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[173]
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★分割自我復元★その172■ 現在進行形の虐待親との戦いの事例 ■
by:
鈴木崩残
2013/02/09(Sat)15:56:54
●個別には、返信をしていないですが、
まずは、前回の投稿の質問に何人かの方から返答を戴き、
ありがとうございました。ここで全員の方にお礼申し上げます。
自我復元に関する研究材料にさせて戴きます。
今の時点では、粒がある場合や、痛みや鈍痛がある場合、
それが、良いとか悪いとかいう問題ではなく、
なぜ起きるのかが私のテーマで、
基本的には、どちらも特に問題はないものとして考えています。
たとえば、痛みがある場合には回収が追いついていないか、
または、良い意味で、沢山の自我があるのではないかとか、
逆に、消化不良で拒絶反応なのか?とか、
また、粒については、今のところは、集めた人によって、
気体、液体、固体など、その人のイメージの仕方で、
脚色されているというのが、理にかないます。
特に粒であったらいけないとか、逆に粒の方がいい、
あるいは、どちらでもいいなど、
いろいろと「類推」することは出来ますが、まだ結論は出ていません。
________________________________
毒親どころではない魑魅魍魎の親の事例
しかもリアルタイムで今も現在進行中
●トラウマを掘っている人の現在の年齢によりますが、
その毒親は、既に他界していたり、
また生きていても、離れて暮らしていて、疎遠であったり、
また、同居していても、ボケていたりして、
自分を虐待して、トラウマを背負わせた当人の親と「バトルをする」
ということは、比較的少ないようです。
多くの場合には、過去の事を言っても、
親は「聞く耳」すらも、ほとんど持たないでしょうから。
ですから、親の事は、見捨てて、ほっておいて、
自分が受けたトラウマを解決し、解毒することに勤しむ人がほとんどです。
●しかし、今回紹介する事例は、その読者の方への親からの攻撃が、
今もなお続いており、また本人も、その親と決着をつけるべく、
戦っている渦中にいます。
本人は、未成年ではなく、とっくに成人して長く社会生活をしている方です。
その親の様相は、もはや、毒親を通り越して、
精神異常者の領域のものですが、ただし、注意して欲しいのは、
その魑魅魍魎のように人間ではないところまで落ちた親が口にする言葉は、
もしも、皆さんの親も、人間という化けの皮をはいだら、
その本性では、そのような妖怪じみた性質かもしれないという事です。
そういう意味では、トラウマを掘っている人には、
(今回のは極端な事例ですが)何かしら参考になる部分があるかもしれません。
●介護の現場では、痴呆になってから、大きな「問題行動」を起したり、
家族に罵倒を浴びせたり、暴力的になる老人がいるのは、よく知られた話ですが、
今回の事例は、それに近いです。
ここまで酷い虐待的な仕打ちを親から受けたケースは、
似たような人は、今までの報告にも、幾度もありましたし、
ここまで酷くはない人もいましたが、
いずれにしても、
毒親を通り越した「異常な親の事例」の一つとして、
編集の上、掲載しました。
■あらかじめ申し上げておきますが、厳密に言うと、
これは、今まで桜の間に掲載させて戴いた、
「トラウマ掘り」ではありません。
この方のトラウマ掘りは、これから「はじまるところ」です。
それを掘らないとならないことも、ご本人はよく分かっています。
小学校のほとんどすべての記憶がない、という事自体が異常ですので。
そのトラウマ掘りの中では、
>子供のまま取り残された本人の「子供の感情の叫び」と、
>親の感情の汚物のせいで形成された、不自然な「自分らしくない感情」、
>そして、親がなぜ自分を敵視するようになったのか、
>(この場合、自分のした事に、吊り合う事か、それとも、
> 到底吊り合わないような酷い仕打ちをされたのかとなると、たいてい後者です)
>その「親自身は、どういう生育環境だったか」、なぜそうなったのか、
まで、これから切り込む必要があります。
おそらく、この方の毒親は、その仕打ちをした責任をこの方に暴露される
という事から逃げるために、子供の前から行方をくらましたのでしょう。
ご本人が、決着をつけるために、親を訪ねて行った時の、
壮絶な「毒親の狂気」の地獄絵が、
報告の中には、綴られていました。
この投稿の中の「おたより」の報告の方のその後の報告です。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?S98
●
鈴木崩残様
こんにちは。
ご無沙汰しております。
前回判定いただいてから、あっという間に●ヶ月が経ってしまいました。
桜の間も、梅の間も、欠かさず拝読しております。
新しい仕事は無事に研修が終わり、7月から店舗に配属になりました。
新しい人たちと出会い、毎日が充実していて、
これまで、ろくな人付き合いも恋愛も何もしてこなかった私にとって、
楽しくて楽しすぎて、特に最初の3ヶ月はただただ夢中で過ごしてきました。
自我復元の作業にも集中できない日が続いていましたが、
毒親によってつぶされてきた人生を、少し取り戻した感覚がありました。
それでも途中でなんどか作業に戻り、細々と続けてきました。
親とのことは、びっくりするような展開になりました。
親を「暴行罪」で被害届けを出しました。
たいした結果にはならないと思いますが、私なりの宣戦布告です。
