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[399]
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★分割自我復元★その399■ 「自我復元ブログからの引用」
by:
鈴木崩残
2014/10/26(Sun)07:42:25
>10/26 23:45、本文に追加しました。
>文末に、YNさんと、Kさんからの報告メールからの引用を追加しました。
>また「朱いはがねさん」のブログも更新されています。
自我復元ブログの動向−2
■今回も、お二人のブログからの引用となります。
私見での引用ですので、強調点があります。
ただし、必ず、ご本人の状況を理解するために、原文をお読みください。
______________________________
■Abyさん
見事に、わたしは、この対応の仕方、話し方しかできない人間を
ずっとやってきたことに、今さら、気づいた。
どういうことかというと、
わたしは好んで、こういう対応をしていると思っていたのだ。
好きでやっていて、上手くもいっている。
誰からも求められていて、評価されている。これでいいんだ、
どうも話の輪に入れないときがあるけれど、
みんなのような話をわざわざする必要なんて僕には必要がない。
みんなの話なんてくだらない。
そう思ってきた。
いかにも、自分のほうに会話の選択の余地があるかのように思ってきた。
ぜんぜんそれが違っていた。
やろうにもやれない、できないのだ。
・・・・・・・・
あなたがこういう世界、こういうわたしに出会えたことは、
ほんの短い間だったとしても
あなたにとって幸せな体験だったろうし、わたしも楽しかったよ・・・
書いてみるとよくわかる。
気持ち悪い、というレベルでなく、もはやヘンタイだ。
自分のいるべき所じゃない、と逃げていつも行く先は、そういう世界だった。
一切の苦痛がなく、そこは理想的に「思える」世界。
わたしの育った家庭しかり、Pさんとの仕事と生活しかり、内職しかり、
わたしが選んで従事したアルバイトしかり、どこも理想的に感じていて、
わたしは本気で、自分は恵まれている(と誤認して)思っていた。
・・・・・・・・
なぜ、コイツがAC人格なのか、
それに気づいたのが、自我復元と出会ってから今日に至るまで、
わたしが人生ではじめて自覚した「恐怖」ゆえだった。
あらためて、このことを思った。
「恐怖」が、この対人関係のパターンを作り出しているのだ、と。
恐怖のなかにあっては、
これ以外の、いわゆる「普通」の会話や接し方がまったくできない
・・・・・・・・
そうでない振る舞いをいくら必死に取り繕っても、
取り繕っていることを自分に誤魔化し抜くことはできない。
嘘は、いつまでも嘘だからだ。
こういう二つのパターンになってしまうのは、
「怖いからそうなってしまうんだ」、と思っていた。
怖くなければ、もっと普通にいられるのに、と思った。
それがとんだ思い違いだったのだ。
恐怖がそのパターンを作り出したからといって、
恐怖がなければこのパターンでない自分であれるにきまっている、
ということなど、そんなのは、現実に、どこにも、無かったのだ。
・・・・・・・・
こんなことにも気づいていなかったのか、と唖然とした。
恐怖が、このパターンをつくっていたことにも気づいていなかった上に、
恐怖を感じない日常の場面であっても、このパターン以外の言動をわたしはとれない、
ということにも気づいていなかったのだ。
・・・・・・・・
何もしたくないのに、作り真剣顔、作り本気顔、作り正直顔をしている自分。
嘘ばっかりじゃないか。
不毛と知って頑張ることほど不毛なものはない。
「しかたがない」とは、不毛だ、と言っているのと変わらない。
「何もしたくない」
ここに追いつめたのは、何も思い出せないけれども
絶対に毒親たちに違いない。
・・・・・・・・
わたしの育った家庭が「理想の家庭だった」と疑うことがなかったという事実、
それ自体が、すなわち、あなたたちが、わたしを召使いとして、奴隷として、
利用してきたことの揺るぎない証拠なのだ。
じゃあ、誰がそういうわたしへと調教したのか?
