件で「人は言わなきゃわかるわけがない」
と父に言っていた事もある。
そうだよ、人に「誰かの言いなりになって意見のないやつだ」といって、
そういう人間を否定してきたけれども、自分もそうだったんじゃないか!
別に、父が特別に立派な人間でもなんでもなかったんだよ。
それは、父が1人で言っていた嘘だったのだ。
そして、父の洗脳に浸り、この人の友人もひっくるめて全員馬鹿にして、
誰とも対等に付き合えなくなっていたのだ。
これは、治さなければいけない。
このままでは、親の価値観に振り回されて人を怖がり
人を馬鹿にして、自分を安心させ無気力に陥れることを繰り返すだけだ。
それが、心地よいならそれで良いのかもしれないが、
最終的にそれは、思いっきり情けなくて、やりきれない思いや
後悔して自分を見たくないという焦りなどが残るだけだ。
そして、自分の人生を生きていく技術や経験を得る
邪魔をすることにしかならない。
まだまだ、掘らなければと思った。
でも、成果は出てきた。
自分を治す事が本当に出来るのだ。
*********
*********
AC人格の挙動を観察しながら、ある一つの特徴に気づいた。
わたしのAC人格は、
「なんだかんだ言っては」行動を阻止しようとしてくる。
理屈ではなく、結果的に、いつもそうなのだ。
なにかしようとすると、
歯止めをかける「ために」「考え始める」ということを
見事に仕掛けてきていた。
行動しないために、考える。
ということを、AC人格は実際に工作しているのに、
頭では「考えてから、行動するもの」と思いこんでいる。
だから考えるのだけれど、結果は、いつも「考えておしまい」なのだ。
この変化の無さを、わたし自身、どこかでわかっている。
そこで、逆に、
行動と思考の順序を変えてみたところで、
それは、順序を変えてみただけでしかなく、
やってみて思ったのは、どういう順序であれ、
行動に対して、AC人格の思考が圧倒的に支配的だったこと。
「やるべきことを、早く、決めたい。決めてしまいたい。」
馴染みのある衝動だ。その衝動を助長すべく、
「早く決める意味」も捏造を始める。
今やらねば、今この時にやらねば、この瞬間を逃したらおしまいだ、と。
あとになって冷静に思いなおしてみれば、どれもこじつけでしかなく、
つじつまがあっているだけで、要は、やるべきことを早く決めたいのだ。
こうなってくると、
決めてもらいたいAC人格の出番すら許してしまい、
もはや、AC人格のオンパレード。
ここまでなってしまうと、
今までAC人格が作り上げてきた論理的思考がスムーズに働き出すから
不快感や違和感があっても、見過ごしやすくなる。
不快感の声がすごく小さいと錯覚してしまう。
これがただの衝動的な行動であることがわかるのは、
いつも「やっておしまい」だから。
やれば、それで気が済んでしまう。
考えておしまいもそうだけれど、行動にしたってそれは同じで、
やるべきことを考えた、やるべきことをやった、
それで満足してしまう。済んでしまう。
典型的なのは、たとえば本を購入するとすると、買って読まない、
ということは昔はよくあった。
読書感想文とほぼ同じ心理状態で、買ったらもう読む必要はなく、
買った時点で事は終了していたから、本棚の本のほとんどは、
ただ並べているだけだった。
今思えば、どんな事象も「説明がつく」ということだけを目的としていて、
これこそ、説明がついた、わかった、でおしまい、解決、というものだったが、
その当時は、これこそ、わたしがやるべき究極の課題だと思っていた。
数理的、論理的な分野に学問としても興味を持ったのは、そのためだった。
学生の間は、ほとんど、それに関心が向いていた。
物理や論理に関する本を見ていると、自ずと、哲学や思想の話が登場してきて、
そのなかで、精神世界という分野もはじめて知った。無明庵を知ったのもその頃だった。
わたしは絶対的な法則作りのために、
都合のよいところだけを切り貼りしていた。
やるべきことというのは、
わたしの中に基準がないから、外部にそれを探そうとする。
逆にいえば、自分ではない「他の誰かや何か」の都合を「考えて」行動している。
無自覚に、結果そうしていることも多い。
こうやって、「済ませた時点で」「解決」としてしまうAC人格がいる。
そして、このAC人格はこれで目的達成だから、
済ませてしまったこの先はいつも無い。
「〇〇したら、△△していい?」というその「△△したい」
という望みや意思を、
「言わさない」ようにしただけじゃないだろうか。
これは、思った以上に、「子どもの意思を殺させる」のに
効果的な方法だったのではないだろうか。
こうされてしまったら、実質上、
「親が何か言ったら、無条件に従え」と言われているのと、
なんら変わらないのではないか?