親との関係に大きな進展があり、自分の意識も変化していると感じましたので、
判定をお願いしたく思います。
自分の中でトラウマについて、
「自分は身体暴力は受けてこなかった」と思っていたのが、
そうではなく、そこを掘らねばならないように感じていて、
気分が悪く苦しいです。
◆仕事について◆
前回は、親が私に黙って住居を引越し、
私は新しい仕事の研修が始まったところまででした。
仕事はとても順調で、7月中旬から●●●●で働いています。
採用が決まる前、2012年2月頃に、
職場に求める条件を箇条書きにしていたのですが、
それらのほぼすべてが叶っていたことに驚きました。
拘束時間が望んでいたよりも長い以外は、
通勤時間や人間関係、自分の働き方などすべて希望通りで、
月給も毎月ではないですが望んだ額が入ってきます。
また、研修前に職場見学に来ていて、その時に担当の人が着ていた制服が、
とても可愛かったのです。
可愛いなあ、私もこれを着たいなあ、と思ったのですが、
研修前は、これは着れないかもなあとちょっと残念に思っていました。
私が配属された部署の制服も悪くないけれど、
私は薄い色はぼんやりしてしまって似合わないので、
濃い色の制服がいいなあと思っていました。
そのことは研修中はすっかり忘れていて、
配属が決まって打ち合わせに行った時、
「しばらくは●●を専属でやってもらいたい」と言われ、
あの制服を渡されました。
その時になって私は、
自分がこの制服を着たいと望んでいたことを思い出しました。
そして思いました。
私が今おかれている環境や状況はすべて、
自分が望んで引き寄せているのだということです。
「嫌だなあ」と思っていることも、自分が拒絶していないからここにあり、
望み方が矛盾していたり、
望んでいないつもりで望んでいたりするのだと思いました。
自分の願望、考えていることは、
いまの自分にあるものから一目瞭然なのだと思いました。
ただ、自分が何を望んでいるか、無自覚なため、
正確に理解できないのだと思いました。
4-本人ではなく「環境」の変化。
新しい仕事を得ることができ、環境は大きく変わりました。
後述する、MとY「以外」の人間関係は、
相手から勝手に好かれるようになり、円満で幸せです。
世話になっている人との縁はなかなか切れないが、
前回5月の時期よりもさらに、仕事で会う回数や関わりは減ってきました。
仕事のパートナーとして私はその人に誘われているが、
この人を必要としない自分になりたい。
5-客観性のある「身体」の変化。
人から「スッキリしている、肌がつやつや」と言われる。
綺麗になった、とよく言われる。
姿勢がいい、とも言われるようになった。
落ち着いている、堂々としている、
病院の婦長さんとか、そんな感じに見える、
などなど、周囲からの見え方が変わったようだ。
呼びかけ作業がきちんと出来ていると、お通じが非常に良いのは変わりない。
眠りについては、異常に眠りすぎる。
現実逃避で、悪い癖なのだと思うが、それがひどくなってきている。
休みの日は、前日の夜中に寝て翌日の夜まで寝ている。起きられない。
6-その他の「ユニーク」な変化。
キリスト教が言う「原罪」について、
これは希釈自我を作った連中が自己保身のために作った嘘にちがいない、
と思うようになった。
キリスト教あるいはキリストが、
あの最悪な管理者たちの手先のようにしか思えない。
宗教自体が、彼らの罪を隠蔽し、
さも私たち人類の責任であるかのように思わせるトリックなのではないか?と思う。
相変わらず、寒さには強いです。
ものすごく薄着だね!とびっくりされます。
ヒートテックの肌着1枚と、ウールの薄手のセーター1枚に、
ウールのダッフルコートだけです。
下も、ヒートテックのももひき?にジーパン、靴下で、
もともと冬場でもジーンズの下は、薄手のタイツを履くだけだったけど、
とにかく、昨年よりも寒さが厳しいといわれているのに、
昨年よりも私は薄着です。
*********●*********
◆親について◆
(1)11月に電話をした
親に関してですが、またしても大きな進展がありました。
11月頃、私は、どうしても親を許せず、住所を調べました。
新しい住所はすぐにわかりました。そして電話番号を調べました。
そして電話をかけました。
母は嬉しそうに、
「お金に困って無心しに電話かけてきたんだろう」と笑いました。
なんて根性の悪い人間なのだろうと思いました。
けれども、しばらく話しをしているうちに、
「いい母親ぶる癖」が出てきて、私を心配したりもしました。
「とにかく、金が欲しいんだろう、お前は金だ、金だけなんだ」
ということにしたい母と、
「私の人生をつぶしたことを認めろ」という私とでは、当然話は平行線です。
けれども母は、私からの電話を着信拒否にしたりはしませんでした。
私と話すことが、しんどくなってくると勝手に電話を切り、
それからしばらくは電話線を抜いているのか応答がなくなりますが、
3日も経てばこちらが電話すれば出るのです。
そして、電話を無視しない本当の理由は、
親としての罪悪感などではなく、
「愚かな娘が何を言うか、聞いてやろうじゃないか、
私が望んでいるとおり惨めな生活をして、
惨めな気持ちでいっぱいになっていることを私に教えておくれ」
というような、見世物を見るような、えげつない意地悪な感情でした。
母の意地悪な笑いを聞いた時、そういう感情が伝わってきて吐き気がした。
私は幼少期にずっと、
こうした意地悪な感情をぶつけられてきたのだとわかったのです。
けれどもその後、本当に吐いてしまうかと思うくらい、
おぞましい母の本性が暴かれる出来事が起きるのです。
それは12月に入ってからです。
(2)親が私を精神病院に閉じ込めたいと思っているようだ
