▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[589]
■
★分割自我復元★その589●【自我復元の報告より】●
by:
鈴木崩残
2016/03/01(Tue)04:39:04
自我復元報告 より
■今回、ここに抜粋したメールを読み、
その翌日に、「昨日」にアップした動画の語りを収録しました。
私に、その語りを引き起こした、きっかけとなったのは、
この報告のメールでした。
まずは、その事を伝えてから、
以下、その報告からの掲載となります。
じっくりと、かみ締めて、繰り返し読んでください。
流し読みをするのではなく。
週刊誌の記事のように、一度、読んで読み捨てるのではなく。
***************************
崩残様
もう何年かかってもいい。
やり続けることだけを考えます。
>(報告の中で)気になったのは、ご自分でも、意志や実感が本当には、
>まだ固まっていないものを、断定口調、強調口調で語る点もあることから、
>AC人格に由来しそうな、他者批判ともとれる部分はありますが、
その通りだと思った。
これは、常に断定や強調をして、自分に強く言い聞かせておかないと、
AC人格に負けそうだからだ。
私は、AC人格に対してヤクザのように凄んで大きく見せていないと、
心が折れそうな程、弱い。
これは祖父や父と同じで、他人に対して偉そうに見せていなければ、
馬鹿にされてしまうと思い込んでいる。
それを自分のAC人格に対してやっている。
気持ちが揺らいでしまうと、AC思考に負けると思っている。
この思考自体も確かにACだ。
私は、自分に対する冷静な客観的視点を持っていないし、
いつも自分がAC大満開で、いつも逃げていて、
まだまだだ、と実感している視点ではない。
これはなぜかというと、
私は未だに私のどこかはACの私ではないのだと思いたいからだ。
つまり、私は、まだ自分がまともなのだと思いたいという思考を捨てられない。
********
逃げて楽になりたいと思うのは、明らかにAC思考だし、
沈む船に残る船長のように、ずっとやる覚悟があるのかといえば、そうでもない。
今の状態では、私にはどうやってもAC思考しか出来ない。
と、ここまで考えてきて、気付いた。
私はこうやって外側の出来事に対して、AC全開の思考をしているが、
今までまともだったことが一度でもあったか?
ヤクザまがいのACから始まって、100%AC思考で反応しているじゃないか。
愕然とした。
私は、今の私が100%AC人格だと認めたくなかっただけなんだ。
馬鹿みたいだが、ショックだった。私の全てがAC人格とは。
すると今度は絶望的な気持ちがする。
100%AC人格とどうやって戦えばいいんだ?分からない。
次にこう思う。「やってもムダだ」。この言葉も一瞬で私を思考停止にする。
父は私に、父の決めた選択肢の中からしか選ばせなかった。
父は「俺に逆らってもムダだよ」と言い続けた。
この結果、やる前に「やってもムダだ」と思うようになり、
思考停止から行動停止に陥る。
まだやっていないのに、ムダかどうか分からないじゃないか。
ここで止めたらACのままだ。
少しでも可能性があるなら、やるだけやってみたい。
********
自分が100%ACだと思うと、自分が嫌でたまらず、みじめな気持ちになる。
私はどん底に落ちたくない。
最低の自分をありのままに受け入れたくないから。
みじめな気持ちを受け入れたくない。
幼少期から振り返ってみると、私の一生は、本当にみじめだ。
親に小突き回され、踏みにじられ、みじめを感じるだけの人生だ。
他人に危害を加えようとするのも、自分がみじめだからだ。
自分があまりにみじめすぎて、幸せそうな他人が羨ましい、妬ましい。
みじめだと、何もかもが億劫になる。
もう自分なんかどうにでもなれと、投げやりな気持ちがする。
道を歩いていると、向かいから歩いてくる人に、
自分が持っている傘で襲いかかったらどうなるだろうという妄想を
自動的にすることがあった。
私が襲いたいと思う人は、女性か子供ばかりだ。
おそらく相手が私より無力そうで幸せそうに見えるからだ。
私がぬいぐるみに危害を加えようとする妄想も、このみじめな気持ちのせいだ。
ぬいぐるみの幸せそうな笑顔を見ると、意地の悪い気持ちになる。
最低な人間だ。
自分があまりにみじめすぎて、他人から憐れまれたくない。
これ以上私をみじめな気持ちにしないで欲しい。
だから、私を憐れんだ他人に対して怒りを感じる。
また、他人が言った言葉で、自分がみじめな気持ちになると、
瞬時に怒る。
********
他人に親切にしたり、施したりできる、思いやりのある人間でありたいと思うのは、
自分がまだみじめのどん底じゃないから、
そこまでみじめな人間じゃないことを証明したいと思っているからだ。
常にみじめのどん底を感じていたら、