親以外誰がいるんだよ。親以外、誰が得するのか、という話だ
・・・・・・・・
「何もしたくない」
これは病気だ。
だけれど、ここからしか軌道修正はできない。
自分を裏切らないためには、
自分を裏切ったところから、
次こそは、
自分を裏切らない方向に舵をきりなおさなければならない。
・・・・・・・・
父はわたしが生きようとし、もがくのを見たいのだ。
ざまあみろと言いたいのだ。
兄に言えなかった分を、当然の権利であるかのように
子どもだったわたしに言い、快楽ですらあっただろう。
・・・・・・・・
先日、幼い頃のVTRを見かえしてみたときに、
父と母を見て、
「こんなに不機嫌な人たちだったろうか」と認識を新たにした。
それでどういうときに彼らが不機嫌になったかを思い出してみると、
父が父親であれない時、母が母親であれない時、不機嫌だったことに気づいた。
それでわたしは気遣ったのだ。
父が父親の顔であれるように、母が母親の顔であれるように、と。
これがわたしが記憶に残してきた「理想の父」と「理想の母」、
理想の顔だったのだ。
泣く、という行為に対して、母は言わないが、
相当な嫌悪を持って子どもに接しただろうことは、
今までのことからも想像はつく。
・・・・・・・・
「子どもは好きじゃなかった。でも、生まれちゃったからどうしようって
感じだったわよ」
と子どもに平然と話す親だ。
平然どころか、
「大変だったのよ、育ててあげたのよ嫌だったけど」
という恩着せがましい感じを出しまくっている。
泣いても無駄だ、と母親に言われ、自分の母親を恨んでいるような母が、
子どもが泣くのを、特にわたしは夜泣きも酷かったらしいから、
それを母が冷静に対処できるとは思えない。
殺意を持ってもおかしくないだろう。
・・・・・・・・
父こそ、泣くことを、許さなかったのではないか?
逆にいえば、父は、幼少期、泣くことを許されなかったのだと思う。
父がよく言っていたのは、「泣いていいのは親が死ぬときだけ」。
もしかして、と思ったのは、
あながちこれは美しいことを言っていたのでなく、本当のことで、
つまり、父は親の前で泣けなかった、ということだったのではないだろうか?
・・・・・・・・
父の格言というのは、ただかっこいいから、
かっこうをつけたいからと名言ぶっていることは無かった、ということだ。
そこを否定されると、(父が)自分の存在意義に関わること(から自分を防衛するための言葉)
を集めたのが、父の格言集だったわけだから。
・・・・・・・・
泣くのを我慢する子の顔。
父の顔、母の顔、実はいつも不機嫌そうなあの顔とは、
泣きたいのに我慢している顔のようだ。
涙が溜まりに溜まってよどんで顔面の内で腐り、
ぐちゅぐちゅになってむくれ、
目や鼻や口という隙間という隙間から膿として出てきてしまっている、
そんな顔、しみったれた顔、恨みでいっぱいの顔。
これが、いつもの、本当の、あの人たちの顔だったのだ。
VTRのわたしは10歳頃だろうけど、
もう、それと同じ顔になっている。
この家族の人たちは、自然に笑っている、ということがまったくない。
「今から笑いますよ」と心しないと笑顔を作れていない。
それもそうだ。
笑いたくはないんだから。
みんな、本当はそう思っていたはずだ。
たぶん、泣くことが自然にできない家族は、
笑うことも自然にできないのだろう。
泣きたいのに泣けない、
その状態で、人は笑うことはできるものだろうか?
それをやろうとすると、目を安定させようと無理に見開き、
無理に口角をあげようとするものだから、
へんに前歯を見せるように上唇をあげるような形になるし、
その作り笑顔の特徴は、もって数秒なのだ。
それをこえて笑顔を維持することは、
泣きたいのに泣けない状態では、
おそらく、困難なのだろうと思う。
数秒もしないうちに、ゆらゆら不安定になり、
その顔をやめざるをえなくなる。
こういう笑い方が、家族全員の特徴になっている。
泣くことを禁じた家族、
そんな感じだ。
・・・・・・・・
●
実に、「深い」。
その一言に尽きます。
●
原文のこちらを必ず参照ください。
↓
http://mmjhb11.exblog.jp/
******************
■朱いはがねさん
私は、人が困っている時に手を差し伸べて
助ける機会を狙っている。
そしてそれは、善意からそうしたいと思っているのではない。
人に頼られて自分の存在意義を感じ安心したいと思っているのだ。
こんな、思いっきりな偽善AC人格を持っている私だ。
・・・・・・・
特に、人が困っていて自分しか助ける相手がいないと思える状況や、
相手が自分にこそ助けてもらいたいと思っている時に、うれしくてしょうがなくなる。
そして、さらにその時に
