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★分割自我復元★その546●【 報告「身体との会話」】●
by:
鈴木崩残
2015/12/14(Mon)14:32:47
身体と自我
●報告からの引用です。
***************************
崩残 様
いつもお世話になっております。基幹房です。
11月23日にメールして以来の報告となります。約3週間の間が空きました。
その間、週末になる度に、何度も何度もメールさせて頂こうかと思いました。
今の私にとって、最も重大な問題は、自分自身の身体の事です。
正直、今だに、この身体を受け入れることができていません。
崩残さんからご指摘を頂き、自分自身が、身体に対して、
重大な間違いを犯していたということを教えて頂きました。
>ここは補足します。
>メールでのやり取りなので詳細は省きますが
>以前に、基幹房さんが、ノートに書いた自分の名前の「**」に向かって
>「**は、死ね」と書いたことに対して、私から厳しく注意をしました。
>なぜならば、「私のこのAC人格、もう死ね」ならば間違いはありませんが、
>「****」と自分の本名を書いて「死ね」と言うことは、
>その名前を今日まで背負ってきた「身体」に対して死ね、
>と言っていることだからです。
>それでは罪もない身体が、毒親に虐待されているのと同じです。
>毒親の態度と同じばかりか、自分の名前を書いて死ねとは、
>自傷行為の最たるものです。
>死んでもらうのは、決死の覚悟で抹殺するのは、
>親のせいで生まれた「AC人格」であって、「身体」ではありません。
>しかし「****死ね」と本名をそこに書いたら、
>その社会的な名前が示しているのは、まぎれもなく身体だからです。
>だから、絶対にそんなことを書いてはいけないし、
>二度とそんな事を頭の中でも言わないと誓って、
>身体に謝るように、とメールで伝えました。(崩残)
それ以来、
「なぜ、この身体を受け入れられないか」、
「どうして、そこまで自分の身体の事を嫌うのか」
「どうすれば、この身体と付き合っていくことができるのか」等、
自分の身体のことについて、色々と考えてきました。
その間、いくつかの気づきや理解があり、
また、自分自身が行っていた思考法の間違い等に気づき、
身体に対して、非常に間違った考えをしてきたことに、
少しずつではありますが、気付き、それに伴い、
自分の身体の事を受け入れることができるようになってきたと思います。
先ほども、書きましたように、まだ、本当の意味で、分かっていませんが。
それで、週末になる度に、その一週間で経験、理解した事等について、
崩残さんに報告させて頂こうかと思ってきました。
そして、週末になる度に、1週間前も、2週間前も、3週間前も、
その時点の状況について、報告しようとしてきました。
でも、その度に、いざ、報告しようとなると、体調が、物凄く悪くなってしまい、
心も、身体に引っ張られ、書く気力も無くなってしまうのでした。
週末の土日の休みになる前日の金曜日の夜までは、
「よし、この弱い身体を受け入れることができた」
「今の状況や心境について、報告しよう」と毎回、思っていました。
しかし、いざ、次の日の休みになると、とたんに体調が悪くなり、
やる気も失せ、報告どころでは無くなってしまっていました。
まるで、自分自身の身体から、
「お前は、まだ、僕の事を受け入れていない。僕の事を大事にしていない」
と言われているようでした。そのように感じました。
そして、実際の私の心においても、
ある程度、体調が、それほど悪くない時には、身体に対して、
「今まで、大事にしなくて、ごめんなさい。これからは、ともに歩んでいこう」
と格好つけたことばかり、言っていたが、いざ、調子が悪くなると、
「やっぱり、ダメかあ。しんどいなあ。苦しいな。
なんで、こんなに身体が弱いのだろう」と、
身体を受け入れるどころか、また、身体の事を責めてしまう始末でした。
そういう時こそ、本当は、身体の声に耳を傾け、
もっと、その気持ちを分かってやるべきであるのですが、
全然、まったく、逆の事をやってきていました。
その度に、「ああ、私は、まだまだ身体の事を受け入れていないのだな」
と意気消沈してしまっていました。
そのような状態ですから、当然、報告する所では、ありませんでした。
