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★分割自我復元★その596●『入院中の小ネタ』●
by:
鈴木崩残
2016/04/09(Sat)09:36:49
入院中の小ネタ話
入院中の「小ネタ」となると、それはいろいろとあります。
他の部屋にいる変わった患者などもそうですが、ああいう施設には
どこか非日常的な風景や出来事が付き物です。
たとえば、
看護師が来るたびに、毎回同じ言葉を叫びまくっている、
○田というじいさんは、けっこう強烈なインパクトがあった。
そのじいさんの叫びは、
「痛い!、痛い、痛い、イタタタタ、痛いって言ってんだよ」
に始まり、その次に、
「危ない、危ない!、落ちる、落ちるから、危ない、危ないって
言っていんだよ、このやろう」
と続く。
どうも、体にちょっとでも触れると、痛いと言い出し、
ベットから落ちるから、危ない、触るな、と言っているように聞こえた。
そんなものだから、最初は、看護師が患者を虐待でもしているのか思ったが、
すぐに逆だということが分かった。
その、わめきちらしている患者が加害者で、
看護師さんらが、そのじいさんの生み出す騒ぎの被害者なのであった。
とにかく毎日、一定の時間になると、「○田劇場」が始まる。
痴呆が入っているようでもあるが、どうも、
いろいろ家庭でトラウマっている患者のようだったが、
せっかく病院で休んでいるのに、
その手のことは考えたくもなかったので、原因については無視した。
●かと思うと、昼夜問わず、近くの別の病室から聞こえてくる、
看護婦さんに、助けを呼ぶかのような、不気味な声。
「おねぇーさん・・・おねぇーさん、・・・・おねぇーさん」と
だんだんに大きくなるところが、なんとも不気味なのだが、
ところが、誰一人も、その声に応じないことから、どうも、
その患者さんも、痴呆と認識されているようだった。
●また、入院中に、私が、殺意すら抱きそうになったのが、
検査入院で2泊3日を過ごしていった、とある「男」の患者。
こいつが、「睡眠時無呼吸症候群」と言うやつで、
約30秒から、40秒おきに、爆音がする。
それは、いびき、なんていうシロモのではない。
私も、他人の、いびき、歯ぎしり、寝言、といったものは、
いろいろと聞いてきたが、無呼吸症候群の人間の出す「騒音」は半端ではなかった。
まる2日、ほぼ睡眠をとれずになったので、夜は部屋の外に出ていた。
前の投稿の、パジャマ姿の私が廊下にいるのはその時のもの。
真夜中に廊下にいるので、看護師が、「どうしましたか?」というので、
「中に入って、30秒間、待ってみてください」と私は言った。
40秒後に出てきた、看護師は、
「つらいの、わかります。あれはすごいですね」と、
申し訳なさそうに言ったのだが、
その患者を、個室に移動させるなどの対策をとらないものだから、
4人部屋にいた、その男以外、
私を含む3人は、まる2日、寝不足となった。
昼間なら、その男が起きているから寝られるぞ、と思いきや、
その男は、まっ昼間も爆音を出して、眠っていた。
それで、昼間担当の何人かの看護師も、私のいる部屋のその男のいびきが、
とんでもない被害を及ぼしていることを認識してくれた。
まったく眠ることが出来ないので、
私は、その男の心臓が止まってくれないかと本気で念じた。
というのも、その男性は、心臓に電極をつけているのが分かっていたので
その男の心臓が、少しの間でも、止まってくれれば、異常事態になって、
別の処置病棟に運ばれてゆくだろう、と思ったからです。
別に、死んでしまえとか思ったのではなく、
そんなことでも起きないと、個室に移動してくれないと思ったからです。
そうしたら、そんなことを私が念じながらいた、最初の夜に、
どたどたと、真夜中に、看護師数名が入ってきて、その男に、
「大丈夫ですか?、今、心臓の脈が、極端に弱くなったものですから」
と言ってたり、
「睡眠が、取れていないようですよ。
昼間に、眠くなることはありませんか?
