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[414]
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★分割自我復元★その414■ 「酒乱の父親」
by:
鈴木崩残
2014/12/27(Sat)11:20:23
トラウマ分析の報告より
もともと、カウンセリングがその初期に、最初に問題視したのは、
アルコール依存症家庭の子供がどう病むか、という事があったと記憶しています。
むろんアルコールなどあろうがなかろうが、毒親は毒親であり続けますが、
前後不覚のまま怒鳴り散らす親というのは、
それだけで一生続くほどの傷を、子供に恐怖を与えてしまいます。
父親に限らず、家族の誰かに対する恐怖から始まった幼少期であったらば、
子供は、その恐怖を「回避するために」どうすればいいかを考え、
結果として、親の命令に従うか、または従うフリをして、
自分の精神的、そして身体的苦痛という被害から自分を守ろうとします。
それが動機となってその後、一生その人を支配する場合には、
初期には、親に従うことで、恐怖を受けないようにし、
成人してからは、立場が逆転すれば、弱い者を軽蔑したり、馬鹿にしたり、
他人を助けるフリをしたりと、その形を変えて、
その「毒親とまったく同じこと」を本人もそうと知らずに始めます。
これがトラウマ→AC人格の流れです。
私は、桜の間では、トラウマ・AC人格の問題という書き方をすることがありますが、
この二つは別のものです。
トラウマはAC人格を作った原因となるものです。
AC人格には必ず原因としてのトラウマがあります。
そういう意味では、厳密には、感染人格というものはないと思っていいです。
基本的には、トラウマを受けなかったら感染はしません。
そして、トラウマになったことを回避するためであるならば、
どんな醜いことも、醜いという自覚もなしに、行うのがAC人格で、
服従の他、攻撃、軽蔑、慇懃無礼、偽善、
無感動、無関心、無気力、
自分の依存行動の言い訳、屁理屈、正義ぶると、
ありとあらゆる、歪んだ人格が個別のケースによって作られてゆきますが、
出来上がるAC人格には、あまり差異がありません。
つまりAC人格には、個性がないのです。
ただしそれが出来上がる原因となるトラウマは人により違います。
さて、それでは、引用させて頂きます。
かなり長い文の中からの抜粋となりますので、
いつものように、プライベートな所は、割愛した部分も多々あります。
*********
崩残様
お世話になっております。
長文の報告になります。
ご苦労とは存じますが、よろしくお願いいたします。
この一か月半の間に書いた日記を読み返しみると、
まだ誇張や無意識な嘘やブレ続ける希望・願望が書かれていて、
自己本来の視点が持てない、復元に対する意志の持ち方も間違っています。
しかし、気づいていながら変えることが出来ない自分がいる。
その自分に対して苛立、自分で責め続けています。
その苦しみの一点に留まろうとしています。
このままだと永遠に同じです。
諦めたくない。絶対に何とかして脱出したい。
中略
しかし、自己信頼の形成がまだ始まったばかりなのに、
早急に結果を求め過ぎてしまい、
これがAC人格に餌を与え続けることになってしまいます。
相変わらず他者からの見え方が気になり、
反動で理想とする自己像を追い求め、
結果、報告文もそうですが自分の人格を捏造してしまいます。
桜の間に掲載されている報告文や、
復元ブログの「これだ」と共感した部分を、
パッチワークの様に張り合わせ、報告文を書き、
分かったふりをしています。
同時に復元実習者の皆さんに対して対抗心を燃やしています。
そこから妄想する理想の自己像に自分を無理に当てはめようとして、
AC人格を新たに作り生かし続けます。
中略
以前は楽しいと感じていた会話が楽しいと感じられない。
この私は、人を見下し中傷しているのに、
その人を心配しているかの様な会話をするのが苦痛になりました。
美味しい食事を友人達や職場の人々と食べ飲み話すことが好きでしたが、
自分と人々の間に広がる空虚な気持ちを、
私も相手もお酒と料理で誤魔化している。
それが気になって楽しむことが難しくなりました。
中略
私は根深い部分で他人を見下している。
私の本心は、知人に対しても職場の人々に対しても同じです。
「問題から逃げずに立ち向かっている俺は偉いだろ。
どうして、俺の行動を理解しないで水を差すのか?
