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★分割自我復元★その530●【「報告より」】●
by:
鈴木崩残
2015/11/16(Mon)09:27:14
報告より
●自我復元者の方からの報告となります。
崩残さま
いつもお世話になっています。
ご無沙汰してしまいましたが、
途中経過を報告させていただきたいと思います。
前回までの報告と関連していることが多いです。
よろしくお願いいたします。
●「自分に一番近いところを探して休む」は9月の下旬から始めました。
最近までそこは、両目の奥の少し左にずれたところにありました。
私は目も手足も左利きなので、
そういう意識が「自分に一番近いところ」を左側に引きずっているのかな、
と考えていましたが、
一週間程前から、「一番近いところ」は
やはり両目の奥の中心にあると感じるようになりました。
「中心で休む」をやるようになったことが原因で、
いくつかの変化があったのかも知れませんが、明白ではありません。
・中略
幼い頃から十数年叔父と一緒に暮らしていた私は何なんだ?
十年以上前だったが、偶然叔父に会った事がある。
私は恐ろしさのあまり酷く動揺して心臓が高鳴り、実際半べそをかいていた。
そんなに叔父を恐れていた私は、
隣り合わせでご飯を食べ、ひとつ屋根の下で暮らしていくために
いったい何をしたのか?
邪魔にならないよう気配を消して、
何があっても叔父を怒らせたり神経を逆なでしたりしない。
だが、それだけではまだ不十分だ。
もっと安全な立場を確実にしなければならない。
私は、叔父の心にできたちょっとした隙をついて
タイミングよく笑ってみせたりした。
そういう時は叔父も機嫌が良かった。
好意を示して笑ってみせることで私は叔父の懐に入り込んだ。
叔父の一部になろうとしたのだ。
叔父の一部になって、叔父の大事なものになれば
そうすれば自分は攻撃されないという、無意識的な計算をしたのだ。
叔父のことを思う時、祖母に対するような憎しみが湧いてこず
身震いするような気持ち悪さがあるのは、
こうやって自分から進んで叔父に擦り寄って、
叔父と同化しようとしたからだ。
母は、か弱さによって他者からの攻撃をかわす人格は纏っていたが、
笑顔を使って相手の懐に入り込み、安心しようなどという人格は
確かに持っていなかったと思う。
これは叔父との関係の中で、私が生み出した人格だ。
この人格は、いつも自分から擦り寄って、誰かの心の中に住もうとしていた。
友達や学校の先生や、会社の社員たち、
私に敵がいなかったのは、そのためだ。
或いはそんな人間は相手にされなかったからだ。
まともな人は、こんな媚び方をする人間に
近づきたくはないだろう。
そしてもっと突き詰めれば、
叔父の大切なものになることで、自分の身を守る、と言ったけれど
それは少し違っていると思う。
叔父と同居する前からずっと、
誰かの大切な存在になって大事にされたい、と思っていたんだ。
誰かの、ではなく、母の大切なものになって
母親の懐で安心したかった。
大切にされているという実感が欲しかった。
その欲求が、叔父への恐怖心の中に紛れ込んで、
叔父を母の代替物にして願望を叶えようとしたのだ。
●この数ヶ月の間、感じていること。
自分の中に生命力なのか、命なのか、
それをなんと言うのか分からないのだが、
止むことなく何かが湧き続けている。
歌を習いたいと思ったころから、そうだったのかも知れないが
その時はまだ気づいていなかった。
何か、湧き出している。
しばらく様子を見ていたが、それは変わらなかった。
私はセックスが大嫌いだった。
嫌いというか、ぞっとするほど気持ちの悪いことだった。
だからいつも必死で目を逸らして自分をごまかし続けてきた。
でも震災をきっかけに我慢がきかなくなり、拒絶するようになった。
セックスが他者との深い共鳴であるなら、
私にとってこれ程気持ちの悪いものはなかったと思う。
そのはずだったのだけれど、
