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[527]
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★分割自我復元★その527●【「左馬」】●
by:
鈴木崩残
2015/11/11(Wed)08:41:20
>11/12 5:30 更新
>本文中に少しだけ加筆しましたので、再度お読みください。
『左馬』
●ひさびさの書の注文でしたが、字はシンプルに「馬」。
でも、追加されていた別の文字が、とても面白かったのです。
私は生まれて初めて書きました、この「左馬(ひだりうま)」は。
『馬』
『左馬』
『緑陰』
●次は、少し前の投稿で、
「料理写真」をどうすれば美味しそうに撮影できるかの極意は、
「グラビアアイドル」を見るような気持ちで撮ればいい、
という自分で見つけた奥義を、自分でつかむために、訓練中のもの。
砂手が作った、フィナンシェ。最近、私の好物になっています。
↓
●ところで、あびさんからの、公開はしない、私信の報告を読んで、
ふと私は思った。
「私に託されたこと」は何だったのか?
私自身が契約したことは、
「法改正の案の元となる報告書を書き上げる」
というまるで血のかよわない役人のような仕事が一面にあった反面、
別の側面では、私が人間として経験してきたことは、
どんな事でも遊びに変えてしまうという、楽しさに満ちた人生だった。
しかし、一方で、私が必ず関わることになる人たちには
共通性がある。
そして、それは、たぶん私にしか出来ないことでもあった。
●それは、いろいろな導師たちにも、決して(ほとんど)出来なかったこと。
それは、「地獄にまで堕ちる」ということ。
私が、もしも、助け出さないとならないものがあるとしたら、
それは、紛れもなく、私が何をさしおいても、
これだけは失ってはならないとする、自我または意識であり、
同時にそれは、私自身でもある。
それを見捨てる、あるいはそれが虐待を受けたり、
窒息しそうになっていることを、私は見逃すことは出来ない。
●しかし、それは上から目線で、それについて
わかったような分析をしたり、何かの方法を伝授するとか、
そういう方法では、救い上げることが出来ない。
唯一、それが出来るのは、その人たちのいる
その世界まで、私が落下し、そして、そこから急上昇するということ。
しかしそれをするにあたっては、準備として二つのことが必要だった。
●ひとつは、人間が経験する喜怒哀好楽、それ以外にも、憎悪も恐怖も
まずリハーサルとして短期間に強烈に経験すること。
それが私の、数回の前世のカリキュラムだった。
しかし同時に、地獄に落ちるには、地獄の根幹部分と共鳴するものを
私の中に持つ必要があった。
実際には、それは地獄の根幹部分ではなく、存在の根幹部分なのであるが、
それを持たないかぎりは、普遍的な領域にまでは手が届かない。
私が手を貸したい、あるいは背負って急上昇したい、
ないしは、彼らに飛ぶ力を思い出させる、
そのためには、私が、彼らなど及ばない、もっと下の世界とつながる必要があった。
だから、私は、理性的で、まるで裁判官のような人たちと契約をしたその一方で、
世界を滅ぼすのではないかと思えるほどの、
魔女の権化のような女性原理を内在することになった。
その女性原理というものは、
許容できない他者の苦痛というものに制限がないこと。
ただし、そういう私でも、
いわゆる狂人的な変質者や、薬物やアルコール中毒患者は、お断りである。
私が、「この人には、まだ飛ぶ力がある」、
そう思った人しか、私が関わることは出来ない。
しかしいったん、そうとなったら、その人たちの抱えた
すべての苦痛を、私自身も、自分の現実として追経験できなければならない。
●この共感能力、これを、過去の導師たちはほとんど持っていなかった。