他人に危害を加えることしか考えられないだろうと思う。
そういう時には、心の中には他人への羨みや嫉妬しかない。
母には、私が使っているものに触って欲しくない。
私が冷たくしようが優しくしようが、
母は自分の妄想の中に引きこもったままだ。
自分の親・義理の親・夫・子供から愛されているという妄想から
出て来やしない。
あっと思った。母は立派な精神病なのだと。
私は、この所、みじめな自分を感じ続けていた。
あまりに自分がみじめなのを認めたくなかったから、
自分はまだマシだ位に思い込みたかっただけだ。
父のことは精神病だと分かっていたが、
母のことは少しはまともかもしれないという期待を持っていた。
同様に、私自身にも同じ期待を持っていた。
精神病の父と母の間の子供が、精神病でないはずがない。
幼少期、気を抜いたら親から殺される、
本音を言えば親から殺される、と思っていた。
ずっと孤立無援でやってきた。味方はいない。
後ろを向いたとたんに切られるかもしれない。命懸けだ。
自分以外は全員敵だ。
私は人間不信で、しかも、自分以外の他人を憎悪している。
なぜかというと、自分はみじめ以外の何ものでもないからだ。
自分以外の他人が羨ましい・妬ましい、きっと私より幸せに違いない。
私が一番不幸なんだ。
自分自身さえ憎悪しているんだから、他人にだってそうだ。
この思いが自分に向えば自殺、第三者に向えば無差別殺人だ。
********
母はコミュニケーション障害で上手く喋れないし、父のように弁が立たない。
だから、私に責められると、言い返さずにただ泣くこともある。
これは私も同じで、小学校に入るまでは、
黙りこくったまま、ただ泣くだけだった。
ちきしょう、私は、弱い自分を認めたくない。
こんな弱い自分を受け入れられない。
めそめそ泣くだけの自分。
小学校に入ると、この過去の自分を切り離した。
新たに積極的な人間として、一からやり直すことにした。
私が母にイラつく時は、
私が見たくないものを母が目の前で体現しているからだ。
父から馬鹿だと言われ続けたから、母が馬鹿なことを言うとイラッとする。
利口で器用な人間じゃないとダメだと言われ続けたから、
弁の立たない、物分かりの遅い、飲み込みの悪い母にイラッとする。
私がまさに母のようだからだ。
私が最も受け入れたくないものを常に母が見せるから。
母は、「みじめな自分」の体現者だ。
母のことを可哀想だと思うのは、私が弱い自分を受け入れていないからだ。
本当に可哀想なのは弱い私自身なのだが、それを認めたくないから、
自分を通り越して母に投影してしまう。
私の弱さを、両親も祖父母も誰も認めなかった。
他人と競争して負けるんじゃない。
幼稚園の方がうちよりマシだった。「泣くな」とは言わなかったから。
家で泣かないでいることが辛かった。
それは、弱音を吐くなということと同じだから。
一人で孤独で寂しかった時、友達から虐められた時、
母や祖母から冷たくあしらわれた時、父からひどいことを言われた時。
泣くことは弱い自分を認めることだから。
泣くとみじめになるから。だから泣けなかった。
********
一番自分でも嫌だったのは、父をおだてなければならないことだ。
なるべく機嫌よく父の話を聞いてやり、おだてて父を得意にさせることだ。
これは自慢屋の父が私に
「俺の話を機嫌よく聞け」「俺を気分良くさせろ」とうるさく要求したからだが、
今思えば反吐が出る。
このせいで、私は自慢屋の他人をおだてるのが上手い。
自慢屋の他人はそれで良い気持になって、機嫌が良くなる。
私は心の中で「ちょろい。一丁上がり」と思う。
また、AC人格は自分が褒めてもらいたいから、まず他人を褒める。
褒められた人はお返しに褒め返す。
お互いが褒め合っているのは、AC人格全開のよくある場面だ。
もうこんなことやりたくない。だって馬鹿げているもの。
私を褒めてくる同僚にはゲッとする。
それは「お返しに私を褒めなさいよ」という要求と同義だからだ。
それから、父に盾突かないこと。「俺の命令に文句を言わせない」
だから私は、自分が嫌いな、人間的にも変な上司に反論一つできない。
他人との比較も不条理だ。
この歪んだ自虐比較癖のせいで、
どれほど苦渋を味わったか、分からない位だ。
前を見れば劣等感、後ろを振り返れば優越感を感じるなど、
まともな人間のやることじゃない。
他人と比較をすれば、まんまとACのやり方にはまって、
必ず「自分はダメだ」のレッテルで思考停止になり、
自動的にみじめな気持ちになるだけだ。
そういえば、父や祖母がよく「みっともない」と言っていた。
なぜ、それほどまでに他人の目を気にしなければいけないのか。
常識的な家の常識的な人と見られたいがためだけに、
自分達が恥をかきたくないから、型通りの人間になれと言う。
「みっともない」って、一体何なんだろう?
誰が誰をみっともないと決めるんだろう?
