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★分割自我復元★その411■ 喜怒哀楽の「浮き板」の上でバランスを取ること。
by:
鈴木崩残
2014/12/17(Wed)10:56:54
近代の人類が最も虐待したものは感情
●1993年頃から今日まで、私と実際に出会った人たちの中で
感情が正しく成長していた人は、ほんとうにわずかだった。
それは、顔の表情を見ればすぐにわかるし、会話の中でもわかるものです。
多くの者は、皆、ゾンビのような死んだ顔をしていた。
死んだようなツラをしておいて、
「死にたい」だの「無心がどうこう」とは本当に、呆れたものだった。
十全に、生きてもいない人間が、死ねるわけもない。
しかし、感情を表さないことが、まるで良いことのような洗脳を受けたり、
へんてこな瞑想を自分で勝手にやったり、どこかで仕込まれたりして、
とにかく、何か制御をしていないと、落ち着いていられない、
そんな者ばかりが多かった。
誰が見てもわかるほど、醜い表情をしたままで、
「私は冷静な人間ですから」を装う、救いようのない鈍感な者もいた。
●前にも書いたように、この歪みがとても少なかったのは、
私と直接に会った者の中では、1992年と1993年に会った、
男女各一名のみ、であった。
その後は、砂手がうちで感情全快になって自滅して壊れた事を除けば、
それ以外は、ほぼ全滅である。
●この喜怒哀楽の感情には「バランスこそが鍵」というものがあり、
単に、ふさげた野郎とか、無神経な奴とか、単に騒ぐだけ、
そんなのはゴロゴロいましたし、
また大人しいフリをしているだけの者もたくさんいた。
私の基準から見てであるが、
感情を抑圧してきた率が少ないという人は本当に少なかった。
そこで、今回は、主にその事をまず書いてみますが、
ツイッターの方に、かなり凝縮した短文としてまとめておいたものを
ここに掲載しておき、
そのあとで、それら関連する、相談者の方の報告の一部を載せておきます。
*********
今朝、夢の中である人と長話をしていた。
その中で 、
「自分を育てるのは、実の親ではなくても良い」
という契約をして生まれてくる人について私は考えていた。
現実の事例として、そうしたケースを私は3人ほど知っているが、
通常の親子関係と少し異なる為に、
一様にアイデンティティーの持ち方に若干の混乱があり、
また責任感が強い傾向から、特に伴侶には苦労させられる事も多い。
子供がかなり大きくなり成人した後に、
実の両親は異なるということを、育ての親その他から知らされたり、
自分で調べて知った場合というのがある。
しかし、子供は実際にはその経緯の事実を(実の親の事も)記憶している。
したがって大人になった頭でその状況を理解したり、肯定または否定するのと、
「感情の理解」とは当然に異なっている。
個別に全て異なるので一概には言えないが、里子に出された場合、
子供には本来必要のないはずの 必要以上の「恩義」を両親に感じると共に、
里子に出した実の両親の本当の理由や状況に、もしも事実誤認があると、
実の両親の事をどこかで恨むか、または逆に慕うか、
そのどちらにしても、本人のアイデンティティーは混線することになる。
難しいのは、子供が実の子供ではない場合には、
引き取る側の両親が、必然的に、非常に気を使ってしまい、
実の子でない事を子供に決して感じさせないように平等に接したり、
きちんと育てないと実の親に顔向けできない、とか、
