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[532]
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★分割自我復元★その532●【「自我復元の中間報告より」】●
by:
鈴木崩残
2015/11/17(Tue)06:11:38
報告より抜粋
今回は報告と、あとは、少しだけ文末にコメントします。
*********
崩残様、
中間報告です。
幼少期の「イヤだったこと」の再掘削と「妄想」について
◎「人間不信が生まれた日」
今まで報告してきたように、
私の人間不信は、母親や教師たちによって育てあげられた。
それは小学低学年期の記憶が多い。
でも、すでにその頃の私は、
他者とのコミュニケーションが途切れ気味だった。
だからもう一度記憶を辿ってみた。
ほとんど記憶が残っていない幼稚園へ。
幼稚園初日、僕はそこへ行くのがイヤでしょうがなかった。
イヤだということを全身で叫んでいた。
「イヤだ、イヤだ、イヤだ!」
泣き声と言葉と全身で抵抗した。
僕の両腕は左右から持ち上げられ、
両足で抵抗するも地面に足が届かない。
両腕を持ち上げているのは母親と祖母(父方)だった。
おばあちゃんは家族の中で僕が一番安心できる人だった。
なのにどうしてそこにおばあちゃんがいるんだ?
どうしておばあちゃんがこんな事をするんだ?
僕が一番信頼して大好きなおばあちゃんがなんでこんな事するんだ?
幼稚園の教室に放り込まれた僕は必死で鍵を開けて外に出ようとしている。
その鍵は引き戸の穴にクルクルとねじ込むだけの簡単なものだ。
でも僕はそれさえも開け方が分からず泣きながら鍵をいじっている。
私の記憶ではそれを3日間続けている。
実際は1日だったかもしれないし、2日間だったかもしれない。
その後は幼稚園に通う事が出来たようだが、
そこでは僕には友達ができなかった。
あの頃、遊び友達は近所の一人の男の子だけ。
幼稚園内では友達はいなかった。
この事は数か月前に母親に確認している。
この頃から人間不信が出来上がってしまったようだ。
その日のおばあちゃんは僕が知っているおばあちゃんじゃなかった。
大好きで甘えられる祖母による幼稚園への強制連行。
信頼が崩れた日だった。
母親ばかりに焦点を当てていたから、
この出来事もイヤなことの一つに過ぎなかった。
もう一度掘り直したことで傷付いた心は祖母の存在を確認できた。
人間不信が始まった大きな出来事だった。
◎「習い事」
小学生の頃、数々の習い事を強要されたが中でも一番イヤだったものは「剣道」だった。
その他の習い事はまだ逃げ道があった。
学習塾では勉強はついて行くのが精一杯だが、やってるフリはできた。
友達ができれば勉強ばかりが目的ではなくなった。
剣道は小学2年生の僕には拷問だった。
逃げ場がないのだ。
準備運動のうさぎ跳び、腕立て伏せ、腹筋運動、これだけでギブアップだった。
いや、最初のうさぎ跳びでもう、逃げ出したかった。
道場半周もするとキツくて立ち止まってしまうけど、
その途端にくるぶしを木剣でぶったたかれた。
痛すぎる。
師範のクソじじいだ。
休む事も出来ず、逃げることも出来なかった。
僕は時間が来るまで耐えた。
耐えたのではなく時間が過ぎ去ってくれた。
この頃は気が弱く、うめき声さえ出せなかった。
このクソじじいを木剣でボコボコにしてやるという「脳内妄想」もまだ出来なかった。
母に止めたいとも言えなかった。
剣道は短期間でやめてしまったと思う。
おそらく、ついて行けずに止めさせられたのだろう。
こんな事もあってか、
体育会系はその後全てにおいて身も心も萎縮した。
高校に入った時、そんな思いを払拭しようと部活で、
アメフトを選んでしまった。
血迷った行動だった。
地獄だった。
三日間で止めた。
スポーツをやることへの興味は消え失せた。
◎「妄想」
妄想の中に入り探ってみた。
何がこれらを誘発するのか?
