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★分割自我復元★その531●【「服や異性の好み」】●
by:
鈴木崩残
2015/11/16(Mon)17:28:35
服や異性の好み
●ちょうど、「朱いはがね」さんが、
AC人格に汚染されていない心で、自分の好きな服を見つけた、
という記事がありましたので、
私なりの「服」についての見解を少しだけですが、書いておきます。
*********
女性も男性も、おしゃれというのは、
突き詰めれば、
他者とでもなく自分の付き合ううちに、
自分らしく在ることの結果として、
「常に自分らしく在れるスタイル」に結実するものだ。
それには、何十年もの歳月がかかる。
流行や、写真を参考にするのはいいが、
それを追っていては論外の他者承認なのである。
しかし流行を、はなから小ばかにして、逆らうのも同様に他者承認である。
ところで、
この地球の、食文化(食材、調理法、固有の味覚の出来上がる背景)については、
特に、近代の料理人たちの、その探究心を幾度も絶賛してきたが、
実は衣服というものにもそれがある。
ファッションというと、特に精神世界にかぶれている人は、
人間の本質と比較したら、どうでもいい、くだらない道楽と思い込む人たちがいる。
しかしファッションとは第二の身体でもある側面があるのである。
にも関わらず、自分の着ている服装にこだわりを持った人が、
私と会ったことは、ほとんどなかった。
実に、困ったものである。
全く花がない。どんよりとして、神経が行き届いていない。
つまり、「毒親の思想を着せられている人」ばかりだった。
(女性では、比較的少なかったが、男性は、ほぼ全滅であった)
また、客観的に見れば、ちっとも本人の内面と調和しておらず、
「全く似合っていないような衣服」を、変な考えに固執して着ている男性もいた。
しかし、何かを着る事で、
自分の本当の個性を誤魔化したり、逆に個性を偽装するのではない方法がある。
多くの人の意識の中には、
その人が本当に着たいものの「原風景」というものがある。
その原風景の中にある自分の着たい服の形というのは、
おうおうにしてどこかの過去の生で馴染みの深かったものであることが多い。
実は、ほとんどの人がそうなのだが、それを見つけていない。
また、見つけても、社会的な立場上、普段は、そういう格好を出来ないともいえるが、
だったら、休日に着ればいいだけである。
*********
「こだわり」という言葉を使うと、人は悪く思わない癖を持つ。
ところが「執着」という言葉を使うと、それを悪いものだと思う癖を持つ。
特にカルト信者などは、顕著である。
しかしこの両者は、言い方の違いがあるだけで全く「同一」である。
地球で起きたことのひとつは、
このこだわり=執着=集中力である。
これを発生出来たのは、知覚が極度に「閉じた」からだ(おかげだ)。
もしも他の天体や次元の者たちから見れば、
なんという瑣末ことに気を使っているのだ、と思われることばかりかもしれないし、
そうではないかもしれないが。
しかし、江戸の職人はそこにこだわり、
女性たちは小さなアクセサリーにこだわり、
音楽家は、わずか数デシベルのミキシングにこだわり、
PCですらデザインにこだわり、
見渡せば、おおよそすべてのものには、
「何かに徹底して執着した痕跡」があるのだ。
「良くも悪くも」、「執着している」という意味においては、
戦争屋は人殺しの効率にこだわりを持ち、
詐欺師らは手口の巧妙さと収益の多さにこだわり、
支配欲や恐怖や劣等感を動機とすると、
彼らは異様なまでの集中力を見せるのはご存知の通りである。
だが、同じその細分化した「偏執狂的な」集中力が、
一方では、文化と呼ばれるものすら生み出したと言える。
それが別の視点から見ると、どう見えるかは、また別問題として。
*********
自分個人や、集団的社会の「こだわり=執着=集中」が、
「何」に固定されていたり、向かっているのか?