祖母や父は、私に対して、
勉強のできる優等生であることしか望んでいなかった。
彼等にはこの一本のチープな型しかなかった。馬鹿馬鹿しかった。
彼等が、私をみっともないと決める裁判官だった。
人が人を裁くのだ。
特に父には裁かれまくった。
父は、己は決して裁かず、
弱い立場だと思い込んでいる他人をこてんぱんに裁いた。
そうか、父から裁かれたから、今度は他人を裁きたいんだ。
他人と比較する原因は何なのか、考えていた。
他人を裁きたいんだ。己の価値観で他人を裁く。
今度は私が裁判官となり、劣った他人を裁いて、溜飲を下げたい。
次に、無意識では自分自身をも裁いている。こんな自分はダメだ、と。
そして、自他を裁くことに罪悪感を感じる。
こんなことは馬鹿馬鹿しいことだと、
心の奥で自分自身は分かっているのに。
そしたら、自他を裁くのをやめればいい。それだけだ。
他人と比べて劣っていてもいいじゃない。
劣っているという現実があるだけで、
私自身の存在価値とは一切関係がないんだ、と思えるかどうか、
それだけだよ。
********
父は、私や母を自分よりみじめな人間に仕立て上げたが、
実際には全員が同様にみじめな人間だ。
自分よりみじめな人間を何としても作りたい。
道を歩いていると、太った女性とホームレスのおじさんを見かけた。
瞬時に私は彼等を裁こうとした。
止め!ここでぎりぎり踏みとどまった。
外側から見た事実に、私が勝手に妄想的な主観的脚色をして、
外見がこうだから自分よりみじめに違いないとか、不幸に違いないとか、
他人を勝手に裁いて、自分よりみじめな人を作って満足している。
今まで他人をおとしめる妄想的な投影を、これ程までにしていたんだ。
私は、事実を事実としてだけ、見ることができない。
********
崩残様からメールを頂き、あっと思ったのは、
私が掘っているみじめの中心は、ずれている、ということだった。
>「みじめと感じると、価値が無いから死にたい、となるのか?」
ずばりだった。
私がずっとずっと認めたくなかった理由が書いてあったからだ。
私はもう死にたかった。
でも死んだら、親の思うつぼじゃないか。
この一文を自分で書いて、ぎょっとした。
親は私のことを「死んでしまえ」と思っている。
私は、親が、お前なんかいらない、
死ね、と思っていることを認めたくなかった。
ああ、だから私は「生きていて、すみません」と思っているんだ。
私はずっと、親に対して
「生きていてすみません」と思いながら生きてきた。
号泣した。ずっとずっと苦しかった。
私は親に反抗しなかった。
お前なんか死ねと本心では思っている親から、
生きていて、お金をかけてもらって、世話までしてもらって、申し訳ない。
だから、反抗したら申し訳ない。
愕然とした。
だから、私は自己嫌悪を感じながらも、親の望む良い子を演じてきたんだ。
生きてお金をかけてもらって申し訳ないと親に負い目があるから、
結局、私は強く出られない。
親への負い目、これがいつも負担だった。
私が常に感じていたのは、
両親・祖父母とも「跡継ぎの男の子が欲しかったのに、女が生まれた」
という本心だ。
これは私にはどうすることもできなかった。
私は女でなければならなかったからだ。
弟が死んでしまって、私みたいな女が生き残っていて、すみません。
私が弟に代わって跡継ぎになり、反抗せず、
あなた方の望むような良い子になりますので、
生きているのを勘弁してください。
親から死ねと言われているのは、辛いことだった。
でも、親から死ねと言われるよりは、誰からも愛されなくても、
孤独で寂しいと思っている方が、
子供だからと軽蔑・馬鹿にされる方が、まだマシだ。
自虐している母を見ると、母も私と同様に、
「私に死ねと言わないで下さい。生きていて、すみません」
と言っているように感じる。
そして、私は、
自分が無価値だと心底から分かっていることを認めたくなかった。
男の子しか望まれない所で、女でいることがどれ程無価値か、
私という存在自体が完全否定されている。
気が狂いそうだった。
********
私には生きる道がないのだ。
この無価値感を感じたくなかった。誰も私を祝福しない。みじめだ。
みじめを感じることを回避するために何をするか?
みじめ・無価値感・不安・恐怖といった、
自分が嫌だ・見たくないと思う感情から逃げる方法。
1.孤独へ逃げる
2.何か夢中になることをして麻痺する
3.妄想して優越感を感じる
4.自分はダメだ(劣等感)へ逃げる
5.予定通りに動いて達成感を作る
6.恐怖症を作って逃げる
1.孤独へ逃げる。
一人になれば、誰も攻撃してこないし、
「一人で寂しい」と思っていれば、見たくない感情から逃げられる。
感情のすり替え。
見たくない感情の上に寂しいを上塗りする。
元々孤独だったから、寂しいのを我慢するのは慣れているし、
変な話、孤独なのは定位置なので、定位置に戻るだけだ。
2.何か夢中になることをして麻痺する。
とにかく何かをすればいい。TV、ラジオ、ネット、読書、ゲーム、仕事をする、
掃除をする、買い物をする、何かをして遊ぶ。収集癖・依存癖を持つと、
なお夢中になれる。
終わった後、達成感があると、さらに良い。
3.妄想して優越感を感じる。
これは、父と同様に、自分の不条理な価値観で他人を裁きまくり、
他人を貶めて(=自分よりさらにみじめな人を作る)、溜飲を下げる、
というやり方。
これは、競争して勝手に他人を見下して、自分に優越感を感じさせるやり方。
4.「自分はダメだ」へ逃げる。
これは劣等感へ逃げるやり方で、
競争して、自分の不条理な価値観で自分を裁き、自分を貶めて勝手にみじめになり、
「自分はダメだ」というレッテルを貼って、目の前の問題から逃げ、