電話で何度か話した時、
母が「私の方こそが苦しかった。私のような親がいるのかどうか、
私とお前どちらが正しいのか、誰かに話をきいてもらいたい」
などと言い出したので、
私はそれならと、「心療内科に家族みんなで
カウンセリングに行こうじゃないか」と提案しました。
すると、2〜3日後すぐに電話がかかってきて、
「明日病院を予約した。11時に駅に来い。」と一方的にまくしたてるのです。
私が「どこの病院なの」と聞くと、
「お前は連れて行ってもらう分際なのだから、知る必要はない。
とにかく時間通りに来い」と非常に居丈高なのです。
とりあえずその場は「わかった」と返事をし、
翌日その場所には行きませんでした。
なにしろ仕事もありますし、
年金暮らしの爺婆と違って前日に急に言われて自由に動けるはずがないのです。
翌日、親との約束は無視しているとジャンジャン電話がかかってきました。
ある程度無視してから電話に出ると、
珍しく父親がかけてきていて怒っていました。
私は「こっちは社会人で前日に言われて急に行けるはずもない。
それに行き先も教えないような、ミステリーツアーじゃあるまいし、
そうでなければ誘拐まがいだ、そんなもの誰がまともに信じるか、
よく考えろ、ボケたかと思って本気にしないのが当然だ」と言いました。
すると父はモゴモゴ言いながら母に代わりました。
私はこれまで、父が一家の主で、母が父に頼っていると思っていましたが、
実際には違いました。
父は母にうるさく言われ、顎で使われて私に電話をしてきたのです。
私が来ないことで、病院のドクターが怒っていたようでした。
母はドクターに怒られてペコペコと謝り、
その鬱憤を父にぶつけて「娘に電話しなさいよ!!」と詰め寄ったのでしょう。
11月に電話するようになってから一度も電話に出たことがなく、
ひたすら無視・沈黙を続けてきた父でした。
私はその態度と、母に命令されて電話をかけてきた様子から、
この人は今までずっと、こうやって、家族の問題から逃げて、
母の尻に敷かれてきたのだとわかりました。
結局、両親の意図が知りたかったので、病院には後日行くことにしました。
どうせ私をノイローゼなどの病気に仕立て上げたいのだろうけれど、
普通に検査すれば正常なことはわかるのだから、
むしろ心療内科のドクターに、
私の幼少期のこと、
ほぼ、そのころの記憶がないこと、
親に対して恐怖や不信しかなかった子供時代のことなどを話し、
幼児虐待があったのだと訴えてみようかと思っていました。
どこの病院に行くかも教えてもらい、当日病院に行くと、
非常に殺伐とした「姥捨て山」のような場所でした。
晩秋だったせいもあるのでしょうが、
コンクリートと落ち葉がやけに冷たい印象を与える外観でした。
頭のおかしそうな老人がうつろな様子でたむろしていて、
「ああなるほど、両親は私をここに捨てたいのだな」と直感しました。
私は霊感とか幽霊とかは馬鹿馬鹿しいと思っていますが、
自分に対する他人の感情を読み取る自分の直感は正しいと思っているのです。
さてドクターに会いますと、
顔の肌がコンクリートみたいにガサガサで、
塗り壁みたいなゾンビの女性でした。
血が通っておらず、利己的なことがすぐにわかりました。
少し話をし、私が「毒になる親」や「アダルトチルドレン」
「幼児虐待」など、心理学分野の知識が多少あることがわかると、
それが不愉快なようでした。
このドクターには何を話しても無駄だなと思いました。
そこで単刀直入に、
「私は、親が私をノイローゼだということにしたくてここに呼ばれたのです。
彼らは私が病気なら、彼らの親としての至らなさが証明されなくて都合がいいのです。
私がうつ病かノイローゼか、判断できる心理テストを希望しているようですので、
そうしてください」と言いました。
その後、母がドクターに呼ばれてなにやら話をしていました。
そして母は戻ってきて言いました。
「ドクターがね、あの娘さんは非常に頭がよい。
心理テストの結果を操作することもできるだろう、と言っていたよ」
おそらく母は、私へのけん制として、
また、ドクターは母の味方なんだよ、お前の味方は誰もいないんだよ、
と言いたくて、そのようなことを言ったのです。
これまで何度も母と電話で話してきて、
「あの人もこの人も、みんな母さんの味方、お前の味方はひとりもいない、
お前はひとりぼっち、さびしいだろ、くやしいだろ、イヒヒヒヒ」
と言いたいのだということがわかっていました。
「あの人も、この人も」というのは、
もともとは「お父さんは、母さんの味方、お前の味方じゃないんだよ、
くやしいだろ、イヒヒ」ということの発展したものです。
母は、家庭の中で、私が孤立することを喜んでいました。
それが生き甲斐でした。
それは、この日の帰りに母が言う言葉でさらに裏打ちされたのでした。
あんなドクターなど味方じゃなくて結構だ、と私は思い、
母のくだらない競争心に吐き気がしました。
そしてその日に心理テストを行うことになりました。
臨床心理士はドクターとは別の男性でした。
この人は、お前こそがうつ病だろう?!といいたくなるような、
チマチマとせせこましい、せこい風貌でした。
人の目をマトモに見れないひきこもりの匂いがしました。
私はこの人にも単刀直入に言いました。
「母によりますと、あのドクターは、私のことを、
心理テストの結果を操作する人間だそうです。
意図的に回答をして、自分に有利な結果を導き出すことのできる、
頭のよい油断のならない人間だと言うようなことを言っていたそうですが、
そのような偏見を持たれてテストを受ける気になりません。
あなたは、あのドクターのお考えをどう思われますか」
すると臨床心理士の男は、