普通の親子間にない独特の不自然な緊張感が続く事になる。
それが人道的、道徳的に、良いか悪いかは別として、
その大人の思いが子供へ与える影響は無視できない。
もっとも、だからと言って実の親がいいなどという事はまったくなく、
無数の毒親の子供に対するひどい仕打ちを、
今日まで、多くの人たちの報告から私は知ってきたわけである。
だからこの事例では、問題は親が毒親かどうかではなくて、
幼少期から「二組の親」=計4人との人間関係が意識されていたという点にある。
生まれた時から全ての状況を実際には認識している子供にとって、
「二組の親との関係」を自分の中で定義して構築するのは 、
相当にハードルの高い情報処理になり、子供の心には負担がかかる。
常に4点を意識してきたので、
礼儀正しく、周囲に気遣いをする人として成長する事が多い、
その反面では 「本心の感情の居所」を見つけるのが難しくなるのである。
喜怒哀楽とは、文字通りその中には、
怒りや憎しみというものも、適量ないと、バランスは取れず、
これは食物バランスまたは排泄バランスと同じ新陳代謝現象である。
しかし、実の親でない場合には、
事の最初から子供の中では、育ての親に憎しみを向ける事を悪いことと
思い込んでしてしまい、
育ての親への怒りや不服の感情に対してのブレーキがかかってしまう。
そもそも、子供には理由が把握できない出来事に対して、
どこかで感情の我慢を強いられるか、又は自制してしまう、
という事が問題となる。
里子として引き取る側の人たちはたいてい、
いわゆる気心の良い人か、または経済的に余裕のある人である。
しかし子供が出来なかった、という場合である。
(大昔は、こき使う使用人として育てたこともあっただろうが)
近代では、里親というのは、良い人の部類になってしまっているので、
子供はそこで、正当に他者を憎み、怒るという事をしなくなってしまう事が多い。
つまり、里子に出た側の子供の中には、
事の最初から「育ててくれるのだから怒ってはならない」
「恩を感じ感謝しなければだめだ」など、
子供の正常な成長には決してあってはならない暗黙の制約や、
大人の勝手なルールが持ち込まれているのが問題なのである。
それによって、最も気遣うべきだった「自分の感情」を窒息させてしまうのである。
だからと言って、
実の親子間で死ぬまで、憎悪し合えば健全だという事もないのであるから、
この問題は複雑であるが、
毒親が原因であろうが、違う原因であろうが、
とにかく、「我慢」、特に「感情に対する我慢」が、
まるで美徳や人徳かのように子供に誤解させた元凶は、
他者の目に対する恐怖心の強い地域社会と家庭だったということだ。
だから一生分のパターンが形成されるまでの4歳ぐらいまでの幼少期だけは、
子供の喜怒哀楽をひとつたりとも我慢させてはならない。
感情の我慢をしないと子供が我がままになる、というのは大嘘であり
それは親たちの勝手な都合だ。
子供が感情をフルに出した時期が長いほどに、のちに自然にそこに、
子供から自発的に感情を自制する事による、落ち着きが形成されるものなのである。
親子関係が原因となって、
子供が自分の喜怒哀楽の感情の どれか一つでも自己否定または自制してしまい、
「冷静である事が良い」などと思い込んだら、
抑圧された感情が行動の「影の動機」になってしまうものだ。
そうなると、真に冷静である事ではなくて、
他者から「冷静に見える振る舞い(フリ)」をする事が、
その子供、または大人の目的になってしまうのである。