この何ヶ月かの間に、少しずつだと思うのだが、変わった。
セックスしたい、と思うようになった。
まだ共鳴とは言えなかったけれど、
それはぞっとするような気持ちの悪いものではなく
むしろ気持ちの良いものだった。
自我復元をしていて
過去の延長線上にない、こういう一見脈絡のない変化や、
着目していなかったところに変化が起きることを不思議に思う。
それは当然と言えば当然なのかも知れないけれど、
私はかつて変化などしたことがなかったから。
●好きなこと、やりたいことをしようとすると
大体において、不安や恐怖がつきまとってくる。
歌を歌うこともそうだ。
先生の前で緊張する、というだけではなく
一人で練習しているときも、不安で怖くて
うずくまってしまうことがあった。
崩残さんがアドバイスしてくださったように
自分の全部をそこに注ぎ込むような気持ちでやろうとすると、
どうしてか泣けてきて、仕方がなくなってしまうのだ。
また、朝などに不安が強い。
起きたときや、駅に向って歩いているとき。
初めての朝、知らない一日が始まる不安。
私は昨日までの感覚を取り戻して不安を埋めようとしている。
こういう不安は、子どもの頃、海で溺れかけた時と似ていると思った。
小学生の時、どんどん沖の方へ流されて、足がつかなくなって溺れかけた。
近くにいた姉が助けにきてくれたが、一緒に溺れて
姉が傍にいた大人に「助けて!」と叫んだので助かった。
もし姉がいなかったら
「助けて」と人に言えない私は、たった一人で沖に流されていたのだろう。
あの時、誰にも知られずに沖に流されていくことを考え
酷く不安で心細くて、怖かった。
あの時の感じ。
だけど今は、なんとかして、その沖へ出て行きたいと思っている。
●歌の教室は続けている。
二人きりになることが怖くて、いずれ居た堪れなくなって
行けなくなると思っていた。いつもそうだったからだ。
だけどそんなことにはならなかった。
先生が丁寧に生徒の心の動きを見ているにも関わらず、
ご自身はそれに影響されない人だという点も大きかったと思う。
音程もリズム感も悪くないのに、そこから先が一向に進歩しなかった。
私はすごく声が小さくて、まるでささやくようにしか、歌えないのだ。
いくら練習しても全く変わらなく、先生も考えあぐねていた。
自分では理由が分かっていた。
ひっそりと隠れていたい人間が大声を出せる訳がない。
先生には、
簡単に、子どもの頃から、大きな声を出す環境になかったこと、
それは悪いこととして躾けられたので、
なかなか声をだせないということを伝えた。
そして私から提案して、練習方法を変えてみた。
音程とか表現力とかほとんど無視して、
とにかく大きな声で歌うことを第一に練習すること。
先生も賛成した。
技術的なことは後からいくらでも変えられるから
そうしてみようということだった。
大きな声で歌おうとすると動揺して、
やっぱり泣けてくるのだが、練習はしていた。
歌を歌うということは、酷く不安を伴うことだったけれど、
それとともにある時から、
とても大切で、感動的だと思うようになっていった。
最近気付いたのだが、一人で練習している時だけれど、
歌うときの不安感が、何か今までと違う気がする。
今日、一人で練習しに行って、どういう事なのか確認してみた。
不安を振り切ることにエネルギーを消耗してばかりいたのに、
「自分にとって、これはとっても大切なものだ」と思うと、
それに促されて、エネルギーが「自分のすべてをそこに注ぎ込む」ことに、
集中して向けられていった。
やろうとしても出来なかったことで、
本当に、それは、感動だった。
●まだ自分に隠し事をしている。
人と目を合わせることが怖いのは、
いったい何に恐怖を抱いているからなのか、
はっきりと体感しなければならなかった。
仕事をしていれば一日に何十回となく人と視線を合わせるが、
その度に裏路地に逃げ込むように、おろおろ逃げ回っていた。
恐怖の正体を見ようと、そこに留まろうとするけれど、
どうしても捉えることが出来なかった。
恐怖は幾つかの種類が絡み合っているように思える。