「ドクターのお考えはわかりませんが、
意図的に操作できないテストがありますのでそれを行いますか?」と言いました。
結果的にそれはバウムテストとロールシャッハテストで、
性格傾向を見るだけのものでした。
この男も、私が毒親等の知識があることを不快に思っているようでしたので、
これらのテストについては何も知らないふりをしました。
(3)母が私に何を望んでいるのかがわかる
テストが終わり、家族三人で帰ることにしました。
テスト結果は、後日取りに来てくださいと言われ、
住まいが遠いので郵送がよい、後日連絡しますと返事をしました。
私は帰り道、父が運転する車の中で、
「おまえたちは私を病気に仕立て上げてあの病院に閉じ込めたいのだろう」
といいました。
二人は否定しましたが、
こいつらの本性を暴いてやりたいと思い、芝居を打ちました。
「もう東京の生活に疲れた、実家に帰りたい」と言ってみました。
どうあっても今の自分達の生活に入ってきてほしくない、
というのが彼らの一番の望みであると思っていたからです。
案の定、母は猛烈に拒絶してきました。
それでも私が食い下がるとこう言ってきました。
「それならね、介護の仕事でね、
人のオムツを洗うような汚い汚い仕事でね、
一日12時間とか働いて、その上安月給で、
そんな仕事をするんならいいよ」
「それでね、お前がやってきたという仕事は禁止だ、そんなものはさせないよ。
それからね、お前が寝る部屋なんかないからね。
あの家はお父さんの名義なんだから、お父さんがお前を家に入れないよ。
それでも汚い汚い仕事をするんだったら、廊下に寝させてやってもいいよ」
私は、母が何を望んでいるのか、その望みの悪質さに心底驚きました。
まさかここまでの不幸と惨めさを望まれているとは気付いていなかったからです。
母が望んでいるのはこういうことです。
私は、得意なことはいっさい封じられ、
今までやったこともない汚い(母はやけにここを強調する)仕事を必死でやり、
そして報われない。
何もかも取り上げられて、
できないことをあえぎながらやれ、ということなのです。
そして人間らしい生活も許されず、惨めにボロ雑巾のようになれ、
ということなのです。
私は、母の私に対する憎しみを感じました。
この憎悪はいったいなんだろう?と不思議に思うくらいです。
けれどもここで「介護」という言葉が母から出てきて、
どうやら母は自分自身の介護について、
何か思うことがあるのだなと感じました。
なんだかんだ言っても、自分の老後は不安で、
私に介護を求めているのだろうか?と思い、
「お母さん、介護はちゃんとするからね」と言うと、
母は吐き捨てるように言いました。
「お前に介護されるくらいなら、自殺するよ、じ・さ・つ!!」
何をそんなに必死なのか不思議でした。
あとになって思うと、
私に介護されるイコール、自分がしてきたことの仕返しをされる、
ということなのだろうと思います。
幼児虐待をしてきた親は、その子に介護されるとなった時、
ひどく怯えるのだそうです。
幼児でなくても、嫁いびりをしてきた姑もきっと同じでしょう。
ところで私は、精神的虐待はあったけど、身体的な暴力はないと思っていました。
しかし、それはおそらく間違いでした。
私は身体的暴力も受けていたはずです。
それがわかるのは12月下旬に、親の家を訪ねて行った時です。
病院のあと、東京に戻った私は、親が子どもを邪魔に思い、
精神病に仕立てて入院させるといった話を思い出し、調べました。
ネットで出てきたのは、財産や会社経営なども絡んだ上で、
その人を社会的に葬るために周囲が結託して措置入院させたというような話でした。
措置入院などについて調べると簡単には行えないが、
私が激高して大声を上げたり暴れたりすれば可能性はあるし、
なにより、あのドクターたちが両親と結託して、
私を病人に仕立て上げる可能性はゼロではないと思いました。
そこで念のため、心理テストの結果が送られてくる前に、
東京のクリニックでテストを受け、
うつ病やノイローゼ等、心的症状はないという診断書を取りました。
後日、親に電話をした時、
「私を病人にしたいようだけれど、
そうじゃないと診断されたからね、診断書が来たから」と、
あの病院で診断されたとも取れるように話すと、
なぜか母は怒り出し
「嘘をつくんじゃないよ、いつ郵送されてきたっていうんだい!?」
と怒鳴りました。
郵送された、とは言っていないし、あの病院で、とも言っていないけれど、
あの病院からの診断書であるのが「嘘だ」となぜ母は思うのか。奇妙でした。
そもそも、郵送されてくるのはテスト結果であって、
診断書はまた別途、手続きが必要なので、今回は発行されないのです。
私は、両親は何かの画策をしているに違いないと思いました。
田舎の非常識な年寄りですから、たいしたことはできないだろうけれど、
そのように何か画策していることが気持ちが悪かった。
絶対に暴いてやる、と思いました。
そしてその電話を切ったあと、あの病院に電話をしてみました。
両親が何か画策しているのなら、
おそらく今頃あの病院に電話をしているだろうと思ったからです。
すると案の定、電話をしていたようでした。
私が名乗り、
「テスト結果の郵送の件で」と言うと、電話に出た事務の男が
「今、すでにあんたと同じ名前を名乗る人から電話が入っている、
お前は誰だ、」などと言い出しました。
私が「お前こそ、その態度はなんだ、非常識にもほどがある。名前を名乗れ」
と言うと「あんたに名乗る必要などない」などと、
頭がおかしいとしか思えない態度です。
この病院はダメだなと思うと同時に、
両親と結託しているのだろうか、と疑いました。
結果的に、あのドクターはやはり利己的で、
誰の話もろくにきかない人間で、
