▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[573]
■
★分割自我復元★その573●【トラウマ掘りの報告】●
by:
鈴木崩残
2016/01/27(Wed)09:46:41
2つの「報告」
●とても重要で、貴重な報告でしたので、2件掲載します。
この2件の報告を頂いた時の、私の心情、感慨については、
語りの「完結編」となるCDの、
「足元の宇宙風景」(2月前半発売予定)の一番最後で語りました。
************************************
崩残 様
こんばんは。
いつもお世話になっています。
途中経過の報告をしたいと思います。
よろしくお願いいたします。
●以前、夢を見たという報告をしたと思います。
汲み取り式トイレに落っこちた夢です。
便器の中に落っこちて糞尿まみれになっている自分を
もう一人の自分が「どうせもうすぐ死ぬんだから」
と、見て見ぬふりをして、放置した夢です。
その時の私は、便器に落ちた自分を、眺めている側の自分でした。
ところが、昨年12月にその夢を思い出した時、
私の意識は、便器に落ちた側の自分なのです。
だからどうしても、そこから出なければならないのです。
だからだと思うのですが、
何をしようにも
出来ないかも、とか、頑張ったけどだめだった
という諦めが、起こりようがないのです。
意識の立ち位置が変わるというのは、
不思議でした。
●父と母について
父方のおじ、おばたちは皆、ヒステリックで、暴力的。
そして兄弟間は仲が悪く、殺伐とした一族だった。
何故父は母と結婚し、自分の親族と同居したのか、不思議だった。
自分がもし父の立場だったら、
好きな人ができても、結婚をためらうと思った。
こういう殺伐とした一族の中に好きな人を放り込む
というのは、考えられないと思った。
せめて同居は絶対しなかっただろう。
なぜ暴力的な父親、冷たい母親、
ヒステリックな兄弟の中に好きな人を放り込んだか。
母をその中で、たった一人にし、心細く寂しくさせ、
自分により依存していくことを無自覚に計算したのではないか。
私の姉が叔父に逆らったために、半殺しにされた時
母も叔父に呼ばれ「お前の育て方が悪い」と、土下座を強要された。
母は叔父に土下座して謝った。
そんな人間と同居させ、
一方で父は、母の洋服はいつも高級百貨店などで、
高価なものを買ってやっていた。
50歳を過ぎた頃、足が悪くなり杖をついていた母を
色んなところへ連れて行ってやろうと、
高級車を買って旅行に連れて行ったりしていた。
これは本当に残酷な二重拘束だ。
祖父は、祖母が隣のおじさんと世間話をしても、
嫉妬して暴力をふるっていたようだった。
父も、母が親の死を悲しむことさえ嫉妬していた。
母を自分のためだけに存在させたかったのではないか。
そのために自分の一族の中で母を拘束して、
時に優しくしてやり、自分から離れられないようにした。
しかも母もそれを承知していた。
引っ込み思案の母は殆どの対人関係において
父に矢面にたってもらっていた。
母は囚われの身となって、自分を父に守ってもらおうとしたのだ。
呪縛する方もされる方も了解していたのだ。
母は13年前に亡くなり、
今父は、私の姉と妹と3人でマンションに住んでいる。
マンションのリビングは8畳弱の広さだが、そこに母の写真が13枚ある。
A4サイズに引き伸ばしたものが、その内の約半分。
亡くなった後の、お棺の中に入っている写真も仏壇にある。
姉も妹も、それらを母への愛情の深さだと思っているようだが、
私は父の執拗さに窒息しそうになる。
●父は私の今の生活に深く入り込んでいる。
結婚した時から、要らないと言っても
高価な箪笥のセットや、家具などを買ってくれた。
また現在の分譲住宅も父が見つけ、頭金を払ってくれた。
私の夫が株式会社を立ち上げた時、
面倒な手続きを殆ど、父がやってくれた。
父たちが引越しをした時は、新しい家に持ち込めない物や
箪笥などの家具が、私の住宅に運ばれ、家の中は一気に狭くなった。
私もフルタイムで働いているが、余裕がなく、
子どもたちの大学や専門学校の学費は、ほぼ全額、父が払っている。
奨学金は返済が大変だから、払ってやるというのだった。
一月中旬、父から、来年度の子どもの学費はどうなっているか、