彼らは、自分の次元を下げることなく、ただ説教をこくだけ。
それは、ある前提の下では正しいが、
前提が違うと、「役に立たない正しさ」だ。
だから、私は昔からある、その単純なシステムとはまた違う
別の「単純なシステム」を選び取った。
それは、むろん自分自身の意識の安全圏は確保しての上であるが、
それでも、もっと、地獄に接近すること。
なぜなら、地獄を直視できる「眼」を、
私は、人間になる前の準備期間に、受け取ったからである。
●その人たちが経験しているよりも以上の地獄を直視する眼、
それがあったから、今、こういうことを出来たのだと思う。
つまり、自我復元をしてる人たちと、共に泣き、共に喜ぶということ。
ただし、「余白」「余力」としては、
その人たちすら、決して耐えられない
それ以上の地獄を、まず自分が経験するということ。
●「上下の振幅幅」の違いは、
特に下方への振幅幅が、過去のヘルパーたちとは違う。
それを出来たのは、誰もが嫌がるような、
意識のブラックホールをひとつだけ、ここへ持ち込んだため。
聖人君子的だった過去の人たちの言葉や方法論が
及ぶことの出来なかった領域を、まるごと底上げするには、
それ自身は、そのもっとさらに下方に下降しないとならない。
時には、きわめて「人間的な」導師も何人かはいた。
わずかな、禅師たちのように。
しかしそれでもまだ彼らは、「仏法」にしがみついていた。
私は、外道にまで領域を広げる必要があった。
だから、単に「人間的感情を装備する」だけでは足りなかった。
人間よりも、ずっと以下の世界とも契約する必要があった。
●砂手があるとき、私を夢の中で見たとき、
私は、防護服とか着てではなく、
普通の軽装で、便槽の内部に入って、掃除をしていたという。
汚物を汚物と思わない、その神経を得るには、
もっとひどい汚物を知っているという立脚点にいなければならなかった。
たとえて言うと、
嘔吐物や、排泄物の中にある成分を鼻でかぎ分けるためには、
嘔吐物や、排泄物をかいだだけで、吐いてしまうような臭覚ではなく
もっと強烈な異臭にも、耐えうる臭覚を持っていないと、
その臭気から、内容物の分析が出来ない、というのに似ている。
●だから、私はたびたび、(私に言わせれば)時代遅れのグルたち、
あるいは、次元の存在たちと、対立することにもなった。
実際のところ、いわゆる、精神世界で、
いかにも、正しい、いかにも、人に天国の夢でも見せておく、
いかにも、スピリチュアルな御伽噺、いかにも人々が心地よくなる話や方法。
そういう人たちや、そういうグルたちと、徹底して対立してきた理由は、
その人たちの無能さを、過去に見てきたからだ。
■皆さんも含めて、多くの人たちが誤解している点がある。
それは、たとえば、確かに神秘体験を経た、あるいはある意識状態の中に在る、
そういう人物の近くにいる人や家族は、さぞかし幸せだったり、
そこまでいかなくても、普通よりもマシな心理的状態にあるのだろう、
などと妄想する人たちが、多くいます。
しかしそれは在りえません。ありえないというより、
「相関関係」がないのです。
覚者や賢者ないしは、導師的な人たちで、
彼ら自身は確実に、何かを体験してそれを経た人生を送っていたとしても、
家族は機能不全家族のままであったり、
場合によっては、普通であれば生じないトラウマやAC人格が生じたりと、
当然にそうしたことは、その導師や覚者の状態とは、
「基本的には」なんら関係がない。
だから、私は、そうした人物たちの家族や、伴侶や、周辺人物たちを
観察してみて、機能不全家族のままであったり、AC人格丸出しであったり、
トラウマをかかえたままの人たちを、何例も見てきました。
だから、勘違いを決してしないことです。
個々の問題は、個々に違うものであり、
誰かが中心にいたとしても、その周辺が変容したり、影響を受けるわけではないと。
それを否定できない実例をたくさん知っているではないですか?