その一つが、あるときふと浮上してきた。
どんよりと濁った暗い目で人を見ている自分を見出した。
恐ろしく人を突き放した冷酷な目でもあった。
それはまるで怨霊だ。
私が恐れているのは、怨霊のような自分を見出すこと、
そしてそういう自分を人に知られることだ。
だけどこの怨みがどこに向かっているのか、自分に隠している。
過去を掘りながら、ずっと探しているにもかかわらず
まだ捉えられていないものがある。
母への憎しみだ。
こんな怨霊のような怨み、憎しみが他人に向くはずがない。
私は、祖母を嫌いだった、と言うことができる。
私が怖い思いをしていた時、助けてくれなかった。
だから憎んでいる。
それは真っ直ぐ祖母に向かっている恨み、憎しみだ。
もっと分かりにくい、迷路のような感情、
そういうものを抱かせられるのは、母親しかいないと思う。
しかし私は未だに母を憎んでいる、とか恨んでいるという感情がない。
ただ母との間に気持ち悪さを感じている、としか言えない。
いくら日記に母を恨んでいるかのような文章を書いてみても
実感として思っていないのだから、空々しい文章になる。
11/7の桜の間に、黒九さんにあてた
「…両親をもう一度、ずたずたにするまで、掘る…」
という言葉があった。
私はまだ、ずたずたにするまで掘っていない。まだ逃げ回っている。
今まで過去を掘りながら、
「今、母が生きていたら、本当に切り裂くように、
母との関係を断ち切ることができるか」
と問うことがよくあった。
答えはいつも「出来ない」だった。
私は母に刃を向けることができなかった。
だから母が既に死んでいて良かった、と思う事もあった。
ある部分で、母は私にとって小さな子どもだった。
小さい時に体にも心にも深い傷を負って、
ずっと怯えながら暮らしている、小さくて、寂しい、可哀想な子どもだった。
どうしてそんな子を恨んだり、憎んだり、文句を言ったりできるんだろう。
「自分と同じようになって。そして一緒にいて欲しい。」
とその子が言ったとしても、誰が責められるんだろう。
だから私はずっと母と一緒にいた。
だけど、今の私はそれを許さないのだ。
その子と一緒にいることが重くて、
もう解放されたいと思っているのだ。
だから母に突きつけなきゃいけない言葉があった。
「お母さん、私が小さい時から、
何かしようとすると罪悪感を抱かせたよね。
心から湧き上がる感情、思いのままに何かをすること、
それを、みんな、いけない事のように思わせたよね。
だから好きな事をしようとする時、
それは私にとって、とっても大切な、感動的なことなのに、
それをしようとすると、今でもこんなに苦しいよ。」
・・・「私は苦しい」
この言葉を書くのは初めてだと思う。
運動していて「あー苦しい」とか冗談で「くるしい」とか
「重苦しい」と表現することはあっても
報告文だけでなく、外側に向けて「私は苦しい」と表現したのは、
恐らく、生まれて初めてだと思う。
それは(自分にとって)絶対言ってはならない言葉だった。
以前から、
「自分のような居てはいけない人間が、この世界に居させて貰っているのに、
その上苦しいなどと、おこがましい」、
と思っているところまでは分かっていた。
でも、そう思うようになった前段階として、
母の中の女の子が、それを望んでいたのだ。
私がこの状況を苦しいと言ってしまったら、お母さんはどうなる?
お母さんの中の小さな女の子は永久に、
たった一人で、寂しさの中に閉ざされたままになる。
だから女の子と同じように、居てはいけない自分で在り続けた。
これからも、この可哀想な女の子と一緒に居る・・・?
その子は今どこにいるのだろう?
母はもういない。
その子は私の中にいる。
私は、その子の望み通り、その子のようになって
怯え、隠れ、しょんぼりしながらその子と生きてきた。
そこから動けないように、自分に足枷をして。
本当だったら、これから先もずっとそのままのはずだった。
それなのに、変だな。
今ならその子にこう言うことができる。
「一緒に歌を歌わない?