連絡をよこしなさい、とメールがあった。
私は「奨学金で支払うつもりです」と返信したが、
それっきり、父から連絡は来なくなった。
私は父が思っていることがわかるような気がする。
父は、私の子どもの学費を「払ってやっている」のだ。
私が父の拘束下にいたからこそ、機嫌よくそうしていたのだ。
父の思惑通り、いつもひれ伏していた私が
今回は、いや、今後もだが、その状態を拒否した。
「俺の統制下から抜け出そうなんて、やれるものならやってみろ。」
と思っている。
そして私が
「やっぱり学費を払いきれません。都合してもらえませんか」
と頭を下げ、泣きついて来るのを待っているのだ。
昔、父の仕事で、父に支払われるべき何百万円かを
持ち逃げしてしまった人がいたが、
後にその人が父のもとへ謝罪にやって来たら、
父は許してやったそうだ。
母は、「どんなに裏切った人間でも、謝れば許してあげる
お父さんのそういうところが尊敬できる」と言っていた。
私は、父は懐が深いのではなく、
自分の足元に人を跪かせたいのだと思う。
跪けば許してやるのだ。
逆に、自分に従わない者、跪かない者は思い切り踏み躙る。
子どもの学費に関するメールから10日ほどして
また父からメールが来た。
内容は、
・****を設立した。
・私に監事を頼みたい。
・登記に住民票が必要だから用意して欲しい。
・理事長は父。理事は**、**、*****など。
・****が来日し、後日契約をする。
だいたいこのようなものだった。
これは凄いことなんだぞ。
お前をそこに参加させてやるんだぞ。
お前に金が入るようにだってしてやる。
という気持ちが感じられた。
私は電話をかけ、
「私はいい(やらない)」と言うと、父は
「はい」でおしまいだった。
言い合いになると予想していたし、
場合によっては黙殺されると思っていたが、思い切り、黙殺だった。
父は自分に従わないものに対しては、
バッサリ切るという方法で、踏み躙ることがあった。
そして「命令に従わないと本当に切り捨てるぞ。
跪くなら今のうちだぞ」と言っている。
今のうちも何も、私はもう父に跪けない。
やらないのではなく、やろうとしても、もう出来ない。
●仕事をしていて、ちょっとしたミスをしてしまうと
とんでもなく落ち込むことがある。
自分が、どうしようもなくダメな、価値のない人間に思えて仕方なくなる。
誰だってやっているちょっとしたミスなのに、
なんでこんなに自分を全否定してしまうのか、
母との関連の中から探ろうとしていたけれど、父とも繋がった。
父は学歴主義者だったから、
子どもの頃からよく、算数を教えてくれた。
私は算数が苦手だったし、
理工学部を出ていた父の教え方では難しすぎて
何を言っているのかさっぱり分からなかった。
父は私の頭を叩いたり、舌打ちをしたりして苛立った。
「やれ」ということが出来ないと、
まったく、価値のない、どうしようもない人間だという、
侮辱するような表情や態度で私を全否定した。
父の厳しさは、
私たち子どもを強い人間に育てたく、そうしているのだと思っていたが
気に入らなくて、ただ踏み躙っていただけだ。
爪の先ほどのミスで、自分を全否定する人格は
父との関わりの中で生まれたのだ。
●姉は昔から気が強く、気に入らないことはすぐに顔に出す。
良くも悪くもまっすぐ自分を表現する。
私が夕飯時、約13年間、ほぼ毎日叔父の隣に座っていたことは、
姉と大きな差を生んだように思う。
最近の自分の対人関係を見ていて分かったのだが、
私は人が傍にいる時、仕事をしながらでも、
じっとその人に神経を張り巡らしている。
相手の空気に耳をそばだてていて、相手の様子を伺っているのだ。
全く誰に対してもそうだった。
これは食卓でいつも、叔父の隣にいたために身に付いた習性だと思う。
叔父の空気感、雰囲気をそうやって感じ取ろうとしていた。
その場の平安を保つために必要だったからだが、
あの場の平安を保つのは、どうしても活発な姉ではダメだった。
母が席順を決めたわけではないが、
すばしこい姉と、私では必然的にこういう席順になるのだった。
母は叔父のイライラをそれ以上増幅させないために、私を利用したし、
私をもっと無条件降伏的な人間にするために、叔父を利用した。
「可愛そうだったけど、どうすることも出来なかった」だって?