とりわけ中でも、中心は本物だった。
しかし周辺はほとんどすべてどうにもならない人たちだらけになった
Osho(ラジニーシ)のサニヤシンたちの馬鹿さ加減を見れば、
それは明らかな証拠です。
だから、その距離がどれほど近くとも、影響はない。
家族や伴侶であっても、自身の問題は、自分自身でどうにかしないとならない。
この個別性、分断、一体ではない、ということこそ、
地球の自我システムの重要なファクターだからです。
●さて、そういうわけで、
そうした分断を、高次的な視点から「壁はない、一体だ」とか、
ぶっこいていても、それは高次の世界での常識にすぎず、
この地球のこの次元での「定常」ではありません。
そこで、私は、別の者たちとも、二重に契約をしたわけです。
その結果として、私は、この生涯のかなりの年数において、
性の問題、それも具体的な指南から、精神性までの全域をカバーする
というテーマにかなり長期にわたって行うことになり、
また、ここ数年、トラウマやAC問題という、
まさに、血みどろで、掃き溜めで、排泄物だらけのような、
「地獄絵」の中を、探ってきました。
どちらも、実は、形而上学的な意味での、「下ネタ」なのです。
でも、私が、かつて人間ではなかった時に、
腕につけていた「三重天秤の腕章」とは、
そういうことの遂行を、意味するのですから。
でも、その作業は、おおむね完了しました。
個々人に対してではないので、
「え、私はまだ、崩残さんから、手を貸してもらっていないよ」
という人も、たくさんいるでしょうし、
せっかくの手を、自分から振り切った人もいるでしょうが、
大丈夫。
何人もの人が、私と共に、まさに「共同」で、道を作ったし、
これからも作る人たちが必ずいるので、
私がたとえ、いなくなっても、
その「通路」は、川の流れに削られる岸辺のように、少しずつ、広くなります。
ただ、今は、そのための、
ものすごい、ガテン系の土木作業をしているので、
だから、
あびさんも、はがねさんも、またマディアさんも、お姫ちゃんも、
基幹房さんも、あんなにも、「強靭」なのです。
自分には、あんな徹底した集中力と探究心は無理だ、
と思うのも無理はありません。
それは、過酷なガテン系の作業なのですから。
一番最初の、この、強固な岩盤に対する掘削作業には、
それに耐えうる作業員が必要なのです。
でも、おそらく、次には、岩盤を破壊した、その土砂を移動させ、
橋や水路を作る、そういう、別の軽作業をする人たちが出てくると思います。
それはまた、ガテン系の人たちには出来ない作業であり、
どの部分も、等しく、全体の一部としての位置を持ちます。
私は生きて、その時代を見ることはありませんが、
きっと、うまくいくと思います。
最初の基礎工事までは、見届けようと思っていたのですが、
たぶん、その基礎工事は、もうかなり上手くいったと思います。
*********
さて、あんまり、こういう、かっこ良さそうな話ばかりしていると、
反吐が出そうな「存在たち」もいるでしょうから、
最高に、かっこ悪い話で、しめくくりましょう。
「宇宙意識の 強迫神経症的 研究」
原始的な状態から文明が進むと
当然にして、病と老は技術的にかなり解決できるようになるものだ。
死というのもスパンが恐ろしく長引くこともあり
非肉体存在状態ともなれば、事故が起きないかぎり分解することはない。
しかしどれだけ進んだ銀河系宇宙にも存在するものがある。
それが精神病だ
どれだけ身体機能を自力的な進化、
または科学技術によって支えていったとしても、
どうしても解決不可能な問題がある。
それは自分の存在意味に生物が疑問を持った場合である。
これを完治する技術的な方法は存在しない。
消極的に緩和する方法ならば二つある。
ひとつは合成幻覚
もう一つは無幻覚
前者の「緩和方法」の一つに
生物が経験した感覚と感情と思考のデータを集めて
のちにそれを合成するというものがあり、
悪く言えば壮大な銀河系の「電子麻薬」である。
後者はいったん意識の構造を初期化してしまう方法。
どちらにしても 存在していると面倒が増えるのが
宇宙という名の監獄なのである。
それをどう神の御技と美化しようが、
面倒が増えるという事実は、創造主自身にも覆しようがない。