今回の検査の後、耳鼻科へ行ってみてくださいね」
などといった、やり取りが聞こえてきた。
だが、その後も、あの男の心臓よ、止まってくれ、と念じたものの、
その男に、それ以後、異変は起こってくれなかった。
ああいう「すごいイビキ」とか「無呼吸症候群」とか持っている人は、
入院する際の書類に、本人か家族がそれ申告しないとマズいなと思った。
でなければ、発覚したらすぐに、独房(個室)に移動してほしい。
それは、檻に入れられた、でかい動物と、
一緒の部屋で寝ているぐらいの騒音なのである。
病室ドアを完全に閉めた状態ですら、
部屋の外の廊下にまで、そのいびきは聞こえた、
といえば、どれだけ物凄いか、分かる人もいるだろう。
■あとは、私がとても感銘を受けた、看護師さんの言った「一言」とか、
「いい話」もあるのですが、それはまた別の機会にでも。
■腸内細菌正常化作戦
見る人が見ると分かるように、
本格的な乳酸菌、オリゴ糖、ココアで、「本気の」調整中である。
抗生剤でも飲まない限りは、腸内細菌が全滅してしまうことなどは、
めったにないですが、そういう事態になったときには、
ひょんなことで、悪玉菌が増殖してしまわないように、利用するといいです。
■アニメ声の看護師さん
印象的だった事のひとつは、病棟に響き渡る何人かの声の中で、
どう聴いても、その人の声だけが、「人間の声」ではない人がいた。
人間の声ではなくて、その人が、近くの病棟とか病室でしゃべるのが
聞こえてくると、そこだけ「アニメのシーン」が目に浮かぶのだった。
退院の前日に、朝の検温のときに、直接に、尋ねてみたら、
大学生のお子様もいて、年齢は、40代半ばで、
見た目は、本当に、ごくごく普通の、地味な女性でした。
ところが、その声が、あまりにも、
とびぬけて、アニメの声優さんに向いていた。
たとえば、「音域」としては、
小学生の男の子、女の子、
どちらのキャラクターの声優も確実にできるし、
洋画の吹き替えをやっても、ばっちりだと思った。
ひとつひとつつの語尾の発音も、極めて澄んでいて、
普通の会話でも、何かのセリフを噛んだところを聞いたこともない。
なので、あまりにも、その声が、看護師さんで終わるのは、
もったいと思い、
「もしも、いつか、人生のどこかで、気がむいたら、
声優さんのオーディションとか、受けてみてください。
声優さんは、声が売り物ですから、息も長い職業ですし」
と言っておいた。
ちょっとぐらいならば、
どこかしらアニメ声っぽい女の子なんか、どこにでも、転がっているものです。
しかし、プロの声優さんとしても通用しそうなほどに、
私が思ったた人は、めったにいません。
なので、記念に、ご本人に了解を得て、声だけ録音させて頂きました。
「比較」のために、以下の「前半部」は、
別の「普通の声の看護師さん」が、私の横のベッドのいた別の患者さんに、
向かってしゃべっている声です。
後半が、退院の日に録音させていただいた、その人が私にしゃべっている声。
この録音の時には、残念ながら、そんなにアニメ声調ではないですが、
ふだん、患者さんに、大きな声でしゃべりかけているときが、
もう、完全に、音の世界だけはアニメの世界にいる気分でした。
ちょっと不思議だったのは、
アニメの主人公が、この人の声に、とてもよく似ている、
あるアニメ作品の話を私が、出したら、
ちょうど前夜、夕べ、そのアニメをこの看護師さんが見ていた、
という偶然の一致だった。
(そのアニメの画風がとても好きなのだといっていた)
アニメって、無数にあるのだから、
いくらなんでも、偶然にしては、ちょっと出来すぎていた・・・・。
●それで、私が、かなり血圧が高いままで退院することになったので、
このアニメ声の看護師さんが、↑の動画の中で言っているように、
「退院後も、血圧計を買って、計って、もしも高いままだったら、
近くの病院に相談するように」と、強く言われたので、
生まれてはじめて、血圧計なるものを、買ってみた。
確かに、退院直後は数日間、左写真のように高めだったが、
