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[595]
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★分割自我復元★その595●『入院の話』●
by:
鈴木崩残
2016/04/04(Mon)16:46:02
入院中の出来事
*********
●「ごく簡単な説明」「少し詳しい説明」「かなり詳しい説明」の3部で、
構成しておきます。
簡単な説明
3/8 発病
3/12 救急車で搬送
3/12〜3/29まで、入院
退院後、現在、自宅にて調整中
「事実だけ」を並べて書けば以上である。
近所の人に「ちょっと、入院をしていました」と説明する程度の話が、
ここまでのもの。
以下は、もう少し親しい知人などであると、私が話すような内容となる。
少し詳しい説明
写真だけを見ると、
のどかな入院生活であるかのように勘違いする人もいるだろうが、
今回は、けっこう、「危ないところ」まで行くことになった。
その話は、次項でするとして、
医療的に(技術的に)問題のある病院に、搬送されてしまった、
という話からしてみる。
*********
3/8 午前中には平熱だったものが、
わずか3時間後の昼に、39.5度となった。
3/12 症状から見ると、インフルエンザに似ていたために、
市販の解熱剤を使い自宅で耐えていたが、
5日経過しても、39度以上を超える熱は下がらず、
腰の痛みが限界に達し、12日にギブアップとなった。
もしも、そのまま放置すれば死ぬ、という予感や予測、または、
確信があったのであれば、私はそのまま放置したのであるが、
今回は、
「死ぬことはない。ただし、放置すれば後遺症が残る」という、
自分が最も望まない結果となる未来が、かいま見えたために、
5日目の時点で、救急車を呼んだ。
*********
病院に搬送されるまで、20分ほどかかっていたために、
移動時間が長い事から考えて、自宅からは、やや遠くの病院しか、
受け入れ態勢がなかったのだろう、と思うと同時に、
この時点で、嫌な予感がした。
人間を55年以上もやっていると、意識が朦朧とする中であっても、
自分が置かれた状況や、自分がいる位置の情報について、
仰向けになり、目を閉じているといった、そうした制限された五感の情報からでも、
ずいぶんといろいろな判断をしているものだと思った。
私が出した結論は、自分が運び込まれた病院が、
まぎれもなく、技術的には3流の病院であったということ。
その時点では、特に根拠があったわけではない。
タンカで運ばれる中で、自分の肌でその病院の空気を感じ、
そして自分の臭気でそれを感じただけ。
しかしそのことは、その後の、この病院での検査技師の態度、
その後の、誤診と、誤投薬からも明らかとなった。
*********
この私が搬送された時の、検査の主任というのが、とんでもない野郎で、
私を運び込んだ救急隊員に対して、
「なぜ、外科かどうかも確認せずに、内科に運び込んだんだ?」
とか、救急隊員に、なんくせをつけているのである。
そもそも、私は、救急隊員にも、
「39度の熱が5日しても、下がらないままになり、
眠れないほど、腰がひどく痛む」と伝えているのであり、
何も打撲で運ばれたわけではない。
このクソ検査技師の野郎は、
私がもっとも信頼をおかないタイプの「声」を出す奴だった。
それは男で、しゃべるときに、高音に声がひっくりかえる奴。
皆さんの知り合いでもいることだろう。
男なのに、しゃべるときに、声が変に高くなる奴である。
この手の男は、ほとんど100%、他人の目を気にする小心者で、
何においても実力がなく、そのくせ虚栄心だけ、
という「最も信用できない」のが、この手の声を出す男なのである。
その検査主任は、それに該当した。
その男が出した、初診の結果は、疑われるものは
「脊椎炎」「尿路結石」というもの。
これも、まったく違っている。
しかも、このヤブ医者野郎は、私に対して、
「このまま、今日は、帰宅しますか?」とか言い腐りやがった。
そもそも、限界まで耐えて、
それでも駄目だとなって、救急車を呼んだ人間に対して、
自宅へ帰るか?、とは、何事だと思った。
「いいえ、入院して検査します」ときっぱり返答し、同意書にサインをした。
