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[537]
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★分割自我復元★その537●【 業務連絡 】●
by:
鈴木崩残
2015/11/23(Mon)09:37:45
業 務 連 絡
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◆前回の投稿で掲載をさせて頂いた3年ぶりのご報告のK様へ
そちらへのメールが全て送信エラーとなりますので、
アドレスを消されたか、ブロックのリストに入れてしまったか、
または、そちらのサーバのトラブルがあったものと思われます。
再送信とテスト送信2回の計4回のエラーです。
↓
従いまして、連絡手段がありませんので、以下に届かなかったメールを掲載します。
↓
K 様
ご返信をありがとうございます。
肝心の自我判定ですが、そちらに焦点が合わず、現時点ではできませんが、
一点、これが原因かもしれない、というものがあります。
これは、そちらからの返信を待ちまして、相談の上、
実際にやってみて判定が出来たら、お知らせします。
さて、判定が出来なかった原因を推察してみました。
もしも私が判定が出来たら、私はどうしたか?です。
当然、ヤマト便で、にじみ書と共に送ります。
しかしここで、違和感というか、何か違うと思いました。
では、そちらの最寄の郵便局に局留めにしたら?
そう想定すると、判定が出来そうな気が少ししてきました。
まだやっていないのでわかりませんが。
これは何を意味するかといいますと、
判定の結果の送付物が、直接にあなたの手に渡る必要があり、
それは確実である必要があるということです。
つまり私が警戒しているのは、
毒母親(合鍵とか持っていないですよね?)または
旦那さんが、たまたま、受け取る時間にいたりです。
基本的に貴女がずっと家にいるでしょうから
確率としては「非常に低い」のですが、それでもひっかかるものがあります。
ですから、今回2度目の判定からは、
滲み書などは飾らず、話題は旦那さんとは共有しないでください。
自我復元をしていることはむろんのこと、
毒母親の問題も、旦那さんには話さないことです。
これを「守れる」ということを約束できるのでしたら、
判定をしてみて、結果がもしも出れば、郵便局留めにしますので、
もしも判定ができた場合には、送付後に、簡易書留の番号をお知らせします。
もしもこれで判定が出来れば、原因はそれになります。
機密性の保持が獲得されるかどうかが、今回は重要ということです。
旦那さんとの関係は、無理に何かを変えず、様子見でむろんいいわけです。
別に自我復元によって、必ず離別するという法則があるわけではありません。
ただ、言えることは、片方は自我復元とトラウマを掘り、片方はしていない、
ということは、人生観それ自体にズレが起きます。
このあたりは、警告しているのでもなく単に事実を言っていますので、
そういう問題は、実際に、もしも起きたら、そのときに考えればいい事です。
ただし、機密性だけは保持する、これは復元をしている人の側の「責務」です。
仲良しに見えた(あいるはそう自己申告した)夫婦の片割れ、
または旦那さんは妻の事には干渉しない、ということを自慢していた女性が、
あっと言う間に、豹変した旦那さんに妨害された、などという事例は、
何件かあったものですから。
同居人が豹変するのも当然です。
何しろ、AC人格が、普通は「人々の社会生活の基盤そのもの」、
になっていますから。
それが綿密に「解読」される、
またはその一部の縛りが「解除される」ということを、
うすうす無意識的に他者(毒親や同居人)は察しますので、
今後は、毒母親だけではなく、ご主人の挙動にも
注意(緊張してではなく、観察を)しているといいです。
今の段階では、メールに書きましたように、
あまりに自分がかっこよくなくて悔しい、というそういう悔し涙は出ても、
母親に対する渾身からの怒りや、
さらに、毒母に対して、どれだけ悲しかったかという感情は出ていないと思います。
これには本気で本腰を入れて、
過去の記憶の事羅列や「頭による分析」という今の段階から、
さらに、何度もその同じシーンを頭で再生しているうちに、
あるとき、その子供だったその時の自分の感情が出てくるかもしれません。
こうした作業は、全くの個人のものですから、
完全に、身近な人からも、切り離して行う必要があります。
たとえば、滲み書にしても、ご主人には
「自分の仕事の資料です」と言ってそれで済んだとしても、
「無意識」というのは、そういうものではありません。
本人自身も知らないうちに、察し、言動をするのです。
なぜならば、それは、AC人格という名の社会集団にとっては、
死活問題であるわけですから、
本人であるあなたが、一家の中で、自分のトラウマに気づき、