最近は、右写真の数値のように落ち着いた。
死ぬ前に継続的な苦痛が必要な理由
文を書く人間として、私は個人的に嫌いなタイプの文というのがあって、
それは、たいした配慮もなく、読み手の関心や興味を引いたままに、放置し、
明確な分かりやすい説明をしないままに、
だらしなく言葉が散乱したままになっているもの。
そういう点では、前回の投稿で私が書いた、
死ぬ際に、苦痛が必要であるという話も、
あれでは、説明不足であることは、十分に周知している。
しかし、あの話題は、そもそも「共通経験」をしている人が少なすぎる。
だから、ここを読む人には、話がまったく通じない。
その病床における、特殊体験の、共通経験または類似経験というのは、
単なる長患いとか、癌との長い闘病とか、
外科的入院、内科的疾患による苦痛だけでは、
その体験の「条件」が揃わないというところが難しい。
一定の期間、一定の日数の間、麻酔も、痛み止めもきかずに、
苦痛にさらされるのであるが、
知人などに聞いてみても、そういう経験者はわりと少ない。
病院で処置をすると、少なくとも苦痛だけは、
麻酔や鎮痛剤によってわりと早く軽減できるケースが多いためである。
●また、病気をしたぐらいのことで、人生観が180度変わったり、
または、まるで世の中の、表と裏がひっくり返ってしまうような、
その日から、その前日とは、自分の意識そのものが変わってしまう
といった経験は、そうそうあるものではない(普通は、ほとんどない)。
物事の価値観がかわったとか、関心を持つものが変わったとか、
考え方が変わったとかではなく、
「認識方法や、意識それ自体」が、「その日を境に」変わってしまう、
そういう経験なので、いわゆる、病人が治ったあとに、
「普段は気づかないけど、やっぱり、健康が、一番よねー」
という凡夫のオチで、終わる話ではなくなってくるわけである。
●身体的苦痛というものが、不安定な精神的な苦痛など、
全く比べ物にならない、「安定性」を、確実に持っていることが、
それが、人間につきつける「ある現象」があるわけである。
ただし、死ぬ間際に、出来るだけ苦しんだほうがいいのは、
人間の場合で、他の動物には必要ないと思った。
それが必要なのは、人間で、
もっと正確に言うと、地球の人間という枠ではなく、
「二足歩行」する生物に特有の、
精神的病理(妄想)に対する中和剤として、機能することが理解できた。
そして、この自己同化に対する、即効性のある中和剤としての、
「身体だからこそ生み出せる、安定的な苦」が持つ、その特性を、
意図的に、かつフルに使った、ある超有名な者が過去にいたことも、
今回の体験で知ることになった。
*********
心的な苦痛というものは、安定性がない。
たとえば、午前中に、会社で他人に馬鹿にされて、ムカついていた男が、
夜になって、飲んだくれて、その心理苦がどこかへ飛んでしまったり、
男性からボロクソに言われた女性が、スイーツを食べて忘れてしまう、
といったぐあいに、
精神が作り出す苦というものは、安定しない。
どんなに極度の鬱病患者の精神状態すらも、
一日の中で、その強弱が変化する。
自殺をするために、一日中ロープに首をかけているわけではない。
これ故に、心理的苦痛というものは、
かなり深く、日常的にも、人間を支配しているもののひとつである筈、
のくせに、その「安定性」においては、ひどく脆いのである。
ところが、身体が生み出す苦痛や不快、とくに病理が生み出すそれは、
一秒も休みなく、身体から発せられる。
自分の側が気を失うまで、それは休みなく続く。
また、ここで重要なのは、
そうした身体の苦痛を超えられる精神状態が可能であるとかではなく、
意識をズラしたり移動して、調整する手法がある、ということではなくて、
逆に、そのようなものは、本来一切ない、
という了解に至るかどうかが鍵となる。
また、身体苦だけがすべてとなっている状態に比べたら、
日ごろのリアリティーなどは、砂上の幻影である、とも言えるのだが、
