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[402]
■
★分割自我復元★その402■ 「敷居とボーダーライン」
by:
鈴木崩残
2014/11/03(Mon)08:15:54
敷居は下がっていません
●二つ前の投稿の引用文中に、「敷居を下げてくれなかったら」とありましたが、
これも誤謬です。
敷居は、下がっておらず、むしろ逆に、上がっています。
●私は今年の、自我復元の動向を見て、
全自我の人にも、再判定を行い、チェックする、ということを始めたのには
むろん理由があります。
ただしひとつ注意が必要なのは、
私は「先天性の全自我の人」を基準にはしておらず、
当然のこととして、「後天性の自我の再発達」という形で見ていますので、
私が先天性の全自我の人に、とうぜんあるべきものとして想定したり、
望むようなことは、決して、後天性自我の人には強要も期待も、
予測も予定もしていません。
●ただし、敷居のボーダーラインを以前よりも引き上げた理由は、
ほかならぬ、復元をしているその人自身が、
「全自我になっても、こんな程度しか自分はできないんだ」
となっては、全自我の意味がないからです。
むろんそれは、私の基準や、私の好みで決める問題ではありません。
本人が、確実につかんだものがある、
本人が、確実に、手ごたえがある、
本人が、あの時の過去の自分はもう超えられた、
というものではない、全自我など、何の意味もないからです。
むろんその手ごたえが、確かかどうか、
本人のただの自己暗示ではないかを、
若干、私の客観的な立場からチェックするということのために、
メールなどによって、細かく、様子見することがよくあります。
●わかりやすく言いますと、
もしも、私が、ある一定の規定とか基準のある自我判定を、
ただ機械的に行って、まるで昇段試験のように、
「はい、よくできました、3段です」とか「卒業です」
とやってしまうのは、私としては、とても楽なことです。
どんどん、次の人のことにかかれますし、
あとは、その人がどうなろうが、全自我なんだから、
勝手にすればいいという態度になれますので、私に責任はないからです。
●しかし、そのテストが、もしも、
殺し合いをしていた時代の武術の試験であったらと考えてください。
あるいは試合のある現代のスポーツ武道でもかまいません。
「はい、よくできました」と軽く認可してしまって、
いざ、そのまま地方の試合に出たり、戦場へいったら、
まったく使いものにならず、惨敗したり、
ボコボコにされて、大怪我をしたり、死んでしまった、
などとなったらば、それでは、免許を出した意味がないのです。
●そういう意味では、まだ確実ではないですが、
なんとか、大丈夫そうかなという感覚と、
本人が、自我復元を、まだやらなかった時と比べて、
いろいろな実感と、手ごたえを掴んでいるだろう人。
本人もまだだと思っていることも含めて、
自我復元の前と後の違いを認識しつつ、
先に進んでいると思える人は、ある意味で、まだ少ないです。
前投稿に書きました、数人の「自分を取り戻そう」としている人たちの中では、
「無干」さんと、「お姫ちゃん」さんは、
まだ、本当のところは、実感はしていない面もあると思います。
(掴みかけているものはあります)
多くの自我復元実習者の人たちは、確かに、トラウマを知った、
AC人格がしゃり出るのも、なんとか監視できるかもしれない。
でも、戦いの現場では、やっぱり変わっていない、
大怪我をしかねない、ということが、まだまだあると思います。
自分で困ったと思った問題が生じた場合については、
自我復元をきちんとしている人なのであれば、
いつでも、ご相談くださいと、私は言ってきたはずですので、
何人かの方は、わりと定期的にきちんと報告をくれますので、
それによる有機的なやりとりがあります。
日々の細かい変化や葛藤の中に、
先に進むためのヒント、手がかりが隠れてることが多いからです。
*********
●自我判定では、自我率というものの判定法は変わっていませんし、
そこは、ずっと変えていません。
しかし、今となっては、トラウマ掘りや、AC人格解除の割合と
密接にそれが連動していることが明白になったので、
自我率だけをもってして、合格、卒業、もう大丈夫ですとはできないのです。
できるならば、ぽんぽん、「大丈夫です教」みたいに、
ほっぽらかせれば、私も非常に楽ですが、
現実には、そんなことをしたらば、その人たちは、必ず、
「全自我のはずなのに、こんなんじゃ意味ない」と、
いつか言う日がくると思います。
そうならないためにも、
敷居のボーダーラインは、以前よりも上がっています。
●また、その敷居は、初回の自我判定においても、以前よりも上がっています。
自我判定を開始したのは、2011年頃ですが、