人類の歴史の中で、確かに感情が原因となったトラブルもあったであろうが、
私の視点では、むしろ感情の負の一面を理由や言い訳にして、
感情を制圧、またはコントロールする事こそが、
家庭内や社会の中で正しいとした、
その誤謬の方が、今では病原菌のように繁殖してしまい、
人類の精神を完全に蝕んでいる。
*********
身体、知覚、感情、思考、などは、
それぞれに別の指揮系統のコマンドで作動している。
だからどれがが別の部門に支配的に干渉しようとすると、
人格分裂のボタンを押してしまう。
全部を同じテーブルに出せば、
あとは勝手に4つが会談をして方針を決定するものだ。
だが人は思考を重視しすぎた。
なぜならば、身体や感情は嘘をつけないが、
思考は嘘をつけるからである。
自分自身に対して「統一感を感じない」とか、
あるいは生命の実感が薄い、生きている気がしないなど、
これらの原因の多くは、
自分に統一的な方針や一環した価値観が「ないから」ではなく、
前述した変動し続ける4つの回路のバランスが悪いだけである。
一つが他を支配せずに、「平衡感覚」に頼れば、
その、不安定に思える「波乗り」の中でこそ、統一感が生まれるだろう。
その事をわからない者が、宗教や哲学や、もろもろの権威や、
もろもろの電波話、あるいは特定の人物に依存しようとする。
現代の家庭での教育でも学校や企業での教育でも、
全ては「ただの姿勢」を強要しているに過ぎない。
だが「直立して、忠実で、不動の姿勢」ほど弱いものはない。
少し押せば、簡単に飛んで転んでしまうガチガチの姿勢だ。
一方でバランス感覚というのは、
どつかれて転びながら、「行儀悪く」会得して行くものだ。
*********
また、毒親の典型的な言い方は、子供に対して、
「もう子供じゃないんだから**するのはやめなさい」
「子供じゃないんだから**しなさい」
と親の子育ての都合でいうくせに、いざ状況が変わると、
「まだ子供なんだから**」と言う。
子供がどういう成長段階にいるかは、
親や学校ではなく、子供自身が決める事だ。
たとえば、いつまでも父母と共に布団で寝たいならばそうさせてあげればいい。
そのうち年頃になれば気持ち悪くなって自分から自分の布団で寝るようになるものだ。
それを「あんたはもう子供じゃないんだからお兄ちゃんと寝なさい」
これはアウトだ。
一方では、子供を大人としても認めないという、その中途半端さが毒親なのである。
自分の子育てに自信がない両親は、
子供が、小学校低学年を超えるまで、次のノートをつけると良い。
重要なのは「喜怒哀楽」の記録とモニターだ。
毎日子供を見ていて、その表情や言動の中にある、
喜び、怒り、悲しさ、楽しさ この4つのどれかが「萎縮」していないか?
自分の子供は、その4つのバランスが取れているかの日記である。
幼稚園や小学校で先生に褒められただの、
家の手伝いができるようになったかだの、
行儀よくできただの そんな事は、まったくどうでもいいことだ。
そんなことを子育て日記に書くのではなく、
自分が子供の感情を制圧していないか、
子供が自分で我慢して自制するような、
そういう歪みを起こしていないかに注意しろということ。
特に5歳ぐらいまでの子供というのは、「感情の塊」であり
その事こそが、重要な発達要素なのである。
子供は泣いて当たり前
子供はふざけて当たり前
子供は怒って当たり前
子供は、はしゃいで当たり前
それを
「泣くな」「大人しくしろ」「我慢しろ」「言う事を聞け」 とは
一体どういう狂気だ?