あなたは計画通りに事を進めたよ。
遠巻きに見ているという、全く手を汚さないやり方で。
これは裏切りなどというものじゃないだろう?
初め、あなたと私は一体だった。
あなたの子宮の中で、あなたから養分をもらい
あなたの中で手足を動かし、寝返りをうち
あなたの中であくびをし、
くしゃみをしたりしながら、
あなたの中で大きくなった。
あなたは私の味方のはずだった。
あなたが味方だったら
叔父なんて、あんな奴、へっちゃらだったのに。
あなたさえ味方だったら、私は無敵だったのに。
どうしてだか分からなかったけど、
子どもの頃、胸が張り裂けそうに悲しかった。
●私のAC人格は、人に従順な態度を示すことで気に入られ、
相手の懐に取り込まれて安心しようとする。
**の先生は、どうしたら良いか、ということをすごく考えてくれるけれど
決して私を懐に取り込むことはしない。
支配しようともしない。
従順であることを、喜んだこともなく、
大人しいことを良いとも思っていない。
それが私はとても寂しく、不満だ。
従順な私に好意を持って欲しい。
私を特別な、大事なものと認識して欲しい、と思っていた。
そこに、「従順で大人しい自分を、特別視している自分」がいた。
「私は人と違って、自分を完全に押し殺すことが出来て、
人を不快にしない、特別な人間なんだ。他の人とは違うんだ。」
と思っている。
私が、声を出す時に感じる恐怖心は、2つあって
自分を外に向って表現する時感じる恐怖心と、
もう1つは、自分を表現することによって、
特別じゃない、ただの普通の人間になってしまう恐れだった。
普通の人間になってしまったら、
この世界で全く無価値な人間になって
自分など消えてしまう。
だが「オンリーワン」などと言うのは、AC人格の主張だ。
オンリーワンもその他大勢もない。
そんな視点など、そもそも存在しない。
私は、この「自分は特別だ」人格の言い分を、よく聞いていやり、
深く理解を示して、共感してやり、
最後に、
ずたずたにしてやろうと思う。
以上、すべてが本当に途中でありますが、
色々と動き出していると感じていまして
ご報告させていただきました。
読んでいただいてありがとうございました。
>「Aさん」(主婦)より。
************************************
鈴木 崩残 様
今は、半年の雇用の継続が決まり、自活に向けての資金をためているところです。
家探しはツテを頼っていますが、
5月までは物件の募集が少ないとのことなので、
5月以降に物件を探し、本格的に自活を始めることになりそうです。
焦りもありますが、しばらくは、長い忍耐の時が続きます。
以下、日記からの抜粋・編集を行っています。
正に、自分がそうだ、といえる程のACが、いた。
馬鹿にされた、と思う、
もしくは、大したことのない様な人間と見られた、という恨み。
「自分をいじめたり、軽蔑したり、馬鹿にする他者を、探し回る」
標的にされ続けた、のではなく、
自分の怒りを、代理で受ける相手を探していたから「反抗しなかった」
違うと思ったことを触れずにしておく、
今までそれが配慮だと思っていたことに気づく。
ただ、それではいくら話したって何の進展もない。
仕返しが怖くて、心の中だけでの軽蔑に終始した。
見下すやつを見下す、
自分のほうがまともだと、中学生の頃からそう思い始めた。
当時の自分に、馬鹿にされたくて、怒りのうっぷん晴らしをしたくて、
いじめられているんだろ?と聞けば、
自分は、絶対に認めなかったに違いない。
いじめてきた卑怯なあいつらが悪いんじゃないか。
自分はこんなに嫌な目 にあったのに。
どこも悪くなんかない!