母もまったく相手にされていなかったようです。
ただ、あのドクターは、私に対しては何か敵意があるようで、
私を攻撃するために、母の話をきくそぶりをしていたのだろうと思いました。
どいつもこいつも、自分自身の苦しみを他人にぶつけ、
悪意として発散して、どうにかこうにか生きながらえているのだと思いました。
まるで生ける屍です。
■この「生ける屍」は、今の職場にもいます。
その女は、私の母とまったく同じ人間です。
そして、10月に入って、私は同僚の男に少し恋心を抱いたのですが、
この男は私の父とまったく同じ人間でした。
これまでまともな恋愛をしてこなかった私には、よくわからなかったのですが、
親との問題を恋愛で繰り返す、親離れしていない人間は本当の恋愛などできない、
というようなことが、「これか!」と思いました。
(4)親から暴力を受け、被害届けを出した
診断書云々について、私は病院に電話したあと、母に電話をしました。
「さっき、病院に電話かけて、私のふりして診断書を取ろうとしただろう」
などとカマをかけると、
母は「そんなことしてないよー、診断書が来たっていうから、
いつ来たのかなあと思っただけよー」などと、
さきほどの電話の内容とは明らかに矛盾したことを言います。
こういう矛盾したこと、さっきと全然ちがうことを平気で言うし、
さっきまでの怒鳴り散らしていた態度からコロッと変わって
「人のいい、田舎ものの、心配性の母さん」に成りきったりするのです。
その変化ぶりが不気味なのですが、本人は何の疑問もないのです。
今となっては、この人は本当に病気かもしれないと思います。
それは診断書の件のあと、あんな病院は信用できない、
もっとちゃんとしたカウンセラーを探そう、一緒に探してあげる、
などと電話したのですが、
「私を、ドクターに、病人だと言ってもらう」ことに失敗したためか、
母は急に腰が重くなり、あ、こいつ、また逃げるな、という印象を受けました。
案の定、、その後母は電話にでなくなりました。
私は何がしたいかといえば、母の本性、本音を暴きたかったのです。
私を病院に入れようとしていたのかどうか、
それを確かめたいし、これから私に対して何をしようとしているのか、
私がアクションを起こした今、むこうも必死ではないかと思っていました。
病院がダメなら、おそらく次は警察です。
私がだいぶ以前に、お金を借りに行った時、
父に「資格をとって親になったわけじゃない」と開き直られ、
あまりにも頭にきて悲しくて
「こんな人生はもう嫌だ、台無しにされた、いまここで私を殺してくれ」
と言って、父と母に包丁を手渡したことがありました。
その時の話しを、彼らは捏造し、
「金を出せー、金を出せー、と包丁を振り回した」と、
私が世話になっている人とその弁護士に言っていたようですし、
あとでわかりましたが、警察にも相談に行き、そのように話していました。
私が直接訪ねていけば、おそらく警察を呼ぶだろうと思いました。
それでも私は、何か結果を見たかった。
親を許していないことを伝えたかったし、
自分の中で決着がついていないことが気持ち悪かった。
それに私は「小学6年くらいまで」の記憶がおぼろげで曖昧で、
ほとんどないのです。
そのことに最近になって気づき、
これは相当なトラウマがあるのではないか?と思い始めていました。
今両親が住んでいる場所は、私が幼少期を過ごした町ではありませんが、
風土は同じです。
海があって山があり、あとは田んぼと畑。
夕暮れが綺麗だけれど、さびしくて物悲しい風景なのです。
私はあの風景の中に、何か重大な落し物をしてきたように感じていました。
それはたぶん、子供のころの自分でした。
あぜ道をひとりで、そろばん塾の帰りだろうか、
テクテクと歩いている小学生です。
しょんぼりはしていないけれど、きっと心の中は涙でいっぱいなのです。
私はいつも引っ越してしばらくすると、
以前に住んでいた場所に戻りたくなる癖がありました。
何をするわけでもないのですが、なんとなく散策しに行きたいのです。
あの頃の自分がそこにいるような気がして、見に行きたくなるのです。
犯人が現場に戻る、というのと同じなのかなと思ったこともありました。
犯人は、犯罪を犯した時、自分の人生の時間が止まってしまう。
だから現場に戻って、時間をもう一度スタートさせようとするのだ。
というようなことをどこかで聞いたことがありました。
あぜ道を歩いているのは、小学2年くらいの私でした。
本当はもっと幼いのかもしれません。
とにかく私は、親の家に行ってみようと思い、
12月下旬のある日、母が電話に出なくなったのを機会に、
黙って訪ねました。
家は、こじんまりとした平屋で、ちょっとした庭と畑がありました。
私から逃れて幸せに暮らしているのがわかりました。
ふざけるなよ糞婆、と思いながら呼び鈴を鳴らすと、母が出てきました。
私を見ると呆然とし、無言でした。
私が演技で
「お母さん、帰ってきたよ」というと我に返り、鬼の形相で押してきました。
「誰が、何が、お母さんだよ、この、悪魔め!」(本当に悪魔、と言った)
「お母さん、私はただ話を聞いて欲しいだけなんだよ」
「何を言っているんだ、どうせ金だろ、金に困ってきたんだろう」
少し押し問答になりながら、私が玄関の中に入ると、
なにやら喚きながら私に突進してきました。
私は動かされないようにと玄関のたたきに座りました。
すると母は、私におおいかぶさり、両手首を強く握り、罵り叫び始めました。
私は泣き真似をして母の様子を伺いました。
何を言い出すか、どんなことをするか知りたかった。
すると母は、
「どうせお前は、みんなに騙されて無一文になって、うちに来たんだ」等、
私が惨めであると思い込んで悦に入っていました。