あまりしたくはなかったが、CTスキャン、造影剤の投与を行い、
レントゲン、採血、痰検査、尿検査を経て、このヤブが出した結論は、
「クレブシエラ肺炎」というもの。
しかし、これがそもそも誤診だったために、
私はその後、本当の原因菌に対しては効果のない抗生剤を、
18日間も無駄に点滴で投与されることとなった。
ちなみにインフルエンザは、2度の検査でも検出されなかった。
さて、この肺炎についてネットで調べたものを、砂手がプリントアウトして、
病院に送ってきてくれたのだが、
そのどこをどう見ても、私の症状は、
その「クレブシエラ肺炎」には該当していなかった。
何よも、抗生剤が効かず、熱も下がらず、頭痛がひどくなるばかり。
熱も下がらず、容態が悪化する理由がわからずに、看護師も首をかしげる始末。
私は、自分が誤診をされている可能性を強く感じたので、
その検査医師とは別の、私の担当医となった医師に、
「この症状の候補となる抗生剤は、何種類あるか?」をたずねたところ、
4〜5種類あるというので、
「その中から、今とは別の抗生剤を、試しに投与してくれないか」と持ちかけた。
しかし医師は「今の抗生物質で、しばらく様子を見ましょう」と言うのみ。
1986年の時の入院以来、この過去、約30年もの間、
抗生剤を体に入れたことがない私にとっては、
特定された菌が、もしも正しければ、どんなに長くとも、
3日か4日もあれば、抗生剤の効果は、はっきりと出るはず。
それが一週間以上も経過しているのに、まったく効果がないとなれば、
普通の神経をした医者ならば、別の菌の感染を疑うのが当然である。
そんな私の要望が無視されてから、その2日後に、
血液検査によって、別の菌が特定されたことを、医師から知らされた。
それで私の病名は、「クラミジア肺炎」となった(へと変わった)。
担当医が言うには、
「クレブシエラ肺炎」と「クラミジア肺炎」の「二重感染だったようだ」、
という説明なのだが、これがまた怪しい。
実際には、むしろ、どちらかと言えばクラミジア肺炎が正しく、
最初のボンクラ医師が同定した「クレブシエラ肺炎」は誤診のはず。
ならば、どうして、その誤診に基づく抗生剤の点滴を、すぐさま取りやめて、
あとで特定された菌に対する抗生剤一本に絞らなかったのか?
二種類の抗生剤を点滴した結果、その副作用は2倍となり、
肝心の薬効は、半分しかない。
どうやら、そこには同院内の「医師同士の力関係」が関係していたようで、
最初のボンクラ医師の所見を誤診と断定する権限が、
二番目の主治医になかったようである。
それで、いらん抗生剤をそのまま18日も無駄に打たれ、
本当に、必要だった抗生剤は、一週間程度。
最終的に、出された退院許可書の内容を見たとき、
そこに書かれていた病名は、「クラミジア肺炎」のみで、
「クレブシエラ肺炎」を併発とか、ダブル感染とは、
書面のどこにも書かれていなかった。
正式な診断書からは、「クレブシエラ肺炎」は削除されていた。
つまり、私は、最初のボンクラ検査医の野郎の誤診の犠牲と、
院内の医師の上下関係(つまりは別の医師の顔を潰さないという配慮)
の犠牲となったわけである。
■さらに言うならば、私の症状では、咳はほとんど出ていないことと、
発熱は、ずっと39.5度を超えていた。
だが、クラミジア肺炎では、そのような高熱は出ない事が記述されている。
退院してから、「肺炎の種類」をかたっぱしから調べてみたが、
少なくとも、この病院で言われた二つの肺炎とは
私の症状が異なりすぎている点から、そもそも、全部が誤診か?と思えた。
以下の「肺炎の種類」から、徹底的に個別の肺炎の症状も調べてみたが、
私の症状は、少なくとも、
「クレブシエラ」と「クラミジア」には全く該当していなかった。
http://ichiranya.com/technology/326-pneumonia.php
■ただ、少なくとも「二番目の抗生剤」は、効いたように思えたので、
そこから逆に、
第二種の菌が特定された後の時期に、私に投与されていた抗生剤が、
「通常は、どういう病気に対して使われている薬なのか?」を調べることで、
「本当は何の病気であった可能性があるのか?」を推察してみたが、
結論としては、分からなかった。
*********
●医療現場というのは、
「患者の側」が、肌で感じてわかることがある。
