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[466]
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★分割自我復元★その466■自我復元の足を引っ張るもの■
by:
鈴木崩残
2015/06/11(Thu)10:04:00
足りないのではなく余計なものがある
●人間に何かが「足りない」のではなく、ただ「余計なものがある」だけ、
ということは、自我復元以後の無明庵に限らず、
まだインターネットが本格的に始まる前の1995年ごろから、
ずっと一環して言っていることです。
実は自我復元もその原理にのっとっていますが、
唯一、足りないものがあるのが自我率でした。
それは、補充とともに回復することは確かでした。
ただ、問題は、なぜ、停滞する人がいるかです。
●この原因については、これまでも何度か反復してチェックしましたが、
・トラウマの堀りそこね(核心部分でないところを掘っている)
・AC人格の解除で、AC人格に負けて、行き詰る。
このあたりは個別に差があります。
●私が着目しているもののひとつに「その人が執着している価値観」
というものがあることは、かなり前に桜の間に書きました。
つまり何に「毒されているか」です。
また、自我判定の依頼の際にも、どういった本を読み、どういったものに
いままで傾倒してきたか、遍歴してきたかの概要を書いてもらっています。
●そして、観察すると、その中に見えるのは、常にAC人格の挙動と、
それを作り出した親子間の出来事のみです。
そこで、私は以前にも、何人かの復元者の人たちに、
「どうしてその時に、その時期に、そういうものに傾倒したのかを
自己分析してください」と個別に言いました。
そこには、必ず、それらに「飛びつく」理由、背景というものがあり、
そのほとんどは、「毒親」の感染人格によるものだからです。
毒親の感染人格そのままを受け継いだ結果であっても、
毒親に反発しようとした結果であっても、
どちらも「同じく」、本来のその人のものではありません。
価値観の解体のできた人
●私が信用をおかないタイプの人というのは、昔から決まっています。
本当にたくさんの、いろいろな領域、職業、そして特に、
精神世界に携わる、プロの人もそうでない人も含めて、
一番駄目なタイプは「引用」の多い者です。
自分の言葉で語れずに、引用にあけくれる人たち。
学者や僧侶にも多く、また普通の人たちもそうです。
無明庵では、古くから「門前払い」を受けるタイプの人たちです。
「何も引用せずに、あなた自身の言葉で語りなさい」
これが原則ですから、現在のトラウマやAC問題の報告などは、
そのほとんどすべてが、その人自身の言葉で語られています。
私は、こと、精神世界においては、
他者や本の言葉を安直に引用するということを絶対に許しません。
もしも仮に、引用を1したら、9を自分の言葉で語れないような者は論外です。
なぜならば、引用にあけくれるというのは、
私に言わせれば、元来の無垢な精神に対する冒涜だからです。
●しかし、この他者や社会の「価値観」に毒されているという状態は、
かならず、重要な局面においてほど、判断ミスを引き起こすことになります。
そもそも、価値観というのは、現在はまだ達成されていない理想という
妄想をそこに持ち出してくることであり、
そこで起きる多くのことは、自己憐憫または卑下自慢です。
よくあるのが、宗教の世界で、
「私は、***を目指しています。が、まだまだ到底到達できません」
というこれです。
その愚か者たちは、この言い訳を、死ぬまでやっています。
「私は、***を信じています。目指しています。努力しています」
で、最後にくるのが「だから、私はあなたたちと違い、偉いのです。」
口に出さないだけで、これがおろか者たちの本音です。
こういうの、カルトであってもなくても、宗教の世界でも、武術の世界でも、
あるいは政治的思想の世界でも、どこにでも転がっています。
私から見ると、まったくのゴミです。
ゴミをまとった人間。
その人の中から湧き出た香りではなく、カビと雑菌の生えたゴミを
「衣服」と勘違いして、着ているような人たちです。
●しかし、注意が必要なのは、家庭内で、親からそっくり感染した
価値観もあれば、親に逆らおうとした結果、手につかんだ価値観もあるわけですが、
その中には、本当にくだらない、その家庭内の毒親にとってしか