母は父に完全に洗脳されていたことがわかるようになった。
母本人はまったく自覚がないと思うけれど、
あれでは一心同体で、父が洗脳部隊だとすれば、
母が実行部隊になっているだけで、
「親に対してだけは許さない」というその大前提がそっくりなのだ。
いくら、
「わたしは考えました。考えてこういうことがわかりました。
やってみました」といったところで、
何をどう考え、何をやろうが、何の問題解決にもなっていない。
考えたり、分析したりすることは、
これこそ顔色AC人格のもくろみ通りだが、
わたしは「得意だ」と思っていた。
だから、そこから逃げようとしているなど想像したこともなかった。
まったく、AC人格の思うつぼ。
自分がコントロールできていないのに、得意もへったくれもない。
これがわからない、そんな状態で
死ぬわけにはいかない。
自分の意思のために考え、
自分の意思のために行動する。
自分でこうなったと思えない限り、
自分が変わったなどとは、絶対に言えない。
*********
最後に、マディアさんのからの引用です
*********
あの家のルールが、あの幼稚さが、
私にとっての生きづらさ、何かがおかしいという、
全ての元凶なんだよ。
私はあの家で自然に身につけた歪んだ観念を、
自分で廃止し、新しく自分で選んだ観念に着替えることができた。
自分でやると決めたら、不可逆的に思える
幼少期からの刷り込みによって生まれた人格を破棄することができる。
そして、自分が本当に望む方向へと、シフトすることが出来る。
時間も労力も、凄くかかったけど、
本当にできるんだって、自分を変えることができるんだって、
自分で証明できた。
出来ると信じていたけど、本当にできるんだなって。
トラウマ堀りは終わったけど、
幼少期から身につけてきた観念についての解除は終わらない。
ひとつひとつ手に取って、
本当に、これは自分の選び取ったものか?
という問いを繰り返す。
違う、ということになれば、
これだ!というものに塗り直す、
そうやって、マトモな人間は生きているのかもしれない。
復元前は、
違う!と思っても、どんどん流されてしまって、
自分の力では治せなかった。
コントロール不能だった。
けど今は、少なくとも、
自分が望めば、コントロールできる。
マシになりたいと思えば、
少しずつだけど、変えていけるんだよね。
復元ブログ・追記
■今までに、いったん自我復元ブログをお願いし、
その後に、削除依頼をしたブログも幾つもあります。
その、主たる理由は、非常に単純なものでした。
自我復元をするに従い、自我復元、トラウマ分析をしているつもりで、
実際には、その人のAC人格が、余計に、ひどくなってゆくタイプの人。
これは、けっこう何人も目立ちましたので、消してゆきました。
今現在、残っている自我復元ブログは、
「かろうじてでも、その自分のAC人格と、必死に張り合おうとしている」
というものに限っていますが、
もしも、それが、火が消えて、やがて見えなくなったときには、
また削除依頼をすると思います。
しかし、それは当たり前です。
自我復元が、目的としている原主体が生き延びるか、
それとも、AC人格がのさばり続けるかの瀬戸際であるのですから、
やりっぱなしは、ダメです。
当初の決意が続かないだろうと見たブログには、
何ヶ月か様子見をして、削除願いを出すこともあります。
*********
★
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