このような事が、1度ならず、2度も、3度も繰り返され、今日に至っています。
今、こうして、報告文を書いているのですが、昨日も、今日も、体調が悪く、
「ああ、また体調が悪くなった。今回も報告できないなあ。まったく分かっていないなあ」
と、心の中で自分を、身体を、責め続けていました。
今日も、もう報告できないのではないかと思っていました。
今日、ふと思ったのですけれど、
私は、崩残さんに報告することが、かなり苦痛に思っているということでした。
こうやって文章を書いたりすることは、あまり好きではないし、
かなり苦手意識があります。
できれば書きたくないとまで、思っている始末です。
「でも、待てよ」と思いました。
今まで、何度も、報告させて頂いてきましたが、私の場合、
「よし、次の週末は、報告しよう」と決めて報告してきたことが、ほとんどでした。
いや、報告だけでなく、他の事においても、
朝、起きて、午前中には、あれをやって、午後からは、これをやってと言う風に、
事前に決める癖がありました。
事前にやる事や、やりたい事等を決めること自体は、問題ないと思うのですが、
私の場合、決めた事が、決めた通りに
つまり、筋書き通りにいかないと、気が済まないというか、
自分のことを責めてしまうという悪癖があります。
昨日も、今日もそうでした。
私は、事前に決めていました。
昨日は、午前中に、散髪に行って、買い物に行って、家に帰ってから、
ちょっと休憩をして、それから、報告三昧としようと決めていました。
中略
それで、話が逸れそうになりましたが、思わぬ所で、体調が悪くなってしまい、
報告を書くどころか、起きている事すらもできない状態になってしまいました。
そうなってしまった以上、身体が回復するまで、ゆっくりと休むのが一番なのですが、
私の場合、事前に決めたことができなくなったしまった。
その事が、許せなくて、AC人格が出てきて、心の中で思ってしまうのです。
「また、体調が悪くなってしまった。
身体のせいで、決めたことができなくなってしまった」
身体の側からすれば、
「何を言っているんだ。お前が、悪い物を食べたからじゃないか」、
と言っていたと思いますが、そのような身体の気持ちも分からず、
自分が決めた事ができなかった事が許せなくて、しょうがありませんでした。
それで、昨日から今日にかけて、悶々としていました。
「ああ、今回も、体調が悪くなって、報告できなかった。
もう夕方になってしまったし、これから、お風呂に入ったり、
食事をしたりするし、そうなると、夜も遅くなって、明日から仕事だから、
早く寝ないといけないし、今回も報告できないなあ。
また、来週に、報告するしかないか」
と思ってしまっていました。
今、自分で書いていても、
本当に頭のおかしな奴だなと思うのですが、そう思ってしまっていました。
このように、報告するにしても、他の事をするにしても、
事前に決めないとできないし、また、その通りにならないと
そのような自分が許せなくて、その自分を責めてしまう。
今までの人生、このような繰り返しでした。
そして、また、今回も同じようなことをしてしまっていました。
明らかに、これは、AC人格で、母親由来のものですが、
また、改めて、このAC人格が解除できていない事を思い知らされました。
でも、今、思うのですが、
事前に決め、その決めたような人生が、そのまま展開するなんて、
まったく面白くないです。
その面白くない、ロボットのような事を今だに、やり続けているのです。
それで、今、報告を書いているのは、なぜかということになるのですが、
このような心の状態の私でしたから、当然、くそ面白くないと思っていました。
そうなってしまうと、さらにAC人格が出てきてしまいました。
今日ですが、ある事で、妻と大喧嘩をしてしまいました。
前回の報告の中で書かせて頂きましたが、
現在、妻は、自我判定の依頼をするべく報告書をまとめようとしています。
でも、なかなか思うように書けないようで、イライラしたり、それが影響して、
食事の支度や洗濯等の家事も思うようにできなかったりしています。
それでも、何とか、頑張って、最低限の家事はやってくれています。
報告書も何とかまとめようと頑張っていますが、
実際の報告は、いつになるのか分からないようです。
私も、体調も悪く、決めたことも思うようにできていないため、