それを「関心地図」として、自分の内部で精査することで、
結局のところ、その動機としているものを観察すると、
その多くは「不満と不足感」から発生している。
つまり、何を足りないと感じるか、
そこに個性も出るが、また「病」もそこに出るのである。
*********+++++++++*********
●少し別の「好み」の話題ですが、
ここのところ、あびさんの、「女性の好み」「好む女性」について
突っ込んだ、やりとりをしました。
大変に興味深い内容なのですが、対外的に出すものではありません。
●では、私自身は、となると、
それは「性の奥義書のシリーズ」の3つの著作にも書いた部分もありますが、
書いていなかったものもいくつかあります。
私は、中学校3年ぐらいまで、「金髪萌え」しかしませんでした。
東洋人には一切興味がなく、自慰の対象とする写真もすべて主に、金髪女性でした。
●なぜ中学三年までそうだったのか?
それについては、
「4歳からの子供の時に、西洋人ばかりの国に2年ほどいた」
だから、それらよる、幼少期の記憶からだろう、
という程度にしか、私は思っていませんでした。
しかし、私がアメリカでキスをした、小学校の先生は、
日系の二世でした。金髪ではありません。
それに、別に、テレビで金髪女性に恋心を抱いた覚えもないですし、
同級生や、近所の金髪の女の子(5〜6歳)を好きになった覚えもありません。
また年上の金髪女性にも、特に恋心を寄せた覚えもありません。
●父親の趣味でもありませんし、母親の趣味でもありません。
日本人の持つ西洋人コンプレックスの仕業でもありません。
前にも言いましたが、私の母は、アメリカ人からさえも、
日本人には見られませんでしたから。
パーティーなどで、着物を着ていないかぎりは、
「アーユー スパニッシュ?」とばかり質問されたそうです。
●なのに、なぜ、中学三年までは、東洋人が一切駄目で、
中学3年生までは、金髪女性にしか、勃起すらしなかったのか?
そう思うと不思議でした。
ところが、非常によく出来ていたのは、
高校生になると、私は、あるハーフの女の子に熱を上げました。
どうしてか分からないのですが、とにかく自分のツボにハマったのです。
手紙を少しだけやりとりしましたが、相手は英語しか分からなかったので、
それっきりになりました。
むちゃくちゃ、可愛いので、当時の写真を出したいところですが、
プライバシーにかかわるので出せません。
お父さんは、日本の米軍基地の空軍兵、母親は日本人のハーフでした。
別にヌードモデルではなくて、普通のいわば、ちょっとしたモデルさんです。
●それで、そのハーフの女の子に熱を上げたのが高校生の前半で、
そこから、徐々に私は、日本人の女性あるいは、
日本人の女性のヌード写真でも、見られるようになったのです。
そして短大に入ったころには、私の中から、
金髪女性オンリーのプログラムは、完全に抜けていました。
短大からは、普通に同じ日本人女性に、片思いをたくさんしました。
つまり、日本人の女性というものに、
自分の関心のシステムが適応するまで、3年がかかっていました。
*********
そういうわけで、どうして、金髪女性にしか、興味を持てず、
しかも、性的な魅力も、東洋人に全く反応しなかったのかは、
幼少期をいくら探っても分かりませんでした。
それぐらい、それは徹底していたのです。
綺麗な女性なら、西洋人も東洋人も関係ないといったものではなくて、
徹底して、金髪女性だけなのでした。
そういえば、大人の日本人男性だと、
逆に、欧米人にはまったく性的な魅力を感じず、
日本人のみという人も多いと思います。それは分かる気がします。
●それで、あらためて、あまりにも、ある一定期間だけそうだったので、
不思議に思って、観察してみたところ、原因がほぼ特定できました。
その原因は、この生の幼少期ではありませんでした。
正確に言うと、
それは身体の性的な結合願望ではありませんでした。
●「虹のオーガズム」や「性恋愛教本」で詳しく書きましたが、
異性同士というものは、身体に縦にならぶ複数の中枢、ならびに、
手足の接触というものの組み合わせがあり、
どこと、どことが接触するか、
または「どこを接触させたいのか」によって、
それを性的な結合と混同して「誤認」することがあるということです。