これまでに、東京では、3種類の病院に世話になったが、
どの病院でも、それなりのプロ意識、スタッフのシャープな動きを感じた。
研究者・技術者としての当たり前の生気というものがある。
東京医科大学付属病院、東大病院、もう一つは、古すぎてどこだったか、忘れた。
ところが、今回の山梨の病院は、生気のまるでない医師、そして
処置は、単に「悪くはない」というだけ。
これだから、やる気のない、田舎の病院は嫌いだ。
だが、医療というのは、
「悪くはない」では、全く駄目なのである。
「悪くない」、そんな程度の姿勢では、医療にならないのだ。
病院の規定に準じて、ただ適当に投薬したり、点滴を入れて、
マニュアルどおりの検査をして、入院させて、寝かせておくだけ、
そういう「悪くはないが、よくもない病院」、
そういう「半端な病院」が、必ず医療ミスをする。
●実は、3/29の退院というのは、早すぎるもので、
症状からすると、あと一週間弱ほどは入院しているべきだったのだが、
そのまま、入院していると、
体に負担ばかりをかける結果となる、抗生剤を入れ続けられるので、
それを懸念して、医師に早めの退院を頼んだのであった。
いちおう、血液検査の結果も悪くない、ということで、
退院の許可は出たものの、
異常に高い血圧が、ずっと下がらないままの退院となったために、
看護師からは、しばらくは自宅でも血圧を測るように強く言われた。
現在は、抗生剤をやめて、5日目。
抗生剤に特有の副作用である下痢がようやく落ち着きつつある。
これは抗生剤で、腸内細菌が全滅してしまうために起きる特有の副作用。
なので、現在は、乳酸菌とココアを、どっさり食っています。
血圧も、入院中には、下が約110、上が約150から160と、
高すぎていたものも、今は、やっと正常値に戻った。
入院中に、あきれたのは、私の血圧がいっこうに下がらないために、
血圧降下剤のパッチを私に貼ったことだった。
翌日に、血圧が正常に戻ったのを見て、
看護師は「あー、よかったですね」とか言っているのであるが、
おいおい、それ違うだろ?と、私は憤慨した。
すぐに命にかかわる、というほどの高血圧の数値ではないのだから、
もっと慎重に、どうして血圧が下がらないのかの、
その「原因」を推測するのが医師の仕事だろ?
「原因」について考えたり調べないで、
ただ見かけの数値を下げるような対処療法ばかりする、
これだから、私はこういう病院を信用しない。
私は、西洋医学を信用しないのではなく、
こういう病院を信用しない。
かなり詳しい説明をした場合。
臨死体験より重要となった体験の話。
誤診に次いで、投薬の間違いなどが続き、患者の側の私としては、
ふんだり蹴ったりで、回復が大きく遅れたのだが、
そのおかげで、予想外に、苦痛が上手く「長引く結果」となった。
これが、もしも、特定された菌が正しいと、
2日もあれば、抗生剤は体内の菌を殲滅し、駆逐してしまう。
しかし、誤診のために、医療機関の保護下にいるのにも関わらず、
高熱が全く下がらない、
吐き気と、めまいが延々と続く、
頭が割れそうな頭痛が、日増しに、ひどくなる、
そして、腰の痛みが続いた。
苦痛の種類としては、このようなものだったが、
改善の兆しが全くないままに、
これらが休みなく続いた、前半の10日間に、
私の意識が「ある重大な現実」を、ずっと体験しつづけていた。
その中で、普通であれば、一生生きていても、出来ない体験を出来た、
ということが、今回の経験での最も大きな収穫だった。
少しばかり、感慨深いのは、
一生の間に、普通の人たちが、一度たりとも決してしないような経験を、
幾度となく、しかも何種類もする、という、この自分の人生が、
それが事前に計画をしたもの、
そしてそれに伴うリスクを覚悟をしてきたもの、であったとはいえ、
ため息が出るぐらいに、綿密に構成されたよく出来た人生だったことだった。
むろん、いつもそうなのだが、それは、後からわかることで、
その現場では、予測は出来てはいない。
●それはともかくとして、今回私が経験した体験の経緯や、
特に「その体験の内容」については、今後も、ごく親しい人、
そしてそれを理解出来得る人にしか、語ることはないだろう。
それは決して、その体験者以外には、理解などできないことだから。
それは、臨死体験を3度するよりも、ずっと有益なものだった。