ここで思考停止するやり方。別名、自虐装置。
この後は自動反応をするだけでいいので、何も考えなくて良い。
自動反応は、自分はダメだ→みじめになる→悔しい→相手に嫉妬する
この先もパターン化している。
・優れた人のマネをする(私も同じことをやって同等になってやる)
・怒る(負けたのが悔しい)
・相手を羨ましがる(私は全然かなわない)
・相手を呪う(完全に負けたと思い込んで逆ギレ)
5.予定通りに動いて達成感を作る。
あらかじめ未来の予定スケジュールを事細かに組んでおく。
その通りに行動し、予定調和を達成することで達成感を得て、
自分はダメ人間じゃない、価値のある人間なんだと思い込む。
6.恐怖症を作って逃げる。
無価値観や親への恐怖・死への恐怖から逃げるために、
別の恐怖へすり替える。
私の場合は、人間恐怖症、高所恐怖症、水恐怖症だ。
子供の頃は暗闇恐怖症だったし、幽霊も怖かった。
****
物を無価値だと思えば、すぐに捨てられる。
でも、少しでも価値があると思えば、捨てることを躊躇する。
父は物を捨てられない人だった。昔の服や空箱すらとっておいた。
父は、自分が価値があると思う物をとっておいて、
自分の周りに見えている空間を埋めていた。
自分のことを無価値だと思いたくないから、
価値のある物で自分の周りを埋めて、安心したいのだろう。
これだけ価値のある物に囲まれている自分には価値がある。
私は父とは逆で、
不必要と思えば、すぐに切って捨てる。物も人間関係も。
おそらく、関係を保ち続けているのが怖いからだ。
他人に足を引っ張られるんじゃないかと思う。
リスクを負いたくない。早く逃げたい。
他人から嫌な相談事を持ちかけられて、
変な事態に巻き込まれたくない。
いろいろな揉め事でもそうだし、
他人に対して逃げ腰なのも、このせいだ。
********
幼少期の頃の自分が
「ごめんなさい、ごめんなさい」と言っている姿を想像すると、
私は、 胸が潰れそうだ。
そして、涙が止まらなくなる。
私はこの謝っている自分を、見捨てた。
私は、リスクのある自分を、すぐさま切って捨てた。
なぜなら、私の足を引っ張る要素になるからだ。
私が無価値だと言って切り捨てた自分を、
本当は切り捨ててはいけなかったんだ。
だって、これも自分だから。
本来の私は、強い所も弱い所もある自分だった。
それなのに私は、
弱い自分を切り分けて、どんどん切り捨てていった。
一人でさびしい。
不安なの。
私にはいつだって誰もいない。
家では泣いちゃいけないの。
でもここなら泣ける。
親がいないもの。
泣いたっていいよね。
本当は誰かに甘えたいの。
誰かに甘えて泣きたいの。
私が泣いている時、誰かに抱きしめてもらいたかった。
私が泣いている時、誰かに支えてもらいたかった。
私が泣いている時、誰かに受け止めてもらいたかった。
私が泣いている時、
一番そばにいて甘えて抱きしめてもらいたかったのは、
おかあさんだよ。
ああ、辛い。心が潰れそうだ。
立ち直れない程、辛い。涙が止まらない。
この一言が絶対に言えなかった。
私が欲しくて欲しくてたまらないのに、絶対に与えられないもの。
どんなに自分を誤魔化しても、誤魔化せない。
おかあさんに泣いて甘えたかった。
この思いを我慢して我慢して我慢した。
知っているもの。愛されていないのを。
子供なんかいらない、死んでしまえと思っているのも。
女なんかいらないと思っているのも。
だから泣いたってムダなんだよ。
本音を言っても与えられない。分かっている。
女は無価値だから、誰からも期待されない。
だから誰かが少しでも期待してくれると、嬉しくて頑張ってしまう。
もしかしたら、期待にこたえれば、
その人から私にも価値があると言ってもらえるかもしれない。
そしたら、自分でも無価値じゃないと思えるかもしれない。
本音を言ったところで何一つ叶えられないのが分かっているから、
自分自身にさえも本音を言っちゃいけないと思っていた。
本音を誤魔化していなければ、辛くていられない。
でも、もう正直に本音を言ってもいいんだよ。
本音を言っちゃいけないと言っていたのは自分自身だもの。
どんどん本音を言おうよ。
********
もしかして、
弱いといって切り捨てた自分の方に、常に本音があった?
そうだよ。本音を言うことはリスクだから。
弱いと言って、無価値だと言って切り捨てた方に、
本当は価値があった?
無価値じゃなかったんだよ。
そこには常に本音があり、本当の自分がいたんだ。
まるで真逆じゃないか。
本当の自分を切り捨て、
ハリボテの演技する自分だけでやってきた。
だから本音が分からないんだ。
親から、本音を言う本当の自分には価値がない、
ゴミ(AC人格)の方が価値があると言われ続けてきたんだ。
私には、私が信じる価値がある。
これは自分が決めることだ。他人が決めることじゃない。
私が幼少期に大事にしまっちゃった私とは、弱い私のことだった。
つまり、それは本音だ。
********
貧乏は死んでも嫌だ。貧乏だとみじめになる。
貧乏だと他人から虐められる。
私には「生きていてすみません」
「私なんかにお金を使ってもらって、すみません」という負い目があったから、
親になるべくお金の負担をかけないようにしようと思っていた。
だから、子供の頃は、あてがわれた服にも食事にも文句を言わなかったし、
自分から何かが欲しいとは言わなかった。
熟に行かされていた時も、結構お金がかかっているんだろうなと思っていた。
塾の先生から、
友人達と一緒に休み中に遠い所の選抜クラスに通えと言われた時にも、
「親にこれ以上負担をかけたくないから、交通費を出してくれないか」
と、先生の所に掛け合いに行った。
友人達も一緒に行ったが、