つまり、私は金髪女性を見てしか、自慰が出来なかったのですが、
これは、単なる「スイッチ」としての金髪女性にすぎず、
実は、当事、金髪の女性と交わりたかったのは、
私の生殖器ではなく、「頭部」でした。
つまり、私の頭の中枢は、日本人の女性に全く興味がないのです。
そして「喉と胸」あたりを、どういう異性と結合ないしは融合したいか
となると、それが、東洋人と西洋人との、ハーフの人なのです。
そして、もっと下降して、
胸あたりから、腹部、そして生殖器を結合となると、
そこは、同一の民族のほうがいい、ということになっていたのです。
それぞれの中枢は、異なる民族と融合しようとする、
個別の衝動を持っていたわけです。
だから、たぶん、
ある種のハーフの人とは、私はハグするだけで十分なのだと思います。
また、ある種の金髪女性とは、笑って、にっこり笑顔をかわして、
その上、もしもキスでもしたら、それで、もう十分なのだろうと思います。
一方で、より下降した中枢は、知性や精神性よりも、
肉体的な刺激を欲しますので、結果として、私が性的な関係を含めて
お付き合いした女性たちは、すべて、日本人でした。
ただし、その中でも面白かったのは、
たとえば、ブリティシュな趣味のある女性とは、
つまり内面的にどこかしら日本人臭くなかった人とは、セックスはほとんどせず、
終始、頭を使うような会話ばかりをして楽しみ、半同居をしていました。
逆により日本的な精神状態の女性(顔立ちではなく性質の女性)とは、
やたらにセックスを楽しんだという結果となりました。
それで結局は、
いくつかのポイントを通過して、日本に生まれるまでの間に、
途中で経験した人間の記憶の中に、西洋人としてのそれがあったようです。
まー、西洋人という括り方も、あまりにも乱暴すぎますね。
どこ系の民族か?ということになります。
そして、それは、享楽的な快楽の経験(だけ)ではなく、
かなりメンタルなものが、その本質の中心にあったようです。
だから、私のセックス論、または技法というのは、
具体的な方法の教授でありつつ、どうしても、
「それ以上の要素」を、その中に持ち込もうとする癖があります。
*********
「その他の、気ままな、お話」 人生回想録・
ところで、その、「3年B組 金髪先生」が、たくさんいた、
1960年代前半の「北米の西海岸」というのは、
そんなに多くの日本人がいたわけではなかった。
小学校の全校生徒数百人のうち、
東洋人は私と中国人のたった二人だけだった。
戦後まだ15年と少しほどであったのに幸いに、
ジャップとも、カミカゼとも、パールハーバーとも、
揶揄されなかったのは良かったことです。
当たり前である。
子供同士の間には、民族差別など一切ないのだから。
そういうのは大人のルールが持ちこまれた時だけです。
●ところで、子供は言葉を覚えるのが早いとは言うものの
英語の日常会話が、なんとか話せるまで、それでも1年半がかかった。
しかし日本を、こてんぱんにした合衆国の国歌は、
毎朝、胸に手を当てて、歌わさせられたのに、当時も全く覚えられなかった。
●言語といえば、
もしも今回、私が、異なる人生の人の肉体を選んでいたら、
たぶん現国の教師になっていたかもしれない。むろん日本語である。
テストは最低限の漢字の書き取り以外は、くだらない授業は一切したくない。
それよりも確実に異性を落とせるラブレターの書き方を、
生徒たちに教えたいね。
あとは日常使っている言葉の「面白さ」
面白いダジャレを書いたら、満点にしてやるとか、そんなテストだね。
それに、面白い話の作文。
作文が苦手な生徒には、言葉をつかって、
その子が出来る最大限の、遊びをみつけてあげること。
また、言葉によって人間の思考がどう影響されるとかを、
実体験をさせてあげて、分かりやすくする、面白い授業。
文科省の指導の下じゃー、絶対に無理だね
ちなみに、前述のものは、主に小学生向けの授業かな。
ラブレターの書き方は中学ぐらいからがいい。
で、高校生ぐらいになったら、
上手いこと、親や学校の責めから、「逃げ切る為の謝罪文」の書き方とか、
裁判所に出した際に、
裁判官を、いかにして泣かせるか、という、
妙に血の通った「訴状の書き方」とかだな。
これは、実際に、役に立つ。
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