通用しないような価値観もありますし、
多くの場合には、世間体を気にする親が子供におしつけた価値観であるものです。
また、子供時代を終えて、後天的にその人が飛びついた価値観の場合には、
その価値観の社会的、または歴史的な価値そのものがどうこうではなくて、
「なぜ、その価値観に飛びついたのか」ここをもう一度自己分析しないと
問題点が決して見えてきません。
それをしないと、よくあるタイプのカルト信者と同じで、
「私は、歴史的にも偉大な***を信じています。
そんなすばらしいものを信じている私って、すごいでしょ?」
という、「何か盾にして自己主張する」という最低の人間になり下がります。
●この傾向は、現在の自我復元者の中には、ほとんどいないはずなのですが、
実は、まだ過去に信じたり、傾倒したものの価値観に囚われていて、
それ故に、自我復元が停滞したままになっている人が数名います。
耳を澄ませる人とそうでない人
●たとえば、健康についての知識をたんまり仕入れて、
健康によいものに注意し、体に悪いといわれているものを避けている人たち、
こういう人たちはたくさんいます。
そういうことに関する本からの知識だけはその人たちの頭に入っています。
ところが、その人たちは、年中、どこかしら具合が悪いのです。
●これも他者からの価値観をゴミのように着込んでいるせいです。
一方で、知識はそんなにない。ほとんどない。
しかし、自分の体が要求していること、避けたがっていることに、
聞き耳を立てられるタイプの人たちがいます。
直感とかそんな大げさなことではなくて、
じっと、静かに、自分の身体の言い分を聞くことのできる
感覚(正しくは注意力)を持った人です。
こういう人たちは病気はしない、とまではいいませんが、
かなりの確率で、健康状態を上手く維持しています。
どうしても必要な時を除いては、薬や、医師や、
あるいは健康志向の食物や、サプリだのではなくて、
まず「自分の身体の出している信号」をきちんと聞いている人たちです。
●これは身体においてのことですが、
それとまったく同じことが精神についても言えます。
身体の声ではなくて、精神、つまり原主体は、何をしたがっていて、
何を拒否しているのか、これに常に聞き耳を立てられるタイプの人です。
この人たちの判断であれば、私はその人の判断を信頼できますし、
尊重することができますが、
そうではない人の言い分は、どれだけ耳当たりが正当に聞こえても、
私には、まったく無意味なものです。
自我復元者の現状
●十数人ほど、私が注視し、心配もしている人たちがいます。
その人たちは、自我率だけで言えば、90%を超えており、
意識や容器との総合判断で言えば、それよりも低くなりますが、
いずれにしても、自我復元をする前よりも、トラウマ掘るにしても、
AC人格を解除する格闘をするにしても、
復元前よりも、ずっと、ポテンシャルはあるはずです。
にもかかわらず、掘れないとか、解除できない、
というところで、停滞しています。
●また自我復元をやったその結果、本人の自覚症状としては、
だいたい、次のようなものが多いはずです。
1/自分が変わった感じが少ししかしない
2/かなり変わった感じがする。
3/かなり変わったが、本質がまだ同じ感じがする。
******************
具体的に、お名前(ニックネーム)などを挙げてもいいのですが、
人数が少し多いので、ここには書きませんが、
その人たちにもう一度やってほしいのは、
「後天的に飛びついた価値観」の列挙と、その原因分析です。
この価値観というのは、何も大げさな思想や宗教のそれだけではなく、
家庭内で「躾けられたこと」も同じです。
とにかく、何かの言動をするときに、常に無自覚のうちに、
あなたを縛っている「何かの価値観」です。
それが、精神世界のものであれ、家庭内の躾けであれ、
まず、今も、何かをやるとき、考えるとき、
自分の「良し悪し」の判断の元になっているものを、
あなたが、どこから仕入れたり、教え込まれたかということ。
そして、どうして、それを「受け入れた」かです。
その当時の背景、原因をことごとく、分析しつくしてください。
そうしないと、自我復元というものが本来は、
その人の中から湧き上がる主体的な価値観だけしか尊重しないのに対して、
それとはまったく逆行するような、
借り物のゴミを今も着続けている人が多いと私は見ています。
これについては、その育った家庭が、宗教信者であってもそうでなくても、