「まったく、しょうがないな」とやりたくないのに
自分しかいないから、めんどくさいけど
「やってやるよ」と、相手にわかるような態度になったり、
相手に知られないようにする自分に酔いながら、人を助けるのが大好きだ。
そして、場違いで余計なお節介を、
人の気持ちも考えずに、私の言う通りに従えば良いんだと思い、
相手が「止めてくれ」「もう、わかったからいいよ」という
そぶりを「私が」感じているのに、止めることが出来ずに
暴走して、相手にとって思いっきり「うざいやつ」となっている。
こう書いてみると、母親が私にしてきたのとそっくりな行動だ。
これは、「自分が他人と違う」という事実を認めれなくて
自己否定しているということだ。
そして、相手を自分に依存させて自己否定による
苦しみから逃れようとしている。
しかし、自己否定は自分が自分にしていることなので
その苦しみは治まる事はない。
それでも、原因に気がつく事無く、人が自分に依存するように
お節介を繰り返している。
「人の行動を冷静に見ていることが出来ずに、否定せずにはいられない」
という事が、発端となり
押し付けや、自慢を相手に展開して
「私の意見を受け入れろ」
「私の思ったとおりに行動しろ」
「私の思ったとおりに自分で考えて生きろ」
と言う事を強制しようとしている。
まるで、母親そっくりだ。
そして、父親にもそっくりだ。
気持ち悪い。本当に気持ち悪い。
しかし、私は相手にそうやって強制しないと
自分が冷静でいられなくなるのだ。
これは、病気だ。
しかし、我が家の場合は父もこの傾向がある。
なので、こうなる自分を作っていく段階で父を真似した思い出も沢山ある。
・・・・・・・・
そして、自分の意見を押し付けて、
相手に、自分が侵略されないようにして、
自分の意見を相手が納得して、自分に迎合することを望んでいる。
そして、「侵略地探し」をいつもしているという事だ。
・・・・・・・・
この病気を治さなければ、
この偽善者を捨てなければ
私は私を生きることができない。
こんな悔しい思いをどうでもいいと思ってしまっても
私は私に許さない。
そして、防御してしようとするのは苦しいからだ。
気持ち悪いからだ、狂いそうになる感じがするからだ。
なのに、そこを抜け出そうとして、掴み取るのが
必ず、親にそっくりな、
人を馬鹿にして自分を安心させる、という方法だ。
つまり、親に植えつけられたトラウマによる恐怖を
親のトラウマによって解消しようとして
解消できないばかりか、自己嫌悪に陥り、
AC人格が自己嫌悪の原因を分析して
人のせいにして、を繰り返している。
・・・・・・・
親とずっと一緒にいて、
その1人の人物に嫌々でも同調していれば、なんとかなった空間から
不特定多数の人間が思い思いに話し、行動する社会は
私にとっては、海で溺れかけているような状態だった。
・・・・・・・
先に書いたとおり、私は自分の存在を認めさせる場面がないかと
人の不幸を探しているのだ。
そう、「人の不幸が大好き」なのだ。
「おえっーー、気持ち悪い。」
そう思った時に、母が飼っていた小型の室内犬を思い出した。
母は、私が高校生になったばかりの頃、突然それまで
「小さい頃、犬に噛まれたから、あたしは犬が怖いし嫌い」
と、嫌っていたのに突然、貰ってきて飼いだした。
そのときは、私は唖然としてしまった。
幼少期に私は何度も犬を飼ってほしいと母に
お願いをしていたのに断られ続けて、
がっかりさせられてきた私は
「なんでいきなり犬なのだ?」と訳がわからなかった。
相変わらず、言っている事とやっている事が
全く噛み合わない間逆の事をやって子供を混乱させる私の母だった。
しかし、後々それも、ほんの数年前になって
やっと気がついたのだけど、
私達兄妹が親よりも友達や外との繋がりを優先させるようになったため、
母は世話できる対象を探していたのだ。
その犠牲者となったのが犬だったのだ。
・・・・・・・
犬が吠えたり、風呂に入れたりするときも、
同じように、めんどくさそうに
「しょうがないな、あたししか世話できないもんな」
といった態度で世話を一生懸命にやって充実している様子だった。
気持ち悪いけど、父はこういった状況になると、いつも、ご満悦だ。
「これで、妻は落ち着くぞ」
「おかげで、俺も安心できる」
「なんて、幸せなんだ、今日も酒がうまいな」
と言った様子になる。
こんな、パターンの夫婦なのだ。
そういえば、父は私に
「早く結婚して、子供を作ってお母さんに孫の世話をさせてやれよ」
「喜ぶぞ!」と言ってきた事があって
私は「気持ちわるーーー」と思った事があった。
今思うと、本当にむかつく。
私は、父におもいっきり馬鹿にされていたのだ。
私も孫もお前らのペットじゃないんだよ!