いつから妄想するようになったのか?
ハッキリとした境界線があるのは小学4年から5年に変わった時だ。
小5以降に妄想が目立ち始めたと思う。
それ以前はイヤな事はイヤだと感じ、
それが終わればそれはそこになかった。
イヤなことへの萎縮はあったけれど妄想はなかった。
好きな女の子が目の前にいればオドオドしたり、顔を赤らめたりしたが、
目の前から消えれば場面は変わっていた。
妄想で女の子を追いかけたりはしなかった。
小5以降になると好きな女の子を妄想で追いかけるようになっていった。
自慰が始まったのもこの時期だ。
ケンカの仕返し妄想も始まった。
夢みたいな妄想も始まった。
勉強が退屈で逃げ出したくなると、
キングギドラが自分の街に現れて破壊しないかなぁ
と授業中にその様子を思い描いた。
私の妄想には選択肢が複数あって、
自分で決められない未来を、さまよう。
性妄想だろうと攻撃妄想だろうと、
よく見てみるとどれも同じ気付きにくい動きがある。
「この妄想の現実化に協力して下さい」と他者にお願いしているのだ…
自分でも気づかないように。
結局、受け入れて下さいということ、「他者承認」だ。
こういうシナリオで私を満足させてもらえませんか?
ってお願いしている。
攻撃相手だろうと性妄想相手だろうとお構いなしに。
私は、自分より強い者から何かを封じられると、
ますますそれをやりたくなる。
表立ってできないと隠れてでもやった。
やがてそれは、癖や快感に変わっていく。
それが歪んだ形で妄想となって行く。
妄想は一番の隠れ家となり、
そこでは何でも好きな事ができると錯覚した。
妄想の内容とは、毒親や毒教師からの「禁止事項」がほとんどだ。
あからさまなものから、遠回しに禁止されたものまでいろいろだ。
性的な物事、
暴力で他人を傷つけること、
親を越えること、
無駄なものを買うこと。
禁止されなかったことなど妄想しない。
妄想というものは、いつまでも毒親そのものだ。
「妄想あるところに毒親あり」だ。
性妄想にまで母親が影響しているなんて、ウンザリだ。
以上です。
何度も同じ場所を掘ってしまうため以前報告したものがあると思います。
今回は短い報告ですが、よろしくお願いします。
十記丸
*********
●一見すると、短い説明(報告)ですが、
この中には、ものすごく重要な要素がたくさん書かれています。
ひとつは、「いらない親」でも書きましたが、毒・祖父母の影響。
先日の報告の方の場合には、なぜか同居していた「叔父」の影響です。
ようは、直接の家族兄弟だけではなく、
>あなたの子供時代に「同居」していた者全員が、
>あなたのトラウマの原因を作った犯人の「容疑者」になります。
次に、十記丸さんの報告で、「深い」のは、
「禁止事項が、トラウマになっている」という部分です。
毒親(つまり毒同居人)からされた「禁止事項」は、ソフトなものなどなく、
必ずといっていいほど、子供にとっては「脅迫」を伴っています。
「◎◎したら、○○してやるぞ。
それが嫌なら、◎◎をするな。言うな」
これがセットになっているので、十記丸さんの書いたとおり、
まさに、その毒親が、子供に強いた、
>「禁止事項」とトラウマとは、セットになっています。
この禁止事項というのは、ちょっとした、些細な注意とか、
社会に出て役に立つ指針もありますが、
トラウマを受けるほどのものというのは、
「いちいち、うるさいな」と、
親に口で反抗して済むようなものではないものがほとんどであり、
子供だったあなた対する、
「恫喝、暴力、放り出し、お仕置き、脅迫」などを伴っています。
*********
次は、別の方ですが、
自我判定の依頼の中にあった一文です。
>■2-次に、そもそも、精神世界のような分野に最初に足を入れた
> きっかけは、何歳の時で、何がきっかけでしたか?