数ヶ月前に、小さな子供を連れた母親が、
道の前方遠くから車が来るのを見て、
母親の前、数mを「よちよち歩き」している自分の子供に、
「こら!***、こらー、***、危ないから横によけろ」
とキーキーとヒステリックに怒鳴っていた。
そういう時は飛んでいって、黙って子供を抱き上げて守るか
そもそも最初から手をつないでおくかしろよと思った。
言葉が通じるようになった程度の子供は、
大人の勝手な事情など、いくら理路整然と説明したりして、
そうやって、あなたが親づら、または祖父母づらして偉ぶっても、
小学生には状況の理解などできない事の方が圧倒的に多いのだ。
だから、子供は多少の怪我はしてもいいから、 子供がやりたいようにさせて、
とにかく経験をさせろということ。
もしも子供が実際に経験や体験をする前に、
子供のしたいという何かを、理由もなく禁じたらば
(お金がかかるとか違法だからとかは別として)、
その子供は自分では何も出来ない人間になってしまう。
何故ならば、その子供にとって重要なのは、
自分が出来るようになる事ではなく、
親のダメ出しを避ける事だけになってしまうからだ。
自分がしたいからするのではなく、
親からダメと言われないよう、
親からOKと言われる為、
そんな事を子供が自分の行動や判断の中心にしてしまったら死人だ。
だが子供にとっては、
親に代わる者が現れるまでは、
親との関係こそが「全世界」の全てであり、
そこに自分の生死がかかっているという大事であることは
私は何度も指摘してきた。
だが、毒親はその子供の無力さこそを悪用して、
子供を虐待してしきたのである。
それが虐待という悪意のあるものでなかったにしても、
親のその無神経によって、どれだけ、子供の感情の発達をゆがめ、
子供の自主性を殺してきたかは言うまでもない。
これをやると修羅場になるのは大前提なのであるが、
あなたの親に対しても、夫婦でも同棲している同居人とでも、
ご近所への迷惑を最低限に抑えつつも 怒鳴り「合った」方がいい。
もっともよくないのが片側だけが怒鳴っている場合。
それだと、それは虐待だけになる。
もう片方が、我慢しているか、
謝って事を濁しているか、冷めているフリをしているだけであるのは病的だ。
だから両方が怒鳴る事が必要なのである。
ただしまだ小さな子供がいる場合には、また少し事情は変わるが。
とにかく、怒りが行き場を失って溜まった場合には、
それはエネルギーの一種なのでベクトルを変えて、
自身を破壊し始めるかまたは他者を恨み始める。
怒りはそれが生じた現場で当事者に向けないと、
その矛先になる八つ当たりの犠牲者を生む事になる。
怒りはその良し悪しを最初から決め付けずに、
それを出し尽くした結果を自分で見てから自すれば良い。
ただ、ここで非常に大きな問題であるのは、
学校、職場、結婚生活などで発生する怒りのほとんどは、
実はそこにいる当事者ではなく、怒りを発している者は
その憎悪、寂しさ、切望、恨みが本当に発生したのは、
自身の親に対してであった事を死ぬまで忘れている事である。
その事実を思い出させるのも、トラウマ掘りで重要な部分である。
●私も中学、高校のころはそうであったが、
誰でも自分の中に怒りが生じるときには、不快なものである。
その不快さからくる自己嫌悪に対して、いろいろな働きかけを
するべきということを、わかったような事を本に書いているのが、
いわゆる、さまざまな、宗教書や自己啓発本である。
彼らは怒りは良くない、冷静ではない、軽蔑されるものとしている。
また、この後の読者の方の報告にもあるように、
怒りを肯定して、爆発させたところで、それがそもそも、
「親に向かわなかった不発の怒り」であれば、そんなものは、
本当に、無意味やカタルシスごっこに過ぎない。
また、のべっとした間抜け面で、無感情(実はただの鈍重)な人たちも
たくさん見てきたし、彼らの本心は、心中穏やかではないの見てきた。
また、こうした私の書く事を読んで、
「自分は感情をないがしろにしていない」と自負する人たちは、
単に、ネットやメールだけで、いきまいているだけで、
自分の親や家族に対しては、
まるで感情を出して逆らうこともできず、
「私は冷静に分析してます」アピールを親にしてしまう馬鹿もいる。
とにかく、子供の時に、