なぜならば、臨死体験は、常に「リアリティーの移動」に過ぎない。
だが、そうではない死(またはその手前の次元)というものがある。
どのみち、他人が書いた何かの言葉を読んだり、聞いたところで、
実際にそれを経験をしていない者には、誤解以外の何も出来ないのが、
人間の悪癖と無知、であることなど、100も承知であるので、
今回、「何を(どのような現象を)」私が体験し続けていたか、ではなくて、
その体験から導き出された、
「結論」だけを、ここに記しておくことにした。
死ぬ時には、耐え得る、出来るだけの
「苦しみの中」で死んだ方がよい。
私は、今回の体験をするまでは、
今までは、どちらかというと、「安楽死」に対して肯定的だった。
死ぬときには、平穏なほうがいいのだろうと、漠然と考えていた。
だが、今回の強烈な内的体験から、
これまでとは全く異なるスタンスを明確にする結果となった。
人は、死ぬときに、精神が耐えうる、限界ぎりぎりの、
「苦痛」を経験しながら死ぬことが望ましい。
これが私の結論である。
ただし、その苦痛の「さじ加減」が難しい。
今回、病院側の治療が全く効果を及ぼさず、私を約10日にわたって、
これでもかと、いうほどの苦痛に陥れたその苦痛を、
仮に「100」とするならば、
今回のような、リハーサル(または確認作業)ではなく、
私が、本当に死ぬ「次回」の時には、
120%までならば、その苦痛のレベルをアップしても良いと考えている。
ただし130%までになると、無理である。
今回のような、まったく楽にならず、いつまでも軽減しない、
継続的な苦痛が130%となった場合には、
私は、ほぼ確実に、自死を選ぶからである。
人が耐えられる身体的な苦痛には「限界」というものがある。
また、今回の苦痛が、140%増しぐらいになってしまうと
それは、もうショック状態に近づいてしまい、
意識が途切れたり、気絶してしまうので、それも良くない。
なので、気絶をする手前の意識が、きちんと維持されて、
かつ、その自殺をしてしまうほどの苦痛の限界ぎりぎり手前で、
そこを超えない限界内での最大の苦痛を、長期的に何日も食らうということ。
そのことが、
たったの数秒、またはわずか数十秒の苦痛を経て、すぐに死んでしまう安楽死や、
死んだことを自覚の出来ない死に方よりも、
はるかに重要であることを今回体験したことは、
私の死生観を大きく変える結果となった。
もしも、次回の生で、今回よりも賢明な生き方をしたいならば、
人は、楽な状態でなど、死んではならない。
耐えるのが可能な、限界ぎりぎりの、
「大きな苦痛」の中で死ぬべきである。
世の中の、誰一人も、同意も共感もしないことが確実であろう、この教訓が、
今回、私が得る事のできた、重大な知恵のひとつとなった。
それは、その事の経験者、体験者以外に、その真価を知ることもはなく、
それが持つ意味を語ることも出来ない。
人が、死ぬときには、耐えられないほどの苦痛が、
絶対に、不可欠である。
ただ、その死の際の苦痛には、条件がある。
まず、それは、精神的な苦ではないこと。
それは決して、心理的な苦ではないこと。
それは、徹底した、「肉体的な苦痛」であることが不可欠。
次に、それは、誰かのせいで自分が苦しんでいるんだ、
というような、他者を恨む形を形成していないこと。
また、それは他殺ではないこと。
つまり、誰かのせいではない「病」によって、
自殺をしない、ぎりぎりの手前の苦痛であって、
かつ、気絶すらも出来ない、
という苦痛を、必要なだけ、長期的に経験してから死ぬ、
このことが、人が、死ぬ瞬間に、世界や宇宙の、幻想と実相の、
その区別を、完全に出来るようになれるかどうかを分ける、
唯一の秘訣だと言ってもよい。
●むろん、今日も、毎日のように、世界中で、
多くの人たちが、苦痛の中で死んでいっている。
だから、死に際して、苦痛があっても、単に、それだけでは、
人は、よりリアリティーのある、次の生の選択を出来るわけではない。
言うまでもないことだが、
単に病魔に倒れたぐらいでは、人間は賢くなるわけでも何でもない。
また単に、死にかけたぐらいの事で、人間が変化するのであれば、
とっくに人類は、違う方向へと進んでいた。
だから、そういうことではない。
死ぬ側の者の意識の姿勢、
苦痛を経験する者の生に対する態度、