と、これまた心の中でそういっただろう。
しかし、他にいじめを受けた人を見ていくと、
根に持つか持たないか、
評価を周りから受けているかいないかで、
共通した特徴があった。
恨みがましいか、やり返さない人、
口先だけのお調子者、普段何を考えているかも分からない、
人を寄せ付けない人。
皆出来もしないことを出来ると表に示していた。
口では話さずとも、いじめた相手をやり返す、だったり、
調子のいい軽口だったり、人を見下すわりには、大した能力もなかったり。
前世どころか、幼い時から力にまかせて弟に八つ当たりしていた。
弟に対する いじめは、未だに深く掘ってはいなかった。
いじめといじめられが、コインの裏表のように、
もう片方の加害者として、いじめた側としてのACがあった。
いじめられながら、いじめていた。
どちらも、打ち合う程の度胸もないから、起きることでもある。
お互い知っていながら、傷に触れないのが、付き合いか?
友達と呼ぶ相手にも、そんなぎこちなさが残り続けている。
いじめられる原因も、弟をいじめる原因も、
親からの制圧から始まった。
弟が自分のものだと主張して譲らなかった時、
ムカムカして、力ずくで取り上げて奪おうとした。
弟には結局勝てることを知ってやっていた。
両親も、自分たちが無力であること を知った上で、脅しをかけた。
自分に都合の悪いことがあれば、
ただ弟を叩いてしまえば、それで弟が泣いて済んでしまっていた。
罪悪感を感じても、弟が反抗するからいけないと言い訳して、
気分で罪悪感をねじ伏せた。
両親も微かに残っていた、違和感や罪悪感を言い訳で消したのだろう。
こんなことをしておきながら、
「自分は被害者だ」と、
いじめのターゲットにされ続けた弱者だといえるだろうか?
弟のいじめとは関係があった。
裏が表に、表が裏に返っただけのことだった。
弟をいじめていたことに、大して罪悪感を感じていない。
もし、自分をいじめた相手に、今会ったとして、
同じことを言われたら、果たしてそんな、
いじめた側に回った自分を差し置いて、
相手を責めることが出来るだろうか?
今までこの二つをつなぎ合わせて考えることは絶対にしなかった。
さぞ、自分の前世を遡って見ていけば、嫌悪するだろう。
多かれ少なかれ、ACだけは、同じ様なことを繰り返していたのだから。
今日は辛い一日だった。
希望の持てる日でもあった。
ずっと同じ姿勢でいるためか、胸の辺りが痛くなった。
肺か心臓か?と不安になったが、痛みは痛みだった。
その痛みに任せて見ていると、
やはり痛みは痛みで、不満とは別のものだった。
今朝見た夢は、自分の状況を示しているように見えた。
校庭にクラスで集まり、先生が話していた。
先生の言うことには耳を貸さず、
クラスメイトに絵や写真のついた本について、
思うままに自分の思ったことを言っていた。
相手は感心したようにうなづいて聞いている。
それが済むと、ばいばいと言って、歩いて離れていった。
すると突然不良に囲まれて詰め寄られ、何か怒っていた。
自分が何の脅威になる?と言っても、耳を貸さず、
一度自分は走り出して逃げようとしたが、
周りにはたくさんの不良がいて、追いつかれるのは目に見えていた。
観念して、振り返り一人に向かっていき、
相手に押し返されたところで終わった。
口では自分が居ないかのように振舞って、
どうせ、数で向かってきたら、逃げ出すんだろ、