もう、この夫婦に生物を飼ってもらいたくはない。
・・・・・・・
そして犬と、同じ事を私はされてきたんだとわかった。
幼少期の事を思い出すと、母は私にも、家族に対しても
めんどくさそうな事を言って
「仕方なく世話をしてやっている」
という雰囲気を猛烈に放っていた。
でも、世話や家事を辞めたり他の人に、手伝わせたりはしなかった。
それを、離したくはない様子だった。
そして、
「家族の世話を大変な思いでやってきたんだ。
それは私だから出来たんだ」
という自慢話の押し付けを何回も聞かされてきた。
その時も、私達に
「本当に、しょうがないやつらだ」という雰囲気を放っていた。
今でも誰かが家事をしようとすると
「あんたに、できるわけないよ」と馬鹿にしながら
自信たっぷりな態度で威圧しようとしてくる。
そして、「どうせ、私にしかできないんだ」と、あきれたような態度で、
人が家事をする事を阻止しようとしてくる。
・・・・・・・
確かに、母は我慢してやってきたのだけれども、
犬の件でわかったのは、
母は嫌々我慢して世話をすることをやりたいのだ。
そして、いつまでも相手が自分に依存して離れられないように
しておきたいのだ。
母は今でも世話を断ろうとすると
「悪いとか思わずに、ありがたいと思っておけばいい」
と言いながら、
ほとんどお節介とか邪魔にしかならない世話を子供たちにやってくる。
・・・・・・・
そして、世話をされてしまうと、自分で自分のことをするのが
面倒になったり、母に悪いなと思ったりしながら母に依存していく。
この繰り返しが自分で何かをやり遂げる力を削ぎ落とし
無気力感にさいなまれる原因になっている。
そして、母は困っている子供が大好きなのだ。
子供が困っていて、
自分しかそれを助けることが出来ないという状況は、
思う存分に嫌々世話をして、
「しょうがないな」と言いながら、自分の存在意義を感じて安心できるという、
母にとっては喜びになっているからだ。
だから、母はいつも子供の不幸を探しているのだ。
不幸がなければ、無理やりにでも世話をして
何とか自分がいないと何も出来ない状況を作れないものかと、
あれこれ世話を繰り出してきて中毒させようとしてくる。
そうなのだ。
私の母は不幸が大好きで
人の不幸を探して、世話ができる「隙」を狙っているのだ。
そして、私も「人の不幸」を好んでいる。
(おえっ)
・・・・・・・
これって、奴隷だ。
人間の都合で人間の不満や暇から来る、
本人には原因不明な無気力感を、紛らわす為に、
飼殺されているペットと同じだ。
こんな、母親から安心感を子供が得て
自分を信頼する事を築き上げる時間を過ごしたり
自分を否定せずに、思うがままに表現することは
非常に困難なことは確かだ。
・・・・・・・
でも、母はこうやって子供が親に縛られて
病んでしまうことに気がついていない。
親だから当然だとばかりに、自分勝手な世話を押し付けてくるのだ。
本当に、迷惑な人とは、こういうことを言うのだと思った。
・・・・・・・
家庭そのものも全然「不満をかくさない」という状況じゃなかった。
むしろ、それはタブーな世界だった。
そして、不満だらけの気まずい空気を紛らわすために
世間の悪口で仲良くなるような、そんな家庭だった。
そして、選民思想家族だったことは、もう判明している。
その中で、子供の私が家族に対する不満を
口にすることは難しかったと思う。
・・・・・・・
そして、不満を隠した私はウジウジとして自閉的になっていった。
「不満を隠した」と書いたが、もっと正確に言えば
隠したときもあるし、どう言えばよいかわからずに不満が溜まり
「わかってもらえない」という状態で自閉していった。
「わかってもらえない」と思っていた記憶にあるのは、
母が、
「わがままをいうな」「人に迷惑をかけるな」
「お母さんの言う事を聞きなさい」
「お母さんの邪魔しないで」
と私にきつく言って躾けながら、