刷り込まれた価値観の分析と解毒が進んでいる人もいれば、
そうでない人もいます。
ですから、自分に巣食っている「価値観=(善悪の判断スケール)」
というものを、自分で掘って、解体してください。
人は、価値観によって生きるのではないからです。
私が鉄則としていることを、ひとつ、覚えておいてください。
なんならば、これを皆さんの生きる指針にしてもかまいません。
>人間は、考えているだけでは、人間になっていない。
>思考内容が、煩雑であるか単純であるかの違いのみで、
>考えているだけでは、他の生物も、人間も大した違いはない。
>人間は、いくら外から仕入れたものを学んだり、
>また、他者や社会や親から躾けられたりしても、人間にすらなっていない。
>人間は、「なぜ、自分が、そう考えるのか? その理由は何か?」
>という、この「自己凝視」の監視を怠らないときにだけ、人間であり得る。
>何を考えているかという内容が問題なのではなく、
>その思考の発生原因の軌跡を追尾できているかどうかである。
>だから、そのための機会は、生活の中のこの瞬間にいくらでもある。
>どの考えや感情が重要で、どれは取るに足らないなどと、
>内容によって、勝手に、仕分けてはならない。
>どんな種類の思考や感情であっても、自己調査の為の検体になり得る。
>自分を知るために、外から学ぶべきことなど何ひとつもない。
>自分自身の思考と感情だけでも、一生分の宝物がそこにある。
>ただし、自分の思考や感情の原因への監視を怠らなければという条件つきである。
●私は、あれこれと、知ったような事を書くことも多いですが、
私が知っていることというのは、
この地球の人間に「埋め込まれた属性」のいくつかについてのみです。
自分で、人間の中に入ってみて、
思考、感情の反応を見て、快も不快も存分に経験しながら、
若いころから、何よりも、思考、感情、記憶などのその「発生原因」に疑問を持ち、
長い経験と観察から、その発生原因には、
いくつかの外部的な(後天的な)プログラムがかかわっている
ということを知ったのみです。
●ただし、ただ知ったのみでは全く意味がありませんので、
その中から、人間の基本的な尊厳を阻害するもの、
人間に許可されているはずの最低限の快を妨げるものを、
どう除去するか、ということを知ったのみです。
だから、この投稿のタイトルにあるように、人間には、自我率を除いては、
加えるべきものは、実は、ほとんどなく、
「切除」すべき、配線や回路が、たくさんあるのみです。
その切断すべき配線の中には、
トラウマ、AC人格に、からまったままたの「価値観」というものが
必ずあります。
これは、(たいした根拠もないのにもかかわらず、)
生きる意味を自己生産、
つまりは、自己妄想=繰り返し同じことを思考して自己暗示にかける、
という悪癖に加担しているために、
皆さんが「自分で」その仕組みを分析して取り除く必要があります。
本当は、自分がどういう生を望んでいたのか、ということは、
価値観を解体した、その先に自分の足で行って、
ほかの誰でもない、自分の中からの声に耳を澄ませることができるまでは
決してわからないのですから。
今のところ、それができたのは、
マディアさんと、お姫ちゃん。
今まさに、価値観解除と格闘中なのが、Abyさんと、朱いはがねさん。
つまり、自分がどうしてそう考えるのか、
それだけを、とことん、掘っているからです。
●私にとっては、どんな書物より、どんな導師よりも、どんな教えよりも、
自分のこの身体(意識も含む)ほど優秀だった書庫もなく、
有用だった実験の検体もありません。
人は、知識などいうガラクタで武装しなくとも、
身体ひとつだけでも、
十分すぎるほどの経験を、人間として得ることができます。
大げさに言えば、
余計なガラクタ(他人から仕入れたにすぎない知識や言葉や価値観)を
自分の意識の部屋という聖域にさえ持ち込まなければ
たった数回の呼吸をする間の短い時間でさえも、意識さえ研ぎ澄ませれば
おおよそ、人生において経験すべき、すべてのことを経験することが出来る、
という表現も可能なほどです。
自我復元というのは、元来、人が許可されていたはずの範囲の自由性を
もう一度、経験するためのものです。
むろん、肉体に生まれる際の契約上の制限はありますが、
元来は、今よりも十倍以上も、何でも自由にしてよかったのですから。
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