イライラしていました。
それで、つい、AC人格が出てきたとは、分かっていたのですが、
つい言ってしまいました。
中略
この後、私は部屋に閉じこもり、妻は、リビングに戻り、
当然ながら、しばらく何時間か会話がありませんでした。
私は、部屋で、色々と考えました。
激しく怒っている妻に対して、なすがままの私でしたが、
やっと本気で、妻が感情をぶつけてきてくれたと思いました。
今まで長い間、妻と一緒に過ごしてきて、
あれほど本気で感情を出したことがなかった。
でも、今回は、もう本当に、殺してやるという勢いで、
私に感情をぶつけてきました。
私は、正直、怖かったのだと思います。
実際、ビビッて何もできませんでしたから。
私のAC人格と妻のAC人格のぶつかり合いだったに過ぎない。
確かに、事実としては、そうですが、
ある面では、彼女が感情を本気でぶつけてきてくれたこと。
また、それに対して、確かに少々ビビり、腹が立った私でもありましたが、
それを私に、思いっきりぶつけてきてくれたことは、少し嬉しかったです。
後で、妻とも話しましたが、
「確かに、殺してやりたいくらい、腹が立ったが、感情を出し切った分、
今、とてもすっきりしている」と言っていました。
「以前の貴方だったら、余り本気で怒れなかったから」と言っていました。
確かに、以前の私だったら、単に反発をして逆上していたか、
もしくは、逆に、「ごめん、怒らしてしまって」と平謝りしていただけの、
どちらかだったと思います。
改めて、感情というものの大切さ、重要さというものを、教えて頂きました。
このような大事件があったことで、
その時の感情に従うということの重要性をしったということもありますが、
実際の所は、余りにも衝撃的だったので、
自分が決めた事が決めた通りにできなかった事に拘り、悶々としており、
かつ、体調も悪かったのですが、そんな事は、ふっとんでしまいました。
そうなってくると、なぜか私も、
こだわっている自分がどうでも良くなってきました。
そうすると、私の感情も出てきて、
「やはり崩残さんに報告しよう」と自然と思えてきました。
今までは、事前に決めないと報告できなかったが、
つまり、ある程度、理解したことや気付いたことがあり、
それらが、ある程度、まとまって整理した状態でないと報告できなかったし、
報告しようとも思わなかったのですが、
今回は、「とにかく書きたい。報告したい」という感情が出てきたので、
その感情に素直に従おうと思いました。
なぜか、話が繋がらないのですが、
そのような事で、今、報告文を書いています。
今の身体を全面的に受け入れたとかいうような、成功体験というか、
そのような上手くいったというような報告にしたかったのですが、
現状、身体の事を受け入れていないのは、事実だし、
格好悪いとか格好いいとかではなく、
今の、今まさに現在の心境を書くのが一番良いと思い、
今回、このような報告にさせて頂きました。
今までも、正直な心境を書いてきた事は、確かに事実なのですが、
振り返れば、
「俺は、私は、これだけ分かったんだ。理解できたのだ」、
「このような事を経験し、できるようになった」というような自慢のような、
格好をつけるような心があったことが分かります。
そのようなことで、今回の報告は、思った事をそのまま書いているので、
まとまっておらず、読みづらい点もあると思いますが、
そのまま報告させて頂くことにしました。
それでですが、私の身体の事について書くつもりが、
随分と話が逸れてしまいまして、すみません。話を戻します。
私の身体の事。
今だに、この身体を受け入れることができていません。
3週間前の頃と比べると、
少しは、受け入れることができるようになってはいますが。
心の底から、この生まれ持った身体と共に、生きていこうと思える所までは、
いっていません。
3週間前、崩残さんからのご指摘を受けて、
いったんは、私の身体に対して、
「今まで、本当に申し訳ない事をしてきて、ごめんね。
これからは、大事にしよう」と涙しながら、強く思ったのですが、
実際に、その後、身体の調子もなかなか良くならず、
やはり、私は、身体の事を受け入れていないということを思い知らされました。
それどころか、母親が、母親自身の身体を呪っているのとおなじように、
私自身も、この弱い身体に生まれたことを呪っていたことが分かりました。
