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「分割自我復元」
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★分割自我復元★その171■ 全自我の人って、どんな人? ■
by:
鈴木崩残
2013/02/07(Thu)17:16:51
全自我の人って、どんな人?
●これは、勝手な誤解をする人がいると思うので、
少し、書いておきます。
何度も言うように、後天的に、復元によって全自我になった人、
というのは、「健康になりました。もう大丈夫ですよ」ということです。
ただし、同じ健康になるったって、
たとえば、スポーツ選手が、怪我でリハビリやって、復帰したのと、
運動音痴が、健康になったのでは、
ピンピンになってから、出来ることが違うのは当たり前のことです。
こういうのは、その人が、「それまでに何をしてきたか」
「前に、何をしてきたのか」が関わっているのですから。
●全自我というのは、個性がさまざまですから、
ダイナミックな人もいれば、おとなしく目立たない人もいます。
また、全自我になったから、超人になったりするわけではなく、
その人の「経験したいと、強く思った事の範囲」に応じたことが実現するのみです。
ただし保障できることは、もう、その人は、
希釈された自我ではありえないので、
自分が自分であることの軸は、もう二度と揺るがないということです。
ただし、
次に生まれる時の契約で、ヘマをやらなければ、という話です。
●全自我の人は、他人に分析を依頼する必要はゼロになります。
カウンセラー泣かせ、占い師泣かせで、
そういう業界で手くずね引いている業者にとっては、客にならず、
霊能者不要となります。
自分のことぐらい自分で分かるようになります。
ただし他人のことは分からないことが多いです。
他人のことが分かるのは、それはまた別の能力ですから。
●ということで、全自我になったら、
その人が、外から見ていて、どう変るか、というのは一概に言えません。
何しろ、それまでが、ヘタレの希釈自我だったのですから、
とうぜん、周囲も、変化を感じることが多いことが、
報告からもわかります。
●ところで、
全自我になったら、バイタリティーが出るとかは考えてはなりません。
以前にも喩えたように、自我率と性質(資質)の違いは、
「基礎体力」と「取得してきた技」の違いと同じです。
まだ自我率が低いときにであっても、技を磨いてきた人と、
自我率が高くても、技の取得に努力をしなかった人とでは、
両方とも全自我になったときに、出来る能力には違いがあります。
それは、「それまでの生き方」が関係します。
ただし、それまでの生き方を、裏で決定しているものが、実はあり、
その事を話し始めると、私は、どうしても、その人それぞれの
「生前契約」が違っているという問題に切り込まざるを得ません。
●全自我になって、本人自身は、希釈自我のときに比べたら、
まったく別人のように、心の葛藤は落ち着いたが、
何か娯楽性がない、つまらない、さて、どうするか?
となる人も、かなりいるはずです。
それは当たり前です。
希釈自我の乗り物を選んだ契約時に、
「はっきりとした目的」を明確にしてこなかったからです。
●何か前の生からの目的意識を、今回も継続して生まれてきた人、
というのは、自我復元によって、それが明確になります。
つまり、やることを決めてきた筈の人であれば、
やるべきことが、わかります。
しかし、そもそもやるべきことを、決めていなかったのでしたら、
全自我になっても、みつかりません。
それは、全自我になった、これから、いよいよ、
本当の意味で自主性をもって、その目的を作らねばならないのですから。
●そういうわけで、
全自我に復元しても、その人の「生前契約」のうち、
親子関係やトラウマは崩壊しますが、
性格や、目的意識、志向性や、嗜好性までは変えませんので、
全自我になると、それぞれに「その人らしさ」が際立つということです。
個性といのうは、色の「濃さ」の問題ではなく、
多彩なバリエーションを持つ「色調」と「質感」ですから。
くれぐれも、単純に「濃く」なるとは、考えないことです。
読者の方に質問です
●自我復元をしていて、判定をした人で、
私から「次のように言われた人」は、メールでご一報ください。
>リングの中に、粒があります。
●そして、ご自分から私への復元報告の中で、
>>回収のときに、胸に痛みがあります。
と書いた方。
この両方の条件を満たす人は、メールを下さい。
片方だけの該当でもいいですが、出来れば両方。
あなたは「自分らしい思考」に
従って行動していますか?
●この問題は、私の若い頃の話を、少し織り交ぜて書きます。
皆さんは、自宅ではなく、特に社会生活をしている場合、
どれぐらい、自分らしい言動を、しているでしょうか?
たとえば、誰かがあなたに「おはよう、今朝も寒いね」と声をかけたとします。
すると、あなたの思考は、それにつられて、挨拶を返します。
また、周囲から常に、何か言われるたびに、相手の都合による話題に
引き込まれたり、つき合わされます。
また相手が人ではなくて、自然音や、交通騒音や、テレビの音でも、
それを聞いたことによって、連想が始まる場合もあります。
●こうなると、一体、日常の日々の言動の中で、
「あなたらしい思考内容」とは何であるのか、という疑問があります。
むろん、ある程度、その人の性格や、反応パターンは出来ていますので、
それゆえに、「自分はこういう人間だ」というレッテルを自分に貼ったりして、
それで安心したり、または、それがあるから無理をしたりしています。
●しかし、今そこで、あなたの頭に浮かんでくる思考内容や意志のうち、
自分が主導権をもって、自分らしいことを、言ったりしたりしていると
本当に確信を持って断言できるのは、どの思考でしょうか?