私が「私は病気じゃないよ、ちゃんと診断書もでたから」というと、
カッとした風になり、
「お前はっ、またそんな、嘘をついてッ!!」と殴りかかってきました。
私が抵抗するそぶりを見せると、片足をあげて蹴りを入れてきました。
ただ年寄りなため、バランスがとれずによろけて、
蹴ることはできませんでした。
母は私に覆いかぶさるようにして、両手首を握って揺さぶってきました。
そしていろいろ罵っているうちに、
トリップしたみたいに恍惚とし始め、
こんなことを言い出しました。
「お母さん、なんかじゃ、ないよ〜、ウフフ。
お前にね、お前に言ってやるよ〜。
よ〜くよ〜く、よ〜くお聞きぃ、いいかい。
私のねえ、人生でのねえ、一番の失敗、失敗はねえ、
大雨の日に、昭和●●年の、どしゃぶりの日にぃ、
お前を産んだこと、産んだことなんだよぉ〜。
お前は私のねぇ、失敗なんだよぉ。」
この時の母は、実におぞましかった。
昭和初期に、夢野久作という小説家がいます。
江戸川乱歩とともに、人間の心理の闇を描く幻想怪奇小説を書く人です。
この人の、人の闇への描写が実におぞましく、
リアルで生き生きとしているのです。
この時の母は、夢野久作の作品の登場人物かのようにおぞましく、
テラテラと悪意に輝いていました。
そして、私を怒鳴りつけ、殴りつけ、髪をわしづかみにし、
蹴りを入れようとする立ち回りの、堂のいった感じ。
年季が入っていました。手慣れていました。
長年やり慣れてきたことを今やっている、
というのが、ありありとわかりました。
こいつは弱弱しい年寄りではない。
暴力をふるってきた人間が足腰が弱っただけだ、
というのがよくわかりました。
そして私が抵抗するそぶりを見せ、母が蹴りを入れようとしたとの時、
父は、私の後ろで、私が抵抗しないように腕と肩を抑えてきました。
父の行動も手慣れていました。
フォーメーション化されていました。
いつもの行動パターン、といった感じでした。
この二人の連携プレーと、母の殺気に、私は、やばいと思いました。
それから、この密室で行われている行為をオープンにしたい!と思いました。
私は金切り声で「殺される!」と叫びました。
すぐに人が来るほど、隣家は近くないので誰も来ませんでしたが、
両親が私を黙らせようとしているのはわかりました。
父はオロオロと無気力に、
私に向かって「落ち着きなさい」などと、頓珍漢なことを言い、
母は、父の頼りにならない様子に苛立っていました。
そして父に「ほら早く、(手はずどおりに)警察呼びなさい」と命令しました。
その時に、あの病院にも連絡をしたようでした。
やがて警察官が数名きました。
私は最初は演技で、しおらしく泣きまねをしていたのですが、
警察官に事情を聞かれ、
少し話すうちに心から悲しい涙が溢れてきました。
それは、安堵の感情でした。
やっと見てもらえた、といった気持ちでした。
警察官は最初は、私に説教をしていましたが、
私がおとなしく立ち上がり、ポツリポツリと気持ちを話すうちに、
私に同情し始めたようでした。
そんな私とは対照的に、母は意気揚々と警察官に何かを訴え、
その様子は「先生に言いつけている小学生」のようでした。
その横で父はただうなずいたり、何か相づちを打ったりと、
いじめっ子の家来そのものでした。
家庭という密室では、ふたりががかりで暴力をふるい、
他人が見に来れば、私の悪いところを誇張して言いつけ、
私には何も言わせない、そういう図式があり、
これは幼少期の再現なのだと感じました。
私はきっと、母親に馬乗りになられて、
暴力を振るわれていたのだと思います。
いまそのことを思い出そうと試みるのですが、
とにかく嫌悪感でいっぱいになって思い出せないのです。
だからこそ、事実だったのだと思うのです。
両親の家を立ち去り、その日はホテルに泊まりました。
母に握り締められた手首と、どこかでぶつけたらしく、
肩に大きな痣ができていました。
私はそれらを携帯で撮影し、
翌日、近くの病院で診断書を取ってから警察にいきました。
両親から暴力を受けたので被害届を出す、というと、
対応した警部は、これまた居丈高に、
「あんた、被害届を出すって、どういう意味かわかってんの?!
親を処罰することを求めるってことだよ?!」と威圧してきました。
「そうですけど、だったらどうなんですか?」と質問し、
「弁護士にも相談して、心を決めてきました」と言うと、
急にグダグダになり、
「ところでお世話になると思うので、●●さん
(この警部が内線にでた時、名乗ったのを聞いていた)ですか、
階級はなんですか?」と訪ねるとオロオロし始め、
テーブルの上に置いていたiphoneを見て、
「なにこれ、録音してんの?!」と慌てふためき始めました。
ようするに、あんたは、被害届けの処理が面倒臭かっただけで、
弁護士だの上層部が怖くて、弱い者に強く、強い者に弱い卑怯者なんだろ、
と思いました。
こういう卑怯さは、まさに両親と同じです。
母も、弁護士先生とかドクターには弱く、父は母に弱い。
そして二人とも私には強気でむちゃくちゃです。
何をしてもいいと思ってしてきたし、
どんなひどいことを望んでも許されると思ってきたのです。
私は、この警部に憤りを感じ、
父母にも改めて怒りを感じ、嫌悪を感じました。
私はもっと、嫌悪感をはっきりと感じるべきだと思いました。
それは、職場にいる母と同じ類の女に対しても思いました。
あの女の悪意ある言動、その思い、汚らしい妬みなどの感情に対して、
私はもっと盛大に嫌悪し、徹底的に嫌い、拒否し、避けて、
拒絶するべきなのだと思いました。
私は母を相手に被害届けを出しました。
1月半ばに届けを出し、いまは母に対する事情聴取が行われ、