妹が何をやっても何とも思わない母をみて
私は、
「自分が我慢しているのに妹だけが
どうして許されるのか?」
「でも、わがままを言ったら駄目と母に言われた、
だから、そのことを母に聞けない。」
となり、不満から妹をいじめた。
そして、母に私が叱られる。
でも、私の気持ちは
「お母さんの言う通りにしていたのは僕だよ」
「どうして、わかってくれないの」
「邪魔しないでと言ったのは嘘だったの?」
と言いたいのに、母を責めることができなかった。
・・・・・・・
やっぱり、
生きていく糧を握られていたからかもしれない。
その結果、母の躾を守ったために、妹を憎み、
母に叱られるという幼少期の私にとっては、
とても、複雑な構図になっていて
人に説明はできなかったし、諦めていた。
こうして、自閉症が始まったのだとわかった。
・・・・・・・
そんなことが、解ってきてから、
アルバムを見たり、そこから思い出される、記憶探りをやっていると
妹が生まれる直前から、自分が人見知りが激しくなっていた事がわかって来た。
妹が生まれる直前と言っても、年子なので
私は1歳と半年ぐらいで、幼い子供だった。
・・・・・・・
そして、大事なのはその辺りから私は母に
思うように思いを伝えれずに、鬱憤がたまり、
うつむくように写真に写っていたり、
人見知りが激しくなっていて、
大人の今もしこのときと、同じぐらいに人見知りが激しかったら、
自分が絶対に病気だと思うぐらいになっていた。
怖いという気持ちはもちろんのこと
体が緊張して動けない感じになるのだ。
そして、「母に気持ちをわかってもらえない」という喪失感から、
自閉していき
自分に自信が持てなくて、
自分が自分でいることが嫌いになり、
自分を否定し、
自分が嫌いな自分を
人がどう思っているのかが気になってしょうがなくて、
考えても、わからなくて怖くなる。
これ、マジで病気の始まりだったのだよ。
・・・・・・・
その他にも、母だけでなく父からも叱り付けられて
泣かされた時に、私はいつも「わかってくれない」とか
「本当は、親が悪いんだ」という気持ちを持っていたが
どう説明して良いのかわからなかったり、
怖くて言えないがために我慢して親に「ごめんなさい」と
謝った悔しい思い出が沢山ある。
・・・・・・・
また、自閉することは癖になる。
それは、嫌なことがあっても自閉した場所へ行けば
何とかなるという思いから、我慢したまま解決せずに
逃げれると言う、甘い誘惑を憶えてしまうからだ。
それは、自立を阻む。
すべてが妄想で始まり妄想に終わるのだから
自己信頼を得ることが出来るわけないからだ。
それでも、抜けれない。
自閉する時間が長ければ長いほど、
我慢は溜まり、解消するべき問題は山積みになっていく。
そうすると、もっと自閉から抜けれなくなる。
こいつは完璧なAC人格の巣穴だ。
それを、幼少期に他ならぬ母親が原因で始めたのだった。
やっとわかってきた。
・・・・・・・
その時間を思い出すと、自慰行為に似ている。
一人で妄想して、苦しい場面を乗り切る物語を作り、実際に
虚しくて、悔しい思いをしながら妄想上の敵をやっつけて
それまでの苦しみから逃れる日が来る。
そんな物語を自分で作り自分を慰める。
しかし、何回繰り返してもその悲しみは抜けなくて
逆に、悲しみに酔う演歌の世界に浸るようになっていた。
本来は、母を求めて得られるはずの自己信頼を
その妄想で得ようとしていたのだ。
でも、それは得られることはなくて
妄想を繰り返した後は頭がぼーっとなり、
物語の結果に思考だけで自分を満足させようとしていた。
・・・・・・・
母は外に出ると私のことを自慢して現実の私とはかけ離れた事を言い、
ご満悦になる姿が私は恥ずかしくて嫌で嫌でしょうがなかった。
こういう、我慢や不安、不満を言わない家庭と言うのは、
本当にもう撲滅してやりたい。
もう二度とこんなことがない様に私は願うし