そういえば、友人達からこいつは貧乏人だと思われたかもしれない。
今まで全く気付かなかった。
従姉妹からのお下がりを着て塾に行ったことがある。
そしたら、友人から「何?そのパジャマ」と笑われて、
初めてみっともない服だったと気付いた。
うちはその時、ローンを払っていて、家計は火の車で、
これ以上親に負担をかけたらまずいと思い、
貧乏だから服にお金はかけられない、だからこのボロい服でもいいや、
と思って着て行った。
********
小学校に入って、2・3年で私を軽く虐める子がいた。
一番覚えているのは、彼女の誕生日会に呼ばれて行った時のことで、
私だけを仲間外れにした。皆はその子の周りに集まって私を見ていた。
私は困惑して、泣きもせず、ただ突っ立っていた。
虐められる理由が自分で分からなかったからだ。
不思議な事に翌年の誕生日会にも呼ばれた。
私のことを嫌いなら誕生日会に呼ばなければいいのに、
また呼ばれるのは不思議だった。行った私も私だが。
さて、虐められてまでなぜ行ったかと言うと、
お菓子の詰め合わせが欲しかったからだ。
ここでふと思ったのは、
私のことを貧乏人だと思っているんじゃないかな、ということだ。
私がお菓子を欲しがっている貧乏人だから、
仲間外れにされるんじゃないかな?と漠然と思っていた。
どうして彼女から虐められたのかは不明だが、
私が大人しくて反抗しない、何をやってもさえなくて
自信のない弱々しい子供だったから、という所だろう。
勉強が出来始めて、自信がつくと、彼女は私を虐めなくなった。
ここで思い出すのが、
小3で転校してしまった仲の良かった友達の母親のことだ。
友達とは毎日遊んでいて、彼女の家でおやつを食べていた。
だが、私は彼女の家でおやつを食べていることを、親に一言も言わなかった。
おやつをもらっていると本当のことを言えば、
お返しをしなければと思うだろう。
本当は彼女の家の方に申し訳なかったのだが、
当時は親に迷惑をかけると思う方が怖かった。
だから黙っていた方がいいと思っていた。
それで彼女の母親は、うちのことを誤解して、
娘にさんざんおやつを出してやっているのに、
お返しをしない非常識な貧乏人だと思ったらしい。
そう父が怒って話しているのを聞いた。
「うちは貧乏人だ」と他人から言われているのを知って、初めて考えた。
********
掃除をしていたら、本音が出た。
かなしいのを忘れたいの。
悲しさを感じていたら、あまりに悲しくて、胸が潰れそうだ。
泣いてしまった。
こんなに悲しかったら、笑えない。
笑うためには、演技しなければ、笑えない。
楽しめないはずだ。悲しいんだから。
私が他人を軽蔑するのは、
自分自身を軽蔑しているからだということに、
今まで全く気付いていなかった。
私にとっては弱い自分が軽蔑対象だったが、
それが全く見えていなかった。
次に虐められたのは小4か小5の時だった。
私は、大人しくて優しい友人2人と3人グループを作っていた。
私は一番上に立とうとしていて、意地が悪かった。
2人のことを見下していた。
Tさんが仲間に入りたいとやってきた。
私は彼女のことが好きじゃなかった。
優しくも大人しくもなかったから。
そういえば、ちょっと貧乏な、おしゃれ感の無い人だと思っていた。
考えてみれば、Tさんの姿=私の姿だ。
同じ人種なら、私の位置が羨ましかったのだろう。
私はTさんを嫌だと思っていたから、顔に出ていたと思う。
ケンカをした訳ではないが、ある時からTさんが友人2人を連れて、
あからさまに私のことを避けるようになった。
困った、仲間外れにされたと思った。
仲が良いと思っていた2人は、Tさんについて行ってしまった。
私は一人になり、孤独で寂しかった。
友人2人は私じゃなくても、Tさんで良かったんだなと思った。
だって、彼女達の方から私に近づいてくることは一度もなかったから。
結局、私達は友達じゃなかったんだと思うと、泣きたくなった。
彼女達から見捨てられたと思うと、悲しかった。
その原因は、私が彼女達より上に立とうとしていたからだとは、
ぼんやりとは思っていた。
あまりに寂しくて、別の友人を作ることにした。
私と同様一人で孤独な子がいた。
今までその子とは接点がなかったが、
孤独で寂しいという共通点で仲良くなった。
そういえば、彼女に対しては、上に立とうという気持ちは全く無く、
口で言わなくても寂しさを共有できる貴重な友人だった。
何も言わなくても分かってくれる、それが有り難かった。
そういえば、今まで私が見下してきた友人達のことを、
私はずっと羨ましいと思っていた。
うちより幸せそうな安定した家庭を持ち、優しい謙虚な人柄、
女の子らしい容姿で可愛らしい服を着ている、スポーツができるなど、
羨ましいからこそ、見下すことで自分のみじめさを回避していた。
私は自分が羨ましいと思っていた人間になりたかったんだ。
そうだ、確かに私は、幸せな家庭で、女の子らしい容姿で、
女の子らしい服を着て、優しくて謙虚な人柄で、
スポーツもできたらいいな、と思っていたじゃないか。
********
誤解されるのが、悲しかった。
幼稚園の時、折り紙を持って行ったら、
先生に「あとでね」と言われた時。
校長先生にお花を摘んで見せに行ったら、
「可哀想だからやめようね」と言われた時。
祖父に一回だけお小遣いをねだった時。
そういえば、
自分の行動が、他人から誤解されて、悲しかったことが多かった。
私が本音を言わないから。
私の本当の意図とは関係なく、
他人から誤解されて、虐められたり、怒られたり、
どんどんその人達とすれ違っていくのが悲しかった。
友達と何かをやっていて、途中で自分が嫌になってしまった時、
他人に全く説明せずに、自己中心的に一方的に打ち切る、
最も誤解を受けるようなやり方しか出来なかった。
だから、相手を怒らせてしまう。
私にはその意図はなく、「もう嫌になったからやめたい」と
一言相手に説明するだけで良かったのに、それが怖くて言えなかった。
本音を言うと殺されると無意識で思い込んでいたから。
こういう風になりたいという自分の理想像があるのは、
私が、親や他人からこういう風に扱われたいという願望の投影だ。
でも、私は理想の人間になろうとしてもなれない。
なぜなら、私以外の人間にはなれないからだ。
どうやっても、私は私にしかなれない。
********
「あなたは本当の友達だ」という話を聞いた時、
馬鹿にしたような顔をしてしまった自分に対しても、本当に悲しかった。
自分の本当の気持ちとは真逆に動いてしまう自分に、
腹が立つだけでなく、こういう事をする自分にショックを受け、
本当に悲しかった。
********
父から女扱いされたかった。
父は、私を女だと言ってこてんぱんに叩いただけでなく、男扱いした。
跡継ぎが欲しいと言われていたから、
生きるために仕方なく我慢したが、
やはり女扱いされたかった。
私は叔父達と同じように育てられたし、
一度も女として認められることはなかった。
社会人になって、派遣で短期間、土木関係の管理会社で、
男性の設計士さん達と働いていたことがある。
隣の課で、若い女の子が彼等と仲良くする為に、
男並みに扱われても我慢しているのを見て、
「ああ、あの子は内心女扱いされたがっているのに、悲しいな。
あの子はあんなことしなくてもいいのに」と勝手に思い込んでいた。
これは自分の願望の他人への投影だ。
女の子は容姿はどうあれ、皆きちんと対等に女扱いされたい。
ブスだと言われて悲しいのは、
美人同様にきちんと対等に女扱いされないからだ。
ずっと辛かったのは、親の建前と本音が違うことだ。
親が私に何かを言う時、
自分の本当の気持ちやなぜそう考えたのかを、
口に出して全く説明しなかった。
ただ建前だけで何かを言ったり、怒ったりした。
だから私には何も分からない。
自分で親の本音を想像して推測するしかやりようがなく、
それはものすごく労力のいることだった。
だから、自分が口に出して言わなくても、
本音を分かってくれそうな人に依存してしまう。
また、親が本音を言わないから、
自分が本音を言えば殺されると思い込んでいたし、
自分自身にすら本音を言わない自分に対しても、
ものすごく怒っていた。
だから私は、他人に対してキレて、ものすごく怒ってしまうのだ。
そして、私は、本音を言う自分も怖い。
********
たとえば、私が、お土産を選ぶ時やっていることは、
・自分の気に入った物(=自分の欲しい物)をあげる。
・自分が決めたその人の価値と対等になるように量を決める。
・その人からどう思われるかを考える。
・その人が気に入らなければ処分できるような、
気軽で万人受けする物を選んでいる。
でも、本来なら、
・その人が気に入りそうな物を選び、
自分が送りたいから贈る。
主旨は自分の喜びのおすそわけだ。
・その人からどう思われるかは考えない。
・送った後はその人の物になる。
その後どうしようとその人の勝手だ。
という考えの元にお土産を選ぶのだろう。
********
私は自分を殺して生きると決めた。
最悪の瞬間だった。
私はそれをずっと後悔し続けている。
無価値の自分を見ると死にたくなるから、
自分を見ないで他人を見る。
他人を見ている間は、自分を見なくて済む。
私が狂ったように、
他人との比較や自己確認や他者承認や予定調和や、
かっこつけをやり続けているのは、
それをやっている方が楽だからだ。
つまり、無価値感と死にたい気持ちから逃避できるから。
他人と比較して優越感や劣等感を感じていれば、
無価値感や死にたい気持ちから逃れられる。
気持ちのすり替えだ。
私は少しでもいいから安心したくて、
自己否定から逃げられれば、もはや何でもいい。
そしてそれに中毒していれば、見たくないものを見なくて済む。
本音の気持ちは常に目の前にある。
だから、見ないようにするのに必死だ。
道を歩いていて、ふと思った。
目標をたてることには意味がない、と。
目標をたてて達成しようと努力することに、
今までどれほど自分が苦しめられてきたか。
病弱の演技をしなければならない。
親の望む良い子を演じなければならない。
跡継ぎの男みたいにならなければならない。
良い高校・大学に入らなければならない。
常識的でまじめでよく働く善人にならなければならない。
気が狂いそうだった。
ただ達成感だけを追い求めて、気が狂ったように努力し続ける。
まるで中毒だ。覚せい剤中毒と変わらない。
崩残様とのメールの後、自分が相当に麻痺しているのが分かった。
中心の技法は止めた。
私には効果がなかった。
良く考えてみると、母のことがおぞましいんじゃない?
両親とは疎遠だったが、考えてみれば、
トラウマを受けたから、怖くて、
自分から一歩も近づけなくなったんじゃない?
父も母もおぞましかったんじゃないの?
私は両親に代わる守護者を求めていた。
それが祖父母であり、二人が亡くなった後はお金であり、自宅だ。
全てを捨てる覚悟がいる。
今ある、親から来たものはすべていらなくなるから。
覚悟のがけっぷちに立ったことを知った。
つばを飲んだ。
怖い。
どうする?
やれるか?
親の影響を全て排除するためには、一人暮らしは絶対だ。
新しく生まれ変わるんだから、金銭的に独立し、
最終的には土地も建物も手放す。
親とも縁を切ることになる。
この覚悟が、私にできるか?
********
トラウマは目の前に落ちていると考えると、
ずっと掘り続けてきたところにある。
両親がセックスしている所を見たんじゃない?
吐気がする。やっぱりここだ。
セックスしている所を見たから、
私は左向きにしか眠れなくなった。
右向きに寝ると、また見てしまうかもしれないから。
蛍光灯が明るくて、右向きだと寝れないからじゃない。
父は意図的に、私に見せたんだ。
そのメッセージは、セックスへの嫌悪を植え付けること、
お前はいらない、死ね、だ。
母からのメッセージは、
私の母であることを放棄し、女を選んだということ、
新しく子供を作るから、お前はいらない、死ね、だ。
恐らくだが、父も私と同じトラウマを持っていたように思う。
そうでなければ、セックスへの異常な潔癖性はなかったはずだ。
しかも女性恐怖症だった。
だから、よくセックスできたと思うのだが、
麻痺し尽くしていたからできたのだろう。
他人や自分の行動・TVドラマを夢中になって見ていれば、
自分のトラウマは見なくて済む。
他人との比較競争も、ここを見たくないための、ただの誤魔化しだ。
あとはその時の気持ちが吐き出せたら楽になるのに、全く出ない。
私は右脚をくの字に折って寝る癖があるのだが、
これをやると右を向いて寝れない。
納得した。
その時に戻ってみると、あまりの恐怖で右を向けない。
無理矢理右を見て、目が覚めた私を見た父が、近づいてきて、
手を伸ばしてくると想像した。
ぎゃー!!おぞましい!!あたしに近づかないでよ!!
ブルブルと体が震える。
母に置き換えても、反応は同じだ。
もう親じゃない、怪物だ。殺される!!
あまりの怖さに震えが止まらない。
母を意識的に切り離すしかない。
夜中に目が覚めた。
両親がセックスしているのを見て、何を感じた?
おかあさんが・・・、おとうさんを・・・、
まで言ったので、気が付いた。
おかあさんが、おとうさんをえらんだ。
ああ、ごめんね、いつも気付かなくて。
いつも私が母から捨てられ続けた。
かなしいのを忘れたいの、と言っていたじゃない。
なのに、いまだに捨てられない思いは、
おかあさんといっしょにいたい、
おかあさんをしあわせにしたい
なんだよ。
だから、私は母を可哀想に思うんだよ。
父や私から虐待されて可哀想、自虐していて可哀想だと。
母から捨てられたことを、私はいまだに認めたくない。
だから、こんなに抵抗している。
********
実家にいたら、もうダメだ。私はここで終わる。
母は意図的に私を殺そうとしている。
母は既に自分自身を殺しているから、他人を殺すことに全く躊躇がないのだ。
道の雪掻きをしていると、
母のことを考えて雪掻きしているのが分かる。
母にはこんな大変な事をさせられないとか、母のためにやっているとか。
「私は殺される」という思いと、
「母を助けたい、母を幸せにしたい」という思いが、激突している。
********
でも譲れない。
もう生きるか死ぬかの瀬戸際だ。
このまま母に飲まれたら、私は終わる。
こうなってくると、毒親なんか、早く死んでくれと思う。
私は、母親がこれほど猛毒とは、正直思ってもみなかった。
元々疎遠な存在だったから、代理母である祖母の方をよく掘った。
ところが、最初のトラウマの原因が母親にしかないことを考えると、
母親の影響力は絶大だ。
私はなぜこんな人を母に選んでしまったのだろう。
とんでもない事をしてしまった。
また、父が死んだ時、保身に走って、
もろに負の遺産をもらってしまった。母と土地と建物だ。
しかし手はある。どこかの時点で、土地と建物を売却すればいい。
母はそのお金で好きにすればいい。
翌朝、母から誤解されていると思い、
本当の気持ちを言おうと思い立った。
すぐに「5分でいいから」と母を呼び止め、座ってもらい、
「なぜ一人暮らしをしようと思ったのかを説明します」と言った。
今、初めて本当のことを言うが、
20才で自殺したかったこと、
父と祖母から勉強勉強と言われ、高校でドロップアウトして、
父の決めた大学に行ったこと、
途中から号泣してしまった。
今まで一度も自分の好きなことができなくて本当に辛かった、
死ぬまでに一度でいいから好きなことをしたい、
お母さんを不安にさせたり意地悪したい訳じゃなくて、
私はただ自分の好きなことがしたいだけなんだよ、
それが一人暮らしなんだよ。
言い終わって、「聞いてくれてありがとう」と言った。
母は「全然知らなかった」しばらくして「ごめんね」と言った。
私は驚いてしまった。「もう終わったことだから」と言った。
本当の気持ちを言って良かったと思った。
自分が好きなことをするのに、
私は心の中で母の承認待ちをしていた。
親のことを考えている間は、自分のことは全く考えていない。
道を歩いていると、とても悲しい。
母が私に「ごめんね」と言ってくれたが、
本当は私が私自身に言わなければならない言葉だ。
ごめんね、いつも気付かなくて。
家に帰って来て、30分ほど号泣し続けた。
何だか悲しくてたまらなくて、ただ泣きたいだけ。
もうやめにしよう。
全自我だの原主体だの、そんなことどうでもいいよ。
大事なのは、私の気持ちを救うことだけ。
それしか自分にしてあげられることはないんだよ。
悲しみを感じながら道を歩いていると、
突然、悲しい、苦しいと感じることが当たり前のことなんだ、
と分かった。
家の中にいるより、道を歩いていた方がまだ感情を感じられる。
全自我になりたいという願望を外してみると、
自分が全自我になれる気がしない。
ふと気付いた。
願望って目くらましなんだよ。
願望を自分に持たせることによって、現実を見なくさせているんだ。
それは、目標や自分はダメだというレッテルを貼るのと同じ事なんだと。
衝撃的だった。
そういえば幼少期は、
こうなろうとか、こうなりたいとか、一切思っていなかった。
親が「こうしろ、ああしろ」と言うから、そうしただけだ。
ここでやめたら、私は終わる。
脳内親に飲まれたまま、死ぬ。
私はやるしか、もう死ぬ気でやるしか、選択肢がない。
崩残様は「死にに来い」と仰る。
今のままでは、また同じことを繰り返すだけだ。
もう今の私は、死ぬしかないのよ。
もう今の私ではダメなんだよ。
いつまでしがみついているつもりなの?