「私は、これほどまで、自分の身体が嫌いだったのだ。呪っていたのだ」
と言う事が分かりました。
なかなか、そのような思いふっきれず、
どうしても今の身体の事が好きになれない。
このような思いに囚われていくばかりでした。
当然、身体の調子もよくなるはずもなく、
どんどんと調子が悪くなってしまいました。
それで、11月30日ですが、
ついにとうとう、仕事にも悪影響を及ぼしてしまいました。
日に日に、身体の調子も悪くなる一方で、
特に、眼の痒みや痛みがひどくなるばかりでした。
家にある自然なクリーム等で何とかしのいできましたが、
状態はひどくなるばかりでした。
そのような状態でも、仕事になると何とか、意志力というか、
何とか力づくで、やり過ごすことができましたが、
11月30日は、もうどうしようもありませんでした。
いったんは、会社に行き、仕事を始めたのですが、
その日は、眼の痒みが特にひどく、仕事もまったく集中できず、
仕事どころか、目が痒くて痒くて、もうこれ以上やったら、
眼にばい菌が入ったりして眼がおかしくなったり、
結膜炎になったりしてもおかしくないくらい、眼をかきまくっていました。
その為、眼は、もう真っ赤に腫れあがり、どんどんと痒くなっていき、
まったく仕事になりませんでした。
いや、午前中、ほとんど、仕事ができませんでした。
これでは、仕事ができないと観念をして、
とうとう眼医者に行くことにしました。
午後から、休暇を頂き、眼医者に行きました。
過去にも、同じような症状を患ったことがあり、
その時も眼医者に行き、いったんは、目薬や塗り薬で、
いったんは治ったのですが、その薬がステロイド剤入りの為、
その副作用で、また再発して、なかなか治らず、
えらい目にあったという苦い経験がありました。
その為、今回は、ステロイド剤入りの薬は、絶対にいらないと思っていたので、
その旨を医者に伝え、ステロイド剤の入っていない、
できるだけ自然な薬にしてもらうようにしました。
今回行った眼医者は、今までとは違う医者だったのですが、
割と理解のある医者で、私の要望をすんなりと受け入れてくれました。
それでも、次のように言われました。
「一応、ステロイド剤なしの薬を出しておきますが、
効き目が弱いので、効かないかもしれない。
もしかしたら、効くかもしれないが」
そうは言われても、私は、ステロイド剤入りは、絶対に嫌なので、
弱い薬にしてもらいました。
医者が言うように、効果がないかもしれないが、
とにかく、弱い薬にしてもらいました。
駄目なら、またその時、考えれば良いと思ったからです。
このように効果があるかどうか、半信半疑ながらも、
これ以上、悪くなると、仕事さえもできなくなってしまうので、
もうすがるような思いでした。
医者で薬をもらって、家に帰って、その日は、寝るまで、
指示通り、一定時間ごとに、目薬、塗り薬、飲み薬を使いました。
その日の夜、寝る前に、ふと思いました。
今、眼の痒みや、痛み、腫れ等の症状で、
嫌な思いをしたり、苦しんだりしているが、
もし、この症状がまったくなかったら、どうなのだろうと思いました。
症状がないということ。
これって、死人と同じではないかと思いました。
死んだ人には、身体の反応や症状がない。
つまり、私は、身体の不快な症状がないことを望み、求めているが、
これって、
死人のようになれと身体に言っているのではないかと思いました。
症状がないことが丈夫で健康な身体であると思っていたが、
それは大きな間違いで、
今、症状があるということ、身体から反応が出ていると言う事。
その出ている症状や反応が、不快であろうが、快感であろうが、
それが、生きていると言う事ではないかと思った。
だから、症状が出ていることに対して、私は、文句ばかり言っていたが、
それは、言い換えれば、身体に対して、
「死ね」と言っていることと同じではないかと思いました。
だから、今、身体から症状が出て、不快な思いをしているが、
これでいいのではないかと思いました。
そのようなことを思いながら、寝ました。
次の日、不思議と、眼の痒み、痛み、腫れが、
嘘のように消えて無くなっていました。
薬の効果もあったのでしょうが、
以前、もらった効きの良いステロイド剤入りの薬ではなく、弱い薬でした。
しかも、前回の薬の方が、効果が高かったのだが、
それでも、治るのに何日もかかっていました。