何よりも、自分がここから抜けなければ、私は不満を溜め続け、
人の不幸を探して、人を不幸にしようと、
間抜けな知ったかぶりの面下げて彷徨い、
不満の貯金箱みたいになったまま、死んでしまうんだ。
くやしくないのか、こんな生き方になってしまって
くやしくないのかよ。
私は、猛烈にくやしいし、
絶対に抜け出すことを諦めない。
このまま、死ぬのは絶対に嫌だ。
・・・・・・・
このAC人格は、何かを築き上げることを必ず、阻止しようとしてくる。
そして、自閉してネット病、自慰行為、趣味と思っていること、
等に逃げ込んで、自己信頼を築けないようにしてくる。
私の場合は自己信頼を得る方法さえ知ることができなかった。
ちなみに、逃げ込んだ先でも同じことを繰り返し、
ますます、自己嫌悪に陥り、自己信頼を築くことが
はるか彼方先にあるように思い込ませてくる。
「ちょっとぐらい」「まあ、いいか」という甘い言葉で引きずり込もうとしてくる。
逆に言えば、その言葉が出た時が振り切るチャンスだ。
また、振り切ろうとすると、
ものすごい苦痛が一生続くような妄想を仕掛けてくるのがコイツの特徴。
また、当然の事として自分の人生を送ることは出来ない。
(私は、そうだった。)
何事も中途半端に終わり、その不毛さは半端がない。
しかも、私の場合はその不毛感を感じたくないが為に
誰かや何かのせいにして周囲に不幸になりやがれと、言ってきたようなものだった。
まだまだ、母親掘りはつづく。
■
実に「鋭い」。
この一言に尽きます。
■
原文のこちらを必ず参照ください。
【10/26 新規投稿が追加されています】
↓
http://jibunnikaerutameni.blog.fc2.com/blog-entry-43.html
*********
Kさんより
*********
人はどうしてエゴの塊なんだろうと思っていた。
そして、人に絶望した。
人がエゴの塊なのは、自分の利益しか人々が考えないからだ。
でも、違った。
むしろ、人は自分の利益を求めてないから、エゴの塊なんだ。
***
本当に自分の利益。
自分が求めていることをわかっている人は、純粋にそれを求める。
純粋にそれを求めるエゴだ。
純粋なエゴに不安は関係ない。
純粋にそれを求めるからだ。
そんな人が、不安を隠すために他人を利用することはない。
利用されたと勘違いする人はいるかもしれないが、
その行動に一切の他人の利用はない。
純粋に自分の利益を求める人は、
その基準において一切の思考と行動の矛盾はない。
もし、何かの理由で完全にその利益を一切を求めることができなくなれば、
その人は、自らの意思で死を選ぶだろう。
その死は、精神疾患の不安からの逃げるための死とは、まったく違うものだ。
私はそんな人になりたい。
***
崩残さんが書いていたように、
自分への決意だけは絶対じゃないといけないと思う。
前回の報告以後、なぜか自然と「絶対に全自我になる」という言葉が
事あるごとに頭にうかんでくる。
自我回収の呼びかけを行う前に、トラウマ掘りの行う前に
「絶対に全自我になる」と一言、頭で強くとても強くうかんでくる。
つい最近まで「絶対」という言葉が大嫌いだった。
「絶対」という言葉は、物事を決めつけて、
自分も他人も縛りつけているような気がしていた。
「人々が絶対」という認識を持っているから
様々なトラブルが起きるんだと思っていた。
でも、今思う。
それは結局、私の「逃げのための言い訳」だったのだと。
***
***になるのをやめた時は、私は的確な判断をしたと思っていた。
でも違う、はっきり違う。
私は逃げたのだ。
****になるために、努力して、
肉体的、頭脳的、精神的に不快になることが嫌で逃げたのだ。
そして、「自分の才能だから」「社会の現実もみないといけなから」
といって逃げたのだ。
当時の豆粒のような自我の私が、本当に***や****なれたのか?
なったとして優秀になれたのか?