だれだけの重要な感情を自分自身が葬り去ったのか、
またそのように親が仕向けたのか、
それを掘りつくせ、ということである。
_________________
■以下、報告からの抜粋となります。
この方の家庭に特有の、個人的な事情も多かったため、
一部のみの引用となります。
*********
崩残様
いつも大変お世話になっております。
前回のAC満載の報告、情けなくて、恥ずかしいです。
まんまとACに踊らされているにも関わらず、
私は送信する際、ACに勝ったぞ! という、そんな感覚さえしていました。
あの落ち込みの後、
ご指摘くださいました、このところから、掘り直してみました。
>いつから「フリ」をすることばかり覚えたのかと、
>いつから、阻害されていると思ったのかを
>***の出来事よりも「前の時期の記憶」を掘ってみてください。
阻害された、と感じた記憶を探っていて、
気になる出来ごとを思い出しました。
私が幼少だった頃の我が家は、
住居スペースと店舗が繋がっている、小さな平屋の家でした。
*中略*
以前に報告したように、
これより以前の1〜2歳の頃からすでに、
母親に対する不信感や怖れの記憶が、
私の奥深くに、植え付けられてしまっていたように思います。
この瞬間に、その記憶が私の中でオーバーラップし、
母親に対して、私は委縮してしまい、
自分の本当の感情を、閉ざしてしまったように思います。
そして、あの時、私は自分の本当の感情を隠し、
母親の機嫌をそこねないようにと、「平静さ」を装って、
平気そうな顔をして、母の要求に従ったのだと思います。
*中略*
こうして、
3〜4歳頃のトラウマを掘り進めていて、思い出すことがあります。
それは、私が幼稚園に行く時期が近付くにつれて、
母親は私に、この言葉を言うことが多くなっていったような記憶があります。
「もう大きくなったんだから、
・・・・しちゃだめ。 ・・・・しなさい。」
私は母親からこう言われるのが、とても嫌でした。
母親からこの言葉を聞くと、
私は大きなプレッシャーと不快感を感じていました。
自分では自分のことが「大きくなった」と自覚できていないのに、
母親からそう言われると、
私は、自分がどう振舞ったらよいのか訳が分からなくなってきて、
頭の中が混乱していたように思います。
「大きくなったんだから」という理由で、
以前とは違うことを要求してくる母親、
そんな母親や家族の言動に、私は戸惑いを感じていたように思います。
今まで自分が、当たり前にやっていたことが、
突然、今度はやってはいけないことになってしまう。
その不可解な現実のなかにいる私は、
ひとり、おろおろと戸惑い、不安を募らせていき、
「大きくなること」に、強い嫌悪感を感じ始めていったように思います。
*中略*
私は子供の頃から、かなり感情的な人間だったと思いますが、
しかし、だからといって、その感情を正直に表現していたかといったら、
そんなことは、まったくありませんでした。
その大きな要因となっていたのは、母親にいっぱい甘えたい時期に、
私は、自分の気持ちが満足できるまで充分に思いっきり、甘えたいだけ、
甘えることが出来なかったからではないのかと思います。
そのために、
自分の感情を素直に、真っ直ぐに母親に向けることが出来ず、
母親とのコミュニケーションがとれない自分になっていったように思います。
母親のことを、何か漠然と怖がっていて、
どこか母親に対して、遠慮がちな自分がいたように思います。
そして常に、母親に気に入られようとすることに神経を使い、
自分の本当の感情を押し殺してまでも、母親のいうことを聞かなければいけない、
と思い込んでしまった自分がいたように思います。
そして、自分の正直な気持ちを表現出来ず、
平気そうな「フリ」をして、抑え込んで誤魔化そうとするために、
幼少の頃から私は、
平静さを装う癖が身についてしまったように思います。
そして、その癖は、いつのまにか、自分は落ち着いた人間なんだという、
自己イメージを作り上げていき、
「淡々とした落ち着いた人」というイメージで、
他人からも、そう見られるような大人になっていったように思います。
*中略*
そして、「・・・のフリ」を大げさにすることで、
自分の気持ちが盛り上がって、楽しくなることを、