とACが聞いてきたかのようだ。
それなら、自分が敗れていく様子を見ておけばいい。
職場で上司の**さんに言われた言葉で、
傷ついたことを伝えた途端、のどの奥が熱くなった。
この感じをよく覚えていた。
のどまで、親に怒られた時の感情が出かかっていた。
後からしばらくして、
あの時の自分は傷付いたんだ、と今になってようやく分かった。
ぎこちないが、相手に伝えた。
それが例え、思い込みに過ぎなかったとしても、
AC人格にはは、それが言えなかった。
お母さんに見放されて、傷付いた、悲しかった、辛かった、って。
見捨ててなんかないよ。
欲しいものはなるだけ買ってあげたでしょ。
面倒は出来るだけみたでしょ。
そんな無茶苦茶なことを平気で言える、親だったんだ。
そうやって、全く違うことを本当だと思い込ませた。
母親に見捨てられていた。
辛かった。
悲しかった。
親に対するどんな反論や正論より、必要な言葉だった。
仕事場でメモを取らなくなったことで、注意を受けた時、
自分が全く努力をしていないかの様に言われていると感じた。
その後で、**さんが他の職場の人と世間話をしている間、
**さんに対して、寂しさと怒りを感じ始めた。
自分はそれが起こるのを見ていた。
家から追い出された時からだったと思う。
嫌だと言ったところで、認めて貰えない。
母親は助けてはくれず、父親の味方をした。
深く傷付いた。
そのことをもう誰にも言えない、と感じた。
一人で布団に潜って泣くぐらいことしか、出来なかった。
何で助けてくれなかったの?と聞くことも、出来なかった。
それが、底にずっと残り続けた。
作業中、向こうで職場の人たちが
くだけた口調で話して盛り上がっているのが聞こえた。
きっと、自分を笑っている、馬鹿にしていると不安になった。
元は他人の言うことから生まれたACが、
「私だけは、信じてもいい。」と言う。
散々、他人の悪口を吹き込んで、
周りは信用できない、と思い込ませる。
それは結局、
自分の言うことだけを信じ込ませるために、
周りを敵だと見なすよう、誘導したのだ。
中でも、ACが絶対に触れさせまい、としたのが、怒りだった。
本当の、怒りだった。
他人の怒りに触れない。
他人を怒らせないのではなく、関わろうとしない。
自分の怒りにも触れない。
ああだこうだ、と頭の中で怒っても、
その怒りに、飛び込もうとはしない。
もし、AC人格の姿が見えたとしたら、
他人がACと同じことを、自分にしてきたとしたらどうだろうか?
例えば、相手に何か言おうとする時、
横から遮って勝手なことを話す。
何かの契約をする時、横から勝手に契約書にサインする。
欲しくも ない物を買わされ、
手を引かれ、行きたくもない所に連れて行かれる。
一挙一動、こっちを見るな、あっちを向け、と指図する。
食べたくもない物を口に運ばされる。
その挙句、
お前は私だ、と言い出す。
こんな他人が付きまとっていたなら、黙って見ている訳がない。
よほどの意志薄弱でない限り、
警察に突き出すか、手を振り払ってその場から逃げるだろう。
ところがどうか。
姿が見えないだけで、
AC人格は全く同じことをしているのに、拒絶できなかった。
ACという名前のストーカーは、
家、職場、出かけた先に、うじゃうじゃ出てくる。
ACがのさばっている、というのは、
この状況に、何も抵抗していないのと同じ。
これのどこが、自分の人生なのだろう?
