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★分割自我復元★その600●雑記/かつての喫煙社会の話●
by:
鈴木崩残
2016/04/15(Fri)12:53:07
雑記/その後の「卒煙」事情
別名「脱煙」「絶煙」「忘煙」
____卒煙にまつわる個人的な話____
世間では、禁煙から始めて、本格的に非喫煙者になることを
「卒煙」と言うらしいが、
「脱煙(だつえん)」
「絶煙(ぜつえん)」さらには、
「忘煙(ぼうえん)」などという言い方も良いのではないかと思う。
(なんとなく吸うのを忘れてしまったというのどかな止め方である)
私の場合には、心のどこかで、そろそろかなと思いつつも、
絶煙など、本気では考えていなかったのだが、
たまたま、先月の肺炎で、自宅で、まず、まる5日吸えず、
そのまま入院して2週間強、吸わずで、合計約3週間が経過した。
つまり、禁煙を試みる人にとっては、我慢するのが、つらい、
と言われているその期間を、普通に病院で過ごしてしまい、
禁煙の意志も努力も我慢も「ゼロ」のままで、ニコチンが体から抜けていった。
結局は、このまま非喫煙生活となるだろうと思う。
こうなると、身体的依存ではない「心理的依存」というものはどういうもので、
どういう人が、何をきっかけに喫煙に戻るのだろうという事に関心を持った。
禁煙セラピー的な本なども、私は一切、何も読んでいないのだが、
どうもその手の本には、「タバコを吸い始めた時のことを思い出すことを
諭している」という本のレビューがあったので、思い出してみた。
(自分の喫煙歴は、ずっと前にも、掲示板で記事にしていますが)
*********
ちなみに私は、今でもタバコが「体に悪い」とは全く思っていない。
(スポーツなどをする場合にかぎり、息切れする欠点はあると思うが)
しかしながら、
パイプや、葉巻や、キセルで煙をふかして楽しむ、といった元来の文化が、
フィルターつきのタバコにされて「肺に煙を吸い込めるようにした」、
という形に変わったことで、
「ニコチンの禁断症状」が生み出されたことには不満がある。
また、それが「禁断症状」として告知されなかった事、
そうした時代に「巻き込まれた感」はある。
自分の人生のほとんどすべてのことにおいて、
「義務教育の就学」と、「タバコ」を除いては、
自分の意志で決定したことだ、といえるのだが、
特に、タバコについては、自分の意志で選んだのではなく、
明らかに、その時代の「社会という煙」の中で、
それを自然なことだ、と思ってしまったことの落ち度は、自分にある・・・・
とか、謙虚ぶりたいところであるが、そんな気は私には、さらさらなく、
むしろ、私は堂々と「被害者ヅラ」をしたいし、そうするつもりである。
*********
1970年か1965年以前に生まれた人たちは、
等しく、ニコチン中毒(依存症)にさせられた被害者だと私は考えている。
というのも「アル中」というと、
子供のころに「巨人の星」や「あしたのジョー」のアニメで見た、
星一徹や、丹下のオヤジのように、酒びたりになって、一生を棒に振るとか、
飲んで、暴れるとか、前後不覚になる、といったイメージを、
子供でも持っていたために、
アルコールは、ひとつ間違うと「とんでもない中毒をするらしい」と分かっていたし、
社会的にも、そう認識されていた。
ところが、タバコが始末が悪かった点は、
吸っても、別に暴れるわけでもなく、
吸わない時に、アル中のような顕著な禁断症状が出るわけでもなく、
「誰ひとりも、タバコのせいで苦しんでいる者などいない」ということが
当時の当たり前の社会認識だったのである。
さらには、1980年の中ごろあたりまでは、
タバコを「吸わない理由の方が、むしろなかった」といえる。
場合によっては、
「自分がタバコを吸わない理由を、いちいち他人に説明しなければならなかった」
ことすらもあったのである。
*********
この無明庵の掲示板の現在の読者で、
現在、20代、30代前半、ぐらいの人たちは、おそらくは、
学生時代か、または成人したころには、すでに世の中が、禁煙社会になっていたので、
その「前時代」を全く知らないということが多い、と思われる。
ただし地域性もあるし、他の家族が喫煙していた場合はまた別である。
ちなみに、私が、中学高校あたりだった1970年、
そして社会人になった1980年代は、
タバコを吸わないと周囲に言うと、「喘息持ちか?」というふうに見られるか、
または、何か非常に「神経質な人間」か、それとも、
