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★分割自我復元★その539●【 死後と生前は状況が逆転する 】●
by:
鈴木崩残
2015/11/26(Thu)05:49:23
死後に起きる典型的な状況
●その前に、この話の参考のひとつとなるかもしれませんので
「あび」さんのブログへのリンクをしておきます。
ここにある「1座〜9座」までの9つの投稿です。
↓
http://mmjhb11.exblog.jp/m2015-11-01/
●以下は、私のメモからの抜粋となります。
この話は ある視点から見ると、ちっとも面白くない話であるし、
またこれが有効だったのは地球の古い時代だったので、
今、この話を聞いてもピンとこない人が多いと思う。
いわば、古い信念体系の中では、こういう考え方もあるという参考程度にしておいてください。
つまり、これが、必ずしも生きている目的の全てとは考えないことです。
それでも簡単に、宇宙の中にカオスのように乱立している価値観のうちの、
ひとつを紹介してみたいと思います。
たとえば「原始的な非肉体次元」であると、
A地点からB地点に移動する場合に、肉体がないと、それは一瞬である。
たとえば、時間を移動するとめまいがする。ただそれだけだ。 面白くもなんともない。
ところが肉体があるという思い込みの中で、いろいろなイリュージョンを経験したとする。
たとえば、スカイダイビングや鳥になって飛行した経験をしたとする。
そうするとスカイダイビングを経験したことで、
死んだあとでもいいし、別の次元でもなんでもいいですが、
そこで、再びA地点からB地点に移動する体験に、
肉体で経験した風圧や落下感覚といったものがデザインに加わるわけです。
つまり、肉体のあるここで新しい素材を探して向こうで「付け足す」。
ある意味では「逆創造行為」のようなもの。
*********
「今回は、何を持ってここに戻りましたか?」
これは、死ぬたびに毎回聞かれるので、うんざりする台詞のひとつである。
「おめぇーに奉納するために、生きたんじゃないよ」と言いたい。
また、そのあとは、
「ここでは何でも想った通りに現象化するので、
地球で経験した事で最も面白かったことを再現してください」と言われる。
たいていの人は人生を思い出してみて、
その中から、とびきり楽しかった事、面白かった事、
苦痛も含めて刺激的だった事、とにかく前の生では経験しなかった事を、
死後の自由創造の中に追加できるかどうかを試してみている。
それでも、たいていは冷たくこう言われる。
「そういうのね、もう沢山あって間に合っています」
別の次元で長く飽きないで遊ぶネタを、
ここ(地球)で探したり作り出すのは結構大変な事だ。
たいていの快楽はもう、だいたいは作り出されたし、
中にはヘルレイザーみたいなドMの趣味の奴も出てくるし。
そんなわけで死んでから
「こいつは面白いぜ」と、自分でも恥ずかしくなく提供できる記憶を持ち帰ろう、
という時代が、昔は、確かにあった。
*********
そういう時代に、地球で人間型の生き物を経験した場合に、
くたばって戻ってから、「超高値」で売れる商品があった。
それは「新しい感情」を作り出せた場合である。
喜怒哀楽以外に、好感、羞恥心、虚栄心、恐怖、憎悪といろいろあるわけど、
単なる複合感情でなく、分類不可能な感情を持ち帰ると、
その後一気にそれは「非肉体領域」で大流行になったりする。
特に面白がられたのは、「羞恥心」とか「気まずい雰囲気」とかである。
これは経験している私達にはどうということもない感情であるが、
そんなものは、全く経験したことがなく、初めて経験する主体にとっては、
少しばかり、スリリングだったりするのである。
今となっては嫌な話なのだけど、
その昔、「悲しい」というのが、何だか全く理解も経験も出来なかった
そういう時代というか時期とか、宇宙の「区画」があった。
それで何かの対象物を、「大好きになる感情」を持った後に、
突然に、それが消えて、二度と現われなくなると、
「寂しいという感情」を作れるという事がわかってからというもの、
やたらにそれが面白がられたこともあった。
*********
●要約すると、喜び・怒り・哀れみ・楽しみの変形した感情、
憎悪、敵意、警戒、羞恥心、笑い、好き嫌い、その他、
おおよそ、「感情」と呼ばれるものは、
簡単に言うと、思考が肉体(非物質肉体も含む)に直接に作用するときに発生するもの。
>つまり、大小の「生理反応が起きる」というものが感情の定義になるので、
>涙腺や、発汗や、胃痛や、心拍数の変化や、身体の震え、
>こうしたものに影響しない、ただの「妄想」や思考は、
>感情には分類しない方がいい。
軽度のものでも強度のものでも、
意識化される身体反応、または無意識下で「身体に影響しているもの」、