AC人格を消す、消し去るということは、
何の誇張もなく、当たり前の行動だった。
違和感を感じて当然、不快感を感じて当然。
消えてしまえ、と思って、何の不思議もないことだったんだ。
自分の理解できる範囲には限りがある。
知りようのない現実も存在する。
選べない選択肢も。
正しさというのは、一種の思い込みや信用だ。
正しさを感じた、あるいは逆の、間違いを感じながら、行き来していた。
親から始まって、
先生、規則、同級生、知らない誰かの一言、結局どれが正しいのか、と。
それこそ、どれも「正しくない」。
正しいと思う必要がなかった。
正しいの前にはほとんど、
○○だから正しい、という理由がついた。
本当は、正しさなんて一度でも感じたことがあっただろうか。
ことの初めから、間違えない必要もなかった。
何故、間違えてはいけない、誤った道を選んではいけない、
間違いのある自分を許してはいけないようになったのか。
みっともないACが出ている自分がいないはずがないのだ。
それを遠ざけて、なかったことにしているのか。
自分と意見が対立する場面でも、
怯えなくなっていることに少し驚いている。
ショックは受けるが、怯えることはない。
あくまでその人の見方だと思っている。
今日も、職場でACが出てきた。
周りから笑い声や笑い話が聞こえてくると、
自分の悪口を言っているんじゃないかと思い始める。
ここにきてもなお、いっそう病理が現れてくるようになった。
周りは敵である。信用できるのは「自分」というACだけ。
そういう状況にACは持っていきたがっている。
散々裏切ってきたのは、お前だろ?あなたでしょ?
逃げてきたのはあんただろう?私だろう?
最初にその選択肢を選んだのは。
親とグルになったのは。
あなたたちだろう。
笑った日もあった。楽しいときもあった。
では何か?
そんな日が、一日たりともなければ、
晴れて親を責められるとでも?
全くフェアではない 。
初めからフェアでなかったのは誰しもそうだ。
あの馬鹿な両親ですら、それを知り尽くしていたから、
あんな見下した態度がとれた。
母親も、見下していたんだ。
でなければなぜ、自分の子供を、見捨てておきながら、
後で味方の顔をして騙そうとするのか?
それを騙せると踏んで、自分にも、子供にも、嘘をついてきた。
気まずい食卓。
幼いころ、
母親が帰ってくると家の中が一気に華やかになった気がした。
今になって、楽しい家庭を作っていたのは母親だ、と気づく。
実は退屈で、ちっとも楽しくない場面でも、
母親はその場を盛り上げて取り繕った。
楽しければいいの?
そんなの嘘じゃないか!
嫌な気分の時でも笑うのは、嘘をついていることだって、
子供の自分にもわかった。
無理をしていることは、無意識でも感じていたんだ。
だから、自分は笑う人を信用し切れなかった。
どこかでいつか、
怒り出してそれっきりになるんじゃないかと不安がった。
そうだ、
本来ならば自分を助けてくれるはずの大切な場所に限って、
大切な人に限って、そう思うようになった。
いつか裏切られることは、
まぎれもない自分の中の真実になっていたんだ。
それを教えたのは、間違いなくあなたですよ、お母さん。
言ったよね。
「うちは 楽しい家だ」って。
嘘だったね。
笑う時もあった、と。
でも一緒にいた私は、「楽しもうと」していたんだよ。
意味が分かるか。
楽しそうに振舞わせるように、あんたが、盛り上げて仕向けたんだ。
殴っていないし、力ずくで言うことを聞かせないから、
お父さんよりマシでしょ。
そう言ったようなものじゃないか。どこを信じろというのか?
見捨てたよね?
声をあげて泣き叫んでも、結局、助けてはくれなかった。
一番大事なところで見放した。
全て、波風が収まってから、そろそろと出てきて、
味方のフリをしてなぐさめてくれたね。
どうでもいいときに限って、ベタベタくっついていたのに、
寂しい時には、いつもいなかったね。
「親だから」って言い訳、何度しましたか。
私は、もう親だと思いたくても、思いたくはない。
親って、そんなにどうでもいい様な存在だったの?
あなたが、口先よりも、真っ先に行動で教えてくれたんですよ。
信用できない相手だって。
最後には見放すんだって。
ただ、顔が似ているだけのことじゃないか。
ただのコピーが、親子なの?