とても特殊な理由でタバコの匂いが嫌いかという、
「ごくごく珍しい人間」に見られたものだったのだ。
また、社会に出たら出たで、「飲む、打つ、買う」のうち、何ひとつもしないと、
まるで「人間ではない。社会人ではない」かのように見られ、
そう言われることが当たり前の変な時代だった。
私はアルコールは嫌いだったし、ギャンブルも買春も興味なかったので、
とりあえずは、タバコをふかすことで、適当にやりすごしていた。
酒に誘われた時などには、
「胃が悪いので医者に止められている」と嘘を言って、かわすこともよくあった。
(日本人は、ドクターストップを持ち出すとすぐに黙る癖があるので)
しかしタバコに関しては、誰一人として、健康に悪いとか
それが禁断症状を持つ薬物の一種とは、認識していなかった。
ネットで調べたところ、1980年に、
ニコチンの依存性についてアメリカの医学会で始めて発表されたらしい。
WHOがタバコを悪者認定したのは、確か1988年ごろである。
そのタバコに、禁断症状があることを、私が知ることになったのは、
世の中が嫌煙ブームに煽られてきた、1995年ごろになってからと、
かなり遅い時期だった。
このころ、つまりちょうどWHOがタバコの害を発表してから、
そのあとで、瞬く間に1990年ごろからは、
世の中では、会社でも社内で分煙が、どんとんと行われ始め、
タバコは喫煙所かトイレで吸え、となってゆく時代に入っていった。
ここから時代が変わった。
よしあしを別にしていえば、病的でヒステリックな嫌煙がおきた。
どうも、この禁煙というのが、純粋な意味でのタバコの煙嫌いだけではなく、
それが妊婦に悪いという定説と重なったり、その後の各種の医学的論説や、
何よりも、「嫌煙権」という形で、「人権運動的な意味での主張」を、
極端な形で推進した組織や団体が、からんでいた可能性もあり、
多くの人は、ある意味では、
「そうした嫌煙という社会の煙」を吸っていったのだと私は思っている。
むろん結果としては、今のような、分煙という収束の仕方でいいのかもしれないが、
私は、少なくとも、断煙希望者のための禁煙外来はすべて無料とすべきだと考える。
戦後の日本国民に対して、タバコの販売の本当の目的は税収の為であるのに、
タバコが持つ「禁断症状」を隠し続けた当時の専売公社と日本政府には、
国民を無料で治療する義務があると断言したい。
そして、タバコのせっかくのパッケージのデザインを、
大なしにするほどの、品格のない、大きさの文字で、
「健康を害する恐れがある」と、脅迫の文言を書きながら、
そのほとんど毒物認定しているような製品を「販売停止」にしなかった
政府には、あきらかな責任がある。
アルコールその他、何でもそうだが、
禁断症状を認識していて、それを知っていて売るというのは、
心理的依存ではなくて、「生理的にやめられない、やめにくい事」を
知っていての販売であるから、それは犯罪だと言える。
なぜならば、スーパーにある食品のどれひとつにも、
「この食品は、あなたの健康を害する恐れがあることを覚悟しろ」
などと書いていないからである。
食品ではなくとも、体に入るものに対して、
一方では、脅迫文句を印刷し、禁断症状に抗えない人たちを税収のカモにしたまま、
だが製造中止にしないという、その矛盾に対して政府には説明義務があるだろう。
*********
こうした、禁煙というブームにやっきになる世の中が突然に来るまでは、
禁煙の地区などというものは、どこにも存在しなかったので、
ほとんど誰も「禁断症状」の存在そのものに気づかなかったのである。
病院も喫煙可能、飛行機内も喫煙可能、
電車も通勤電車と特定区間以外は喫煙は自由、
路上も公園も自由、と、どこもかしこも喫煙が自由で、
誰もそれを「悪」と認識していなかった。
しかも、どこでも安く買えて、すぐに吸える。
アルコールとは違い、喫煙したところで、
何を言っているか分からない迷惑な酔っ払いになるわけでもない。
こうした気軽に、いつでも吸える環境があった事によって、
自分が、一定時間のあとで、タバコを吸いたくなることを、
「禁断症状」だと思うことも全くなく、
単なる「癖」ぐらいに思っていた時代が、かなり長く続いたのである。
*********
話は少し戻り、私が最初にタバコを吸ってみたのは、高校1年生の時だった。
よくどこにでみ書いてあるように、喉が痛くて、むせただけ。
若干、頭の中が少しキュンとなって、軽いめまいがしただけ。
禁煙本にもよく書かれているように、全く「何のメリットもない煙」、
まさにそういうものだった。