私はいつのまにか覚えてしまい、
それが「癖」になってしまったのではないのかと思うのです。
そして、この癖が私の妄想癖にも、深く関係しているように思います。
そして、小学生になり、
私は、先生に気づかれないように、給食を残さずに、
きれいに全部食べたような「フリ」をすることを覚え始めました。
そして6年間、あの手、この手を捻り出しては嘘をつき、
きれいに食べた「フリ」が上手くなっていきました。
そして、また、 自分にとっては、こんなに憂鬱な「給食」なのに、
そのことに関しては、
仲の良い友達にも理解してもらえないような、壁を感じていました。
自分の深いところにある、友達との寂しい距離感を感じていました。
しかし、友達と一緒に遊んでいる時の私は、
いつも楽しい「フリ」をしている・・・・
そんな嘘つきの自分がいることにも気づいていました。
幼稚園の頃までの、きゃっきゃっとした明るい私は姿を消していき、
いつのまにか、私は、人の陰に隠れることを好む、
大人しい、控え目な子供になっていきました。
そして、中学〜高校〜と、
私は、自分の感情を表に出すことが少なくなっていきました。
家の中では、無口で投げやり、ふてぶてしい傲慢な顔をしていながら、
学校や社会では、誰に対しても当たり障りのない、
親切で、心やさしい人のような「フリ」をしていました。
しかし、私の内側では、
それまで抑え込んで、鬱積されてきた感情が、
出口を探して、常に悶々としていたように思います。
今にして思えば、毎晩のように遊びに出かけていっていたのは、
そのストレスを発散するのが目的でもあったように思います。
そして、その頃、ある芝居を始めて観て感化され、
私は、演劇をやってみたいとも思っていました。
そして、少しして後だったと思います、私の前に、和尚が現れたのでした。
それまで、自分の感情を溜めに溜めこんでいた私は、
その抑え込んできた感情を、思い存分に出せる、カタルシス瞑想が好きでした。
溜め込んだものを思いっきり出して、気分がすっきりとして軽やかになる、
そのことが目的の瞑想になっていました。
そして、私は軽くなっていく自分のことを、
あたかも、自分が変化しているかのように妄想し始めていきました。
私は、自分の問題が何なのか、現実の自分を観ることなどすっかり忘れ、
ただ浮かれて踊って妄想に浸り、
誤魔化し続けているだけの、ただの間抜けのぼんくらでした。
自己探求ということが、どういうことなのかも知らずに、
私はただ、和尚のことが大好きで、それでサニヤシンになったようなものなのです。
そして、
「フリ」をしてしまう、この「自分」について、
掘り進めていて思うことは、
今まで、自分がもっていた「自己イメージ」
例えば、 真面目で大人しくて優しい人。
これって、ただ単に、
人から観て、そういうイメージの「自分」でいることは、
社会生活を上手くやりこなしていく上で、
より円滑なコミュニュケーションがとれる、
と思い込んでいるAC人格が、
真面目そうな、大人しそうな、優しそうな、「フリ」をして、
人から攻撃される恐怖を回避するために選んだ「人格」のように思います。
そして、この人格は、よくよく見れば、
父と母、両方に共通している人格なのです。
その両親の姿を見て育った私は、両親の言動を真似し始め、
そしていつのまにか、
その「フリ」が、この人格になっていったのだと思います。
やさしいフリして、人の話を聞いてあげているフリ。
真面目なフリして、勉強しているフリ。
見栄をはって、知ってるフリ。
謙虚なフリして、知らないフリ。・・・・・
同情しているフリ。
楽しんでいるフリ。
悲しんでいるフリ。
さばさばしているフリ。
やる気のあるフリ。
出来るフリ。
一生懸命やってるフリ。
気にしていないフリ。
戦っていないフリ。
正直なフリ。
子供っぽいフリ。
素直なフリ。
女っぽいフリ。
元気なフリ。
疲れているフリ・・・・・・・・・
私って、たくさんの「フリ」の寄せ集めみたいな人間だ。
ただの「フリ」の塊みたいだ。
自分なんて、どこにもなくて、
ただ、その時その時、その場しのぎの、
その状況に合わせて、「・・・・のフリ」をしているだけ ???
私は嘘つきで、それも大嘘つきで、
私が今まで「私」と思ってきた「私」の全部が、
ただの「嘘」???