あなたの母親も、結局親ではありませんでしたね。
父親に対しては、言葉もない。
たまに機嫌よく冗談をいうのが嘘だと思うほど、
訳の分からない怖い存在だった。
最初から最後まであなたの言うことは、全く理解できませんでした。
ただ、力ずくでやられるのが怖くてうなずいていただけ、
会話もそれと大差がなかった。
友達の多さばかり、自慢していた。
幼稚園児だった自分は、
それに劣等感を感じて、下から見上げていた。
これが、尊敬ですか?
そんなに、怯えさせる様な存在が、父親ですか?親ですか?
最後に捨て台詞に言っていましたね?
親だからだって。
親 じゃない。
あんたは親を名乗る資格もないことを力ずくで隠し続けて、
家族ごっこをしていた。
なぜ、自分の子供が傷ついているのが、ちっとも分からないの?
疲れたといって いる子供をなぜ信用しないのか。
どこまでいっても、あなたの頭の中の意見のほうが正しいんですね。
そんなに、「偽者」のほうが信用できるんですか?
そんなにあなたの助けになったんですか?
もう、手遅れになりましたね。
あなたは、逃げることしか出来ませんね。
結局は、一人であることを理解する前に、
一人で居続けるんですね。
そんな、父親とは、いくら一緒にいてもつまらないだけです。
もう、家族ごっこはお終いだ。
さようなら。
一人が好きなら、いつまでも自分一人で、
本当に一人になって、そうしていけばいいんです。
さようなら、偽者の家族。
こんな家族にはたとえ「別人」になっても、
二度と会いたくはありません。
親になりきれていない人間が、
家族になろうとするのがムリなことです。
本当に、寂しい、悲しい家だった。
どこまでいっても、勘違いだらけの安心しかない不毛な家庭だった。
いつまでも同じ様なことで荒れていました。
それが、この家でした。
数年前の自分が怯えたのは、目的の不明確さ、怠惰さが、
最悪の状況から抜け出したいという意思すらも、
覆ってしまっている状況だった。
どこをどう探しても、正常さはなく、あるのは全て、
妄想をさらに歪めることにしか役に立たない考えや行動、言葉、
それしかないことを思い知らされることだった。
自分の、全くの救いようのない状態を、直視することに怯えていた。
ただ、過去のことも忘れ、そのことだけに怯えていた。
崩残さんのことも目に入っていただろうか?疑わしい。
あさっての方向を向いたまま、見まいと逃げていた。
ただ、逃げる先が、
一生、何の意味も価値も感じない家での寄生生活を、
親に小言を言われながら、続けるしかない、
というほかなかった。それだけのことだった。
その時には、あの閉め出された家にしか、
居場所がないと思い込んでいた。
今だって本当は、帰る場所はどこにもない。
家だって 、ここは、
自分の生まれた家というより親が棲む場所でしかない。
自分の居場所は用意されていなかった。
お金を稼いで自活する?自分のしたいことをする?
あるいは、もっとお金を稼いでやりたいことをする?
どれも、決して楽しみきることすらできないのは、
予想するまでもなくわかっていることだ。
そもそも、好きなことが何なのかも、分かってはいない。
それを探すことは、今までのトラウマ掘りの道草のような物だ。
何のためにやりたいことを探しているのかといえば、
死んでも死に切れない未練を捨てるためだ。
ここを離れる決心をつけたいからだ。
数年前から今までやってきたのは、
何かを捨てる、見限ることだった。
趣味も、性癖も、役に立たない人格も捨てて行く。
必要な物はそう多くはない。
必要だと思い込まされてきた物を見てきた。
真っすぐ下に下りて、見てきたんだ。
初めは、自分の思い描いた、最悪の状況から抜け出すためだった。
要は、引きこもりのニートから抜け出すためだ。
にっちもさっちもいかなくなった状況から、脱出するため。
自分にとって切迫した状況は、それだった。
今はどうか。
一人で自活するため?