自分達の問題を放置し人任せにする、あなた達の心の中が理解できない。
俺はやれるところまでやる、だが、限界が来たら立ち去る。
そして、俺は誰にも邪魔されず自由に好きなことをやる。」
これが、私の本心です。
中略
暇さえあれば自分を監視してあれやこれやジャッジし考え、
トラウマを掘ろうとして掘れず自責している。
気が付くと、問題点の解消・解決方法を考え続けている。
復元、仕事、未来、過去、
頭の中が不安や不快で一杯になります。
中略
最近まで、
復元が自己の要らぬ経験や知識の影響による思い込みによって、
あらぬ方向に進み混乱を引き起こしていました。
何をどうしていいのか分からなくなって焦り、
自分と云うものが全く捉えられなくなった。
あるのは恐れと不安だけで、
それから逃れたい一心で、トラウマ堀や変化の報告文を書きました。
同時に苦しみを誤魔化す為に根本原因を直視しないで他の事に気をそらせます。
異性や仕事です。しかし、苦しみは軽減されませんでした。
中略
このころ、私の兄弟は、夜尿症で朝度々父や母から怒られ泣いていました。
当人曰く「火を消す夢を見ると必ずおねしょしていた」と云います。
夜尿症は心理的ストレスが原因の一つですから「火を消すこと」の意味は、
恐れから感じる不安や怒りを消すことだと思います。
この時の両親の夫婦仲は、最悪でした。
父は毎晩酒に酔って深夜に帰宅して、
大声で訳の分からない事を言い、
近所迷惑だと母が文句を言うのが日常です。
普段は寝ぼけておぼろげに様子を聞いていますが、
口調が激しいと目が覚めてしまいます。
そのうちに父が寝入り鼾が聞こえてきてホッとしますが、
薄明かりの中、天井板が見え、空虚な感覚がします。
父の機嫌が良い時、寝ている私に近づいてきて酒臭い息を吐きながら、
頬を私の顔にこすり付けて来て「寝てるのか?」と話しかけてきます。
ちくちくする髭と酒臭い息とポマードの匂いが鬱陶しく、
それに普段にない猫なで声が変で嫌だった。
「帰ってこなくていいのに」そう思ったこともあります。
性的虐待に近い心の抵抗感があります。
父は酒で自分を誤魔化していた。
経営者である叔父達に子供の頃から見下され、その悔しさを感じていた。
ですが生きるために屈辱感を押し殺していました。
中略
私の父は、自分を形成する基本部分をないがしろにして、
自分の実力でない隷属している叔父から与えられた影響力や財産や、
他者からの借り物で自己形成し主体性が抜け落ちている。
そのことを自覚して、
それに対する自己嫌悪や自己否定が父にもあったはずです。
自己を捉えきれない、その不安を誤魔化す為に、それら全てを誤魔化すために、
他者から見て、最も安全に感じる「温厚で公平な人物」を演じている。
実は自分が何者か分かっていない、実像として自分を生きていない。
その矛盾、その矛盾を修正したくてもできない。
その苦悩があったはず。
私は中学生になってから、
そうした父の情けない姿を認識して不快に感じていました。
しかし、その父の隷属から逃れられない嫌悪感と劣等感、
その反動としての反抗心から、
実力勝負の仕事に憧れ、現在の仕事に至りました。
中略
その自分に失望し自己否定しながら生きている時に、無明庵と出会います。
この時、これは、本物かもしれない、そう思いました。
崩残先生の書を見て純粋に「いいな」と云う思いと「凄み」と感じ恐れます。
しかし、何かが、変わるかもしれないと直感しました。
翌々年、自我復元が公開されます。
復元にかけるしかない。他に方法など無いではないか。
半信半疑ながら葛藤し復元を行ってきました。
理由は、自分を諦めたくなかったからです。
最後の小さな一点しか残っていない、ギリギリの状態が続いてきました。
話を父に戻します。
父は、偽物の人生を送っている苦悩を誤魔化す為、
酒を飲み自己をぼかし逃れ、
勢いをつけると今度は、親族たちの批判をし、
上司や部下の批判をし、下請けの批判をしていた。
母も一緒になって同調し、批判していた。
両親は、他者に「もっと、分け前を寄こせ」と影で文句を云い、
同時に自分たちの人生が苦痛なのを他人の責任にしたかったのです。
中略
父のいつもの叫び「貴様!」と声が響き、
私はゾッとして縮み上がって布団の中にいます。
平手打ちが飛んでいる。
母の声が、うわずり、すすり泣く声がする。
暫く問答が続き、何度も父の「貴様は!」という声がし、
更に平手打ちの音がします。
遂に母は全面降伏して許しを請い、
「ごめんなさい、許してください、
もう、言いませんから、
だから、もう、しませんから、許してください」
心から絞り出すように哀願していました。
私は布団からその様子を薄っすら見ていた。
直視したとは思えない。
父の冷酷な殺気を持つ目、あの目になったら、もう終わりだ。
何もかも止まる、怖くて何も出来ない、考えられない。
私に対しての怒りだろうが、母に対してだろうが、
誰に向けての怒りなのかは関係ない、自分に向けられたのではなくても、
私の心を一瞬で吹っ飛ばしバラバラにしてしまう。
父の本気「俺様の邪魔をする奴は殺す」という目だ。
自分の女房だろうが子供だろうが関係ない、
手加減なんてない、自分しかない。
それが父の本心です。
この自分の中にもある、父と同じ歪んだ心です。
中略
子供の頃は毎晩、夜中に車が砂利を踏む音がして、
ヘッドライトで窓が染まり、エンジンの音が消え、
玄関のドアが開く音がした。
寝ぼけながら父が「帰って来たんだなぁ」と、思いました。