ここでのポイントは、
だからといって、身体の生み出した苦痛のほうが現実である、
ということが重要なのではない。
日常の現実だと思っていたほとんどすべての事
自分の生活だ、これが自分の個性だと思っていた、ほとんどすべての事が、
かくも、何の重さも持っていなかったという、
「その脆弱さへの認識が確実になる」といった方がいい。
確かなものや、確かな意識への信頼や認識が生じたり増すのではなく、
「不確かなものの不確かさが決定的に認識される」とも言える。
*********
ただ、こうした経験というものは、
病と闘うとか、病を超えようする姑息な期待や価値観によっては
経験することは不可能であるという点で、
これを、幸いにも、経験できる人はとても少ない。
病の苦痛の最中に在っては、
治ってほしいと思うことも一切せず、
もっと悪化して死んでしまいたい、と思うこともせず、
その病苦の中にあって、そこから一歩も出ようともせず(=出来ず)、
それ以上でも、それ以下でもない、、
しかも回復の見込みの見えない中で、ただ、存在し続けるということ。
何の意味も、何の価値も付加されない苦痛それ自体、それ以外には、
どのような二次的な思考も、
どのような希望も、絶望も、何もそこにないという、
純度の高い、苦痛で、しかも、かなり長期的で、継続的なもの、
この経験者そのものが見つかりにくいので、
この話の根幹部分が伝わる人は、ごくわずかにしかいないというわけである。
●私でも、誰でも、体の具合が悪くなったことなど、過去に何度もあるものだ。
しかし、治れば、「さぁ、いつもの現実に戻った」となるだけ。
病床から出てきたら、世界を見ている側の意識が前と異なってしまっていて、
元には戻らない、などといったそんな結果になる「病」というものは、
めったに経験するものではない。
世の中を見渡しても、神秘学や瞑想に詳しい知人に尋ねても、共有できない、
時には、その人の人生をひっくり返すこともあるような、
こうした重要な体験をしている者は、なかなかいないだろう、と思っていたら、
意外なことに、私のごく親しい人間の中にいた。
奇遇なことに、彼は、私よりも、約1週間ほど前に、それを経験していた。
私と彼とでは、もともとの意識の立ち居地は違うために、
そこから帰還したときに抱いた、感覚や結論は、彼と私とでは異なるが、
その体験の「最中」にあっては、おそらくは、ほぼ同一のことを
経験していたと私は考えている。
だから、この話題は、唯一、彼とならば、一部であっても、
類似した経験をした者として共有できる。
彼の文の中では、それは、もっとも短い、
文字数の少ない文章の一節にそれはある。
この記事はとても短いものとして、終わっているが、
私は、彼からのメールによって、
ブログの表では語られていない、その数日間の、
実際に彼が、自宅でひとりっきりで、死ぬか生きるかという、
生死の境界線を、漂っていた事を知っている。
彼は、少なくともまる3日間、常に死を覚悟していただろう。
その彼が放った短い一言が、その体験の軸を、実に端的に語っている。
それは非常に、短い言葉なので、すぐに曲解する者たちが多い。
しかし、それでもそれは、ほとんど正しいと、私は断言する。
>最後は、いかなる妄想も、その唯一あるリアルな現実が、
>それらを、まったく、焼き尽くしてしまうことを体験した。
>リアリティーそれ自体が、妄想それ自体を終わらせた。
引用元
http://mmjhb11.exblog.jp/22928881/
この記事の直後、彼は職場で完全に倒れている。
病名としても、風邪といったものではなかった。
そして、いろいろな事が彼に起きた。
■自然に禁煙という結果
最後に、どえらく軽い話題にしますが、
結局、一ヶ月間、禁煙していることになります。
そこで、さて、どうしようかと思案しています。
私は、喫煙には賛成の主義で、
そもそも、喫煙者であった者が、禁煙すると、
物書きや、音楽家の場合、とたんに、トゲのないつまらない作品になる