2012年あたりまでは、どんなに馬鹿みたいに思える、うすっぺらな報告や、
いいかげんさが見え見えの判定依頼でも、
よほどの人格的な異常性がないかぎりは、判定はしてきました。
しかし、今年になってからは、
初回の判定からして、断るケースが何例かありました。
まったく判定依頼の報告にもなっていないからでした。
また、そもそもの動機があまりにも不純すぎるものが多くありました。
(前回の投稿で書いたような動機よりも、何倍も、もっとひどいものです。)
私は、少しでも復元できそうな可能性が見えれば、
無視まですることはしませんが、
その最低限度必要な、可能性さえもないと見える人も数人いました。
その場合には、私はまったく無視します。
そんな状態の人にまで時間を使っている余裕はないからです。
●一方で、今年、後半になって、とても多かったのが、
すでに、何度か判定依頼をしている人、
むろん、実際にまじめにトラウマ掘りをしている人、
または、全自我の人の再判定依頼、
あるいは、自我率だけを見れば、全自我の手前にいる人たち数名、
この方たちからの判定依頼を、
少し様子を見るために「延期」するというケースがかなりの数ありました。
●かと思うと、初回の判定でも、すぐに取り掛かることもありました。
いろいろなので、ケースバイケースですが、
延期する最大の理由は、「変化したとは、見えない」からです。
判定というものは、やってみないとわからない部分が昔はありましたが、
今では、たくさんの事例を見てきたおかげで、実際の判定をしなくとも、
文面からでも、かなりのことが類推できるようになりました。
そこで、まずひとつは、経済的な問題として、
せっかくの判定であれば、本当に自我率だけではなく、AC人格の解除も進んだと見られる、
そういう節目のときに、判定をしないと、お金がもったいない、
と私が感じることがあります。
しかし、皆さんが大変な思いをして貯めた大切な、お金がもったいない
というようなことは、本質的なことではなく、二次的、三次的な問題であり、
もっとも重要なのは、
「確かな手ごたえのある、変化の兆候が見えたかどうか」です。
もっといえば、私が、
「この報告を読んだら、ぜひ判定をしてみたくなった」
というぐらいのものであるときに、私はすぐに判定にかかれます。
しかし自我率の上昇はあるであろうが、トラウマ、AC問題については、
鉱脈に当たっているところがないと予測がつくものは、判定を延期しています。
むろん、多くの人は、むろん、一生懸命に掘っています。
そのことは、むろん、わかります。
しかし、掘る「ところ」が違う場合があるのです。
また、「掘り方」そのものが違う場合があるのです。
このあたりは、すぐに誤解したり、
無自覚のうちに、すぐにAC人格が、悪用しようとなる人もいますので、
下手に、明確な言葉にしたり、マニュアル化するつもりはありません。
変化の兆候が見えない場合には、
自我の文字で、自我率の復元は見られても、
器と意識の文字に、変形や、ゆがみや、不足部分が出ます。
しかしそれは、判定をしない段階でも、最近は分かるケースが多いのです。
実際、無理にそのまま判定すると、
やはり、よろしくない、という結果になりますから。
●それで、最近、私は、
その人の中の、どのAC人格が、その人の生活上での足をひっぱる
主なものであるか、ということに視点を絞って、
ある程度の自我率のある人に、どのAC人格が本人の足をひっぱっているのか
ということを示唆したり、直接にメールで助言することがあるのですが、
おもしろいことに、数名にそれをしてみると、
全員とも、返信がなかったり、極度に返信が遅れたりして、
すぐに閉じて、ちゃぶ台ょひっくり返すようにして、ふてくされてしまうか、
無気力になり、生体反応がなくなります。
すなわち、AC人格が、依然として、
長年使ってきた「病理を手放すまい」としている、ということになります。
これ故に、そう簡単に、全自我認定など、とうてい出来ません。
もしも、判定基準を引き下げて、簡単なものにしてまったら、
その人たち自身が、ここまで踏ん張って、がんばってきたのに、
結局は、行った先で、負け戦をして、
べそかいて、戻ってくるだけですし、
それで、戻ってきて、やり直せるならば、まだしもマシですが、
行ったその先で、やったその後に、ついには、
せっかくの自我復元やトラウマ掘りすら、投げ出してしまい、
鈍感になって、麻痺した状態にも戻るという、
元のただのゾンビに戻ることもありえます。
何事もそうですが、堕ちるのは、簡単なのです。
気を緩めずに、堕ちないように、意識的になっているとき、
それで、ようやく、生きていると言える状態であり、
その中に、楽しさも発見されるものなのです。
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