時間などないぐらいに、宇宙は歴史が長いだけに、
いろいろな事が起きたし、これからも起きるだろう。
本当に、これは、たわいもない「習性」なのであるが、
死んだ事のない意識は、死を経験してみたくなり、
飢えや苦痛を経験した事のない意識は、それを経験したくなり
悩みなど、一体何の事だか、さっぱり分からない意識は
それを経験したくなり、
かくして「好奇心は身を滅ぼす」結末となる。
だから、 この世界、特に地球のこの次元で
苦しいのは嫌だ、精神的な負担は嫌だ、
死ぬのは嫌だ、老いたり病むのは嫌だと、
そう言っている人たちに、私は言いたい。
「あれを、絶対に経験してみたいんだけど
何か、いい方法ないのかい?」
そう言ったのは「どこの誰なのか?」である。
しかしながら
「苦痛とは何かを経験してみたい」と
そんな望みを「言わせてしまった」最大の原因は、
やはり、多くの生き物たちのせいではない。
被造物となって分離した側は、その意志の断片を持っているので、
本人も、そういう「苦の経験」を、無自覚的に望んでしまっただけである。
という意味においては、まるでそれは、
毒親の人格が子供に感染した、「感染人格」にも酷似しているといえる。
宇宙のあまりの退屈さに、ノイローゼ状態に陥った意識が、
関心のベクトルを動かす方法を求めて、
いささか「でたらめ」に運動してしまった結果が、
現在の、この「壊れた宇宙」である。
むろん、構築に失敗した宇宙と、
構築にさほどの失敗をしなかった宇宙とがある。
ただし前者をこの世と呼び、後者を天国や極楽や、
異世界高次層と呼ぶのではない。
今ここの宇宙のどこの視点や地点からであれ、
そこで観測されるものは、
どのようなものも「構築に失敗」した結果の事象である。
構築に、さほどの失敗をしなかった宇宙は
その構成単位が回転運動をしていない。
そもそも元素も電子もない。螺旋運動もない。
そうした法則性は別の「非事故・宇宙」では存在しない法則である。
そこでは、運動とプロセスというものが存在しない。
上手く構築された「無事な宇宙」とは、
ある視野から見れば、まるで静止画のようだ。
ただ問題なのは、その静止画にネタが尽きると、
画面をめちゃくちゃにしてみたくなる、
(人間感情にたとえると)「衝動のようなもの」が起きる場合がある。
特に「まだ若い宇宙」でこれはよく起きる。
そうした攪拌から、何かの新しいデザインが生まれると思いきや
出来上がるのは決まって、
より愚作であり、よりトラブルの多い宇宙、となるものなのである。
だから、どこの宇宙に行っても、
ひとつだけ覚えておけばいいのです。
何かの拍子に、あるいは誰かと契約して、連れられて、
または、死んで、「別の世界」に行ったら、
運が良ければ多少なりとも、以前よりも楽になる事もあろうが
基本的には全宇宙の生物たちが、(特に思考する生物は)
どこでも、いつでも「頭を抱えている」、それが宇宙なのである。
「一体どうしたらいいんだ?」と
さりとて「みんな悩んで大きくなった」のではないし、
悩めばいいものでもない。
というのも、実際には、
悩みすぎた結果「小さくなった」のであるから。
同じ事を何度も何度も無限に近いほど思考を繰り返した結果、
それが物質になったという知見はある意味で正しいのだろう。
だから心のない人の事を「物のような人」という。
それは、同じ事しか考えない、という意味だ
中でもとりわけ
「そもそも、どうして悩むのか? 」という事、
つまり「思念の起源そのもの」「意識の方向そのものの起源」
について悩み始めた知的生物が
その後に到達する悩みが、この宇宙では、最も深刻な悩みとなる。
単に生存に有利な方法だけを常に思考したり、
単に神秘体験によって、宇宙とひとつになろうとする生物は、
ありあまるほど、どこへ行っても、太古から蔓延しているが、
「疑問それ自体を疑問視」した、その段階からは
規模が一桁違う心理的苦痛を、その意識にもたらすからである。
そういう脅迫神経症的な発症による「各種の運動と化合と反応」が、
幾度も、幾度も、この宇宙では繰り広げられてきた。
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