コーヒーや紅茶や、リキュールや酒のような利用方法や味もしない。
へんな薬みたいに視聴覚の知覚が変わるとか、気分がよくなるとかもまったくない。
精神的にも、何ひとつも変化はなく、味が美味しいわけでもない。
ただし、吸わずに、口の中で煙を吹かすぶんには、
「香りが良い」と思えるものは、葉巻やパイプタバコの一部にはあった。
*********
なので高校1年のころは、基本的に吸い込むことはせず、ふかしていただけ、
というのが、私が高校1年から2年までの約2年間だった。
部活の先輩たちは、みんなスケッチ会の時などや、
吉祥寺のロック喫茶に行くときなどは、私服だったので、
年齢不詳ぎみの先輩たちは、人のいるところでも平気で吸っていた。
私は吸い込まず、単にふかしていたので、この高校生の時には、
全く中毒してはいなかった。
実際、高校3年の時には、私はタバコを全く買っていない。
*********
問題だったのは、美大に入った、そのとたん、からだった。
美大では、授業の休憩時間には、男も女も含めて
9割の人間が、喫煙をしていた。
調べたところ、1980年以前の、当時の日本の成人男性の喫煙率は84%とあった。
ちなみに、この84%というのは、2015年の、
PC所持の普及率とほぼ同じである。
つまり、当時は、美大に20人の男女生徒がいたら、
多くても、2人ぐらいしか非喫煙者はいなかったのである。
私は高校3年から大学の当時、ヨガとか武術とかやっていたので、
喫煙はしないほうがいいという判断から、
休憩時間に、タバコを勧めてくる友達から一本だけ頂いて吸っていた。
が、この当時は、高校生のときのような吹かしではなく、肺に吸い込んでいた。
最初は、一日に一本だったものが、授業の休憩時間のたびに一本となり、
やがて、他人から貰っていては申し訳ないと思い、
自分で箱で買うようになったのが、美大の2年のころ。
この時点で、1年ほどで確実に中毒していたはずである。
そのあと、外食産業でアルバイトをしたが、このころは客が、
灰皿にではなくて、店内の「床」にタバコを捨ててもOK、とかいう
そういう店もあった時代だった。
1970年頃である。
参考までに、この当時は、朝の通勤時間帯の禁煙すらなく、
農家が朝、野焼きで煙っているように、
都会の駅の朝のホームは、すべてタバコで煙っていた。
ホームの上には吸殻だらけ。地下鉄も同じであった。
町が汚いという意味での、よしあしで言えば、よろしくないのだが、
この時代について、「下記の記事」を読むと、その当時の社会事情を、
つかみやすい人もいるかもしれない。
いや、いないだろう。
ここに記された時代の経験者は思い出にあるが、
経験していない人は、想像すら出来ないと思うのである。
しかし、これらはすべて、本当のことであったのである。
↓
70年代の喫煙事情
http://web.soshisha.com/archives/world/2007_1025.php
■私がはじめて、タバコによって禁断症状を発生していると自覚したのは、
タバコを吸い始めて、15年も経過したころだった。
あるとき、地方の寺に一泊、宿泊に行ったところ、そこは禁煙だった。
そのために、翌日まで24時間吸えないという、
「生まれて初めての禁煙経験」をした。
一日目はそうでもなかったのだが、二日目の午前がつらかった。
寺の敷地内を去ったとたんに、
たて続けに2本ぐらい吸ったのを覚えている。
このとき、はじめて私はタバコに「中毒」している、
つまり、吸わないと禁断症状が出るのだと知ったという始末である。
それまでは、
「癖で吸いたくなるのだろう」ぐらいにしか認識していなかったわけである。
■その後は、自営業が続いたためと、2004年からは地方に引っ越したため、
特に、禁煙地区とかを意識せずとも暮らしてきた。
東京を去った2003年ごろには、
千代田区が、路上禁煙になっていたと記憶している。
今住んでいるところは地方の観光地なので、禁煙とか気にせずに暮らしていたが、
一昨年には、とうとう、いきつけのレストランが禁煙になってしまった。
また、このまま、また税収のために、
どうだ、タバコをやめられないだろうと、いわんばかりに、
蔑まれ、いじめられる中毒者のままでいる、というのも、
なんだか、胸糞悪くなってきたところであった。
なので、ついでに忘煙、断煙、脱煙してしまえ、と思った次第である。
●まだ一ヶ月を少し超えただけなので、
あちこちの禁煙マニュアルサイトの記述によれば、
10ヶ月してから戻ってしまった人とか、3年も禁煙していたのに、
何かのきっかけで、喫煙に戻った人の話などもあり、参考にはなったものの、