小学生のとき(年は覚えていません)、
テレビでモンロー研究所の紹介をしていた事で、
ヘミシンクによる体外離脱の方法を知りました。
死後のことについて気になっていたので、そこから手を出し始めました。
>■4-ご自分と御家族の間に何か問題はありませんでしたか?
> (同居されている、いないに関わらず、兄弟姉妹の構成もお書き下さい)
先のメールでお伝えした事ですが、
不満と怒りが残っているのに、
全てが解決したかのように生活している事だけでなく、
私が生まれる前から問題が有る家族だったようで、
母は度々、父方の祖父母(と叔母)に酷く虐められていたと、
恨み言を言っています。
祖母は、呆けてからは、祖父に自分の金を勝手に使われた事について、
毎日のように祖父に当たり散らしていました。
今は老人ホームに居ます。
その際父は、祖母を大声で怒鳴りつけたり脅しつけたりしていました。
その後祖母は父のスリッパを子供のように踏みつけるなどの八つ当たりをしていました。
父は儒教の狂信者で、なんでも人のせいにしようとする性格で、
激昂すると、自分のミスについては「こんなことは誰でもやることだ」と言い、
逆に、母のするミスについては、徹底して悪く言います。
更に
「勉強できないなら死ね」と言ったり、
「親は子供の神だ」とか、
他にも、いわゆる「名言」を人に押し付けようとして、
それが否定されると権威を持ち出して、
無理やりに自分を認めさせようとしたり、
とにかく話が通じないです。
議論をしようとすると、必ず破綻します。
しかし、何もない時は、
表面的には皆楽しくやっているような態度をとっています。
この家族はずっとこうなのか、と思うととても嫌な気分になります。
妹の一人は家族の問題に感づいているようですが、
同じく養ってもらっている身なので我慢しています。
_____________________________
■この方は、まだ未成年の方です。
今回、判定依頼の希望を受けて、まだ保留としていますが、
基本的には判定をしてみる方向で考えています。
こういうケースも多いです。
明らかに問題があると本人も分かってはいる。
(実際に、自我復元でのトラウマ掘りをしている人ならば、
この人の家庭は、重度の機能不全家族であると、瞬時に分かるはずです)
しかし、おかしいと思っても、「どう狂っているのか」ということは、
もしも自我復元でのトラウマ掘りをしなければ、理解は出来ません。
もしも自我復元による方法ではない場合には、
一般的な、機能不全家族、トラウマなどに関する資料を読まないかぎりは、
自分の家庭が、実はそうであった、ということには考えが及びません。
さて、
■自我復元を始めた動機のところに、「体外離脱」という用語が出てきますが、
結論から言いますと、
体外離脱は、「自分の問題」を解決する手段には一切なりません。
そもそも、「体外離脱」というものは、偶然または訓練による
報告例がありますので、「世の中にはそういう事が出来る可能性があるらしい」
ということから、多くの人は興味を持ちます。
また、明晰夢のように、その中でならば、いつもは不満なことでも、
自分の思うようにストーリーを変えられるかもしれない、と思い込みます。
つまり、日常の不満というものを投影できるかもしれない、
という「下心を丸出し」にしているわけです。
しかし現実には、それは出来たとしてもコントロールが困難であり、
また自分によって、それがコントロールされればされるほど問題も出てきます。
まず、体外離脱ということを「遊びの一種」ぐらいにしか考えていない人が大半で、
次に問題なのは、AC人格丸出しであるケースとしては、
「他人があまり出来ない、体外離脱が出来るようになったら、
面白いことを体験して、それを他人に語って、みせびらかしたい」
というこの願望です。完全な他者承認欲です。
これでは、結局、何のための体外離脱か、わかったものではありません。
■さらに言えば、
ロバートモンローの体系それ自体には、二つの要素があり、
そのふたつが、上手く融合していたか疑問です。