帰って来て嬉しいと云うより、やはり嫌でした。
じんわり響く不快で、緩やかな拷問の記憶です。
中略
先日、兄弟と食事をしたときに聞いた、父からの暴力の話がありました。
父が車で兄弟を小学校へ送って行っていた時期あり、
その車中で弟は成績の事をとやかく言われ、
その父が兄弟に対するあてつけから算数の問題を出し、
そして、間違うとイライラした父は、ビンタしたそうです。
「車で問題なんか出されても、恐くて何も考えられなかった」と言っていた。
当たり前です。そんな状態でまともに考えられる訳ありません。
ただ、不快を強い者から弱い者へ押し付けただけです。
中略
父親の押し付けのせいで、
思いのまま行動出来ない不自由さ、その我慢を自己憐憫して誤魔化し、
自己犠牲を心地良いもの、自己肯定として捉え認識してしまっています。
人生の色々な局面で何かの問題を乗り越える時に、
自己肯定感を生み出す記憶として、同じ事を繰り返し何度も思い出す様になり、
自己犠牲を自ら強いる様になります。
何かの選択に直面しても自動的に自己犠牲の思考回路になってしまい。
直接的な解決方法をとれがに、他者や自己との闘いを回避するのです。
もっと酷いのは、自己犠牲すると見せかけて兄弟を生贄とし、
両親や友人に差し出し注目を得る。
兄弟もその役柄を演じ、
その代償として、私から必要な援助や助力を得ていたのです。
中略
絶対の安心や信頼とは母親からでないと実感できないのだと思います。
母親から得られない、でも、得たい、安らぎたいと思う気持ちは消えません。
その実感を、私は母にではなく兄弟や他人に求めていた。
その、得られない失望と不満と渇望から、相手や物や事象に求め彷徨いました。
安心や信頼、自己肯定を生み出す感情を、
それを得られそうな相手を見つけると一方的に求めてしまう。
信じようと思い込んで、求め、与えられないと憎み恨んでしまう。
恋愛も、友人も、仕事も、そうでした。
その繰り返しで、絶対に良きものを得ることなど無い。
母から得られなかった安心や信頼は実感がないだけに憧れが強い。
それは、どんなもので、何者で、何だかわからないが、
絶対で、完璧で、永遠である、そう妄想していた。
優しさ、思いやり、誠実、公正、平和、純粋、これらに対する強い憧れ、
精神的な世界に対する憧れは、これが原因です。
中略
私に寄生するAC人格の行動原理。
>>問題から逃げずに立ち向かっている俺は偉いだろ。
>>どうして、俺の行動を理解しないで水を差すのか?
>>自分達の問題を放置し人任せにする、あなた達の心の中が理解できない。
>>俺はやれるところまでやる、だが、限界が来たら立ち去る。
>>そして、俺は誰にも邪魔されず自由に好きなことをやる。
でも、本当は一人が怖い、誰か「助けて」
これが、AC人格が屈折させている、私の本心です。
中略
私は生まれる前から、父と母に見捨てられ、裏切られ、利用されてきました。
そして、自分自身や他者を裏切ることで、生き延びて来ました。
こんな自分を信用できるはずがありませんし、他者を信用することもできません。
それでも、まだ、他者に助けを求めている、私はバカです。
私はバカが嫌いです。
頭がいいとか悪いとかの意味ではありません。
何度も失敗して散々嫌な思いをし、
その過程や結果で他者に迷惑を掛け、
それでも反省なく逃避して、懲りずに同じことをして平然としている。
そして、小さな勝ち負けにこだわり、小さな損得にこだわる。
その結果、人生が上手くいかない事を他人のせいにする、
そういうバカです。
私は、バカを止めます。
まだまだ、自分に納得できない部分が沢山あります。
突然の不安や過度な恐れもあり葛藤しブレます。
自分に納得できるまで、復元と云う私の人格形成は続くと思いました。
一生をかけて、更に、その先も続くのだと思います。
中略
決して、劇的な体験ではないのですが、
自己信頼があるレベルに達した、その実感を持ちました。
まだ、掘るべき要素は沢山あり書きかけで止まっている報告文もあるのですが、
年末年始の休みに向けて一区切り、その気持ちが沸き報告する事に決めました。
判定はお願いしたいと思いますが、***に対する未練が残っています。
まだ、延期すべきだと思います。
長文の報告を読んで頂き感謝します。
ありがとう、ございました。
今年の冬は寒さが厳しく雪国では風雪の被害も出ております。
この冬、先生のお住まいの地域に、
積雪による被害がないことを、お祈りいたします。
敬具
*********
■トラウマの掘り出しに関しては、見ていると次のような種類、
あるいは段階があります。
トラウマを全く見ようともしない者・・・・←論外
トラウマを掘っているフリをする者・・・・←論外
トラウマを掘ろうと決意したが、堀れない人
トラウマを掘り進んでいる途中の人
トラウマ堀りの途中で行き詰った人
トラウマは大部分掘れたが、決定的なものが掘れていない人
かなり掘りつくしたが、まだAC人格が掘っているに過ぎない人
AC人格ではない視点が形成されて、そこから一気に掘り始めた人
掘りつくしたが、AC人格の行動を変更を実現できない人
AC人格に気づき、修正しているかのようなフリをする人
自分のAC人格の言動を一切阻止すると決意した人
AC人格の言動に本当に気づき、現実に、修正をしている人
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