そんなことは別にして、私が私に逃げてきたのだ。
そうやって、行くうちに「絶対」なんて言葉を自分に使ったら、
自分に嘘をつく不快が嫌で逃げたのだ。
「絶対なんて決心をして、できなくて不快になるぐらいなら、
はじめから決心しないでいこうと」
こんなになったのは、父母の影響だ。
彼ら自身が、自分に「絶対」という約束をしないで、
いつも「こんなもんでいいか」で生きてきたからだ。
彼らも事なかれ主義で、自分が不快なことをしてでも、
何かを手に入れることを探るよりも、
その場で気持ちがよいことしかしなかった。
また、その場その場で変わる彼らの価値感で怒られることで、
私は絶対という意識を持つことをやめていったのだ。
信じても馬鹿を見るだけだから。
今思うと「なんて親だ」と怒りがこみ上げる。
親自身がバカで、自分の明確な価値感の基準もつくれない奴が、
その時の気分で、子供に暴力をふるうのだ。
***
もう一度、決心する。
「絶対に全自我になるんだ」。
それも全自我になったと明確にわかるように、
崩残さんが活動をしているうちになるんだ。
***
人に嫌われた時に、私の心情は一気に不安定になる。
女性にふられた時。人に嫌われた時。
このことは何度か報告でトラウマを掘り、報告したが、
それでもこの心理的不安定が起きてしまう。
ある程度の不安定はともかく、
私のような動揺といっていいほどの心理的不安定がでるということは、
まだ問題の本質に届いていない何かがあるのだと思う。
最近もこの反応がでた。
まだ完全に解除できてない。
好意をもった女性が違う男性と付き合いだしたと女性本人から聞いた時に、
この反応がでた。
胸が締め付けられ、目玉が左右に落ち着きなくキョロキョロする。
この反応のときに、私の中では次のような価値感で胸にこみ上げてくる。
私がこの世に存在してもいいのか。
人生に対する無力感。
世界にいてはいけないよう感じだ。
自分自身のこの世界での存在が否定された感じだ。
この感覚はどこから生まれたのだろう、ずっと思い出そうとしていた。
父母とも、私が自身を持って独り立ちするための教育ではなくて、
私が自身をなくし、自分の存在感をなくし、
無力感をうえつける教育だった。
ことあるごと「だめじゃの〜」
「はやく、しろ」
「もういいよ」。
私が遊ぼうが、親の手伝いをしようが、
ともかく、ことごとく否定からはじまり、否定で終わった。
子供ながら「せっかく親を手伝ったのに叱られるんじゃ、嫌だな」と思っていた。
キチガイ父母も、そうやって育てられたのだろうし、
自分たちの存在感をあらわすために子供を見下して、
バカにする方が都合のよかったのだ。
子供がバカで独り立ちできない存在なら、
自分たちのちっぽけな存在意義を満足させることができるのだ。
そして、
小さな頃の私が、解決の方法を考えた末に導き出したのが
「嫌な気持ちになるくらいなら、人との関わりを持つのはよそう」だった。
この答えは私をずっと縛り続けることになる。
だから、人生の中で関係が続いている友達は少ないし、
恋人とつきあっても、なにかトラブルが起きると、
続ける努力をするよりも、別れることを考えるのだ。
父母がやった、
私への「自分自身のこの世界での存在が否定された感じ」の植え付けは、
「私のやったことへの否定」だ。
***
父母がやった、
私への「自分自身のこの世界での存在が否定された感じ」の植え付けのもう一つは、
「私のやりたいことへの否定、無視だ」。
ともかく、私がやりたいこと、買ってほしいものを、
なんだかんだ理由をつけ否定しまくった。
遊園地。映画。野外活動。公民館の科学教室。
クリスマスや誕生日に欲しいプレゼント。
生きてきて唯一もらったプレゼントは500円位安い凧だった。
そんなもん、望んでない。
何一つ、自分の希望を叶えてくれることはなかった。
「大人になったらできるから」「わかった(といっても言うだけ)」
「今度な」の言葉、あるいは「無視」。
なんで彼らはそんなに無視したのか?