それは、氏の著作の中の記述に明確に見ることが出来ます。
「また万物の仕組みというやつに対する君の好奇心かね?」
といった主旨のことを、インスペックスに言われるシーンがあります。
ここから察するに、インスペックスの側は、
モンローの、ごく「個人的な好奇心の傾向」について把握しています。
だから彼の著作内容は、ある程度、その謎解きをしてゆく部分があります。
ところが、一方で、インスペックスがモンローを発見した際に
「人類に貢献したいという崇高な理念を発していた」
意訳すると、そういう意味のことを言っています。
そして、その後、今はどうか知りませんが、
当事のモンロー研究所での離脱実験においては、
これに類する「宣言文」が規定されていたはずです。
つまり、体外離脱の目的を、
「自分の自由意志決定権を保持しつつも、
人類に対する貢献を目的とすること」
これをやってしまうと、ガイドの種族は限られてきます。
そのガイドの持つ、宇宙像しか理解することが出来なくなります。
ガイド同士も付き合いの幅があるので「紹介したりの横つながり」があるに違いない、
とは言っても、やはり、世界像が限定的になります。
つまり、一定の契約事項の上になりたつ、体外離脱のガイドですから、
制限を受けます。
むろん、その制限内では、自由を感じるかもしれませんが。
そもそも、ガイドそれ自体が、本人の別の身体である可能性も大ですし。
■このように、体外離脱談、
もしくは、それに少し似てくる臨死体験談というものは、
断片的な情報で終わることがほとんどで、
また、ガイドに依存(ないしは相互契約に同意)するということは、
ある種の宗教と同じです。
それは当然で、そっち側の世界は、信念体系で成立している世界ですから。
改変されながら、そこのデザインやルールが人工的に構築されているということです。
だから、どこをつついても、臨死体験も、生前の中間領域の話も、
似たような話ばかりが出てくるのです。
■しかし最初に書いたように、問題なのは、発端となる「動機」です。
モンローの場合には、半分は利他的な貢献というものがありましたが、
半分は、彼の個人的な好奇心によるものです。
その部分があったからこそ、読める仕上がりになっていますが、
もしもそこがなかったら、ただの説教本です。
■そして、精神世界に足や頭を突っ込んだほとんどの人たちが、
体外離脱に期待するものは、
命がけの探求、全身全霊をかけた探究心によるものではなく、
「自慢話のネタにしたい」という程度の、貧相な動機です。
もしも「いや、自分は、そうでない」と言い張るならば、
自分の命や、社会的地位、その他と引き換えにしてでも、
あるいは、どんな苦痛を受けようが、やり遂げる、
あるいは、知りたいという強烈な熱意があるか自問してください。
それがないなら、体外離脱が出来たところで、たいしたことは起きませんし、
起きたとしても、本人が、漠然としたかったAC人格の欲望を、
自己満足させる程度の内容で終わります。
これがAC人格による動機ではないのであれば、
その体験や成果にも、宝石の原石のようなものがあるのですが、
そもそも、精神世界に首を突っ込む動機が、
ほとんどの場合には、純粋な、好奇心、体験欲よりも、
毒親由来の、「劣等感の反動」が多いものです。
特に、体外離脱や、それとは、分野は違いますが、
悟りとかに興味を持つ人たちはそうです。
私が、何年も、ずっと言ってきたように、その人たちの動機というのは、
「冴えない人生に、一発逆転を」という、言うなれば、
「白馬に乗った王子様(または王女様)」的な「助け」を求めているか、
さもなければ、
爬虫類型の異星人の敵でも作って戦いたい、という「歪んだヒーロー願望」か、
とにかく、ご都合主義の「妄想投影」が多すぎます。
■また、そうした個人的なトラウマやAC人格に由来しない
体外離脱体験となると、それはロバートモンローのように、
一定のモラルの枠を出ないものに留まったり、
または、前に紹介した、木内鶴彦氏の臨死体験のように、
周到に、本人とガイドによって「準備」された上での体験となり、
それは、必ず、体験者本人が強烈に持つ、特定分野への関心