早く手を離せ。
だって怖い、怖いのよ。
私はどうしたら?
私は一体どうしたらいいのよ?
今のままでいいのか?
何かに救いを求めちゃダメなんだよ。
「救い」に救われたいと思ったら、終わりだ。
救いとは、依存すること。
********
父は私に嫉妬していたのだろう。
だから、あてつけに私に母とのセックスを見せたのだ。
この後、跡継ぎの弟が生まれたら、
祖父母は、女の私以上に、その弟を可愛がるかもしれない。
そうなると、父は、祖父母から愛される可能性は全くなくなる。
父の存在価値は、跡継ぎの男だという点にしかなかった。
父は、弟と跡継ぎの男という存在価値をかけて、
必死で闘わなければならなくなる。
恐らく私同様に、自分には勝ち目がないと感じていたのだろう。
私も父も失敗した。同じ穴の狢だ。
「セックスする度に不幸になる」は、母だって同じだろう。
折角次の子供が出来たのに、
難癖をつけられておろせと夫から言われる矛盾。
それなら避妊すればいいのにと思っただろう。
私は「脳内親」から罰を受けるのを怖がっている。
一人暮らしを始めるのが怖いと感じる。
引越しが近づいてくると、涙が出てしょうがない。
私にとって親を思い切ることがこんなに辛いことだったとは、
思いもよらなかった。
私は、こんなにも母から愛されたかったんだ。
私をこの家に繋ぎ止めていたのは、
母から愛されたいという思いただ一つだった。
泣けて泣けてしょうがない。
********
崩残様が「3億をとるか自我復元をとるか」のお話をされていたが、
私にとって自立するということは、
お金への執着を捨てるということと同義に思える。
つまり、私の中にはお金への絶対的な信仰があり、
お金さえあれば大丈夫という、お金一辺倒の価値観信仰があるのだ。
良い思い出など何もなかったにもかかわらず、
ここの何もかもを捨てて出て行くのだと思うと、すごく悲しい。
引越しは、子供時代で止まっている、
親から愛されたいという可能性を、断ち切る儀式のように思える。
今までの何もかもを捨てるということは、
親から愛される可能性をも捨てるということ。
私は常に迷いながらやっている。この可能性を捨てたくない。
だが、この可能性はゼロだ。
私は完全に絶望したくない。
可能性を何もかも失ってしまうのが怖いから。
逆に、完全に絶望してしまえば、全てを捨てられるのに。
こうなってくると自分自身でも分からない。
トラウマが掘れるか掘れないか。
親と家と収入、生活の全てが親とすごく癒着している。
一人暮らしをするのだって、ここと癒着しながらだ。
でも一歩ずつ一歩ずつ、やるしかない。
母から愛されていないと感じ続けるのが本当に辛い。
引っ越し前の準備のため、アパートの部屋にいると、
寂しくて仕方がない。
私はこんなに甘かったんだ。
一人でいきがっていただけで。
実際には、寂しくて寂しくてたまらない。
良く晴れた日に外を歩いていても、
ただ感じることは、寂しい、だけ。
こんなに天気がいいのに。
おかあさん、さびしいよ。
ただこれだけ。
子供の頃、祖父と散歩している時も、
幼稚園の送り迎えをしてもらう時も、
感じることは、ただこれだけだ。
一週間以上、泣いて泣いて、泣いた。
引越しの日も寂しくて泣いた。
もう二度とここへは戻ってこないだろう。
アパートへ移った日、初めてほっとした。
肌荒れが急速に良くなった。
アパートへ帰ると、今はTVもラジオもネットも何もない。
何もしないでいると、疲れているのが分かって、早く寝たいと思う。
漠然とした不安を感じる。
誰かの所に救いを求めに行きたくなる。
でも、私が本当に救いを求めたかった所は、
「おかあさん」だ。
私は、ずっと、
どうしたら母から愛されるのかを探していたし、
どうしたら受け入れてもらえるのか、可能性を探り続けてきた。
私は母にずっとずっと求めていた。
なぜ母はこうなんだろう?
なぜ母は私を愛さないんだろうか?
だから、私は母の子供であることを一生懸命やってきた。
母に仕えるのをもう止めたい。
疲れた。
現実の母にも脳内の母にも。
*********
以上です。
今は引っ越して一週間程で、全く落ち着きません。
生活のリズムもつかめていませんが、
自分がどうなるかを見続けたいと思います。
エム
***************************
2016年に入ってからの、
あびさんのブログは、どれひとつとっても、
奇跡の宝石のような輝きを放っていますが、
とりわけ、その中でも、重要な記事の一つはこの記事です。
http://mmjhb11.exblog.jp/22774477/
あなたは、この世界に、生まれた。
その次に、
あなたの親のせいで、そこに、AC人格が生まれて、
そのAC人格が、
一番最初に言った言葉は、
「悲しい・寂しい」である。
そして、
AC人格が、最後に言う「断末の息」もまた、
「寂しい・悲しい」である。
___________________________
★
.
返信 [589]
<<-- これ以前の投稿 10件
(589 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -