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★分割自我復元★その605【ブラシ】の使用感の感想●
by:
鈴木崩残
2016/04/30(Sat)21:48:58
口中香の付録資料の「ブラシ」の感想
ブラシの感想がきました。
恐ろしく卓越した説明(と推論)だったので、ほとんど編集なく、
ほぼそのまま掲載します。
一点、注意があります。
ブラシは、以下の文中にあるようには、風呂場では使わないでください。
土台のゴムの中に入り込んだ水を出すのに、手間取ります。
なので水中や風呂場ではなく、普通の場所で使ってください。
******************
ブラシの感想を書かせていただきます。
ブラシ以外にも、ブラシを今使ってみたことで、
感覚というものについて感じ、考えたことも、書かせていただきたいと思います。
今、お風呂に入ったので、
素っ裸なのをいいことに、ブラシを全身で試してみました。
30分くらい、ぬるめの湯船につかってやっておりました。
まず、お風呂に入る前、ブラシの入った封筒をあけて、
待っていられなかったので、お風呂前、さっそく、背中をかきました。
あ、その前に、手にあてて、さすってみました。
まさか、こういうふうな仕組みになっていると思っていなかったので、
うねるブラシの針?にまず驚き、
そして、皮膚感覚からは、
「あ、ちょうどいいかたさ」と思ったのが、第一の感想です。
ごく普通の感想でしたが、これが、奥深いものだったことに
あとになって気づきました。
さて、お風呂に入り、あまりに皮膚が弱いところは避け、
届くところは、くまなく、ブラシしまくっていました。
もちろん、普通に頭皮も。足の裏、おしりも。
下半身って、いつもかいたりしないせいか、新鮮で気持ちよかったです。
また、ブラシで腕などをトントンと叩いたりもしてみました。
鼻もかけるから、すごいです、これ。
普通のブラシで、まず、かこうとは思いすらしません。
でも、これなら・・・と思い、実際やると、いい。
耳かきの気持ちよさの、鼻バージョンといえばいいでしょうか。
(もちろん、鼻の中はダメです)
「気持ちいいなあ〜」とずっとやっていたのですが、
このあまりに「パーフェクト」な感じの均一さに
だんだん慣れ切ってしまっていました。
なにせ、30分近く、かいているのですから。
そんなこんな、その他、視覚や聴覚、
そういったいろいろな感覚、また、呼吸のことなども考え、
実際、試してみては、それは以前も確認済みでしたが、
呼吸をとめての触覚が、ムラがないことも確認したりしました。
その意味では、たいていは人間、息をしていますから、
多くの感覚は、日々、ぼやっとしている、ともいえます。
これについては、後で気づいたことも書いてみたいと思います。
ブラシから、いろいろ、見えてきたことがありましたので。
ブラシでかくだけでなく、道具が他になかったものですから、
手で、全身もかいていたりしました。
かゆいな〜とどこか感じたら、手でかいては、次はブラシでかいて・・・
といった具合に、かわるがわる、やっておりました。
そして、一つ、気づいたことがありました。
手でかいた場合、
気持ちいい、という感覚が「ピーク」に感じるまでに
「時間がかかっている」ということでした。
逆にいえば、このブラシの「パーフェクトさ」は何をもって
パーフェクトなのか、というと、
かゆいところにブラシをあててから、「気持ちいい」という満足感に至るまで、
かかる時間がほぼ「ゼロだ」という意味において、パーフェクトだったのです。
「いきなり」気持ちいいのです。
手でかくと、どうしても、かゆいところをぴたりと探し当てるまで、
ということなのかどうかはわかりませんが、ごしごし、と2秒くらい経って、
ようやく、「ああ、そこぉ〜」となるわけです。
ところが、このブラシは、皮膚にあてたその「瞬間から」気持ちいい。
いきなり、「そこ!OK」となるわけです。
味覚のことを思い出しました。
私が今回、味覚体験で、食事が濃厚になり、濃密になり、
その「充足感」たるものが、何に由来するかを思うとき、
明らかに、それは、
「食べた瞬間から」「美味しい」という、初体験によるものでした。
考えてみると、今までも、咀嚼後半は、
わりと、口中香に近い食べ方はしていました。
鼻の奥の広さにムラはありましたが、呼気吸気という点では
近い方法で食べていました。
ところが、もっとも、味覚の「断絶」があったのは、
口に入れた瞬間から、しばらくの時間、ここで
私は実質、息をしていなかったので、ここで味覚は途切れており、
じんわりと、香りが広がっていく、という食べ方だったわけです。
つまり、「手でかく」のに似ていて、
本当は、このブラシのように、「いきなり美味しい」がよかったのです。
口の広さの確保の理解が深まってから、
今までも味わっていた、と思いこんでいた咀嚼後半も、
さらに、味わいは深いものに、昨日くらいからは変化してきており、
それも、「おおっ」という驚きにはかわりありませんが、
しかし、私にとって、今も毎回の食事で最大の驚きは、やはり、
「口に入れた直後から美味しい」、これです。
ブラシのことで、このことを思い出したのですが、
はて、では、なぜ、このブラシはいきなり気持ちいいのか?です。
私は、呼吸に何の工夫もしていませんでした。
しなくても、間違いなく、ムラなく、
いきなり、かゆいスポットをピタリととらえます。
ふと、崩残さんが、
この「口中香」のCDの中で話されていたことを思い出しました。
>「気持ちいいこと、快感はずっと続かないのに、
>苦痛は何もしなくても、勝手に続いてくれる。」
・・・という話。
そうなのです。
食べることも、口中香という「意識的な生き方」を意志してはじめて、
「ずっと美味しい」を体験できる。
お風呂に入っていて思いました。
痛い、っていうのは、どうだろう?と。
つねったりしましたが、こういう鈍い痛みは、あまり参考になりません。
といって、鋭利な痛みは体験したくなかったので、
「熱い」という体験を思い出してみました。
熱湯がはねた時、
「熱っ」
と、これこそ、すごい速さで感じます。
自分が感じたなど思う前に、身体がのけぞります。
それで思ったのは、
人間にとって、危険度(生命の危険性、身体的な危険性)が高い出来事ほど、
人間は、「すぐ」感じるようにできているのではないか、ということ。
考えてみれば、当然といえば当然で、
そうでないと、命の危険が高まるわけですから、
いきなり、苦痛を感じてもらわないと、生命にとってまずいわけです。
それで、逆に、では快楽は?となると、
これ、命の危険性とは無関係ですから、
じんわりと気持ちよくなっても、問題ない、ということかな?と。
それで、このブラシのことを考えてみました。
なぜ、これ、いきなり気持ちいいんだ?
・・・もしかしたら、と考えたのは・・・、
本当は、これ、「痛い(苦痛)」と「かゆい(気持ちいい)」の
ギリギリのラインこのブラシは、身体に与えているのではないだろうか?
身体は、もしかしたら、少し鋭利なブラシの針は、
「危険だ」と察知しているのではないだろうか?
実際、だから、ふわり、と土台がクッションになっていて、
肌にあてようとする私たちの手も、このくらいなら、と無意識に手加減して、
そのあてる皮膚の弱さを考慮してあてている。
だから、身体は、もしかしたら、
「痛み」「苦痛」の信号として、このブラシの接触をとらえ、
「とっさに」感じるように、信号が脳に送られているのかもしれない・・・と。
つまり、このブラシは、快感と痛みの「ギリ」のラインを与える構造を
しているのではなかろうか。
実際、私は、針の土台の、ぷにょぷにょのゴムの中に
お風呂の水が溜まってしまったから、
調子にのって急いでプシュプシュ水を穴から抜いていたら、
思わず指先をさしてしまい、少しだけど、血が出てしまった。
それくらい、物理的には、このブラシの「針部」は、もしかしたら、
身体に対しては、ちょっと危険なやつ、なのだ。
そこを、ぷにょぷにょの土台がカバーし、
さらに、人間の手加減で、実は苦痛でなく、
ギリギリ、快感として肌にあてることに、結果として成功しているため、
「いきなり気持ちいい」という、
本来、もしかしたら、人間に起こらないようなことが、
「エラー」のごとく起こっているように思った。
それで、さらに、話は味覚になりますが、
口中香、という食べ方は、もしかしたら、
この「エラー」に近い出来事なんじゃないか、と。
つまりどういうことか。
その話の前に、たとえば視覚や聴覚、触覚は、
もしも人間の身に危険がせまったときには、
ふと、呼吸がとまったり、浅くなったりする。
身構えたりするときだ。
どもるその瞬間、息をしていない、というのと同じ。
外部の対象物に対して、何らかの危険を感じている。
ACの場合、それは妄想であっても、身体反応としては現実に起こる。
その時、視覚、聴覚、触覚が鋭敏になるのは、
自分の身を守る上で、当然のことだ、と思った。
今、自分のまわりで何が起こっているか、
「外部」の「知覚対象」に対して、感覚を研ぎ澄まさねばならない。
敵がどこにいるか、
どんな音がしているか、
肌に何か触れていないか、
AC人格であれば、「これでいいのか」がこれに加わる。
もちろん、それは、正常な反応としてでなく、仮想の恐怖の妄想として。
一方、嗅覚は、息を吸うとき、当然、これが鋭敏になる。
というか、その時だけ、匂いを感じる。
それは、匂いで危険を感じ取るためだろう。
では、味覚はどうか?
もしも、毒が盛られていたら、
それを飲み込まず、吐き出さなければならない。
自分が少し前にした経験でいうならば、
どうも黒砂糖が、へんな味がする、と感じたとき、
私は、それを感じ取ろうとする時に、
舌に黒砂糖を残し、それこそ、口中香の呼吸法を自ずとやっていた。
舌で、十分、調べていたのだ。
味覚異常だったがゆえに、そんなことをした。
これを食べても味覚が狂わないかどうかを、調べる必要があったから。
美味しいもので、安全なものなら、
本来は、そんな毒見のようなことをしなくていい。
しかし、もしも毒があるかもしれない、という疑いが出された食べ物、
あるいは、森でとった食べ物にあるのなら、
口にいれて、とっさに飲むことはしない。
口に含んでも、飲む前に吐き出すだろう。
つまり、あれこれ、こうやって思ったとき、
「口中香」という方法は、すぐに、味を判断しなければならない、
危険対応のための食べ方だったのではないか、
だから、「いきなり」美味しかったのではないか。
そう思ったのです。
毒でなく、美味しいのなら、
かゆいのと同様、じんわり美味しいでも(命に別状ないという意味で)よい。
しかし、危険、苦痛なら、「すぐ」知らせないとまずい。
これを逆手にとって、
美味しいものでもやってみたのが、
もしかしたら、口中香という技法なのではないか、と思ったのです。
つまり、危険や苦痛なら、人間は「すぐ」感じるようになっていて、
ずっと痛く、途切れず、次もまた「すぐ」痛い。
もちろん、その痛みがピークを超えれば、気を失う、
という対応策が埋め込まれているとしても、
原則は、痛み、苦痛は、
「最初から最後まで途切れず」感じるように、できている、ということ。
しかし、快楽は、命に別状ないので、
途切れてもいい、ぼんやりとしていてかまわない、
といった感覚の機能の使い方を、普段はしてしまっている。
ところが、今回、崩残さんが、
CDの中で他の感覚についても言われていたように、
工夫をすれば、途切れる意識を明晰にする方法があるかもしれない。
またブラシの話に戻りますが、
このブラシのパーフェクトさは、最初からずっと気持ちいい、
という、途切れなさ、にあると思います。
お風呂で、手でかけば、そのムラと比較すれば、明確なことです。
でも、これは、崩残さんがおしゃっていた事実の通りです。
このブラシは「快感」をもたらしますが、
これもまた、ちょっとした「エラー」であり、
本当は、「苦痛、危険だよ、もしかしたらこのブラシ」という合図ゆえに、
最初からいきなり気持ちよく、ずっと気持ちいい、という、
皮肉にも、快楽の永続性をもたらしているのではないか、という推測です。
しかし、これが意味しているのは、
本来は、苦痛は何の工夫などしなくても、いきなり苦痛で、
ずっと苦痛を感じるように設計されている、という構造があることであり、
そこに、ちょっとした予期せぬエラーが起きて、
本当は苦痛が続くはずだったのが、
気持ちいい、美味しい、がずっと続いてしまった、という
「予想外の出来事」が起きた、ということじゃないか、と思ったのです。
中略
さて、味覚のことですが、
もう一つ、最後に発見したのは、
とりわけ、「味覚」は他の五感とは、異質なものかもしれません。
聴覚も、今書いたように、どうしても、運動主体と、聴く側は、
求められる呼吸構造が異なります。
しかし、味覚はどうでしょう。
吐いている時、その「知覚対象」を最大限に味わえる・・・
この「吐いている時」に、鮮明になる知覚は、
五感のなかで、唯一、味覚だけです。
つまり、能動的主体が生き(息)ている営みと、
対象を最大限に知覚する受動的行為が、一致しうるのです。
聴覚は、それができません。
しっかり聴こうとしれば、息をとめながら放つ、
という無理をする必要があり、
そういう、めちゃくちゃな強制は、どもる子どもを育てます。
踊っている子は、自分がどんなふうに踊っているか、
また、歌っている子は、どんなふうに歌えているか、
そんなの気にしなくていい、という当然のこと、
子どもなら、最初から、当然にそう思っていることを、
邪魔してはならなかったのです。
・・・しかし、口中香、これは不思議です。
それが両立しそうです。
というか、しているから、「おお」とうなるほど、
食事が、濃厚、濃密、充実しているのかもしれません。
今回の発見で面白かったのは、
きっと、口中香の「途切れない美味しさの体験」も、
また自我が「楽しすぎる」と口に出してしまうほど、
終わないかもしれない格闘と苦痛の中でそう感じてしまう
そのような「生きている、という体験」も、
本当は、苦痛の永続性という現象が裏返った、
「エラー」だったのではないか、ということです。
中略
どういう構造であれ、不条理であれ、私は、自我復元で、生きる経験ができた。
これは、まぎれもなく、楽しい。
その背景に、苦痛の体験が不可欠であっても、
私は、今、やってきてよかった、と思う。
中略
私は、口中香、というのは、「反逆の生き方」であり、
私は、そう生きる生き方を、私もまさに、今、生きようとしています。
_____________________________
以下、崩残です。
このブラシは、「口中香」のCDの中のテキストファイルで
紹介しているメーカーのを使ってください。
他のメーカーだとブラシの肝心の部分の作りが異なっていて、
全く使い物にならないものがありますのでご注意ください。
●一人で、自分で全身を掻いてもいいのですが、
もしも、同居している仲良しのパートナーの人がいる場合には、
お互いに、このブラシで、掻く、またはマッサージをしてみてください。
自分の手ではなく、他人の手で、全身を、裏表、くまなく、
このブラシで掻いてもらうと「快感」も、増します。
ずっと以前に、似たような用途で、「タワシ」を紹介しましたが、
タワシは、ブラシの数が多すぎることと、
定期的によく「洗浄」しないとなりません。(汚れやカビの原因になります)
その点、今回紹介したブラシは、汚れたらティッシュで拭けばいいので、
清潔に保つ上での手入れは、ほとんど必要ありません。
★ここ最近の新刊の情報は、
竹の間にまとめておきました。
↓
http://www.mumyouan.com/k/takenoma.html
_____________________________
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