すべては、他者からの刺激で反応しているだけ、
すべては、他人からの借り物の情報が組み合わさっただけではないのか?
では、そういう情報処理をしている側の自分の性質や癖とは、
それは自分の性格なのか?
●トラウマ問題がからむと、この部分の自主性というのが、
大いに怪しくて、その人の意志ではなくて、毒親の意志が混じっています。
また、トラウマを抜け出たとしても、全自我になったとしても、
なおも、この、
「本当に自分は、自分の人生の、一瞬一瞬の、舵取りをしているのか?」
という疑問は残ります。
●自分らしく在る、ということは、実は、一秒一秒、
自分の内面を監視し続ける必要があります。
しかし、ほとんどの人は、そんなことをしないで、
自動的に反応しているだけです。全自我の人も、油断しているときにはそうです。
たとえば、私が何か、考え事をしているとします。
そこへ砂手が、
「昼は、サンドイッチにしますか? それとも、おにぎりにしますか?」
と問いかけてきたとすると、
私は、そもそも、今、その質問に答えるのが、今この瞬間の、
私らしい言動なのか、そうでないのかをチェックします。
結果として、
その当たり前の日常会話の問いにすら、答えたくなくて、
考え続けているのが、今、私らしいことだと思えば、
私は黙っています。
まー、砂手はそういうのを察するのに慣れていますので、
普通の家庭だったら起きるような、
「アンタ、聞いてんの? 昼何にするかって、言ってんのよ」とは
絶対になりません。
こういうと、私が、同居するには、えらく、気難しい人間のように
思う人が多いでしょうが、
私にとっては、毎秒単位の今現在が、いかに重要かを、砂手は、少なくとも、
頭だけでは、理解していますので、私の邪魔をしないでいられます。
●それで、この絶えず、今の自分の「反応」「思考内容」「行動」は、
自分らしいのか、自分がしたいことか、
それとも、したくないことか、を監視し続ける、
自己観察の癖、というのは、
私が中学に入学したころから始まりました。
●小学校までは、今思い出しても、私は、まるで動物です。
単に、刺激に自動的に反応して生きていただけです。
しかし、中学に入ったときから、
「さーて、子供時代という、お遊びは、終わりだ。
これから、また人間とやらを、開始するぞ」と、誰かが言わんばかりに、
とたんに、この「観察意識」のスイッチが私に入りました。
●で、そのあとは、どうなったかというと、
私にとって、見るべき、重要なすべての事とは、
「私の中に起きることのみ」であって、
外界で起きる事など、そのきっかけにすぎなくなったことです。
なんと、まだ13歳かそこらだというのに、
自分がたった今、何を考えているのかを、休みなくモニターする機能が
開始したのです。
普通の人は、考えることだけで夢中です。
しかし私は、考えると同時に、
それをリアルタイムで監視し続けているという状態になりました。
別に、誰かから、思考を観察しろと言われたわけではありません。
これは、今回生まれるときに、ある時期から作動するように、
私に装備された機能のひとつだったからです。
●その日から、私の「ただの子供時代」は終わりを告げ、
他人と話すときも、何かをしているときも、
反応している自分の思考のパターンを監視し続けるという状態が続きました。
これは、観察のタイミングと、思考発生が一致しないことがよくあり、
この地球人に特有のエラーなので、困った問題なのですが、
そのタイムラグが生ずると、全く何も楽しめなくなります。
自分に生ずる感覚や思考を、モニターし続ける監視人の意識が
常に優勢にあるために、
何かを忘却して取り組むということは不可能でした。
ただし、感情に思考を上手く乗せた場合には、
ちゃんと機能することが多かったですが。
●そして、思考したり、感覚を感じている自分と、
それを観察し続けている自分の二つは、
無理にでも、共存することを強いられたので、
けっこう、しんどい時期が何年も続きました。
この、私が、かなり、つらかった時期の話は、
以下の投稿に、断片だけですが、少し書きました。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?S63
●私の人生の青春時代の大半は、
人間は、どういう事を考えているかを、観測し続ける顕微鏡または、
望遠鏡のようになったのです。
●そうはいっても、監視モニターばかり見ているのも、うっとおしかったし、
やりたいこともあったので、
武術教室に通ったり、馬鹿遊びをしたり、ナイフ投げの練習をしたり、
油絵を描いたり、好きなレコードを聴いたりとしたのですが、
結局のところ、一日の最後にやることは、
思考の動きに対する観察日記を書くことです。
なぜ、そう考えたか?
どうして、そう考えるのか?
何がきっかけで、考えたのか?