それはとっても感動的で楽しいことなんだよ。」
○この半年でいくつかの変化がありました。
その変化に気がつく時、
職場や電車で、泣けてきて困ったこともありました。
ですが私の中には依然として、恐怖心や人への冷酷さがあります。
掘り起こしていないものがまだ沢山あります。
引き続き掘り進めて行きたいと思います。
読んでいただいてありがとうございました。
_______
●大きな一歩だと思います。
前進の一歩でもあり、言い換えると、自分に戻る逆行の一歩です。
横暴で乱暴な、叔父、そして怯えた母、そして子供であるこの方へ、
家庭内の恐怖統制が、連鎖しています。
しかし、この人は、きっとその代々の連鎖を断ち切れます。
●自我復元を始めたばかりの人にはお勧めはしませんが、
トラウマ掘りに、かなりの力を使ってきた人たちは、
ぜひ、「中心で休む技法」を取り入れてみてください。
これは本当にタイミングが難しいのですが、
個別に、私が「今です」と言えるのは、
頻繁な報告のやりとりのある人だけです。
それ以外の人は、ご自分で判断してください。
ただし、必ずそれは、問題意識の強さと連動、比例します。
それだけは確かです。
受身で効果を眺めているような、そんな技法ではないのです。
そんなやり方は、この技法に対して、失礼です。
この技法を、今こそ使うと良いと私が思える人は、実はたくさんいます。
最近、報告のない人でもたくさんいます。
少し前に、この掲示板で、私が個別にコメントをした人は
全員がそうです。
だから、あれを、突破口にしてください。
■なぜ、ある程度、きちんと真剣に、トラウマを掘っておかないと
「中心を探り、中心で休む」技法が効果が全くないのか、
説明しておきます。
中心のある場所とは、
あなたのAC人格という、「ごみ屋敷」の中心です。
そのゴミ屋敷の外に、あなたは、立っているのですから、
意を決して、家族や自分が溜め込んだ、腐ったゴミの中、
つまり、自分のそのゴミ屋敷の中へと戻らないとなりません。
今までは、部屋の中にゴミを溜めては、それに追い出されるように、
あなた自身が、家の外の、敷地内の庭あたりを、うろうろしていただけです。
そうやって、ゴミを見てみぬふりをして、
通りすがる、近所の人に、愛想笑いをしていたようなものです。
■しかし、戻る場所は、まずゴミ屋敷の中です。
入り口の玄関にあるゴミを、
まず整理して横へどけるぐらいのことはしなければなりません。
そうやって、少しずつ、ゴミをまとめて、整理し、
自分の部屋の中へ戻る「通路」を作らないとなりません。
その通路すらも、ゴミで埋まっているのが、
トラウマ掘りを、全然しない人です。
または、玄関のゴミを少し横へどけたぐらいで、掘ったと思い込んでいる人です。
■しかし、見てみるといいです。
これまでのたくさんのブログの記述、そして「いらない親」の事例を。
玄関どころか、廊下も、各部屋も、全部、
生ゴミが腐り、不燃ゴミが散乱していたのです。
その事実を直視して、片付けるように掘っていった人たち、
そして、今も、掘っている人がたくさんいます。
中心を見出すという、その工程は、
何も、いきなり、お綺麗な「別世界」に行くのではありません。
自分でやってしまったこと、
自分が、溜め込んでしまったゴミ、
親が押し付けたゴミ、いろいろなもので、吐き溜めのようになったその部屋を、
自分で自分のゴミに鼻をつまみながら、
手をどろどろにしながら、掘っていった人たちがいます。
その人たちこそが、今、より完成された全自我を生きているのです。
全然、綺麗でもなく、無事でもなく、何かの魔術ごっこをしているような、
かっこいい作業でも、全くありません。
ただただ、そんなゴミは、もう見たくない、
そんな人格のゴミ屋敷には、「住んでいたくない」と決意した人は、
必死に、ゴミを片付けるだけです。
どこかの別の家へ逃げるのではなく、
そのゴミ屋敷を片付けるのみです。
その人たちが到達するのは、
そのまさに、ゴミ屋敷の中心の部屋です。
そのためには、ゴミを、片付けて、処分し、燃やすという、
この作業を、避けては通れないのです。
私はずっと前に、このことを動画にもしたはずです(文末にリンクしました)。
論理的に言ったり、チャクラの通過方法の問題を出したりしましたが、
しかし、そういう言い方をすると、
ただ、それを聴いただけで分かったような顔をするのがAC人格です。
時間的に、そこに戻るのに、
もしも、ゴミだらけの障害物があったら、
あなたの妄想や、予定調和的な想像などではない、
「本当の過去生の一端」など、分かるわけがないのです。
■2012年6月の解説です。
ただし注意点があります。
この動画の最後の方で、私は「トラウマ」と「AC人格」を
分離させていますが、もはや、今となっては「同じ」です。
トラウマこそがAC人格を生み出すのですから、
別のものではなく、明確に因果関係の中にあります。
トラウマがなくて生ずるAC人格など有り得ません。
そこが、この当事と今の変更点です。
↓
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