私という主体なんか、まったく、どこにもなく、
人から阻害される恐怖を回避するために、
人に気に入られようという魂胆で、
巧妙に、ずる賢く、抜け目なく
「・・・・のフリ」をして、四六時中、嘘をつきまくるAC人格。
そうやって生きてる「フリ」をしてきたのが、この私だった。
*中略*
**の仕事を始めて、あともう少しで、2年近くになります。
仕事を始めた当初、私は、
自分が、人の目にどう写っているのかを、かなり気にしていました。
仕事上、ある程度の「感じの良さ」は必要でしょうが、
必要以上に、自分のことを感じ良く、愛想良く見せようとしすぎるAC人格がいました。
さすがの私も、ここまでやりすぎてしまう自分に呆れてしまいました。
感じ良いどころか、かえって、気持ちの悪い自分がいることに唖然としました。
あの当時と比べたら、
「・・・・のフリ」をしているAC人格を、
少しづつ捕まえられるようにはなってきましたが、
この癖は、私にべったりと張り付いて一体化していて、
そう簡単に、剥がし落とせるような癖ではないことも確かです。
この癖は、ちょっとの隙に侵入してきて、
巧妙な手をつかって、「・・・・のフリ」をし始めます。
「あっ!! また、やってしまった」 と、後になって気づく今のこの状態。
ここから脱出できるのは、
長年、この「AC癖」にどっぷり侵され、麻痺しまくっている「自分」に
この気持ちの悪い、たちの悪い癖をなんとしても剥ぎ取りたい
!!!
と、この私が勝つことです。
今まで、自分が自分だと思い込んできた「自分」を、切り捨てていく戦いです。
そして、
最近、お店に時々来る、
30代くらいの、ちょっとぽっちゃり系の女性のお客さんがいます。
その女性を見ていて、外見からの不快さはないのに、
私とのちょっとした会話のなかで、その女性の話し方や、声のトーンが、
どこか気持ち悪く、不自然さを感じていました。
何度か観察していて感じた気持ち悪さは、その人らしくない、
変な、不自然な「子供っぽいフリ」をする気持ち悪さでした。
そうして、あらためて、
この自分を客観視して観てみると、
「子供っぽいフリ」をしてしまう私は、いかに気持ちの悪い存在だったのか、
「子供っぽいフリ」をすることで、自分は子供らしいと妄想し始めていく私。
そんなことばかり繰り返してきてしまった私は、
「フリ」をしている自分に、
なんの違和感も不快感も感じられないほど、鈍感になっていました。
自分には「純真な子供」の部分があるのよ・・・
と自分を騙し、自分を慰め、自分に酔っている、
気持ちの悪い、ただのオバサンになっていました。
そして私には、
自分の感情を大げさに出さないと、
感情表現したという満足感が感じられない、という癖があります。
以前に経験した、「満足した記憶」に執着し、
どうしても、つい、大げさにやり過ぎてしまう「癖」、
この癖が中毒になっていました。
(これはあの「カタルシス瞑想」の悪影響がかなりあるように思います)
そして、自分の気が済むような表現(放出)が出来た時には「快」を感じ、
表現(放出)が中途半端で終わってしまうと「不快」感が残ってしまう。
私は無自覚にその「快感」を求め、「やり過ぎ」の中毒にかかっていました。
これは「フリ」を大げさにする癖と同じで、
大きな振れ幅がないと、感情表現しているような気がしないAC人格がいて、
大げさな表現をしている時のACは、とても生き生きとしています。
このAC人格は気分が盛り上がったり、落ち込んだり、
落ち着きのない状態にいることを、
生き生きしていると「勘違い」しているのです。
そして長年、私は、自分の中にある、静かに揺らめいている感情を無視し、
その感情を、とても雑に扱ってきてしまったように感じています。
そして、
私が執拗に取り戻したいと執着している「子供」。
私は何故、それほどまでに「子供のイメージ」に固執するのか ???