大人になった私が冷静に考えても、
それらが叶えられない理由がわからない。
お金に困っていたわけでないし、明確な休みの日もあった。
もう、物心つくころには、
この人達に何か望んでも無駄だとわかっていたから、
おねだりをしたことは数えるほどしかない。
金額の高いものをねだったこともない。なんで叶えなかっただろう。
***
父母がやった、私への「自分自身のこの世界での存在が否定された感じ」の
植え付けのもう一つは「嘘」だ。
それは、何かの親との約束事の嘘から。
本人の話している内容がコロコロ変わったり、
それに伴う行動や感情がコロコロ変わったりする嘘。
だから、私は世界を信じることができなくなった。
小さい頃の私には当然ながら親を通しての世界を見ることしかできなかった。
だから、私にとって世界とは欺瞞と嘘に満ちた世界だった。
そんな世界に自分の存在感を安心して委ねることなどできなかったのだ。
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YNさんより
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はっきりと言えることは、半分以上は、このAC人格が原因として、
色々な身体の不調が出てきていたということです。
その証拠として、このAC人格に対して、
「お前は、もういらない」と心に強く思った当たりから、
身体の状態が大きく改善してきたからです。
改めて、「決心すること」、「心を決めること」の大きな力を実感できました。
「親と離別する」と心に強く決めた当たりからも、
大きく変化し始めましたが、今回についても、その威力を知らされました。
そして、この「決心」というものが、力を発揮できるのも、
必要十分な自我があってこそであると感じています。
別な言い方をすれば、「自我」が持つ、ひとつの要素または機能なのかもしれないと、
今は思っています。
これからも、小さな事から大きな事まで、心に決めて、
それを実行していくということをしていきたいと思っています。
せっかく、「自我」や「意識」というものを持ったのだから、
十分に使わないともったいないですから。
さて、話は戻りまして、このAC人格のことについて、
もう少し、詳しく書きたいと思います。
こいつは、いったい何を言いたかったのか。
今まで何をし続けていたのか。
・お前は、元々身体が弱いのだから、無理をするな。無理をするともっとしんどくなるぞ。
・俺は、身体がしんどいのだ。だから、気を遣ってくれ。無理を言わないでくれ。
・今日は、身体がしんどいから、仕事を休んでもいいだろ。だって、しんどいのだから、当然だ。
・俺は、身体がしんどくて動けないから、代わりにやってくれ、看病してくれ。
・俺は、身体弱いし、直ぐに疲れるから、やりたいことができないのは、仕方がない。
・身体が元気で丈夫だったら、何でもやりたいことができるのに、できないのは、そのせいだ。
・今日は、身体がだるくて、しんどいから、ゆっくりと寝ていよう。
・身体が弱いから」、俺は、何をやっても駄目なんだ。
このようなことを言い続け、または、やり続けてきました。
今、自分で書いていて、思うのですが、醜いことこの上ないです。
結局、このAC人格のやっていることは、身体が弱い事を理由にして、
自分をごまかしているだけですから。
中略
母親ならば、もっと子供の事を心配したり、気遣ったりしてくれる、
そういうちょっとした暖かい心が、母親から感じられたことが、
ほとんど記憶にありません。
本当に本当に母親として、当然持っているべき、
愛情というか母性のようなものを当時の子供の頃の自分が感じたことが
ありませんでした。
今ならば、あの母親ならば、そうなってしまっても致し方ないことが、
はっきりと分かるのですが、
当時の私としても、それに気づくまでの私としても、
まったく理解できませんでした。
ですので、ずっと、それに気づき観念するまでは、
私の母親には、まったく正常な愛情がないことを認めることができませんでした。
中略
根本的には、母親は、少しも変っていません。
自分自身の身体が弱い事が不幸であることを出発点としているので、
少しくらい健康になった所で、不幸であることに変わりはないからです。
不幸から始まったものは、どこまで行っても不幸ですから。
このような病理を持つ母親と小さいころから、長年接してきたわけですから、
私にも感染していたことは、言うまでもありません。
でも、この感染人格とは、「おさらば」です。
中略
衣服などを選ぶ時の基準が以前とは変わりました。
以前は、自分に似合うかどうか、格好いいかどうかを基準に選んでました。
でも、最近は、スーツを着た時の気分がどうであるか。
つまり、楽しかったか、気分が良かったかを基準にするようになってきました。
昨日は、コートと靴下も買ってしまいました。
これらの選ぶ基準も同様でした。
靴下なんか、仕事に履いていくのは、
ちょっと色や柄が派手過ぎではないかと、頭では思いましたが、
靴下を履いた時の気分を重要視して買いました。
「この靴下を履いてたら、きっと楽しいだろうなあ」と言うような感じです。
そういう遊び心が、とても大切なことだと、つくづく思います。
11月から、新しいスーツを着て、仕事に行くことになりますが、
とても楽しみしております。
あと、崩残さんからのお勧めで、下着を買い替えましたが、
最近の私の下着は、結構、色やデザインが派手です。
目に見えない部分ですが、色やデザインを楽しんだり、
素材の感触を味わったりしています。
自己満足の世界ですが、それがいいのです。
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●私の眼から見ますと、
特にこの4人の人たちが持っていたのと、
「まったくほとんど同じAC人格」にずっと陥っているにもかかわらず、
まったくもってして、無自覚、無意識、無観察で、
今もなお、誤魔化しつづけている人が、
自我復元者も、そうでない人もふくめて、男女ともに、何人もいます。
それに対して、無自覚的に、他人の報告やブログの物真似をして、
「気づいたフリ」をして済むほど、
自我復元や、現在の自我判定は、甘くないと思ってください。
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