体験する側の「姿勢」こそが、すべてを決定するものだった。
病院で死ぬのは悪くはない
たいしたことではないが、
もうひとつ、今回、実感したことがある。
それは病院に運び込まれた場合には、運が悪いと・・・、
本当は、ちゃんとそこで死ねたのに、
余計な延命措置をされてしまって、無駄に長く生きてしまう、
という、おそるべき危険性があるのは、よく知られたことであるが、
それと同時に、その一方では、
「死ぬ場所」として考えると、
病院は、理想的な場所であるということだった。
●死ぬときに、身内がそばにいたり、
自分と利害関係を持つ者がそこにおらず、
自分は、誰でもない、ただの患者で、
そこにいるのは、ただの医療スタッフ、
この関係性の薄さ、
この「きちんとした距離」が保たれているということは、
死に行く者にとっては、心底から、ほっとできる環境なのである。
医療スタッフは、患者に余計な感情は一切向けない。
患者である側の自分は、一人っきりで、その自分の死と対面する事が出来る。
そこに、家族や知人など、いてほしくはない。
だから、病院で一人で死ぬ、ということは、孤独な死ではなく、
もっとも理想的な死のひとつである。
逆に、自宅で死ぬというのは、
不審死であっても、病死や事故死であっても、
法的にも、いろいろと問題が発生することもある。
だが病院内なら、どう死んでも、問題は発生しない。
●今回、病院という場が、死ぬ場所として、かなり重要だと私が感じたのは、
死ぬときに、知り合いがそこにいない、誰とも面識がないということが、
自分は、どういう生き方をしてきた人間であるのか、
などという、
そういう余計な「自己同化」を発生しない効果を持つからである。
そこに、誰か他人が、うろうろしていれば、
その他人の誰かが妄想しているような自分として死ぬかもしれない。
しかし、そこに、ただの医療スタッフしかいなければ、
他人が望むような誰かを、演じながら死ぬ必要は自分には全くない。
それは、本当に、静かで、十全な「独りとしての死」となる。
*********
●ちなみに、今回、悪化する病状の中で、いろいろな層の、
「リアリティー」を、深く再認識したために、
この一ヶ月は、インターネットなどというものは見る気も全くせず、
また、いくつか届いている、メールも、
何に対しても、妄想しか出来ない人たちのもの、
リアリティーの中には存在できない人たちの、
ガラクタメールにしか見えないために、
この期間中(3/9以後)に頂いたメールは、
メールのタイトルに関係なく、
読まずに、そのまますべて削除しました。
今の私にとっては、それらのどれも、まったく、くだらないもので、
現実感のかけらも、その人たちがそこに感じていない、薄っぺらなものに、
私には思えるからである。
なので、この4月が過ぎて、5月になっても、それでもなお、
私に送ることが絶対に重要だと、という
「確信を、自分が持てるほどの内容のあるメール」ならば、
来月に、もう一度、送ってください。
しかし、その、妄想だらけの狂った頭を冷やしてみたら、
実は、何を言ったり、書いても、
そんなリアリティーは、あなたのどこにもなくて、
毎度、いつものように、
意志も目的も、あいまいなままに出した、生気のないメールならば、
そんな、くだらない、お見舞いメール、心配メールなど、
今後も、二度と、私によこさないでください。
自分のことすらも、自分のリアリティーの実感すらも、
いまだに、全くどうにも出来ていない人たちに、
他人を心配する暇や余裕などあると思っているのだろうか?、この人たちは?、
と私は呆れるばかりである。
自分に起きる現実だけに、集中している「つもり」でいるだけで、
あいかわらず、まったく、とるに足らない、
そこに実存しない妄想にしがみいているだけの、
そんなザマでは、決して全自我になれるはずもない状態に、ずっといることに、
気がつけない自我復元者。
そろそろ、そういうブログも、消した方がいいだろう。
*********
なお、少なくとも、
今月4月中は、自我復元の「報告」、判定依頼、その他の依頼も、
一切受け付けません。
4月以後は未定です。
_______________________________
★
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