それは手段だ。
自分の過去を掘っていく時、自分の障害を知った。
自分の好み、癖、行動、その大半が、
トラウマや、障害から出てきた、外付けのものでしかなかった。
「自分」とは一体、何なのか?
自分の考えでもない、意見でも、好みでもない。
どれも、たまねぎの皮のように見えた。
掘っていく中で、この疑問が湧いてきた。
目先の状況だけに目を向けていては限界が来るのは必然だった。
状況が少しでも好転したと一度思えば、
小さく安堵してそこに浸ろうとするからだ。
親がくれてやった、小さな安堵感と何も変わらない。
何も、変わらなかったじゃないか。
一体、自分の何が変わった?
社会に出て働いて、
以前からいる、恐れや不安に怯える自分は居続けることに、
やっと気づいた。
怯えるだけならまだしも、
避けて通り抜けようとする自分が嫌でも目に映った。
ぬるいんだ。
そうだ。
始めた時から、自分にぬるさを感じていた。
どこかに逃げ場がある。
そのままでいいと思わせる、逃げ場が母や祖母の中にあった。
自分を守ってやっている、と思わせるための、
わずかな安心をもたらす場所。
結局、家族なんだから、仕方ないよね、大目に見てね、
という逃げ場。
落とし所。
お互い様とは、よく言ったものだ。
どこがお互い様なんだ?
一体自分が何をしたというんだ?
ただ、遊んでいただけだ、思ったことを言っただけ。
あふれる感情を出した、躊躇なく出しただけなのに。
知っているだろうが、あえて問う。
なぜ、押さえつけるのか?
なぜ躊躇する?
恥ずかしい?
ウソだ。
そんなことを、思ったことがあの時あったか?
周囲なんか見ていなかった。
関心は、自分の今の気持ちが全てだった。
自分がどう思うか、だけで頭の中はいっぱいだった。
周りを意識しだしたのは、
親から虐待を受けたあとだった。
仮にも安心する場所がなくなった時に、
初めて周りを意識し始めた。
他人がどう思っているのか気にするようになった。
不登校が始まったときが特にそうだった。
親からの目線で周りを見渡した。
両親は朝起きられない自分に対して、保身の為に怒った。
周りから、もし、変に思われでもしたら。
そんな不安がもろに伝わった。
皆が学校に行く時間、自分だけが車に乗って外へ出歩く。
これがどんなに心細かったか。
ああ、自分だけ、異常なんだ、
と思い知らされた。
周りの人とは解りあうことはなくて、まったく別の人、
自分には超えようのない壁があるんだと強く感じた。
平気な顔で学校に通い続けるのは無理だったからだ。
自分で自分をおとしめ始めた。
はっきりと、母親や祖母に拒絶されたのが、
学校に行かなくなった朝のことだった。
大きく、苛立った声から、わかった。
直接に示されたのがその時だった。
普段とは全く違う態度にショックを受けた。
でもそれは見えていなかっただけで、今までも拒絶されていた。
助けない、という行動で見放されたことに気付かなかっただけなのだ。
仕事の作業中に、居眠りをして注意を受けた。
こんなに、基本的なところで自分はつまづくのか、
と、この上なく不安になった。
振り返ってみれば、相手が怒ったことは 、何もおかしくない。
電話して相談した後に、そんなことに初めて気付いた。
話す前には、落ち込んで仕事が出来なくなるんじゃないか、
と不安に押し流されそうになっていた。
自分だけでは、この状況に対応しきれなくなっている
という状況に焦っていた。
ここまでひどかったのか、と。
この「傷ついた」、という言葉を、
我慢して言わずにきてしまったことが、さらに傷を深くしていた。
今の自分は、大人になれなかった子供だった。
子供の頃から、大人になることを強いられた。
大人にも、子供にもなりきれない、子供だった。
そこから時は進んでいなかったのだ。
>「垂 鶴」さん(二十歳前後)より
____________________________________
★
.
返信 [573]
<<-- これ以前の投稿 10件
(573 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -