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★分割自我復元★その593●『自我復元報告』●
by:
鈴木崩残
2016/03/07(Mon)08:52:06
自我復元報告より
*********
*********
鈴木崩残様
さて、「さびしい」という感情について、掘り進めていました。
今までの人生について、
子供の頃まで、過去を振り返りました。
そして、結局の所、母親に気にかけてもらえなかった。
本当に心配してほしい時に、心配してもらえなかった。
子供である私の事を、分かろうとしてくれなかった。
さらには、弟の事は、ほめるのに、
兄である私の事は、けなしてばかりで、
口では「兄弟平等」と言いながら、
実際は、完全なる差別ばかりしていた。
これらのことを通して、とても寂しく悲しく感じていた。
しまいには、「僕なんて、いらない子なんだ」とまで、
思うようになってしまった。
これらの事が、元々にあり、私の人生は、
いつも一人ぼっちで、誰にも理解してもらえなかった人生でした。
・数少ないが、友達ができたりもしたが、
本当の意味で、友人と呼べるような人はいなかった。
結果として、今は、誰一人として、友達はいない。
・女性からモテず、モテない所か、
何か女性から避けられているような気がしていた。
実際、合コンなどでも、女性と話しできず、いつも一人ぽっちだった。
または、私の事を好きになってくれる女性など、誰もいないと思っていた。
だから、私は、一生、結婚できないと思っていた。
・何とか、結婚はしたが、結局、寂しい者同士が結婚しただけで、
明らかなAC人格同士の結婚だった。
だから、こんな醜い私と結婚した妻に対して、
「本当に申し訳ない」と思う一方で、お互い様だと思っている節もある。
このように、私は、今まで、心の奥底で、
いつも、「寂しく悲しい」と思っていました。
多かれ少なかれ、根本的に、いつも、
「寂しく悲しい」という感情がありました。
最近、その事に気づき、
「実は、私の人生は、とても寂しかったんだ。
でも、今までは、この気持ちすら、
みようと、感じようとしていなかった」ということが分かりました。
そして、過去の事を思い出し、仕事中においても、
トイレで泣いたり、独りでいる時に泣いたりすることが
多くなっていました。
それで、この「さびしい」という感情について、
もっともっと掘り進めていこうと思っていました。
そのような時に、崩残さんから、返信メールを頂きました。
その中に、次のような事が書かれていました。
>読むと一見すると、物分りがいいように見え、
>また理解しているように見えるのですが、
>私には、実は、この文章全体に、生気を感じないのです。
>きかんぼうさんからの生体反応が薄いのです。
>模範解答のような文言が書かれていて、
>きかんぼうさん本人も、トイレで泣いたりしたとありますので、
>そうなのだろうとは思うのですが、
>私はひっかかります。
>実は昨年から今年あたりのどの報告からも、
>何か生気が失われているのです。
>個性がどんどん失われています。
>これは典型的なAC人格の挙動なのです。
>むろん私にも、それがどういう種類のものかはわかりません。
>AC人格が、私とのやりとりを、やりすごしている、
>または、抵抗しているようにも思えます。
私には、「これ以上の駄目出しは、ないな」と思えました。
「生気を感じない」、「生体反応が薄い」、「個性が失われている」
無明庵を通して、自我復元を行っている者にとって、
いや、私自身にとって、
崩残さんから、最も言われたくない言葉の一つです。
もちろん、大変なショックでした。
でも、私自身の事を振り返ると、自問自答すると、
やはり、思い当たる節がありました。
メールを頂いた日から、昨日の日曜日まで、
自問自答を繰り返しました。
その結果、
私自身の本音ではないかと思えるような事が出てきました。
でも、その内容は、私自身としても、予想外の事で、
とても受け入れ難い事でした。
結局は、現状、そう思っているのですから、
例え醜かろうが、どれだけ嫌だろうが、認めざるを得ませんし、
これを認めていく事しか、道は開けていかないと思っています。
それよりも、これから、報告させて頂くことは、
自我復元者にとって、あってはならない事だと思っており、
これを言ってしまうと、身も蓋もないし、
これから自我復元をやって行く意味がないかもしれないし、
それよりも、
これからの人生を生きていく意味や価値などないと思えます。
もしかしたら、崩残さんに、見限られる、
見捨てられるかもしれないとも思ってしまいます。
そのような思いも出てくるし、
それよりも、「もうどうでもいいや」というAC人格の声が聞こえてきて、
崩残さんに報告を書く気さえ、まったく起きませんでした。
だから、ちょっと前まで、昨日の日曜の夜中の12時前までは、
本当に、「もういいや」と思っていました。
でも、後悔したくなかった。逃げたくなかった。
だから、例え結果がどうなっても、崩残さんにどう思われようと
これが、現状の私なのだから、正直に報告しようと思います。
では、いきます。
親と完全に縁を切ってから、
だんだんとやる気がなくなってきていた。
これからどうしていったらいいか分からず、
目的を失っていた。
今までは、あの毒親と関わるのが嫌で、
それとの縁を切断する為にやってきた。
そして、物理的にだが、それは達成した。
ある意味で、目的を果たした。
自分の心の中に巣くっている毒親の幻影は、
今だ、猛威を振るっているが。
トイレに入って、色々と考えていた。
最近、トーク動画を通して、崩残さんの声を聞くことが多い。
その事を思い返していた。私は、ふと思いました。
トーク動画の中で、「きかんぼうさん」という名前が出てくる。
私は、「きかんぼうさん」という私の名前を聞くことによって、
どこか安心している自分がいる事に気づきました。
自分自身の名前を、崩残さんから聞くことによって、
どこか安心していたのです。
その内容が、どうであろうがです。
崩残さんから褒められようが、駄目だしをされようが、
その内容に関係なく、安心している自分がいました。
つまりは、内容はどうであれ、
自分の事を気にかけてくれているその事だけで、
安心し、ホッとしていた。
これは、良くない事だと思いました。
そこで、まさかとは思ったのですが、
自分でも認めたくはなかったのですが、
一つの問いを自分自身にしてみました。
「ずっと、このまま、自我復元が完了せずに、
ずっと、崩残さんに気にかけてほしいと思っていないか」
何度か問いかけました。
最初の内は、
「そんな事はない。
私は、全自我になって、本当の自分を取り戻したい」
このような答えでした。
ところが、「本当にそうなのか」、
「嘘ではないな」と問いかけ続けていく内に、
結局の所、こんな事は言いたくないが、
その答えは、イエスでした。
ずっと、このまま、中途半端なままで、
崩残さんに気にかけてほしいと思っていたのです。
つまりは、母親から、本当に気にかけてもらえなかった。
本当の愛情を受けなかった。
その代理を崩残さんに、今だに、強く求めている自分がいたのです。
そして、今まで、崩残さんに褒められて、単に嬉しい。
親に褒められた事がなかったから、
崩残に褒められたら、認められたら、嬉しいと思っていた。
しかし、そんなものではなく、
崩残さんに気にかけてほしい。甘えたい。
「僕ちゃんの事を見て、僕の苦しみを聞いて」という、
本当に依存心の強い子供のままでいたかっただけでした。
それは、妻に対しても、同様でした。
相手が立派だろうが、尊敬できようが、そんな事に関係なく、
いや、相手の状態など関係なく、相手が藁であろうと、
何であろうとなりふり構わず、依存していたい。甘えていたい。
本当は、母親に対してするべきことだった事を、
誰かれ構わず、やってしまっていました。
本当に情けなく醜い姿ですが、それが現状の私でした。
そして、天音さんの事を思い出しました。
当時、彼女の事が大嫌いで、憎んだりしていましたが、
実は、私は、天音さんと同じような事をしていました。
当時、天音さんに対して、私は、感じていました。
彼女が、こう思っているのではないかと、
「私は、崩残さんに認められている。そういう自分が凄い」と。
私の勘違いであったかもしれないが、
そういう匂いが、私には、プンプンと感じられました。
だが、自分自身が、そうだった。
そういう私の醜い姿を彼女に感じたから、彼女の事を嫌った。
つまりは、他人の中に、自分自身の嫌な醜い姿を見たり、
感じたりしたために、そう思った。
しかし、他人のそういう醜い姿を感じた時、
物凄く嫌で、憎しみを感じるのだが、
一方で、自分自身がそうなっているのに、自分の事を棚に上げて、
自分がそうしているのを見ようとしていなかった。
他人の中に、そういう醜いAC人格を見た場合は、憎悪するくせに、
自分の中のAC人格については、許していた。
いや、自分は別だ。自分はやっても構わないとさえ思っていました。
とんでもなく醜いことです。
自分の親の事を非難したり、攻撃している時は、
何か元気というか、やる気がでてきていた。
つまりは、今までは、親を攻撃する。敵視する、
というような事を通して、親を糧にして自分を奮い立たせていた。
親に認められたいと思おうが、敵視しようが、
親と言うものがあってこそ、自分と言うものがあった。
自主性というものが、全然なかった。
全然、親から自立していなかった。
親に甘えるにしても、攻撃するにしても、
結局、親ありきの人生だった。
親があっての人生で、自分の人生ではなかった。
そして、今、崩残さん対しても、
妻に対してでさえも、親の幻影を求めている。
母親に気にかけられず、悲しく、寂しかった。
これに始まり、**という宗教、そして、今は、無明庵、
または、妻、会社のYさん。
程度の差はあれど、親の幻影を求め、依存し続けてきた。
とにかく、「僕ちゃんを見てほしい」と思っていた。
だから、それを邪魔するように見えて、
憎んだり嫉妬したのが、天音さん、あびさんへの八つ当たりだった。
元々は、「母親と弟」にあった。
弟に対して、
「僕のお母さんを取りやがって」と思っていた。
そこから派生して、
「俺だけの崩残さんを取るな」(すみません大変失礼な無礼な言葉です)
となった。
会社では、
「俺のYさんを取るな。邪魔するな。Hさんよ」となり、
Hさんのことを敵視した。
「僕だけを見て、僕のことだけをかまって、気にかけて」
「僕だけのものだ。邪魔をするな。僕の大事なものを取るな」
「なんで、お母さんを取るんだ。
今までは、僕だけを見てくれていたじゃないか」
「邪魔をするな。兄弟よ、死ね」
弟が生まれた時、彼が赤ちゃんの時の記憶は、
何度思い出そうとしても思い出せないが、
子供の頃の弟の顔を見ると、「何か憎い」と感じる。
でも、本当は、そうじゃない。お前だ。
本当は、私を守らなければならなかった、お母さん、お前だ。
守らないどころか、私を腐して(執拗に、けなして)、駄目だと言ってきた。
それで、私の人生は台無しになったんだ。
つまりは、私は、お母さん、あなたによって、殺されたんだ。
だから、本当は、お母さん。お前だ。
「お母さん、死ね」
私の中にいる母よ。死ね。
そして、私に攻撃する母親から、私を守らず、
見て見ぬふりをした、父よ。お前も同罪だ。
お前もだ。父よ。死ね。
これからも、私の中にいるあなた達は、
出てきて悪魔の声を囁くだろう。
これからも何度も出てくるだろう。
でも、その度に、私は、言い続ける。
「死ね。母よ。父よ」
このように、結局、私は、
親に認められたがっていようが、毒親として敵視していようが、
心の中では、親があっての人生を送ってきた。
つまりは、自分の人生を送ってこなかった。
自分の自主性など、結局、なかった。
その事に気づき、愕然とし、一時、物凄く落ち込んだが、
「いや、それでも、嫌だ」と思い、
やはり、母と父には死んでもらいたいと思った。
3月5日の土曜日までは、そう思っていた。
でも、どんでん返しというか、
昨日の日曜日の朝、目が覚めてからは、こう思った。
「何か、どうでもいい」
やる気、やろう、生きよう。
そういう、生きていこう、何かやっていこう、
このような活力または気力のようなものが全然、出てこない。
それが、だんだんと失わていっているような気がしてくる。
だから、自我復元や、その報告を義務感でやっているような、
いや、それ以外の全ての事も義務感でやっている。
生きている為には、しかたないというような、
無気力になってきています。
でも、何とかしたい。
こんなのは、自分じゃないし、こんなのおかしいと思う。
でも、この無気力感というものに、打ち勝つほどの思いが出てこない。
やる気のなさ、生気のなさ、の方が勝っている。
喜びも、楽しみも、美味しい食べ物を食べて、幸せだと感じる事も、
または、仕事がしんどい、苦しい、辛いと感じる事もあるが、
何か根本に、この無気力感、生気のなさがあります。
つまりは、何か実感がない。薄れていっているような感じです。
リアリティー、現実感がない感じです。
自分でも、こんなの嫌だ。何とかしなければと思うのですが。
1/今までは、最初は、親に認められたくて生きてきた。
2/次に、自我復元を始めて、毒親認定し、親を敵視して、生きてきた。
3/その結果、親と物理的にだが、完全に縁を切った。