親のトラウマに気づき、その親のトラウマを解読するということは、
それだけでも、見えない無意識の世界に敵を作ります。
これがさらに激化するのは、感情を掘った場合です。
それまでの代々の先祖は、その感情こそを脅して「封じ続けた」のですから、
その中で、本当の本心の感情を思い出した人間がいたら、
「自分は、親に潰されて感情を我慢したのに」
「なんで、あいつだけ過去を捨てられるんだ」
という嫉妬、激怒、羨望、そして
代々続いた、毒親たちからのコントロールを外れてゆくことに
彼らは、必死になって(無意識下でも、現実にも)反撃をしてきます。
それは、当のあなたの毒母親や親族が反撃してくるという側面もありますが、
それよりも何倍も大きいのは、「あなた自身の中にいるAC人格」が、
その今までのやり方を保持しよう、殺されてたまるか、となり、
「この私の人格のやり方が死んだら、お前は生きていけないのだぞ」、
とあなたに向かって「あなたの中に巣食っている親が」、
脅迫してくるということです。
つまり本当の格闘は、自分の中の人格同士で起きます。
==================
******************
●さて、話題は、がらっと変わりますが、
頂き物の「スフレロール」です。
例によって、「愛でながら撮影する」ということをやっています。
↓
皿に当たった光が反射した場合の色合いです。
↓
●前にも、この話題の時に書きましたが、
グラビアアイドルの撮影をするかのような雰囲気で、
対象を愛でながら撮影するわけですが、
食べ物を撮影するときに、放射能測定の食品を記録するという、
その記録視線が、前にはありましたが、ここ最近はなくなりました。
とにかく、味や舌触りを伝え、美味しいと思いながら撮影する、
これを心がけています。
●考えてみると、昔撮影した女性の写真とかも、
かわいいとか、愛らしいという思いをこめて撮影したものは、そのように写っており、
単なる記念という意識で撮影をしただけのものは、
それだけのことしかありません。
感情移入とも似ています。
ただしそれは対象物によります。
場合によっては感情を入れないでシャッターを切るほうがいい場合もあります。
が、いずれにしても、何かを込めるということは、必要のようです。
ただ、他人に見せるために記録するとか、撮影角度や証明の小細工だけ、
こういう写真からは、伝わるものがありません。
まだまだ、うまく自分の理想の写真にはなりませんが、近づいてはいます。
ちなみに、このスフレロールは、
私が、この一生の中で食べた中で、おそらくは記憶にあるかぎり、
最も美味しかった味でした。
いろいろと有名店はあるのですが、これは、繊細で美味しかったです。
●その点では、猫を撮影する場合には、最初から気持ちがこもっていますから、
伝えたい雰囲気を、自分の中で意識化した中で、撮影していることが多いです。
↓
復元作業をする人たちへのお願い
もしくは、薦め
これから、自我復元の睡眠前と起床の後の手順を始める際には、
心の中で、こう言って下さい。
「自我復元の 先人の人達に、感謝いたします」
とても臭い台詞ですよね。
私だって、こんなことを、
他人様に勧めることになるとは、思ってもいませんでした。
しかし、これは「個人」の力ではないのです。
これは、一人では出来ないことなのです。
むろん、私だけでも出来なかったことです。
何人もの先に掘った人達が、トラウマ掘りの穴を広げているのです。
いろいろな人が、それぞれに異なる岩盤を掘っていっています。
あなたもまた、今後は、
その脱出口を広げる人の一人になるかもしれません。
そして、他人から「感謝されたい」などと思っている人達に、
この言葉を言う必要はありません。
自我復元を、「本当に完了した人達」は、
一人として、誰かから感謝などされたいとは、全く思っていません。
自分は自分の出来ることをしただけだ、と思っています。
だからこそ、そういう人達に向かっては、深く頭を下げ、伏してでも、
「ありがとうございます」と心の中で言ってください。
その感謝の言葉を「聞き届ける者」それ自体が、どこにも存在しない、
そういう感謝こそ、最も崇高な感謝ですから。
もしも、無人ではなくて、そこに「聞き届ける者」がいるのでは
それは、あなたが、
「誰かに聞いてもらいたい感謝」となってしまい、
それは、
「私は感謝している者です、見てください、この清らかで謙虚な心を」
という、「この世で最も醜いことこの上もない、取引き」ですから。
感謝すれば、そのせいで、自分が幸福になると思っているような者は、
どこまでも、堕ちて行けばいいのです。それは醜悪な取引きです。
感謝の気持ちの「受け取り手が、どこにもいないもの」、
に向かって感謝するときにだけ、
その感謝は、「届かざる所」へと届く、本物の「祈り」となります。
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