ところが、今回は、1日もかからず、たった一晩で、
今までの症状が嘘のように無くなってしまった。
これは、どういうことだろうかと考えました。
薬の効果も半分はあったかもしれない。
しかし、半分以上は、私が、少し、身体の気持ちが分かったから、
身体の声が聴けたからだと思った。
私は、嬉しかった。
もっともっと身体の事を分かってあげよう、声を聴こうと思った。
このような思いで、週末までの約1週間、
「この身体と共にやっていこう」と心に思い、
また、心に決め、仕事を続けました。
その間、仕事中眠かったり、身体がしんどい時もあったりしたが、
以前とは違って、身体と共に過ごせたように思いました。
そして、週末を迎えたのですが、先週末、1週間前の事です。
「私は、この身体のことを受け入れることができた」と思え、
その事について、報告しようと思いました。
しかし、冒頭でも書きましたように、いざ、報告しようと思うと、
この時は、体調が悪くなるというのもあったのですが、
それよりも、今まで、日々、嫌な事も、しんどい事も含めて、
色々な事が楽しく感じられ、かつ、やる気も自然と出てきていたのですが、
この時は、急にやる気が失せると言うか、
まったくやる気が無くなってしまいました。
この時は、自分でも、何が起こったのか意味が分かりませんでした。
今まで、自然と楽しみややる気が出ていたのですが、
それが、まるで嘘のように無くなってしまったのです。
この時は、正直、思いました。
「ああ、また、前のAC人格の自分に戻ってしまったのではないか。
基幹房は、どこかに行ってしまった」
もう、どうしたらいいか分かりませんでしたが、
どうすることもできず、やる気がないのだから、
その感情のままに任せるしかないと思い、
そのままに任せ、その土日の週末は、何もやる気がないまま、
寝たり、テレビを観たり、ボーっとしたり、何をするのでもなく、
ダラダラと過ごしました。
そのように土日を過ごし、日曜日に、夕食を食べ、
歯を磨いている時に、ふと急に、思いました。
昨日と今日と、私は、やる気がまったくなく、ダラダラと過ごしていたが、
身体が、やる気がなかったのではないか。
つまり、主人である私が、身体の症状や声に耳を傾けず、
身体の事を責めてばかりいるので、
その身体がやる気をなくしていたのだと思いました。
私自身も、子供の頃、親にいくら訴えかけても、何も聞いてくれず、
いくら言っても何を言っても、何も答えてくれなかったので、
うんざりして、嫌になって、やる気を無くしたこともあった事を思い出しました。
それと同じように、私の身体も、
症状を通して、訴えかけているのに、何も聞いてくれない。
なにも答えてくれない主人である私に対して、うんざりして、
やる気をなくしていたのだ。
ある時、私は、「この身体と共に歩んでいこう」と心に決めた。
つまり、何があろうと、この身体と一体となって一緒になって、
この人生を歩んで行こうと思った。身も心も一つだと思った。
だから、やる気を無くしている身体の心が、
私の心に伝わったのではないか。
私は、心が、やる気をなくしていたが、
身体がやる気をなくしているという、その気持ちを私の心が感じ取って、
いや、感じ取るとかではなく、身も心も、一つなのだから、
身体の心が、私の心に表れているのだと思いました。
そして、やる気をなくすということは、
こんなにも辛く、苦しいだということを、
今回、久しぶりに、やる気をなくして十分に味わったが、
そのように、身体自身もやる気をなくして、
苦しみ、辛かったのではないかと思いました。
「身体と共に歩もう」と言いながら、
まだまだ身体の気持ちを分かっていなかったと思いました。
このようなことに気づき、また、やる気が出てきて、
今週末までの1週間、以前よりも増して、
楽しく日々を過ごすことが過ごすことができました。
そして、今回の週末を迎え、
やっと、崩残さんに、いい報告ができると思っていたのですが、
いざ報告しようとするとまた、悪くなってしまい、
改めて、身体の事を受け入れていないと言う事を思い知らされたのです。
以上、今週末の出来事に始まり、3週間前からの出来事等に対する、
私の反応や感情等を書いてきました。
冒頭でも書きましたが、
正直、今の身体を完全に全面的に受け入れることはできていません。
でも、少しずつではありますが、
身体に対する理解、いや、そんな大層なものではないな。