子供は純真で無邪気で可愛い。
しかし、それは、大人になるにしたがってなくなっていくもの。
という次元の「思い込み」に縛られ続けていた私。
そして私は、
「子供のようなフリ」をすることで、自分が無くしてしまった無邪気さを、
あたかも自分が取り戻しているかのように妄想していました。
大人になることを、無自覚に嫌悪していた子供の頃の私。
そして、大人になった私は、自分自身に嫌悪感を感じ、
過去の「記憶の中の子供の自分」に戻ろうと、現実逃避し続けてきました。
そしてそれは、このAC人格の思うつぼで、
現実の自分から目をそらすための、巧妙な手段でもありました。
子供だから穢れが無く美しい、だから好き。
大人だから薄汚れていて醜い、だから嫌い、という観念。
子供の頃、私が嫌悪感を抱いていた「大人」。
子供の頃に感じていた、そうなりたくない「大人」になってしまっていた私。
なりたくない「自分」になってしまっていた「自分」を、
どうにかして誤魔化して、直視しないようにと逃げ回っていました。
「子供」・「大人」という観念に自分自身を分断し、
過去と現在、この両極の間を行ったり来たり大きく揺れ動き、
振り回され続け、休みなく忙しく動き続けている私の思考。
そして、
この「思考癖」は感情と同じように、
AC人格が元気づいて、のさばり続けるための、格好の手段になっているのです。
そして、この癖は、
常に私を追い立て、落ち着きのない状態に私を縛り付けているのです。
四六時中、思考、感情、記憶に振り回され続けてきた私。
心身共にぼろぼろに疲れ果て、
硬く歪んでぎこちなく、虚ろで澱んだ、寂しい目をしているのです。
そして、今回、
これまでのこの私には、まったく認識できなかったこと、
*********ということ、
このことが、薄ぼんやりと、
やっと少し、観え始めてきたような気がしています。
以前、崩残さんが桜の間(NO358)で、
「幼児の目」のことを仰っていたことがありました。
>「幼児の目の焦点というものはまだ定まっていないが、
>その眼はこの世界に対する、
>過剰な期待もしておらず、過剰な悲観もしていない。
>注目に値するものしないも判断せずに世界を眺めている、
>そのような、幼児のような目で世界をみればいいのだが、
>大問題なのは、その眼を親が恐怖という焼きごてで潰してしまう事だ。」
私はこの言葉がずっと気になっていました。
頭では理解できるつもりになっているだけで、
自分にはまったく実感のないことでした。
無邪気そうなフリをして、気分を盛り上げ、
幼少の頃の自分に戻ったような妄想に浸っていた私。
しかし、
私が取り戻さなければいけなかったものは、
この「幼児の目」だったんだと、やっと気がつきました。
私が無くしてしまったもの、
それがこの「幼児のような目」だった。
そんな目があったことなど、私はすっかり忘れてしまっていました。
今、私は、
この「幼児のような目」をどうしても、絶対、取り戻したい!!! と思っています。
今回の報告は以上です。
本日は貴重なお時間を、
最後まで読んで下さいまして、本当にありがとうございました。
引き続き、トラウマ掘り、トラウマ癖の洗い出し解除を進めていきます。
桜の間の投稿にもありましたが、
博士くんの仕草、あの表情、あの目、
私もすっかり引き込まれてしまいました。
あれから、何度も拝見しています。
可愛らしさはもちろんなのですが、
それだけではない、私がなくしてしまったもの、
(なんと言ったらよいのか分からないのですが)
分断されていない美しさ・・・・とでもいうような・・
嘘のない可愛さ、そのままを、博士くんが見せてくれているようです。
美女猫お二人、ブリジッド姉御とラインお嬢様も元気そうでなによりです。
■真面目な顔の博士君
(ダンボール箱があると、どうしても入ってしまう猫の習性)
●変顔の博士君
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- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -