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[533]
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★分割自我復元★その533●【 自分流 衣服の遍歴 】●
by:
鈴木崩残
2015/11/18(Wed)14:16:06
>11/19 7:50本文中に、あれこれ加筆しました。
自分流の衣服が確立するまで
その前に、禅書の感想が来ましたので、それから・・・。
崩残様
書とDVDを拝見させていただきました。
ご無沙汰してしまい、恥ずかしかったのですが、
依頼して本当に良かったです。
ありがとうございました。
「馬」と「左馬」のコンビが大のお気に入りです。
予想の何倍もの素晴らしさでした。
「馬」力強く整った印象と「左馬」のなんともいえない、
愛嬌の組み合わせが絶妙です。
これから、このセットを部屋の中心に飾ります。
「**」が不発に終わったのは当然なのでしょう。
「きっと、こういう性格を身に着けないと世間でやっていけないに違いない。」
「この字のような人物にならないとダメにきまってる。」
という「私ダメダメ妄想」みたいなものから発していたと思います。
依頼の時はまったく思いもせず、「これこそ今の私に必要なのだ。」
と思い込んでいましたが、
馬の後ろ足で蹴り飛ばされて砕け散ったようです。
気取ってないで、「馬力」の文字を依頼すればよかったです。
「緑陰」は針葉樹林を感じますね。
依頼の時は広葉樹が重なり合って、チラチラしているイメージしていましたが、
これもまた意外でした。
私はという所の出身で、育ったのは古民家でした。
農村特有の造りの古い家でした。
気候も夏は素晴らしく快適なのですが、冬の凍てつきはそれは厳しかったです。
中略
私は子供のころから、古い家や道具類が好きで、
古民家の展示などは喜んで見ていました。
自宅もかなり古く、隙間だらけで寒かったのですが、家は好きでした。
時代に合わせて今風に改築されていくたびにその家は惨めに、
カッコ悪くなっていってしまいました。
崩残様の(「どうしても古民家が浮かぶ」「とても寒い森林」という)
ご指摘に本当に驚きました。
こんなことを思い出すことになるとは。
12歳までを過ごしたその家は、
私には「トラウマ形成の家」でもあります。
あの大きな古い家で起こった私の「穏やかならざる日々」があります。
私がつい「穏やかさ」みたいなものに妄想的に憧れるのは、
あの「怒りの幼少期」を封印したいからなのです。
馬並みの人間が「穏やかさ」「丁寧」「緑の木陰」と唱えても、
出来の悪いギャグにしかならないなと反省しました。
そんな的外れな注文をあのようにカッコよい書に仕立ててくださり、
本当に感謝です。
自分に本当にしっくりとよく似合う文字を見つけるのは大変ですね。
勘違いと妄想の山です。
だからといって、「お任せ」にしてしまってもダメだと思います。
勘違いでも、妄想でも、
まずは自分から発しないと生まれないのだと思います。
書は幾分自身に不似合であっても、
「本物」を身近に置くことの深い充足感を与えてくれます。
自分の空間が引き締まり、格が上がります。
そして、それに相応しい自分になろうというモチベーションになります。
大切にします。
心より感謝です。
いつの間にか晩秋です。冬支度を急がねばですね。
崩残様、砂手様、ご自愛と睦ましくお過ごしください。
*********
●気に入って頂けて、本当によかったです。
書き始めるときには、いつもそうですが、自信ゼロです。
どうなるかわかりません。
気持ちの上では、その人にとってお気に入りになる字になったらいいな
とは思うものの、その考えそれ自体が書くときには邪魔になるので、
ゼロからスタートします。
探っていくうちに、いろいろなものが浮かんだり、
その人の筆跡に触れているうちに、字が自然に面白い形になったりします。
すいすい、自然に筆が勝手に動いて楽しいこともあれば、
苦戦しっぱなしのときもあります。
今回のように、ご自分に合う文字を依頼された場合には、
私も楽しく書くことが出来ました。
*********
●「朱いはがねさん」より。
略
・・・選び抜いた服や、物を並べて解ってくる結果が
「過去生の影響なのか?」と思える事は一つの面白い現象であります。
それから、そういった服を選んだり、
その過程において、自分が好きだったアニメや映画を思い出し、
その時の自分の心境を再現したかのようになると、
私は、子供の頃、自分がどう生きようとしたかったのかが、
だんだん解るようになってきました。
それは、具体的に何かをするという事というよりも、
その何かをする前にある、そうしたいと思う動機を生み出す自分、
そこに戻りつつある感じなのです。
そうなってくると、いろいろと先は見えないが、
そこへ、飛び込んで生きて行こうと私は今思っています。
中略
崩残先生の服装のスタイルは、30年もかかったのですね。
私も、それぐらいかかってもおかしくないかもしれません。
いや、もっとかかるかもしれません。
そうなると、私はもう死ぬまでに、到達は出来ない可能性もあります。
それは、本当に悔やまれることなのですが、
そうだとしても、今回、自分が勝ち得た服を買う時の姿勢は、
これからも、ずっと死ぬまで、貫き通します。
これは、本当に大切な私の新しい価値観として成長していきつつあります。
今思い返せば、
今まで、使って来た服に対する姿勢は、本当につまらなくて
現在とは、まるで違うなと、しみじみ感じているところであります。
強迫観念にかられながら、焦ってオロオロと嫌々選び取る服装への姿勢、
あれを、トラウマと言うのだなと本当に思います。
それから、わたし、
崩残先生の服装で、今まで思って来たことなのですが、
珍しい服装であるから、
最初は、あの服装は、家で過ごす時だけだと思っていたのですが
普通に外へ出歩かれる姿を拝見し、本当に私は驚きました。
恐らく、裁判所などへも、あのまま出かけられるのだろうと想像していました。
そして、あの服装のままで裁判所の方々と対等に渡り合う事は、
私には、到底信じれない事でありました。
しかし、それは、自分には、そんな事はできないという恐れであり、
それこそが、個性を踏みにじるトラウマによる価値観だったのだと思うのです。
でも、今は違います。
そうやって生きている方がいる事を思うと
私は、とても楽しいし、「面白いなー」って、すごく興味が沸くのです。
あんな風に、自由にそして真剣に、真っ当に生きることは出来るのだ。
そう思うのです。
そういう事を、私は自分が出来ないものだから、
羨ましくて、ひがんで非難の対象にしようとしていたのだと思います。
でも、今は逆で、そういう人達が、もしいるならば知りたいし、
個性がある様々な人、自分には理解できない様な服装の人々などが、
真剣に、生き生きと生きている、
そういう世界で、生きて行きたいと思うようになりました。
それから、余談になるのですが、
わたし、崩残先生の服装で、好きな部分があります。
それは、手甲と手甲に縫い付けられた四角い縫い目です。
あの縫い方は、おそらく砂手さんの手縫いではないかと思うのですが、
あの縫い方に出ている手作り感が四角い模様と合わさり、
そう、江戸時代に作られた、作りたての物が現実に在る、
という有り得ない感じ、そのレトロ感が、とても魅力的です。
それから、手裏剣の合宿の際だけだと思うのですが、
ズボンの膝あたりに、赤いリボンを縛り付けていらっしゃる時、
その時の様相がとても、好きです。
おそらく、動きやすさを出すためだと思うのですが、
黒に赤という色の組み合わせが、私は好きなのと、
リボンが結び付けられている位置が、
ヤマトタケルの服装のようになっているところが好きなのです。
ああいった、昔の服が私は結構、昔から好きなのです。
そして、それが、飾りではなく必要な機能として、そこに在るという事が、
私には魅力になっています。
中略
今朝、その大きな理由が、幼少期の記憶、感情と共に解りました。
それも、もう何度も掘って来た記憶なのですが、
それが、その時の感情と、
私が感じていた家庭の状況と共にはっきりと蘇りました。
それは、直接的な父の恫喝です。
「あーするな、こーしろ」「急げ急げ」
「俺の言う通りにしないと酷い目にあうぞ」
そういった、恫喝に怯えながら従おうとして、
どうすればよいのか解らず、始まった動揺です。
そして、こんな酷い仕打ちをしてきた人間の設計した家に
自分が住んでいる事の腹立たしさ、それを、感じ、
私は絶対に引っ越すと決めました。
*********
以下、私の返信のごく一部ですが、
>>恐らく、裁判などへも、あのまま出かけられるのだろうと想像していました。
裁判所といっても「家事調停」ですから、
控え室にいた、他の人も、ごく普通のジーパンとか、でしたよ。
いわゆる法廷に出るのではないですから。
ただし、職員の人の眼には、確かに目立っていたとは思います。
>>あんな風に、自由にそして真剣に、真っ当に生きることは出来るのだ。
>>そう思うのです。
むろん、しがない自営業という生活であるので出来る、という点はありますが、
普通のサラリーマンでも、オフの日であれば、出来るんですけどね。
>>それは、手甲と手甲に縫い付けられた四角い縫い目です。
手甲を、つけはじめたころは、自分で縫っていましたが、
やはり、洋裁が出来る人が、ミシンで刺繍してくれたほうが綺麗ですね。
>>ズボンの膝あたりに、赤いリボンを縛り付けていらっしゃる時、
あれは実用性はゼロです。
あの飾り紐の、濃い赤色が好きで、本当に、おしゃれとして結びました。
なので、時々ずり落ちてきたので、撮影前に直したりと。
>>リボンが結び付けられている位置が、ヤマトタケルの服装のように
>>なっているところが好きなのです。
はい、私も潜在的にそのイメージになっている事はわかります。
袖がない作務衣も、だぶっとした太いズボンも、
野生的というか、どこか古代的なのだと思います。
それも古代ギリシャとかではなくて、
日本の大昔のそれ(と言われているもの)に近いですね。
でも、あの教科書に出てくる「古代の髪型」は、いったい、
どう束ねて結ぶのやらです。
それで、30歳の初期に、
一時は、ミリタリー系になったこともありまして、
ミリタリーと、和モノが、その後、なんだか、変に混ざっていったら、
結果として、「なんちゃって、忍び? いや、違うようだけど」みたいに
他人から見ると、分類不明のスタイルに、なっちゃいました。
私が、頭にかぶる布は、長袖の作務衣の「袖」を糸を取った時に出る、
不要な布なのです。
>>それは、直接的な父の恫喝です。
>>「あーするな、こーしろ」「急げ急げ」
>>「俺の言う通りにしないと酷い目にあうぞ」
桜の間に、「十記丸」さんの文にありましたが、
毒親の禁止事項は、躾ではなく「懲罰とセット」になっている事が多いので、
毒親の言い続けた禁止事項は、ほとんどの場合に、トラウマをつくりますね。
そして、異性の趣味や、性妄想の嗜好なども、
下手をすると、その禁止事項から生まれた面もありそうだと思います。
しかしそうでない、汚染されていないところからの好みも
むろんあると思います。
このあたりは、それぞれの人が、
個々に自分で確認するのが必要だと思います。
*********
●それで、朱いはがねさんに、言葉で伝えても、
おそらく、私の衣服のスタイルが、どう30年かかって変化したのか、
わからないと思いまして、わかるように、写真集にしてみました。
年代は、古いものから新しいものへと向かっています。
むろん、中学ぐらいまでは、どうということはない服装ですが、
それでも、実は、装飾品には、こだわっていたのです。
それぞれの時期の服について、コメントを、簡単に書きます。
*********
↑
幼児期、中学入学、ここは何も変わったところはありません。
右は、中学のころですが、この「頭に巻く帯」、
これは自分がデザインしたもので、通学中にはしませんが、
それ以外ではしていました。ここから独自の「何か」が始まっています。
この時代には、むろん「竹の子族」など、たの字も皆無です。
↑
貝殻のネックレスがこの時のこだわりで、これは学生服の内側にもしていました。
別に、学校で教師からの、おとがめは、なかったです。
左は足を組んでいますが、どっかの道場ではなく、高校生の修学旅行の宿でのもの。
↑
美大の時代が、飛んでしまっていて、もうこのころは社会人です。
服装や髪型は、自由な職種でしたので、髪の毛は伸ばしていました。
一番右は、最初の彼女と付き合っていたころです。
いや、・・・この馬が彼女なのではないですよ。
↑
さて、この頃から、こだわりが、かなり変わった様子になってきます。
東京周辺の神社に行きまくっては、結界張りと結界破りを繰り返していたころで、
右の写真にいたっては、西洋魔術の法衣です。
むろん、この格好では、外へは出ません。
↑
この「赤と黒の時代」これは、4年ほど長引きました。
見るとわかるように、腰に女性用のベルトを巻くということが
ひとつの自分のスタイルになってゆきます。
これが女性の間で流行ったのは、この後です。
また今では当たり前の「シャツアウト」は、当時誰もしてなかったのですが、
それをしていました。
シャツアウトしてベルトを腰に、というスタイルで、男性では
当時は、自分以外に、一人も見かけたことはありませんでした。
↑
そして、ここらへんから、手首に布を巻くということをしたくなりました。
手甲までは、まだまだです。ミリタリー系に固めていた時代です。
確か湾岸戦争の少し前です。
そして、これ以後から、夏はスリーブレスになりました。
半袖でも、気持ち悪くて、袖のある服が嫌いになってきたころです。
今でこそ、ユニクロなどでも「スリーブレス」のシャツがありますが、
当時はほとんどなかったです。
ちなみに、ランニングみたいなタンクトップは、かっこ悪すぎて大嫌いでした。
↑
作務衣に移行する前は、袖のないこうしたラフな服装が好きで、
下は確か、ミリタリーの黒(SWATのもの)でした。
一番右の時期では、まずはよくある、藍染の紺色の作務衣から和モノに移行しました。
和モノに移行した理由は、うちへ遊びに来た坊さんが着ていたのを見て、
楽そうだなと思ったことと、うちの近所は上野のアメ横だったので、
わりとチープなお土産用のも含めて、和モノの服がすぐにあったことです。
ちなみに、ミリタリーも、もっばらアメ横の中田商店です。
↑
このころには、かなり現在の自分のスタイルに近いです。
作務衣も、藍色から黒へと変わりました。
↑
そして、布の色も黒や、紺色以外に、
市販品の「深緑色」「焦げ茶色」「えんじ色」「灰色」となり、
袖のあるもの、また、袖を取ったものや、
一部は、砂手のオール手作りの作務衣や、手甲などとなり、
現在に至ります。
●時代を、急速に、飛び石すると、こんなです。
20歳ごろ、30歳ごろ、50歳を過ぎてという3枚。
左の最初のは、美大のころで、女の子みたいな髪の毛ですね。
次はスーツ姿で、当時の恋人とツーショット
(背広のはこの一枚しかなかったです)
そして、右が今。
髪型は、基本的には、後ろ髪だけは長髪が多かったです。
●といったぐあいに、
「何かを頭に巻く」
↓
「布やベルトを腰に巻く」
↓
「手首に布を巻く」
↓
「最後に、おまけに足にも巻く」
それが、西洋のミリタリーと、和物が混ざっていった結果として、
なんだか分類できない、自分のこのスタイルになりました。
ちなみに、忍者服は大嫌いで、あんな恥ずかしいものは、ごめんです。
また、形どおりの、型にはまっただけの和服も、
似合わない人が着ると、全くダサいです。
●服装が、自分の自分の身体の一部のように馴染むには、
自分の内面の「実際の精神状態との融合」が必要で、
それは、何かへの「憧れ」で、スタイルだけを決めてもだめなのです。
和でも、洋でも、「憧れて」とか「染まりたいだけ」のコスプレは、
その人の、本当の正直な内面の雰囲気との、ちぐはぐさが目立ち、
他人が見ても、どこか中途半端な、気持ち悪いものになります。
他人から見れば(というより違いのわかる人から見れば)、
ただ「かぶれているだけ」と見られます。
だから、こうした、
室内でも室外でも、同じ精神状態で過ごせる衣服を編み出す工程には、
とにかく、本当に長い年数の試行錯誤がかかります。
ただ、最近は、「そのまま出かける事のできる室内着」や、
「自宅に帰って、そのまま過ごせる服」というものが、
だいぶ、流行ってきたという話は、砂手からは聞きました。
******************
その他
●さて、細かいところ(アクセサリーなど)にも、
私の場合には、オリジナルのものがあるというのは、
ただのオシャレや、見てくれではなくて、
それは自分の身体の一部のようなものだからです。
●私は昔から、自分が身につけるアクセサリーは、
その半分以上が、「職人さんに特注したものか、または自作」です。
魔術道具なども、唯一、「聖杯」を除いては、
剣やロッドも手作りですし、コインも銅板から切り出して、金メッキを外注したり、
木製の道具は天然の木から削りだした「手作り」です。
そして、タロットカードすらも、その絵柄は、自分の手で、
カラーで、カードにひとつひとつ、既製品の絵柄を模倣するのではなく、
自分が人生の中で学んだ事によって解釈した絵柄で描いたものを使用しました。
自分が完全にコントロール出来るものにするには、
他人や企業が作ったものではなく、徹底して「オール手作り」に限るのです。
それは、自分のしたいこと、目指す目標が明確に決まっていると、
必然的に、既製品では、その役目を果たせない、
その目的どおりには機能しないというものが、かなり多いからです。
私は、手作りが好きなのではなく、
何でも必要に迫られて、造り出すのです。
そして、私の衣服は、自分の意識と身体との調合の必要性から生じたもので、
基本的には、実用性や、機能性から出たものとは違います。
●唯一、機能性といえば、袖がないほうがいいのは、
手裏剣を投げる時には、袖は邪魔だからです。
これは前にも書きましたが、
私は、微風や、気温や、空気の流れを肌で感じる状態が好きなので、
特に、手甲の部分を除く、肩から肘の前後の皮膚までは、
出来るだけ、衣服で覆いたくなくないのです。
あとは、私は、靴下が大嫌いです。
真冬でも、外出時と、半端でなく冷え込む夜以外は、出来るだけ履きません。
靴下のせいで、体に静電気が溜まるのも嫌いです。
そうは言っても、氷点下10度以下とかになる、今の場所の冬では無理です。
●あともうひとつは、最初のころは、「作務衣ならば雪駄が多いな」、
という、実につまらない既成概念があったのですが、
小石の多い地面では、とにかく裏底の痛みがあまりにも早すぎました。
そして、東京に出たときなどに、駅の床で、
雪駄だと、おそろしく滑るような材質のものもあり(特に湿っていると)、
3度ほど、コケそうになって危なかったので、
外出時は、履いた感覚が気にいったサンダル、しか履きません。
このあたりだけは、機能性重視です。
全色を着てみる
●蛇足ですが、特に20代のころに、私が意識的に行ったことがあります。
それは、すべての「色」に一通り馴染んでみるという事です。
人は、それぞれ似合う色や、色の好き嫌いがあります。
どうしても、絶対に着ない色や、ついつい、ある色ばかりになる、
ということを抜け出そうとする人はいません。
しかし、私は当時、少なくとも、
白、黒+3原色とその補色または虹の色、つまり
「赤、橙、黄、緑、青、紫、紺」それと、濃淡の違うピンク色です。
この色を、一応は、すべて着てみよう、としました。
むろん、高い服装ではなく、
Tシャツや、ワイシャツやトレーナーとしてです。
時には下北沢とかの洋品店で、女性ものの服を買って着たこともよくあります。
女装ではありませんよ。
デザインとして男性が着てもいいと思ったもの、
というより自分が気に入ったら、女性用でも買って着ました。