私の場合には、そもそも、やろうとしてやった禁煙ではなく
「なってしまった断煙」なので、思いが強くない。
思いや意志が介在していない禁煙は、挫折しやすいとあったので、
とりあえず、理詰めで、
「そもそも、大学のときに喫煙する理由はなかったよな、、、」
というところだけは、自分で押さえておいた。
●脱煙から、一ヶ月を少し過ぎて分かったことが、ひとつだけあった。
それは、私も含めて、喫煙者は、
ふだん喫煙をしているときに、深呼吸をしていたということ。
おおよそであるが、
吸うのに4〜5秒、止めること1〜2秒、5〜7秒ぐらいでごゆっくり吐く。
これを煙でやっていたのであるが、
煙を吸うと同時に、それは、一種の深呼吸でもあったのである。
なので、一日に20本から40本を吸う間、
喫煙者は、ゆっくりとした深呼吸を「常にしていた」ことになる。
なので、禁煙して、身体的依存期間を超えたころに、
そのままの「普通の呼吸」だと、少し呼吸が苦しく感じた。
そこで、タバコを吸っていた時と全く同じようなテンポの深呼吸か、
または、もう少し、息を止める時間を延ばして、10から15秒、
息を肺に止めるという、大げさな深呼吸をすると、
喫煙をしていたころの脳の感覚が、やや戻ることが分かった。
喫煙をしていたころに、禁断症状を感じたあとに吸ったときの、
脳の血管が引き締まる感覚が、ただの深呼吸で、
少しだけだが起こせるわけである。
(ただし、これはニコチンの身体的依存が消えた後の時期の話である)
そういうわけで、喫煙者が禁煙して、呼吸に一工夫もしないでそのままにしていると、
いつもより酸欠になる、ということはあり得るかもしれないと考えた。
何しろ、喫煙者は、非喫煙者がしないような深呼吸を、
毎日、かなり日常的にしていたという側面があるからである。
(何かの呼吸法の実践による深呼吸ではなく、
「日常の癖」としてしている深呼吸という意味である。)
むろん酸欠にもなっており、煙を吸っている、と同時に
酸素も多めに吸っているという、わけのわからない状態ではあるが。
*********
あとは、なんとなく暖かい煙を、鼻腔で懐かしんでみたいと感じた時には、
気にいった香りの線香を、一本を折って、2本か4本ぐらいにして、
火をつけて、その煙に鼻を近づけて、楽しむことにした。
(現代の線香は、原料中に有害な化学物質が含まれるという説があるが、
この場合には、嗅ぐ量が微量なので、たいしたことはない。)
何度も言いますが、この深呼吸とか、香の煙による香りの代用は、
ニコチンを絶って一週間とか、3週間経過したあとの時期のことであって、
身体的な禁断症状がまだ出ているときには、我慢できず、効果は薄いと思います。
●ちなみに、私は、脱煙してから、
味覚も、臭覚も、まったく以前と同じで、何も変化がない。
もともと、喫煙をしていた時の私の、特に「臭覚」は、
普通の非喫煙者よりも鋭敏だったこともありますし、
味覚も、同じく、喫煙によって鈍感だったところは見当たらない。
食べる量も変わらず、体重も、入院前と同じままである。
(実際には、量が少なすぎた病院食のせいで、5キロ減)
*********
とにかく、社会が喫煙に冷たい環境になってきたから、ということよりも、
30分とか1時間程度で、脳がニコチンを欲しがるという
その症状に振り回されたままでいるのも、そろそろ嫌になってきていたのと、
まー、喫煙系の煙と遊ぶのは、35年以上もやったから、もういいかな、
という感じで、やめたという方が正しい。
*********
喫煙というものが、
ゼロ状態から何かの「プラス側へと」スキルアップする効果があるのであれば、
吸うことに、メリットもあるものなのだが、
最初に、まずマイナス側にしておいてから、
喫煙してやっとゼロ(元のように脳が機能する)というのは、
薬害による被害者の生み出し方として、そして商法として、
かなり悪質だと思った。
■そのあたりは、以下のページが、かなりよくまとめていた。
目次の順に読むと分かりやすい。
特に、非喫煙者が喫煙者の禁断症状を理解できる方法は、
かなりよく考案されていると私個人は思う。
確かに、それは「呼吸の不自由さから来る苦しさ」とその開放に、
酷似しているからである。
今から16年も前、2000年に書かれたものである。
↓
http://www.letre.co.jp/~iwaki/smokers/
____________________________
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