これを「抑圧された感情」または単に「感情」とするのがいいです。
だから、身体に影響するのは「感情」であり、
どれだけ明確に何かを脳内でイメージしても、それは身体には作用しません。
(作用したとしても、作用するまでのタイムラグが大きいのです。)
自我復元でのトラウマ掘りが、常に感情に焦点をあてるのはそのためです。
感情自体が変化、変質するときには、身体は、よくも悪くも、それに従います。
*********
●話は戻りますが、死んだ場合に、最も問題になるのは、
「ここでは、あなたの主観の中であれば、
自由に何でも作り出せますので、どうぞ」
と言われた場合に、その創作物は、たいていの場合に、
長持ちしないということです。
死後には、何の障害も、摩擦もなく、そのまま実現するのですから、
生きていたときに、何十という不満をかかえていたとしても、
その実現化しなかった不満を、実現して現実に変えたところで、
そんなものは、あっと言う間に、飽きます。
そういうわけで、長持ちする新しいイメージや感情の素材を
持ち帰ろうとして、肉体に生まれて、あれこれの経験をするわけですが、
いざ、死んで、「では今回は、何を持って来ることが出来たか?」
と問われると、たいていの人は、前と変わらないことしかできなかった
ということを痛感したり、または漠然と後悔して、
また、戻ることになるケースが多いです。
●死後と生きている間では何が違うのかを、極論すれば、
死んだ後では、完全に、自由。
(だからこそ、そこは全く何も進展しないという意味での地獄にもなる)
生きている時は、不自由が多い(だからこそ、新素材の発見もある)
ただしこれを美化したり、生命の目的だとか、
そういう「旧時代のスローガン」を、もっともらしく言うのは、たいていが、
宇宙の中でも、時代遅れの、老いぼれ知性体です。
これ、チャネラーとか、コンタクティーとか、覚者もどに沢山います。
しかし、事実は、そんな単純化はできないのです。
というより、実験というのは、もとより失敗することが当然あるので、
そもそも、何をしようとして、どこで間違えたりエラーが出て、
どうすれば、もともとの実験目的を果たせるか、
そういう事を精査してゆかないで、場当たり的な対処をしていては、
どんな精神世界も、妄想の吐き溜めになりかねません。
これは原発ムラが全くそういう当たり前の原因究明をしないのと
全く同じに見えます。
*********
余談ですが、
「自我復元」を完了した人というのは、
死後に「珍しいものを持ってきた」と認識される可能性があります。
なぜかというと、
単なるセラピーやカウンセリングによってトラウマから回復した、
というのではなく、
欠損した自我の復元と、原主体を本人によって「自己修復」したという事例が、
過去に全くないからです。
(自我復元と言うのは、単なる魂の自己分裂と、その希釈魂の再構成ではありません)
●そのやり方は、基本的には、世間で、噂と賛否のある
「腐らないリンゴ」のようなものに似ているの「かも」しれません。
トラウマの自己分析と解除で、
まさに毒親が子供であるあなたに散布した「農薬」を解毒して、
その後、「無農薬」「無肥料」ならぬ、無洗脳によって育った原主体は、
あらゆる感情(=「微生物」)を、否定せずに、同時に混在させるために、
似たような複雑な有機体同士の反応による耐性が出来るのかもしれません。
農業のことは詳しくないので、簡単に比較は出来ませんが、
原理的には、「感情を雑草や、害虫とは認識しないこと」に原点があります。
これは毒親が、子供が「感情を出すこと」を害悪として、
それを殺すために、あなたに「農薬」を撒いたのとは逆のやり方です。
また「褒める教育」という、同じ「別の農薬」を撒くのでもありません。
農薬づけにされ、品種改良をされてしまった植物が、
原主体的生物に戻った場合、この場合に限っては、
その生き物が、
したいことを、させ、
したくないことを、させない。
ただそれだけです。
ただし、もともと農薬に犯されている植物がこれをやろうとしても、
そのしたいことと、したくないことの中に、薬害の結果が出ます。
しかし、トラウマ掘りとともに、それを徹底して、繰り返すうちに、
本当にしたいことと、したくないことが、時間をかけて浮上します。
いつも矛盾ばかりしていて病的なAC人格のしたいことに翻弄され、
また、したい事なのに、したくない、と言い張るAC人格の怠惰によって、
もう、うんざりするほど、自分が磨り減りつくすまで、
失敗を重ねることも、必要になります。
自我復元の到達点もそこにあります。
「あび」さん、「朱いはがね」さん、基幹房さん、の報告やブログには
その「奇跡のリンゴ」ならぬ、「奇跡の自我」と、
とても似たプロセスが多く見受けられる気がしています。
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