(木内氏の場合には宇宙の物理的な起源とか、地球の近未来)にそった、
そういうコンテンツになるものなのです。
「何」に対する「強烈さを伴う関心」を投射しているかで変わります。
そもそも、その強烈な関心の投射そのものが出来ないのを、
それを出来るようにするのが、自我復元ですので、
体外離脱のことなど、忘れてしまっていいです。
また、別の宇宙どうのこうのや、死後のことも、
いったん横へどけておいて、無視していいです。
それらは、全部、日々のこの生活の中で、
自分がどう在るか、どう生きて経験するかという、
その事の「結果として」形成されるのですから。
むしろ、具体的な、日々の不快感、感情抑圧の問題、トラウマ掘り
こうしたもののほうが、ずっと重要です。
そもそも、体外離脱したがることの中に、
毒親由来の妄想がまぎれたりしないように注意をしなかったり、
また一人前に、ガイドと、きちんとした契約をするにも、
まるで宗教信者みたいなことをしていたら、
今までと何も変わらないのです。
■しかし一方で、私がこういう事を書くと、
必ず出てくるAC人格者がいて、それは、
「あー、だから、あいつらは馬鹿なんだ。
体外離脱なんかに興味を持つやつはトラウマ持ちだって、
そう決め付ければいいんだ。
よし、これでまた、斜に構えて、上から目線で偉ぶれば、
仲間外れになる惨めな思いをせずに、麻痺できるぞ」
この「何でも手当たり次第、小馬鹿にするAC人格の重度の患者」
というのがよくいます。
自分では、何ひとつも強烈さと、決意と覚悟を持った探求もせずに、
熱意をもって何かを努力をする人たちを、馬鹿にする者です。
特にそれは、他人(私のような立場の者が馬鹿にしたような対象)を
そのまま、自分も馬鹿にできると、思い込むのです。
私が、特に精神世界の領域で、何かを馬鹿にする場合には、
自分の経験的な根拠に基づき、
またその対象物の持つ「長短」の比較をした上でのことです。
しかし、劣等感から、ただ、むやみやたらに、
他者を馬鹿にすることしか頭になかった「毒親」のところで育つと、
なりやすい精神病の一種が、この「批判しか出来ないAC人格」です。
これは、皆さんからのAC人格列伝の自己分析の報告の中にも、
たくさんあった事は周知の通りです。
■しかしながら、たとえば、今回の依頼者の人の場合には、
もしも「本気で、本当に死後のことに強烈なまでの関心がある」
のであれば、この人は体外離脱をしたいという動機の部分を、
本物に出来る可能性も出てきます。
「それによって、死後の本当の事を知りたい。」
それが自分の夢を壊すものだったり、不快で恐怖があっても、
私は、事実だけを知りたい。そのためにはどんな努力もする」
これぐらいの宣言を、「本気で」すれば、
それに応じた体験になると思います。
ですから、この人の動機を、はなから駄目出しをするつもりはありません。
この家庭の父親と母親の状況では、
純粋な探究心による体外離脱への好奇心とは、言いがたい状況であろうとは、
今のところは推測しています。
しかし、この人の中から、AC人格が完全になくなれば、
それは「本物の問い」になるかもしれません。
まだ若いですから、今後が楽しみです。
*********
というわけですから、
何をやるにも、まず、自我を修復してからです。
何をやるにも、です。
恋愛、仕事、精神世界、健康法、その他、「何をするにも」です。
他の全てのものの地盤として、根幹的に問題であると認識したからこそ、
私は、他のこと(他の体系や方法論)を優先せずに、これを優先したのです。
自我復元を完了した人は、全員同じことを言うと思います。
「自我を復元しない段階で、自分がしていた、
瞑想も、恋愛も、仕事も、人間関係も、好みや趣味も、
そして、探求と思っていたものも、全てが全部、
あんなに、全てに無自覚で、
生きてすらもいなかったような、あの自分の状態で、
マトモに出来るわけがなかった」 と。
*********
★
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