今の身体に対して、少しず、親近感が出てきています。
この世に生まれる時の契約に失敗して、
今の弱い、丈夫でない身体を選んでしまったのかもしれないが、
今、結果として、事実として、この今の身体が、
私にとって、かけがえのない、代用品のない、
ただ一つの身体であるのだから、
身体から出てくる症状や反応から、それに対して、
私が色々な思い(不快な思い。苦しい思い、快感な思い、気持ちいい思い等)を
これからも、していくことでしょう。
その度に、苦しんだり、嫌な思いをしたり、楽しい思いをしたりするだろうが、
それらの経験を通して、この身体との付き合い方、
自分自身とのコミュニケーションを学んでいくのだと感じています。
まだまだ、理解が浅い私ですので、
時には、一瞬、身体のことを責めたりすることもあるかもしれません。
でも、今までのように、ただ一方的に、
身体が悪いからというようなことは、したくないです。
いや、しないと決めた。
あともう一つ、思った事がありました。
今までは、他人と比較して、私の身体は、弱い、丈夫ではないと思い、
身体のことを責めていたが、
そもそも、他人と比較すること自体、間違っていると思いました。
確かに、他人と比べると、丈夫な人と比べると、
色々と気にかけて面倒をみていく必要がある私の身体ではあるが、
それがあるからこそ、身体に対して、より気持ちを向けられるのだし、
比較して、何を持って弱いとか強いとか言えるのかとも思いました。
違う面でみれば、他人よりも敏感に身体が反応しやすいともいえるからです。
そして、もっと言えば、他の動物と比べても、
人間ほど、ひ弱な生き物もないという事実があります。
実際、猫や犬などの動物は、服など着なくとも、
裸で、夏でも冬でも生きていけるが、人間は、服を着ないと生きていけない。
さらに、夏用と冬用で着る服も変えないといけない。
それで、私は、気付きました。
あくまでも、私は、
同じ人間と比べて、自分の身体が弱いと文句を言っていたが、
他の動物と比べて弱いと文句を言っていなかったのです。
これは、すごい、おかしいことを私が言っていたと思いました。
要するに、こうして比べていくと、
どんどんと悪いことばかり見ていくことになり、
結局、その矛先は、自分自身に向かっていく
という間違いを犯してしまうのだと思いました。
今の身体が悪いから、弱いから、嫌だとか、
今の現状が嫌だから、問題だらけだからとか、
文句や、不平不満を言っていては、
そこからは、何も始まらないし、不幸になるばかりであると思いました。
現状の身体や環境が悪いからと文句だけを言うのではなく、
そこから出発していく、始めていくと言う事、改善していくと言う事、
そういう思考が大事だと思いました。
そうしないと、死んだ時に、
今生では、身体が弱かったから、次は、丈夫な強い身体に生まれよう
というような単純な間違いを犯しかねることになりかねないと思った。
今の私なら、その間違いを犯してしまう可能性が非常に高い。
だから、身体から出てくる症状や反応、
また、心の中から出てくる良い感情や悪い感情に対して、
たた単純にこれは嫌だ、これは苦しいと決めつけるのではなく、
まずは、それらの反応を味うということ。
これが大事だと、改めておもいます。
身体の事も完全に受け入れていないし、
AC人格も時折、出てきて、まだまだの私ですが、
少しでも、より本来の、中心の自分に近づいていけるよう、
日々、歩んで行きたいと思います。
けっして、楽な道ではないですが、やっていきたいです。
以上で、今回の報告を終わりたいと思います。
では、またメールさせて頂きたいと思います。
________________________________
●基幹房さんも、今回のあびさんのブログを、
身体について向き合うときに、ぜひ参考にしてください。
また、トラウマを自己分析している最中または、
もう理解したはずだと自分で思っているのに、
毎日、職場や家庭でAC人格のままの人たちもです。
今回も、私が勝手に副題をつけました。
『 ピリオドの涙 』
http://mmjhb11.exblog.jp/22651295/
______________________________
★
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