私自身も今月2回ほど、警察に行って聴取を受けます。
母に対する取り調べも「事情を聞く」程度の優しいものでしょうし、
たいした罪も罰もないのでしょうけれど、
私は母と父にそれぞれ「おまえが私に何をしたか、はっきりさせてやる」
という思いでいます。
*********◆*********
3-「主観的」な自分の変化。
2013年1月に入って、仕事でランクアップのための研修があった。
3日間だったが、日常になっていた職場を離れ、
新しい人間関係の中に身をおいたことで、
職場での自分を客観的に見ることにもなった。
私は、「独りでいる」ことを好むようになった。
また10月くらいから、「人に好かれたい」と思っていることを強く自覚した。
12月まで、まだまだ人に依存し、
自分を良く見せようと肩に力が入っていたと、1月に入って思った。
それでも、以前の自分に比べたら、ずっと個人主義だし、
他人に左右されていないし、嫌われることも辞さなくなった。
以前よりも人に好かれるようになり、舐められることが少なくなり、
舐めたことをされても強気な態度を取ると、相手がペコペコと擦り寄ってくる。
特に1月に入って、
「母によく似た女(仮にMとします)」に付きまとわれることがいい加減嫌になり、
Mの性格の悪さに嫌悪感が半端ないので、シフトをずらしまくり、
仕事以外の面で徹底的に無視するようにした。
M本人は、ますます私に悪意を向けてくるようになったが、
私自身は周りの人には「最近、スッキリして綺麗になった」と言われるし、
いろんな人に親しく話しかけられるようになった。
このMという女は、レースクイーンをしている女性で33歳、
ブスと苛められることが嫌でダイエットをし、
きれいになりたくてモデルクラブに入ったらしい。
私の2週間ほどあとに配属されたが、私は彼女にはほとんど興味がなかった。
仕事のセンスもないし、暗いし、
自分に刺激を与えてくれる存在ではなかったため。
ところが10月頃から、Mの方が私に付きまとうようになった。
「なんかすごく好き〜、一緒にいないと寂しい〜」などといい、
休憩室でもどこでも後を追って側に寄ってくる。
来る者拒まず、で話をするようになり、
一緒に練習するようになる、話してみると、勉強熱心だし、
悪い子じゃないかも?と思って仲良くなっていった。
10月下旬になり、私は、私の1ヶ月半ほど後に配属された
Yという男に恋心を抱くようになった。
恋といっても、高校生的な擬似恋愛がしたかった。
帰りに待ち合わせたり、そういうことを楽しみたいと思っていて、
ちょうどいい相手(外見もわりと好み)だったからだ。
なんとなく話をするようになり、むこうから誘ってきたりして仲良くなった。
12月の頃には、むこうから誘って一緒に帰るようになった。
そこにMが割り込んできた。
最初はMも、Yのことを純粋に好きなのだと思っていた。
Mは私にもYにも「ずるい、一緒に帰って欲しくない」とか
「Yに誘われても一緒に遊びに行ったりしたらあかんで」などと言ってきた。
なんでお前に命令されなあかんねん、とむかついた。
Mのことなど構わず、Yと仲良くしていた。
そもそも人間関係なんて、それぞれ個々で一対一だし、
Mの気持ちに気を遣う必要なんかないからだ。
Mは最初は「そうは言っても、こんな狭い職場だし、
付き合うとか、恋愛にはしないよー、よその人だったらセフレにしたいけどー」
などと言っていたのに、12月に入ると急に
「自分でもわからないけど、Yが死ぬほど好き!気持ちが止められない!
気持ちを伝えたい!」とひとりで盛り上がり、Yに告白した。
Yからその話しを報告されたが、
Yは「妹的に好きという気持ちはあるし、人として興味はある、
恋愛感情になるかは、自分は時間をかけて人とつきあうタイプだから、
今は返事できない」などと言っていた。
私は少し寂しいと感じつつ、MとYのやりとりを見ていると、
MはYに甘えながら常になにかしら絡んでいて、
「依存しながら攻撃して振り回す」という態度で、
Yは「そんなヒステリー女を受け止めている俺って、寛容♪」
みたいな優越感に浸りつつ、心情は苦しい、というように感じられた。
そういったところと、Yの母親の話を聞き、
この男はマザコンで、母親との関係がおかしいし、
人とまともな関係が築けないタイプだと感じ始めた。
Mがひとり盛り上がっていったのも、Yとのやりとりが、
まるでエロチャットのようにいちゃいちゃしたもので、
Mにしてみれば「Yは自分に気がある」と思っても仕方のないものだった。
(Mは私に、Yとのメールを見せてきた。
それは私とのメールを見たかったからだと思う)
Yは、職場の他の女性からも、恋愛相談を受けていて、
その女性からもアプローチを受けているらしかった。
Yをよく観察していると、この男は女性に色目を使っていた。
私に対する目線を思い出しても、何もないのに意味深な、
何か秘密を共有しているような目つきをしていたなと思い出した。
Yはエサを撒いている。そして女がひっかかると、サッと引く。
(これはMが言っていた。これはいけるかもと思って近づこうとすると、
一気に引くんだよね…と)
そんなこともあり、12月下旬からYのことは次第に冷めてきた。
そして、MとYと、いまなんとなく3人組みみたいになっているけど、
どういう経緯でこうなったかな?と思い出してみると、
私がYを好きになった頃にMが割りこむように入ってきて、
私とYが親密になったころに、
Mが急に盛り上がり始めてきたなと気がついた。
そして1月に入ると、私がMを避け始めたのだが、
Mが私に対してやけにむきになっていることに気がついた。
私の前でわざとYといちゃついてみせて、
「あてつけでやってますよ」というのが伝わってくる。