というのをわりと見てきた。
どう他のことを頑張って、それを穴埋めしようとしても、
「切れ味」が格段に落ちる。
だもので、喫煙というものは、社会や、健康主義者が、どう言おうが、
アーティストには必要不可欠だとおもっているし、
それは、今でもそう思っている。
また、3.11以後の原発事故によって、国内産のタバコを避けて、
かつ、無添加タバコに行き着いたことによって、
あらためて、タバコというものが「美味しいものである」ことを実感した。
また、無添加タバコは依存性が極端に少ないということも。
(添加物タバコだと1時間も我慢できないものが、
無添加だと4時間ぐらいは、大丈夫とか。)
■そんなわけで、この病床と入院生活の間は、
特に何の我慢を強いるわけでもなく、喫煙をせずに過ごしてきた。
考えてみると、20歳のころに喫煙をはじめて、
はじめての長期禁煙であろうと思う。
30年前に胸膜炎で入院したときには、
10日後には、もう、医師に隠れてタバコを吸っていたし。
今回は、病気になったついでの、「なっちゃった禁煙」ということで、
「まったく何の努力もせずにそうなった」ので、
これは、これで、安くはなかった入院費用を無駄にしないために、
転んで、タダで起きずに、
この禁煙のおまけつきで、元を取ろうかとも思っている。
●ただし、私は退院して、もしも自宅で、タバコを吸いたくなったら、
それが、本当に体が欲して、要求するものならば、
何ひとつも我慢せずに、吸うつもりでいるので、
愛煙している、アメスピのタバコも、新品のパッケージのままて、
今でも、捨てないままにしてある。
しかし、どうも、吸いたい欲求が起きてくれない。
すでに書いたように、タバコが体に悪いという意識は、まったくないし、
創作活動には、むしろ必要とすら思っているのだが。
しかし、考えてみると、パイプタバコは、まだ手を出していないが、
タバコや葉巻の味は、もうこの一生で、たくさん味わったから、
そろそろもういいかな、という感覚もあるのも、確かである。
●また、私が、他のものと比較して、
タバコに対しては、昔から、ちょっただけ不満があったことを思い出した。
たとえば、チョコレートは、今日は2切れにしておこう、
明日はやめておこう。でも、明後日には、たくさん食べたい、など、
摂取量を自分で、自由に決められる。
たいていの「食品」はそうである。(アルコールは自制出来ない人が多い)
ところが、どうもタバコというものは、
昨日は4本だったので、今日は、10本にして、
明日は、一本も吸わないでいよう、といったコントロールが難しい。
食品と比べてその摂取量の自制がしずらく、
かならず、ある一定の摂取量に達しないと「通常運転」にならない、
という意味では、健康に悪くはなくとも、脳に中毒性があることは否めない。
糖分も、カフェインも、タバコほどの依存性はない。
その「コントロールの不自由さ」だけは、
昔から、唯一、タバコで気に入らなかった点だった。
もしも、食品みたいに、まったく食べなかったり、ちょっと食べたり、
たくさん食べるということが、自在に意志して出来るのであれば、
何の文句もないのだが、そのあたりだけは、タバコというのは、難しい。
なので、とりあえず、このまま禁煙してしまい、
もう一基、どこかの原発でも爆発してコケたら、
その時には、この世の中を心の底から軽蔑しつつ、
タバコに火をつけて、人生を終わろうかとおもっています。
次に吸うときは、「最後の一服」というのがオツかもしれない、
とか、今は、思っている。
でも、気が変わるかもしれない。
*********
『はじめての無明庵』
書泉グランデにも、納品しました。
「本人による、まさかのガイド」というコピーがイカしてますね。
↓
https://www.shosen.co.jp/info/32428/
_______________________________
★
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