そして、きわめつけは、
「誰が、何の目的で、今、これを考えているのか?」である。
●そういう、自己監視人が意識の中に同居している生活は、
厳密に言えば、今も続いています。
ただし、思考を監視している監視人を、
それをまた監視している奴が、
ある時期から登場してからは、
私の人生には、
観察する側と、観測される側の、分裂状態はなくなりました。
●その話は、おいておいて、
私が、皆さんに、「関心地図」を勧める最大の理由は、
誰もいない部屋で、何かの外部刺激なしに、目を閉じて、
浮かんでくる「関心の方向」を、観察して、
その関心の「ベクトル」と、「強度」だけを記録しておくと、
必ず、皆さんの「主人格」が、だんだんと浮上してくるからです。
●トラウマを持っている人や、希釈自我の人の最大の特徴は、
この主人格の弱さであり、主人格よりも、洗脳された人格や、
周囲に流されて起きる思考に、ただ漠然と、無意識に従った言動を
繰り返しているからです。
人間の思考回路、特に会話というのは、
連想の連続で成立していますので、
誰かに何かを言われれば、疑問や観察が生ずるよりも先に、
「自動的に、習慣的に、反応した思考」が出てきます。
たとえば、
誰かに、何か話しかけられれば、「うっ、えっと、う ううん」と、
ぼんやりとした反応をする人がほとんどです。
持ち出す「話題」によっては、過剰反応する人達も多くいます。
しかし、ほとんど誰も、
自分に、そのときに起きている「思考の状態」なんか、
リアルタイムでは自覚していません。
●しかし、一人で薄暗い部屋で、目を閉じていれば、
そこで生ずる思考は、嫌でも自分で分かります。
しかしそれでも多くの人は、
連想の中に埋没してしまい、気がついたら、何十分も、あれこれ考えていて、
自分など忘れてしまっていた、というのがほとんどです。
●しかし、「たった今、自分はこんなこと考えているよな」という
その視点が、戻ってこないと、主人格と呼べるものは、出てきません。
この主人格が欠落しているか、または一日のうちに、
あまりにも、引っ込んだままの人は、
私がメールを見ると、すぐに分かります。
いちいち、全文の全行をマーカーで、チェックできるぐらいに、
「この部分は、非主人格の書いたこと」
「この部分は、主人格が書いていること」といったぐあいにです。
●少し前に紹介した、「さかなさん」のトラウマ掘りの記録も、
報告メールを、私は、どれが、さかなさんの主人格で、
どれは、サブのどうでもいい、調教されたり、トラウマ由来の、
非主人格の選んだ話題かを、全てチェックしました。
今自我復元をやっている人、そしてそうでない人からのメールでも、
あからさまに、それは判別できます。
ただし、私に「嘘っぽい言葉」と指摘されても、
「本人がいない」のですから、自覚できるわけがありません。
分かりやすくいうと、
書いてある「事実」が「嘘」とは言いませんが、
書いている「本人そのもの」が「嘘っぽい」です。
●そして、面白いのは、自我復元の報告を見ていると、
トラウマがちゃんと掘れた人や、自我率が上がってきた人は、
他人のブログやサイトやメールの言葉に、嘘っほさの違和感を持ったり、
日常会話でも、相手の本心が、そこにないことを、
すぐに検知する機能が戻ってくるようです。
●たとえば、かなり初期のころから、自我復元をしている方が、
次のようにメールをくれた事がありました。
全自我に戻られた、第1号の方が出た時、
他の方が「これで自分も全自我に戻れると、自信が持てた」
というようなことや、
「本当にお疲れ様でした」等のねぎらいを述べておられましたが、
その時、違和感がありました。
「その人は、自分じゃないのに、
どうして自分もそうなれるという自信につながるのか?」と、
「まだ全自我に戻っていないのに、
その人が体験したプロセスを知らないのに、
大変だっただろうとか疲れただろうとか、どうして言えるのだろう?」
といった違和感でした。
人のことを自分のことのように思えない。
という感覚がありました。
だって、私はその人じゃないし、その人は私じゃない。
いつか全自我に戻った時に、
何か分かることや共感できることがあるのかもしれないけど、
私は他の誰でもない、他の人も私ではない、
という不思議な「個」の感覚がありました。
● ● ●
さて、
この話は、ここで唐突に終わりますが、
皆さんも、自分が誰かといて、
あるいは、一人でいて、
そこで、自分の頭の中に考え付くことを、自分で見てみて、
それが、
今、本当に、自分が考えたいことなのか、
あるいは、
考えているときに、自分らしいぞ、と、しっくりくるのか、
それとも、他人の言葉の上で踊らされ、引きずりまわされているだけなのか、
毎日、毎日、その監視を怠らないようにしてみてください。
すると、本当にやりたかったり、考えたかったりしていることではなく、
他人につられて、やっていたり、考えさせられているだけのことが、
あなたの人生の7割から8割以上を占めていることがわかります。
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室内は、博士君のテリトリーなので、他の猫は入れません。
ラインお嬢様が、私に甘えたい時には、
廊下で、私がだっこしています。
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