Y以外にも、私が仲良くしている人たち(男性に限る)に
ベタベタして「どぅお?取られちゃうと思って焦らない?」
という気持ちが伝わってくる。
ちょうど12月下旬から母との暴力事件があって、
母の「お父さんはお前の味方じゃないの、私の味方なの、
お前はひとりぼっちなんだよぅ〜ウヒヒ」という悪意を
たっぷり見たこともあって、
Mのそれは母のあれと同じだ!!と感じた。
Mはどういうわけか私に執着している。
私が楽しそうなのが気に食わないようで、不機嫌になっている。
私が取り合わないと、あてつける行動に出るし、
言う言葉にも意地悪さが出てしまっている。
たとえば、休憩室で出て行くみんなと私が入れ違いに入ってきた時、
Mは冗談ぽく
「じゃあ、みんな、行こ!●●(私のこと)を置き去りにしてさ〜」
と言ったが、口調が必死でひきつっていた。
これはおそらく、意地悪をされている者だけにわかる感覚なのだと思う。
人は、どんなに人混みの中でも、
「自分に向けられた、必死で真剣な声」には気付くことができる、
と聞いたことがある、
呼ぶ人の真剣さが、「誰を呼んでいるか」が、
呼ばれた人にだけはわかるのだという。
私がMから感じているもの、母から感じているものはこれなのだと思う。
私は自分の感受性を信頼している。
Mはおそらく、ダイエットもせずに、
少し太めの私が幸せに楽しそうにしているのが気にくわないのだ。
自分の不幸(人に好かれないこと)を体型のせいにしてきたMにとって、
少し太めの私が幸せであることは、二重の敗北なのだと思う。
だから、私が楽しそうにしているものには割り込んで奪って、悔しがらせたい。
自分が欲しいわけでもないのに、手に入れようと躍起になっている。
私がYではなく別の男を好きになっていたら、
おそらくその男に告白したのだろう。
現に、私自身がYに興味が薄れてきて、
「MのYへの恋心が、私にあてつけたいとか、私を意識したものだったら、
最近私がよく話をするWさんにベタベタし始めるだろう」と思っていたのだが、
本当にそうなってきた。
Mには「自分」がない。誰かを好きになることすら、私を意識して、
私がいなければ発生しない恋愛だった。
そんなふうに私に支配されていて、疑問を感じないのだろうか。
今となってはMは、私が何を楽しんでいるか、
誰と楽しそうにしているかが注目の的であり、そこに割り込み、
私がしょげるのを見るのが至福の喜びといった感じに見える。
母も、私が楽しんでいるものは、
「勉強にさしさわる」と言って取り上げてきた。
小学1年生の子どもなのに、イラストや漫画を描くといったことが、
さしさわるような勉強など何もないのに。
母にも自分がない。
彼女の楽しみは、私の粗探しをすること。
今になって思い出せば、母はいつも私の机を家捜しし、
日記を盗み読みしていた。
私をずっと見張り、責められる場所を探していたのだと思う。
彼女の苦しみは、私が幸せで成功して、他人に愛されること。
父と仲良くすること。
病院の帰りに私に言ったあの望み、
「得意なことは一切禁止、汚い仕事をのたうちまわってやれ」、
あの望みにすべてが集約されていると思う。
そしてYが父と同じ人間なのは、
ヒステリーな女に麻痺していること。
Mがとりわけ不機嫌だった時、
Yに「ねえ、Mはなんであんなに怒ってたの?」と聞いてみたら
「えっ?怒ってた?」と不思議そうにした。
「だってすごく仏頂面で返事もせず、不機嫌だったじゃん」というと、
まったく気付いていない様子だった。
父も、母のヒステリーを「また母さんはブツブツ言って」と軽く流していた。
それを「俺は寛容なんだよな」、とか言っていた。
私もそう思っていた。
でも違う。あれは寛容なのではなく、鈍いんだ。感じていない。
職場の他の人は、Mのヒステリックさ、不機嫌さに引いているし、
警戒している。ほとんどの人が(特に男)は、Mを相手にしていない。
レースクイーン(本人はモデル、と言っていたが)だからで、
チヤホヤする人も皆無な職場だ。
やはり技術職の職人肌の人が多いので、
みんな比較的他人に興味がない。自分の技術向上が一番のようだ。
そんな中で、YだけはMに構われるまま親密になっている。
Mは、Yを好き!24時間甘えたい!と言いながら、
会話は常に相手に突っ込み、返答に詰まるのを楽しむ、
といったもので、
「うだつのあがらないダメでダサい男が、
私みたいないい女に言い寄られて舞い上がってて、超受けるw」
という優越感も見えるし、
私へのあてつけに有効なコマだから、そばにおいてやってんのよ、
みたいな感情がある。
それ以外役に立たないんだから、
おまえちゃんと私を優先して、あいつをがっかりさせるんだよ、
という感情がある。
こうした感情が、Mは母とまったく同じだ。
そしてYも、そんなMに気を遣って、1月に入ると、
同じ時間に仕事が終わっても帰りを誘わなくなった。
よく観察していると、
Mが出勤している日は、私にたいしてよそよそしく、
Mがいない日は馴れ馴れしい。
父も、母に隠れて小遣いをくれた。
あの病院に行った日も、
こっそり引っ越すなどというあれだけのことをやっておきながら、
シレッと「これ、足しにしなさい、母さんにはナイショだよ、怒るから」
と3万円渡してきた。
すごい神経だなと思ったが、Yもまるで父にそっくりだ。
私は結局、
本当のところは、親離れをしていないのではないだろうか、
と思います。
引き寄せる相手、好きになる相手、関わる相手、
そしてそこに作られる人間関係が、
両親と私の図式の再現なのだ。
報告は以上です。
どうかよろしくお願いいたします。
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