(合わせの左右が逆になっても気にせずに)
特にセーターは、男性用より女性用が、良いデザインが多かったです。
自己実験ですから、まずは、どれも出来るだけ原色に近い色を選び、
その後に中間色も試しましたが、
結果としては、・・・・
黄色人種であることから、オレンジ色はファッションとして、
日本人は、なかなか着こなせない。
緑色系は濃淡に関わらず、金銭と人脈を失いやすい。
茶色は、使うのが非常に難しいが、面白い色である。
黄色、紫、赤、青、それぞれについても、私個人の見解はありますが
解説が面倒なので、はしょります。
上下白は、魔術的にもアウト。
むしろ、黒または、黒と白の組み合わせがよい。
灰色を単色・無地ではなく、
グレーの濃淡の色のバリエーションを、他の色との組み合わせで使いこなせたら、
その人は、ファッションセンス、ないしはデザインセンスがいいことになる。
●いちいち、マニュアルがないと何も出来ないような、
精神世界論やオーラ論に照らし合わせずとも、
自分でやってみれば、自分に固有のそれらの色のスペクトルとの関係は、
おのずと、わかることです。
***************************
日常生活の記録方法の変化
●1970年には、まだ、俗称・バカチョンカメラというものがなく、
趣味でもないと、カメラを持っている人も少なかったので、
当時の写真は、集合写真など以外は、かなり少ないものです。
それが、1980年代の中ごろだったか、記憶は定かでありませんが、
使い捨てのインスタントカメラの普及で、
いろいろな生活シーンが、手軽に写真に残るようになりました。
ただし、当時は、現像とプリント代が、馬鹿になりませんでしたが。
その後、1990年代に、ハンディータイプの、
テープ式のアナログのホームビデオが流行りましたが、
わずか10年もしないうちに、2000年ごろからは、
安価なデジカメの普及へと移行しましたね。
今では、誰もが携帯の端末で撮影できますから、
今の時代の人は、自分の写真も、友達の写真も、動画としても、
たくさん残せますね。
この後の時代に、戦争で焼けなければですが・・・・
最 後 に、
もしも、
どんな服を着ても、自分に似合わない気がするとか、
自分に似合う服がわからない、
そう思う、男性も女性も、
世界中のどんな人でも着こなす事の出来る服があります。
それはミリタリー=軍服です
なぜならば
「個性を徹底的に排除し、
敵から目立たなくする」のが、その目的だからです。
たとえば、武道の稽古着なども同じです。
誰が着ても、格好がついてしまうのです。
それは、「無個性」だからです。
広く言えば、「制服」というものがそれに当たります。
着れば、猫も杓子も、なんとなく、それらしく見えてしまうだけ。
だから、私は、ミリタリーや制服や武道着は、お勧めしません。
職務としてではない、ミリタリーファッションは、私はお勧めしません。
あれを着ると、どんな体型のどんな顔の男女でも、
サマにはなってしまうでしょうが、
そこには色気も、個性も、あったものじゃないのです。
軍服というものは、
自分が死体になるか、
もしくは殺戮者としての英雄になる前の「死に装束」だからです。
そういう意味では、
最も無個性な戦闘服と、和の世界が、私の中で混ざってゆき、
結果として、個性的なスタイルになったという、
奇妙な対立物の奇妙な化合が起きた、という偶然に過ぎないものでした。
「対立物」を、理屈ではなく、自分の心身を実際に使って調合するという、
ある意味で、非常に私らしい結末といえます。
ですから、皆さんは、それぞれに、
あなたらしい、あなた一人だけの、
自分が本当に好きで、落ち着くことが出来て、
世間の目を気にした虚勢を張ったりせず、
「飾らない自分」でいられるための「飾り」として、
自分だけの服装のスタイルを作り出してください。
_________
★
.
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