4/その次は、自分の中に巣くっている親の幻影、
AC人格を徹底的に敵視し、殺していく。
そういう段階になってきていると思う。
だが、今、やる気というか、
生きていこうというような生命力が出てこず、
AC人格に負けてしまっている。
このままでは、本当に負けてしまう、
何とかしなければと思うが。
一時期は、かなり意気込んで、
AC人格をぶっ殺すぞとまで思っていた。
でも、正直、今は、そこまでの思いが湧きだしてこない。
現状、まだまだ、親の幻影を求め、
崩残さんを始めとして、なりふり構わず、誰かに依存して、
自分の事を認められたいと思っている自分の姿がある。
こんなことをやっていたら、ダメだ。嫌だと思う。
でも、「何か、その言葉に、生命力が感じられない」
自分自身でも、そう思う。
今、「生きよう」というやる気をなくしているのだから、
当然と言えば、当然だ。
このように、現状、どう進んで行ったらいいか、正直、分かりません。
でも、諦めたくないし、もう、後戻りしたくないです。
今、妻にお願いして、
彼女から見て、私の嫌な所、嫌いな所を書き出してもらっています。
正直、何を書かれるのか、恐いし、嫌だと思う。
でも、彼女は、私の近くにいて、本当に、私の事をよく見ているし、
真摯に受け止めたいと思っています。
以上、現状、このような情けない、醜い報告しかできませんが、
微かでも、僅かでも感じている、
自分自身に対する違和感、嫌悪感を逃さないようにしていきます。
きかんぼう
*********
>これに対する私の返信ですが、他の人には無益な部分を含みますので、
>一部のみです。
きかんぼう様
たとえ、私に報告をしてくる動機が、
「見ていて欲しい」というものであっても、
それでも、常に報告を続けてくれたことは重要でした。
普通は、ここで、AC人格の醜さが暴かれる事から、こそこそと逃げてしまい、
報告をすっぽかす人が、何人かいましたから。
その点で、たとえ「AC人格の動機」からであっても、
報告を続けてくれたことが、きかんぼうさんの状態を、
常に、途切れずに、ずっと把握できる手がかりとなっていました。
そして、きかんぼうさんの、報告の回数が頻繁になるにつれて、
逆に、生命感が薄くなっていることから、
報告の内容ではなくて、「報告をすること自体に、しがみついている」
ということは、昨年あたりから感じました。
ですから、今回、きかんぼうさんが自覚した通りです。
今のところ、きかんぼうさんの自我復元の動機は、
1/親への敵視と親から受けたトラウマ分析に支えられてきたと同時に、
2/親から欲しかったものが、私からの「注視」の中にあるという
二重構造になっています。
これはこれで、かまいません。
*********
言い方を正しく直しますと、
生命感がないこと、これ自体がよくないのではなく、
生命感が薄くなっているのに、それを、正直に書かずに、
「僕は、やっています。今回も報告できました」
という、この声の方がいつも大きかったということが問題でした。
そして、報告文が、桜の間で取り上げられれば、
それを合格の意味だと勘違いをします。
そういう人は、今までにもいましたが、
それを繰り返している人は、AC人格に敗北してしまっているわけです。
●そうした「報告をすればいいんだ」というAC人格がなく、
単に「気力がなくなっているのです」だけなら、それはそれでいいのです。
AC人格の動機を燃料にしたまま、このまま、
ただ、トラウマ掘りや、AC人格分析や、
AC人格との「奮闘を続けることそのものだけ」が目的になれば、
私がトークで指摘したような、
だらしない人たちと同じ、になってしまいます。
実際、きかんぼうさんが、自分の行動を変えようと
必死にやってきたからこそ、
AC人格もあなたの中で抵抗し続けてきました。
でも、AC人格は、本当に悪霊のような狡さを持っていますので、
「よし、報告を続けないと不安になるようにしてやる。
かまってくれてさえいれば、安心できるという形で、
この、きかんぼうの奴の、自我復元をしている動機の中に、
隠れて住み着いてやれば、ちょろいもんさ。」
AC人格はこう思っています。
このやり口は、おそらくは、あなたの両親のどちににもあったはずです。
というより、この世の中の毒親の全員に、これがあるのですから。
だから、そいつを直視できたとしたら、
次には、こうしてください。
以下省略
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